酒井忠次(1527~96年)/「背に目を持つごとし」と称された家康の宿老。家康が今川家から自立して三河を支配すると、東三河を統括。長篠・設楽原の戦いでは織田信長に鳶ヶ巣山砦の攻略を進言し成功させた(東京国立博物館蔵)
酒井忠次(1527~96年)/「背に目を持つごとし」と称された家康の宿老。家康が今川家から自立して三河を支配すると、東三河を統括。長篠・設楽原の戦いでは織田信長に鳶ヶ巣山砦の攻略を進言し成功させた(東京国立博物館蔵)
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 徳川家康には「徳川四天王」と呼ばれた側近の家臣がいた。放送中の大河ドラマどうする家康」で大森南朋が演じる酒井忠次、山田裕貴が演じる本多忠勝、杉野遥亮が演じる榊原康政、板垣李光人が演じる井伊直政の4人だ。

【図版】よくわかる!戦国大名の家臣団の構成はこちら

 戦国大名は、多くの家臣の力で合戦や領国管理をしたが、家臣団とはどのような構造だったのだろうか。

 東北、関東、東海など戦国時代の日本を9エリアに分けて章立てし、地域別の通史を解説する『地域別×武将だからおもしろい 戦国史』(監修・小和田哲男)が、詳しく解説している。

家臣団の「ランク」分け

 家臣団は、大名家の運営に加わることができる上級家臣と、運営には関わらない下級家臣に大別され、両者は寄親寄子(よりおや・よりこ)制で結ばれていた。寄親が寄子を指揮下に置いて統率したのである。

 上級家臣は血縁関係の一門、代々仕える譜代、新参の外様(とざま)に分かれており、そのトップに20人程度の家老がいた。大名との関係はほぼ対等で、特に家老クラスは大名の代わりに家のかじ取りをすることもあった。徳川四天王の一人、酒井忠次が率いた酒井家は、古い時代に松平家から分かれた庶流にあたり、家康が幼いころから松平家に仕えていた譜代中の譜代である。

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家臣団の瓦解を防いだ工夫とは