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徳川家のリアル
徳川家のリアル 日本史を代表する武将であり政治家でもある徳川家康。大河ドラマ「どうする家康」の展開も話題になっているが、その家康を中心にした「徳川家」のリアルに迫る。
長女は豊臣家に、三女は徳川家に嫁いだ「浅井三姉妹」の数奇な人生
長女は豊臣家に、三女は徳川家に嫁いだ「浅井三姉妹」の数奇な人生 平安時代、結婚は、夫が妻のもとを訪ねる「通い婚」だった。それが「嫁取り婚」に変わったのは武家政権が成立した鎌倉時代以降のこと。武士は所領を守らなければならず、基本的にその土地を離れない。そこで、夫が妻を迎え入れる形に変化した、というわけだ。
徳川家康と豊臣秀頼以上に「大坂の陣」を戦った「影の主役」とは
徳川家康と豊臣秀頼以上に「大坂の陣」を戦った「影の主役」とは 11月26日放送の大河ドラマ「どうする家康」は、1611(慶長16)年の徳川家康と豊臣秀頼との会見を手厚く描いた。後水尾天皇の即位にあたり上洛した家康が二条城で秀頼と会見。秀吉の正室だった高台院も同席した饗応の場で家康は、孫娘・千姫の夫でもある秀頼を最高の礼遇で迎え、秀頼は家康を上座にすえて拝礼したとされ、ドラマは、互いに上座を譲り合う2人の駆け引きを丁寧に描いて見せた。
家康はなぜ「律儀で実直」なだけの三男・秀忠を後継者にしたのか
家康はなぜ「律儀で実直」なだけの三男・秀忠を後継者にしたのか 11月26日放送の大河ドラマ「どうする家康」第45回が描くのは「二人のプリンス」。豊臣秀吉が残した豊臣秀頼と、後に徳川幕府2代将軍となる徳川秀忠の物語だ。ドラマで森崎ウィンが演じる秀忠は、家康の三男で、律義で実直なだけがとりえだったとされる。徳川家康はなぜ、この三男を後継者に指名したのか。「だからわかる」シリーズの1冊『テーマ別だから政治も文化もつかめる 江戸時代』(監修 伊藤賀一/編集 かみゆ編集部)は、2代将軍誕生の背景と実際の手腕を詳細に解説している。
「どうする家康」の前に関ヶ原の戦いを3分で予習 午前8時に始まり午後3時には決着
「どうする家康」の前に関ヶ原の戦いを3分で予習 午前8時に始まり午後3時には決着 11月12日放送の大河ドラマ「どうする家康」は、ついに関ヶ原の戦いを描く。「調略が勝敗を決した」とされる天下分け目の戦いが繰り広げられたのは、1600年9月15日。この記事では、静岡大学名誉教授で日本中世史、特に戦国時代が専門の小和田哲男氏が監修した『地域別×武将だからおもしろい 戦国史』(かみゆ歴史編集部編)に掲載された「関ヶ原の戦い布陣図」などを使って、放送の前にこの戦いを予習しておきたい。
徳川家康は街づくりプロデューサー「江戸と行徳」を運河で結んだ理由とは
徳川家康は街づくりプロデューサー「江戸と行徳」を運河で結んだ理由とは 2023年10月1日に放送された大河ドラマ「どうする家康」の第37回は、「さらば三河家臣団」と題され、北条攻めから徳川家康の江戸入封までを描いた。印象に残ったのは、ラスト近くで松本潤演じる家康が「街を一からつくるというのはおもしろい」という趣旨の発言をしていたことだ。
不機嫌な家康…三度にわたる撤退命令と徳川方が追い込まれた「真田丸」での“勘違い”とは
不機嫌な家康…三度にわたる撤退命令と徳川方が追い込まれた「真田丸」での“勘違い”とは 大坂冬の陣における戦闘の中でも特に知名度の高い「真田丸の攻防」。真田丸と呼ばれる出丸(本城から張り出して築いた小城)を舞台に真田信繁が指揮を執り、徳川方に大きな損害を与えたが、どのように撃退まで追い込んだのか。朝日新書『天下人の攻城戦 15の城攻めに見る信長・秀吉・家康の智略』(第十四章 著:草刈貴裕)から一部抜粋、再編集して紹介する。
天下人・家康、領国統治や外交の礎は今川家に 氏真を特別視していたと分かる史実も
天下人・家康、領国統治や外交の礎は今川家に 氏真を特別視していたと分かる史実も 歴史学者・黒田基樹氏は、新著『徳川家康と今川氏真』(朝日新聞出版)で、家康にとっての氏真の存在を多角的に分析し、いかに家康に影響を与えたのかを記している。特に、氏真が京都で生活するようになってからの関係は、その全容は明らかになっていないにせよ、何らかのコミュニケーションを撮り続けていたのではないかと同氏は推察する。同著から一部抜粋、再編集し紹介する。
信長・家康が庇護した今川氏真が浜松城にいた理由とは 歴史学者が推察する役割
信長・家康が庇護した今川氏真が浜松城にいた理由とは 歴史学者が推察する役割 遠江一国の経略を遂げ、遠江・三河二ヶ国の戦国大名になった徳川家康。その家康の遠江・三河統治のあり方は、今川家のそれを踏襲するものであった。また、今川氏真は武田軍によって駿河から退去を余儀なくされ、遠江懸川城に籠城したが、家康はそれを攻撃するも、すぐに氏真とそれを支援する北条氏政とのあいだで和睦を結んでいる。歴史学者・黒田基樹氏は、新著『徳川家康と今川氏真』(朝日新聞出版)で「家康が懸川城の攻略に拘らなかったのは、氏真とのかつての交流から生まれた、気心のようなものがあったように思う」と記している。家康にとって、氏真、そして今川家はどのような存在だったのか。同著から一部抜粋、再編集し紹介する。
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