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【フジテレビ】世界中で大ヒットしたタイBL『Love in The Air』を日本版にリメイク!『Love in The Air-恋の予感-』地上波放送決定!
【フジテレビ】世界中で大ヒットしたタイBL『Love in The Air』を日本版にリメイク!『Love in The Air-恋の予感-』地上波放送決定! 主演:南雲奨馬、濱屋拓斗、鈴木曉、長妻怜央 嵐×雨+風×空 降り注ぎ、包み込む愛の物語 - 株式会社フジテレビジョン 6月16日(月)放送スタート毎週月曜25時45分~26時15分放送(関東ローカル)https://fod.fujitv.co.jp/title/2022 (配信ページ) フジテレビが運営する動画配信サービスFODにて配信中の、タイBLドラマ『Love in The Air』の日本リメイク版となる『Love in The Air-恋の予感-』(略名、LiTA)が、6月16日(月)25時45分より地上波放送することが決定しました。 『Love in The Air-恋の予感-』原作:MAME/企画協力:Me Mind Y co., Ltd. & Magic Cube Entertainment Co., Ltd/(C)Love in The Air-恋の予感-制作委員会 タイBLドラマ『Love in The Air』は、人気小説「Love Storm」と「Love Sky」が一つの物語として生まれ変わり、Payu(嵐)、Rain(雨)、Prapai(風)、Sky(空)の4人が主役を飾る2022年に制作されたドラマです。突然の出会いが巻き起こす恋と、一夜の関係から始まる恋。嵐の訪れと共に、2組の激しくも優しい愛が展開していきます。 本作は、2023年の楽天TVのBLドラマ部門で販売本数年間ランキング1位を獲得するなど、数多くの視聴者を魅了しました。世界中で大ヒットを記録し、今もなお根強い人気を誇る作品です。 日本リメイク版『Love in The Air-恋の予感-』で主演を務めるのは、南雲奨馬、濱屋拓斗、鈴木曉、長妻怜央という注目の若手俳優4名。作品の世界観を彩る彼らのフレッシュな演技と、キャスト同士の自然な化学反応が視聴者の心を掴み、好評を得ました。さらに多くの方にこの作品の素晴らしさを届けたいという想いから、この度、本作の地上波放送が決定しました。初めてご覧になる方はもちろん、すでにご視聴いただいた方にも改めて楽しんでいただける内容となっていますので、ぜひこの機会にご覧ください。 【ストーリー】 嵐が吹き荒れるある夜、大学生の玲(濱屋拓斗)は車の故障により道路の真ん中で立ち往生してしまう。困り果てた玲の前に現れたのは、バイクに乗った青年。慣れた手つきで車を修理し、名乗ることなくその場を去ってしまう。 助けてくれた彼のことがずっと頭から離れない玲は、同じ学部の友人・快(長妻怜央)がうんざりするほどあの夜の出来事を聞かせ、憧れを募らせていた。 そんな折、2人が通う建築学科に伝わる“伝説の先輩”の話を玲は耳にする。そしてその先輩こそ、あの日自分を助けてくれた彼・嵐士(南雲奨馬)だったことを知るのだった。 学部の先輩との集まりで再会を果たした2人だったが、嵐士は玲のことを「覚えていない」と言い、玲はがっかりしてしまう。 しかしその日の帰り道、またしても車の故障で動けなくなった玲は再び嵐士に助けられ彼の自宅へ行くことに。そこでなんと嵐士は修理代と称し身体を要求、玲は嵐士の色気に抗えず危うく受け入れてしまいそうになる。 何とか理性を取り戻した玲は嵐士をはねのけ、その場を乗り切るのだった。 しかしその後も玲の目の前に現れ、修理の対価を求める嵐士。なんとか回避するも、苛立ちが収まらない玲は仕返しをするため快を連れて嵐士が参加する違法のバイクレース開催会場に忍び込む。 しかし厳重に警備された会場でピンチに陥った玲を救ったのは、またしても嵐士だった。そして騒動に巻き込まれた友人の快もまた、そこで風磨(鈴木曉)と最悪な出会いを果たすのだが… ◇ ドラマ概要 ■タ イ ト ル: 『Love in The Air-恋の予感-』 ■放     送: 6月16日(月)25時45分~放送開始(関東ローカル)   以降、毎週月曜25時45分~26時15分放送予定  ※放送日時は予告なく変更となる場合があります。予めご了承下さい ■配     信: FODにて全話独占配信中 ■オリジナル原作: 『Love in The Air』(タイ) ■メインキャスト: 早瀬嵐士 役 / 南雲奨馬 雨宮玲 役 /濱屋拓斗  河合風磨 役 /鈴木曉(あさひ)  空野快 役 /長妻怜央 ■ス タ ッ フ: 監督/脚本:畑中みゆき 脚本/監督:灯敦生 音楽:柴田晃一 ■U   R   L: http://www.loveintheair.jp (オフィシャルページ) https://fod.fujitv.co.jp/title/2022 (配信ページ) https://x.com/LoveinTheAirKOI (公式Xアカウント) ◇ FOD 概要 「FOD」とはフジテレビが運営する公式の動画・電子書籍配信サービスです。「FODプレミアム」では、ドラマ・アニメ・バラエティ・映画など最新作から過去の名作まで100,000本以上の対象作品が月額976円(税込)で見放題。また、200誌以上の雑誌も特典で読み放題となります。さらに漫画など電子書籍も700,000冊以上の豊富なラインナップからお楽しみいただけます。会員登録不要の「FOD 見逃し無料」では、人気テレビ番組を放送後期間限定で配信。無料で気軽にご利用いただけます。テレビ局ならではのエンターテイメント体験を提供しています。 ■URL:https://fod.fujitv.co.jp/
ピッコマノベルズ、さらなる飛躍へ!『第2回ピッコマノベルズ大賞 THANKS CEREMONY』で未来の物語を拓く
ピッコマノベルズ、さらなる飛躍へ!『第2回ピッコマノベルズ大賞 THANKS CEREMONY』で未来の物語を拓く ノベル作品からのSMARTOON(R)︎化の更なる強化に加え、新たな取り組み発表 - 株式会社カカオピッコマ ・「第2回ピッコマノベルズ大賞 THANKS CEREMONY」内にて、新たな取り組みを発表 ・SMARTOON化の更なる拡大に加え、新たにコミカライズと新ノベル連載プロジェクトを開始 ・現在開催中の「第3回ピッコマノベルズ大賞」では、1次審査通過で連載確約、年間最優秀賞は賞金1000万円+SMARTOON化確約で作品を募集中 ・ピッコマ内にピッコマノベルズ専用ページを新設し、作品紹介やお得なイベント情報など、様々なコンテンツを提供 株式会社カカオピッコマ(本社:東京都港区、代表取締役社長:金 在⿓)が運営する電子マンガ・ノベルサービス「ピッコマ」は、2025年6月14日(土)に「第2回ピッコマノベルズ大賞 THANKS CEREMONY」を開催いたしました。 「第2回ピッコマノベルズ大賞 THANKS CEREMONY」とは、同コンテストにて1次審査を通過し、ピッコマでノベルを連載中の作家の方々を招待し、日頃の感謝の意をお伝えする会です。イベントでは、年間最優秀賞を含む全7作品への授賞式も行われました。 また、コンテスト運営事務局から、ピッコマノベルズの今後の取り組みやラインナップが発表されました。今後ピッコマノベルズでは、連載作品のSMARTOON版の配信をさらに拡大するほか、新たにコミカライズにも取り組みます。さらに、ノベルコンテストの枠組みを超え、連載中の作家陣による新ノベル連載プロジェクトも開始致します。 今後のピッコマノベルズ大賞の取り組みについて1. SMARTOON版配信の拡大 今後、7作品のSMARTOON版配信を予定しており、コンテスト受賞作品にとどまらず、ピッコマノベルズの連載作品からのSMARTOON化をより積極的に拡大してまいります。 <配信予定> ・作品名:『穴うめ結婚~期限つき公爵夫人はくじけない~』 ・作家名:たちばな立花 ・制作スタジオ:シェルパスタジオ ・リリース予定日:6/24(火) ・作品名:『いらっしゃいませ さようなら 旦那様』 ・作家名:瀬里 ・制作スタジオ:シェルパスタジオ ・リリース予定日:8/31(日) <鋭意制作中> ・作品名:『凪いだ夜に君は消えた。~離婚したはずの夫から逃げられない~』 ・作家名:兎月十紀人 ・作品名:『ハズレスキルだけど大丈夫!~今世は嫌われスキルで生き抜きます~』 ・作家名:鲁恒凛 ・作品名:『なにがなんでも婚約破棄したい悪役令嬢を、脳筋王太子は絶対逃がさない』 ・作家名:たてのよこ ・作品名:『旦那様、私に新しい夫をください!      ~原作に数行しか登場しない冷遇妻は修道院に行きたくない~』 ・作家名:豆啓太 <鋭意企画中> ・作品名:『無限称号のレベル1ハンター』 ・作家名:台東クロウ 2. コミカライズの開始 SMARTOON化を主軸としつつも、作品毎の特性に合わせてコミカライズにも取り組んでまいります。 <鋭意制作中> ・作品名:『真面目な悪役令嬢は国外追放を希望します』 ・作家名:和泉 ・作品名:『病弱な?傷物令嬢の秘密の結婚~あなたを幸せにするために~』 ・作家名:魯恒凛 3. 新ノベル連載プロジェクトがスタート ピッコマノベルズの連載作家による、コンテストの枠を超えた完全オリジナル新作がピッコマノベルズから配信開始となります。 <6月配信作> ・作品名:『半年後に死ぬのに、暴君陛下を虜にしてしまった』 ・作家名:朧月あき ・リリース予定日:6/19(木) ・あらすじ: 「死ぬな、カエナ。おまえのいない世界など、もはや俺には考えられない」――私を殺すはずの暴君夫の様子が、なんだかおかしい!?  皇妃カエナは、あるときここが前世で読んだ小説の世界だと気づく。彼女は夫である皇帝ザリウスに『半年後に死ぬ薬』を飲まされ、なぶり殺しにされるキャラだった。そこでカエナは解毒剤を服薬し、ザリウスにバレないよう死を回避。彼に信頼されて別荘に移り住み、半年後に薬の影響で死んだことにして逃げ出そうと計画する。だがザリウスに気に入られようと頑張るうちに、彼の態度が変わってきて……。 前世バリキャリの生贄皇妃が、愛を知らない凶悪皇帝に予想外に溺愛されるロマンスファンタジ―。 (C)︎ 朧月あき・さんば/ピッコマ ・作品名:『略奪婚を希望します』 ・作家名:たてのよこ ・リリース予定日:6/26(木) ・あらすじ: マチェロフ王国の王太子妃・アナスタシアは、優しい夫セルゲイとともに政務にあたり、平和な日々を送っていた。しかし、突然現れた伝説の “聖女”を夫の側妃として娶ることになり、アナスタシアの日常は一変する。無邪気で愛らしい聖女ソフィアに、夫や国王夫妻、王城の人々は心を奪われ、アナスタシアの居場所は徐々に失われていく。追い詰められた彼女の前に現れたのは、貿易交渉のため王国を訪れたガーランド帝国の若き皇帝・キリルだった。帝国へ帰国する前日、キリルはアナスタシアにささやいた── 「略奪、してあげましょうか?」 (C)︎ たてのよこ・cielo/ピッコマ <鋭意企画中> ・作家名:台東クロウ ・作家名:魯恒凛 ・作家名:塩羽間つづり ピッコマノベルズ大賞運営事務局からのメッセージピッコマノベルズ大賞では、受賞作に限らず積極的にSMARTOON化を検討するなど、より多くの方に作品をお届けできるよう力を尽くしてまいります。現在、「第3回ピッコマノベルズ大賞」にて作品を絶賛募集中です。皆様からの独創性溢れる物語のご応募を心よりお待ちしております。 「ピッコマノベルズ大賞」とは 電子マンガ・ノベルサービスの「ピッコマ」が主催する、国内最大級の賞金総額2,000万円のノベルコンテストです。1次審査を通過した作品はピッコマでの連載が確約され、年間最優秀賞には賞金1,000万円に加え、現在開催中の第3回ではSMARTOON化確約が副賞として贈られます。 「第3回ピッコマノベルズ大賞」は、2025年7月7日まで第3シーズンの作品を募集中です。さらに、第4シーズンの応募も2025年7月14日から2025年9月8日まで予定しています。詳細は、ピッコマノベルズ大賞ウェブサイトをご確認ください。 ピッコマノベルズ大賞 ウェブサイト 毎日お得に楽しめるピッコマノベルズ専用ページ新設2025年6月11日にピッコマに新設されたピッコマノベルズ専用ページでは、曜日ごとに更新される作品や特別キャンペーンなど、お得に楽しめる情報をまとめてご確認いただけます。また、連載中の作品を更新日当日にお得にお楽しみいただける特別なキャンペーンも開始いたします。更新日当日は、待てば¥0(R)(※1)の対象範囲が全話無料で読み放題に。さらに、最新話にも使える50%OFFクーポンをプレゼントいたします。この機会に、気になっていた作品や、最新のストーリーを存分にお楽しみください。 ピッコマノベルズ 専用ページ ※1 23時間待てば、「待てば¥0」アイコンの話が無料で読める機能です。 ピッコマについて 話題の人気マンガやノベル、オリジナル作品を、毎日待つだけで1作品につき1話を無料で読むことができる電子マンガ・ノベルサービスです。アプリ版「ピッコマ」は2016年4月20日のサービスリリース以来、累計5,000万ダウンロードを突破しております。※累計ダウンロード数は 2025年3月時点の iOS/Android の合算です。 ●「ピッコマ」サービス概要 サービス名:ピッコマ プラットホーム:iOS / Android / Web 利用料金:無料(一部サービス内課金あり) アプリダウンロード:http://piccoma.com/web/redir/853 公式サイト:https://piccoma.com/web 公式 X(旧Twitter):https://twitter.com/piccoma_jp 運営:株式会社カカオピッコマ
自分の人生は自分でつかみ取る プロデューサー・俳優・MEGUMI
自分の人生は自分でつかみ取る プロデューサー・俳優・MEGUMI 俳優、プロデューサー、美容──さまざまな場で人と人をつなげる彼女を「姉貴」と慕う若手も多い(写真/東川哲也)    メディアでMEGUMIを見ない日はない。ある日は俳優として、ある日は美容家として、ある日はプロデューサーとして。5月にはフランス・カンヌで「JAPAN NIGHT」を開催した。映画制作など、海外での仕事も増えている。常に自分が何をしたいか、どうなりたいかを考え、そこに向けての努力は惜しまない。前へ前へと、自分の手で道を切り開く。 *  *  * 「おはようございます~」  4月のある日曜日、午前10時30分。東京郊外のロケ現場にMEGUMI(43)が姿を見せた。ミリタリーなカーゴパンツにグレーのトップス、揃いの色のキャップ姿がキュートだ。台本を手に、スタッフに気さくに「どう?」「お疲れ!」と声をかけていく。今日のMEGUMIは映画「FUJIKO」のプロデューサーとしての顔をしていた。 「FUJIKO」は2年前、監督・木村太一との出会いからはじまった。MEGUMIは企画から資金集めとすべてに関わり、撮影現場にも頻繁に顔を出し、すっかりスタッフに溶け込んでいる。この日は現場にカフェカーを差し入れ、「みなさん、好きなだけ飲んでください!」の言葉に全員がワッと沸いていた。後日の取材時に「すんごい請求がきて『こんなに人いたっけ? どんだけ飲んだんだよ!』って(笑)」と、冗談めかして言う姿も、いやマジでかっこいい。 雑誌「otona ROSY 2025 Summer号」(宝島社)の撮影風景。20代後半から1千種類以上の美容法を試した成果を発信している。「肌には生きざまが全部出る。女性を励ます活動になれば」(MEGUMI)(写真/東川哲也)    グラビアアイドルとして一世を風靡し、バラエティーに進出。その後、2019年に「台風家族」(監督・市井昌秀)で彼女の演技を見たときの驚きは忘れられない。同作と「ひとよ」(監督・白石和彌)で第62回ブルーリボン賞助演女優賞を受賞し、俳優としての評価を確立した。  加えて23年に出版した美容本は累計60万部のベストセラー。プロデューサーとしてドラマや映画を企画・制作し、先のカンヌ国際映画祭会期中には日本映画や文化の魅力を伝える第2回「JAPAN NIGHT」を設立人として開催。世界各国の映画関係者1400人以上が集い、昨年を超える盛況ぶりとのニュースが届いている。 映画「FUJIKO」の撮影現場ではプロデューサーとして俳優やスタッフに気さくに語りかけ、周囲に目配りをする。「すごい上手だったよ!」と褒められた子役の少女は嬉しそうにスキップしていた(写真/東川哲也)   歌を学ぶためNYへ 歌手を目指して上京  いったいMEGUMIとは何者なのだろうか。そう問えば、本人もうなずいて答える。 「SNSとかでも『なんでお前が?』って、よく言われますよ。『こいつなんでもいっちょかみだな』とか。わかります。いろんなことやっているから。そういうときは自問自答するんです。エゴでやっていたら叩かれてもしょうがない。でもこれホントに社会や映画界や女性のためになってるよね? やっていいやつよね?と。でイエス、と答えが出たら何を言われてもいいや!って」  気っぷの良さと強い意志。類い希なる行動力。そのエネルギーの源はどこにあるのだろう?  MEGUMIは1981年、島根県松江市に生まれた。母は若く、物心ついたときから母一人子一人の暮らしだった。父の記憶はなく、不在を寂しいと思ったこともない。島根に暮らす母方の祖母は海女で、MEGUMIは縁側に座りながら祖母が海でとってきた魚や貝を庭の蛇口で洗っている風景を憶えている。 「幼少時代から不思議な『女の人の強さ』みたいなものを見てきた感覚はありますね」 映画「劇場版 それでも俺は、妻としたい」の完成披露上映会で監督の足立紳、共演の風間俊介と。「MEGUMIさんには自分をさらけだすような正直さがある。それがお芝居にも出るんでしょうね」(足立)(写真/東川哲也)    幼稚園時代に岡山県倉敷市へ引っ越した。すぐそばに美観地区があり、日本の古き良き文化に自然となじんで育った。早くから自立心と好奇心が旺盛で「何かしら動いていないと気持ちが悪い」という気質はいまも変わっていない。  中学にあがるといわゆる「ヤンキー」の仲間入りをする。「仲間は絶対」「女子どもは守れ」という筋の通った縦社会で、ハッキリ物を言う感覚が性に合っていた。母が仕事から帰るまで、古い市営団地の一角にあるMEGUMIの部屋は常にたまり場になっていた。 「人を呼ぶということはオーガナイザーなんですよね。お菓子を用意したり、ゲームやエンタメの要素を入れたり。人を巻き込んで何かをやる、というところもいまと変わっていないと思います」  そして中3のある日、運命的な出会いをする。 クリエイターなどを育成する専門スクール「バンタン」の入学式で若者たちにエールを送る。実体験からくる魂のこもったスピーチに会場中が聞き入っていた(写真/東川哲也)    通学路で偶然目にしたセレクトショップ「ランチ・ア・ロケット」。ヴィヴィアン・ウエストウッドなどのブランド服を揃え、DJブースもある大人のたまり場に、勇気を出して足を踏み入れたのだ。店に集まる人々からR&Bなど最新の音楽を教わった。「魔法にかかったような時代だった」と振り返る。次第に「自分も歌を歌いたい」という思いが芽生える。高校1年のとき、アルバイトで貯めたお金でニューヨークへと飛んだ。  友人の家に間借りしてゴスペルを習いに教会へ行ったり、配達のアルバイトを手伝ったり。とにかく刺激的で楽しかった。3カ月ほど観光ビザで滞在し、その後も数回渡米したが、現実的に向こうで仕事を探すのは難しい。「東京で歌手を目指そう」と決めた。  東京・新大久保のアパートに暮らし、アルバイトをしつつ歌のオーディションを受けまくった。が、受からない。「岡山に帰んなきゃいけないのかな」とバイト先でこっそり泣く日々。1年後、見かねたボイストレーニングの先生が元イエローキャブの社長・野田義治(79)を紹介してくれた。そこから運命が動き出す。  野田は90年代から細川ふみえ、雛形あきこ、山田まりやなどグラビアタレントを多く手がけてきた。赤坂の喫茶店にやってきたMEGUMIを見て、「最初はね、大丈夫かなと思ったんですよ」と振り返る。自分の体形を隠すようなたっぷりした服にボーイッシュなショートカット。 「たまたま持っていた雑誌の『おっぱい特集』を見せて『お前どれ? このへん?』って聞いたら『いや、これより形いいです』って(笑)」  MEGUMIにとって豊かなバストはずっとコンプレックスだった。岡山時代もさらしをギュッと巻いて押さえていた。とにかく服が似合わない。男性が寄せる目線にもすぐに気づいてしまう。痴漢にも遭いやすく、自転車からすれ違いざまに触られたときは怖くて声も出せなかった。 「でもそれを野田さんは肯定してくれたんですよね。歌手になりたいなら、まずグラビアで出ろ。お前はその体形を活かすしかないだろう!って。そうか、いいんだこれで!と初めて思えた」 (文中敬称略)(文・中村千晶) ※記事の続きはAERA 2025年6月16日号でご覧いただけます
「私はボートレースが好き」 妻の気持ちを尊重し、出産後も夫婦でボートレーサーとして活躍
「私はボートレースが好き」 妻の気持ちを尊重し、出産後も夫婦でボートレーサーとして活躍 中田竜太さん(右)、浜田亜理沙さん(撮影/写真映像部・佐藤創紀)    AERAの連載「はたらく夫婦カンケイ」では、ある共働き夫婦の出会いから結婚までの道のり、結婚後の家計や家事分担など、それぞれの視点から見た夫婦の関係を紹介します。AERA 2025年6月16日号では、ともにボートレーサーの中田竜太さんと浜田亜理沙さん夫婦について取り上げました。 *  *  * 夫25歳、妻25歳のときに結婚。息子(9)と3人暮らし。 【出会いは?】ボートレーサー養成所に104期生として入所。登録番号が隣同士だったことで、ペアを組むことになった。 【結婚までの道のりは?】養成所卒業後も連絡を取り合い、二人で会う中で交際に発展。「最高ランクのA1に昇格したらプロポーズする」と夫が妻に伝え、有言実行した。 【家事や家計の分担は?】家事分担はできる人ができることをする。食事は妻が担当。レース前は部屋の片付けと水回りの掃除を欠かさない。財布は夫婦別々。特に分担は決めていない。 夫 中田竜太[37]ボートレーサー なかだ・りゅうた◆1988年、福島県生まれ。高校時代からボートレーサー養成所の入学試験を受けていた。高校卒業後に就職した翌年、2008年に104期生として養成所に入所。09年にデビュー。24年、最高グレードのレース(SGレース)「第51回ボートレースオールスター」に夫婦で出場し、そろって準優勝戦に出場した  ボートレースを知ったきっかけは、オートレーサーだった父から勧められ、小学校の時に父親と観に行ったことです。「かっこいいな」と思い、ボートレーサーを目指すようになりました。  養成所では生年月日順で登録番号が割り振られ、番号が前後だった妻とペアを組むことに。当時から仲は良かったものの、課題に取り組むことに必死で、女性として意識はしていませんでした。距離が縮まったのは卒業後です。  今では夫婦で同じレースにも出場します。意識しているつもりはないのですが、フライングをしてしまうこともあるので、やっぱり意識しているんですかね(笑)。  この仕事は危険が伴うので、子どもが生まれてからは妻に対して、「やめてもらっちゃってもいい」と思う気持ちが芽生えました。  正直、その気持ちは今も抱いてはいますが、あえて考えないようにしています。妻の「走りたい」という思いを尊重し、子どもと一緒に応援しています。 中田竜太さん(右)、浜田亜理沙さん(撮影/写真映像部・佐藤創紀)   妻 浜田亜理沙[37]ボートレーサー はまだ・ありさ◆1988年、広島県出身。2008年、広島修道大学在学時に104期生としてボートレーサー養成所に入所。大学を中退し、09年にデビュー。4カ月後に初勝利、12年に初優勝。15年に第1子を出産し、産後1年足らずで復帰。23年に女子戦の最高峰PG1「クイーンズクライマックス」に初出場し、初優勝を果たした  大学時代、兄の友人がボートレーサーになったのを機にこの職業を知り、興味を持ちました。当時は養成所入所の年齢制限が今よりも若く、「あと2回しか試験を受けられない!」と気付き、この世界に飛び込みました。  ボートレースではフライングをすると30日間の休みが科されます。その間の収入は0円。夫のフライング休み期間、スタートがいつも以上に慎重になるのは、夫婦ならではかもしれません。  10年前に出産した時、競技を続けることに迷いはありませんでした。ただ、息子が2歳の頃、離れる度に大泣きされたのは胸が苦しかったですね。「結果を出してくるね」と息子にも自分にも言い聞かせていました。今も1週間以上家を空けることがあるので、育児面等でサポートしてくれる両親たちには感謝しています。  私はボートレースが好きです。他の選手のレースを見ても「羨ましい」と思わなくなるまで走り続けたい。そして遠い将来は、夫婦でのんびり過ごせたらと思っています。   (構成・小野ヒデコ) ※AERA 2025年6月16日号  
建築家 安藤忠雄がデッサンから手掛けた青りんごの腕時計!?大阪で開催中の安藤忠雄展「青春」とスイスの時計ブランドCAUNYのオフィシャルブランドサイトで先行販売をスタートします。
建築家 安藤忠雄がデッサンから手掛けた青りんごの腕時計!?大阪で開催中の安藤忠雄展「青春」とスイスの時計ブランドCAUNYのオフィシャルブランドサイトで先行販売をスタートします。 これは、ただのりんごではありません。日本を代表する建築家 安藤忠雄が「青春のシンボル」としてデザインした青りんご、スイスの腕時計ブランドCAUNYがそのプロダクトをローンチします。 - マーサインターナショナル株式会社 マーサインターナショナル株式会社(所在地:東京都中央区日本橋蛎殻町1-7-9 TQ茅場町 4F、代表取締役:吉野 浩史)は、スイス腕時計ブランド「CAUNY(カウニー)」の建築家コラボレーションプロジェクト「Architects of Time(アーキテクツ・オブ・タイム)」から建築家 安藤忠雄氏とのコラボレーションモデルを2025年6月13日(金)にローンチします。 URL:https://cauny.jp ■建築家 安藤忠雄 安藤忠雄(あんどう ただお)は、1941年大阪生まれの、日本を代表する世界的に著名な建築家です。 大学で建築を専門的に学んだわけではなく、プロボクサーとして活動した後に独学で建築を学びました。この独学での学びの過程で世界各地を旅し、巨匠たちの建築を現地で見て回ったことが、安藤氏の建築思想に大きな影響を与えています。1969年に「安藤忠雄建築研究所」を設立し、建築活動を本格的に開始、イェール大学やコロンビア大学、ハーバード大学で客員教授を務め、1997年には東京大学教授に就任、2003年からは東京大学名誉教授を務めています。1995年には建築界のノーベル賞とも言われるプリツカー賞を受賞し、2010年には文化勲章を受章しました。打ち放しコンクリートの壁を採用した建築や、自然光を取り入れたドラマチックな光と影の演出は特に有名で、代表的な作品には、初期の代表作である住吉の長屋や、大阪の光の教会、直島の地中海美術館、表参道ヒルズ等があります。近年ではアメリカでビヨンセ&ジェイ・Z夫妻や、キム・カーダシアン、カニエ・ウェスト等のセレブが安藤建築を自宅として購入したことでも話題となりました。 サンプルの時計を着用しデッサンをする安藤忠雄氏 ■永遠の青春 これまで安藤忠雄氏の手掛けた建築の中にオブジェとして寄贈されてきた青りんご。安藤氏は、近代米国の詩人サミュエル・ウルマンが70代で作った「青春の詩」からオブジェを着想。詩は「青春とは、人生の一時期ではなく、心の状態、つまり恐れることなく困難に立ち向かう勇気、挫折にもめげず夢を見続ける強靭さである」とつづられ、安藤氏は「目指すのは熟れた赤リンゴではない。未熟で酸っぱくとも希望の光で満ち溢れた青りんごの精神」と言葉を寄せています。 この時計は、到達点に達したからではなく、目の前の光を信じて前進し続ける人々を称えるものです。 青春とは時間ではなく、心の動きであることを思い出させてくれるものです。 永遠の青春の想いが込められた青りんご ■プロダクト 青りんごを想起させる葉型の針とラウンド型ケース 光沢を抑えたシルバーカラーは全体がモノトーンで統一され、安藤忠雄氏の建築を彷彿とさせる裏蓋には安藤氏のサイン、ストラップはイタリアンレザーを採用し、しなやかな付け心地 風防はドーム型にカーブを描くサファイアガラスを採用ポップでアイコニックなデザインが目を惹きます ■限定先行販売を開始 全国発売に先駆けて、現在大阪で開催中の安藤忠雄展「青春」で先行販売をスタートします。 現在実物を手に取ってご覧頂けるのはこちらの展示会限定です。 安藤忠雄展「青春」は、安藤忠雄氏の拠点大阪で開催され、これまでの挑戦と、未来へのビジョンを集約した展示で、安藤忠雄氏の様々な活動をご覧いただけます。 詳細を見る 腕時計ブランドCAUNYのオフィシャルブランドサイトでは、安藤忠雄氏を始めとする世界の有名建築家とのコラボレーションシリーズ「Architects of Time」を発売します。世界の建築家がデッサンから手掛けた唯一無二のプロダクトをご覧いただけます。 尚、こちらのサイトでは6月13日(金)より先行販売をスタートいたします。 詳細を見る ■商品仕様 CTA001CTA002CTA003CTA004 価格 34,650円(税込) ムーブメント RONDA ケース ステンレススチール316L ケースサイズ 幅31.5mm/37.5mm 厚10.5mm ストラップ イタリアンレザー 幅15mm/18mm 風防 サファイアクリスタル 防水 3気圧防水 重さ 31.5g/44.0g 保証期間 2年 ■About CAUNY カウニーの歴史は、第一次世界大戦勃発に伴い、スイスに逃れ定住を余儀なくされたポーランド一家、グレブラー家の歴史と深く結びついています。この地で1927年アルベール、アンリ、ミレイユの三兄弟によりオリジナルのブランド「カウニー」が誕生しました。 末っ子のミレイユは、世界で初めて時計ブランドを率いる女性となり、彼女は独創的でエレガントなデザインの高品質な時計を世界中に届けるという夢を形にしました。アルベールとアンリは客船に乗り込み、地中海の港町から港町へと渡り、カウニーの時計を世界中に届けました。スイスの品 質と独創的なデザインでカウニーは世界でカルト的な人気を誇る時計ブランドとして確固たる地位を築きます。当時、多くの人々にとってカウニーは初めて手にする時計で、50~70年代には世界中の人々がカウニーの時計を手首に巻くこととなりました。1927年から 今日まで、カウニーは故郷であるスイスで自動巻き機構を製造しています。創業から100年近く経った今も、時計製造の伝統と原則を守り続けながら、未来の時計を創り出すため日々努力を続けています。 ■Architects of Timeとは 建築界のノーベル賞とも言われている「プリツカー賞」を受賞した世界の名建築家たちと、フリーハンドのデッサンから腕時計を創り上げていくプロジェクト「Architects of Time」。このプロジェクトはスイスで約100年の歴史をもち、常にユニークな時計の開発を続けてきた腕時計ブランド「CAUNY」が2022年に立ち上げました。そして、今年日本で最も著名な建築家である安藤忠雄氏が一からデッサンした腕時計のローンチをきっかけに、日本でも展開をスタートいたします。 世界的に著名な建築家がデッサンから時計をデザインするプロジェクト「Architects of Time」 詳細を見る ■関連サイト ブランドサイト :https://cauny.jp/ Instagram : @cauny_jp ■日本総輸入代理店 社名:マーサインターナショナル株式会社 所在地:〒103-0014 東京都中央区日本橋蛎殻町1-7-9 TQ茅場町 4F URL:https://www.marsainc.co.jp 【本件に関する報道関係者からのお問合せ先】 担当:相羽・池田 電話:03-3527-3920 メールアドレス:aiba@marsainc.co.jp / ikeda@marsainc.co.jp
野田聖子から辻元清美へ「レトルトごはん」が何よりの贈り物になったワケ 北原みのり
野田聖子から辻元清美へ「レトルトごはん」が何よりの贈り物になったワケ 北原みのり 野田聖子さんと辻元清美さん。2023年、女性議員オンライン討論で  作家・北原みのりさんの連載「おんなの話はありがたい」。今回は女性議員、辻元清美さんと野田聖子さんについて。 *  *  *  辻元清美さんと野田聖子さんの対談本『女性議員は「変な女」なのか』(小学館新書)を読んだ。少し興奮している。これまであまり活字になったことのない類いの一冊だからだろう。      そもそも一般社会よりも何重にも闇が深そうな権力蠢く男の職場(=永田町)で、落選期間があったにせよ、約30年間当選し続け、その圧倒的な存在感を見せてきた二人の女性による「エンディング・ノート」としての対談である。面白くないはずがない。なにより二人の間に結ばれている純度の高い絆は、文句なしにかっこいい。  たとえば辻元さんは2021年10月の衆議院議員選挙で落選したが、野田さんは、辻元さんが翌年7月に参議院議員として復活するまで、毎月欠かさず「レトルトパックのご飯」を送ってきたのだという。  休職中の職場の同僚に毎月レトルトパックを送る人なんて、ハッキリ言って相当「変な女」だし、相当変な関係だと思う。でも、二人が国会議員だとしたら……ご飯を炊く間もない激務のなかで、男性国会議員のようにご飯を炊いてくれる“専業主婦”の妻がいない生活で、落選した途端に無職となるような人生で、かといってフツーの生活に戻ることが許されないほど顔が売れていて、結局政治に関わるしかない状況で……そりゃあレトルトパックが何よりもの戦友からの贈り物だよ……という女性国会議員の現実が見えてくるのだ。  清美ちゃん、聖子ちゃん、と呼び合う二人には共通点も多い。  二人とも1960年生まれで、二人ともロールモデルが土井たか子さんで、二人とも総理大臣になりたいと思っている。というか「国会議員ならば総理大臣を目指したいものだ。なぜなら自分の政策を実現できるから」、と考えている。  もし二人が男だったら、野田さんはとっくに総理大臣をやっているだろうし、なにより辻元さんが男だったら、永田町の構造そのものが変わっていた可能性はあるだろう。そしてもし二人が男だったら、この本は、「変な女」の話ではなく、「総理大臣経験者二人の偉大な男」の対話(たぶん、つまんない)になっていただろう。 毎月欠かさずレトルトパックごはんを送ったという(写真はイメージ/gettyimage)    そんなふうに「もし彼女たちが男だったら」……と想像せずにはいられないくらいに、この国の女たちは、政治家に限らず、どの分野であっても、同じ女たちの不遇を目の当たりに生きている。出た杭は打たれるどころか、折られ、抜かれ、土台ごと燃やされるような勢いで。だからこそ、永田町を生き抜いてきた女性二人は政敵にならずに戦友になり、右とか左といった政治的イデオロギーを抜きに誠実に語り合えるのだろう。そういう時間を過ごしてきたのだろう。  タイトルの『女性議員は「変な女」なのか』からは、軽めのノリにして多くの人に手にとってもらいたいという意図が感じられる。有名な女性政治家二人が、自身の私生活や恋愛観などもさらけ出して語っているような印象を受ける人もいるかもしれない。それでも、私は、これはあまり読んだことのない類いのかなり重たい政治の本だと感じている。  それは、この本の根底に、女性議員は増やさなければだめなんだ、という痛いほど切実なメッセージが強く込められているからだろう。  2018年、選挙において男女の候補者数を均等にする努力義務を政党に課した法が成立した。この法成立に奔走した宮川典子議員のことを、野田さんが語っていた。宮川議員は法案を通すための激務のなか、乳がんであることを誰にも告げず、治療を遅らせてしまい法成立後に40歳で亡くなっている。「ひとりの女性が命をかけた法律なんですよ」と野田さんが思いを込めて語っていた。  政治家になりたくても、女性はそもそも候補者になることが難しい。「ジェンダー平等」とはどの政党も普通に言う時代だが、女性候補者は若さやフレッシュさやクリーンさを求められ、有権者からは女性であることでありとあらゆるハラスメントを受け、たとえ当選しても政治家として育ててもらえるのは稀で、党の意見に絶対逆らえないような人質の心理状態に追いやられ摩耗する。 「(女性候補者は)男の100倍苦労する」と野田さんは言うが、そういう世界でたとえ一度は国会議員になれたとして、残酷に“使い捨てられる”女性議員を、私たちはどれほど見てきたことだろう。「男」並みになるために、死ぬほど努力しなければならない世界なんて、ああ、いやだ、永田町って、いやだ。  とはいえなのだ。そんな世界で生き残れた「変な女」である二人が「普通におかしいと思うことを、普通の言葉で、自分の言葉で、率直に語り合う」姿勢に、私は久しぶりに日本の政治を諦めなくていいのではないか、と思えてきたのだ。もう、だめだこりゃ、米もつくれねぇ、子供は生まれねぇ、未来は見えねぇ、政治が悪すぎるわーっ、と絶望する気持ちを、二人になだめられるような思いになったのだった。焦るな、私たちは生き抜いた、まだ生きていくつもりだ、焦るな、と。  二人は今年65歳。本書のオファーをエンディング・ノートのつもりで受けたというが、私はおばあさんになっていく二人の姿を見ていたいと思った。おばあさんになっていく辻元清美さん、野田聖子さんが育てるだろう若い女性政治家たちの姿を見てみたいと思った。男ばかりでモノゴトを決め、闇の中でモノゴトが決まり、利権でたいていのことが動き、それ故に全方向停滞しつつある今の日本社会を変えるのは、はっきりと、女なのだ。そういう方向での希望を、私たちは持つべきなのではないかと思えてきたのだった。  そうそう、すごく驚いたのは、辻元さんが、エゴサーチしていることだ。そして普通に傷ついていることである。本当に驚きました。そして、辻元さんの涙のまともさ、傷つきのまともさに感謝したい気持ちになる。辻元さんが生き残り、仕事し続けてきたことに、ありがとうございます。
【独自】大阪・関西万博  大人気でも「営業時間延長」は難しいのか   海外パビリオンが「本音」で回答 
【独自】大阪・関西万博 大人気でも「営業時間延長」は難しいのか 海外パビリオンが「本音」で回答  ミャクミャクはすっかり大人気に。記者の家族はGWに続き、6月上旬、大阪・関西万博を訪れた=米倉昭仁撮影  大阪・関西万博は潮目が変わり、来場者は右肩上がりだ。これからのシーズン、強い日差しや熱中症のリスクは、いよいよ夜間のほうが避けやすくなる。吉村洋文・大阪府知事が言及した「営業時間」の延長は難しいのか。海外7パビリオンの見解を聞いた。 *   *   *  6月上旬。強烈な日差しで夏日となった気温も、日が落ちてようやく落ち着いてきた。対策が奏功したのか、たまたまなのか、大屋根リングの上に話題の「ユスリカ」は全く見当たらない。各国パビリオンは日暮れとともにライトアップされ、幻想的な光景が広がっている。午後9時、1000機のドローンの光が万博の夜空を舞った。  万博を愛する妻は残念そうにこう呟いた。 「万博の雰囲気をゆっくり味わいながら、異国情緒あふれるレストランで食事を楽しんでから帰れたらいいのに……」  だが、もうすぐ閉館だ。ショーが終わると、来場者はいっせいに会場を後にする。会場ゲートが閉まるのは午後10時だが、多くのパビリオンや、併設された飲食店や物販店は午後9時には閉まってしまう。  万博の飲食店と物販店の営業時間については、すでに大阪府の吉村洋文知事が5月21日の記者会見で、「午後10時ギリギリまで営業するべき」と語り、万博を主催する日本国際博覧会協会(万博協会)に検討を求めている。万博協会は、閉場時間の延長案について、「慎重であるべき」とした。  だが、これからの季節は涼しい夜のほうが断然、過ごしやすくなる。日差しが和らぎ、気温が落ち着いてからのほうが熱中症リスクも減る。営業時間の延長は本当に難しいのだろうか。各国のパビリオンはどう考えているのか、尋ねた。 重厚な雰囲気の北欧館=米倉昭仁撮影   スタッフの「帰れない」問題  デンマークやアイスランドなど北欧の5カ国が共同出展する「北欧館」は、「ウォータープラザ」に面し、夜間はドローンショーが近くで行われる。展示は午後8時半に入場を締め切り、9時に閉館するが、飲食店と物販店は午後9時半ごろまで営業しているという。 「ショーを観覧した来場者がショップ(物販店)に立ち寄って帰る流れができている。営業時間を延ばせば、売り上げは伸びると思うんです」  北欧館の広報担当者はそう語るが、これ以上の営業時間を延長は「難しい」と言う。 夜になると美しさが増すフランスパビリオンとドローンショ=米倉昭仁撮影    同館では50~60人のスタッフが働いている。 「1時間半ほどかけて京都から通勤しているスタッフもいます」(北欧館の広報担当者)  商品などの搬入作業があるため、スタッフは遅くとも午前7時半までに全員が出勤する。来場者の案内をするフロアスタッフは2交代制で勤務している。  午後9時の閉館後、フロアスタッフは退勤するが、それ以外の運営スタッフやレストランの仕込みを行うスタッフは翌日のイベントなどの準備に追われる。大阪駅周辺に仮住まいをしている人が多いが、帰り着くのはいつも午後11時ごろだという。 「1時間、営業時間を延長すれば、朝6時に家を出て帰宅は深夜12時。北欧では考えられない働き方になってしまう」(同) 午後9時すぎ、いっせいに地下鉄・夢洲駅に向かう人々=米倉昭仁撮影    帰宅は地下鉄が頼りだ。  ちなみに、会場最寄りの夢洲(ゆめしま)駅の終電は午前0時20分。大阪メトロによると、「主に会場スタッフを輸送する目的で」、イベント開催時には終電の時刻を20分繰り下げているという。営業が1時間延長されれば、それにも間に合わないスタッフが出てくる恐れがある。 「さらなる終電時間の繰り下げや、スタッフを送る深夜バスを手配するなどしないと無理でしょう」(北欧館の広報担当者)  最大の課題は人件費だ。原則、各パビリオンの営業時間は午前9時から午後9時までの12時間。北欧館でもこれに合わせて予算を組み、スタッフを雇い、配置している。 「営業を1時間延長すれば、フロアスタッフはおそらく3交代制にすることになるでしょうから、人員を増やす必要が出てきます。その費用をどう捻出するか」(同)  運営予算に多少の弾力性はあるが、「人件費は予備費でまかなえるような金額ではない」という。 「その追加費用をどこが負担するのかがクリアにならないかぎり、営業時間の延長は難しいでしょう」(同) 雇用契約の見直しは大変 「飲食店と物販店だけなら、営業終了時間を10時にするのは可能だと思います」  と語るのは、欧州のある人気パビリオンのディレクターだ。だが、「パビリオン全体の営業時間を延長するのは難しい」と話す。 夜になると「コロシアム」が浮かび上がるイタリアパビリオン=米倉昭仁撮影    このパビリオンでは飲食店や物販店を含め約70人の「混成チーム」が働いている。本国から日本にやってきたスタッフに加え、日本の人材派遣会社の募集で働いているスタッフもいる。当然、雇用契約書には勤務時間についても記されている。  このディレクターは、「BIE(博覧会国際事務職)レベルや、日本の万博関係者の間で営業時間延長について話し合われたことは承知している」と言う。だが、実現するには、パビリオンで働くスタッフ全員の合意や、人材派遣会社との契約見直しが必要になる。 「『夜の万博を楽しみたい』という来場者の声も、慎重な万博協会の姿勢も理解できます。けれども、簡単な話ではありません。より深い議論も、多くの人々の協力も必要です」(欧州のパビリオンのディレクター) 終日、長い待ち行列が絶えないアメリカパビリオン=米倉昭仁撮影    アメリカパビリオンもスタッフの帰宅や雇用条件の問題を指摘するが、「まだ検討にはいたっていません」(同館の広報担当者)と話す。 「現時点ではパビリオンの営業時間を変更する予定はありません」(スイスパビリオン)という回答もあったが、他のパビリオンは、「営業時間の延長案について、万博協会から正式な連絡を受けておりません。今後の検討・分析を経て、対応させていただきます」(ルクセンブルクパビリオン、チェコパビリオンなど)という回答だった。  開幕当初、万博の来場者数は伸び悩みが指摘され、1日平均10万人を下回っていたが、ポジティブな反響が増え、記者が訪れた6月上旬の週末は1日約16万人だ。人気パビリオンの入場待ち行列は長く延び、通行の妨げになるほど混雑していた。  来場者が多くなれば、どうしても待ち時間の問題が付きまとう。会期中、来場者が少しでもゆったりと万博を楽しめるようになることを切に祈る。 ミャクミャクも大人気。パビリオンまわりのお供にする人も=米倉昭仁撮影 (AERA編集部・米倉昭仁)
福島の日本一の大わらじが愛知・豊橋にやってくる!
福島の日本一の大わらじが愛知・豊橋にやってくる! - 豊橋市 福島県福島市の祭り「福島わらじまつり」に登場する長さ12メートル、日本一の大わらじが、愛知県豊橋市にやってきます。2025年6月13日(金)、豊橋市こども未来館で「福島わらじまつり」が披露されます。大わらじの演舞は西日本で初めてとなります。皆さん、ぜひ見に来てください。  福島市のパートナーシティ豊橋市で披露  福島わらじまつりは、信夫山(しのぶやま)の羽黒(はぐろ)神社に安置されていた仁王様の大きさに合ったわらじを作って奉納した「暁まいり」に由来します。日本一の大わらじ(長さ12メートル、幅1・4メートル)が先頭を練り歩き、続いて踊り手たちが「ワッショイ! ワッショイ!」という掛け声とともに、太鼓と笛の生演奏を披露します。  今回、6月14日(土)~15(日)に大阪・関西万博へ出展するのに合わせ、パートナーシティである豊橋市でも福島わらじまつりが披露されることになりました。 「ワッショイ!」 12メートルの大わらじの迫力を間近で  当日の13日(金)は、福島市から木幡浩市長やミスピーチ、祭り団体の総勢約100人が訪れます。午後5時45分からオープニングが行われ、わらじ演舞は1回目が午後6時、2回目が午後6時45分から繰り広げられます。それぞれ15分の予定です。  太鼓隊、歌い手、踊り手のフルセット構成で華やかな演奏や舞とともに、大わらじを担ぐ勇壮な姿は必見です。木幡市長もメッセージを寄せられ、「12メートルの大わらじが躍動します。この機会にその迫力を体感してください。皆さまのお越しをお待ちしています。ワッショイ!」と力強く来場を呼びかけています。  大わらじの演舞は、これまで東北6県と国立競技場のこけら落としで披露されたのみで、今回は豊橋市で大わらじを見ることができる大変貴重な機会になります。 物産や縁日も みんなで盛り上がろう!   会場のこども未来館では、16時から20時まで福島市と豊橋市の物産ブースが並び、福島特産のさくらんぼ、厳正な審査でブランド認証された「ふくしまスイーツプレミアム商品」、豊橋市産の野菜などが販売されます。子どもから大人まで楽しめる「ここにこ縁日」やキッズダンス(午後6時20分~午後6時45分)も行われます。福島、豊橋のみんなで盛り上がりましょう! 朝の連続テレビ小説が縁でパートナーシティ福島市出身で昭和を代表する作曲家、古関裕而さんと豊橋市出身の金子(きんこ)さん夫妻をモデルにしたNHKの朝の連続テレビ小説「エール」(2020(令和2)年放送)。その実現のために協力しあったことが縁となり、豊橋市と福島市は2023(令和5)年にパートナーシティ協定を結びました。ふくしま花火大会での豊橋伝統の手筒花火放揚をはじめ、文化や教育、産業などの分野を中心に交流を続けています。 詳細 施設名:こども未来館ココニコ 住所:愛知県豊橋市松葉町三丁目1番地 TEL:0532-21-5525 HP:https://coconico.jp/event_post/
「専業主婦は死ねってこと?」 官民あげての「女性活躍推進」で増す生きづらさ
「専業主婦は死ねってこと?」 官民あげての「女性活躍推進」で増す生きづらさ 共働きが「当たり前」になった時代に、専業主婦はどう生きるのか(photo 写真映像部・上田泰世)  増え続ける共働き世帯。2019年にはじめて、フルタイム勤務の共働き世帯数が専業主婦世帯数を上回った。パートタイムでもなく「しっかり働く」ことが前提となった今、専業主婦の生きづらさが増している。 *   *   *  京都府の専業主婦の女性(45)は、30代半ばで結婚したとき、迷わず退職する道を選んだ。新卒から10年以上、同じ会社で営業事務として働き、少し疲れていたことと、自身の母親が専業主婦だったので、働き続けるイメージがわかなかったことが理由だ。 専業主婦はバカになる  いわゆる「寿退社」だから祝福してくれるのかと思ったら、周囲の反応は少し違ったという。 「やめて何するの?」 「専業主婦なんてバカになるよ。そんなものになりたいの?」 「子どもができてからやめればいいじゃない」  ちょうど国会では深刻化する待機児童問題が「保育園落ちた日本死ね!!!」という強烈な言葉とともに議論の俎上に上っていた。働く女性たちを応援する雰囲気の高まりに、女性はこう振り返る。 「なんだか私も死ねって言われている気がしました。そんなに悪いことをしているのかな、と」  人気飲食店で店長を務める夫(47)は昼過ぎに出勤して、帰宅は深夜。夫の勤務に合わせた生活ができること、夫婦2人暮らしの家の中を常にきれいに保つことができること、両親の介護がきちんとできること。専業主婦になって約10年が経つが「自分自身に安心している」と話す。  でも、その想いを共有できる相手は夫以外いない。学生時代の友人は、キャリアを積み、管理職になっていたり、子育てをしながら時短で働き続けていたり。女性は「子どもがいないせいもあって、共通の話題がないんです。どんどん距離ができている気がします。仲は良いですけどね」とこぼす。 専業主婦はもやは珍しい存在になりつつある(photo 写真映像部・上田泰世)  共働き世帯数が専業主婦世帯数を上回って久しい。2023年の総務省「厚生労働力調査」によると、共働き世帯は1278万世帯、専業主婦世帯は517万世帯。つまり、共働き世帯は専業主婦世帯の約2.5倍にのぼっている。  共働き世帯を「フルタイム勤務」と「パートタイム勤務」に分けてみると、パートタイム勤務の増加が目立つが、2019年にはついに「フルタイム勤務」の世帯数だけで、専業主婦の世帯数を上回った。令和6年版の厚生労働省「労働白書」によると、第1子出産後に退職する妻の割合は2015~19年でみると30.5%。6割以上が退職していた1985~89年に比べると、社会全体が結婚後はもちろん、出産後も働き続けることが「当たり前」になっている。  女性の専業主婦願望などについて研究してきた跡見学園女子大学の石崎裕子准教授(社会学)は、こう指摘する。 「官民をあげて女性活躍が推進され、正社員同士の共働きカップルが理想の家族モデルになってきています。専業主婦になることが女性の幸せとされた時代から、仕事も結婚も子どもも、全部そろって幸せのピースが埋まるようなイメージへと変わってきているのではないでしょうか」  その価値観は、女性たち自身の焦りや葛藤にもつながっている。 「今も、すごく働きたいです。自分で自分のことを『もったいない』って思ってしまう」  こう話すのは、愛知県に住む女性(58)だ。  女性は大学院を出てから出産するまでは、食品会社で製品開発に携わった。だが結婚した夫は転勤が多く、子どもが病弱で幼い頃は入退院を繰り返したこともあり、女性は退職を選ばざるを得なかったという。 専業主婦世帯数と共働き世帯数の推移    第2子の出産後、「ママは、働きたいと思う」と宣言。当時住んでいた長崎県でITインストラクターを始めた。第3子が生まれるまで働いた後、夫が愛知県へ転勤に。このときも愛知でIT系の仕事に就いた。 「どうしても働きたかったんです。専業主婦って『ちゃんと家事をしないといけない』というイメージがあって、そのスキルが私にはない、と感じていたので」  それからは専門職の派遣社員として働いていたが、5年前のある日突然、肩に激痛が走った。パソコンを打つこともままならず、手術を受けても治らない。加えて両親や義両親の介護も始まり、3年前にやむなく再び仕事を離れたという。悔しさのにじむ表情で、女性は言う。 「仕事は面白いです。せっかく大学院まで行き6年も学んだので、その知識を生かせることにも満足していました。主婦がこなす家事・育児は『やって当たり前』と見られて、あまり評価されない。外で働いていたほうがずっと評価されると思います」  かつて専業主婦が多かった昭和の時代には、働く女性に対して「なぜ、働くの?」と否定的な視線を送る傾向があったが、いまは逆に、「なぜ専業主婦になるのか」を説明しなければならない空気感が社会を覆う。  石崎准教授は言う。 「女性の職業面での活躍を期待する社会になってきたことで、専業主婦が抱えているモヤモヤとした思いはより深くなっています。女性の生き方・働き方が多様化し、専業主婦としての経験をいかして新たなチャレンジをする人もいる中で、専業主婦でいることへの不安を感じやすくなっているのではないでしょうか」 (ライター・大塚玲子、AERA編集部・古田真梨子)   特集:令和を生きる「専業主婦」は幸せなのか? #1【図解で分かる】「専業主婦年金」はズルい? 保険料を納めていないのに… 廃止すべき? https://dot.asahi.com/articles/-/258154 #2“バリキャリマウント”に沈黙の令和の専業主婦 家事・育児のやりがい実感もなぜか肩身が狭いhttps://dot.asahi.com/articles/-/258150 #3家庭内総務、ホーム・ディレクター、家事マエストロ――。ネガティブに響く「専業主婦」に代わる新名称を https://dot.asahi.com/articles/-/258255 #4「専業主婦」という呼称、そろそろやめませんか? 世代・トレンド評論家の牛窪恵さんの提案https://dot.asahi.com/articles/-/258136 #5専業主婦年金は不公平? 保険料を納めないのは「虫が良すぎる」のか 3号制度廃止の議論加速 “働けない人”のサポートが大切 https://dot.asahi.com/articles/-/258264 #6「貧乏になるの?」 バリキャリ母の仕事をやめる決断に子どもたちはhttps://dot.asahi.com/articles/-/258430  
出馬会見が“ゼロ回答”で国民民主が山尾志桜里氏の公認取り消し 同期の元議員は「自分から身を引くべきだった」
出馬会見が“ゼロ回答”で国民民主が山尾志桜里氏の公認取り消し 同期の元議員は「自分から身を引くべきだった」 6月10日に会見を開いた山尾志桜里氏  国民民主党は6月11日、両院議員総会で、参議院選で立候補を予定していた山尾志桜里氏の公認取り下げを決めた。山尾氏は前日の10日に記者会見し、過去の不倫報道などについて釈明していたが、「新しく言葉を紡(つむ)ぐことはご容赦いただきたい」などと説明を避けたため、納得しない報道陣から質問が相次いだ。山尾氏の出馬が報じられた後に国民民主党の支持率が急落した「山尾ショック」は会見でも収まりそうもなく、党内から山尾氏の公認取り消しを求める声が噴出した。 *  *  *  両院議員総会後、山尾氏の公認取り消しについて、国民民主党の榛葉賀津也幹事長は、記者団にこう説明した。 「国民民主党を支えているすべての都道府県連、全国の地方自治体議員から、同様に、山尾さんの公認は見送ってほしいという声がありました。ただし、山尾さんにも弁明のチャンスを与えるべきだという声もあり、昨日、山尾さんには会見を行っていただきましたが、多くの皆さんから、疑問を払拭する会見ではなかったという声があり、本日の両院議員懇談会においても、来たる参議院選挙で、党が一丸となって戦う環境を整えるためには、山尾さんの公認は見送ってほしいという声があった」  同党の国会議員はこんな感想を漏らした。 「これで党として結束できると思う。ただこうなるなら、最初から山尾さんを誘うべきではなかった。あいまいな対応がお互いの悲劇だった」 「8年前の自分の行動、対応は未熟だった」  山尾氏は、8年前の2017年、妻子ある男性との交際疑惑を週刊文春に報じられた。当時山尾氏は会見で、「男女の関係はない」と否定したが、記者からの質問を受けつけずに会見を打ち切り、批判を浴びていた。また、政治資金から高額のガソリン代を不正支給していた問題や、JRの議員パスを私的利用していた問題なども報じられた。  6月10日の会見で、山尾氏は冒頭、過去の不倫疑惑について自ら釈明した。 「8年前の、自分の行動、ご指摘を受けた際の対応は、きわめて未熟だったと反省している。8年前の自分にはおごりがあったと思います。8年前の自分の行動と対応の未熟さを、心からお詫び申し上げます」  当時、交際が報じられた男性との関係については、 「現在、私生活、仕事の面で特段の交流はございません」  と説明した。  ただし、8年前に否定した不倫を認めるのかと問われると、「8年前に言ったことは事実です」と言うものの、 「当時お話した以上のことを、新しく言葉を紡ぐことをどうかご容赦いただきたい。新たに何かお話しすれば、様々なご迷惑をおかけすることもあります」  と、説明を一切しなかった。  2021年には週刊文春が、山尾氏との交際疑惑が報じられた男性と離婚した元妻が自ら命を絶ったと報じている。これについて問われると、 「私は事情を存じ上げません。その中で、私が思いを伝えることはできません。控えさせてください」  と言うばかり。 「元妻の子供が遺児となっているが、お子さんのことを考えたことがあるか」  と聞かれても、 「控えさせてください」  と質問に向き合わなかった。 2017年、週刊文春の不倫疑惑報道を受けて、民進党を離党し、会見する山尾氏。質問には応じなかった(2017年9月7日) ガソリン代や議員パスの疑惑は認めて説明  一方、高額のガソリン代を支払っていた件については、具体的に説明した。 「当時の秘書が、ガソリンスタンドでどなたかが置き去っていかれた領収書を持ってきて経費として支払い請求をし、支払いを受けていた。秘書が不正を認めて、全額の支払いを総支部に受けた。ひとえに私自身の責任だとお詫びを申し上げたい」  議員パスの私的利用問題についても、認めて謝罪した。 「当時、議員パスを使って私的な用事をすませていたことは事実です。たいへん申し訳なく思っています。さらに申し訳なく思っているのが当時の私の謝罪です。SNSを使って、情けないお詫びの仕方だったと大変後悔しています」  山尾氏は、自らの出馬に批判の投稿が炎上していることについては、 「正直、想像以上でした。正直、全部を見られないでいます」  と会見で明かした。  山尾氏はこの会見を「丁寧に真摯に対応したい」と言って始めただけに、会見中もSNSではライブ配信を見た人たちから、 「まったく真摯じゃない」 「何も答えてない」  などの批判が殺到していた。 「会見をさせたのは大失敗」  山尾氏の会見を聞いていた国民民主党の国会議員A氏は、 「いや、会見で『山尾ショック』がさらに炎上だ。会見をさせたのは大失敗」  と暗い表情で話していた。 「会見では不倫報道があったことは謝罪しながらも、ごまかすような答えに終始していた。これではうちの支持率は回復しない。出馬会見前と後、ダブルの山尾ショックだ」  A氏だけでなく、党内では会見への批判が高まり、参院選への影響を避けるためにも公認取り消しを求める声が噴出した。 同期議員は「相変わらずですね」  山尾氏は旧民主党が政権交代を果たした2009年の衆院選で旧民主党公認として初当選した。そのとき山尾氏とともに当選した元衆院議員のBさんは、 「もっと素直になれば、みんな積極的に応援するのですが、相変わらずですね」  と話す。  Bさんによると、同期当選組に市長に転身している人が多いため、6月3日に東京であった全国市長会に合わせて、当選同期会が開かれたという。 「当時のメンバーで集まろうという話になって、山尾さんも来られたので、『選挙、頑張って』と話しました。ただ、その後のポスト(投稿)がね……」 6月10日の山尾氏の会見は2時間半にも及んだ(日刊スポーツ) 「山尾さんのために集まったような感じだね」  山尾氏は自らのXに6月4日に次のようにポストしている。 〈60人以上集まった2009年当選同期会。私の再挑戦の件も、同期の仲間という一点で、本当にあたたかい励ましをもらいました〉 「昔の仲間が選挙に出るというなら『頑張って』と激励はしますよ。ただ私だけではなく、参加した何人ものメンバーがこれを見て、『なんか山尾さんのためにわざわざ集まったような感じだね』と言っていました。参院選の全国比例なんだから、どこからでも山尾さんを応援できるのに、損な性格は変わらない。昔から、自分大好きでまわりが見えない山尾さんらしいなと」(Bさん)  山尾氏の「まわりが見えない」行動はほかにもあった。  6月上旬、東京都議選に国民民主党から出馬する候補の陣営に、山尾氏から「ご挨拶にうかがいたい」という趣旨の話があったという。陣営関係者が言う。 「山尾氏が事務所にきたことがオープンになれば、票が減るのは目に見えている。うちだけでなく、他の候補のところにも同様の連絡がきたそうです。どうしたものかと困りました」 「自分から身を引くべきでした」  山尾氏は6月8日には、参院選のために、 〈事務所をオープンしました〉  とポストしたが、事前の告知はなかったためメディア報道はなかった。先のBさんはこう話した。 「選挙事務所を設置するなら、党からメディアへ事前に告知するなり、党幹部が支援者にご挨拶にうかがうなど、なんらかの対応をふつうはしますよ。いきなりSNSで事務所を開いたと知った人が大半でした。実は国民民主党内では、超ド級の山尾ショックに『公認を取り消すべき』という声が少なからずあった。山尾氏もそんな空気を察知したのでしょう。都議選の候補者に働きかけたり、SNSで自ら発信したり、既成事実を作っていった。出馬取り消しなんてことにならないようにとの作戦だったのでしょう。でも、これだけ支持率が落ちたんだから自分から身を引くべきでした」  会見で山尾氏は、自らの出馬で国民民主党の支持率が落ちたことについて聞かれて、こう答えていた。 「自分に一因があるんだろうと思う。国民民主党の議員、党員、サポーターが、一生懸命ここまでやってきた。そういう中で、私の出馬の報道が水をかけてしまった面がある。本当に申し訳なく思っています。そのあと、自分にできることはなんだろうと考えた時、少しでも不安をやわらげることができたらと。今日の会見は、そんな思いもあります」  だが、説明しない会見で、批判はむしろ増幅した。山尾氏にとっては出馬のための会見だったが、公認取り消しの決め手となってしまった。 (編集部・今西憲之)
専業主婦年金は不公平? 保険料を納めないのは「虫が良すぎる」のか 3号制度廃止の議論加速 “働けない人”のサポートが大切
専業主婦年金は不公平? 保険料を納めないのは「虫が良すぎる」のか 3号制度廃止の議論加速 “働けない人”のサポートが大切 専業主婦年金は不公平という声は多いが…(photo 写真映像部・松永卓也) 「だって、おかしいでしょう」  神奈川県に住む女性(66)は、不満をぶつける。  彼女が40年以上も疑問を抱き続けてきたのは、専業主婦は配偶者の扶養に入ることで自らは社会保険料を納めずに年金を受け取れる、いわゆる「第3号被保険者制度(3号制度)」の存在だ。女性は大学を卒業後すぐに就職した。両親が働いている姿を見てきたので、「働かない」という選択肢はなかったという。結婚、出産を経て、子育てをしながら働き続け、62歳で退職するまでの約40年間、保険料を支払い続けた。 「それなのに、『専業主婦』というだけで、もらえるなんて虫が良すぎます」(女性)  3号制度は、1985(昭和60)年の年金制度改正で導入された。当時、「夫は外で働き、妻が家庭を守る」という世帯モデルが一般的だった。国民全員が年金に入る「皆年金」制度は導入されていたが、専業主婦は自ら収入を得ていないという理由から、保険料の負担が免除される例外的な扱いとなった。また、離婚した際に自分名義の年金を受け取れないなどの課題もあった。3号制度創設には、女性の「年金権」を確立する狙いがあった。3号被保険者の保険料は、配偶者が加入している厚生年金制度の財源から一括して国民年金に納められている。  しかし、この仕組みに「保険料を支払わないのに年金をもらえるのは不公平だ」という不満は根強く、「専業主婦はズルい」といった議論も巻き起こってきた。 「免除されるのはちょっと……」  AERAがネットで実施した「専業主婦」に関するアンケートでも、「3号廃止に賛成」の声が多数寄せられた。中でも目立ったのが、制度に対し「不公平」という声だ。  大阪に住む会社員の女性(58)は、こんなモヤモヤ感を吐露する。 「なんで、働いていない人の年金の分まで、私たちが負担しなければいけないの?と思います」  中部地方に住む医師の女性(49)は、こんな不平等感を覚えたと言う。 「大学院に通っていた29歳からの4年間、アルバイトをしながらちゃんと国民年金を払ってきました。それなのに、結婚をしているからという理由だけで免除されるのはちょっと……」  そうした中、制度の見直しを求める動きが強まっている。  年金の制度改革は5年に1度行われており、今年はその節目の年にあたる。今国会では「年金制度改革法案」の成立が見込まれ、その中で初めて、「第3号被保険者制度」の見直しに関する規定が盛り込まれた。経済界や労働組合では、「制度そのものを廃止すべきだ」という声が上がり、今後の制度改革に向けた議論が加速している。  みずほリサーチ&テクノロジーズの酒井才介・チーフ日本経済エコノミストは、社会保険制度の中立性、女性の社会進出の促進、人手不足といった観点から3号制度の廃止は避けて通れない課題という。 「特に、人手不足が日本経済の成長のボトルネックとなっている現状において、就労を抑制する可能性のある3号制度は、見直しが不可欠です」 「日本経済全体にとってマイナス」  酒井氏は、「3号制度」が今の人手不足の要因の一つになっているという。年収106万円以上などの条件を満たすと、3号制度から外れ自ら社会保険料を納める義務が発生する、いわゆる「年収の壁」が存在する。この「壁」があるため、就労時間を調整するインセンティブが働き、女性の就労意欲やキャリア形成を妨げ、人手不足を深刻化させているという。 「本来ならば働ける人が働けない状態が続くことは、日本経済全体にとってマイナスです」(酒井氏)  大妻女子大学の永瀬伸子教授(労働経済学)は、「すぐにも3号廃止の予定とのメッセージを政府が出すべき」と強調する。 「3号制度は、主婦が小遣い稼ぎ程度のパート労働をする時代につくられました。能力にかかわらず主婦を最低賃金程度で雇用する一方、企業が厚生年金保険料の負担を回避できる、今日に続く当たり前の形成を支えてきました」    しかし2000年代以降はこのパートという働き方が、自立生計が必要な若者やシングルマザー、離婚した女性、未婚男女にも広がり、低賃金や不安定雇用が拡大した。また、同一労働同一賃金の「同一労働」の定義には、仕事内容や責任だけでなく配置転換の範囲まで含まれている。日本型正社員制度の中で、非正規社員は前提が異なるため、仕事内容や責任が同じでも賃金差が法的に許される。一方で、正社員は企業命令の配置転換や残業は当然に認められる。こうした日本的雇用慣行にあって、3号制度は有配偶女性の不満の噴出を抑える役割を果たした、という。 「要するに、3号制度には『配偶者の扶養』という形で制度的に女性の非正規化と低賃金労働を後押ししてきた歴史があります。しかし少子高齢化が進み、40年までに現役世代が約1千万人減少するとされる中、女性が一人前の賃金を得られるようになることは、日本の経済成長に不可欠です」 3号制度に支えられてきた人も  さらに、家族モデルも変化していると指摘する。主婦を扶養できるほどの収入を得られる男性は減り、同時に離婚リスクの高まりから、低収入になりがちな結婚・出産を躊躇する女性も増えている、と。 「また、結婚し子どもを持っても、夫婦それぞれ一人前の賃金を得られる社会を構築することは、高齢化と少子化が同時に進行する日本特有の人口構造上も、男性賃金の下落傾向と女性賃金の上昇傾向という世界的な潮流から見ても重要なのです」  実際、女性の社会進出や共働き世帯の増加などによって第3号の人数は、95年度の1220万人をピークに、2023年度末で686万人と半減している。  ただ一方で、3号制度に支えられてきた人も少なくない。 「3号制度は、子育てや家事に忙殺されている主婦へのご褒美のようなものでした」  こう話すのは都内に暮らす、ぼっちさん(50)だ。  大学卒業後は一般企業に就職し、仕事にやりがいを感じ働いていた。しかし、30代後半で出産した後、職場でハラスメントに遭い適応障害を発症し、やむなく退職の道を選んだ。その後は、第3号被保険者として、夫の扶養の範囲内でパート勤務を続けながら、障害と向き合いつつ無理のない形で子育てをすることができた。そこから生まれるちょっとした精神的余裕が、幸せを生んでくれたという。 「やはり、3号制度に守られていたところが大きかったです」(ぼっちさん)  40代の女性は、3号廃止の議論に戸惑いを隠せない。 「中年になって突然、『これからは専業主婦だと年金がもらえません、働きに出てください』と言われても困ります」 その先にどのような社会を  大学卒業後は国家公務員として働いていたが、長時間労働や人間関係などで体調を壊し、双極性障害を発症して退職。結婚後は専業主婦となり、出産、育児、親の介護にも追われてきた。最近は、更年期障害も重なって、とても働ける状況ではない。それなのに、今になって「これからは専業主婦だと年金がもらえません、働きに出てください」と言われても困るという。 「そもそも、20年以上もブランクがある専業主婦を企業は採用しないと思います」(女性)   3号制度の廃止を見据えた時、その先にどのような社会を目指すべきなのか――。  大妻女子大学の永瀬教授は、「非正規や中途採用であっても社会保険に加入できるだけでなく、子どもを持っても自立できる賃金を得られる働き方が当たり前になる社会になることが、経済成長だけでなく、少子化の緩和のためにも必要」と語る。 「働きたくても働けない人は第3号被保険者に限りません。例えば、非正規雇用者やフリーランス、学生など第1号被保険者の中にも、子育てや病気のために就労が難しい人がいます。配偶者のいないシングルマザーは、低収入でもそもそも3号になれません」  重要なのは、どのようなライフステージでも、社会保険の保護を得られ、適正な賃金を受け取れる労働環境を整えること。そのためには、次の4点が重要になるという。 ①働く意欲のある人への支援  中年期からでも、働く意欲のある人には能力に見合った賃金を得る道筋が見える雇用制度をつくる。 ②女性のキャリア形成支援  女性が出産・育児を経てもキャリアを継続できるよう、育児休業制度をはじめ、非正規雇用者を含めた両立支援の対象を拡充し、継続を容易にするため利用時期や期間の夫婦の自由度も拡大する。 『世帯単位』から『個人単位』に ③子育て期は第3号に限定しない支援 低年齢児のケア期間の社会保険料免除は3号に限定しない。出産後の低収入の所得補填は、育児休業をとれない雇用者も対象に拡充する。さらに、早期の職場復帰支援を強化する。 ④真の働き方改革 男性を含めた、正規・非正規の働き方の見直し。夫婦共働きが可能なように、残業や勤務地に対する企業命令の受け入れを当然の前提としない働き方改革。 「こうした、男女両面からのアプローチが同時に不可欠です」(永瀬教授)  みずほリサーチ&テクノロジーズの酒井氏は、「働き方に中立的な制度設計が極めて重要」と説く。 「そのためには、社会保険制度をこれまでの『世帯単位』から『個人単位』にし、働く人すべてが社会保険料を支払う制度設計にアップデートしていくことが求められます」  同時に、社会保険に加入するメリットも考える必要があるという。例えば、年収106万円を超えると手取りが減るため、「働かない方が得」と考え就労を控えると、今以上のキャリアを築くことは難しい。目先の手取りにとらわれず、働いて収入を増やすことは長期的にはキャリアアップや夢の実現につながり、将来の受け取れる年金額も増える。どのような人生を送りたいのか、自分のキャリアをどう築いていきたいのか――そうした視点を持つことも大切だと強調する。 国として明確なビジョンを  一方、障害や介護など、やむを得ない事情で働けない人は社会で支えていくことが必要不可欠という。セーフティーネットによって、個別の状況に応じた社会給付や救済措置を講じ、きめ細やかに対応していくことが大切という。 「制度改革には時間を要しますが、人口減少や経済の停滞といった日本が抱える深刻な社会課題から抜け出すためにも、現代にふさわしい制度設計は何か、国として明確なビジョンを示していく必要があります」(酒井氏) (編集部・野村昌二) 特集:令和を生きる「専業主婦」は幸せなのか? #1 【図解で分かる】「専業主婦年金」はズルい? 保険料を納めていないのに… 廃止すべき? https://dot.asahi.com/articles/-/258154 #2 “バリキャリマウント”に沈黙の令和の専業主婦 家事・育児のやりがい実感もなぜか肩身が狭い https://dot.asahi.com/articles/-/258150 #3 「専業主婦」という呼称、そろそろやめませんか? 世代・トレンド評論家の牛窪恵さんの提案 https://dot.asahi.com/articles/-/258136 #4 家庭内総務、ホーム・ディレクター、家事マエストロ――。ネガティブに響く「専業主婦」に代わる新名称を https://dot.asahi.com/articles/-/258255
佳子さま「ブラジル訪問」の絶妙なタイミング  “ほほ笑みのプリンセス”が眞子さんから受け継いだバトン
佳子さま「ブラジル訪問」の絶妙なタイミング  “ほほ笑みのプリンセス”が眞子さんから受け継いだバトン サンパウロの公園内にある「日本館」でコイにエサをやりながら景色を見て、柔らかなほほ笑みを浮かべる佳子さま=2025年6月5日 ブラジル・サンパウロ 秋篠宮家の次女・佳子さまが6月4~17日の日程でブラジルを公式訪問されている。今年は日本とブラジルが外交関係樹立の130周年の節目の年にあたるため、ブラジル政府から招待があり、佳子さまの訪問となった。行く先々で大きな歓迎を受け、その様子が現地に到着した日から日本でも連日報じられている。皇室番組の放送作家のつげのり子さんは、佳子さまのブラジル訪問は「絶妙なタイミング」だったとし、期待することがあると話す。 *   *   *  6月4日午後5時30分ごろ(日本時間)、佳子さまは鮮やかなコーラルピンクのスーツで成田空港を民間機で出発。アメリカのシカゴを経由し、5日午前にブラジル・サンパウロに到着し、イビラプエラ公園にある日本移民の先人を弔う「開拓先没者慰霊碑」に供花された。  約2週間というブラジル訪問の日程がスタートしたが、その佳子さまの様子は毎日、報道されている。ある地上波の報道番組公式サイトでは「写真100枚以上 佳子さまブラジル公式訪問 随時更新」と題して報じており、更新された写真はなんと207枚(10日午前現在)。佳子さまのブラジル訪問への期待を感じる。2001年から皇室番組の放送作家を務めで、「佳子さまの素顔: 可憐なるプリンセスの知られざるエピソード」の著者でもあるつげのり子さんは、今回の佳子さまのブラジル訪問は「絶妙なタイミング」だと話す。 “絶妙”というのは、3月25日に国賓としてブラジルのルーラ大統領夫妻が来日しているからだ。国賓の受け入れはコロナ禍で中断しており、6年ぶりだった。国賓の来日は2019年のトランプ大統領以来で、令和になってから2回目のため、宮中晩餐会などの様子は大きく報じられた。 「ルーラ大統領夫妻が国賓として来日してから、3カ月もおかずに佳子さまがブラジルを公式訪問されるというのは絶妙なタイミングだと思います。ルーラ大統領は、天皇、皇后両陛下から、宮中晩餐会などおもてなしを受けたことにとても感激したとお話しされ、その様子はブラジルでもニュースとして報じられました。そうした影響で親日度がより高まっているタイミングで、佳子さまがブラジルを訪問されて、改めて日本への親しみと関心がグッと高まるのではないかと思います」 6月祭のダンスを見て手を振る佳子さま。さすが”ほほ笑みのプリンセス”、佳子さまの笑顔で周囲にも和やかなほほ笑みがあふれる=2025年6月7日 ブラジル・サンパウロ   宮中晩餐会にはカズやマルシアが  ルーラ大統領が招かれた宮中晩餐会には、ブラジルでプロのキャリアをスタートさせた“キングカズ”こと三浦知良選手やブラジル出身の解説者セルジオ越後さん、歌手のマルシアなどブラジルにゆかりのある人たちも招待されていた。そこから3カ月を開けずに実現した佳子さまのブラジル公式訪問には、大いに意味があるとつげさんは続ける。 「佳子さまは日本との外交関係樹立の130周年で訪問されましたが、これから100年、200年先も日本とブラジルが強い結びつきとなるターニングポイントとなるのではないかと思います。このタイミングで佳子さまが訪問されたことで、両国の関係がより親密度を増し、さらなる交流が続くきっかけになるはずです」  皇室は、海外に移住した日本人やその子孫の日系人に心を寄せ、長く交流を続けている。世界には500万人の日系人が暮らしているが、ブラジルに住む日系人は270万人と世界最多だ。そうしたことからブラジルに上皇ご夫妻は皇太子殿下・皇太子妃時代の1967年に訪問。上皇ご夫妻の子どもたちである天皇陛下、秋篠宮さま、黒田清子さんのお三方は、初めての公式外国訪問としてブラジルを訪問されている。また、佳子さまの姉・小室眞子さんも2018年にブラジルを訪れており、佳子さまにバトンが引き継がれたところだ。   “ほほ笑みのプリンセス”佳子さま  そんな佳子さまに期待するのは、「ほほ笑みのプリンセス」の“再来”だ。23年11月に南米・ペルーを訪問された際、現地メディアから佳子さまは「ほほ笑みのプリンセス」と報じられた。つげさんは、ブラジルでの行く先々で佳子さまの「ほほ笑み」を大いに期待する。「ほほ笑みのプリンセス」の“再来”だ 「いまは世界が混沌としていて、平和が脅かされている状況です。“ほほ笑みのプリンセス”と称される佳子さまの柔らかな笑顔は、日本が平和を志向する国であることを指し示すもの。佳子さまのほほ笑みから、天皇、皇后両陛下をはじめ、皇室の方々が平和を願われていること感じ取ってもらえるのではないでしょうか。日本とブラジルが共に平和の道を歩もうということが現地のブラジルの人たちに伝わると思います」  10日には首都ブラジリア、12日はリオデジャネイロ、14日はフォス・ド・イグアスを訪れる。15日にサンパウロからアメリカ経由で17日(日本時間)帰国するまで、ブラジルと日本の絆を深める、佳子さまのほほ笑みがたくさん見られることだろう。 (AERA編集部・太田裕子) ◎つげのり子/放送作家。ノンフィクション作家。2001年の愛子さまご誕生以来皇室番組に携わり、テレビ東京・BSテレ東で放送中の「皇室の窓」で構成を担当。皇室研究をライフワークとしている。日本放送作家協会、日本メディア学会会員。西武文理大学非常勤講師。著書に『天皇家250年の血脈』(KADOKAWA)、『素顔の美智子さま』『素顔の雅子さま』『佳子さまの素顔』(河出書房新社)、『女帝のいた時代』(自由国民社)、構成に『天皇陛下のプロポーズ』(小学館、著者・織田和雄)がある
「専業主婦」という呼称、そろそろやめませんか? 世代・トレンド評論家の牛窪恵さんの提案
「専業主婦」という呼称、そろそろやめませんか? 世代・トレンド評論家の牛窪恵さんの提案 牛窪恵さん/うしくぼ・めぐみ  世代・トレンド評論家。立教大学大学院(MBA)客員教授。著書に『恋愛結婚の終焉』(光文社新書)ほか多数(photo 本人提供)  働き続ける人が増え、政府も企業も両立支援策を強化するなか、減り続ける「専業主婦(夫)」。家事・育児を担うことは大切な役割であるはずが、社会の変化もあって、その存在が見えづらくなっている。それは「専業主婦(夫)」という呼称に原因があるのでは? 世代・トレンド評論家の牛窪恵さんに話を聞いた。 * * *  女性の7割以上が仕事を持つようになった現代は、多くの家庭で、PTA活動やマンションの理事会への参加、地域活動等に夫婦で役割分担して参加しています。  若い世代に目をやると、子づくりでさえ、排卵日アプリでシェアしてスケジューリング。夫(妻)には、出張を入れないように日程調整を依頼するなど、スケジューリング。ある意味、家庭がまるで会社組織のようになっているのです。  そんな中でマネジャー的な存在がいわゆる「専業主婦(夫)」。家事を一大プロジェクトだとすれば、プロジェクトマネジャー、管理者という表現も近いかもしれません。 一生、専業主婦で居続けるのは厳しい  ただ、「専業主婦」という言葉は意味があいまいです。主婦がこなす役割の範囲はとても広いですし、何をもって「専業」なのかがわかりません。さらに、昔のように「一生、専業主婦で居続ける」というのは、日本の経済状況や人手不足からも厳しいですし、それを望む女性も減っています。働いている人も、ずっとフルタイムで働き続けるばかりではないのと同じように、専業主婦もずっと専業主婦かというと、そんなことはありません。  同じ一人の専業主婦でも、その時々で役割や立場は変わります。「〇〇ちゃんのママ」が中心の時もあれば、家事やインテリアに凝ったり、ボランティア活動に励んだりする時期もある。それを統一した呼称で呼ぶのは無理があります。 平日の昼下がり、公園で子どもを遊ばせることができるのは専業主婦だからこそ(photo 写真映像部・松永卓也) もっと自由に、誇りを持って  近年、米国では「専業主婦」的な立場の人が、自分のライフステージや関心に応じて呼称を変えています。育児メインなら「Stay-at-home mom」、家事に注力するなら「Homemaker」、今は働いていないけれど将来働く予定なら「Not working at the moment」など、自分で自分のあり方を選び、表現しているのです。  日本の専業主婦たちも好きなように、自由に、その時々で自分の立場を表現していいと思います。大切なのは「今、自分がやっていること」だけを示すのでなく、自分がやりたいことを表現すること。自分の人生でやりたいこと、これは得意だと自信をもって言えるもの。それを肩書のように言葉にすることで、自分自身のアイデンティティーにつながっていきます。名刺に入れる肩書を考えるように、その時々で自分を表現する。  呼称はそれぞれ違っていい。もっと自由に呼んでいい。誇りを持っていい。そういう社会にしていかなければいけません。 「専業主婦」という呼称、そろそろもうやめませんか、と言いたいですね。 (構成 AERA編集部・大崎百紀)   特集:令和を生きる「専業主婦」は幸せなのか?  #1 【図解で分かる】「専業主婦年金」はズルい? 保険料を納めていないのに… 廃止すべき? https://dot.asahi.com/articles/-/258154 #2 “バリキャリマウント”に沈黙の令和の専業主婦 家事・育児のやりがい実感もなぜか肩身が狭い https://dot.asahi.com/articles/-/258150 #3 家庭内総務、ホーム・ディレクター、家事マエストロ――。ネガティブに響く「専業主婦」に代わる新名称を https://dot.asahi.com/articles/-/258255
家庭内総務、ホーム・ディレクター、家事マエストロ――。ネガティブに響く「専業主婦」に代わる新名称を
家庭内総務、ホーム・ディレクター、家事マエストロ――。ネガティブに響く「専業主婦」に代わる新名称を 運動会の代休となった5月の月曜日、専業主婦のママ友と誘い合って子どもたちを公園で遊ばせる。ワーママの子どもたちが朝から夕方まで学童で過ごすのとは対照的だ(photo 写真映像部・松永卓也) 「専業主婦」という言葉は、今の時代にネガティブに響くのではないか――。AERAでは「専業主婦」についてのアンケートを実施。呼称についても意見を募った。 *   *   * 「専業主婦って、家事・育児をすべてやって、家族のスケジュール管理まで役割は多岐にわたるのに、『専業主婦』という言葉には仕事に繋がる表現がない。だからその実態を理解してもらいにくいと思います」  東京都在住の専業主婦(39)は、こう話す。早朝から家族の世話に追われ、子どもたちを送り出した後は、家事を済ませて食材の買い出しに行ったり、郵便局に行ったり。あっという間に午後になり、子どもたちが帰ってきてからは、習い事の送迎や夕飯の準備に追われる。働く人が仕事の合間にコーヒーを飲むような時間すらないまま、夜になってしまうのが常だ。  なのに、その慌ただしさを理解されにくいと感じるのは、やはり「専業主婦」という呼称に問題があるのではないか。AERAでは5月、「専業主婦」についてのアンケートを実施。呼称についても意見を募った。  家事・育児といった家庭内のことを担当していることが明確にわかる新名称を望む声が多いなか、東京都の自営業の男性(59)はこう提案する。 働く女性も専業主婦も、みんなそれぞれ忙しい毎日だ(illustration:小迎裕美子) 結婚は「M&A」、専業主婦(夫)は「家庭内総務」 「今は、結婚のことをM&A、親子関係を株式100%子会社と表現したりするので主婦(主夫)は、『家庭内総務』つまり、何でも屋さんでどうでしょう。何にもしていないなら『家庭内フリーター』。旦那に指示だけを出しているなら『旦那管理職』」 “主夫”経験者は、どのような意見だろうか。『妻に稼がれる夫のジレンマ——共働き夫婦の性別役割意識をめぐって』の著者で千葉科学大学危機管理学部教授(家族社会学)の小西一禎さんに話を聞いた。  共同通信社の政治記者だった小西さんは2017年末、米国転勤が決まった妻に同行するために、会社の休職制度を使って渡米。現地では子ども2人を育てる「駐在員の夫=駐夫(ちゅうおっと)」として約3年を過ごした。その後、休職期間が満期となったタイミングで退職し、「主夫」として家事・育児を引き続き担ってきた経験がある。 「駐夫時代に、主婦業がものすごく大変なことだと気づきました。とにかくタスクが多くて、極めて生産的で創造的な仕事です」  子どもたちの好物の手捏ねハンバーグやメンチカツ、鶏の丸焼きも作った。タマネギも最初はサイコロ大にしか切れなかったが、次第に数ミリ単位で刻めるようになり、家族全体のスケジュールや健康管理もうまくこなせるようになったという。「家族のために過ごす時間が自分の幸せに繋がりました。『家族の幸せクリエーター』として家の中心となりました」と振り返る。 illustration:小迎裕美子   「専業」だから押し付けていいのか  若年層を中心にジェンダーに対する意識が大きく変化し、性別による固定観念に疑問を持つ人が増えている。小西さんは、こう指摘する。 「社会が少しずつ変化していく中で『専業主婦・主夫』という言葉がその流れを堰き止めているようにも思えます。この言葉が今も現存していてその役割が固定していること自体が問題です。専業主婦・主夫はもっと自信をもって自分の仕事や存在をアピールしていいですし、『専業』だからといって一方に家事を全部押し付けている人がいれば、そもそもそれでよいのかを考えるところから始めたらいいでしょう」  そこから夫婦間の役割分担を見直したり、思考も時間も互いに寄り添えるようになったりしたら、誰もがもっと生きやすい社会になるのだろう。 「専業主婦・主夫という言葉の代わりに、社会的にいい言葉を広めるのが大きな一歩になるでしょうね」と小西さん。 「ファミリー」や「ホーム」に「ディレクター」「プロデューサー」「サポーター」「ビルダー」などを組み合わせ、温かみのある言葉にするのはどうかというのが、小西案だ。 専業主婦のイメージは「悪い」  AERAアンケートでも小西さんのように専業主婦の役割を肯定的にとらえた上での新名称の提案が多かった一方で、こんな声も寄せられた。 「主婦(主夫)の仕事は仕事だと思っていない。仕事じゃないから『専業主婦・主夫』でいい。敢えて言うなら『働かない大人』。専業主婦そのものを否定しているわけではないのですが、なりたい人はなればいい」 AERAアンケートは5月にオンラインで実施。専業主婦(主夫)を「働いていない、もしくは扶養の範囲内で働く人」としました  そう語ったのは、神奈川県の元エンジニアの女性(66)。40年間、仕事をしてきたといい、「保育園に預けられた娘たちは『可哀想』と言われたけど、その娘も今は働いています」と話す。専業主婦のイメージは「悪い」と言いつつ、「私には『働かない』という選択肢がなかっただけ」ともこぼす。  経済状況の悪化や、働く人が増えたことによる影響で「一生ずっと専業主婦(主夫)」を選択する人は、かつてほど多くない時代になった。 もっと自由に、どうありたいかを考える  東京都の学校職員の女性(49)は、「専業主婦には、相当グラデーションがある。だから、その時々で分けるといい。『家事専業人』と『家事兼業人』というように。介護などで限定的になる人は『一時的家事兼業人』とか。大事なのは自主選択しているという点です」と話す。  明確に「働きたくない」という人もいる。 「そういう人は『選択的家事専業人』として生きればいいと思います」(学校職員の女性)  自分がどうありたいのか、「専業主婦」という言葉を離れてひとりひとり「自由」に考える時代になっているということだろう。 (AERA編集部・大崎百紀)   特集:令和を生きる「専業主婦」は幸せなのか? #1 【図解で分かる】「専業主婦年金」はズルい? 保険料を納めていないのに… 廃止すべき? https://dot.asahi.com/articles/-/258154 #2 “バリキャリマウント”に沈黙の令和の専業主婦 家事・育児のやりがい実感もなぜか肩身が狭い https://dot.asahi.com/articles/-/258150 #3 「専業主婦」という呼称、そろそろやめませんか? 世代・トレンド評論家の牛窪恵さんの提案 https://dot.asahi.com/articles/-/258136
ご結婚32年 雅子さま「レモン色のお帽子」の秘密 婚約会見を担当美容師が「ハラハラと祈る思い」で見つめた理由とは
ご結婚32年 雅子さま「レモン色のお帽子」の秘密 婚約会見を担当美容師が「ハラハラと祈る思い」で見つめた理由とは   婚約が決まり、そろって臨んだ記者会見で見つめ合う陛下(当時、皇太子)と雅子さま(当時、小和田雅子さん)。雅子さまの黄色い帽子の下には、「秘密」があった=1993年、元赤坂の東宮仮御所  6月9日、ご結婚から32回目の結婚記念日を迎えた天皇、皇后両陛下。おふたりの出会いからご結婚の直前まで、美容師という立場で雅子さまを支えたのが、多田修さんだ。日本中の人びとが、婚約会見の中継を幸せな思いで見ていたとき、担当の多田さんは「祈るような気持ちとハラハラしながら」画面を見つめていた。実は、雅子さまの帽子のなかには、ある秘密があった。 *    *    * 「雅子さん。皇太子さまからお電話です」  婚約内定の報道が出てからは、多田さんは何度も小田和邸に通ってカットや打ち合わせを行った。 居間にある姿見の鏡と椅子、シートを敷いてカットとしていると小和田家のお手伝いさんから声がかかることもあった。 「はい」  雅子さまはカットの途中でも、スッと席を立って電話を受け取る。そんなほほ笑ましい光景も見られたという。  実はこの時期、多田さんはカットといいながら、ほとんど髪を切っていない。  というのも、雅子さまは、結婚の儀で十二単の装束とともに側頭部を大きく膨らませる「おすべらかし」を結うために髪を伸ばしていたという。 「ただ、雅子さまは、枝毛をつくらないよう気を配られていました。なので、小和田邸でカットするときも毛先1ミリ、2ミリを、『粉カット』して整えていました」 皇太子さま(天皇陛下)とデートのため外出する小和田雅子さん(皇后雅子さま)。輝くような笑顔は、いまも変わらない=1993年04月01日、東京都目黒区、小和田さん宅  皇室会議で皇太子さまと小和田雅子さんの婚約が決定した1月19日、続いておふたりは婚約会見に臨んだ。  薔薇の飾りがついた淡いレモン色のワンピースと帽子、そして真珠のアクセサリーと、品のよい装いに身を包んだ雅子さまは、すっと顔を上げ、凜とした声でこう話した。 「お受けいたしますからには、殿下にお幸せになっていただけるように、そして、私自身も自分で『いい人生だった』と振り返れるような人生にできるように努力したいと思います」  結婚を決意した心境について語る雅子さまの言葉は、外務省の第一線で働く女性としての芯の強さを感じさせるものだった。   婚約会見に臨む皇太子さま(天皇陛下)と小和田雅子さん(皇后雅子さま)。雅子さまのレモン色の帽子の下には、このあとの両陛下(上皇ご夫妻)との食事会で着用するブルーの装いに合わせて青いリボンで留められた髪型がセットされていた=1993年、元赤坂の東宮仮御所  この会見の間中、多田さんは、レモン色のお帽子が落ちないかとハラハラしながらテレビ画面を見つめていた。  この日は婚約会見のあと、両陛下(上皇ご夫妻)からのお招きで、御所で夕食会が予定されていた。雅子さまは、皇居内で衣装を着替えなければいけないが、多田さんら美容師は、着替えはもちろんヘアセットも手伝うことができないのだという。 「雅子さまは、夜はブルーのワンピースに着替える予定でしたが、メイクはもちろん、ヘアセットもご自分でなさらないといけない」  どうしようかと思案した結果、レモン色の帽子の中に、多田さんはある仕掛けをした。  ブルーのワンピースと共布で手作りしたリボンを、あらかじめ雅子さまの髪に結び、レモン色の帽子を被せて隠してしまったのだ。   お妃教育時代の小和田雅子さん(皇后雅子さま)。溌溂と明るい笑顔とセンスのよい服装、美しく頭脳明晰なプリンセスの誕生を、日本中が心待ちにしあこがれた=1993年04月23日  ただし、雅子さまがおひとりでレモン色の帽子を外して、準備をしないといけない。手間取って髪型が崩れないよう、本来帽子についていたフックは使わずに、2本のピン留めだけで固定した。 「小和田邸でヘアセットをしてレモン色の帽子を固定する際に、こことここのピンを外すと帽子がとれますからね、と覚えていただきました」と多田さんは振り返る。  雅子さまも、 「わかったわ、ここね」  と、反復して本番に臨んだ。 「雅子さまが、おひとりで髪型を崩さずに外せる程度の固定強度。でも、婚約会見で大きくうなずいたら、帽子がずり落ちてしまいます。だから、祈るような気持ちでテレビ中継を見つめていました」  会見では、雅子さまが笑顔でうなずく場面もあったものの、無事に終了した。両陛下との夕食を終えて、車で帰宅するニュースを確認してようやく、多田さんは安堵したという。 一般の婚約にあたる「納采の儀」を終え、婚約を報告するため先祖の墓参に訪れた小和田雅子さん(皇后雅子さま)。普段のキャリア女性らしいワンレンとはまた異なり、リボンをつけて可愛らしい雰囲気の髪型=1993年04月17日  おふたりのご結婚の少し前まで、多田さんは雅子さまのヘアアレンジを担当した。  皇太子さまとのデートで雅子さまが着けていた、グリーンやブルーのカチューシャも、多田さんが準備し、使い方も伝えた。 「こうやってグッと髪に留めてくださいね」  お妃教育の勉強や結婚の準備で忙しい時期ではあったが、雅子さまは、 「ええ、わかったわ」と、真面目にヘアアレンジを学んだという。  あるとき、雅子さまが、こう口を開いた。 「今日、切手なのよ」  おふたりのご成婚の記念切手のデザインに用いる写真を、このあと撮影するのだという。 おふたりの記念切手は、何種類か発売されている。この時は、ブルーの衣装でサイドの髪を結い上げて顔をすっきりと出したヘアスタイルの雅子さまの肖像画が用いられた。  多田さんは、この記念切手をいまも大切に保管している。 皇太子さま(現・天皇陛下)と雅子さまのご結婚を記念して発行された記念切手。小和田雅子さん時代の担当美容師だった多田さんがヘアセットをしていると、雅子さまが「今日は、切手(の撮影)なの」と話したという=撮影、永井貴子  多田さんが雅子さまのヘアセットを最後に担当したのは、4月20日の「告期の儀」のときだった。「結婚の儀」を6月9日に行うことを小和田家に正式に伝える儀式で、「雅子さまは、ブルーグリーンのワンピースで儀式に臨んだ。  それ以降は、別の美容室が雅子さまを担当することになった。  きちんとごあいさつをできないままであったことが、心残りだという。  まもなく多田さんは、独立して恵比寿の美容室「プレジール」の経営者となった。「告期の儀」を最後に雅子さまと対面する機会はないが、共通の知り合いが多田さんの写真を撮影して、近況とともに伝えたところ、雅子さまはユーモアを交えて感想を伝えるとともに、とても喜んでくれたという。 「おふたりのご結婚から32年、おめでとうございます。天皇陛下と、そして愛子さまと仲睦まじく笑顔でいらっしゃる姿をニュースで拝見すると、とても懐かしく嬉しいです。どうか、お元気でお過ごしください」 (AERA 編集部・永井貴子) 香淳皇后にあいさつのため、皇居・吹上御所に向かう皇太子さま(天皇陛下)と小和田雅子さん(皇后雅子さま)。ふんわりと可愛らしい白の飾りがついたヘッドドレスが印象的=1993年04月28日、元赤坂の東宮仮御所  
韓国産や台湾産の「コシヒカリ」が現地スーパーで存在感ジワリ…日本産は? 海外コメ事情の店頭調査
韓国産や台湾産の「コシヒカリ」が現地スーパーで存在感ジワリ…日本産は? 海外コメ事情の店頭調査 ソウルの大手スーパーマーケットに並ぶ韓国米。日本産米はないが、韓国米の味は日本米に近いという  米価格の高騰を受け、随意契約で売り渡された政府の備蓄米の店頭での販売が大手スーパーマーケットなどで始まった。価格は5キロで2000円強だ。しかし海外では、備蓄米ではない日本からの輸入米が普通に売られている。現地で調べてもらった、特徴的な4エリアの日本米事情を紹介する。 *   *   * 日本並みの価格の台湾  タイのバンコクにある日系スーパーマーケットの棚には、日本から輸入された銘柄米、タイ産の日本米がずらりと並ぶ。新潟県魚沼産コシヒカリは2キロで600バーツ(約2658円)だった一方、秋田県産あきたこまちは2キロで355バーツ(約1573円)で5キロ換算では約3932円だった。 あきたこまちは、日本で5月12~18日に全国のスーパーマーケット約1000店で販売された米5キロあたりの平均価格4285円(税込み)よりは安かった。  台湾では日本並みの値段が付いていた。台北にある大手スーパーマーケットの「カルフール(家樂福)」では、「日本一番米」(岩手県産)という輸入米が5キロ換算で1090台湾元(以下元。約5243円)。  台湾在住の日本人主婦Hさん(40)は、こう話す。 「いつも家の近くのスーパーマーケット、カルフールで米を買っています。台湾産のいちばん安い米は6キロ389元(約1871円)。5キロ換算で1500円強というところ。ここ数年で30~40元値上がりしました。このクラスは、ものによっては香りが気になることもあります。でも、雑穀米と混ぜて炊くとOK。わが家はこれで十分ですが、日本人が食べて『おいしい』と思えるのは、5キロで550元(約2646円)の台湾産『コシヒカリ』でしょうか。台湾産は最近、種類も増え、味もよくなってきています」 タイ産の日本米の「秋田小町」。バンコク在住の日本人の間でも好評だ 購入するのは現地産の日本米?   日本での高騰が続く中、海外で米を買って帰国する日本人が急増していると言われる。海外から日本へ米を持ち込む場合、食糧法や植物防疫法に基づいた検査と手続きが必要なのに、だ。土産というより買い出しといった感じだろうか。実際、どんな日本米を買っているのかを各国で聞いてみた。  タイでの駐在員経験があるYさん(54)は、月に1回ペースでタイに出張し、毎回、米を買って帰るという。 「日本からの輸入米はタイでも割安感はありません。妻から頼まれていつも買うのは、駐在員時代に家で食べていたタイ産の日本米です」  筆者も先日、タイのバンコクから帰る前日、日系スーパーマーケットに出向いた。そこでは日本からの輸入米とほぼ同じスペースをさいて、タイでつくられている日本米が並んでいた。  そのひとつ、「チェンライ 減農薬日本米 秋田小町」は5キロで380バーツ(約1683円)だ。タイ北部の街チェンライでつくられている日本米だった。  前出のYさんが買うのも「秋田小町」だった。バンコク在住の日本人女性Fさん(38)にも聞いてみた。 「タイ在住の日本人で、この『秋田小町』を買っている人は多いと思います、安いですから。私も食べています。炊きたてなら、日本からの輸入米と遜色はありません。ただ、時間がたつと少しパサついた感じになると言う人もいます」  筆者も「秋田小町」を2キロ買って帰国し、炊いてみた。味は通常の日本産米と変わらないように感じた。妻は、「これなら2キロ1000円でも買う」という感想だった。翌日、この米で弁当をつくって出社した娘からは昼過ぎに、「普通においしかった」という連絡があった。 トロントのアジア系食品スーパーマーケットに並ぶカルローズ米。アメリカ産の存在感が強い  5月中旬、韓国のソウルにある大手スーパーマーケットの「イーマート」。10キロ入りの米が2万ウォン台(約2110円台)で売られていた。米フロア担当者によると、「どんなに高い米でも10キロで5万ウォン(約5270円)を超えることはない」とのこと。大まかに換算すると日本の半値である。  このスーパーマーケットにやってきた在韓日本人の主婦は韓国の米についてこう話していたという。 「日本に帰省したときを除いて、日本産のお米を食べることはありません。韓国では日本産のお米は売られていませんから。韓国のお米は値段もリーズナブル。韓国産のコシヒカリというお米もあって、日本産のお米と味は変わりませんね」  パッケージに「コシヒカリ」というブランド名が記された韓国の京畿道の驪州(ヨジュ)市で生産された米は、2キロで1万3500ウォン(約1423円)、3キロで1万5500ウォン(約1634円)で販売されていた。  前述の台湾産も韓国産の「コシヒカリ」も、日本で開発され、現地で生産されている米だという。 取材した結果を総合すると…  カナダのトロントの米事情はアジアとは違う。隣国アメリカでつくられた中粒種のカルローズ米が入ってくるからだ。この米は俗にSushi Riceと呼ばれ、パッケージに日本語が印刷されているのが特徴で、パサパサ感が少なく、日本人にも比較的受け入れやすいとされる。値段は「雪花」というブランドが2キロで10.99カナダドル、5キロで日本円に換算すると約2880円だ。「ぼたん米」は2キロで15.49カナダドル、5キロ換算で約4060円だ。  トロント在住の日本人女性Rさん(48)はSushi Riceを食べている。 「あまり期待していなかった分、かなりおいしく感じますね。モチッとしていて、日本米にかなり近い」  取材してみると、日本人が海外で買って帰るのは、現地でつくられた日本米が多いようだ。日本国内で高騰が続く日本産米は、輸出先の海外でも風向きは悪いようだ。 (下川裕治)
「少数精鋭しか生き残れない」能力主義に未来はあるのか? 鈴木大介さん+勅使川原真衣さん スペシャル対談
「少数精鋭しか生き残れない」能力主義に未来はあるのか? 鈴木大介さん+勅使川原真衣さん スペシャル対談 撮影:和仁貢介(朝日新聞出版写真映像部)  昨年11月に刊行された『貧困と脳 「働かない」のではなく「働けない」』(幻冬舎)、今年1月刊行された『格差の“格”ってなんですか? 無自覚な能力主義と特権性』(朝日新聞出版)。  それぞれの著者、勅使川原真衣さんと鈴木大介さんが「働く」を軸に、「能力が評価されるということ」「働きたくても働けない人の能力をどう評価するか」について忌憚なく語り合ったスペシャル対談(4月18日、三省堂書店神保町本店にて開催)。その後編をお届けする。 (前編「“学校の成績が悪い=「誰にでもできる簡単な仕事」しかできない”の構造は本当なのか?  勅使川原真衣さん+鈴木大介さんスペシャル対談」はこちら) *  *  * あらゆる人を見捨てず包摂するために 勅使川原:能力主義を突き詰めていけば、より優れた社会になっていくはず。  みんなそんな幻想を抱いているのかもしれません。でも、今、そうして多くの人たちが目指していること、やっていることは、この社会において分断のためにやっているのか、包摂(排除の対義)のためにやっているのかっていう視点で考えたい。そうすると、わかりやすいんじゃないかと思うんです。 鈴木:現実は、どう考えても分断が進んでいますよね。 勅使川原:分断したままこの人口減少社会を突き進んで大丈夫なの? そう考えると不安になりますよね。能力主義=人材の精鋭化だから、数を絞っていくんですよね。 鈴木:そこでそぎ落とされた人たちを包摂していかないと、最終的に社会そのものが立ち行かなくなると思います。自身が障害当事者として思うのは、現状の基準で労働市場からそぎ落とされた人たちの多くは、環境と条件が整えば十分働ける人たちだということ。 勅使川原:現状、声が大きいのは大企業ですから「労働」について語ろうとすると、どうしても企業社会が中心になりやすい。でもね。大企業って、人に困ってないんですよ。「掃いて捨てるほどいる」から、「あいつはあれができない」「ここがダメだ」って選抜を繰り返して、精鋭化する。それを見た中小・零細企業の人たちも「大企業にならえ」って、同じ思考に陥ってしまう。そのことこそが問題だと思うんです。  「僕たちこそ少人数なんだから精鋭化しなきゃ生き残れない!」  「もっと優秀な人材が集まるようにしなきゃ」  ってみんな言う。違いますって! 限られた人材だからこそ、互いに能力を活かしあうことを考えるべきなんです。 鈴木:勅使川原さんて、パンクですよね。視点の持ち方が。自分のアプローチが一番伝わらない人に対して、最もアプローチしようと考えるじゃないですか。まずは為政者を変えねばならない! とか。 勅使川原:(笑)そうなのかな。 撮影:和仁貢介(朝日新聞出版写真映像部) 統計に表れない仕事・能力にいかに光をあてるか 鈴木:勅使川原さんの本を拝読していておもしろいなと思うのは、いろんな切り口はあれど、ずっと同じところを目指している「一貫さん」だということ。子どもたちのために、2030年とか2050年とか、そのぐらいの遠くない未来に、もうちょっとマシな社会を残さないといけないっていう強い義務感がある。それが通奏低音になってますよね。 勅使川原:鈴木さんはご自身の病気の経験から、もっと貧困者の「なぜ?(Why)」の解像度を上げたいとおっしゃる。私はそれを何かに生かしたいと勝手に思ってるんです。  私にできることは何かって考えたら、あらゆる人のあらゆる能力を「どう包摂するか」の、どう(How)や何(What)の部分を、労働の場に落とし込むことかなと思って。 鈴木:それはすごくうれしい分業ですね! 僕にはWhyは問えても、Howは書けないから。 勅使川原:WhyにHowとWhatを付け加えることができたら、最高の高福祉国家への道が開けそう!  本来、働くことって、もっと多様なはずなんです。もちろん問題は尽きないし、画一的にものを見るのはラクなんだけど、そこから逃げてちゃ、誰もが生きやすい社会にはつながらない。だからこそ為政者や経営者に問いかけ続けないといけないと思っています。 鈴木:勅使川原さんの本って、社会学の分野なんだけどすごくルポ的なんですよね。取材対象者の語りとしての文章と、聞き手としての勅使川原さんの存在感もちゃんと入ってる。だからすごく読みやすいし、伝わりやすいんです。 勅使川原:フィールドノートを都合よく出しているだけなのかもしれませんが……。 鈴木:でも、そこは社会学でも評価されるべきところだと思いますよ。すべてに統計を取らなきゃいけないんだったら、それは統計が取れる対象のデータしか出せない、ってことなわけで。 勅使川原:そうなんですよ! 数値化とはある種の単純化。数値化されないところにこそ問題は潜んでいるし、そこを見つめたい。 鈴木:最貧困女子なんて、数字では表せないですよ。カウントされない人たちなんですから。 撮影:和仁貢介(朝日新聞出版写真映像部) 勅使川原:本当におっしゃるとおりですね。がんばろうと「する・しない」というときの、その「がんばる」の矛先が、能力主義では画一的なんです。私はそこを問題視してるんですよ。  がんばっているように見えるか・見えないか。そこをじっと凝視しているのは、世の中的に評価される仕事だけなんです。でも、実際にはカウントされない、評価対象にならない。けれど、とても重要な仕事はたくさんある。 鈴木:そこに光を当てないと、いつまでたっても「働きたくても働けない」人たちの「能力」は評価されないし、報われない。 勅使川原:だからこそ、今、“力”(権力)を持っている人たちに届けることが大切なんじゃないかと思っています。 (構成/浅野裕見子)   格差の"格"ってなんですか? 無自覚な能力主義と特権性 商品価格¥1,760 詳細はこちら ※価格などの情報は、原稿執筆時点のものになるため、最新価格や在庫情報等は、Amazonサイト上でご確認ください。     勅使川原真衣(てしがわら・まい) 組織開発専門家。おのみず株式会社代表。1982年、横浜市生まれ。東京大学大学院教育学研究科修士課程修了。ボストンコンサルティンググループ、ヘイグループなど外資コンサルティングファームでの勤務を経て、2017年に独立。 企業をはじめ病院、学校などの組織開発を支援する。また、論壇誌やウェブメディアなどにおいて多数の連載や寄稿を行っている。著書に『「能力」の生きづらさをほぐす』(どく社、紀伊國屋じんぶん大賞2024第8位)のほか、『働くということ─―「能力主義」を超えて』(集英社新書、新書大賞2025第5位、紀伊國屋じんぶん大賞2025第11位)、『職場で傷つく─リーダーのための「傷つき」から始める組織開発』(大和書房)、『「これくらいできないと困るのはきみだよ」?』(編著、東洋館出版社)、『格差の”格”ってなんですか?』(朝日新聞出版)がある。 最新刊は『学歴社会は誰のため』(PHP新書)。2020年に乳がんと診断され、闘病中。 鈴木大介(すずき・だいすけ) 文筆家。子どもや女性、若者の貧困問題をテーマにした取材活動をし、『最貧困女子』(幻冬舎新書)、『ギャングース』(講談社、漫画原作・映画化)、『老人喰い』(ちくま新書、TBS系列にてドラマ化)などを代表作とするルポライターだったが、2015年に脳梗塞を発症。高次脳機能障害の当事者となりつつも執筆活動を継続し、『脳が壊れた』(新潮新書)、『されど愛しきお妻様』(講談社、漫画化)など著書多数。 当事者としての代表作は、援助職全般向けの指南書『「脳コワさん」支援ガイド』(医学書院・シリーズケアをひらく・日本医学ジャーナリスト協会賞大賞受賞)。 近著に『貧困と脳――「働かない」のではなく「働けない」』(幻冬舎新書)、『ネット右翼になった父』(講談社現代新書、キノベス!2024ランクイン、中央公論新社新書大賞2024第5位)など。
“学校の成績が悪い=「誰にでもできる簡単な仕事」しかできない”の構造は本当なのか?  勅使川原真衣さん+鈴木大介さんスペシャル対談
“学校の成績が悪い=「誰にでもできる簡単な仕事」しかできない”の構造は本当なのか?  勅使川原真衣さん+鈴木大介さんスペシャル対談 撮影:和仁貢介(朝日新聞出版写真映像部)  今年1月刊行された『格差の“格”ってなんですか? 無自覚な能力主義と特権性』(朝日新聞出版)。昨年11月に刊行された『貧困と脳 「働かない」のではなく「働けない」』(幻冬舎)。ともに「働くこと」をテーマにしながら、前者はモチベーションや自立、成長、ひいては『能力主義』の是非を論じ、後者は能力主義の労働市場から脱落することによる『貧困』について迫った本だ。  それぞれの著者、勅使川原真衣さんと鈴木大介さんが、三省堂書店神保町本店で刊行を記念しての対談を4月18日、三省堂神保町本店で実現。労働観から、より良い社会への展望まで、忌憚なく語り合った。 *   *   * 誰もが努力はしているはずなのに……? 勅使川原:能力で人材を評価し精鋭化する。優秀な社員に最大限のパフォーマンスを期待する。それがまさに能力主義なのですが、私は「本当にそれでいいの?」と問い続けているんです。  いわゆる‟勝ち組“の人たちに「あなたたちがその優越感を手放せないことこそ、今一番の問題なのでは?」と。そう問いかけたくて、『格差の”格“ってなんですか?』を書きました。  よりよく生きるために、タイパだ、自己肯定感だ、成長だ……って言っているけれど、肝心のあなたは、それで本当に幸せですか?と。 鈴木:僕は長年、貧困から抜け出そうとあがきつづけている若者や少女、シングルマザーたちに取材してきました。が、実はそのなかで出会う、多くの「なぜ?」を封印してきたんです。 「なぜ約束の時間を守れないのだろう」 「なぜ“当たり前”のことができないのだろう」  でも、そのまま書いたら自己責任論に帰結してしまう。「そんなふうだから、貧困に陥ってしまうのではないか」と。  だから今まで、あえてその「なぜ」には触れずに来たんです。 勅使川原:『貧困と脳』では、そのことへの懺悔から始まっていますよね。 鈴木:家庭環境や教育に恵まれない、社会的支援が受けられない、というだけでなく、貧困者は精神障害・知的障害・発達障害の当事者であることが多いんです。だから、世の中の多数派の人たちの‟当たり前“をすることが難しいことがあるのです。  僕自身、2015年に脳梗塞を発症して高次脳機能障害になりました。「“当たり前”のことができない」当事者になって、まさに地獄を味わいました。  その地獄から抜け出そうと本人は必死で努力しているのに、それは水面下のことで、外からは見えない。それで身に染みたんです。僕は彼らへの「なぜ?」の解像度をもっと上げるべきだった。そう思って書いたのが今回の本だったんです。   撮影:和仁貢介(朝日新聞出版写真映像部) 教育段階から始まっている「能力主義」 勅使川原:能力主義がいかに画一的であるか、そして、それが社会の息苦しさや生きにくさを生んでいるのではないのか、ということは問い続けたいですね。たとえば、学校の成績が良くないと“誰にでもできるような”仕事しか、任せられないよ、って言われてしまう。 鈴木:そうですね。 勅使川原:じゃあ、「誰にでもできる仕事」っていうのは何なのか。  定形化した反復的な作業という意味で言っているのではないかと思うんですけど、むしろ、そういう仕事が苦手な人たちこそ、学校の成績では評価されにくいわけで、そうした特性をもつ方々に、一体なぜ、それをさせようとしてるの?と。 撮影:和仁貢介(朝日新聞出版写真映像部) 鈴木:僕が取材してきた人たちも、多くは、そうした「誰にでもできると思われている仕事」に就いているのですが、そういう仕事こそ、「学校的基準で評価されない能力」での格差が表れやすいんです。たとえばナイトワーク(夜の仕事)なら、容姿だとかコミュニケーション能力だとか。数値化できない抽象的な能力で評価される。それこそ「誰にでもできる」わけじゃない。 勅使川原:ライフステージでは、労働より前に教育があって、将来の労働観はある程度、教育の場で醸成される。今の日本では「学校での評価」を引きずったまま職業的評価に入っていくので、学歴に職業采配機能があるんです。だからこそ、教育と労働は一気通貫で語る必要があるだろうと思うんですよね。 鈴木:勅使川原さんの立ち位置って「障害学」っぽいんですよね。子どもを、人を「すごい/すごくない」で振り分けるんじゃなくて、それぞれの特性に合った能力の活かし方を考えるべきだっていう視点とか……。 勅使川原:これまでの労働観が「難易度」だけで語られすぎたんです。  学歴社会で評価される人=「難しい仕事に就ける人だ」と認定される。じゃあその「難しい」って、いったい何なんだろう? 「誰にでもできる仕事」なんてない、っていうのと同じだと思うんです。個人も労働も、垂直方向に序列化されているわけではなく、水平方向に多元的に広がっているんじゃないですか?と。  今の社会で「優れている」と評価される能力とは。「働く」ということとは? 白熱する対談の続きは、後編の記事「『少数精鋭しか生き残れない』能力主義に未来はあるのか?鈴木大介さん+勅使川原真衣さんスペシャル対談」でお届けする。 (構成/浅野裕見子)   格差の"格"ってなんですか? 無自覚な能力主義と特権性 商品価格¥1,760 詳細はこちら ※価格などの情報は、原稿執筆時点のものになるため、最新価格や在庫情報等は、Amazonサイト上でご確認ください。       勅使川原真衣(てしがわら・まい) 組織開発専門家。おのみず株式会社代表。1982年、横浜市生まれ。東京大学大学院教育学研究科修士課程修了。ボストンコンサルティンググループ、ヘイグループなど外資コンサルティングファームでの勤務を経て、2017年に独立。 企業をはじめ病院、学校などの組織開発を支援する。また、論壇誌やウェブメディアなどにおいて多数の連載や寄稿を行っている。著書に『「能力」の生きづらさをほぐす』(どく社、紀伊國屋じんぶん大賞2024第8位)のほか、『働くということ─―「能力主義」を超えて』(集英社新書、新書大賞2025第5位、紀伊國屋じんぶん大賞2025第11位)、『職場で傷つく─リーダーのための「傷つき」から始める組織開発』(大和書房)、『「これくらいできないと困るのはきみだよ」?』(編著、東洋館出版社)、『格差の”格”ってなんですか?』(朝日新聞出版)がある。 最新刊は『学歴社会は誰のため』(PHP新書)。2020年に乳がんと診断され、闘病中。 鈴木大介(すずき・だいすけ) 文筆家。子どもや女性、若者の貧困問題をテーマにした取材活動をし、『最貧困女子』(幻冬舎新書)、『ギャングース』(講談社、漫画原作・映画化)、『老人喰い』(ちくま新書、TBS系列にてドラマ化)などを代表作とするルポライターだったが、2015年に脳梗塞を発症。高次脳機能障害の当事者となりつつも執筆活動を継続し、『脳が壊れた』(新潮新書)、『されど愛しきお妻様』(講談社、漫画化)など著書多数。 当事者としての代表作は、援助職全般向けの指南書『「脳コワさん」支援ガイド』(医学書院・シリーズケアをひらく・日本医学ジャーナリスト協会賞大賞受賞)。 近著に『貧困と脳――「働かない」のではなく「働けない」』(幻冬舎新書)、『ネット右翼になった父』(講談社現代新書、キノベス!2024ランクイン、中央公論新社新書大賞2024第5位)など。
「山尾ショック」で国民民主の凋落が止まらない 「この党あかん」と候補も辞退 玉木代表が「内閣不信任案」提出をせかす理由
「山尾ショック」で国民民主の凋落が止まらない 「この党あかん」と候補も辞退 玉木代表が「内閣不信任案」提出をせかす理由 国民民主党の参院選候補に決まった山尾志桜里氏  昨年秋の衆院選で議席を急拡大させ、支持率を伸ばしてきた国民民主党だが、今夏の参院選を前に急降下。「山尾ショック」(同党幹部)によって、国民民主の勢いは止まってしまうのか。 *  *  *  6月3日、国民民主の玉木雄一郎代表は記者会見で、国会で焦点になっている「内閣不信任決議案」の提出について、こう主張した。 「政権交代を目指す(立憲民主党の)野田氏として(不信任案を)出すべきではないか」  野党で唯一、単独で内閣不信任案を提出できる議席数を有する立憲民主党の野田佳彦代表は、不信任案を提出すべきかどうか悩んでいると伝えられる。石破首相が「不信任案の提出があれば、採決を待たずに衆院を解散する」と検討していることが報じられ、不信任案の提出は、そのまま衆院解散・総選挙へとつながる可能性が高いからだ。  立憲民主の中には、 「解散・総選挙は望むところ」(小沢一郎衆院議員)  という強気な主戦論と、 「自民党だけでなく、うちの支持率も伸びてはいない。政権交代にはつながらない」 「自民党と大連立を模索すべき」  などといった慎重論があり、意見が分かれている。  玉木氏は、悩む野田氏に対して、立憲民主党から不信任案を出させ、解散・総選挙をせかすような発言をしたわけだ。 女性の支持率が急激に低下  国民民主は昨秋の衆院選で選挙前の7議席から28議席へと4倍増を果たし、支持率も伸ばしてきた。参院選の前哨戦となる6月22日投開票の東京都議選でも、現有議席はゼロながら、20人の候補者擁立を発表している。 「自民党と公明党の政権与党に加わるのもよし、野党中心の連立政権でいくのもいい。いずれにしてもうちの党がキャスティングボートを握っている」  と国民民主の幹部は強気だ。  だが、その勢いに陰りも見え始めている。  5月末から6月にかけての各メディアの世論調査で、国民民主の支持率は軒並み低下した。たとえば5月17・18両日に朝日新聞社が行った世論調査では、同党の支持率は8%で、4月調査の12%から4ポイント下落。とくに女性の支持率が10%から3%へと急激に落ちている。  国民民主幹部は、こう話した。 「山尾志桜里氏を公認したのが大きかった。山尾ショックだ。こんなにやばい状況になるとは玉木氏も想定外だろう」 国民民主党の玉木代表 山尾氏の公認決定前から大炎上  5月14日、国民民主は参院選の全国比例の候補として、同党の元衆院議員だった山尾志桜里氏、維新の元衆院議員の足立康史氏、立憲民主党前参院議員の須藤元気氏らの公認を発表した。  山尾氏は衆院議員時代に既婚男性との「不倫」騒動が報じられた。山尾氏は当時、不倫関係は否定したが、国民民主が山尾氏の公認を検討している段階から、SNSでは批判の声が大炎上。公認決定後、その声はさらに強まった。また、足立氏や須藤氏も、過去に所属した政党の方針にさからって離党した経緯があり、批判の声が出ている。  山尾氏らの公認に反発し、国民民主党からの出馬を取りやめたのが弁護士の川崎貴浩氏だ。川崎氏は昨年10月の衆院選で国民民主党が躍進後、一般公募で手を挙げ、同党公認で全国比例候補に選ばれた。しかし、山尾氏らの公認発表の5日後の5月19日に公認を辞退した。川崎氏はこう憤慨する。 「山尾って、これはないわと思いました。この党あかんと愛想尽きました」 「プラチナチケット」と歓迎されたが…  川崎氏は4月2日に国民民主から比例区での公認内定が発表されていた。人気が高い国民民主からの出馬となれば当選の可能性は大で、周囲から「プラチナチケット」と歓迎されていた。しかし、公認内定後も、同党の対応はおかしかったという。  川崎氏の公認内定が発表された4月に、国民民主が維新の元衆院議員の足立氏を大阪選挙区から擁立予定というニュースが流れた。 「私は東京で弁護士をしておりますが、出身は大阪です。党からは『大阪で経験がある足立氏とセットで活動すればいい』とアドバイスを受けました。その準備にも入っていたところ、急に足立氏の大阪選挙区から出馬はなしという報道があった。そこへ、私の面接を担当してくれた浜野喜史参院議員から『大阪選挙区の候補者を改めて選考しなければならないが、その選考に入る意思はあるか』との連絡があり、『ぜひ』と即答しました」(川崎氏)  比例区ではなく大阪選挙区から出馬するとなれば、選挙の態勢、ポスター・ビラの発注など、大幅な変更が必要だ。だがその後、1カ月ほど経過してもなんら音沙汰がなく、ゴールデンウイーク明けに党本部に連絡をしても「待て」というばかりだったという。 自らも不倫スキャンダルで聴衆に頭を下げていた玉木代表(2024年11月11日)=日刊スポーツ 出馬辞退の理由も聞かれなかった  その間に、国民民主の平岩征樹衆院議員(比例近畿)が偽名や偽った職業を使って不倫していた不祥事が発覚し、平岩議員は離党。さらに、山尾氏の公認が決まった。 「山尾氏の不倫疑惑の相手の元妻が自殺したという報道がありました。しかし、山尾氏は今までそれに関してまともに説明も釈明もしていません。そういう人物を国民民主党が擁立するということで、不信感が募りました。光り輝く国民民主党と思っていたが、結局は昔の旧民主党と同じじゃないかと」  川崎氏は国民民主党の組織力にも不安を募らせたという。 「国民民主党の公募に応募し、その後面接をしたのですが、最初の打ち合わせの場所は私の弁護士事務所。そこで大阪の責任者という方から名刺をもらったのですが、携帯電話の番号だけで、どうも大阪にはしかるべき拠点がないことがわかった。2回目は大阪での面接で、行ったのは赤十字会館内にある国民民主党支持の組合関係の事務所。とても政権を担える党じゃないことが見えてきました」   山尾氏らの擁立が発表された直後、川崎氏は出馬辞退を決め、浜野氏にスマホのSMSで、 〈遺憾ではありますが、御党からの全国比例での出馬を辞退させて頂きたく存じます。なお、追って本日付の書状にて詳細をご連絡させていただきます〉  と送信したところ、 〈了解致しました。党本部宛に送付下さい。浜野〉  というメッセージが返ってきただけで、何も聞かれなかったという。 「弁護士の仕事も新規の案件は断って選挙に専念してきた。それなのに、辞退の理由も聞かれず、1行ほどのメッセージで終わり。まあ、そういう党なんでしょうね」  川崎氏はあきれた様子だった。  その後、山尾氏は6月4日に自身のSNSで、出馬に向けた記者会見を開くことを発表した。また、大阪選挙区から女性医師が出馬会見を予定している。 「政権与党に入るには危機管理が不十分」  政治評論家の田村重信氏はこう指摘する。 「山尾氏の擁立が、国民民主党の大失敗。高止まりしていた支持率が急降下しました。これを参院選までに支持を戻すのは至難の業です。選挙前にこれだけ、スキャンダルが出るのは政権与党に入るには危機管理が不十分で、経験があまりに足りないという見方が自民党では強い。国民民主党の人気はもって東京都議選くらいかな。参院選ではそう大きくは勝てないでしょう」  玉木氏が内閣不信任案の提出をせかすのも、国民民主のボロがこれ以上出る前に、急いで選挙をしたい思いがあるのだろう。 (編集部・今西憲之)
愛子さま初の沖縄 5歳の天皇陛下が書いた「おかえりなさい」のメッセージに、豆記者も思わず「まあ!」
愛子さま初の沖縄 5歳の天皇陛下が書いた「おかえりなさい」のメッセージに、豆記者も思わず「まあ!」   国立沖縄戦没者墓苑を訪れた天皇、皇后両陛下と長女の愛子さま=2025年6月4日午後3時21分、沖縄県糸満市  天皇、皇后両陛下と長女の愛子さまが、戦後80年にあたり、6月4、5日と沖縄を訪問し戦没者を慰霊されている。ご一家は4日、激戦地の糸満市に向かい、国立沖縄戦没者墓苑の納骨堂に献花台に白いユリの花を供えた。夜には、宿泊先の那覇市のホテルで、かつて交流した「豆記者」の経験者とも再会された。天皇陛下が幼少の頃から、積み重ねてきた沖縄との「絆」を振り返る。 *    *    *  1965年の夏、沖縄から来た当時中学2年の友利直美さんは、警戒の厳しさに驚きながら、軽井沢の千ケ滝プリンスホテル(当時)の玄関に到着した。  沖縄と「本土」の小中学生が互いの土地で取材する「豆記者」に選ばれた友利さんらは、当時の皇太子であった上皇さまと美智子さまとの面会を前に、ひどく緊張していた。 〈緑に囲まれたホテルの玄関まで来たとき、私たちは、思わず「まあ!」と声を出してしまった。  玄関には、小さな日の丸が並んでかかげられ、「おかえりなさい。」と書かれた子どもの文字が目に入ったからだ。  浩宮さまがお書きになられたのだろう。そのことで、緊張していた私の心も、少しは和らぐように思えた〉(『新天皇ご一家の素顔』)  沖縄から来た豆記者の子どもたちと皇室の交流の記録をこの一冊の本にまとめたのは、当時、都内で教員をしていた山本和昭さん(95)だ。  沖縄と本土の小中学生が互いの土地を訪れて取材する「豆記者交歓会」は、沖縄が米軍統治下にあった1962年にスタートした。山本さんは、この交歓会の発案者で、皇室と子ども達が交流するきかっけをつくった人物でもある。  豆記者として、若き日の上皇ご夫妻や幼い浩宮さまと交流をした友利さんは、 〈殿下もおっしゃったように、祖国復帰はきっと近いうちに実現できる〉  と振り返り、東京に向かうバスの車窓から軽井沢の景色を眺めながら 〈きっと、もう一度、むずかしい手続きや、パスポートがいらなくて、簡単に来ることができることを祈って!。〉  と、その思いをつづっている。   沖縄の豆記者の取材を受ける浩宮さま(天皇陛下)。豆記者の感想文には、「浩宮様は、女子に人気があり、ひっぱりだこになった」と、あった=山本和昭さん提供     沖縄の豆記者の子ども達と交流をする当時の、皇太子ご一家。左から浩宮さま(天皇陛下)、皇太子ご夫妻(上皇ご夫妻)、礼宮(秋篠宮)さま、紀宮さま(黒田清子さん)=山本和昭さん提供  友利さんの感想は沖縄の置かれた状況を生々しく伝えるとともに、当時5歳だった天皇陛下が「おかえりなさい。」という言葉を選んだ、その重みが伝わってくる。  山本さんの本には、浩宮さまと豆記者が長年かけて交流を重ねた交流の記録がつづられている。  たとえば、幼い時期の浩宮さまはその可愛らしさで、中高生や大学生になるとユーモアで、豆記者の子どもたちを和ませた。  66年に元赤坂の東宮御所を訪ねた豆記者は、〈浩宮様のかわいらしい声が、緊張を破る〉と感想を記し、77年8月に軽井沢のプリンスホテルを訪ねた豆記者たちは、高校生になった浩宮さまの人気ぶりや、この頃からユーモアたっぷりに交流する当時の浩宮さまについて感想を残している。 〈浩宮様は、女子の間に人気があり、ひっぱりだこになった。歌もすごくうまかった 白保中 三年 下地りき子〉 沖縄の「豆記者」の子ども達との交流の場で、花笠をかぶる浩宮さま(天皇陛下)に周囲は、あたたかな笑いに包まれた。ユーモアで周囲を和ませるお人柄は、昔から=1986年、東京都内、山本和昭さん提供  また、「豆記者」の男の子が友だちを指して、「コアラに似ていませんか」と話題を振ると、浩宮さまは、「そういえば、オーストラリアで会いましたね」と、スマートに返す場面もあった。  天皇陛下(当時は浩宮さま)が初めて沖縄を訪れたのは、1987年。27歳の時だった。  浩宮さまは、沖縄で開催された夏季国体への出席とともに、「国立沖縄戦没者墓苑」や平和祈念資料館、女学生らの慰霊碑「ひめゆりの塔」などの戦跡を訪れた。  沖縄は、太平洋戦争末期の日米最後の激戦地で、当時、県民の4人に1人が亡くなっている。  秋の国体に向けて昭和天皇や皇太子(上皇)ご夫妻の訪問が予定されるなか、過激派は、「天皇訪沖反対」を掲げ、反対のデモや集会が開かれていた。  浩宮さまが羽田空港から沖縄へ出発した日も、空港周辺では500人近い過激派グループが、「訪沖阻止」を叫び気勢をあげていた。   沖縄県を初訪問した浩宮さま(天皇陛下)は、ひめゆりの塔を訪れた。ひめゆり同窓会員の宮良ルリさんに、「あなたが書かれた本を読みました」と伝えた=1987年9月19日、同県糸満市  浩宮さまは、ひめゆりの塔でひめゆり学徒隊の生き残りであった宮良ルリさんに、 「あなたが書かれた本を読みました。豪の中はどうだったのですか」  そう質問すると、宮良さんはこう口をひらいた。 「みんな、お父さん、お母さん、と叫びながら死んでいきました。『戦争のない時代に生きたかった』、と言って息を引き取りました」  宮良ルリさんの著書、『私のひめゆり戦記』の中には、命こそ宝を意味する「命(ヌチ)ドゥ宝(タカラ)」という沖縄の言葉が出てくる。  天皇陛下は、2022年に政府と沖縄県が主催する「沖縄復帰50周年記念式典」にオンラインで出席した際の「おことば」のなかで、 「大戦で多くの尊い命が失われた沖縄において、人々は『ぬちどぅたから』(命こそ宝)の思いを深められたと伺っています」  と、この言葉に触れた。  浩宮時代、陛下は豆記者の子どもたちから沖縄について書かれた一冊の本を渡されたことがある。そして陛下は、大学生になった愛子さまに、この本を渡したという。  平成に入ると、沖縄の豆記者の子どもたちとの交流は、皇太子だった天皇陛下に受け継がれた。お住まいの東宮御所に招き、ご夫妻と愛子さまも一緒に豆記者の子どもたちとバレーボールを楽しんだこともあった。 23歳の誕生日を迎える愛子さま。天皇陛下は、浩宮時代に沖縄の豆記者から贈られた本を、「沖縄の歴史の勉強になる」と大学生になった愛子さまに渡したという=2024年11月22日、皇居、宮内庁提供  天皇陛下は、「次の世代に戦争の惨禍を引き継いでいきたい」と、側近に伝えたという。  愛子さまは、今回初めての沖縄訪問となる。前出の山本さんは、愛子さまに沖縄と皇室の「絆」が受け継がれることにほっとした、と感想を漏らし、こう続けた。 「戦争がどれほどの人びとの命を失わせ、むごいものか。沖縄の地を見て、それを感じて、いまの人たちにも伝えていただきたい」 (AERA 編集部・永井貴子)  

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