関東地方の寺院の樹木葬の権利を契約した女性(65)もそんな一人だ。義理の母親とは5年間同居して「いい方で、とても尊敬していた」と話す。夫は長男だから墓を守るという意識がある。それでも、こう断言する。

「でも私は死んでも夫の実家の墓には入らない」

 基本は男子の直系しか入れない「◯◯家の墓」には、「自分の娘も入れないなんて」と以前から疑問を抱いていた。寺から法事などで数十万円の寄付を強要されるのもおかしいと思った。

「子どもたちにこうした負担を負わせたくないな」

 墓問題への意識が強まったのは、15年ほど前にホスピスで音楽ボランティアに携わったことがきっかけだ。
「喜んでもらって、次に行くとその人はいないというのが日常でした。人って死ぬんだ、と。夫の墓には入りたくないけど行き場所がなければ、そこに入れられちゃうと焦りました」

 自然葬を受け入れている寺院を探し、8年ほど前に契約した。継ぐ人がいなければ里山になるという。会計報告も明朗だった。墓標の代わりにムラサキシキブを植樹するつもりだ。

 契約前には、夫を現地に連れていった。
「ここにしようと思うの。いい?」と夫に尋ねると、「君がそうしたいなら、ここにしたら」と反対はしなかった。

 その後も寺院で開かれる「集い」に一緒に参加している。とはいえ、夫の内心は複雑なよう。
「あなたもここに一緒に入りましょうよ」と誘うと、夫はいつも「君は、ここ以外に入る気はないのか」と逆に質問して答えを濁す。もちろん女性の気持ちは揺るがない。

「家事をして、子育てをしてと、結婚後はどうしても人と合わせることが多かった。死ぬ時だけは自分で選択したい」

 と晴れやかな表情。夫はまだ踏ん切りがつかないでいる。

 人生の最後に夫婦の仲が試されるのが終活。どちらかが感じたしこりや心の隙間に生じた小さなさざ波は、すべて「墓」につながっているのだ。(編集部・鎌田倫子)

AERA 2016年8月15日号