AERA with Kids+ Woman MONEY aerauniversity NyAERA Books TRAVEL
検索結果3444件中 1 20 件を表示中

「格付け」での“気の強さ”が吉と出るか…「比嘉愛未」が事務所退所で直面する“正念場”〈ワールドドキドキビデオ きょう出演〉
「格付け」での“気の強さ”が吉と出るか…「比嘉愛未」が事務所退所で直面する“正念場”〈ワールドドキドキビデオ きょう出演〉 比嘉愛未(写真:Keizo Mori/アフロ)  25日放送「ワールドドキドキビデオ13弾」(日テレ系・午後9時)は、超人気者が衝撃映像を見ながらリアクションをグッと耐える、にらめっこ番組。予選を勝ち残り、決勝に進むのは誰なのか。そして、ノーリアクション王に輝くのは!?今回出演するゲストの1人、俳優の比嘉愛未について過去の記事を振り返る(この記事は「AERA dot.」に2025年1月16日に掲載されたものを再編集したものです。本文中の年齢、肩書等は当時のもの)。 *   *   *  1月12日から岩田剛典と比嘉愛未(38)がダブル主演を務めるドラマ「フォレスト」(テレビ朝日系)がスタートした、比嘉は1月末に長年所属していた事務所から退所する予定。新ドラマは退所発表後初の出演作品となるだけに、今後を占う試金石となりそうだ。  そんな比嘉は、元日放送の「芸能人格付けチェック! 2025お正月スペシャル」(テレビ朝日系)での発言も話題になった。  ドラマで共演する岩田とペアを組んで挑戦した比嘉だったが、100万円と5000円のワインを飲み比べるチェックでは、ワインが「お酒のなかで一番好き」と豪語したにもかかわらず5000円のワインを選んでしまい、不正解。また、ミシュランシェフのエビチリを当てる問題では、なんとMCの浜田雅功が作った2ランクダウンのエビチリを一流料理人の作ったものだと主張し、またもや不正解に。このエビチリ問題では、岩田は正解のほうを選んでいたのだが、比嘉の押しに負けてしまい、下から2番目のランク「そっくりさん」までダウンしてしまった。不正解に導く比嘉を見た共演の唐沢寿明が「なんか、地雷持ってんなこの子」と思わず口にしたことで、「比嘉地雷」というパワーワードまで誕生してしまった。 「実はパートナーの岩田さんは全問正解していたんですが、比嘉さんが足を引っ張る形となり、SNSでは『比嘉愛未さん気が強すぎるわ。ちょっと苦手かも』『性格悪い』など、自分の意見を譲らない態度に批判の声が上がっていました。これまで演じた役柄で『性格がキツそう』というイメージもあったことから、余計にそう見えたのでしょう。一方で、『あれだけキレイで正解しそうな雰囲気をまとってるのにポンコツというギャップがいい』など、意外なダメっぷりに親近感を抱いた視聴者もいました。彼女に対する意見は賛否両論入り乱れ、『比嘉愛未』がXのトレンド入りを果たすほど注目を集めました。結果的に比嘉さんの立ち居振る舞いはバラエティー的には100点でしたね」(テレビ情報誌の編集者)  比嘉といえば、2156人の中からオーディションを勝ち抜き、2007年の朝ドラ「どんど晴れ」(NHK)でヒロインに抜擢。全国的な知名度を獲得した。その後も「コード・ブルー -ドクターヘリ緊急救命-」シリーズ(08年~、フジテレビ系)や「マルモのおきて」(11年、同)など、話題のドラマに多数出演してきた。21年には「推しの王子様」(同)で、深田恭子の降板により急遽代役として主演を務めたこともある。同ドラは視聴率こそ振るわなかったものの、比嘉が頼りになる女優であることが実証される形となった。 NHK連続テレビ小説「どんど晴れ」のヒロインに選ばれたときの比嘉愛未(2006年)   意外にも「ガチ」の体育会系 「どの作品でも視聴者の印象に残る演技をする比嘉さんですが、特に『コード・ブルー』シリーズで演じた、誰からも信頼される博識かつ冷徹なフライトナース役が当たり役でした。医者一家に生まれながら、医学部受験に失敗し、看護師となった過去があるため、知識や経験の浅いフェローを見下す姿や最愛の恋人が難病のALSを発症し、関係性に葛藤する様子など、人間の心の機微を細やかに演じる表現力は素晴らしいものがありました。共演した新垣結衣さんや戸田恵梨香さんとはプライベートでも親交が深いそうで、家で女子会をしたり、戸田さんとは旅行もする仲だそうです。戸田さんが松坂桃李さんと結婚した際は、インスタグラムで祝福の言葉をつづりながらも、『ほんとはあたしの嫁に来て欲しかったがっっ笑』と冗談を交えて喜びを表していました」(同) 「コード・ブルー」シリーズをはじめ、真面目で完璧主義な役柄が多いため、しっかり者の印象が強い比嘉だが、肉体もストイックに鍛えているようだ。 「比嘉さんは、体を動かすのも好きなようで、わりとガチで体を鍛えていることでも有名です。以前、『キックボクシングは6~7年通っていて、パーソナルトレーニングやヨガなど、わりと体育会系』だと明かしていたこともあります。そこそこの筋肉量もあり、昨年『クラリーノ美脚大賞』の30代部門を受賞し、授賞式では美しい脚を披露していました。SNSでもこの美脚ぶりは話題となり、『ほれぼれする美しさ』『満場一致で優勝だ』など絶賛の声が多くあがっていました」(女性週刊誌の芸能担当記者)  こうみると一切の隙がないような印象を受けるが、意外にも“天然”な一面もある。「推しの王子様」の共演陣だった白石聖によると、撮影現場で絵しりとりをしていた際、ルーズソックスを描いて比嘉に回すと「クリリン!」と答えたという。「『あっ、分かった分かった!』という感じだったんですけど、『ス』から始まるものじゃなくて、『クリリン』と描いてて(笑)」と白石が明かすと、「しかも、『ン』で終わっちゃう(笑)」とディーン・フジオカにも突っ込まれていた(21年7月12日、第1話完成報告会)。さらに10年以上付き合いがあるという沢村一樹からも、比嘉が「東名高速」を「透明」だと思っていたという仰天エピソードが暴露されたこともあった(NHK「土曜スタジオパーク」22年11月26日放送)。 比嘉愛未   ふと見せる「憂い」の表情が魅力  エンターテイメントジャーナリストの中村裕一氏は、比嘉の魅力をこう分析する。 「雄大な大自然に囲まれた沖縄出身ということで、にじみ出てくる健康的な魅力もさることながら、俳優としてはふと見せる“憂い”の表情に惹きつけられます。『コード・ブルー』の印象が強いかもしれませんが、近年では夫の浮気を疑う妻を演じたドラマ『にぶんのいち夫婦』や、続編も作られた『作りたい女と食べたい女』での演技が高い評価を受けています。『にぶんのいち夫婦』放映時にインタビューをしたことがありますが、『(浮気の)疑いが生じたら、正面切って、どうなの?、と尋ねますね(笑)』と語っていたのが印象に残っています。今回の『フォレスト』は『星の金貨』や『ストロベリーナイト』など、女性の心情・心理を丁寧に描くことで定評のあるベテラン・龍居由佳里脚本による先の読めないスリリング・サスペンスということで、目まぐるしい展開の中で彼女がどんな存在感を見せてくれるのか非常に楽しみです」  本格サスペンスの「フォレスト」を演じるにあたって、比嘉がどんな新境地を見せてくれるのか、楽しみだ。 (高梨歩)
「外国人ばかり優遇」批判には理屈で説明 群馬県大泉町の町長・村山俊明が選挙権を持たない外国籍住民のために奔走する理由
「外国人ばかり優遇」批判には理屈で説明 群馬県大泉町の町長・村山俊明が選挙権を持たない外国籍住民のために奔走する理由 町で毎月開催される多国籍屋台のイベント「活きな世界のグルメ横丁」の会場で(撮影/今村拓馬)  在日外国人への悪質なヘイトが後を絶たない中、AERA 2024年2月5日号に掲載した群馬県大泉町の村山俊明町長の「現代の肖像」がいま、SNS上で再び注目されている。大泉町は人口の2割、5人にひとりが外国籍で、51カ国の人が暮らす。そんな町を「俺の町」と呼び、票にならない人のために走り回る町長がいる。一筋縄ではいかない多文化共生と地場産業の活性。賛否両論ありながらも、自らの信念で刺激的な政策を進めている。(AERA掲載当時、オンラインでは記事の一部のみ配信しましたが、今回特別に全文を公開します) *  *  * 「初めて町議選に出た動機ですか? 34歳のときでした。私、実は2回離婚していて、前々妻との間に息子がいるんです。離婚の際に面会する約束をして養育費も払っていたんですが、会わせてもらえなかった。せめて顔だけでもと思って幼稚園に行っても追い返された。前々妻に三行半叩(たた)きつけられて、世間様からも相手にされず、『これじゃいけない』と自分が情けなくなったんですよ。それでせめて世間様から認められるようになろうと考えて、町議選に出ることにしました。父親に『俺はこのままじゃ生きていけない。子どもの親として立派な姿を見せたい』というと、『へんな薬でもやってるのか』と疑われましたよ。本当なら地域のためとかなんとか言えばいいんでしょうが、そういうことは言いません。半分やけくそみたいなもんですよ」  群馬県大泉町(おおいずみまち)の町長の村山俊明(むらやまとしあき・61)は笑いながら、自らの政治人生のスタートをそう説明した。  新聞・テレビなどとにかくメディアの注目を集める人である。人口4万人少し、群馬県でもっとも小さい自治体だ。だが人口の2割、5人にひとりが外国籍の住民という、日本有数の外国人率という町の特殊性がある。「共生社会」「外国人労働者」といった社会的論点がクローズアップされるなか、この小さな町はこういっては悪いが、日本の先行きを占う「実験室」のように見つめられている。  そしてそこで行われる村山の政策が刺激的なのである。  町長になったあとの2017年に「あらゆる差別の撤廃をめざす人権擁護条例」を施行。19年には、性的少数者のカップルを婚姻とみなす「パートナーシップ宣誓制度」を全国の町村で初めて導入した。さらに昨年の12月には、町職員の採用試験で国籍条項を撤廃し、永住者・特別永住者の外国籍住民に門戸を開くと発表した。 町内のイベントでは2ショット大会に(撮影/今村拓馬) 自由奔放な青年時代を送り 高校も大学も中退した  もちろん賛否両論ある。だが政策の是非の前に不思議なのが、本人のキャラクターとやっていることのギャップである。冒頭の発言のように相当にフランクで、その人生も順風満帆とは言い難い。彼はいったい、どのような経緯で現在の政治姿勢に至ったのだろうか。  村山は1962年に大泉町で鉄工所を営む家に生まれた。父親は特攻隊帰りで、終戦は特攻隊の出撃基地があった鹿児島県・知覧で迎えたという。 「父親は非常に厳格な人で、愛情を受けたという記憶がありません」  と、村山はいう。一方、母親は地元で長く民生委員を務めており、世話好きで優しい人だったらしい。  ちなみに大泉町は戦前・戦時中と「ゼロ戦」で有名な中島飛行機の工場があった。現在も大泉町に味の素、スバル、パナソニック(旧・三洋電機)などの大規模工場があるのは、そのなごりである。  そうとう自由奔放な青年期だった。地元高校に進学し、2年生のときに「学校内の代表取締役に就任しました」。しかし修学旅行の2日前に「旅先でトラブルを起こしかねないから」と校長らに頼まれて退学。そのまま町内で住み込みのアルバイトをして暮らしていたが、当時付き合っていた彼女の父親から「高校も出てない奴と娘を付き合いさせられない」と言い放たれて、私立高校の2年生に編入。そこは無事卒業して北海道の大学に進学するが、大都会・札幌の街は村山青年には刺激が強すぎた。勉学に身を入れることができず、ここも2年生で中退。さすがにすぐ地元に帰れず、成田空港内にある貨物の管理会社で2年間働いた。  23歳のときにようやく地元に戻り、実家の鉄工所を手伝い始める。このころ、村山は自分には冷たい父親のもうひとつの顔を知る。 「家にどこの国出身かわからない人がしょっちゅう来て、飯を食っていくんですよ。父も嬉しそうに相手してね。なぜ父がそういう人たちに親切にしていたのかわからないですけれどね」 とにかくどこでも人気。町内のブラジルレストランで、他県に住む日系ペルー人たちから「町長さん?」と声をかけられた。口コミで評判が広がっているらしい(撮影/今村拓馬) 在日韓国人の「兄貴」との付き合いでわいた疑問  知人の連帯保証人になって大借金を負ってしまったのもこのころだ。家業の手伝いだけでは間に合わず、自動車運転代行業も始めた。昼は鉄工所で汗をかき、夜は酔漢を乗せて車を走らせる。先行きの見えない苦しい時代だった。  ふとある日、近所に高級車が止まっている家を見つけた。「あれは誰の家?」と訊(たず)ねると、両親は答えずに「村山の息子だといえばわかるよ」という。夜に居酒屋でその家の人に「村山の息子です」と挨拶すると、ひどく驚かれた。  その人物は在日韓国人で、すでに亡くなっていた村山の12歳年上の兄の友人だった。よく村山の家にも遊びにきていたという。 「自分たち在日の子どもが遊びに行っても、他の友だちの家は中にも入れてもらえなかった。でもお前の家だけは上がらせてくれたり、ご飯を食べさせてくれたり、よくしてもらったよ」  彼はそう言って懐かしんだ。それは恐らくさまざまな国の人間の出入りを許していた父親、民生委員だった母親の気質だったのだろう。彼はそれから以降、「飲みに行こうよ。トシちゃんは煙草(たばこ)とライターだけ持ってくればいいよ」としばしば誘ってくれた。村山も彼のことを「兄貴」と慕うようになる。80年代後半、外国人登録証明書に指紋を押捺させる制度が、「まるで犯罪者扱いではないか」と反対運動が全国に広がっていた。村山もその抗議運動で東京・霞が関でのデモに参加している(現在この制度は廃止)。 「同じ町内で暮らしているのに、日本人とそれ以外って区別するのはおかしいんじゃないか。みんな助け合って暮らしていけばいいのに」 「兄貴」との付き合いの中で、そんな極めて素朴な疑問が村山の中にわき起こる。「外国籍の住民でも等しく町で暮らしていくべき」。本や教室で学んだ理念ではなく、過去の体験からくる信念である。信念だから叩かれてもへこたれない。  1997年、34歳のときに大泉町議会議員に初当選。以後、町議選を重ねるごとに当選順位を上げていき、議長就任。そのころには支援者も増えて、13年に町長になった。17年に施行した「人権擁護条例」についてこう説明する。 「いわゆる『デカセギ』の外国人労働者が多かったころは飲酒運転などのトラブルも多かった。でも彼らの中から永住・定住する人も増えてきて、そういうトラブルが少なくなり、逆に仕事や住まいの悩みや相談が増えてきたんですね。そういう『住民』への配慮として考えました」  22年には、導入していた「パートナーシップ宣誓制度」を申請した日系ブラジル人女性カップルのために、議場で「結婚式」を行った。式場のような飾り付けは職員たちが行ったという。 「申請者に私が証書を『ハイ』って渡せば済むことなんだけれど……なんかそれだけだと可哀想じゃない。親とか反対された経験もある人だろうし。議場を式場代わりに使う制度は以前からあるので、それで結婚式をやったまでですよ」  村山が通うスポーツジムを営む宮城ユジ(27)は、両親はブラジル国籍の日系3世だが、自身は日本生まれの日本育ち。 「町長が来てくれるようになって、今は会員の半数が日本人になり、経営が助かりました。彼はそういうチャンスをくれる人」  律儀(りちぎ)な性格とたくましさもあってか、宮城は大泉警察署の一日署長にも選ばれている。ジムに飾られた制服姿の写真が誇らしげだ。 町内にあるジムで汗を流す村山。早いときは朝5時から来てトレーニングをしているそうで、たしかに筋肉質な体形をしていた。村山が通うようになってジムに日本人会員も増えた(撮影/今村拓馬)  そんな町の姿勢に憧れて、違う自治体出身なのに大泉町に就職した町職員がいる。  湯浅帆乃花(24)は高校時代に短期留学したアメリカで日系人の歴史に興味を持ち、上智大学外国語学部ポルトガル語学科に進学。商社か外交官かといった華やかな就活をせず、「現場で日系ブラジル人たちと関わる仕事がしたい」と、大泉町に就職し、現在は企画部多文化協働課に勤める。 「就職面接でフランクな口調でポンポン質問してくるおじさんがいたので誰だろう?って思ってたら、町長でした」  と、笑う。入職して2日目、村山から呼ばれた。 「君はたしかブラジルの担当をしたかったんだよな。これからブラジル関係の会合にはどんどん同行してもらうから」  そして実際、領事館での重要なミーティングにも参加させてもらえるようになった。湯浅は町で作成しているポルトガル語の広報誌をレストランなどに手配りしている。 「災害時にボランティアをお願いすることもあるので、郵送するだけでなく顔と顔の関係をつくっておくのが大事なんです。希望していた草の根の細かい仕事ができて、やり甲斐を感じています」 村山は子どもにも名刺を渡す(撮影/今村拓馬) 「外国人ばかり優遇」 批判には理屈で説明する  町では現在51カ国の外国籍の住民が暮らしている。もっとも数が多いのがブラジル国籍だが、最近急増しているのが、技能実習制度で来日しているベトナム人だ。大泉国際交流協会の副会長、月橋章(71)は元家電メーカーのエンジニアとしてベトナムに駐在した経験を持つ。その縁で、協会内でベトナムの国と人を紹介する講座を開催してきた。20年の秋ごろ、突然村山から町内に住むベトナム人たちに町長室への招集がかかった。不思議に思いながら同席した月橋は、村山の発言に驚かされた。 「いま日本国内のあちこちで、罪を犯したベトナム人が逮捕されるニュースが相次いでいます。その影響でみんながいじめられたり、差別されたりしていることはないか? なにか困ったことがあれば町が協力するから、なんでも言ってくれ」  当時、農作物の窃盗などベトナム人がかかわる犯罪報道が続いていて、月橋も胸を痛めていたときだった。 「集まったベトナム人は20人くらいだったと思います。わざわざそんなことをいってくれて、びっくりしたし、感心もしました」  外国籍住民に対しての融和的な政策に、町の内外から批判も当然ある。 「外国人ばかり優遇しているのでは」 「これ以上外国人を町に入れるな」  メールもあれば、直接面と向かって言われたことも多い。そのたびに村山は、 「優遇しているのでなく、日本人と同じ税金を納めている住民として、公平な行政サービスを提供しているだけです」 「転入届を正しく記入して持ってこられたら、町に引っ越しを拒否する権限なんてないんですよ」  と理屈で説明するが、どこまでわかってもらえたかわからない。  トラブルも相変わらずなくならない。夜中まで大音量で音楽をかけていた外国レストランに警官が駆けつけたときは、スタッフとの間に割って入り、「飲んだら騒がない。騒ぐなら飲まない」とお説教をした。  外国籍の住民から「会社の寮から追い出されそう」とSOSが来た。住民と会社の双方によくよく事情を聴いてみると、その住民が転職したのに前の会社の寮に居座っているだけ、ということだった。「なんだそりゃ、ですよ」と村山は笑う。 「反発をもっている住民は多いですよ。アンケートを採ると、外国籍の住民で『もっと日本人と仲良くなりたい』というのは七十数%あるのに、日本人住民で『もっと外国籍住民と仲良くなりたい』という人は十数%です。このギャップをいかに埋めるのかが課題です。防災活動訓練などで一緒に地域のために働いている姿を見せるとか、時間はかかるけれどやるしかない。多文化共生と簡単にいいますが、それが一筋縄ではいかないことは、大泉町を見てもらえればわかると思う」  メディアでは、こうした共生社会に尽力する村山の姿が紹介されることが多い。だが、彼にはもうひとつ意外な側面がある。それが、私が村山を町長として「非凡」と思うところだ。  味の素冷凍食品株式会社の関東工場は大泉町にある。創業は1970年で、日本人なら誰でも一度は食べたことがあるだろう家庭用冷凍ギョーザなどを生産している、同社の国内最大の工場である。  従業員920人のうち外国籍従業員が300人弱。国籍別ではブラジルが筆頭で、インドネシア、ベトナム、ペルー、フィリピンなど15~16カ国に及ぶ。年齢的にも30代など、中堅層にまで及んでいる。同工場総務部長兼人事グループ長の水野智子は5年前に本社からこの工場に異動してきた。彼女の目には村山がどう映っているのか。 「大泉の産業を活気づけたい、という思いが強いのかなあと思います」 「群馬県一小さな町で民族も宗教も違う51カ国の人が大きなトラブルもなく暮らしている。平和に住んだ方がみんな得だと知ってるからだよ」(撮影/今村拓馬) 票にならない人々のために 批判を受けても走り回る  町では年に1度、町に進出している大企業と地元の中小企業をマッチングさせる「企業情報交換会」というイベントを催している。 「積極的に企業同士のマッチングの機会を設けるということを、町が主体でやっておられる自治体は非常に珍しいのではないかと思います。我々みたいな大きな会社もたててくださるし、地域に根ざした企業さんとの結びつき、なにか取引ができないかすごく真剣に考えていらっしゃる。地域の中小企業さんからすれば、大企業に営業するのはなかなかハードルが高いんじゃないかなと思うんですね。しかしそういう機会で名刺交換をしていれば、なにかあればお声がけする可能性がある。実際に私どもも、急に人手が必要になったときに地元の派遣会社さんにお声がけしたことがあります」  小さな町にとって、大企業の工場がもたらす税収は生命線だ。地場産業が浮上するきっかけでもある。「多文化共生」施策ばかり注目され、豪放磊落(ごうほうらいらく)なイメージがあるが、村山にはこういう細かい計算もできる。 「元気な方なんですが、元気という言葉だけで収まりきらない。私にはアントレプレナー(起業家)の匂いがする方です。きっと、なにかを生み出す、新しいことをするのがお好きなんじゃないかと思います」(水野)  2023年11月の第4日曜日。広場で町の観光名物となったイベント「活きな世界のグルメ横丁」が開かれた。町内にはレストラン、物販など12カ国61店舗の「インターナショナルショップス」があり、その中から50店舗ほどがテントや移動販売車で一日限りのマーケットを催す。サンバショーなどもあって賑やかだ。10年から始まり、多いときは近隣からも約3千人のお客さんが来たという。  村山が会場入りすると、あちこちの屋台から、 「町長さん、コンチワー」  と、声が掛かる。ほぐした鶏肉をジャガイモで包んで揚げた「コシーニャ」というブラジルのコロッケを買う。食べ歩きしながらまたあちこちの屋台に顔を出す。なかには急に相談事を始める人もいる。 「わかったわかった、あとで役場に電話して」  笑顔で別れてまた別のテントに「よう!」と顔を突っ込む。  村山はときおり「俺の町」という。見方によればヒヤッとする物言いだが、それは権勢を誇るのでなく、自分の責任感についての矜持(きょうじ)だろう。そもそも考えてみると、町の2割を占める外国籍住民は選挙権をもっていないのだ。票にならない人々が住みやすいように走り回る。批判を受けてもへこたれない。なぜならここが「俺の町」だから。 (文中敬称略・肩書きや年齢などは掲載当時)(文・神田憲行) ※AERA 2024年2月5日号「現代の肖像」 ◆現代の肖像…取材期間は3カ月から半年。じっくり手間をかけて作る、アエラ創刊当初から続く人物ルポルタージュです。同じ時代を生きる人物の哲学から、「いま」を切り取ります。
〈映画も話題の「国宝」〉尾上菊之助「歌舞伎役者の心」を明かす 『国宝』吉田修一との対談で
〈映画も話題の「国宝」〉尾上菊之助「歌舞伎役者の心」を明かす 『国宝』吉田修一との対談で (左から)尾上菊之助(おのえ・きくのすけ)1977年生まれ。現在は、TBS系ドラマ「グランメゾン東京」に主人公のライバルシェフとしてレギュラー出演するほか、新作歌舞伎「風の谷のナウシカ」(宮崎駿原作)が新橋演舞場で上演中 /吉田修一(よしだ・しゅういち)1968年生まれ。2002年「パーク・ライフ」で芥川賞。『パレード』(山本周五郎賞)、『悪人』(大佛次郎賞、毎日出版文化賞)、『横道世之介』(柴田錬三郎賞)、近著に『逃亡小説集』 (撮影/写真部・東川哲也) 尾上菊之助さん (撮影/写真部・東川哲也) 尾上菊之助さん(左)と吉田修一さん (撮影/写真部・東川哲也)    吉沢亮さん主演の映画「国宝」が大反響を呼んでいます。吉田修一さんによる原作本は重版の勢いが止まらず、近年利用者が伸びているオーディオブックでも人気を博しています。オーディオブックのナレーターは、歌舞伎役者の八代目尾上菊五郎さん。その朗読も大絶賛されています。配信開始時に寄せた尾上さん、吉田さんのメッセージと、お二人の対談をお届けします。(「AERA dot.」に2019年12月22日に掲載されたものの再掲載です。本文中の年齢、肩書等は当時のもの)。 *   *   *    吉田修一著『国宝』が、尾上菊之助の流麗なナレーションで響く。そんなオーディオブックとして配信が始まった。希代の歌舞伎役者の一代記を描いた作者と、今ひときわ光を放つ役者が語り合った。   尾上:『国宝』は歌舞伎の匂いをまとった作品ですね。巻末のほうに書いてある膨大な資料の数もそうですし、吉田先生が歌舞伎の楽屋に通われ取材をされ、苦労を重ねてこられた。歌舞伎を知らない方でも歌舞伎の世界というものを身近に感じていただけると思います。 吉田:『国宝』を書くにあたり、ご縁あって黒衣をしながら、舞台のごくごく間近で取材をさせてもらえました。まさに歌舞伎の世界の方々の匂いをかぐような感じでした。それで自分なりに書けた作品だったので、菊之助さんから「歌舞伎の匂いをまとった」という言葉をいただいて嬉しいです。 尾上:『国宝』の最後に、この作品を亡き父に捧ぐ、と書かれていますよね。 吉田:たまたま連載中亡くなったんですよ。そういうのが作家の巡り合わせなんでしょうけど、歌舞伎の世界って父親と息子の物語がとても多いわけじゃないですか。その世界を追い求めている時に亡くなるんだな、って。 ――主人公喜久雄は故郷長崎から、大阪の歌舞伎役者のもとへ修業に旅立つ。朝日新聞連載でそんな展開が進む中、吉田さんの父は世を去った。 尾上:喜久雄が旅立ちの前、父の仇を討とうと挑む時、<自分の父親がその人生の最後を負けで終わるなど、到底、息子には我慢ならないことなのでございます>というくだりに、すごくぐっときました。  自分にとって父というのは憧れですし、父の背中を見て歌舞伎の道を目指しました。今も父を越えたい、と思って歌舞伎の世界に身を置いています。その思いとは少し違うかもしれませんが、喜久雄にとっての父親の大きさというものが、自分の父への思いとリンクするところがあります。 吉田:ご自分の中では息子が何%ぐらいで、父親が何%ぐらいですか。例えばお父さんがいて息子さんがいらっしゃいますから、ご自身の、自分が息子として生きている部分と父親として生きている部分は。 尾上:半々ですね。息子の初舞台の時に父ってこういうふうにして自分のことを守ってきてくれたのかということが身に染みてわかりました。また、父が40代で味わってきた芸の厳しさというものを、今の自分もひしひしと感じていますので、ちょうど半々だと思います。 吉田:40代の芸の厳しさ、といいますと。 尾上:20代の時は教えていただいたことを真似(まね)ることが基本です。ただ、模倣して、なんでできないんだろうってもがき苦しんでましたね。30代になると身体の使い方を意識するようになりました。  40代になり、これまで蓄積したものは自分のフィルターを通してどのように出てくるんだろう、と考えるようになりました。もちろん芸は引き継いでその芸の土台の上で演じるわけですけれど、自分の経験から何かを生み出したいと思っています。 吉田:先輩作家から言われたことがあるんですけど、書きたいものがある時はまだまだなんだよ、と。作家というのは書きたいものがなくなってから書くものがいいものになる、と言われたんですよ。本当になんもなくなった時に出てくるものが作家の言葉なんだよと。きついジョークだなと思ったんですけど、今のお話に通じるものがあります。ただ、これから「出てくるもの」は、出てきてほしい時にはきっと出てきてくれないと思うんですよ、そういうものって。 尾上:そうでしょうね。でも20代は模倣をすることが自分にとっては命綱でしたが、40代の今はそれだけでは済まなくなります。 吉田:一人の歌舞伎ファンとして、この菊之助さんが、元々あるものを越えていく姿をぜひ見ていたい。 尾上:50代だってまだまだと先輩方が仰る通りに、歌舞伎役者は長い人生の中で初役に巡り合うこともありますので、自分自身で出発点を作れる職業だと思うのです。ただこれからも本当に40代、50代をどういうふうに生きていくかによって、全く違う世界になってくると思うので、この10年、20年が自分にとって勝負だと思っています。 吉田:菊之助さんが感じさせる凄みというのは、何かを諦めることから生じているんじゃないかと思います。その分を全部お仕事に持ってこられた凄みを、ひしひしと感じるんです。どのへんにブレーキをかけて仕事へのスピード感を出されているのでしょう。 尾上:答えになるかわからないですけど、20代、30代は、抑制することがいいことのように思っていて、ストイックに過ごすことが芸の上達につながると思い込んでいました。今思えば、自分というものが欠落していたという感じがするんですよ。人とのお付き合いですとか、人間としての深みみたいなものを考えた時、これまで何やってきたんだろうなと40歳にして思ったんです。  ストイックに、いろんなことを犠牲にして舞台に立つということと、人生を豊かにするということが両輪でないと、きっとこの先はないな、と思ったんです。20代、30代の自分が肩をたたいてくれてたような気がしています。 吉田:だからこそ、今、父親と息子の半々とお話しされたんでしょうね。 尾上:「失敗したくない恐怖症」なんですよ。自分の中で歯止めをかけて、突破できない枷(かせ)みたいなものがある気がしていたんです。初日の前日にセリフがわからなくなる夢を見ると、ぱんと目が覚めてビデオを見返したり、結局夜寝られずに初日を迎えたり。  父や先人たちに比べて自分が劣っていると思っていて、先人たちに顔向けできない、失敗してはいけないというプレッシャーみたいなものがありました。  息子が生まれ、自分が親の立場に立った時に、父親がこういう気持ちをしてきたということに気付いて、芸だけでなくて人間として成長していかないとと思えるようになりました。尾上菊五郎劇団みんなで芝居をし、劇場を満席にし続けたいというのが私の夢なんです。 吉田:尾上菊五郎劇団が主語になるんですものね。ご自分のご本名のっていうのはほぼほぼないですね。そこが凄みであり面白さなんだろうし、だからこそ歌舞伎役者なんでしょう。  この『国宝』で賞(芸術選奨文部科学大臣賞、中央公論文芸賞)をいただいたんですよ。その瞬間にまた失敗できるなと思いました。ご褒美をいただくと、芥川賞の時もそうなんですけど、これで2、3年失敗したもの書いてもまだ生き残っていけるだろうっていう気に、割となるほうなんです。それで自分では目が向かなかったほうに向くっていうことを20年ぐらいやってきた。でもぼくは一人の仕事です。菊之助さんの場合は、そんな簡単に、じゃあ失敗しようか、なんてことはできないですよね。 尾上:いやいや、何もないところから人間ドラマを生み出していく、というお仕事はとてつもないことだと思います。女形を演じる役者として『国宝』で喜久雄の師匠白虎の、すごく心に刺さった言葉があるんです。 <女形というのは男が女を真似るのではなく、男がいったん女に化けて、その女をも脱ぎ去ったあとに残る形である>。あのくだりはどこから? 吉田:昭和の名女優がそういうことを仰っていたんです。女を演じてもだめだ、女の形っていうのがあって、それを演じるから伝わるんだ、と。 尾上:男がどうしたら女に見えるかという先人たちが築き上げた工夫を継承している身として、それを脱ぎ去ったあとに残るものとはなんなんだろうかと考えてしまいました。 吉田:仰っていた、40代になって内側から出てくるものが、「脱ぎ去ったあとに残る形」と重なるんだろうなとぼくは思います。 尾上:女形といえば、(坂東)玉三郎さんが私にご指導くださっている「二人道成寺」もご覧くださいましたよね。 吉田:ええ、拝見して書かせてもらってます。 ――「二人道成寺」は喜久雄とライバル俊介がスターになる契機になった演目で、後に10年のブランクから復帰した俊介が立女形の万菊と演じるなど『国宝』の要所で描かれた。 尾上:玉三郎さんと踊らせていただいた最初の「二人道成寺」の時は、手も足も出ませんでした。そんな私に、「自由に踊っていいわよ」と仰り、いちから育ててくださいました。踊りだけでなく衣裳の着付けに至るまで「道成寺」をたたき込んでくださいました。その当時の自分の姿を客観的に見ている感じになり大変面白かったです。 吉田:玉三郎さんはやはり憧れであり、いつかは、という感じですか。 尾上:今でも女形を演じる時にはお話を伺いに行きます。 吉田:これも好奇心からなんですが、立役と女形のどちらが面白いですか。 尾上:最近は立役の魅力を感じていますが、どちらというよりも家の芸を受け継ぎながら、様々な役を経験したいと思っています。 『国宝』の話に戻るんですけど(喜久雄を「弁慶」のように支え続けた)徳次が好きです(笑)。 吉田:おいしい感じで出てきますよね。徳次のことを書いていると気分がよかったです(笑)。彼の自由な感じがお好きなんですか。 尾上:そうですね。喜久雄にちゃんと意見を言えるところも。命を賭して喜久雄の娘を助けに行くところも泣けますよね。 ――物語の終盤、徳次は歌舞伎役者花井半二郎(喜久雄)をこう語る。<その役者の芝居見るとな、正月迎えたような気分になんねん。気持ちがキリッとしてな。これからなんかええこと起こりそうな、そんな気分にさせてくれんねん> 吉田:お正月ってなんかいいことあるかなと想像するじゃないですか。そんなふうに歌舞伎の舞台を見ると、まっさらな気持ちになるというか。特に歌舞伎座は行くといつもそんな気分になるんですよ。  それに黒衣取材では、本当に良くしてくれたんですよね。邪魔にされずに本当に。何してるかわからなかったと思うんですけど、それでも受け入れてくださった。内側の人たちがすごく歌舞伎を大切にしてるっていう感じが、徳次のああいうキャラクター造形につながったのかもしれません。歌舞伎のスタッフの方々って本当に歌舞伎好きなんだろうなって思います。 尾上 大道具さんや裏方さんも本当に真剣に歌舞伎が好きなんです。 吉田:1ミリの狂いも許したくないだろうし、本当に一人もいやいややってない感じというんですかね。 尾上:『国宝』に出てくる女性たちも面白いですね。(俊介の妻)春江であり、(喜久雄のパートナー)彰子であり、(喜久雄の恋人だった)女優……。喜久雄への心配りなど、なかなか表向きの役者像からはわからない部分が描かれていたと思います。 ――『国宝』は息をのむような終幕を迎える。ドラマチックな展開に菊之助さんも心をつかまれた。 尾上:最後は本当にぐっときました。あそこが、やっぱり歌舞伎役者としての本当の部分じゃないかと。 吉田:自分の中で最後絞り出したのが、あの場面だったんです。事前には想像もなにもできませんでした。歌舞伎役者の心なんて、もちろんわかるわけないんですけど。きょう菊之助さんにお会いしてますますわからなくなりました(笑)。 尾上:人間の深淵を描く作品を残してくださって、感動しました。歌舞伎という、もとは江戸時代の庶民の芸能だったものが400年の歴史を経て、このように先人たちが築き上げて成熟してくると、ともすれば敷居が高く思えてしまう。その歌舞伎の世界を本当に感動的に描いてくださって、もちろんその歌舞伎が好きな方が読んでも楽しめる作品ですけれども、人間の心を描いてくださることによって、その敷居がなくなったような気がするんです。うわべだけではなくて掘り下げてくださったからこそです。 吉田:また勝手な思い込みを語ってしまうんですけど(笑)、菊之助さんはやはり何かを諦めながら何かを選ばれていると思います。『国宝』で喜久雄は京都の神社に参り、悪魔と取引した、と娘に明かします。 <「『歌舞伎を上手(うも)うならして下さい』て頼んだわ。『日本一の歌舞伎役者にして下さい』て。『その代わり、他のもんはなんもいりませんから』て」>  それとは違うかたちではあっても、菊之助さんもたぶんどこかで大きな約束を交わされていて、たとえば歌舞伎の神様は菊之助さんを見守っていて、そして大成功するのでしょう。そういう類いまれな役者を同じ時代に観客として見つめられるのは本当に幸せなこと。今後も菊之助さんの生き様を追っていきたい、と一ファンとして改めて思います。 (本誌・木元健二) ※週刊朝日  2019年12月27日号
〈先週に読まれた記事ピックアップ〉今年の「紅白」は“昭和100年”の周年イヤー 1970~80年代の「アイドル&スター」が勢ぞろいの可能性
〈先週に読まれた記事ピックアップ〉今年の「紅白」は“昭和100年”の周年イヤー 1970~80年代の「アイドル&スター」が勢ぞろいの可能性 デビュー45周年を迎える松田聖子    先週に多く読まれた記事の「見逃し配信」です。ぜひ御覧ください(この記事は「AERA DIGITAL」で2025年6月15日に配信した内容の再配信です。肩書や情報などは当時のまま)。 *  *  *  2025年は“昭和100年”の節目の年であり、昭和にまつわるイベントも多く開催されている。6月7日には昭和の人気アイドルでもある斉藤由貴と南野陽子、浅香唯が都内で行われた『「スケバン刑事」フェスティバル in さよなら 丸の内 TOEI』に出演して話題となった。 「1980年代に一世を風靡した人気ドラマ『スケバン刑事』シリーズで主演を務めた3人がそろい踏みしたということで会場はもちろん、SNS上でも盛り上がりを見せました。3人は“85年組アイドル”の同期でもあり、今年デビュー40周年を迎えることもあって記念アルバムをリリースしたり、コンサートを開催するなど音楽活動にも精力的です。同じ85年組には昨年に亡くなった中山美穂さんや『機動戦士Zガンダム』の主題歌などで知られ、アニソン歌手としても人気の森口博子さんもいますね」(民放テレビ局の情報番組スタッフ)  こうした流れのなかで、音楽業界では早くも大みそかの「NHK紅白歌合戦」の動向にも注目が集まっているという。音楽誌のライターはこう話す。 アニソン歌手としても人気の森口博子はデビュー40周年   「現時点で今年もこれといったヒット曲は見当たりませんし、NHKサイドも番組を盛り上げるための歌手の選考には苦労しそうです。それこそ5月に来春のコンサートツアーをもって活動を終了することを発表した『嵐』を担ぎ出せれば盛り上がること間違いなしですが、メンバーそろってのテレビ出演についてはかなりハードルが高いのが実状です。近年は中森明菜さんも出場が期待されましたが、昨年、一昨年とも実現はしませんでしたし、今年も出演オファーはするでしょうけど、どうなることか……。となると、やはり今年も“アニバーサリー歌手”に頼ることになるのではないでしょうか。近年の『紅白』では周年を迎える大物歌手のサプライズ出演が目立ちますからね」  前述のデビュー40周年を迎える面々以外にも、今年はアニバーサリーを迎える人気歌手は多い。 矢沢永吉は2012年の紅白に「特別枠」で出場した   矢沢永吉はソロデビュー「50周年」 「同じ昭和の人気アイドルでいえば、松田聖子さんが45周年を迎えます。聖子さんは『紅白』には通算24回出場していますが、出場予定だった21年の12月に娘の神田沙也加さんが亡くなられて辞退してからは出場していません。また、佐野元春さんも今年デビュー45周年です。『紅白』とは長年縁がなかったのですが、22年に特別企画として『桑田佳祐 feat. 佐野元春, 世良公則, Char, 野口五郎』名義で初出場し、『時代遅れのRock'n'Roll Band』を披露して話題となりました。ソロでの出場を期待してるファンも多く、アニバーサリーイヤーの今年はその動向に注目が集まっています」(同)  さらに、50周年を迎えるアーティストの中には矢沢永吉や山下達郎、中島みゆきといった大物歌手もいる。 「NHKサイドからしてみれば『紅白』を盛り上げる意味で3人とも喉から手が出るほど欲しい存在でしょう。山下さんは19年に妻の竹内まりやさんが初出場した際、夫婦共演も取り沙汰されましたが実現には至っていません。22年に人気デュオ『KinKi Kids』が出場した際、歌唱前にデビューシングル曲『硝子の少年』を作曲した縁でメッセージを寄せましたが、いまだ『紅白』のステージには姿を現していません。他方、矢沢さんはソロデビュー50周年になりますが、今年5月に国内最大規模の国際音楽賞『MUSIC AWARDS JAPAN 2025』で日本の音楽業界の発展に長きにわたり貢献し、活躍しているアーティストをたたえる『MAJ TIMELESS ECHO』に選定。NHKが生中継した授賞式で歌唱も披露し、大きな反響を呼びました。矢沢さんの『紅白』出場は、歌手デビュー40周年を迎えた12年の特別枠での出場が最後となっていますが、今年は例年以上には期待できるのではないでしょうか」(レコード会社スタッフ)  “昭和100年”の記念すべき年を締めくくる大みそかのステージに、昭和から活躍する大物歌手が並ぶ姿を見ることはできるだろうか。 (立花茂)
「夕食を作っておしまい」の夫に妻はついにキレた! 約4割の妻が「夫の家事は40点以下」の現実
「夕食を作っておしまい」の夫に妻はついにキレた! 約4割の妻が「夫の家事は40点以下」の現実 家事シェアに揉めたり悩んだりの家庭は多い。画像はイメージ(GettyImages)    夫婦で話し合って分担を決めたはずなのに、結局は自分ばかりがやっている──。日々の「家事分担」に不満を抱いている人は多く、夫との料理の負担シェアは「あきらめた」という声も。共働き家庭の家事分担の実態とは。  *   *   * 「結婚してから家事について特にルールを決めることもなく、何となくの分担がありつつも、『手が空いている人がやる』というスタイルでやってきました。でも、ある時キレてしまったんです」  長野県で夫と中学生の子ども2人と暮らす40代の女性は、当時を思い出して再び怒りが湧いてきたのか、語気を強めた。女性は勤務時間が不規則で、深夜の帰宅になることもままある激務に従事し、女性の方が夫より収入が高いという共働き家庭。第1子が生まれたとき、夫が「子が小さいうちは仕事をセーブする」と宣言したという。 「産後5カ月で職場に復帰したこともあり、夫が家事を負担してくれることに期待していました。朝夜の料理を夫に任せたんです」  それまで朝食は女性、夕食は夫と分担していたが、朝夕ともに夫が担当するようになった。夫は「頼めばやってくれるタイプ」で、揉めることもほとんどなかったが、「料理」という家事に対する意識の違いに気づかされた。 話し合いを6年ほど積み重ねた 「夕食を作るだけ作っておしまい、という状況が続いたんです。後片付けも翌日の弁当の献立を考えての下ごしらえも一切していなかった。それも含めての夜の料理担当という認識だったので、私が仕事から帰宅して疲れている夜に、2時間くらいその忘れられた家事のフォローをしていたら、もう我慢ならなくなって」  女性は「料理するだけが家事ではない!」とキレた。料理に限らず、夫が気づいていないであろう家事を細かく説明し、もう少し家事負担をしてほしいと伝えた。 「お風呂掃除は浴槽だけではなく排水口も洗ってほしい。桶の水垢も見てほしい。自分のストレスがたまらないように、どんどん言うようにしました。話し合いを6年ほど積み重ねて、今では家事負担は半々か、若干夫のほうが多いかなというところまできました」  主に注文住宅を提供する住宅メーカーの一条工務店が、共働きの既婚男女673人を対象に2024年に実施した「共働き夫婦の家事シェアに関するアンケート」によれば、「家事分担の割合に満足していますか?」との問いに対し、「とても満足」「満足」「やや満足」と回答した男性が約86%に上る一方で、女性は約54%にとどまった。 「配偶者の家事に点数をつけるとしたら何点ですか?」の問いに対しては、男性の約74%が80点以上と回答。それに対し、女性で80点以上をつけたのは約32%にとどまり、40点以下の評価が約37%という結果に。 配偶者の家事を採点してみると…(一条工務店が実施した「共働き夫婦の家事シェアに関するアンケート2024」から)    同社の担当者はこう解説する。 「近年は共働きのお客様が増え、ご夫婦で相談に来られて家事が楽な住まいにしたいという意見をいただく機会が非常に多いのですが、キッチンや洗面所周りなどは女性主導で選ばれることがかなり多いので、多くの女性が料理などを担っているのだと推測されます」  ただ、同社アンケートの「日々の家事で最も負担に感じるものは何ですか?」の問いでは、女性の「料理」が44.7%で1位。2位の「食器洗い」11.1%を引き離す圧倒的な数字だ。 「一口に『料理』といっても、実際には複合的な家事です。献立を考え、買い物へ行き、調理して、片付ける。中でも献立を考えることが面倒という意見が多いようです」(担当者) 負担のシェアは「あきらめた」  家事の負担を軽減する方法の発信を続ける知的家事プロデューサーの本間朝子さんはこう話す。 「掃除や洗濯は同じ行動を繰り返してマイナスをゼロにする家事。一方で、『料理』はゼロをプラスにするクリエイティブな家事です。単純に教えてすぐ身につくものでもないので分担もしづらく、それが一層、担う側に負担感を覚えさせるんです。料理の負担のシェアは『あきらめた』という声も実際によく聞きます」  献立の生みの苦しみを和らげるには「生成AIに頼るのも手」と本間さんは続ける。 「冷蔵庫にあるものを伝えて、『電子レンジのみ使用』『包丁を使わない』などの条件を入力すれば、あっという間に提案してくれます。そうすれば心にも余裕ができますし、たとえば生成AIを使った献立提案を男性に任せれば、楽しくシェアできるのではないでしょうか」 (AERA編集部・秦 正理) 【特集:家事シェアの新ルール】 #1 「夕食を作っておしまい」の夫に妻はついにキレた! 約4割の妻が「夫の家事は40点以下」の現実 #2 妻に逐一ダメ出しされる40代男性は「萎縮してしまって…」 夫婦間の「家事分担」、意識のズレの原因は?
〈見逃し配信〉「もう潮時や」不安を抱えながら50歳を前に退職、でも… 「後悔も不安も1ミリもない」
〈見逃し配信〉「もう潮時や」不安を抱えながら50歳を前に退職、でも… 「後悔も不安も1ミリもない」 ミッドライフ・クライシスから一歩踏み出せた人は、漠然とした不安を抱えながら、自分の感情や不安を直視した人が多い。写真はイメージ(GettyImages) 「AERA DIGITAL」に最近掲載された記事のなかで、特に読まれたものを「見逃し配信」としてお届けします(この記事は5月12日に「AERA DIGITAL」に掲載されたものの再配信です。年齢や肩書などは当時のもの)。 *   *   *  中年期に多くの人が経験する心の不調「ミッドライフ・クライシス(中年の危機)」。「自分の人生、このままでいいのか」と思い悩みつつも踏み出せない人がいる一方、思い切って動き出した人も少なくない。  埼玉県在住の男性(46)は3月、24年間勤めていた市役所を退職し、4月から団体職員として働き始めた。 「このまま今の仕事を続けることが人生なのかと悩み、決断しました」  大学を卒業後に、埼玉県内の市役所に建築技術職として入庁した。キャリアを積み、2年前には管理職にまでなった。しかし、若手の転職が相次ぎ、職員は減少。しかも、議会対応など新たな業務も増え、負担ばかり増していった。達成感はなく、ストレスばかりたまった。1年頑張ったが限界がきた。  今の仕事にしがみついても仕方がない――。  娘が4月から大学2年生になり子育ても一段落し、妻も公務員として働いているので生活面での心配はなかったことも後押しとなった。 40歳手前で持病が悪化  こうして働き出した新しい職場は、建築行政のデジタル化を推進する業務がメインでAIを使用でき、達成感があり、残業もなくストレスもたまらない。しかも、収入も前職と変わらないという。これで満足しているかと思いきや、次なる目標を据えていると楽しそうに話す。 「まだやりたいことがあります。55歳までには、好きなウイスキーとコーヒーが飲める店を出す計画です」  ミッドライフ・クライシスから一歩踏み出せた人は、漠然とした不安を抱えながら、自分の感情や不安を直視した人が多い。 「もう潮時や、と思いました」  関西地方に住む桶井道(おけいどん)さん(51)は振り返る。  4年前の47歳の時、長年勤めた会社を退職。今は、両親の介護・見守りと向き合いながら、物書きと投資家として第二の人生を満喫している。  そんな桶井さんが心の葛藤を覚えたのは、40歳手前。それまでは、天職で楽しく頑張れていた職場から、労働負荷の高い部署に異動になった。時間的にも精神的にも体力的にも負荷は高く、内臓の持病が悪化した。その後、別の部署に異動になったが、スピードが重視され、丁寧に積み上げる自身の仕事のスタイルが評価されなくなった。会社に行くのが楽しくなくなった。  やがてコロナ禍になると、重症化への不安や持病の悪化、さらに事業を営んでいた父親(80代)が体調を壊し、会社の廃業も迫られた。こうした状況を前に、まず退職して安全な環境で体調を立て直し、父の事業整理にも専念しようと決意したという。 「不安はめちゃくちゃありました。安定収入がなくなる不安、組織人ではなくなる不安。いわゆる、現状維持バイアスが働いていたと思います。世間体も気になりました」 会社員時代のピーク年収超え  ただ、桶井さんは投資歴26 年。退職を決意した当時、1億円の資産を築き、年間配当は手取り120万円あった。また、投資に関する発信をブログ等でしていたところ、それが出版社の目に留まり、退職直前に投資本出版のオファーがきた。その後も立て続けに書籍化の声がかかり、退職後の4年間で単著を5冊、共著を1冊出した。ネット記事の連載も持った。昨年は、会社員時代のピーク年収を超えた。 「会社を辞めて組織人ではなくなりましたが、出版社の方との繋がりで所属欲求は満たされています。世間体は、コロナ禍でリモートワークが普及し、平日昼間から散歩をしている人もいたりして、すぐ気にならなくなりました(笑)」  さらに投資も順調に推移し、2024年末には資産1.8億円、年間配当は手取り250万円に。今は、会社を辞めたことへの後悔も、将来への不安も「1ミリもない」。最も充実した瞬間を聞くと、楽しそうに笑いこう言った。 「出した本が重版になった時です。重版は世間様に評価されたことになるので、『重版になりました』という連絡が編集者から来た時、『やったあ!』って思います」 (AERA編集部・野村昌二) 【特集:コンプレックスを飼いならす】 #1 【図解でわかる】「ミッドライフ・クライシス(中年の危機)」をどうする? いますぐセルフチェック #2 「もう潮時や」不安を抱えながら50歳を前に退職、でも… 「後悔も不安も1ミリもない」 #3 世界一周の夢はあるけれど「会社を辞めてまで行く価値ない」 40~60代特有のモヤモヤ「中年の危機」とは #4 「役者だけが僕の生きていく術ではない」東出昌大が明かすコンプレックスとの向き合い方 #5 東出昌大「私は何としてでも生きていける」 紆余曲折を経て手にした“自信” #6 「今もコンプレックスはたくさんある」 “はつらつ”ができなかった有村藍里の2つの選択 #7 有村藍里「20代後半で笑うことを知った」 本名での活動&整形で見つけた「本来の私」 #8 頻脈発作、冷や汗、不眠… 40~60代の8割が経験「ミッドライフ・クライシス」8つの要因 危機は「人生の“山頂”が見えた時」 #9 父は「あの古館伊知郎」 息子・佑太郎が語る“二世”としての苦悩「僕は携帯電話のストラップみたいな存在だった」 #10 古舘佑太郎「今はもう、自分が何者なのか分からない。だから面白い」 “古舘伊知郎の息子”というコンプレックスとの闘いの末にたどり着いた“1勝”
〈先週に読まれた記事ピックアップ〉愛子さま、「斜め45度」の美しさ 30年前の雅子さまに「そっくり!」の瞳と向日葵のような笑顔
〈先週に読まれた記事ピックアップ〉愛子さま、「斜め45度」の美しさ 30年前の雅子さまに「そっくり!」の瞳と向日葵のような笑顔 大阪・関西万博会場の「EARTH MART」に到着した愛子さま。赤のリップが美しく映える。後ろの襟を立ち上げてボリュームを出したデザインは、母の雅子さまもお好みだった=2025年5月9日午後3時28分、大阪市此花区  先週に多く読まれた記事の「見逃し配信」です。ぜひ御覧ください(この記事は「AERA DIGITAL」で2025年6月18日に配信した内容の再配信です。肩書や情報などは当時のまま)。 *  *  *  ここ最近、愛子さまの佇まいや装いが、「雅子さまにそっくり」と、話題を集めている。6月の天皇ご一家による沖縄訪問では、初日のおふたりの淡いブルーグレーのスーツや2日目の「モンステラ」柄のかりゆしワンピースは、まるでおそろい。また、5月の関西・大阪万博では、愛子さまの水色のパンツスーツ姿は、雅子さまと重なるものだった。実は、若い頃の雅子さまの写真をふりかえると、その笑顔は愛子さまとそっくり――。 「沖縄や大阪・関西万博ご訪問など、このごろニュース映像で愛子さまを拝見するたびに、若き日の皇后さまを思い起こさせるお顔立ちで、懐かしく感じました」  そう穏やかに話すのは、平成の時代に皇室に仕えた人物。  特に、笑顔を見せられたときに、目じりが三日月型にふんわり下がり、口元を大きめにあけた自然な笑顔がよく似ていらっしゃる、と話す。  笑顔で手を振るのは、お妃教育を終えて自宅の小和田邸前に戻った小和田雅子さん(皇后雅子さま)だ。  3月から始まったお妃教育は、宮中祭祀や儀礼、皇室制度、憲法・皇室典範、書道、和歌のつくりかたなど、皇族としての基礎知識を身につける8科目を合計50時間かけて行われた。  1987年に入省した外務省時代には日米貿易摩擦問題や米国務長官の通訳といった機微な案件にも取り組んでいたが、お妃教育にはまた異なる難しさがある。  この日は、翌日にお妃教育「卒業」をひかえ、向日葵のような笑顔を見せた。 羽田空港に到着し、出迎えを受ける天皇、皇后両陛下の長女愛子さま=2025年6月5日午後8時59分、羽田空港  ふんわり下がる目尻と、見る人が幸せになるような明るい笑顔――。 「沖縄訪問を終えて羽田空港に到着した愛子さまの笑顔がまさに、この表情です」  愛子さまが公務に臨む際には、なるべく奉迎に向かうと話す60代の女性も、熱っぽく語る。  そっくりなのは、笑顔だけではない。沖縄で、おふたりともブルーグレーのスーツや「モンステラ」柄のかりゆしワンピースをお召しの場面では、所作や佇まいも重なった。 宮内庁によるお妃教育を終え、自宅に戻った小和田雅子さん(皇后雅子さま)= 1993年04月26日、東京・目黒区南1丁目     オーストラリア・ニュージーランド訪問の旅で、授業で日本語を教えるシドニー近郊の公立ノースブリッジ小学校を皇太子さま(当時)と訪れた雅子さま=2002年12月、シドニー、JMPA 「愛子さまのメイクが大人っぽくなられました。ふと、皇后さまの若いころの写真を拝見すると、ほほ笑む目もとやお鼻の形、口元や佇まいまでうりふたつでいらっしゃる」  たとえばご結婚の翌々年の中東ご訪問で、おふたりはヨルダンのハッサン皇太子夫妻を表敬訪問した。豪華なローブモンタントのドレスをお召しの雅子さまと、この5月に関西・大阪万博ご訪問時の愛子さまは、ともに赤のリップがよく映えて優雅。  2002年の豪州訪問。ハワード首相(当時)との昼食会のため、首相官邸・キリビリハウスに皇太子さま(当時)とともに招待された雅子さまは、生き生きとした表情を見せている。   そして24年春、愛子さまは初めて園遊会に臨んだ。おふたりとも、やや緊張感のある顔つきながらも、やわらかな目元と口元が印象的。 「おふたりは、とくに斜め45度からのお鼻やあごのラインがよく似ていらっしゃる」  そう話すのは、前出の女性。確かに、うつむき加減の写真などからは、おふたりとも独特の優しい雰囲気がにじんでいる。   2024年の秋の園遊会で、愛子さまは最高の技術を持った職人の手による手描きの京友禅をお召し。斜め45度のうつむき加減のお顔からは、独特の優しい雰囲気が伝わり、母の雅子さまと重なる=2024年10月30日、赤坂御苑、JMPA  たとえば、02年の豪州訪問で見せた雅子さまと、24年秋の園遊会で招待客と丁寧にやり取りを続け接遇をした愛子さまの面差しには、どちらも相手へ向ける穏やかさがある。  愛子さまは、社会人と成年皇族として公務に本格的に取り組む生活も2年目に入った。  海外の賓客を招いての晩餐会や午餐(昼食会)や大きな皇室行事の経験を積むごとに、所作や佇まいも洗練されている。凜としたたたずまいのなかにも、大人の女性らしい深みと華やかさがにじむ愛子さまの姿は、昔の雅子さまによく重なる。 (AERA 編集部・永井貴子)                                                                                                                                                                                                                                                                  
〈見逃し配信〉ヘンリー王子が民家を「アポなし」ピンポン、メキシコ「危険地域」に家族で滞在…見失った「王子の意味」
〈見逃し配信〉ヘンリー王子が民家を「アポなし」ピンポン、メキシコ「危険地域」に家族で滞在…見失った「王子の意味」 2025年4月9日、ロンドンの控訴院に出廷したヘンリー王子。手を振って笑顔を見せるシーンもあった(photo ロイター/アフロ) 「AERA DIGITAL」に最近掲載された記事のなかで、特に読まれたものを「見逃し配信」としてお届けします(この記事は5月18日に「AERA DIGITAL」に掲載されたものの再配信です。年齢や肩書などは当時のもの)。 *   *   *  ヘンリー王子(40)とメーガンさん(43)の長男アーチー王子が、5月6日に6歳の誕生日を迎えた。記念写真をメーガンさんが公開したが、王子はパジャマを着てバルコニーに立ち、太陽が海に沈むのを見つめる後ろ姿だった。     エクスプレス(オンライン)によると、撮影場所はヘンリー王子一家が暮らすカリフォルニア州の自宅ではなく、メキシコ中部ハリスコ州のクイシュマラ邸であるという。同邸は、実業家ジェームズ・ゴールドスミス卿(故人)が別荘として建設した。彼の三女ジェマイマ・ゴールドスミス氏はダイアナ元妃の親友。彼女が元パキスタン首相イムラン・カーン氏(72)と結婚(のちに離婚)している時に、元妃は夫妻の住まいのあるパキスタンを二度、訪問している。   ヘンリー王子一家は、元妃の友人の実家が所有した邸宅で休暇を過ごしたのだろうか。そうであるなら、亡くなった母ダイアナ元妃にいまだに頼る姿勢はいかがなものか、と批判されている。   また、ハリスコ州は危険地域として、アメリカ政府が渡航を控えるように警告している。2018年からの5年間で、見つかった遺体は1500体を超えた。それにより、ヘンリー王子夫妻の言動の矛盾が指摘された。イギリスは危険として警備が必要と訴えたのに、警告が出るほどのメキシコの危険地域に子連れで行ったではないか、というわけだ。ヘンリー王子夫妻から今のところ、何も説明はない。   ヘンリー王子は、メーガンさんと子どもたちのために、イギリス国内で公費による警護を復活させることを求めており、5年にわたる訴訟に負けたばかりだ。  先日、ヘンリー王子がロンドンの高級住宅街で見知らぬ人の家の前に立ち、不安げに玄関ベルを押す写真が公開され、衝撃を与えている。これは、王子がロンドンの控訴院で税金による警備はないとの判決を受けてから、わずか数時間後のことだった。   王子は、旧友ジョン・ボーン氏夫妻を訪問しようと彼らの家を探していたのだ。ところが、ボーン一家は引っ越してしまい、転居先を王子に伝えていなかった。王子は、なぜかつての親友が新住所を教えなかったのか、不思議に思った。アメリカからロンドンにやって来た王子はかつての仲間を必死に探していたのだ。かつて一緒にパブでビールを飲み、悪ふざけをして遊んだ友人を求めていた。  ロンドンで見知らぬ家のドアベルを押すヘンリー王子の姿が報じられた。The SUNから 2025年2月9日、カナダ・バンクーバーで開催されたインビクタス・ゲームズに姿を見せたヘンリー王子とメーガンさん。仲睦まじく見えるが…(photo AP/アフロ)  さらに王子の玄関先での映像には、ボディガードが見当たらない。おそらくボディガードは同行していなかったと思われる。王子はイギリスでは「安全を感じない」と裁判所で主張した後に、一人きりでロンドンの町をかつての友人を求めてさまよい歩いていたのだ。   王室専門家は「王子はもうどうしていいか、わからないのだろう。イギリス国内では、家族はもとより、学校時代の友人など、あらゆる人間関係を失った」と言う。「王子には目的がない」と指摘する声もある。  アフリカの慈善活動「サンタバリー」では、理事長のチャンダウカ博士から人種差別や女性差別を糾弾され、辞任した。負傷した退役軍人のスポ―ツ大会「インビクタス」は実質的に二年に一度しか開催されない。「彼は自分が王子である意味を完全に失っている」とも言われている。   また、現在ウィリアム皇太子(42)とヘンリー王子の確執が深刻だが、かつては仲の良い兄弟だったと言われていた。しかし、ヘンリー王子は兄への恨みを早くから抱いていたという。それを裏付けるような、2023年に王子が受けたインタビューが注目されている。   王子はイートン校入学時、兄から「学校では一緒にいるところを見られたくない」と言われた。王子は「兄から歓迎されていない」と受け取った。  ダイアナ元妃の死後、チャールズ皇太子(当時)はヘンリー王子の進学先をイートン校に決めた。優秀な生徒が集まる同校への入学を疑問視する声もあったが、兄がすでに同校生だったので「警備がしやすい」と考えたという。 1995年7月5日、ロンドンのハイドパークで開催されたVEデー50周年記念式典の2日目に出席した、ダイアナ妃とウィリアム皇太子(左)とヘンリー王子(photo PA Images/アフロ)  ところがヘンリー王子は、兄から「学校ではお互い知らないふりをしよう」と言われたのだ。「どういう意味か理解できなかった。同じ学校にいるのに一緒に遊べないのか」と王子は当時の疎外感を打ち明けた。王子は自分がイートン校を嫌ったのは「兄のせいだ」と断定する。  一方、ウィリアム皇太子は同校によくなじみ、ジョージ王子(11)が希望すれば母校への進学を望む。2人の王子は仲良し兄弟と長く信じられていたが、必ずしもそうではないようだ。ヘンリー王子の兄への恨みは根深いのだろう。  (ジャーナリスト・多賀幹子)
〈鶴瓶の家族に乾杯きょう瀧内公美出演〉アマゾンCM女優「瀧内公美」が海外撮影で受けた衝撃 「すごく自由になっていく感覚があった」
〈鶴瓶の家族に乾杯きょう瀧内公美出演〉アマゾンCM女優「瀧内公美」が海外撮影で受けた衝撃 「すごく自由になっていく感覚があった」 瀧内公美さん(撮影/写真映像部・東川哲也) 23日放送の「鶴瓶の家族に乾杯」(NHK総合・午後7時57分)は先週に引き続き、瀧内公美が高知県をぶっつけ本番旅する。そんな瀧内公美にまつわる過去の人気記事を振り返る(「AERA dot.」に2024年1月27日に掲載されたものの再配信です。本文中の年齢、肩書等は当時のもの)。 *   *   *  昨年、「大奥 Season2 幕末編」(NHK)の阿部正弘役や、アマゾンプライムのCMで話題になった瀧内公美さん(34)。今年は1月からスタートしたNHK大河ドラマ「光る君へ」の出演も控えており、人気女優への階段を着実に上がっている。【前編】では、女優になるきっかけとなった地元での出来事や下積み時代の苦労などを語ってくれた。【後編】では「活動の幅が広がった」という昨年の仕事や、「光る君へ」で夫婦役を演じる柄本佑さんとの関係、次なる目標などについて聞いた。 ※【前編】<アマゾンCMで話題の女優「瀧内公美」 デビュー半年で初主演も「食べていけなかった」下積み時代に考えていたこと>より続く   「高倉健さんじゃないですけど、私、本当に不器用なんです(笑)。とにかく一作品一作品、全力で挑んでいます」  これまで数多くの映画やドラマに出演してきた瀧内さんだが、一つ一つの作品に全身全霊で向き合うことでキャリアを重ねてきた。2017年公開の映画「彼女の人生は間違いじゃない」で、日本映画プロフェッショナル大賞新人女優賞、全国映連賞女優賞を受賞。さらに、19年の映画「火口のふたり」では、キネマ旬報ベスト・テン主演女優賞、ヨコハマ映画祭最優秀新人賞を受賞した。その演技力の高さは誰もが認めるところだ。  一方、ドラマでも、「凪のお暇」(19年、TBS系)や「大豆田とわ子と三人の元夫」(21年、フジテレビ系)など、数々の話題作に出演し、本格派女優としてお茶の間にも認知されていく。  そして昨年、「大奥 Season2 幕末編」で大きな注目を浴びた。 「私が演じた阿部正弘は、制作陣の皆さんから人気がある人物で、すごく話し合ったうえでオファーをくださったそうです。初めてお仕事をしたスタッフさんたちだったのですが、私を信頼してくださったことに感謝しています。作品にとって大切な役を任せてもらえたのはとても光栄なことです」 ドラマ「大奥 Season2 幕末編」の楽屋での一枚(事務所提供)   ■大河ドラマ出演に地元は大騒ぎに  瀧内さんは23年を「活動の幅が広がった一年だった」と振り返る。 「今までは自主映画や、ミニシアターで公開されているような映画に参加することが多かったんです。でも、昨年は、NHKや民放のドラマ、アマゾンのCMなど、全国の皆さんに見ていただく作品が多くありました。活動の幅が広がったと思いました」  そして今年は大河ドラマ「光る君へ」に出演予定だ。出演が決まったときの心境をこう話す。 「本当にうれしかったです。お母さんもすっごく喜んでました。お父さんは『誰が出るんだ』ってとぼけてました。いやだから私だって、みたいな(笑)。そのくらい信じられなかったようです。近所の人たちから、お母さんにLINEがたくさん来たみたいで、『公美ちゃん帰って来るときにお祝いの横断幕作っとかないとね』って(笑)。本当に田舎なんですよ。『恥ずかしいからやめて』って伝えました(笑)。実際は、ありがたいですし、うれしいですけど。でも、帰ったとき『大河女優おめでとう』とかって本当に横断幕があったら面白いですよね」  大河では藤原道長の妻、源明子を演じる。道長役の柄本佑さんとは、映画「火口のふたり」以来の共演だ。実は、「光る君へ」の脚本を務める大石静さんは「火口のふたり」を評価してくれていたのだという。 「大石さんとは『恋する母たち』(20年、TBS系)でご一緒させていただいたことがあって、そのときに『火口のふたり』がお好きというのを人づてに聞きました。恥ずかしいので直接はお伺いしてないですけど、それもあって起用に繋がったのかなと思ってます」 ドラマ「大奥 Season2 幕末編」でのオフショット(事務所提供)   柄本佑さんとの再会  久しぶりの共演となる柄本さんの印象をこう話す。 「独特の空気感をまとっている方ですね。作品を作っているときに、たとえば、『この二人って会うの何回目なんだっけ』とか、何げない言葉で役に奥行きを持たせてくれるんです。いつもものすごく考えている人ですね。だから、彼が発する言葉一つ一つを聞き逃さないようにしていました」 「火口のふたり」は過激な濡れ場があることも話題となったが、抵抗はなかったのだろうか。瀧内さんは「そういうことは考えなかったです」とあっけらかんと話す。 「この作品のように、二人芝居の映画ってそうそうないと思うんです。男女っていうものが色濃く描かれていたので、単純に面白そうだなと思ってやらせてもらいました。その都度いろいろなことを相談して、どこまで表現するかとか話し合いながら、みんなで作っていった作品だったので、不安みたいなのはなかったです」  話題作への出演が続き、順調にキャリアを重ねる瀧内さんだが、次の目標はどこにあるのか。 「海外作品です。昨年、イギリス人の監督の作品に参加させてもらったんですけど、今までにない刺激がありました」  強く感じたのは、映像の捉え方の違いだったという。「彼らは『映る画そのものが大事』という意識が強いと感じました」と話す。 「たとえば、日本の撮影現場だと役者は、自分の芝居がこうだから、カメラをこう回してほしいとオーダーを出すこともありますが、彼らは、映像手法のことを中心に考えていました。ここに照明が当たっているから、このときここを見てって指示をするんです。役者の気持ち的にはそうではなかったとしても、でもこっちのほうがきれいでしょ?って。極端に言えば、そこに立っているだけでいい画が撮れる技術を持っている。私が経験してきた日本の映像業界の考え方とは全然違うなと思いましたね」 瀧内公美さん(撮影/写真映像部・東川哲也)   忘れられない「屋久島」での流れ星  一方で振り回されることもあったという。 「台本通りにやってみて、面白くないと思ったら、パッとやめるんです。こちらとしては『え? じゃあどうするの?』って思うんですけど、『ま、とりあえず撮ってみよう』って撮影を再開したり。あとはOKを出した後でも、『待って、いいこと思いついた!』って言って、最初から撮り始めたりとかもありました(笑)。彼らと仕事をすると、すごく自由になっていく感覚がありました。だからかはわからないですけど、撮影が終わると大きな喪失感があって、それはいまだに埋まっていません」  最後に、瀧内さんにとって「人生で一番忘れられない一日」を聞いた。 「5年くらい前、7月7日に屋久島に行って、海中温泉に入ったんです。海の中に真っ裸で入るんですが、自然の中で裸になるってなかなかないですよね。そこに少し戸惑いを覚えているときに、流れ星がバーッて流れたんです。それもたくさん。織り姫と彦星が出会う日に流れ星を見ることができて感動しましたね。願い事ですか? してないです。なぜか『ありがとう』って言ってました(笑)」 (AERA dot.編集部・唐澤俊介) ●瀧内公美(たきうち・くみ)/1989年、富山県生まれ。2014年、「グレイトフルデッド」で映画初主演。そのほかに、映画「彼女の人生は間違いじゃない」(17年、日本映画プロフェッショナル大賞新人女優賞ほか)、同「火口のふたり」(19年、キネマ旬報ベスト・テン主演女優賞ほか)、同「由宇子の天秤」(21年、ラス・パルマス国際映画祭最優秀女優賞ほか)、ドラマ「大奥 Season2 幕末編」(NHK、23年)など出演作多数。アマゾンプライムのCMでも話題を集めた。24年は、日本テレビ1月期「新空港占拠」に出演中。また、NHK大河ドラマ「光る君へ」の出演も控えている。
〈皇室の子育て〉ふわふわの白い大型犬にそっと手を伸ばす悠仁さま 生命への関心を育んだ赤坂御用地の「ナゾの生物」
〈皇室の子育て〉ふわふわの白い大型犬にそっと手を伸ばす悠仁さま 生命への関心を育んだ赤坂御用地の「ナゾの生物」 もうすぐ2歳の悠仁さま。フワフワの大型犬に興味津々=2008年、長野県軽井沢町、代表撮影    秋篠宮家の長女、小室眞子さんに5月末、第一子が誕生した。幼い我が子を囲む皇室の「あのとき」を振り返る(この記事は「AERA dot.」に2023年10月7日に掲載された記事の再配信です。年齢や肩書などは当時のもの)。 *  *  * 「生き物好き」で知られる秋篠宮家の長男・悠仁さま。皇室ゆかりの上野動物園や自然豊かな赤坂御用地などで、たくさんの生き物たちに触れながら、興味関心を育んできたようだ。そんな生き物との触れ合いの様子をたどってみると、一般公開された写真に「ナゾの生物」が見え隠れしていた……。    ふわふわした毛並みの白い大型犬。その大きな背中に、秋篠宮家の長男・悠仁さまが手を伸ばしている。その様子を、秋篠宮ご夫妻と長女の小室眞子さん、次女の佳子さまが、やさしくほほ笑みながら見守っている。  2008年8月末、満2歳の誕生日を前にしたご一家の光景だ。  秋篠宮ご一家は、長野県軽井沢町に滞在する天皇ご夫妻(当時)と合流し、和やかなひとときを楽しんでいた。   軽井沢で当時の天皇ご夫妻と秋篠宮ご一家が合流。悠仁さまは元気に走り回っていたという=2008年、長野県軽井沢町、代表撮影      悠仁さまは、ホテルのオーナーが飼っている大型犬のヘンリーに興味津々。フワフワの背中にゆっくりと触れると、ご夫妻を振り返ってうれしそうに笑った。    皇室と動物、と聞いて思い浮かぶのは、東京・上野公園にある「恩賜上野動物園」。 「恩賜」という冠がつく通り、1886(明治19)年から1924(大正13)年まで宮内省が所管していた動物園だ。上皇さまや天皇陛下、秋篠宮さまも、幼いころから遊びに来ており、そして悠仁さまも何度も訪れている。  元園長の小宮輝之さんによると、悠仁さまは3歳を迎えた2009年の秋、ウサギなどの小さな動物に触ることができる園内の「子ども動物園」に遊びに来た。   上野動物園の「子ども動物園」でモルモットを触れ合う悠仁さま=2009年、東京都、代表撮影    最初はおそるおそるだったが、すぐに慣れて担当の職員に、 「どうやって持ちますか」  と尋ねながら、ひざの上にウサギを乗せて優しくなでたり、ハツカネズミにサツマイモをあげたりしていたという。 「ウサギやモルモットの抱っこが楽しかったようで、ヤギやヒツジも『抱っこする』とご自分よりも大きい動物の体にしがみついて離れないので、ハラハラしました」(小宮さん)   【こちらも話題】 【皇室振り返り】 悠仁さまがヤギの背中に乗っかった! 親族が明かすやんちゃな一面 https://dot.asahi.com/articles/-/200028   上野動物園の「子ども動物園」で、しゃがみこんでモルモットの顔をのぞき込む悠仁さま=2009年、東京都、代表撮影    来園する際には紀子さまが、 「そちらに遊びに行っていいですか」  と、電話をかけてきたという。  そして、一般の来園者に混じって歩く親子連れが、実は紀子さまと悠仁さまだと気づく人はいない。悠仁さまも、年が近い幼稚園や保育園の子どもたちの集団の中に入り、一緒に動物を眺めていたという。   「サル山に入って一緒に遊びたい」  あるとき、悠仁さまが、 「サル山に入って僕も一緒に遊びたい。えさをあげたい」  と、駄々をこねたこともあった。 「ここは入れないのよ」  紀子さまが優しく説明して、なんとか大人しくなったという。    子どもはみんな、好奇心が旺盛。小宮さんが「かわいらしかった」と目を細めるのは、悠仁さまがトラを見たいと言い出したときだ。  紀子さまの手をしっかりと握って、  「とーら。とーら」  と歌いながら、トラの放飼場(ほうしじょう)まで歩いていった。なのに、到着すると本物のトラよりも目の前にあるトラのレプリカが気に入ったのか、よじ登りはじめた。  トラの背中にまたがって、ニッコリと満足そうな笑顔を浮かべる悠仁さまに、紀子さまがカメラを向けて記念写真を撮ったという。   秋篠宮さまの誕生日を前にしたご一家。家禽の研究者である秋篠宮さまらしく、宮邸にはく製が並ぶ=2012年、宮内庁提供    皇室が生き物との触れ合いを大切にするのは、身近な環境が大きいのだろう。  東京の中心地にありながら、緑に包まれた赤坂御用地は、東京ドーム10個分の広さがあり、天皇ご一家も長い歳月を過ごし、いまは上皇ご夫妻が暮らす仙洞御所、皇族が暮らす秋篠宮邸や三笠宮邸、そして高円宮邸がある。季節の花々のほかに、オオタカやフクロウの繁殖が確認されるなど、生き物の宝庫でもある。     【こちらも話題】 17歳の悠仁さまは「根っからの研究者」 皇位継承者としての成長ぶりを“稲の先生”も実感 https://dot.asahi.com/articles/-/200901   悠仁さまの6歳の誕生日を前に撮影。右下の茂みに、何かが隠れている=2012年、宮内庁提供   茂みに潜むある動物とは?  その赤坂御用地で2012年、悠仁さまの6歳の誕生日に合わせて撮影された写真。赤い花と豊かな緑を背景に、チェックのシャツを着た悠仁さまをはさみ、姉の眞子さんと佳子さんが座っている。  実は、悠仁さまらの後ろの茂みに、ある動物が潜んでいる。写真の右下を見ると、何やら小さな動物の頭と前半身がうっすらと見えるのだ。   「マーラですね」  と、小宮さんが「正体」を教えてくれた。  マーラは、ウサギのようにも見えるが、草食のネズミの仲間。秋篠宮家で飼われていたのだという。  小宮さんは、秋篠宮さまと『日本の家畜・家禽』を共同執筆したことがあり、さらに秋篠宮さまが日本動物園水族館協会の総裁を務めることもあって、打ち合わせのために秋篠宮邸を訪ねたことがある。  秋篠宮さまは小宮さんに、こんな話をしたことがあるという。 「庭には、マーラがスタスタと歩いているんです」  さらに冗談めかした口調で、こう付け加えた。 「芝刈りもやってくれるのですよ」    実際、宮邸を訪れた人の多くが、生物に囲まれたユニークな雰囲気だと話す。秋篠宮家を知る人は、かつて筆者にこう話していた。 「大型犬や、殿下がご研究されている鶏、70センチにもなるネズミのマーラまで、さまざまな動物を飼っておられます。悠仁さまは、ぴょんぴょん跳ねるマーラと追いかけっこして遊ばれているそうですよ」    そんな環境で育ち、やんちゃな一面も見せていた悠仁さまも、現在は高校2年生になり、17歳の秋を迎えた。関心は動物にとどまらず、稲など作物の研究にまで幅を広げている。 来春には高校3年生。どんな進路を選ぶのか、世間の注目が集まっている。 (AERA dot.編集部・永井貴子)   【こちらも話題】 「ねぇ、今日の夕食はなあに?」眞子さんと佳子さまもペロリと食べた 秋篠宮家元料理番の特製カレーレシピ https://dot.asahi.com/articles/-/202365  
〈皇室の子育て〉愛子さまは赤いコートのクリスマスカラー 天皇陛下と雅子さまと「お忍び」でたずねたイルミネーションスポットはどこ?
〈皇室の子育て〉愛子さまは赤いコートのクリスマスカラー 天皇陛下と雅子さまと「お忍び」でたずねたイルミネーションスポットはどこ? 東京・恵比寿ガーデンプレイスでクリスマスのイルミネーションを訪れた皇太子さま(当時)と雅子さま、愛子さま。クリスマスカラーの愛子さまの赤いコートが愛らしい=2007年12月、代表撮影/JMPA  秋篠宮家の長女、小室眞子さんに5月末、第一子が誕生した。幼い我が子を囲む皇室の「あのとき」を振り返る(この記事は「AERA dot.」に2023年11月26日に掲載された記事の再配信です。年齢や肩書などは当時のもの)。 *  *  *  イルミネーションが、街を幻想的に照らす季節になった。コロナ禍以前、天皇陛下と雅子さま、そして長女の愛子さまが、都内にあるクリスマスのイルミネーションなどを「お忍び」で見学するのは、ご一家の昔からの恒例行事だった。街に賑わいと華やぎが戻ってきた今冬、ご一家の姿を見ることができるだろうか。    日が落ちた東京・恵比寿ガーデンプレイス。赤いコートを着た愛子さまが、当時皇太子だった天皇陛下と雅子さまと手をにぎって歩いてきた。  2007年12月21日の午後6時過ぎ。3人が「お忍び」で訪れたのは、クリスマスのイルミネーション。皇太子さまと雅子さまはそれぞれ愛用のカメラを取り出し、フランスの高級クリスタルガラスブランド「バカラ」のシャンデリアを写真に収めていた。  愛子さまは前日、学習院幼稚園の終業式を終えて冬休みに入ったばかり。道行く人たちからの視線が恥ずかしかったのか、「パパ」のコートの裾をつかみ、そっと後ろに隠れる場面もあった。  数日前には雅子さまが、青山でクリスマスの飾りやキャンドル、シャンパングラスなどの買い物を笑顔で楽しむ姿も見られた。自宅では愛子さまも一緒に、クリスマスの飾りつけをしたのだという。    翌年は愛子さまが発熱したこともあり、「お忍び」は中止に。しかし、クリスマスや年末の季節のイルミネーションの見学は、ご一家の恒例イベントとなった。     【こちらも話題】 すっかり「パパ」と「ママ」の陛下と雅子さま 運動会で望遠レンズの先には成長した愛子さま https://dot.asahi.com/articles/-/198782     「お忍び」で訪れた恵比寿ガーデンプレイスで、愛子さまは皇太子さま(当時)と雅子さまと手をつなぎ、イルミネーションを楽しんだ=2007年12月、代表撮影/JMPA   「カゴの鳥」と報じられた雅子さま  イルミネーションの見学は、愛子さまが生まれる前からのおふたりの特別な行事だった。  ご結婚から4年ほどたった1997年12月24日のクリスマスイブ。おふたりは車で表参道に出向き、ケヤキ並木のイルミネーションを楽しんだ。おふたりが車から降りることはなかった。  この時期、海外王室と比べて制限の多い東宮御所での雅子さまの暮らしぶりを、海外のメディアは「カゴの鳥」と報じていた。車窓から幻想的な光を眺める時間も、雅子さまにとっては貴重なひとときであったにちがいない。   恵比寿ガーデンプレイスで、フランスの高級クリスタルガラスブランド「バカラ」による世界最大級のシャンデリアを楽しむ皇太子ご一家(当時)=2007年12月、代表撮影/JMPA    1991年から続いていた表参道のイルミネーションは、交通渋滞や街路樹への影響などのため、98年を最後に中止になった。  そして2009年の冬、イルミネーションは11年ぶりに復活。照明は豆電球から、樹木への負担が軽減されるLEDへ変わった。そして63万個球の光が美しく照らすケヤキの並木道を、皇太子さまと雅子さま、そして愛子さまがお忍びで訪れ、楽しんだ。   ハーバード大学時代、恩師のオールドマン夫妻とクリスマスを過ごす雅子さま=1981年12月、宮内庁提供   都内のイルミネーション名所を巡り  ご一家の仲むつまじさはその後も変わらず、家族そろっての「イルミネーションお忍び見学」は愛子さまが高校生になっても続いた。  2018年12月28日、17歳の誕生日を迎えたばかりの愛子さまたちが訪れたのは、東京・六本木のけやき坂のイルミネーションだった。70万個のLEDが約400メートルの冬の散歩道を、青と白の幻想的な光で彩った。   ご結婚前の雅子さまが、感謝の心を込めて両親に贈ったクリスマスカード=1992年12月撮影、宮内庁提供    皇太子さまと雅子さま、愛子さまの3人を乗せた車は、並木道をゆっくりと走った。ご一家はこの後も、都内にあるイルミネーションの名所を巡り、皇居のライトアップも楽しんだという。    コロナ禍に入り、ご一家がイルミネーションを見学する光景は見られなくなった。愛子さまが大学生として最後のクリスマスを過ごす今年。ご一家で街のきらめきを一緒に楽しむ姿が見られるのだろうか。 (AERA dot.編集部・永井貴子)    【こちらも話題】 「ああ!」と顔を見合わせた天皇陛下と雅子さま 「この~木なんの木」おなじみのCMソングに大笑い https://dot.asahi.com/articles/-/203747  
〈あのときの話題を「再生」〉日本人の同性カップル、カナダで難民認定までの歩み 「母娘」と偽っての暮らし「耐えられなかった」
〈あのときの話題を「再生」〉日本人の同性カップル、カナダで難民認定までの歩み 「母娘」と偽っての暮らし「耐えられなかった」 難民受け入れに対する状況は国によって大きく異なる。2023年、現政権が積極的なカナダは約3万7千人を認定したが、日本は303人だ(写真:本人提供)  あんな出来事があった、こんな話題があった…と記事で振り返る「あのとき」。昨年の6月ごろに、多く読まれていた記事を紹介します(この記事は2024年6月14日に「AERA dot.」で掲載されたものの再配信です。年齢や肩書などは当時のもの)。 *   *   *  カナダで昨秋、日本人の女性カップルが難民と認められた。日本で生まれ育った2人はなぜ日本から逃れなければならなかったのか。G7で唯一、同性カップルに法的保障を認めていない日本に重い課題が突きつけられている。AERA 2024年6月17日号より。  1951年に国連で採択された難民条約は、難民を「人種、宗教、国籍もしくは特定の社会的集団の構成員であることまたは政治的意見を理由に迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有するために」、国籍国外にいて「国籍国の保護を受けることができない者」または「そのような恐怖を有するためにその国籍国の保護を受けることを望まない者」と定義する。  2023年9月、難民としてカナダでの永住が認められたのはハナさんとエリさん。カナダ移民難民委員会は「日本での迫害に対して十分根拠がある恐怖を抱いているが、日本では十分な保護が受けられない」と認めた。  2人にどのような迫害があったと認定し、なぜ日本では十分な保護が受けられないと判断したのか。2人の歩んできた時間を振り返ってみたい。  50代のハナさんは関西地方で生まれた。「跡継ぎ」を望んだ祖父はハナさんが女性であったことに落胆。ハナさんは期待に応えたい思いから、祖父が亡くなるまで男の子のようにふるまった。20代になると親族からは見合い結婚をするよう求められた。男性と結婚することは想像できない。でも性的指向を打ち明ければ、保守的な考えを持つ親族や周囲はがっかりするのではないか。孤立し、精神のバランスが崩れていった。  30歳になる直前、レズビアンの友人から近々男性と結婚すると打ち明けられた。理由を尋ねると「養ってくれる人が親から夫に代わるだけ」という。自分も結婚するしかないのか。プレッシャーから逃れるように上京して就職したが、職場では「なぜ彼氏がいないのか」「いつ結婚するのか」と聞かれるなど、複数のセクハラを受けた。  日本は今も男女の賃金格差が大きく、非正規として働く女性も多い。「もしレズビアンであることが知られたら、異性愛者の女性より先に、まず自分が仕事を失うのではないか」。常にそんな不安がつきまとった。さらに日本のLGBTQ当事者団体ともつながったが、違和感を持つ出来事もあり、09年には自殺をはかった。 ハナさんとエリさんの結婚式のブーケ。「女性の社会的地位が低い日本では、女性のLGBTQは、とても弱い立場におかれている。当事者の思いを知ってほしい」と話す(写真:本人提供)    エリさんは30代。大学卒業後に薬剤師の資格を得て、関西地方の公的機関で働いていた。 カミングアウトしたら退職 「母娘」と偽っての暮らし  2人は14年に出会い、交際を始めた。「出会ってすぐに人生のパートナーになりたいと思った」とエリさんは言う。  だが、エリさんは職場で同性のパートナーがいることをカミングアウトしたことをきっかけに退職に追い込まれた。退職後は、薬剤師の資格を生かして、関西の薬局に契約職員として勤務したが、上司から正規職員になるよう誘われた際、薬局側に妻がいるため配偶者としての福利厚生を適用してほしいと求めると「準備が整っていないのでできない」と断られた。  19年4月、同性婚が認められていて、外国人の旅行者であっても結婚できるカナダを旅行で訪れ、結婚した。ささやかな人前結婚式だったが、通りがかった見ず知らずの人たちが、立ち止まって式の様子を見守り、祝福の言葉をかけてくれた。「2人の関係をオープンにする夢も叶った。うれしさで涙が止まらなかった」(ハナさん)  だが帰国すると、再び差別にさらされた。19年7月に居住市のパートナーシップ制度を利用し、証明書を取得。市内で「ふうふ」で暮らす家を借りようと思ったが、不動産業者からは「同性カップルが借りられる家は少ない」と言われ、「融通の利く大家さんだから」と紹介された家は、駅から遠く、老朽化で雨もりがした。ハナさんは言う。 「希望の条件で検索すると、数十件近く物件が出てくる。異性カップルなら新築の2LDKにも住めるのに。屈辱的だったし、パートナーシップ制度で得られるものは何もないことを痛感した」  UR都市機構にも親族として入居できないかと問い合わせたが「民法上の親族であることが入居条件。同性カップルは親族とはみなせない」と言われた。 「カナダでは法的に家族として暮らしていたので、日本で『家族じゃない』と言われることが耐えがたかった」(ハナさん)  その後、東海地方に移ったが、周囲の人からどういう関係かを聞かれると、その都度「母娘だ」と偽って暮らさざるをえなかったという。 AERA 2024年6月17日号より    これ以上、日本で暮らすことはできない。コロナが落ち着いた21年3月、ハナさんは学生ビザを取得、エリさんはその配偶者としてカナダに入国。大学の語学学校に通っている時、カナダ政府がLGBTQ難民を適切に受け入れていることを知った。 同性婚の法整備ない日本でLGBTQの迫害と差別  カナダは17年、性的少数者である難民認定申請者を審査する際に、当事者が抱える困難を見逃したり、保護すべき申請者を不認定にしたりすることがないよう、最新の知見や注意点をまとめた指針「ガイドライン9」をつくっている。難民認定審査をするカナダ移民難民委員会の職員向けに作成されたもので、「性自認や性的指向、ジェンダー表現や性的特徴を隠すことが強要されることは基本的人権の重大な侵害で、迫害に相当しうることは法律上確立されている」と明記されている。  さらに認定の際には、人種や宗教、年齢、社会的階級などの交差的要因を考慮することや、性的少数者が家庭内暴力、住宅、雇用、教育に関する差別などさらなるリスクに直面することがあることなども書かれている。 「それまで難民は同性愛者に刑罰を科すような国の人たちを対象にしていると思っていたが『ガイドライン9』を読んで、私たちも当てはまるのではと思った」とエリさん。  自国で差別を受けた性的少数者の難民申請を支援する現地のNPO団体「Rainbow Refugee」に支援を求め、22年11月に難民申請の手続きを始めた。2人をサポートした同団体創設者のクリス・モリッシーさんは2人から相談を受けた当初の思いをこう話す。 「驚いたし、難しい挑戦になると思った。カナダにおいて日本は先進国だと認識されており、同性婚を認めていないとは思わなかった」  経歴書、日本での経験をつづったレポート、日本の法整備の現状などを証明する証拠などあわせて200ページを超える資料を提出。担当者との面接や公聴会などを経た23年9月、カナダ移民難民委員会から難民として認める決定通知が送られてきた。  決定通知は「日本は主要7カ国(G7)の中で唯一同性婚や同等の法整備がなく、自治体で同性パートナーシップ宣誓をしても、異性婚夫婦と同じ利益を受けられない」と法制度の不備を指摘。さらに「家父長制的な観念が根強く残る」「職場には女性に対する複合的な形態の差別が存在する」「LGBTQの迫害につながる差別が日本全体にあり、国内の別の地域に移住しても逃れられない」と、女性や性的少数者の人権が十分に守られない日本の状況を判断理由として挙げている。(朝日新聞記者・大貫聡子、花房吾早子) ※AERA 2024年6月17日号より抜粋  
ファーストフェイスはなごみ! 沖縄最大級のガールズファッションフェス『OKINAWA COLLECTION 2025』に王林、希空など豪華ゲストがランウェイに集結【オフィシャルレポートVol.1】
ファーストフェイスはなごみ! 沖縄最大級のガールズファッションフェス『OKINAWA COLLECTION 2025』に王林、希空など豪華ゲストがランウェイに集結【オフィシャルレポートVol.1】 次回『OKINAWA COLLECTION 2026』2026年6月20日(土)開催決定! チケット超最速先行受付スタート! - 沖縄コレクション実行委員会 2025年6月21日(土)、沖縄サントリーアリーナにて『OKINAWA COLLECTION 2025』(略称:『オキコレ2025』)が開催されました。今年で3回目を迎える本イベントは、130組以上の出演者が登場する沖縄最大級のガールズファッションフェス。会場では、最新トレンドを取り入れた多彩なファッションショーやトークセッション、ライブパフォーマンスが繰り広げられ、のべ5,130人の来場者を魅了。アリーナ外のフードエリアや体験ブースも賑わい、終日熱気に包まれていました。 イベントの模様は、ライブ配信&動画アプリ「ミクチャ」で無料配信され、X、Instagram、TikTokといったオキコレ公式SNSでもステージの様子を配信。本日以降も順次、ステージの様子や出演者からのコメント等も公開予定となっています。沖縄最大級のファッションの祭典をSNSでもお楽しみください。 ■公式SNS X:https://x.com/okicolle Instagram:https://www.instagram.com/okinawa_collection/ TikTok:https://www.tiktok.com/@okicolle_official 【OPENING ACT】 会場を温かく包み込んだのは、6人組アイドルグループ・Onephony。キュートで元気いっぱいのステージで「じぶんラブ宣言」「ウォータープルーフガール」の2曲を披露し、イベントの幕開けにふさわしい華やかな雰囲気を演出しました。 続いて登場したのは、“生クリーム系アイドル”の異名を持つMightyParfait。ホイップを思わせるふわふわの衣装で、デビュー曲「しあわせパフェタイム」を披露。キュートな振付と甘いボーカルで、観客を魅了しました。 8人組男性ダンス&ボーカルグループのALL INは、圧倒的なスキルとエネルギーで「罵罵罵」「シャバNight?」の2曲を披露。キレのあるダンスと力強い歌声が会場の熱気をさらに引き上げました。 続いて登場したのは、スクールガール風の衣装が目を引くShibu3 project。披露した「PANONON」はポップなメロディーと愛らしい振付が特徴で、ステージには明るく爽やかな空気が漂いました。 シンガーの里音は、Funk要素を取り入れたアップテンポなナンバー「DIVA」を披露。パワフルかつソウルフルな歌声で、観客の心をしっかりと掴みました。 オープニングのトリは、3人組アイドルグループのCURTiA。クールでポップなナンバー「Doubt」を披露し、洗練されたステージングと息の合ったパフォーマンスで、OPENING ACTを締めくくりました。 『オキコレ2025』開幕! 1st STAGEから豪華出演者が大集合!【1st FASHION SHOW STAGE】ファッションステージの幕開けを飾ったのは、「SHAGGIE」のショー。ファーストフェイスを務めたのは、圧倒的な存在感でランウェイを歩いたなごみ。続いて、おさき、さくら、重川茉弥(まやりん)、花城カレン、櫻井優衣(FRUITS ZIPPER)、元之介といった豪華モデル陣が登場しました。スタイリングは、グランジやカジュアルなテイストをベースに、今季らしいレースやドット柄のレイヤードを大胆にミックス。少し甘さを感じさせつつ、ほどよく抜け感のある、まさに“今”の空気をまとったネオ・フェミニンスタイルが展開されました。ショーのラストを飾ったのはとうあ。爽やかな水色のトップスを主役に、夏らしさと透明感を兼ね備えたカジュアルフェミニンな着こなしで、観客を魅了しました。 「moment+」のステージは、王林の登場によって一気に観客のテンションがUP。登場モデルには、コノリリ、鈴木ゆうか、吉沢朱音、古澤里紗(CUTIE STREET)、那須ほほみらが登場。今回のショーではトレンドのレースやデニム素材を中心に、着回し力のあるアイテムが多数登場。肩の力を抜いたナチュラルな装いながら、洗練されたバランス感で魅せるコーディネートが印象的でした。ラストは鎮西寿々歌(FRUITS ZIPPER)と早瀬ノエル(FRUITS ZIPPER)が濃紺とホワイトの浴衣姿で登場し、凛とした佇まいと華やかさで観客の視線を集めました。 「小っちゃくたって可愛く輝ける」をコンセプトに、XSサイズからフリーサイズまで幅広く展開する人気ブランド「michellMacaron」ステージ。今回のショーでは、王道チェックシリーズの新作コレクションがお披露目。日常の「ときめき時間」にぴったりなスタイルをモデルたちがキュートに着こなしました。先陣を切って登場したのは、クールさと可愛らしさを併せ持つスタイリングでランウェイを魅了したPyunA.(ぴょな)。続いて、MINAMIと希空がギンガムチェックのリンクコーデで登場し、まみ、深瀬美桜、村川緋杏(CANDY TUNE)、増田彩乃(CUTIE STREET)、加藤ナナらが続々と登場。チェック柄を基調にしつつも、それぞれの個性が光る着こなしで、会場は甘く、キュートな空気に包まれました。 イベントの開幕をさらに盛り上げたのは、MCを務めるこーくんと棚原里帆。こーくんは3年連続で本イベントのMCを担当しており、沖縄らしいフレンドリーかつ軽快なトークで会場を盛り上げました。この日の那覇は、まるで『オキコレ2025』の開催を祝うかのようなキリッとした晴天。そんなオープニングで印象的だったのは、ファッションショーのファーストフェイスとしてなごみが登場した瞬間。MCのこーくんは、妻のなごみとツーショットを見せると、思わずホッとした表情になる一幕もあり、来場者の間にも温かい空気が流れました。 【LARME PRODUCE STAGE】ガーリーで儚げな世界観を発信する雑誌『LARME』によるファッションステージでは、夢のようなひとときを展開。ステージ全体はピンク×ホワイトのバルーン装飾で彩られ、ふんわりとしたフェミニンな空気が会場を包み込みました。登場したのは、白石まゆみ(SWEET STEADY)、田島櫻子(Onephony)、あんず(SUNNY CIRCLE)、かすみん(おこさまぷれ~と。)、Misaki、梅田みゆ(CUTIE STREET)の6名。透け感のある素材や淡いトーンを基調とした『LARME』らしいスタイリングで、それぞれが“甘さ”と“儚さ”を絶妙なバランスで表現しました。フェミニンなムードの中にも、芯のある美しさを感じさせる彼女たちの表情とポージングに、思わず見惚れるステージになりました。 【OKINAWA NEXT Showcase STAGE】沖縄の未来のエンターテインメントを担う次世代アーティストたちによる熱いステージが展開されました。EXPG STUDIO OKINAWAのステージには若き才能あふれるパフォーマーたちが登場し、「PERFORMER'S DNA」「24WORLD」の2曲を披露。磨き上げられたダンススキルと、エネルギッシュで一体感のあるステージングで観客を魅了しました。 続いて、伝説のスクール・沖縄アクターズスクールからはB.B.WAVESが登場。披露した「Funkify You」は、タイトル通りファンキーかつリズミカルで、躍動感のある歌とダンスパフォーマンスが光りました。全身からほとばしる“本気”のエネルギーが、次世代の可能性を感じさせる圧巻のステージとなりました。 さらに、今年5月にデビューしたばかりのガールズユニットJUICYJUICYがスクールウェアで「HeyWorld What'sUP」を披露。フレッシュでキャッチーなサウンドと、親しみやすくも芯のあるパフォーマンスで、新たなアイコンの誕生を感じさせるステージとなりました。 パフォーマンス後には、各グループから選抜された国吉逞(EXPG STUDIO OKINAWA)、Neil(B.B.WAVES)、伊波れいり(JUICYJUICY)の3名が登場。MCのこーくんとともに“沖縄の観光・魅力”をテーマに軽快なトークを繰り広げ、パフォーマンスとは一味違う素顔の魅力で観客を和ませました。 【学校法人 KBC学園 STAGE】沖縄の専門学校生によるクリエイティブなステージとして注目を集めた「学校法人 KBC学園 STAGE」。モデルとして登場したのは、小國舞羽、米澤りあ、島咲良、あんり、泉川里桜、MIYU、里乃。カーキ、ベージュ、オフホワイトなどアースカラーを基調としたサファリテイストのサマーコレクションで、ナチュラルかつ都会的なスタイリングに沖縄の青空がよく映える、リラックス感と洗練が同居するステージとなりました。また、ステージにはMCの棚原里帆が、沖縄の情報番組などでリポーターとしても活躍するお笑い芸人・仲本新(カシスオレンジ)とともにカップル風に腕を組んで登場。息の合ったやりとりで、観客の笑顔を誘いました。 ビューティモードカレッジの学生である平良彩笑さんと玉城琴音さん他の4名の学生が、このショーの実際のステージヘアメイクを担当。ランウェイを歩いたばかりの小國舞羽、米澤りあと舞台上でフレッシュなトークを繰り広げました。 【SHOOTINGACT - edhiii boi】Z世代を中心に人気を集めるラッパー・edhiii boiが登場。披露したのは「おともだち」「爆走」の2曲。エネルギッシュでリアルなリリックに、トレンド感のあるサウンドを乗せたパフォーマンスで、会場の熱気を一気に引き上げました。その存在感と独自のグルーヴに、客席からは大きな歓声が。ファッションイベントの枠を越えて、音楽シーンの勢いを感じさせるライブとなりました。 【「今日、好きになりました。」STAGE】毎週月曜よる9時よりABEMAで放送中の人気恋愛リアリティーショー『今日、好きになりました。』から、話題のメンバーたちが特別ステージに登場。幾田りらによるテーマソング『恋風』が流れる中、青春のきらめきをそのまま体現するようなフレッシュなパフォーマンスが繰り広げられました。村谷はるなと林田拓也は、“手隠しキス”の演出で登場。観客の視線が一点に集中するほどのドキドキ感を演出しました。続いて、長浜広奈と天宮芽唯は“手繋ぎランウェイ”で登場。見つめ合う笑顔がまぶしく、まるでスクールドラマのワンシーンを見ているかのような空気に包まれました。夏川メガンと阿部創馬のペアは、“頬ぷに”で互いに見つめ合いながらランウェイを歩く微笑ましい姿を披露。会場からは思わず「かわいい!」の声が漏れました。現在放送中の「ハロン編」に出演中の長浜広奈は、ステージ後のコメントで「かわいい顔と仕草でメロメロにしちゃうのが見どころです」と語り、笑顔を見せました。 【2nd FASHION SHOW STAGE】イングランド発のフットボールブランド「UMBRO」ステージはスポーティーでクールな世界観を軸に、夏らしい迷彩柄を取り入れたTシャツや存在感あるロゴアイテムを中心に展開されました。ランウェイにはなごみをはじめ、森愁斗(もーりーしゅーと)、一生友子が登場し、会場から大きな歓声があがりました。その後も、重川茉弥(まやりん)、あいさ、PyunA.(ぴょな)、とうあといった多彩なモデル陣が続々と登場。個々の個性が光るスタイリングで、スポーティーながらも洒落感のあるコーディネートを披露し、観客を魅了しました。 夢の中に迷い込んだような、甘く幻想的な世界観を演出したのは、コスチュームブランド「Malymoon」のステージ。うさ耳、ホワイト、フリル、ピンク、ブラックレース、甘いリボンといったアイコンモチーフで統一された“おとぎ話のプリンセスたち”によるランウェイが展開され、会場は一気に非日常の空間に包まれました。登場したのは、佐藤ノア、田島櫻子(Onephony)、おさき、りり姫(ライバー)、蒼井羽音(ライバー)、さくら、月海つくね、加藤ナナ、景井ひなといった、キュートで華やかな個性を持つモデルたち。それぞれが愛らしいスタイリングと甘いポージングで観客を魅了しました。そしてショーのラストには、中村里砂が登場。猫耳をあしらったホワイトドレス姿でランウェイに現れると、会場の空気が一変。神秘的で品のある圧巻のオーラでラストを飾りました。 全国に店舗を展開する人気ファッション&ライフスタイルカルチャーショップ「WEGO」が、沖縄のステージに登場。ファッションのみならず、ストリートカルチャーや音楽、SNSとの親和性を活かした多彩なプロモーションを展開する同ブランドは、いまやカルチャーの発信地としても注目を集めています。この日のランウェイには、小川桜花(Girls²)、平松想乃、りんか、崎浜梨瑚、立花琴未(CANDY TUNE)、鎮西寿々歌(FRUITS ZIPPER)、桐原美月(CANDY TUNE)、櫻井優衣(FRUITS ZIPPER)といった、今をときめくモデルやアーティストたちが集結。夏のマストアイテム・Tシャツを主役に、ジャンルレスなコーディネートが展開され、ガーリー、カジュアル、スポーティー、韓国テイストなど、バリエーション豊かなスタイリングでそれぞれがTシャツを“自分らしく”表現しました。 【ライカム STAGE】10周年を迎え、さらにパワーアップを遂げた「イオンモール沖縄ライカム」。そのリニューアル感を象徴するように、幅広い世代に愛されるリアルクローズブランドのステージも展開されました。まずは「LOWRYS FARM」のスタイリングでアリアナさくら、板倉可奈(CUTIE STREET)、石川渚が登場。デイリールックに取り入れやすいTシャツやワンピースが中心となり、気取らないけれどどこか“かわいい”を感じる、ナチュラルで親しみやすいスタイリングを披露しました。続く「Perfect Suit Factory」のステージには、元之介と涼那が登場。洗練されたシルエットと上質感のあるシックなスタイルで、落ち着きと知性を感じさせる大人の装いを提案するランウェイに、観客も見入っていました。ラストに登場したのは、人気ブランドMILKFED.。かとゆり、審良ふたば、梅田みゆ(CUTIE STREET)が、カジュアルなリアルクローズの中に、ちょっぴり無邪気な“おとめ心”をしのばせたスタイリングで魅了。ステージ上では、観客からかとゆりに「結婚おめでとう!」と声がかけられる場面もあり、温かな祝福のムードに包まれました。 【タテドラ STAGE】1話1~2分で楽しめる縦型ショートドラマアプリ「タテドラ」によるスペシャルトークステージが実施され、作品に出演する注目キャストが登場しました。ドラマ『事故物件住んでみた~二番煎じですみません~』からは、渡邉廉(PSYCHIC FEVER)と鶴嶋乃愛が登壇。ホラーとコメディが融合した話題作の舞台裏について、思わず背筋が凍ってしまうような撮影中のエピソードを語りました。 続いて登場したのは、『ズバッと派遣!姫華』に出演するHIMEKAと雪平莉左。個性あふれる役柄や撮影現場の雰囲気について軽快なトークを繰り広げ、会場を和ませました。若者を中心に人気を集める縦型動画ドラマの魅力と、出演者の素顔が垣間見える貴重なステージに、観客からは大きな拍手が送られました。 【SHOOTINGACT - Soala】オキコレ初出演となるアーティストSoalaが登場。フリルがデコラティブにあしらわれた華やかな衣装でステージに立ち、「すれ違い」「カサネアイ」「恋花火」の3曲を披露しました。一音一音に想いを込めたような繊細で情感豊かな歌声に、会場全体が次第に引き込まれていきます。シックでありながら華やかさを纏ったパフォーマンスに、観客は息を呑み、感動が会場を包み込みました。 【ARTIST LIVE - SWEET STEADY】人気アイドルグループSWEET STEADYがステージに登場。代表曲「ぱじゃまぱーてぃー!」からスタートし、「ぐっじょぶ!」「Call me, Tell me」の3曲を元気いっぱいに披露。キュートでエネルギッシュなパフォーマンスが会場を盛り上げ、ファンのみならず多くの観客を魅了しました。爽やかでポップなステージに、会場は笑顔と歓声に包まれました。 フィナーレまでさらに大きな盛り上がりを見せた後半戦レポートVol.2はこちら <OKINAWA COLLECTION 2025概要> タイトル:OKINAWA COLLECTION 2025(略称:オキコレ2025) 日時:2025年6月21日(土)OPEN 12:00 / START 13:30 会場:沖縄サントリーアリーナ(沖縄県沖縄市山内1丁目16−1) 主催:沖縄コレクション実行委員会 後援:観光庁、沖縄県、沖縄市 <次回開催概要> タイトル:OKINAWA COLLECTION 2026 日程:2026年6月20日(土) 会場:沖縄サントリーアリーナ(沖縄県沖縄市山内1丁目16−1) 主催:沖縄コレクション実行委員会 【チケット超最速先行】 受付期間:2025/6/21(土)18:00~6/30(月)23:59 料金:SS席 5,000円 / S席 4,000円 / A席 3,000円 販売URL:https://l-tike.com/okinawacollection/ ■公式サイト https://okinawa-collection.jp/ ■公式SNS X:https://x.com/okicolle Instagram:https://www.instagram.com/okinawa_collection/ TikTok:https://www.tiktok.com/@okicolle_official <報道関係各位> 本公演のオフィシャル写真提供のご希望の媒体社様はPR事務局ご連絡ください。 沖縄コレクションPR事務局(アソビシステム株式会社内) MAIL:info@asobisystem.com
ロイヤルウエディングの時から英王室離脱を計画? 違和感だらけのメーガンさんの招待客
ロイヤルウエディングの時から英王室離脱を計画? 違和感だらけのメーガンさんの招待客 2017年11月27日、婚約したことを発表したヘンリー王子とメーガンさん(photo ロイター/アフロ) 結婚から2年足らずで王室離脱  5月にヘンリー王子(40)とメーガンさん(43)が結婚7周年を迎えたことから、あちこちで2人の結婚を振り返る試みがされている。結婚から2年足らずで王室を離脱し、王室批判を繰り広げることになる“芽”を見つけ出そうというのだ。  メーガンさんの結婚に対する考え方がすでに伝わってくるのが、結婚式に招いたゲストの顔ぶれだ。メーガンさんがウィンザー城に招いたのは、俳優のジョージ・クルーニー夫妻やテレビ番組司会者のオプラ・ウィンフリー、テニスのセリーナ・ウィリアムズ選手夫妻など。結婚式に招待するなら以前よりメーガンさんと親しい間柄だったかといえば、「全く知らない」か「ほとんど会ったことがない」人が含まれていたことが話題になった。  たとえばジョージ・クルーニーは、メーガンさんといつ知り合ったかと聞かれて、「彼女のことは全く知らない」とあっさり答えている。オプラ・ウィンフリーは「メーガンと会ったのは一度だけ」と話した。 なかには女優リース・ウィザースプーンのように招待されたものの、「メーガンとは面識がない」として欠席した人もいた。 メーガンさんの実父であるトーマス・マークル氏は度々テレビに出演。メーガンさんへの想いを語っている(photo REX/アフロ) メーガンさんは実父を招待せず  一方、実父は急な病気で入院したとして招かず、義理の兄も姉も招待していない。親族で式に出席したのは母親ドリアさんだけだった。つまり、家族の代わりにハリウッドのスターたちを招いたのだ。  それはメーガンさんはすでに結婚式の時から、いずれ王室を離脱すると計画していたからだと言われている。英王室専門家は、「メーガンは、結婚式の時からネットワークを広げることを狙っていた」「自分が成功しなかったハリウッドでの実力者や人気者にロイヤルウエディング招待という恩を売り、お返しを期待した」「ハリウッドに戻った時、招待客は自分のためにレッドカーペットを敷いて待つと確信していた」「結婚式をハリウッドで自分を有利な立場に導くチャンスとして利用した」と口をそろえる。メーガンさんの「アメリカで成功したい」との思いは、ロイヤルウエディングを利用するほど強烈だったのだ。 メーガンさんのネットフリックス番組「ウイズ・ラブ・メーガン」に登場するダニエル・マーティンとメーガンさん(photo ©Netflix /アフロ) メーガンは浅はかな策略家  事実、オプラ・ウィンフリーのインタビューでメーガンさんは「王室から人種差別を受けた」とほのめかして話題をさらい、またセリーナ・ウィリアムズの夫は、ヘンリー王子が最高インパクト責任者を務めるスタートアップ企業に投資している。  だが、結婚式から7年が経った現在、メーガンさんのネットフリックス番組「ウィズ・ラブ、メーガン」に参加したゲストたちは、メイクアップアーティストのダニエル・マーティン、料理人のロイ・チョイなどが番組に顔を出してはいるものの、結婚式の時の華やかさと比べいささか見劣りがすると言われてしまっている。メーガンさんは当然、結婚式の招待客に番組への参加を依頼しただろうが、かなわなかった。英王室の専門家は「メーガンがいかに浅はかな策略家だったかを示している」と話している。 2025年6月19日、パレードに参加するの英国のチャールズ国王とカミラ女王 (photo ロイター/アフロ) 経済的に追い詰められるヘンリー王子夫妻  そんな中、6月14日にイギリスの民放テレビ局「チャンネル5」のドキュメンタリー番組「メーガン&ハリー:お金はどこに消えた?」が放送され話題になっている。ヘンリー王子とメーガンさんの経済事情に言及し、次第に追い詰められていることを明らかにしているという。  2人は王室離脱後、チャールズ国王から「公務をしていない」として経済支援を打ち切られている。自立せざるを得なくなったわけだが、ネットフリックスなどとの大型契約や暴露本『スペア』で大きな収入を獲得。さらに、メーガンさんの女優時代の貯蓄やダイアナ元妃の遺産なども加えると莫大な財産を保有しているとみられてきた。しかし、英王室の専門家らは、2人の邸宅のローン返済が月約一千万円にのぼること、邸宅の維持費、さらに警備費と、支出も目をむくほどだと指摘。「メーガンが主な稼ぎ手として商品販売などを行っても、収入自体は枯渇してきている」「資産は5-7年で食いつぶすだろう」と推測している。  エクスプレス(オンライン)によると、ヘンリー王子とメーガンさんはアーチー王子(6)とリリベット王女(4)を通して王室復帰を考えているそうだ。子どもたちが成長したとき称号維持については「本人たちに決めさせたい」と話しているという。子どもの意思を尊重しているように見えるが、2人の子どもを使って、英王室との関係修復を望んでいるのだろう。王室関係者は「完全に困惑している」「あまりに自分勝手」と指摘。かつてヘンリー王子夫妻が「まるで金魚鉢のようだ」と嫌った王室生活に子どもたちを入れたいのかと、批判されている。 (ジャーナリスト・多賀幹子)   【こちらも話題】 ヘンリー王子が「ダイアナ元妃の実家スペンサー家に入りたい」 英王室と関係悪化で https://dot.asahi.com/articles/-/258211
〈皇室の子育て〉愛子さまと眞子さん、2人の長女とそれぞれの父。違いと共通点と根底にあるもの
〈皇室の子育て〉愛子さまと眞子さん、2人の長女とそれぞれの父。違いと共通点と根底にあるもの 21歳を迎える愛子さま(宮内庁提供)    秋篠宮家の長女、小室眞子さんに5月末、第一子が誕生した。幼い我が子を囲む皇室の「あのとき」を振り返る(この記事は「AERA dot.」に2022年12月28日に掲載された記事の再配信です。年齢や肩書などは当時のもの)。 *   *   *  時代を映す鏡ともいわれる皇室。国民は親または子の立場から、自分の姿を重ね、心を寄せることも少なくない。天皇家と秋篠宮家の父親と娘のそれぞれの関係について、コラムニストの矢部万紀子さんが考察する。    天皇陛下と長女の愛子さまが2日続けてお忍びでの外出をしたと報じられていた。最初が2022年12月3日、学習院大学史料館(「ある皇族の100年―三笠宮崇仁親王とその時代―」)、4日は五島美術館(特別展「西行―語り継がれる漂泊の歌詠み」)、それぞれを訪問、鑑賞したという。  「お忍び」「外出」と聞いてオードリー・ヘプバーンの「ローマの休日」を思い出すのは世代ゆえかもしれないが、皇室における「お忍び」とは何を指すのだろう。という疑問に答えてくれたのが、朝日新聞の島康彦記者。10年にわたる皇室取材経験をもとに、朝日新聞デジタルの「コメントプラス」に書いていた(22年12月4日投稿)。  それによると「お忍び」とは、宮内庁が事前に公表しない皇室の方々の活動のうち、外出を伴うもののこと。私的である、または取材機会を設定しないと宮内庁が判断したものだが、「そうしたものにこそ、皇室の方々を深く知るうえで重要な内容が含まれているのではないかと思い、担当記者は『お忍び』をキャッチすべく、各方面への取材を進めているわけです」とあった。  なるほどそうだとすれば、今回のお忍びからはお二人の何を知ることができるだろう。まずは愛子さまの高い学習意欲だろう。学習院大学文学部日本語日本文学科に在学する愛子さまは、そもそも大変な勉強家だ。21年、20歳になったことを受けての記者会見での「関心のある分野は、いまだ模索中といったところではございますが、以前から興味を持っておりました、『源氏物語』などの平安時代の文学作品、物語作品を始め、古典文学には、引き続き関心を持っております」という言葉からも、それは明らかだ。  西行は従来からの関心分野と言えそうだが、それに加え「ある皇族の100年」で昭和天皇の弟である三笠宮さまについても学んでいる。愛子さまは天皇家の長女である自覚を十分にもっているし、陛下もその役割に期待しているということだと思う。  陛下の父親ぶりを垣間見た気がしたのは、「TBS NEWS DIG」の記事(22年12月4日配信)を目にした時だ。[独自]と特記した上で、西行の特別展鑑賞についてこう伝えていた。「関係者によりますと、当初、愛子さまが一人でこの特別展を鑑賞される予定でしたが、陛下も同行されたということです」。娘の向上心をうれしく思い、つい一緒に出かけてしまうーーそんな姿が想像できたのだ。  女性皇族は「天皇及び皇族以外の者と婚姻したときは、皇族の身分を離れる」と皇室典範に定められている。だから愛子さまはいずれ、皇室の外に出る。その一方で「女性宮家」については国会での審議が待たれていて、仮に創設されれば愛子さまがその対象になることは間違いない。そのようにどっちつかずな立場に置かれている愛子さまが、ひとりの親としてはさぞや不憫だろう。だが愛子さまは健気にも、皇室の近現代史への興味を示している。陛下はさぞやうれしかったに違いない。そう思うと、翌日の「予定外の同行」が一層ほほ笑ましく感じられるのだ。 夫婦そろって出国する小室眞子さんと圭さん  ここから秋篠宮家の父と娘に目を転ずる。11月30日、57歳の誕生日に合わせての記者会見で、秋篠宮さまは長女の小室眞子さんの近況について尋ねられた。夫の圭さんが10月にニューヨーク州の司法試験に合格したことを受け、加地隆治皇嗣職大夫が「(ご夫妻が)お喜びであるというご様子とお見受けしています」と語った。だから喜びの言葉があっても不思議はなかったが、秋篠宮さまはこう述べた。 <長女のことですけれども、これは本人が近況などについての自分のことについては話をするのは控えてほしいということを申しているようですので、私もここではお話を控えることにいたします>  会見で秋篠宮さまは「皇室の情報発信」について、正確でタイムリーであることが必要と言及していた。そうであれば眞子さんの生活についても発信すべきではないか。そんな識者のコメントを紹介するメディアもあった。  が、そういう話より前に、この言葉を秋篠宮さまと眞子さんの関係がよくない証拠かのように扱うメディアが多かった。「控えてほしいということを申しているようですので」と婉曲的な表現を秋篠宮さまは使った。他人について「~なようだ」と表現するのは珍しい話法ではない。だが、何につけ良くない方向で読み解かれる。それが今の秋篠宮家だ。  秋篠宮さまと眞子さんの関係がスムーズではなかったことは、ジャーナリストの江森敬治氏の著書『秋篠宮』からも伝わってくる。秋篠宮さまとの37回に及ぶ面会から、眞子さんの結婚までの過程を丁寧に追った本書で、「夏が過ぎ、秋となった。眞子内親王は、父親と結婚問題について話し合うことはなかった」というくだりがある。   【こちらも話題】 佳子さま「ブラジル訪問」の絶妙なタイミング  “ほほ笑みのプリンセス”が眞子さんから受け継いだバトン https://dot.asahi.com/articles/-/258347  18年8月に圭さんがアメリカ留学した直後の記述で、それ以後も話し合いがもたれたという記述はない。きっと今も、そのような関係なのだろう。秋篠宮さまの心労はいかばかりかと思うと同時に、「父と娘とはそんなもの」という感想もわいてくる。 笑顔の内親王時代の眞子さん  多くの娘は成長するにつれ、異性である父親と距離を取るようになる。自分もそうだったし、それを世間は「親離れ」と呼ぶ。「未来の夫」が現れれば、父よりその男性を優先する。こちらもよくある話だろう。  眞子さんの結婚は、こじれにこじれた。結果、眞子さんが選んだのは、「儀式なし、一時金辞退」という「皇室としては類例を見ない結婚」だった。こうして退路を絶ち異国に赴いた2人なのに、メディアもSNSもまだ好奇の目で追いかけている。そういう状況で「自分たちのことを話さないで」と父親に伝えることは、ごく自然な成り行きだと思う。そして秋篠宮さまがその意志を尊重したのは、娘への愛があるから。そう私は受け取った。  ちなみにこの会見で秋篠宮さまは、佳子さまの公務に助言をしているかという質問も受けている。「何か聞かれればそのときに私の意見を言うことがあります。恐らくそれぐらいだと思います」が答えだった。自分でない人に関わることは、ごく抑制的に語る。それが秋篠宮さまの流儀なのだと理解した。が、これも「娘との距離」と解釈される。それが秋篠宮家、と繰り返しになる。  もう一つ、この会見で私は、「秋篠宮さまは良い上司だな」と感じた。長く組織で働いてきた者として、私は皇室を女性皇族にとっての職場ととらえ、あれこれ考えている。「公務=仕事」だから、「皇室=職場」。だが、先述したように女性皇族は「結婚したら身分を離れる」ことが定められていて、それ以外の定めはない。結婚退職だけが決められている職場に帰属意識を持てと言われても、それは難しいだろう。眞子さんがひたすら結婚を望んだ根底には、そのことがあると思っている。そういう問題をはらみつつ、昨今の佳子さんは公務に邁進している。聞かれた時だけ助言をくれる、つまり部下を信頼してくれる、良い上司がいるからだと思う。  最後に、陛下と愛子さまの話に戻る。眞子さんと秋篠宮さまの関係を「親離れ」ととらえれば、陛下と愛子さまにもいずれそういう日は来るだろう。そう思う一方で、陛下と愛子さまの関係は変わらないのではないか、そんなふうにも感じている。  お忍び訪問の5日後、12月9日に雅子さまは59歳のお誕生日を迎えた。その日に公表された「ご感想」で雅子さまは、皇太子殿下(当時)と結婚したのがちょうど29歳半の時で、それから29年半が過ぎ、いつの間にか人生の半分を皇室で過ごしてきた、と振り返った。そして、こう続けた。 <これまでの人生を思い返してみますと、(略)本当に様々なことがあり、たくさんの喜びの時とともに、ときには悲しみの時も経ながら歩んできたことを感じます>  「悲しみの時」という言葉に心が揺さぶられた。「適応障害」という病名が公表されたのは、愛子さまが生まれて2年余り経った時だった。その時、雅子さまの苦しみのありかをきちんと理解していたのは、皇太子さま(当時)だけだったのではないだろうか。それから19年、常に雅子さまの苦しみに寄り添い、喜びを共にしてきたのは陛下と愛子さまだ。私の心には、肩を寄せ合うように生きる陛下と雅子さまと愛子さまの姿が常にある。だから陛下と愛子さまの関係は、そう簡単には変わらない。そう思えてならない。  というわけで、天皇家の父と娘、秋篠宮家の父と娘、その違いについて書いてきた。どこの親子も違うものだから、違って当然だ。が、この二組の父娘の場合、違いの根底あるのは女性皇族の生きづらさだ。そのことは忘れず、考えていかねば。そのように思う年の瀬だ。   【こちらも話題】 佳子さま方は「百合」の宝冠 「フェニックス」のティアラをご希望の女性皇族は? 製作した工房が明かすプリンセスの宝冠 https://dot.asahi.com/articles/-/245674
「あんぱん」で朝ドラデビューの「妻夫木聡」 20年前の“平成イケメン”姿が最強と話題
「あんぱん」で朝ドラデビューの「妻夫木聡」 20年前の“平成イケメン”姿が最強と話題 NHK連続テレビ小説「あんぱん」に6月6日放送の第50回から登場した妻夫木聡  放送中のNHK連続テレビ小説「あんぱん」に6月6日放送の第50回から登場した妻夫木聡(44)。同作には江口のりこがメインキャストで出演していることから、2003年公開の映画「ジョゼと虎と魚たち」を思い出した視聴者も少なくなかったようだ。 「あんぱん」は、「アンパンマン」の作者・やなせたかしさんの妻・小松暢をモデルにした主人公・朝田のぶ(今田美桜)の人生を描くオリジナル作品。妻夫木が演じるのは、やなせたかしさんをモデルにした嵩(北村匠海)が所属する連隊の上等兵・八木信之介で、妻夫木にとって意外にもこれが朝ドラデビュー作となる。  八木の初登場シーンでは、出征したばかりの嵩に「姿勢を正せー!」「気を引き締めろー!」と活を入れる厳しい表情が印象的。ネット上では「ついにブッキー登場! 『あんぱん』がますます楽しみになった」「妻夫木さんの上等兵姿が似合いすぎ。いい年の取り方してるなあ」などと好意的な声が相次いだ。  一方、「あんぱん」はこれまで嵐・二宮和也、加瀬亮、竹野内豊といった大物男性俳優が登場しては、彼らが演じた役柄はドラマ開始時にすでに死んでいたり、病死したりと命を失っているため、「八木上等兵は死なないでー」「まだ竹野内豊ロスを引きずってるから、妻夫木聡には生き残ってほしい」などと八木の安否を心配する声も散見される。エンタメ誌の編集者が話す。 「『あんぱん』は40、50代の大物イケメン俳優の“退場”が続いたため、一部で妻夫木さんに『また出なくなってしまうのでは?』と心配する視聴者もいるようです。しかし、八木上等兵の史実モデルの一人はサンリオの創業者で現在は名誉会長を務める辻信太郎氏だという説もあり、これが本当なら嵩とは長く関わっていくのではないでしょうか。  なお、のぶの母役を演じる江口のりこさんは、かつて『ジョゼと虎と魚たち』で妻夫木さんと濃厚なラブシーンを演じて話題になりました。そのため、今回の2人の共演を受けて『ジョゼ虎を思い出した』と懐かしむ視聴者もいたようですね」 読モから芸能界へ  妻夫木といえば、高校時代に学生ファッション雑誌「東京ストリートニュース!」で読者モデルとして人気を博したほか、1997年に受けたナムコ(現・バンダイナムコエンターテインメント)主催のオーディションでグランプリに輝き芸能界入り。98年放送のフジテレビ系「すばらしい日々」で俳優デビューを果たすと、2001年公開の映画「ウォーターボーイズ」で大ブレイクを果たし、「日本アカデミー賞」の常連俳優となった。  過去の印象的な出演作について、ドラマライターの北村有氏が振り返る。 「やはり妻夫木さんといったら04年に放送されたTBS系ドラマ『オレンジデイズ』の結城櫂役でしょう。柴咲コウさん演じる聴覚障がいがある沙絵と心を通わせていく過程で見せたまっすぐな正義感と優しさに、世代を問わず多くの視聴者が心を掴まれました。同作で演じた青春の輝きと人生の迷いを同時に抱えるリアルさが、以降のキャリアにおける“人物像の深み”につながっているのではないでしょうか。  また、22年公開の主演映画『ある男』では、他人の人生を生きた男の秘密を追う弁護士・城戸章良を演じ、正義と疑念の狭間で揺れる人間を重層的に表現していました。優等生のイメージを超えた“葛藤する大人の男”を体現し、演技派俳優としての地位を決定づけるきっかけとなったと思います」   20年前の姿に「ビジュ強っ」  最近では、先月31日にフジテレビ系「世にも奇妙な物語35周年SP~伝説の名作 一夜限りの復活編~」で20年前の妻夫木主演作「美女缶」がリバイバル放送され、SNS上で「妻夫木のビジュ強っ!」「平成イケメンは、やっぱりブッキーが最強」といったコメントがあふれることに。 20年前、2005年頃の妻夫木聡  また、現在は9月19日公開予定の主演映画「宝島」の全国キャラバンに奔走しており、今月には沖縄県那覇市の中学校をサプライズ訪問して生徒32人とハグや握手も。加えて、同県のプレミア試写会でも観客340人全員に妻夫木が“宣伝アンバサダー”の名刺を手渡しする会をサプライズで行っており、ファンとの交流に積極的だ。彼が長年トップ俳優であり続け、好感度が揺るがない理由について前出の北村氏が語る。 「20代から第一線で活躍し続けてきた妻夫木さんは、まさに平成の王子様的な存在としてアイドルのような人気ぶりでしたが、30代以降は『日本を代表する演技派俳優』へと自然に移行していった印象があります。コミカルからシリアスまで幅広い役を演じられる柔軟さに加え、人間味と親近感あふれる笑顔、そして誠実な佇まいが老若男女問わず愛される理由なのではないでしょうか。加えて、見た目の印象だけでなく、その変わらない“芯の優しさ”を視聴者が感じ取っているのだと思います」 「あんぱん」でも、その姿が「かっこよすぎる」と視聴者を沸かせた妻夫木。圧倒的な存在感で朝ドラを彩りそうだ。 (小林保子)
愛子さま、「斜め45度」の美しさ 30年前の雅子さまに「そっくり!」の瞳と向日葵のような笑顔
愛子さま、「斜め45度」の美しさ 30年前の雅子さまに「そっくり!」の瞳と向日葵のような笑顔 大阪・関西万博会場の「EARTH MART」に到着した愛子さま。赤のリップが美しく映える。後ろの襟を立ち上げてボリュームを出したデザインは、母の雅子さまもお好みだった=2025年5月9日午後3時28分、大阪市此花区  ここ最近、愛子さまの佇まいや装いが、「雅子さまにそっくり」と、話題を集めている。6月の天皇ご一家による沖縄訪問では、初日のおふたりの淡いブルーグレーのスーツや2日目の「モンステラ」柄のかりゆしワンピースは、まるでおそろい。また、5月の関西・大阪万博では、愛子さまの水色のパンツスーツ姿は、雅子さまと重なるものだった。実は、若い頃の雅子さまの写真をふりかえると、その笑顔は愛子さまとそっくり――。 *    *    * 「沖縄や大阪・関西万博ご訪問など、このごろニュース映像で愛子さまを拝見するたびに、若き日の皇后さまを思い起こさせるお顔立ちで、懐かしく感じました」  そう穏やかに話すのは、平成の時代に皇室に仕えた人物。  特に、笑顔を見せられたときに、目じりが三日月型にふんわり下がり、口元を大きめにあけた自然な笑顔がよく似ていらっしゃる、と話す。  笑顔で手を振るのは、お妃教育を終えて自宅の小和田邸前に戻った小和田雅子さん(皇后雅子さま)だ。  3月から始まったお妃教育は、宮中祭祀や儀礼、皇室制度、憲法・皇室典範、書道、和歌のつくりかたなど、皇族としての基礎知識を身につける8科目を合計50時間かけて行われた。  1987年に入省した外務省時代には日米貿易摩擦問題や米国務長官の通訳といった機微な案件にも取り組んでいたが、お妃教育にはまた異なる難しさがある。  この日は、翌日にお妃教育「卒業」をひかえ、向日葵のような笑顔を見せた。 羽田空港に到着し、出迎えを受ける天皇、皇后両陛下の長女愛子さま=2025年6月5日午後8時59分、羽田空港  ふんわり下がる目尻と、見る人が幸せになるような明るい笑顔――。 「沖縄訪問を終えて羽田空港に到着した愛子さまの笑顔がまさに、この表情です」  愛子さまが公務に臨む際には、なるべく奉迎に向かうと話す60代の女性も、熱っぽく語る。  そっくりなのは、笑顔だけではない。沖縄で、おふたりともブルーグレーのスーツや「モンステラ」柄のかりゆしワンピースをお召しの場面では、所作や佇まいも重なった。 宮内庁によるお妃教育を終え、自宅に戻った小和田雅子さん(皇后雅子さま)= 1993年04月26日、東京・目黒区南1丁目     オーストラリア・ニュージーランド訪問の旅で、授業で日本語を教えるシドニー近郊の公立ノースブリッジ小学校を皇太子さま(当時)と訪れた雅子さま=2002年12月、シドニー、JMPA 「愛子さまのメイクが大人っぽくなられました。ふと、皇后さまの若いころの写真を拝見すると、ほほ笑む目もとやお鼻の形、口元や佇まいまでうりふたつでいらっしゃる」  たとえばご結婚の翌々年の中東ご訪問で、おふたりはヨルダンのハッサン皇太子夫妻を表敬訪問した。豪華なローブモンタントのドレスをお召しの雅子さまと、この5月に関西・大阪万博ご訪問時の愛子さまは、ともに赤のリップがよく映えて優雅。  2002年の豪州訪問。ハワード首相(当時)との昼食会のため、首相官邸・キリビリハウスに皇太子さま(当時)とともに招待された雅子さまは、生き生きとした表情を見せている。   そして24年春、愛子さまは初めて園遊会に臨んだ。おふたりとも、やや緊張感のある顔つきながらも、やわらかな目元と口元が印象的。 「おふたりは、とくに斜め45度からのお鼻やあごのラインがよく似ていらっしゃる」  そう話すのは、前出の女性。確かに、うつむき加減の写真などからは、おふたりとも独特の優しい雰囲気がにじんでいる。   2024年の秋の園遊会で、愛子さまは最高の技術を持った職人の手による手描きの京友禅をお召し。斜め45度のうつむき加減のお顔からは、独特の優しい雰囲気が伝わり、母の雅子さまと重なる=2024年10月30日、赤坂御苑、JMPA  たとえば、02年の豪州訪問で見せた雅子さまと、24年秋の園遊会で招待客と丁寧にやり取りを続け接遇をした愛子さまの面差しには、どちらも相手へ向ける穏やかさがある。  愛子さまは、社会人と成年皇族として公務に本格的に取り組む生活も2年目に入った。  海外の賓客を招いての晩餐会や午餐(昼食会)や大きな皇室行事の経験を積むごとに、所作や佇まいも洗練されている。凜としたたたずまいのなかにも、大人の女性らしい深みと華やかさがにじむ愛子さまの姿は、昔の雅子さまによく重なる。 (AERA 編集部・永井貴子)                                                                                                                                                                                                                                                                  
「南野陽子」客員教授は定員割れ大学の救世主? 私生活でいろいろあっても…40年間も第一線で活躍できるワケ
「南野陽子」客員教授は定員割れ大学の救世主? 私生活でいろいろあっても…40年間も第一線で活躍できるワケ 6月23日で58歳になる南野陽子。15日には、40周年にして初めてオフィシャルファンクラブを開設した  6月23日に58歳の誕生日を迎える俳優の南野陽子(57)。約1年半前に前夫と離婚したことで、業界内では「クリーンなイメージに好転した」との声も聞かれる。  南野は今月、かつて在籍した兵庫県の松蔭中学校・高等学校の系列校である神戸松蔭大学の客員教授に就任。2日に行われた調印式では、報道陣を前に「皆さん、私に何ができるんだと思われていると思います。私も本当にそう思います」と自虐的に語り、「学生さんたちよりも私のほうが学ぶことが多いんじゃないでしょうか」などと謙虚にコメントした。  同大学は4月の男女共学化に伴い、文学部の英語学科を「グローバルコミュニケーション学科」と名称変更。異文化理解の強化を目指す中で、メディア分野での経験が豊富な上、2023年から日本とカンボジアの交流を促す親善大使を務める南野に白羽の矢が立ったようだ。  一方、同大学は近年、慢性的な定員割れが続いていたことから、ネット上では「藁をもつかむ思いで、有名人の南野陽子に依頼したのでは?」「ナンノ先生は客寄せパンダ?」といった声もあり、今後の“ナンノ効果”が期待されそうだ。芸能ジャーナリストの平田昇二氏が話す。 「南野さんは学生時代を神戸で過ごし、08年から出身地である兵庫県伊丹市の大使も務めていますから、そうした縁でオファーを快諾したのでしょう。話題作りといった声も一部ではありますが、そうした側面があったとしても、南野さんのこれまでの経験やキャリアで培った知見などを異文化交流や多文化理解に関心のある学生に伝えることは、それなりに有意義なことだとは思います」   前夫の逮捕、そして離婚  南野といえば、芸能界デビューするため高校在学中に上京し、東京の堀越高等学校に編入。1985年から主演を務めたフジテレビ系ドラマ「スケバン刑事II 少女鉄仮面伝説」の2代目・麻宮サキ役で大ブレイクを果たすと、80年代後半を代表するトップアイドルに上りつめた。  また、近年は2020年放送のTBS系ドラマ「半沢直樹」第2シリーズや21年放送の日本テレビ系ドラマ「ネメシス」などの話題作に出演。現在は伊野尾慧と伊原六花がダブル主演を務めるフジテレビ系「パラレル夫婦 死んだ“僕と妻”の真実」に主人公の母親役として出演した。エンタメ誌の編集者が語る。 「当時、中山美穂さん、浅香唯さん、工藤静香さんと共に『アイドル四天王』と呼ばれた南野さん。人気絶頂の1988年に主演を務めたフジテレビ系ドラマ『熱っぽいの!』では看護師役を演じ、2番手の村上弘明や3番手の中村繁之といった二枚目が演じる役ではなく、田代まさし演じる脇役の医者とくっつくという、大どんでん返しが話題になったこともありましたね。デビューから40年たった現在も第一線で活躍できているのは、華のある存在感や演技力はもちろん、愛嬌のある謙虚な人柄も理由なのでしょう」  一方、私生活では43歳だった2011年に4歳年下の会社経営者の男性と結婚。しかし、直後から夫に関する巨額の金銭トラブルや女性スキャンダルが幾度となくマスコミによって報じられることに。  案の定、世間からは南野に対し「なぜ離婚しないのか?」との疑問の声が相次いでいたが、23年に静岡県の社会福祉法人の口座から約1500万円を横領した業務上横領容疑で夫が逮捕されたことで、ついに12年8カ月の夫婦生活にピリオドを打った。   今年はデビュー40周年  結婚時は夫の報道に悩まされ、自身にもダークなイメージが多少つきまとっていた南野だが、18年のNHK大河ドラマ「西郷どん」に幾島役で起用されるなど、芸能活動だけ見るとあまり支障がないように思えた。  とはいえ、夫の逮捕後もずるずると婚姻関係を続けていたとしたら、今回の客員教授の話はもちろん、今年5月に就任した京都府舞鶴市の親善大使のオファーや、現在のテレビでの活躍もなかっただろう。前出の平田氏が言う。 「南野さんは22年末に大手芸能事務所から独立し、翌23年11月に離婚を発表しましたが、離婚前後で活躍に大きな変化はないように思います。今月にはBS日テレで南野さんが審査員を務める韓国のオーディション番組『現役歌王JAPAN<女子日韓歌王戦>』の放送が始まりましたが、今年はデビュー40周年ということもあり、さらに存在感を放ちそうです」  6月15日にオフィシャルファンクラブ「Nanno Club part5」を開設し、7月には40周年記念全国ツアーが東京・NHKホールからスタートする南野。癒やし系の笑顔と挑戦を続けるパワフルな姿に元気をもらえるファンは多そうだ。 (小林保子)
「あんぱん」次郎役「中島歩」に“朝から癒やされる!”の声 実は“国木田独歩”の玄孫という俳優の素顔
「あんぱん」次郎役「中島歩」に“朝から癒やされる!”の声 実は“国木田独歩”の玄孫という俳優の素顔 中島歩(写真:REX/アフロ)    毎朝、豪華な俳優陣が出演するNHK連続テレビ小説「あんぱん」。そんな中で、視聴者の癒やしとなっているのが、ヒロイン・のぶの夫である次郎を演じる俳優の中島歩(36)だ。物腰が柔らかく心やさしい次郎は、絵に描いたような好青年だ。  第48回(6月4日放送)では、太平洋戦争に勝てないと冷静に情勢を見ている航海士の次郎の姿が描かれる。一方、のぶは生徒に愛国精神を教える教師という立場。のぶから「日本が勝つ」と強い口調で反論されると、「分かったき。君の生徒らあの気持ちが少し分かった」とのぶの肩を抱き寄せ、「教室では、いつもそんな風に勇ましく教えゆうがやろうな」と、のぶの立場を理解して抱きしめる包容力を見せた。このやりとりにSNSでは「次郎さん…かっこえーなぁ」「世界中に行っていた次郎さんは、この戦争に勝ち目がないことにはようから気づいてたんやろうね」などの声が飛び交っていた。 「のぶ(今田美桜)は嵩(北村匠海)の妻になるという将来を私たち視聴者は知っているため、次郎が登場した際、どうせ振られてしまうだろうと大勢の人が思っていたと思います。予想通りのぶは一度、縁談を断ります。ところが次郎の考え方や雰囲気が、早くに亡くなった父親の結太郎(加瀬亮)に似ているため、次第に引かれていき、大方の予想を裏切り結婚に至りました。視聴者からは『のぶさん、嵩と一緒になる前実際も1度結婚してたのね』『次郎さん死んでしまうのだろうか』など、驚きと今後を憂う声が多くあがっていました。端役だと思われていた次郎さんですが、長身で端正な顔立ちに渋い低音ボイスと、その存在感は抜群。優しい役柄も相まって、特に女性視聴者を魅了しています」(テレビ情報誌の編集者)  一方で、ドラマでは戦況が悪化し、次郎の乗っていた船も徴用されるなど、のぶとの別れを予感させるシーンが増えている。SNSでも「これ、完全に退場するやつじゃん…」「見るのが怖い」との声が上がっており、次郎ファンをやきもきさせているようだ。 中島歩(写真:REX/アフロ)   素はおっとり口調の「ゆとり世代」  この次郎役でお茶の間での知名度を上げつつある中島だが、実は「武蔵野」などで知られる文豪・国木田独歩の玄孫なのだ。学生時代から多才で、高校時代はバンドや漫才に挑戦し、大学に入ってからは落語研究会に所属していたという。その後、モデル活動を経て俳優となった。 「中島は美輪明宏さんの主演舞台『黒蜥蜴』のオーディションで約200人の中から雨宮潤一役に選ばれ、2013年に同舞台で俳優デビューを果たしました。その後、すぐに朝ドラ『花子とアン』に出演。ヒロインの親友と駆け落ちする恋人役を演じて爪痕を残しました。ただこの時、本人的には満足がいく演技ができなかったようで『すごく大事な役なのに下手さばかりが注目されて、これじゃダメだっていうのはすごくありましたね。たまに再放送がありますが、本当にやめてほしいです(苦笑)』と過去のインタビューで明かしていました」(同)  近年でも、話題作に多数出演している中島。昨年は「不適切にもほどがある!」(TBS系)で、昭和の中学教師・安森役に抜擢。個性的な髪形や昭和の服装がハマり、ダンスや歌のシーンではコミカルな演技で視聴者を魅了した。 「一方、中島が出演した配信ドラマ『ガンニバル』のシーズン2では、ぼさぼさの長髪にメガネという風貌で、反逆者を処刑する狂気的な役柄を演じきっています。SNSでは安森と同じ俳優が人物が演じているとは思えないという声が多くあがっていました。また実はCMにも多く出演していて、長澤まさみとのコミカルなやりとりが人気の『蚊に効く虫コナーズプレミアム』の相手役も実は中島です。役柄によってまったく違う雰囲気を醸し出すので、気づかない人もいるようですが、逆に言うとどんな役も幅広く演じられるということです」(同)  また、役柄や演技とのギャップを感じさせる“素”の姿もまた魅力となっている。5月22日に生出演した「あさイチ」(NHK)では、話し方があまりにスローテンポだったため、視聴者を驚かせた。MCの博多華丸大吉が「ドラマと口調が全然違う」「こんなにおっとりしてるの?」と突っ込むと、中島が「ゆとり世代ですから」と返答。スタジオは笑いに包まれた。その後も「セリフはなぜ早くしゃべれるんですか?」という問いに「いや、そりゃ仕事ですから」と回答していた。このやりとりはSNSでも話題となり、「ドラマとのギャップがすごい」と、違った一面でファンを喜ばせた。 時代劇も似合うスタイルの良さ  今年だけですでに5本の映画に出演し、フジテレビの7月期のドラマ「愛の、がっこう。」への出演も発表された中島。また、来年の大河ドラマ「豊臣兄弟!」でも浅井長政役での出演が決定している。そんな売れっ子の中島について、エンターテイメントジャーナリストの中村裕一氏はこう述べる。 「『あんぱん』では渋みと深み、さらに甘みのあるバリトンボイスで、ゆっくりと丁寧に妻・のぶに語りかける姿がとても印象的でした。一昨年にNHK総合で放送されたスペシャルドラマ『アナウンサーたちの戦争』でも、戦時下においてもアナウンスは中立性・冷静さを守るべきだと主張するアナウンサー役を演じており、落ち着いた役柄が彼の魅力をより一層引き立てていました。一方で、『ふてほど』で見せたコミカルな演技や表情にも独特の味があり、俳優としてのキャパシティーの広さを感じさせます。モデルとして活動していただけあってスタイルが抜群に良いので、現代劇もいいのですが時代劇や明治・大正・昭和初期を舞台にした作品がより似合うのでは。身長184cmという恵まれた体格を存分に活かし、海外作品などにもっと積極的にチャレンジしてもらい、ワールドワイドなブレークを目指してほしいですね」  好青年から狂気的な役まで演じられる表現力と、天然っぽいトーク力が共存する中島。これからより一層映画やテレビで見る機会が増えそうだ。 (高梨歩)
デヴィッド・ベッカム氏に英王室が「ナイト」の称号 ヘンリー王子が激怒したワケ
デヴィッド・ベッカム氏に英王室が「ナイト」の称号 ヘンリー王子が激怒したワケ 2019年2月25日、モロッコを訪問したヘンリー王子とメーガンさん。このとき、メーガンさんは第一子のアーチ―王子を妊娠中だった(photo ロイター/アフロ) メーガンさんと「ベイビーママ・ダンス」  メーガンさん(43)は先日、自身のSNSに第2子のリリベット王女(4)の出産直前に、アメリカ・カリフォルニア州の病院内と思われる分娩室でダンスをする動画を公開した。動画には、出産予定日を過ぎても産まれる気配がないために陣痛を促そうと、メーガンさんが「ベイビーママ・ダンス」に合わせて腰を大きく回したり、足を左右に広げて深くしゃがんだりしている様子が映っている。また、ヘンリー王子(40)もメーガンさんにあわせて腰を振りながら画面を横切ったりする。  ヘンリー王子が2023年に出版した暴露本『スペア』には、リリベット王女の出産時に関して、「そこには愛と喜びしかなかった」という記述がある。長男のアーチー王子(6)の出産時はまだ英王室にいたので、大きなストレスがかかった。それに比べ、離脱後の出産はダンスができるくらい自由で楽しかったと打ち明けているのだ。2人の子どもの出産時の比較をしながら、英王室を批判し、アメリカでの方がずっと良いと強調しているのだ。 「下品極まりない」と批判殺到  ヘンリー王子がアメリカでの出産の素晴らしさを訴えても、今回の動画には批判が殺到した。メーガンさんは出産前なのにまだ病院服には着替えておらず、身に着けている黒いワンピースは後ろ開きだ。一般的に出産時には、前が開く服装の方が望ましいとされていることを知らなかったのだろうか。  また、出産前のおなかは固く張るものだが、メーガンさんが飛び跳ねるにつれておなかはゆるく形を変えて動く。またしても「妊娠・出産は本当か」との疑惑まで起きてしまった。 「見ていて恥ずかしい」「下品極まりない。一日も早く称号をはく奪してほしい」「夫婦のプライバシーを動画に収め、4年経っても忘れずに引っ張り出してきて、今、世界に公開する感覚が正気とは思えない」「2人には、人々の関心を集めるものがもう何も残っていないのだろう」などの声がわき起こった。  ただ、これは圧倒的にイギリスからの反応で、アメリカからは批判の声はあるものの、「2人に親近感を持った」という声もあがった。特に若い世代が、ヘンリー王子夫妻との距離が縮まったと明かしたりしている。それを受けてメーガンさんは今回の試みを「成功」と評価したそうだ。 2025年6月12日、イギリス・ロンドンで行われたキング財団賞授賞式に出席するチャールズ国王(中央)とその隣に立つデヴィッド・ベッカム氏。 女優のメリル・ストリープやケイト・ウィンスレットとともにカメラに収まった(photo アフロ) チャールズ国王が「2人は悲劇的な存在だ」  ちなみに、英王室は、ヘンリー王子とメーガンさんの言動について沈黙を貫く方針を続けているが、今回の動画については、チャールズ国王(76)は「2人は悲劇的な存在だ」と漏らしたそうだ。特にヘンリー王子が妻をたしなめるどころか、率先して腰をゆすって踊ったことに深い悲しみを感じたと伝えられた。  そんな父の気持ちを知らないのか、ヘンリー王子はイギリスでの警護を求めた裁判の控訴院で敗訴したことにいまだに悔しさをにじませているそうだ。さらに「敗訴すると誰かが注意してくれれば、裁判などやらなかったのに」と繰り返して、顰蹙(ひんしゅく)をかっている。英王室関係者は「ヘンリーは子どもの時から自分の行動に責任を取らないで、いつもだれかのせいにしてきた」と批判している。  ヘンリー王子が、さらに不快に思っているのは、自分と疎遠になったデヴィッド・ベッカム氏(50)にチャールズ国王からナイトの称号が与えられ、それにより「サー」と名乗ることが許されたことだ。妻のビクトリアさん(51)も同時に「レディ」の称号が与えられ、「レディ・ベッカム」と名乗ることができる。 2018年5月19日、セントジョージ礼拝堂で行われたヘンリー王子とメーガン妃の結婚式に出席したヴィクトリア・ベッカムとデビッド・ベッカム夫妻(photo ロイター/アフロ) ベッカム氏は結婚式にも出席しているが…  ベッカム氏はサッカー選手として活躍し、引退後はスポ―ツ関係の大使などを務め王室への寄付なども続けてきた。イギリス国内での人気は衰えることなく、ウィリアム皇太子(42)とヘンリー王子それぞれの結婚式に招待されている。22年のエリザベス女王の葬儀では、特別扱いを断り、12時間以上立って列に並び、女王の棺に深く頭を下げた姿が話題になった。現在は、長男ブルックリン夫妻との仲がこじれているが、名誉あるナイトの称号を手にしたことをきっかけに親子の関係が修復されるよう願う人は多い。だが、ヘンリー王子だけは、この対応に憤慨。国王が自分に嫌がらせをしていると怒りが収まらないという。  一方、メーガンさんは、抜本的な事業転換を計画。ホスピタリティ業界への転身を検討しているという。自分の「アズ・エバー」ブランドにホテルとレストランを追加する計画を立てており、「アズ・エバー」を「ホスピタリティサービス」として商標登録する予定だ。ホテルでは「アズ・エバー」の製品を提供し、「ウィズ・ラブ、メーガン」で披露したメーガンさん自身の創作料理が供される。一般の反応は「また期待通り失敗するだろう」と冷ややかだが、本人は意欲満々であるそうだ。  (ジャーナリスト・多賀幹子)

カテゴリから探す