■親友を白血病で失った
北京と上海のほぼ中間、江蘇省・連雲港で生まれ育った鄒さんは小学生のとき、親友を白血病で失った。
「ぼくの記憶のなかにある最初に見た遺影です。親友はとなりの家に住んでいた兄貴のような存在でした。ぼくらはいつもといっしょに遊んだ。ところが突然、白血病を発病した。病院に見舞いに行ったら、鼻から血が出ていた。すごく大量に……。ショックでした」
やがて鄒さんは地元の大学で日本語を学ぶようになり、卒業後、来日。九州産業大学大学院で写真を学び始めたころ、ジャーナリストの友人が書いた燕郊の白血病患者の記事を目にした。幼いころの記憶がよみがえった。
「いったい白血病とはどんな病気なのか。患者たちはどんな生活をしているのか、疑問が湧き上がった」
19年春、鄒さんは燕郊を訪れた。
「白血病治療で有名な病院は北京にもありますが、燕郊は北京よりも滞在費用が安い。北京だと月約8万円の家賃が、燕郊だと約1万5000円。この差は大きいです。お金を節約するために患者家族は燕郊に集まってくる」
燕郊には2つの白血病村があるという。
この街にやってきた患者家族は、まず病院のすぐとなりにある古びた住宅が密集する地区に住み始める。そこで写された写真には落書きされたれんがの壁が見える。ベッドのマットレスや椅子が捨てられている。そんな地区に建つ賃貸マンションの家賃は月1万円前後。
「この建物に住んでいるのはほぼ全員、患者の家族です。生活費を切り詰めるために一番安い部屋を借りている」
手術が終わり、退院すると、家族は病院から少し離れた近代的な高層マンションが立ち並ぶ地区に移り住む。
「手術を受けた後はボロボロのマンションに住むことはできない。衛生状況が悪いので、感染症へのリスクが高く、危ないですから。なので、家賃が高くても奇麗なマンションに引っ越す」
■患者の「見本」写真
取材は義援金を募る慈善団体と交渉し、ボランティアとして撮影することから始まった。
「インターネットを通じて白血病治療の義援金を募るには患者たちの写真や動画が必要です。そこでぼくが撮影することを申し出た」
しかし、この方法はすぐに壁に突き当たった。
「慈善団体が必要とする写真は、いわば患者の『見本』みたいな写真なんです。撮影時間もすごく短い。1人の患者を20~30分で撮影することもあった。無理ですよ、それでは真実には迫れない」と、鄒さんは語気を強める。