天龍源一郎(てんりゅう・げんいちろう)/1950年、福井県生まれ(撮影/写真部・掛祥葉子)
天龍源一郎(てんりゅう・げんいちろう)/1950年、福井県生まれ(撮影/写真部・掛祥葉子)
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 9月に「環軸椎亜脱臼(かんじくつい あだっきゅう)に伴う脊髄症・脊柱管狭窄症」であるということがわかり、現在は入院してリハビリ中の天龍源一郎さん。今回は入院先から主治医の許可をもらいながら、プロレス技を語ってもらいました。

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 今回は俺が使ってたプロレス技や、受けて衝撃的だった技について話そう。まず、俺がプロレスの技で最初に覚えたのは、ほかのレスラーもそうだと思うけど、抱え投げ、いわゆるボディスラムだ。相手を持ち上げて叩きつけるだけだから、力があれば簡単にできる技だ。

 あとは相手をロープに振るハンマースルーと、腕で投げるアームドラッグという基本的な技。俺がデビューしたときはこの3つに加えて、当時流行っていたサイドスープレックスとダブルアームスープレックスを覚えて試合に望んだよ。スープレックスも技を食らいながら受け身の練習をするから、自分でもやり方を覚えるんだよね。

 よく使っていた延髄斬りは、アメリカ・ノースカロライナで戦っているとき、ブラックジャック・マリガンが日本でアントニオ猪木さんと戦って「お前も日本人だからラウンドキック(延髄斬り)を使え」と言ってね。それで俺も猪木さんの真似をして使い始めたんだ。

 本家本元は猪木さんだから、もちろんファンには散々文句を言われたよ。ただ、猪木さんからは何か言われたことは一度もなかった。俺は当時、つなぎ技として使っていたけど、猪木さんはフィニッシュホールドだったから、その差があったのもよかったんじゃないかな。

 DDTもアメリカでのサーキットがきっかけだ。ジェイク・ロバーツが使っているのを見て「おぉ! すごい技だな」と思ったのが第一印象。日本では俺が勝手に「DDTはデンジャラス・ドライバー・テンリューの略だ」と言って使い始めたんだ。アメリカに行くといろいろな技のヒントがあるから、みんなアメリカに修行に行かされるんだと実感したよ。

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プロレスのパンチは当たっていない?その真相は