それでも、撮影の手がかりをつかむことができた。ボランティア撮影で鄒さんを信頼するようになった患者が知り合いの患者を紹介してくれた。病院も協力的で、院内での撮影が許可された。
鄒さんは最初、ビジネスホテルに滞在していたが、取材が進むにつれて、患者家族が暮す建物に部屋を借りて住むようになった。
「よく患者さんたちの部屋に行って、みんなといっしょに食事をしました。パーティーをすることもありました」
そんな一枚には、小さなテーブルの上にロウソクがともされたケーキが置かれている。幼い子どもたちがそれを見つめながらバースデーソングを歌っている。
「子どもたちは全員患者です。みんな河南省出身です」
燕郊に住む患者の家族たちは「同郷会」をつくり、助け合って暮らしていた。
■新型コロナが直撃
作品には入院する子どもたちのために、病院に弁当を届ける親たちの姿がたびたび登場する。
「中国の病院では通常『病院食』を用意してくれません。病院内に食堂はありますが、病状に合った食事が提供されるわけではないので、白血病の患者が食べるのは無理です。なので、各患者家族が食事を用意しなければならない」
病院内には宅配ボックスのようなものが設置された部屋があり、家族はこのボックス内に弁当を届ける。
「移植手術を受けた直後の白血病患者は免疫力がまったくないので、ここで弁当を消毒して、それを患者に渡すんです」
ところが、19年の3回目の取材を最後に、鄒さんは病院内での取材を断念せざるを得なくなった。理由は新型コロナウイルス感染症のまん延だ。20年は中国を訪れることさえできなかった。
21年に撮影を再開したものの、「撮影できるシーンがまったく変わりました。コロナのせいで取材も難しくなりました」。
作品は終盤、患者や家族たちが教会で祈る姿や、ミサを終えた後、集まって会食するシーンが続く。そして、治療を終え、元気な姿を取り戻した女性の姿で締めくくられる。
鄒さんの作品について、名取洋之助写真賞を主催する日本写真家協会のホームページには、次のように書かれている。
<扱う題材も重く難しいもので中盤までの構成展開は惹きつけられました。ただ「祈り」を描いた最後の5枚が弱く最高評価(名取洋之助写真賞)までは至りませんでした>(かっこは筆者)
それに対して鄒さんは、こう語った。
「悲惨な事実だけでなく、希望を少し入れたかった。ぼくの性格からして、そんな構成にしたかったんです」
(アサヒカメラ・米倉昭仁)
【MEMO】鄒楠写真展「燕郊物語-中国の白血病村」
富士フイルムフォトサロン(東京・六本木) 1月20日~1月26日