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「欲望」を刺激する1行のキャッチコピーが生まれる法則とは
「欲望」を刺激する1行のキャッチコピーが生まれる法則とは
 商品広告のTVCMや街で見かけるポスターには、様々なキャッチコピーがついています。その商品を売るため、人やお金を集めるための短い言葉――そのようなキャッチコピーを生み出すコピーライターのお仕事には、どのような"売れる法則"があるのでしょうか? コピーライター・川上徹也さんによる本書『1行バカ売れ』は、川上さんによって過去のコピーライティングの事例が整理分析され、分かり易く法則化されたもの。 例えば、「レッドブル翼をさずける」――レッドブル社が販売する有名なエナジードリンクのキャッチコピーです。 レッドブルの創業者はオーストリア人のディートリッヒ・マテシッツ氏。元々は家庭用品メーカーの社員だったマテシッシ氏でしたが、1980年代初め、日本の高額納税者リストの1位が、「ファイト!一発!」のキャッチコピーで有名な「リポビタンD」で財をなした大正製薬の会長であることを知ったことで、大きな転機を迎えます。ドリンク剤に巨大なビジネスチャンスを感じたマテシッツ氏は、タイのエナジードリンクとライセンス契約を結び、ヨーロッパ向けにアレンジして発売することを決意。1984年レッドブル社をオーストリアで設立します。 エナジードリンクというジャンルがなかった当時のヨーロッパ。まず、マテシッシ氏はどのように商品のよさを伝えていくかを課題にし、クリエーターの友人にキャッチコピーを依頼しました。ところがマテシッツ氏は、1年半にわたって出された50以上の案を全て却下したといいます。 そして、ある日、突然1行のフレーズを思いついたクリエーターが、夜中にもかかわらず、マテシッツ氏に電話をしてそれを伝えます。マテシッツ氏は一瞬で目を覚まし「それだ」と答えたフレーズが「Red Bull Gives You Wings.」――レッドブルを巨大飲料ブランドにした1行です。  このキャッチフレーズから導き出せる法則は、人間が本来持っている「欲望」を刺激した1行であったこと。人間の「翼を持つ鳥のように大きな世界で羽ばたきたい」という欲望が、レッドブル社が掲げるエナジードリンクから「快」を得られることを連想させることができたのです。本書で川上さんは、「売り」につながる欲望は、以下の10項目に分類されると分析。①「健康・長生きしたい」②「セックス欲」③「食べたい飲みたい」④「安全安心安泰でいたい」⑤「気持ちいい刺激がほしい」⑥「美しくありたい(カッコよくありたい)」⑦「愛されたい愛したい」⑧「お金持ちになり豊かな暮らしがしたい」⑨「社会的に認められたい」⑩「自己達成したい」「欲望」を刺激するということ。これらは、人やお金を集めるための商業としての「キャッチコピー」だけではなく、私たちの普段の生活にも十分応用できる法則かもしれません。「売れる」「相手を本気にさせる」「人を動かす」言葉の法則の数々。いわゆるビジネス本の枠におさまらない、手軽に読めて人生に役立つ本といえます。
BOOKSTAND 2015/09/24 07:30
元国税調査官「マイナンバーで“夜の世界”はますます地下へ」
元国税調査官「マイナンバーで“夜の世界”はますます地下へ」
副業収入や、“夜の仕事”の収入もガラス張りに…  様々な問題が指摘されるマイナンバー制度。マイナンバーが導入されれば、サラリーマンの副業収入や、“夜の仕事”の収入もガラス張りになると言われている。 「今の時代、収入が増えず、サラリーマンが副業するのも仕方ない。旦那が病気になって、世間には内緒で妻が熟女キャバクラで働くなんてこともあるかもしれない。税の公平性を謳うのは結構ですが、必要悪のグレーゾーンまでなくしてしまったら、弱い者イジメの結果だけが招かれます」(ジャーナリストの斎藤貴男氏)  元国税調査官で現在税理士のK氏は、より深刻な事態を招きかねないと話す。 「もしキャバクラや風俗店が女の子たちにマイナンバーを求めると、当然女の子なんて集まらない。結局はマイナンバー制度なんて無視して営業を続けるだろう。問題が発覚しても、名義だけの雇われ社長や店長はクビにするだけ。告発されてもいくばくかの罰金を払えばいいだけと考えるだろう。マイナンバー制度の導入により、比較的まじめな風俗店も悪質化する恐れがあり、“夜の世界”はますます地下に潜るのは間違いない」  マイナンバーにさまざまな情報をひも付けさせると、怖くなるのが「情報漏えい」だ。今年6月、日本年金機構は約125万件の年金情報が流出したことを公表したばかり。  ネットワーク犯罪評論家・石川英治氏はこう警告する。 「年金情報の流出はいわゆる『標的型ウイルス』という巧妙に装われたメールで、これを防ぐのは難しい」  つい先週も、大阪府堺市会計室の課長補佐によって、市外郭団体の職員名簿など約1千件がネット上に流出、さらには市の全有権者にあたる約68万人分のデータを無断で持ち出していたことも判明した。 「行政機関よりも、民間企業からの情報流出のほうが懸念される。内部者による犯行も考えられるほか、外部からのハッキングの脅威もあるからだ。そもそも、中小零細企業で万全なセキュリティー対策を施すのは至難の業です」(石川氏) ※週刊朝日  2015年10月2日号より抜粋
マイナンバー
週刊朝日 2015/09/24 07:00
◯◯にお金がかからない 移住者増加中「つくば」の魅力
◯◯にお金がかからない 移住者増加中「つくば」の魅力
研究学園都市として発展してきたつくば市。北部に筑波山を望み、市中心部にも公園が点在。緑が多い(撮影/編集部・金城珠代)  都市に暮らす働き盛りの世代が移住して、無理なく暮らせるのはどんな街だろう。そんな観点でアエラが独自に「移住しやすい街」を抽出。関東で上位に浮上したのは、茨城県つくば市だった。実際に近年、移住者が増えているというつくば市の魅力は。  今年開業10周年を迎えたつくばエクスプレス(TX)の沿線には、新しいマンションや一戸建て住宅が立ち並ぶ。近年、茨城県内のほかの地域からの転入や、都心部に仕事を持つ家族連れの移住者が増えているという。彼らを惹きつけるのは、利便性と恵まれた教育環境だ。  東京・秋葉原とつくば間を最短45分で結ぶTXはもちろん、つくば駅周辺を中心に、総延長48キロにおよぶペデストリアンデッキ(歩行者専用道路)が張り巡らされ、アメリカの会員制ショッピングセンター「コストコ」など大規模な商業施設も多い。市内のあちこちに公園が整備され、大学病院もある。  現在、市役所で副広報監として働く入沢弘子さん(53)は、20年前に家族で移り住んだ。夫の海外転勤先から帰国する際に、自身も都内の大手広告会社に復職することになり、当時2歳半だった娘を育てるため、実家があるつくば市を選んだ。  TX開通前で通勤はJRか高速バスで1時間以上。2万5千円かけて深夜にタクシーで帰宅することもあった。だが、家賃は東京の半額ほどになり、予想外のメリットもあった。 「教育に、お金がかからなかったんです」  東京に住む友人からは、受験の反動で子どもが勉強から遠のいてしまったり、学校帰りに子ども一人で外食させて塾に通わせたり、という状況をよく聞いた。だがつくば市、特に市の中心部では、塾に通うことなく、公立高校から東京大学や筑波大学に進学する子が少なくない。 「娘も自然と勉強するようになりました」  つくば市は、宇宙航空研究開発機構(JAXA)などの研究施設が国立・民間あわせて100以上という国内有数の理系頭脳の集積地でもある。知的水準が高く教育熱心な親とその子どもたちが集まり、それが教育水準を引き上げる一つの要因になっている。  外国人研究者の子どもたちのために、1992年に設立されたつくばインターナショナルスクールも注目の存在だ。国内に6校しかない、国際バカロレアの初等・中等教育課程の認定を受ける学校の一つ。森の中のログハウス風の校舎で、20カ国152人の子どもたちが学ぶ。指導する19人の教師も10カ国から集まる。  この学校に子どもを通わせたくて、今年4月に都内のタワーマンションから家族で移住した会社員の男性(51)はこう話す。 「都内のインターナショナルスクールは最低でも学費が年に250万円かかり、教育の質にもばらつきがある。でも、ここならその半額で高い水準の教育が受けられる。東京と違って、子どもが寄り道して遊ぶ場所が少ないのもいいですね」 ※AERA 2015年9月14日号より抜粋
AERA 2015/09/19 16:00
時給<シッター代 共働き・年収800万円世帯はコスパギリギリ?
時給<シッター代 共働き・年収800万円世帯はコスパギリギリ?
共働きの三種の神器その1、掃除機ロボット。1台10万円近くするものや拭き掃除用もあり、意を決して購入する人も(撮影/写真部・植田真紗美)  仕事と子育ての両立には何かとお金がかかる。世帯年収によって、子育て費用の占める割合は変わってくる。ひとつのボーダーラインとなるのが、世帯年収800万円だ。  共働き世帯は、家事や育児、介護などの「ケア労働」を外注することで、仕事と家庭を両立している。子どもが小さいうちの主なコストは保育料だ。多くの自治体で、認可保育園の保育料は所得税額に応じてランク付けされ、稼げば稼ぐほど高い保育料を払う仕組みになっている。  保育料以外のコストもバカにならない。保育時間内に子どもを迎えに行けない場合のベビーシッター代、急ぐときのタクシー代、延長保育料。自炊する時間がない時の外食代、総菜代、食材宅配の配送費。掃除や洗濯に手が回らない時の家事代行費。子どもが小学生になってからも、学童保育料は民間だと月数万円になるし、高学年からは放課後の居場所として塾に通わせる家庭も少なくない。復職後の十数年間はコスパとの闘いだ。  アエラが実施したアンケートでも、これらのコストを負担だと感じる声があった。 「夏休みや夜間の保育に追加費用がかかる」(女性/40代/パート) 「シッター代のほうが時給より高くつくので頼めない」(女性/40代/パート) 「車の運転ができない義母にタクシーで迎えを頼んだ時期は、子ども2人の保育料と合わせて月10万が消えた」(女性/40代/正社員)  働いて収入を得るために、コストをかけざるを得ないという“矛盾”。どのくらい稼げば「割に合う」のだろうか。  岩手大学の海妻径子(かいづま けいこ)教授(ジェンダー文化論)が2012年から3年間の総務省家計調査を分析したところ、年収800万円以上の世帯は家事代行や保育、補習教育、保健医療、介護にかける平均金額が、800万円未満の世帯よりも高い傾向があることがわかった。これらの費目はいわゆる「ケア労働の外注費」で、共働きだからこそかかるコスト。実際、年収800万円以上の世帯は、妻の有職率が6割前後と高めだ。  年収800万円から1250万円くらいまでの世帯は「ケア労働の外注費」が消費支出に占める割合も高かった。自分の洋服代や旅行代を節約してでも、ベビーシッターや家事代行を頼んでいることがうかがえる。  一方、年収1500万円以上の世帯だと、「ケア労働の外注費」の平均金額こそ高いものの、消費支出に占める割合は低め。贅沢消費ができる余裕があるから、いくら外注費にかけても家計にはそれほど響かないということのようだ。  つまり、家計の負担になるが働き続けるためには外注せざるを得ない、とギリギリのコスパ感覚で日常を回しているのが、世帯年収800万円の共働き層だとみることができる。 「世帯年収800万円くらいの層では、ケア労働の外注が消費支出を押し上げている。政府の掲げる女性活躍推進は、ケア労働マーケットが開拓されれば経済活性化につながるというねらいもあるのです」(海妻さん) ※AERA 2015年9月21日号より抜粋
出産と子育て
AERA 2015/09/16 11:30
加藤登紀子が辿る 童謡に懸けた野口雨情の「情熱人生」
加藤登紀子が辿る 童謡に懸けた野口雨情の「情熱人生」
野口雨情の生家を訪れた歌手の加藤登紀子さん 詩人・野口雨情(提供・野口雨情記念館) 絵雑誌『コドモノクニ』に掲載された「兎のダンス」(絵・岡本帰一)  「赤い靴」や「七つの子」など、数々の童謡を残した詩人・野口雨情。日本の童謡に大きな影響を与えた彼は、実は歌手の加藤登紀子さんにとっても、忘れられない思い出を残した存在だという。そんな加藤さんが、BS朝日「黒柳徹子のコドモノクニ~夢を描いた芸術家たち」(9月16日・水曜日22:00)で、野口雨情の足跡をたどった。  加藤さんにとっての、野口雨情にまつわる記憶。それは、加藤さんが歌手になって間もない頃のことだ。 「キャバレーでシャンソンを歌っていた時、酔ったおじさんたちから『外国の歌なんかやめちまえ!』とやじが飛んできました。そこで歌える日本の歌は何だろうと考え、アカペラで歌ったのが野口雨情の『七つの子』『シャボン玉』でした。歌いながらふとおじさんたちを見ると、静かに涙を流していました」  ざわめいて全く歌をきいていなかったキャバレーの客が、その瞬間、シーンと静まり返ったのだ。加藤さんはその光景が、今でも目に焼き付いているという。  それほどまでに日本人の心に深く根付いている、野口雨情の童謡。北原白秋、西條八十とともに童謡の三大詩人とも言われている雨情だが、その人生は決して順風満帆というわけではなかった。  1882年(明治15年)5月29日、父・量平と母・テルの長男として茨城県多賀郡磯原町(現・北茨城市)に生まれた野口雨情。本名は英吉という。  幼少期から詩に興味を抱いていた雨情は、18歳で東京専門学校(現在の早稲田大学) 文学科に入学するも、翌年中退、東京で詩人としての活動を始める。しかしその矢先、父親が他界してしまう。急遽、茨城の実家に呼び戻された雨情を待っていたのは、実家が抱えた多額の借金だった。  当時は常磐線が開通したことで、海上輸送から鉄道輸送に変わっていく時代。廻船問屋をしていた雨情の実家は傾き、雨情は帰るなり借金の整理に追われることに。そうしたなか、雨情は地方財閥の娘、高塩ヒロと結婚。雨情、ヒロ、ともに22歳のことだった。  1906年(明治39年)からは、新聞の特派員として北海道に赴くなど北海道の新聞社を転々とする。妻のヒロとともに北海道で暮らしていた雨情だが、その時に生後わずか8日で長女を失う。そんなときに生まれたのが、童謡「シャボン玉」だといわれている。生まれてすぐ消えるシャボン玉と、生後わずかでなくなってしまった長女を重ね合わせたのかもしれない。  雨情は新聞記者のあとも林業などの仕事に就くが、その最中でも詩を創作することをやめなかった。1915年(大正4年)には妻のヒロと離婚。ヒロに生家を残すと、自身は福島の芸者の置き屋で居候生活を始めた。その後、水戸で中里つると再婚する。中央の詩壇を改めて目指すが、この時の生活も決して楽ではなかった。雨情の孫である山登和美さんはこう話す。 「すごく貧しくてお金に困って、家財を質に入れていたよう。でも友達が来るとやっぱり振る舞うんだそうですよ、酒とか魚とか。今日食べる米もなくなっちゃうような、大変な時代だったと聞いたことがあります」  そうしたなかでも詩の創作や詩集の出版を続けてきた雨情にとって転機となったのが、1919年(大正8年)。講演で水戸にやってきた詩人の西條八十に、雨情は人を介して何とか会うと、東京の雑誌への紹介を頼む。雨情の詩を愛読していた西條はこれを快諾してくれた。その年に創刊された子ども雑誌「金の船」で、雨情は本格的に童謡の創作活動を始める。ここで「十五夜お月さん」などを発表、さらに1922年(大正11年)に創刊した「コドモノクニ」でも「兎のダンス」など数々の名作を生み出した。  雨情は教育の一環として童謡を広めるため、講演などを精力的に行い、時には自分で歌って、子どもたちと合唱することもあった。さらに雨情が童謡普及のために行ったのが、「振り」を付けるということ。野口雨情を40年間研究している、茨城大学名誉教授の佐々木靖章さんはこう説明する。 「雨情は、子どもは自分の言葉で童謡を作り、歌えば自然に体も動いてくると考えていた。そこで童謡集で、歌に合わせてどういう振付をするかを写真付きで掲載したんです」  番組では当時掲載された、着物姿の少女が踊りを解説する写真も登場。今でこそダンスは学習指導要領でも必修となっているが、童謡教育の一環として舞踊を取り入れたのはかなり新しい試み。雨情の童謡にかける思いが伝わるエピソードと言えるかもしれない。  このほかにも加藤さんは雨情の生家を訪ねるなど、その足跡をたどっていく。今回の旅を通じて、加藤さんは雨情に対してこんな印象を抱いたという。 「完成された人物では無く、雨情は小さな子供の時からの感情を忘れないで大人になった。しかし大人になっても、本当は大人になりたくなかった! そういう人物が雨情だったのかもしれません」  古くから親しんできた童謡が、いったいどういった背景で生み出されたのか。番組をきっかけに、知ることができるかもしれない。 関連リンク(http://www.bs-asahi.co.jp/kodomonokuni/index.html)
dot. 2015/09/16 11:30
平成版「お見合いおばさま」が“草食世代”の婚活を救う?
平成版「お見合いおばさま」が“草食世代”の婚活を救う?
お見合いおばさまが活躍!?  人は愛を紡ぎ生きた証しを今に残す。そして次の世代へとつないでいく――。  人と人が愛し合う、そして結ばれる。そんな結婚を、恋愛を、今、避けている20代、30代男女が多いという。恋愛に臆病なのではない。ただ彼、彼女らは異性とどう出会えばいいのか。そして、付き合えばいいのか。それがわからないのだ。そこには自分よりも他人を傷つけやしないかという胸の内がある。 「彼女ですか? 出来ないですよ。1年先も、5年先も、10年先も。寂しいですよ。でも、自分の嫌な面を本当に好きな人にはやはり見せられないです。それで好きな人が傷つくのが何よりも辛いからです。だから彼女は作らないのです。できないのです!」  今年、30歳になる男性は恋愛に積極的になれない事情をこう話していた。高校は地元の進学校や大学、大学院、共に有名校の出身で部活は体育会、ジャニーズ系のルックス、育ちの良さがわかる身のこなし、大手企業勤務のエリート――と、その非の打ちどころのない経歴だけでも女性が放っておかないような彼だが、これまで恋愛の経験はまったくないという。  このように好きだからこそ、愛する人を傷つけたくない、ゆえに異性と付き合えないという傾向は今の20代、30代女性もまた同様だ。そんなあまりにも恋愛に奥手な20代、30代世代に業を煮やし、今、彼、彼女たち若い世代の仲を取り持つ年上女性が増えているようだ。  20代、30代の若い男女ともSNSでつながり、そのプロフを紹介する男女にいつでも見せられるよう手配、食事会や合コンの開催、SNSを活用しての男女引き合わせといったそれは、戦前、戦後、高度経済成長期まで町にかならずひとりは居た「お見合いおばさま」を髣髴させるものがある。  フリーライターのミチコさん(40)はそんな「平成版・お見合いおばさま」だ。  最近、異性に縁遠いことで知られる一緒によく仕事をしている20代男性だが、聞けば彼女はいないという。それでミチコさんが通うフラワーアレンジメント教室のクラスメートの20代女性を紹介。ふたりはまだ交際には至っていないが、共に楽しく友達づき合いをするようになった。めでたく女友達ができた20代男性は、親しみを込めてミチコさんに「お母さんみたいですね」と言ってくる。 「世話好きだからか。実生活では子供がいないのでお母さんではないのにとすねてみたり……。でも、おばさんって呼ばれるのは嫌かな。お姉さんでもないんだけど。まだ“お見合いおばさま”って言ってくれたほうがいいのよ!」  こうミチコさんはむくれた様子をみせながらもその表情は満面笑み、縁結び役の喜びを隠さない。今年に入ってミチコさんがまとめた縁はこの男性だけに留まらない。大学時代の後輩女性2人の縁も取り持った。その縁を取り持つ方法はいかにも現代風だ。 「友人男性が勤める会社の部下、20代男性2人をLINEで紹介してもらいました。彼らのLINEのIDを私の後輩女性2人に転送、あとは、『LINEで若い者同士お互いにやりとりをしてね』とお願いします」  お見合い写真と釣書を持たずとも、LINEやFacebookといったSNSなら顔写真もプロフィールもわかる。今や、SNSは「お見合い」にも活用できるのだ。  だが、お見合いをする人は、「誰かいい人はいませんか」とひと口に言うが、その実、見合い相手への注文は数多い。容姿、学歴、収入などなど、そうした当人の希望も“平成版・お見合いおばさま”は出来得る限り聞き入れる。  お見合いを世話した女性から「自分の希望するところを、懸命にかなえてくれようと奔走してくれたのがうれしかった」と話すのは、これまで数多くの縁談をまとめてきた実績を持つ埼玉県在住のトモコさん(48)だ。先日、79歳の母からは、「人の恋愛の面倒をみるのはもう止めなさい」と言われたばかりだ。 「でもね、若い人たちが幸せそうなのを見るのも楽しいし。人と人のつながりは大切にしたいから。だからこれからもずっと“お見合いおばさま”を続けていきます」(トモコさん)  そんなトモコさんは、今、まさに縁を紡ぎそうな、ある30歳男性と20代後半女性を見守っていると話す。 「友人の息子さんなんですけど。たまたま都内にお仕事で出てこられるとか。それで私に相談したいことがあると……でもお食事するにしても、私と30代男性と2人きりというのもお互いに照れますし。そこで私が存じ上げている20代後半のお嬢さんを連れて行ったんです。そしたら彼も、そして彼女もお互い通じるものがあったみたいです」(トモコさん)  この30歳男性こそ冒頭で紹介した大手企業勤務のエリートだ。出会いを求めない彼は、ずっと転勤先の地方で枯れた生活を送っていた。このため、潤いのある日々を目指したいとの思いもあったのだろう。相談とは、つまり女性を紹介してほしかったわけだ。  そして、その彼は、トモコさんに紹介してくれた女性のことを、「あまりにもかわいくて一目ぼれ。寝ても覚めても彼女のことが忘れられない」と語ったという。  「相談したいことがある」――この、ほんのひと言でも若い世代の意図を察する。そして短期間で相思相愛となる人を連れて来る。ここに“お見合いおばさま”の醍醐味がある。  厚生労働省が発表した2014年度の「人口動態統計(2014)」の年間推計によると、日本国内の婚姻件数は64万9000件、婚姻率は0.52%だ。前年度から0.01%ポイントの減少だ。  戦前から戦後の一時期、婚姻率が今よりも高かったのは、どこの町にもひとりはいた“お見合いおばさま”の存在があったからだという。  “婚活ブーム”に湧く今ですらこの数字だ。もし“平成版・お見合いおばさま”がいなければこの数字はもっと低かったかもしれない。  かつていたお見合いおばさまたちは、すでに70代、80代と歳を重ねた。“ベテラン”お見合いおばさまに世話になった40代女性たちに、今、世話好き精神が引き継がれている。若い2人が幸せになってほしいという願いは変わらぬままに。  40代の豊富な人脈をフル活用して、「いい人」を日夜探す。そして、「あの人とこの人は合いそうだ」とくっつけようとする。 「わが子のように励ましたり厳しいアドバイスをしたり、幸せになってほしい一心で“おせっかい”をして結婚が決まったときはうれしさ一杯! だけど、寂しい気持ちにも。それくらいの愛情をもってご縁を紡いでいます。だから、いつの時代も私たちが求められているのでしょう」(結婚相談業者の「良縁コンシェルジュ町田」代表・佐野浩一氏)  シャイでもいいからとにかく外へ出る。選ばれない自分には何が足りないかを認識する。両天秤をかけたり、かけられたり……。そんな恋愛につきものの傷つけたり、傷つけられたりもをしっかりフォローする“お見合いおばさま”は平成の世の今でも健在だ。 ※本文中、カタカナの名前は仮名です。 (ライター 志村ひな子)
dot. 2015/09/14 11:30
モデル・林マヤ 自殺を思いとどまらせたのはソフトクリームだった?
モデル・林マヤ 自殺を思いとどまらせたのはソフトクリームだった?
MAYAAmazonで購入する  パリコレにも出た人気モデルと、人気ファッションブランドの創業メンバー。現在はタレントとして活躍する林マヤさんと、野菜文化研究家として活動する笛風呂タオス夫妻は、バブル期の結婚当時、時代を象徴するスタイリッシュなカップルだったが、やがて1億円に上る借金を抱え、自殺まで考えたことも……。 *  *  * 夫:結婚後、僕は会社を辞めて、彼女の勧めもあって、ファッションフォトグラファーになったんです。彼女のマネジャーとしていろんな撮影現場についていって、プロのワザを盗んでね。 妻:そのうち私も、モデルとしてやりたいことはもうないな……なんて思い始めた。年齢を重ねていくと、だんだん、かっこいいだけの仕事は来なくなるんです。家庭的なキャラクターが求められる仕事が増えていく。それを「そんなのモードじゃない!」って突っぱねて。 夫:家電メーカーから年間800万円っていう破格のオファーが来たときも、エプロンがイヤで断ったね。 妻:「私を誰だと思ってるの? 林マヤよ!」なんて。 夫:僕もまたバカでね。そんな彼女を「かっこいい~!」って(笑)。 妻:そのうちに、ショーのBGMをきっかけにジャズをやりたくなっちゃって、「ジャズシンガーになります」って宣言しちゃった。 夫:プロモーション写真やビデオをこだわりまくって撮りました。デモテープを配ったら、うちからCDを出しませんか?っていうレコード会社も現れて。91年にはアルバムも出しました。 妻:撮影用のアクセサリーを買うだけのために、アメリカまで行ったりね。 夫:でも、ライブツアーのスポンサーが付かなくて。全国20カ所の会場費、移動費、人件費、打ち上げまで、全部自腹。 妻:モデルでブレークしたときのようにお金なんて入ってくると思ってたんですよね。でも、あるとき計算してみたら、借金が1億円! 夫:あっという間に電気もガスも止められて。そこからはアルバイトの日々です。 妻:不動産屋さんのチラシをリュックいっぱいに詰めて、二人で深夜にマンションを回ってポスティング。昼間は、私はお弁当屋さんでアルバイト。彼は日雇いの肉体労働に行ってくれた。食事は猫缶やドライのペットフードでしのいだことも。それが一番安かったの。ビタミン配合って書いてあるし、栄養のバランスはいいのかな、と思って。でも、そんな生活を続けるうちに、心身ともに病んでいきました。街じゅうの人が私を見て「パリコレモデルだなんてかっこつけてたけど、今は猫缶食べてるんじゃない」って嘲ってる気がして。何をどうがんばったらいいかわからなくなって、生きていくのが怖くなっちゃった。それで彼に、一緒に死のうって。車で富士山まで行ったんです。 夫:それが皮肉なことにベンツなんですよ。売ろうにも、ローンの残額のほうが大きくて、売るに売れず。 妻:崖っぷちに車を止めて、黙って最期の時間を過ごしてたの。そのときふと、少し離れたところでソフトクリームののぼりが風に揺れてるのが目に入った。 夫:最期に食べようか、と。 妻:お金はなかったんだけど、車を隅々まで探したら、小銭が出てきたんですよ!何とか買った一個を分け合ってたら、彼がつぶやいたの、「うまいな」って。その瞬間、いろんな気持ちがうわーってあふれ出した。彼に申し訳ない。さんざん振り回して、うまくいってた仕事も私が辞めさせて。死ぬときには笑顔でいてほしいのに、このままじゃつらすぎる。それで、きっちり食べ終わったところで「帰ろう」と(笑)。あのとき、ソフトクリーム食べてなかったら、あのまま車ごと、崖下へダイブしてたと思う。 ※週刊朝日 2015年9月11日号より抜粋
夫婦
週刊朝日 2015/09/08 11:30
下流社会が二極化…大阪・あいりん地区で“超エリート”と呼ばれる人々
下流社会が二極化…大阪・あいりん地区で“超エリート”と呼ばれる人々
あいりん労働福祉センターに集まる日雇い労働者 あいりん労働福祉センター あいりん地区の自動販売機。一本50円から売られている  やはり働く人がいちばん偉い――日雇い労働者やホームレスの人たちが集う、大阪市西成区・釜が先のあいりん地区では、“白手帳”と呼ばれる「日雇労働被保険者手帳」を持つ労働者がここに住む人たちからもっとも尊敬のまなざしでみられている。 「あいりんの職安におる奴らは、俺らから言わせると“お堅い勤め人”や。白手帳持ち、それだけで尊敬されるで。なかでも手に職のある工員ゆうたら俺らとは別世界の人間や。超エリートやな。奴らが街なかを歩いとったら、まるで後光が差してるようにみえるで」  “三角公園”の通称で知られる釜が先の中心広場である萩の茶屋南公園を根城にするホームレスのマサヨシさん(仮名・58歳)は、JR・南海線新今宮駅西口から徒歩1分にある「あいりん労働福祉センター」に集う日雇い労働者たちについて、こう話す。 「夏の暑いときも冬の寒いときでも、朝3時や4時から白手帳持ちは動いとる。朝6時には、もう奴らはマイクロバスに乗って現場や。お日様が照ってるうちはどこぞの工事現場でシノギしたはる。俺はそういうことがでけへんねんな。手に職もない作業員の仕事やと人に使われる。それが耐えられん」  ホームレス生活約20年のベテラン、マサヨシさんが、この釜が先に流れ着いたのは数年前のことだ。九州、宮崎県の中学校を卒業後、就職のため大阪に出てから、10代半ばの数年は、中華料理店や寿司屋、スナックなど、飲食業を中心に職を転々としてきたという。 「いろいろやったよ。でもな、結局、どこも“見習い”のままやねん。一丁前になるまで続かんのや。上の奴からあれこれ言われるのがどうも好かん。せやから、ちょっと偉そうに言われると頭に血が上ってな。そのまま喧嘩別れや。ホームレスやる奴のほとんどがそうや。誰かに束縛されたり指示される。それが嫌なんや」  マサヨシさんは自身の経験に重ねてホームレス生活を送る人の心理をこのように問わず語りに語った。飲食業で身を立てたいと思っていたマサヨシさんだが、職人の世界は若いうちからの修行がモノをいう。さすがに25歳を超えると、見習いとして雇ってくれるところはもうなかった。 「仕方ないから日雇いでずっと食いぶちを稼いどった。でも、毎日稼がんでも何とかなるもんやで。空き缶や雑誌拾うて売ったり。そんなこんなで気がついたらこの歳になってたゆう感じやな。なんぼも稼ぎにはならんけど。食うにはそんなに困ってへん」  ホームレス生活も長いマサヨシさんを行政やホームレス問題を取り扱っているNPOも放ってはいない。時折、生活保護受給を申請しアパートの世話もしようとの声がかかる。 「生活保護ちゅうんは、国に日和るゆうことやろ。保護受けると市役所の役人からあれこれ指図されるて聞く。そんなんは俺、耐えられんで。これまで好き勝手に生きてきて、この歳なって人のゆうこと聞いて食べさせてもらう。それ、筋通らんとちゃうか?」  三角公園ほか、西成のホームレスには20代はもちろんのこと、30代、40代の年齢層の者をみることはめったにない。マサヨシさんはその背景をこう明かす。 「若い子ほどあれこれいわれるんは好かんやろ。ホームレスにもモラルゆうか秩序があるんや。たとえば公園でやな。誰がここに寝る、座るとか暗黙の了解がある。新参者が入り込むのは難しいもんや。せやから、若い子はここ西成に来てもすぐ保護に頼って出て行くんや。そら保護受けたら雨露しのげる屋根付の家に住める。役人にあれこれ言われることさえ我慢したら快適やろう」  このマサヨシさんの声を裏付けるように、3か月前に西成にやって来たという大阪府出身の30代後半のホームレスは次のように語る。 「もう出て行きます。公園でブルーシートを張って寝られるまで何年かかるやわからへん。ベテランがぎょうさん詰まっとるし。夏場、路上で寝たけど暑さに耐えられんかった。財布も取られたし、明日にでも生活保護受給の相談に行きますわ」  こうして20代から40代前半の若年ホームレスは西成を去り、生活保護受給へとなびく。二度とホームレス生活に戻りたくないとの思いもあるが、同時に、恵まれた生活保護受給生活で、働きたくないとの思いもまた強くする。西成でのホームレス生活から、現在は、生活保護受給を受けている40代男性のひとりがいう。 「元は消費者金融の営業マンでした。どこかお金をなめてたところがあった。ホームレス体験や生活保護受給によって、お金のありがたさが身に染みたけれども、これほど自由で快適で、穏やかな日々を手放したくはない」  西成の“お堅い勤め人”、白手帳持ちの日雇い労働者たちは、ホームレスたちを尻目に今日も建設現場で汗を流す。 「朝6時から夕方日没時まで働いても1日6000円しかもらえへんこともある。公園でブルーシートで寝泊まりするほうが楽といえば楽やろうな」(日雇労働被保険者手帳を持つ日雇い労働者・58歳)  大阪市関係者によると、「将来的には三角公園のブルーシートを全面撤去、夜、公園での寝泊りを禁止する方向で調整」しているという。  だが、懸念されるのはブルーシートの撤去によって、生活保護受給の申請が増えることだ。大阪市は生活保護受給率全国ワースト、これ以上の生活保護受給者増は行政としても耐え難い。ホームレスたちが大阪市以外の地方自治体に行けばいいという訳にもいかない。  しかし、この生活保護受給の問題。世論の盛り上がりは大きいが、解決策となるといまだ見えてこないという現状がある。  そもそも現行の生活保護申請のシステムに制度上の穴がある。大阪市によると、「申請時、大阪市に住んでいるという証明さえ出せれば受給は可能」だという。たとえば賃貸アパートの契約書といったものでいいという。申請者の本籍地も住民票も関係ない。  もっとも生活保護受給が決まれば、「住民票を大阪市に移すよう指導する」(大阪市)という。だがこれは強制ではない。なので、東京都に住民票、本籍地を置いたままでも大阪市から生活保護費の受給も認められるのだ。  前出の大阪市関係者は、「生活保護受給者の多くは大阪以外の地方出身者だ」とその実情を明かす。こうした傾向は、産業経済が発展した首都圏や中京圏でもみられる。  生活保護費は国がその4分の3、地方自治体が4分の1を負担している。財源の乏しい自治体よりも「都市部のほうが受給申請が認められやすい」のではないか、という申請者側の心理も働く。その結果、申請者は3大都市で保護受給を申請する。  大都市に保護受給申請が集まれば、おのずとその財源は疲弊する。生活保護費を大都市にのみ負担させる現行のシステムは、今こそ見直さなければならない。全国の自治体すべてで取り組むべき問題だ。 (フリーランス・ライター 秋山謙一郎)
下流老人生活保護
dot. 2015/09/02 15:00
第33回 私と犬 (あなたは犬?猫?って皆さんもなんどもきかれてますよね)
第33回 私と犬 (あなたは犬?猫?って皆さんもなんどもきかれてますよね)
トルコのブユカダ島の犬(ほめちぎ第24回参照)どこの国の犬も若干憂いを帯びているところがいいなあ (撮影/谷川賢作) 実はイルカも大好き そこで問題です このイルカはどこにお住まい(人間により営業させられています(^_^;))でしょう?答えは「 tanikenn@xc4.so-net.ne.jp 」まで。正解者の方から1名の方に谷川賢作ライブご招待(^o^) (撮影/谷川賢作)  前号で暑い暑いとのたまっていたら、これを書いている今日8/27(木)は初秋の涼しい風に身を任せ、さてこれで仕事がはかどるのかと思いきや、私の頭は相変わらずの五里霧中&七転八倒の錯乱状態。なんや、結局のところ君は暑くても涼しくても寒くても暖かくても一緒やん。いよ~ ポンッ!  さて犬と書きだしていきなりの猫ほめちぎっですが、猫と言えばご存知、佐野洋子さんの名作『100万回生きた猫』ですね。そこで、深キョン&成河さん主演のミュージカル@芸術劇場プレイハウス見てきました。実は1幕は舞台美術&人の出し入れ&動かし方(振付ということなのか)は見事だったのですが、進行がちと退屈気味で、どうなることかと心配したのですが、2幕に入り主演の二人芝居になるやいなや、突如舞台には詩情あふれ出し、見ているこちらも大粒の涙一粒二粒。いや、やはり「人の動きとライティングが命でセリフなんて二の次さ、が舞台でしょ」、と言ったら各方面からお叱りを受けますが、でも二人はシンとした清潔で澄んだ空間の中で「意味ありげな他愛ないしりとり」を小気味よくキャッチボールしつつじゃれ合っているだけで、感情的なことばの応酬でドラマがすすんでいくのではない、ということが実に気持ちいい。そして淡々と走馬燈のように生を謳歌し、死を迎える。ラストの全登場人物が優しく二人(二匹)を見送るシーンは、先日見た映画『おみおくりの作法』の静かなエンディングを彷彿とさせて、とても胸に迫るものがありました。必見ほめちぎっ!(今号掲載時には公演終了しているので、次回の公演をお楽しみに!)  さて今回は犬がテーマでした。実は小さい頃は犬がきらいでした。どんなに人なつこい愛らしい犬でも、ただひたすらこわがって近づかない私を母も妹もバカにしていたのですが、一体その原因がなにに(トラウマ?)あったのかいまだによくわかりません。  ところがある日突然、私以外の家族の策謀により犬が突然我が家にやってきてしまうのです。ガーン!だった少年賢作ですが、ショックを受けたのも束の間。生後間もないそのちんちくりんのへちゃむくれのドジで人なつこいチビ柴犬のかわいいことといったらありません。いつでもどこでもお目々ぱっちり、よだれハアハア、カラダ全体で人の足にスリスリ。運動量全開のこれぞ100%愛情まき散らし!に、いきなり一気に犬に目覚めて(オネエに目覚めでなくてよかった(^_^;))しまった私は、今までの遅れを取り戻すかのごとく、まあこれでもかこれでもかと甘やかしまくり。「ワン」と名付けられた我が家の新しい愛しい家族の一番のお気に入りの人間になるべく昼夜暗躍します。学校から帰るやいなや、まずは抱きしめ&撫でまくりじゃれじゃれスキンシップタイム(必ずや妹と奪い合い)犬には必須の散歩も率先して行きましたし、いいことだけでなく悪いこともかまわずやりました(恥をしれ私)。文字通りに「味をしめちゃう」から、甘いものなんか絶対あげちゃだめよと言われているのに、影でこっそりお菓子なんぞをあげて、「ワン」の歓心はひくものの、家族の顰蹙を買っていました。(繰り返しますが相手が犬でよかった、おれ。。。)  ペットとの距離感話は、よくある世間話の一つでしょうが、街を歩くだけでも??な態度を示す人(たとえば、赤ちゃんことばで話しかけまくり、顔中舐めるにまかせる人)をたまに見かけますよね。でもそれは決まって犬。そう猫は人と連れだってなんか歩かないから。でも猫はよそのお宅に伺うといつも毅然と「鎮座ましまして」いますよね。「なによ、あんた。なにしに来たの?」これが猫の不変の基本姿勢。それで、その家の主と猫の距離感をつぶさに観察することもこちらの楽しみの一つだったりします(時には思ってもみなかった主の別の顔を発見できたりもする)  脱線。猫はおいといて(^_^;)、こうして犬との距離が一気に縮まった私ですが、一番辛い思い出は「ワン」の埋葬。蜜月時代から十何年も経過し、あの可愛かった面影は今いずこ。立派な?老犬となった「ワン」は台風の夜に最期を迎えます。あお~ん、と悲痛な末期の遠吠えをしつつ、それを高まる雨と風の音とともに聞きながら、楽しかった思い出も次々に甦りつつ過ごす一夜のやるせなさときたら。シクシク。  台風一過の翌朝、猫の額より若干大きい位の我が家の庭に、四肢を硬直させたまま逝ってしまった愛犬を一人さみしく埋めましたとさ(その頃私の“ワン愛享受ライバル”の妹はUSA在住。彼女の悲しみもハンパなかった)  誰しも間違いなく皆共感してくれますが「ペットは死んじゃう時が耐えられないから飼わない」という一言が今の私にとっても結論かな(将来わかりませんが)。それにしても人が生きるということは「おみおくり」の連続なのですねえ。ため息。今ふと、見ず知らずの人のお葬式に出かけるのが共通の趣味の夫婦を描いた『清水夫妻』という江國香織さんの短編を思いだしました。不思議な小品です。「ほめちぎっ」9月も疾走します。ん?皆様もですね。うむうむ。ご自愛ください [次回9/7(月)更新予定]
2015/08/31 00:00
友達は常時50人 古市憲寿の人付き合い「3つのルール」
友達は常時50人 古市憲寿の人付き合い「3つのルール」
古市憲寿さん(30)ふるいち・のりとし/ツイッターが炎上することもある。でも「好感度の高い人の名で検索をしても悪口が見つかるんだから、しょうがないと思う」(撮影/写真部・植田真紗美、協力/玉川学園) “若者代表”として、テレビや雑誌で見かけることが増えた古市憲寿(のりとし)(30)さん。とらえどころのないキャラクターながら、人とのつながりを大切にする一面もある。  打ち合わせのあと、ひょい、と持ち上げたトートバッグが目についた。紺色のジャケットに、薄いブルーのシャツ。「軽さで選ぶ」という服とバッグの組み合わせが、なんだか夏らしく、爽やかに見えた。 「ボーダー、イイですね」  そう声をかけると、表情を変えないまま、ロジカルに解説を加えた。 「ボーダーは好感度が高いって言われていますよね」  むむ。5秒前までは爽やか王子だったのに、口を開くと、ときに「KY感」が漂ってしまう。  あるテレビ番組では、キスを「唾液の交換」と表現し、共演者を驚かせた。子どもについても、「子どもがいる社会は健全」としながらも、「汚いと思っちゃう」と発言し、やっぱり物議をかもした。若者代表と言われながら、今年、30歳になった。  2010年、東京大学大学院在学中に発刊した共著『希望難民ご一行様』(光文社)がヒット。古市憲寿の名は当時、新進気鋭の社会学者として世に広まった。現在まで定期的に自著を発表しながら、ニュース番組のコメンテーターなどの仕事を着実にこなす。上記のような言動から「若者代表」という役割を与えられ、テレビ番組では戦後を語り、内閣の各種委員にも招聘されている。  そんな古市さん、もともとは人見知りな性格。でも仲良くなりたい人はいるから、ストレスなく付き合える方法を模索した。いくつかのスタイルができた。 その1。誘われるのを待つのではなく、自ら積極的に誘うこと。常時約50人の友だちとゆるくつながり、イベントや夜ご飯の場を企画しては人を誘う。人見知りながら、自ら積極的に誘う理由を「そっちの方がラクだから」と言う。知らない人ばかりの場は所在ないが、知り合いばかりにすれば自分の土俵で戦える。夜ご飯はほぼ毎日、誰かと一緒に食べている。 その2。仲良くなりたい人とは、最初のひと月で3回会うこと。一気に距離を縮めて「仲良くなった」と思い込むことが大切だという。月1回×3カ月、ではダメ。 その3。初対面で1対1の食事は避ける。場が重くなり、つながりが維持しづらいからだ。  イベントがつながりを強くする。ある日は友だち20人でSEKAI NO OWARIのライブに行き、そのまま夕飯を食べた。その数日前はリアル脱出ゲームに。仲間の誕生日パーティーも積極的に開く。 「この年になって、こんなに人の誕生日を祝うとは」とは、古市さんの担当編集者の言葉。とにかく、つながりという資産形成に、潤沢な時間とたくさんの共通体験を投資している。 ※AERA  2015年8月31日号より抜粋
AERA 2015/08/23 16:00
日本の打ち上げ花火は世界一!?  世界に誇る日本の花火師の技術
日本の打ち上げ花火は世界一!?  世界に誇る日本の花火師の技術
明日8月22日、秋田県大仙市大曲で催される全国花火競技大会をご存じですか? 同大会は花火師がつくった花火を自ら打ち上げ、技術や独創性を競い合う大会。 最も優秀と認められた花火には、花火師にとって最高の栄誉となる内閣総理大臣賞が授与されます。 夜空を焦がす大輪は、いまや日本人にとってなくてはならない夏の風物詩ですが、形・色彩・リズム感・立体感・雅趣が調和したその芸術美は、まさしく世界トップクラス! 今回は「全国花火競技大会」開催にちなみ、日本の打ち上げ花火に迫ります。花火師の技術、職人魂、創造美がまさしく火花を散らす、「全国花火競技大会」(大仙市大曲)の様子 日本式と欧米式の、打ち上げ花火の相違って? 日本の打ち上げ花火と欧米の打ち上げ花火、それぞれ代表的な花火を比較してみると、その特徴には大きく異なる点があることをご存じですか? 基本的に日本の花火玉は球体ですが、欧米諸国の花火玉は円筒形(お茶っ葉の缶のような形)をしています。 この相違をさらに具体的に見てみると…… 【欧米式の花火】 一種類の火薬をプレスしてつくる、いたってシンプルなものが多く、空に上がった時に円筒形の缶の蓋や底の面が外れて中身が飛び出すため、花火は垂れ下がるような形状で夜空に広がります。 そもそも欧米の花火は、貴族や富める者が鑑賞するためのものであり、鑑賞者が見る一方向に発光の形を合わせてきた歴史があります。そのため球状にする必要性がなかったといわれています。 さらに昨今では、欧米の花火はエンターテインメントショーの色合いが濃くなり、花火を純粋に楽しむというよりは、音楽やライトアップなどを組み合わせた演出の一環として、花火が打ち上げられるケースが多いそう。 【日本式の花火】 球体の花火玉の中に詰められた火薬も、また球体であることが欧米との大きな差であり、花火師は球体の花火玉の中に火薬を詰める工程で、火薬が飛び出す方向を緻密に計算していきます。 欧米と異なる点は、日本の花火大会は古くから河川で開催されることが多く、季節の花を愛でるようにどの方向からでも、同じ形状の花火が鑑賞できる庶民の楽しみとして親しまれてきたこと。 こうした背景もあって、今日のような「世界一華麗な芸術美」とも称される日本の打ち上げ花火が完成したことになりますが、いまだ何万人もの人が同じ夜空を見上げてうっとりする花火大会のかげには、花火師たちの職人技ともいえる、繊細かつ高度な技術が結集しているといえます。シンプルな色使いの欧米の打ち上げ花火 家康が愛した江戸の花火が、日本における花火の始まり 高い技術をもった日本の花火師によって支えられている日本の打ち上げ花火ですが、実はその起源をたどると、イギリスから伝えられたものという記録があります。 1543年、種子島に鉄砲と火薬が伝えられた後、1613年にイギリスの国王使節ジョン・セーリスが徳川家康に披露したのが、日本における花火の始まりと言われています。 徳川家康はじめ将軍家などの間で花火の人気が次第に高まり、やがて庶民の間にも花火人気は広まり、現在の隅田川花火大会の原型「両国の川開き」が、1733年に初めて開催されました。 さらに、江戸での花火人気に火をつけたのが「玉屋」「鍵屋」という2大花火師の出現です。 現代にも伝わる「たまや~、かぎや~」のかけ声は、江戸時代の人気花火師を称えるものだったのです。 華麗なる職人技、花火師の仕事とは? 江戸時代からあった花火師という仕事。一人前になるための道のりは決して平坦なものではありません。花火師の仕事は主に3つのものが上げられます。 ① 花火の製造、打ち上げ  ② 花火大会の準備  ③ 花火大会の片付け 中でも、花火師の仕事のメインとなる①を行うためには免許が必要となります。火薬類取締法に基づき、花火を打ち上げるためには、十分な知識と資格が必要となり、「煙火打揚従事者手帳」を持つことが最低限の条件です。 もちろん、この資格を持っているからといって、個人で勝手に花火を打ち上げることはできませんし、美しい花火を打ち上げられる技術を持ち合わせられるわけではありません。職人の世界に飛び込み、技を習得するための努力を重ねていき一人前の花火師になっていくのです。伝統の手筒花火を揚げる花火衆 トップクラスの花火師が技を競いあう「競技花火大会」 日本の花火師は世界でもトップクラスの技術を誇るといわれていますが、その技術の高さが保たれる秘密は「競技花火大会」にあるといえるでしょう。花火師がその技術を競い合う、いわば「花火のコンクール」です。 競技花火大会の中でも有名なのが、秋田県大仙市の大曲で開催される「全国花火競技大会」。 この大会は内閣総理大臣賞、経済産業大臣賞など数々の栄誉ある賞が授与される花火界の権威ある大会です。 こういった競技花火大会は花火師たちの情報交換の場ともなっているようで、常に切磋琢磨しながら技術を磨いているようですね。 私たちが花火を見るのは主に夏の間だけですが、実は花火師の方々は一年を通して打ち上げ花火の製作に携わっています。 丹精込めて作り上げた打ち上げ花火の数々。一つ一つの花火に花火師たちのメッセージや独創性がのせられています。そんなことを思いながら眺める打ち上げ花火は、一層美しく感じるかもしれませんね。
tenki.jp 2015/08/21 00:00
「ピンハネされても罰則なし」下流老人「予備軍」の中高年派遣はどうなる?
「ピンハネされても罰則なし」下流老人「予備軍」の中高年派遣はどうなる?
「老後の不安よりも今の不安が強くて。1年先のことも考えられない」(※イメージ)  厚生労働省の調査によると、派遣労働者の数は約126万人(2014年)。減少傾向にあるが、中高年(40~50代)の占める割合は04年の21.6%から12年には35.7%まで上昇した。労働問題に詳しい三浦直子弁護士は言う。 「派遣法は1999年に大幅に自由化されました。その頃に派遣労働者になった人たちが、40~50代になっています。ただ、若い頃は派遣先が決まりやすくても、40代で働ける職種が狭まり、50代になるとさらに厳しくなる。家庭を持ち、子どもがいれば最も支出が増える年代に、収入がどんどん減っていくのです」  最近、定年後に受け取る年金が少なく、貯蓄もないために生活費に困る「下流老人」の増加が問題となっている。中高年の派遣労働者は日々の生活が厳しく、下流老人の「予備軍」になっているのが実情だ。  埼玉県に住む大沢俊樹さん(51、仮名)は、大手印刷会社子会社のA社で、プリント基板や内蔵部品基板を作る工場で仕事をしていた。昼夜2交代制で、1日の労働時間は12時間。10年前に働き始めたが、08年のリーマン・ショックを機に仕事が激減。09年に解雇された。 「時給は1060円で、月収は20万~25万円ぐらい。交通費の支給は月6千円が上限で、毎月4千円ぐらいが持ち出しでした」  大沢さんは収入が少ないために年金を滞納しがちで、老後にどの程度の額の年金が受け取れるかわからない。老後の生活についてたずねると、こう言った。 「老後の不安よりも今の不安が強くて。1年先のことも考えられない」  フルタイムで仕事をしていたのに、給料が少なかったのは雇用契約に問題があったからだ。大沢さんはA社との雇用契約はなく、A社の子会社であるB社に雇われていた。ただ、B社に行くのはタイムカードを押すときだけ。B社から仕事の指示を受けることはなく、実態はB社からA社に派遣されている派遣労働者だった。これは違法な「偽装請負」にあたる。 「さらに、B社とA社の間にC社が入っていて、ここがA社と業務請負契約をしていました。A社がC社に払っていた時給は2100円。それがB社を経由して私の手元に入るときには、時給が1060円になっていた。B社とC社が違法なピンハネをしていたのです」(大沢さん)  明らかな違法行為に憤りを感じた大沢さんは、09年にA社を提訴。今年3月に出た判決では、労働基準法6条と職業安定法44条に違反する偽装請負にあたると認められたものの、損害賠償請求は棄却された。 「違法に賃金がピンハネされても罰則なし。これが派遣労働者の実態です」(同) ※週刊朝日 2015年8月14日号より抜粋
下流老人
週刊朝日 2015/08/10 07:00
夏が涼しい北海道に 「ちょっと暮らし」。一番人気の“釧路”で避暑のすすめ。
夏が涼しい北海道に 「ちょっと暮らし」。一番人気の“釧路”で避暑のすすめ。
夜のニュースを見ると、「今日は○○で最高気温39℃を記録しました」というアナウンサーの声。39℃という数字が珍しいとさえ思えなくなってきた最近の猛暑は、命の危険さえ感じるほどの暑さです。そんな暑さから逃れようと、最近、北海道に長期滞在する人が利用しているのが、「ちょっと暮らし」という制度。北海道の各市町村が空き室などを貸し出し、北海道の暮らしを体験してもらおうという取り組みです。そして、夏に一番人気があるのは釧路市。その理由はもちろん、涼しいからです。ラムサール条約に登録されている 「釧路湿原」。ノロッコ号に乗ってのんびり見学できる。 「ちょっと暮らし」 は北海道での “お試し生活”。移住を考えているシニア向けに始まった。 「ちょっと暮らし」とは、都会の団塊の世代などを対象に北海道へ移住してもらおうと、2006年から道が中心となって始めた、北海道生活の体験ができる制度です。 滞在はだいたい1週間から1ヵ月ほど。各自治体が窓口となっています。「ちょっと暮らし」ができる施設は、使わなくなった公務員宿舎やマンスリーマンション、空き家、空きマンションなどさまざまですが、部屋には家具や家電、生活用品がそろっているので、着いたその日から普通に生活することができます。 移住者向けの事業ということもあり、人口減少に悩む自治体では、いろいろなサービスを付加して“呼び込み”に必死です。たとえば、人口は少ないが農業などで予算が裕福な自治体では、オール電化仕様の新築平屋を用意して、もてなしています。逆に、ある程度大きな都市では、古い木造アパートを少しリフォームしただけの部屋で対応したりなど、それほど積極的でないところもあるようです。 もちろん、観光など移住体験以外の目的でも「ちょっと暮らし」は可能です。滞在日数、滞在施設などは各自治体で異なっていますが、ホームページなどで確認できます。 夏の一番人気は釧路 !! とにかく気温が低い。7~8月の最高気温は平均21.7度 !! 昨年度、釧路市での長期滞在者は295人に上り、この結果、2011年以降、「ちょっと暮らし」をした人は、4年連続で全道第1位となりました。今年も順調で、すでに5月の時点で賃貸物件が足りていませんでした。そこで釧路市では、マンションの空き室などの改修費用を補助して、物件を確保しています。これは道内の自治体としては初の試みです。 なぜ、こんなにも釧路は人気があるのでしょう。まず第一に、夏が涼しいこと。2011年から2013年の7、8月の最高気温の平均はなんと、21.7度 !! 本州以南で猛暑日が続く中、釧路の気温は高くても、せいぜい25℃ほど。エアコンなしで夜もぐっすり眠れます。1年のうち夏日(最高気温が25℃以上)になる日は、釧路はたったの5.5日!! 札幌49.1日、帯広44.5日と比べると、北海道の中でもいかに涼しいかがわかります。ちなみに東京は110.0日です。 次に、釧路は北海道で4番目に人口が多く、北海道の東部の中心地であること。買い物も病院も食事も、まったく困ることはありません。 そして、釧路は海沿いの町です。大きな漁港があるので、新鮮な魚介類がいつでも手に入ります。7月はツブ貝、8月はイワシやスルメイカ、そして9月はサンマや秋鮭…というように、四季を通じて旬の魚が食べられます。 さらに、釧路湿原をはじめ、知床半島、阿寒湖、摩周湖など、自然豊かな観光名所に近いのも魅力の一つです。夏の夜霧にかすむ釧路の象徴、幣舞(ぬさまい)橋。霧もまた釧路の名物。 冬は北国の生活を楽しむ、春はスギ花粉から逃れる。四季を通じて人気の 「ちょっと暮らし」。 夏は気温が低くて人気の北海道ですが、反対に、“しばれる”冬も北国の生活を体験できるとあって、「ちょっと暮らし」は好評です。マイナス10℃、マイナス20℃の“未知の世界”を体験し、雪がある生活そのものを楽しもうと、暖かい地方から訪れる人も少なくありません。近くのスキー場で気軽にスキーやスノーボードを楽しんだり、公園でスノーシューなどのウィンタースポーツを満喫できるのも、人気の一つです。北海道の住宅は寒冷地仕様となっているので、冬の室内は快適です。一軒家を借りたとしても、寒くて困ることはありません。 また、北海道にはスギがないので、日本中が花粉症で悩む2、3月に、スギ花粉から逃れようと「ちょっと暮らし」をする人もいます。 今、北海道では、移住の受け入れに本腰を入れていて、自治体ぐるみで移住者に仕事の斡旋や暮らしのサポートをしています。また、移住したいと考えている人も年々増えていて、退職した世代をはじめ、30代、40代の働き盛りの世代が窓口へ相談する件数も多くなっています。「ちょっと暮らし」は、そんな移住生活のお試し版ですが、夏場の避暑として利用する人が多いのも事実。自治体としても訪れる人にはウエルカムで、車で行く際にはフェリー運賃が割引になるというサービスを設けているところもあります。 北海道への移住に関する公式ホームページはこちら ⇒北海道総合政策部 「北海道暮らし」 (http://www.pref.hokkaido.lg.jp/ss/ckk/uiturn/iju-soku.htm#rinkusaki5) 暑い日が続きます。朝、新聞で「今日の最高気温」の欄を恐る恐る見て、その数字にうんざりする毎日です。しかし、日本中が「暑い暑い」と言っているなか、最高気温が20℃そこそこのところもある北海道。避暑に訪れる際、「ちょっと暮らし」という便利な選択肢もあるので、一度利用してみてはいかがですか。
tenki.jp 2015/08/07 00:00
「テレビは見せません」息子を東大合格させた母の教育術
「テレビは見せません」息子を東大合格させた母の教育術
「東大&イエール大+国立医大」2兄弟の母小成富貴子さん(48)上智大学卒業。在学時にスペインに1年間留学。夫の眼科クリニックをはじめ四つの仕事を持つ。長男が東大&イエール大、次男が難関国立医大に合格(撮影/編集部・石田かおる)  子どもの受験のために、親ができることといえば、夜食を用意して「伴走」すること――。そんな常識を覆す、「母主導」の合格体験記をご紹介したい。  長男(24)は東大と米国イエール大学にダブル合格。次男(22)も難関国立医大に在学中で、自らは夫の眼科クリニックの経営面を担当し、東京・表参道にスペイン雑貨のショップを開くなど四つの仕事を持つ。そんな小成富貴子さん(48)は、子どもたちにテレビを見せなかった。0歳の時から“グローバルコミュニケーション”を意識してきたからだ。 「テレビよりも、0歳の時からドビュッシーやモーツァルトなどのクラシック音楽を聞かせました。日本人が英語に苦手意識を持つのは、母音の微妙な聞き分けができないから。微妙なニュアンスが聞き取れるような“耳”を育てたかったんです」  3歳からはあいさつやお礼、自己紹介がきちんとできるようにして、徐々に「レベルアップ」も図った。最初は名前と年齢、次に自分の情報をプラス。 「『僕は電車が好きです』と加えれば、それがきっかけで大人と会話でき、コミュニケーションのレベルも上がります」  寝るときは創作物語を聞かせ、子どもとストーリーを考えた。夫と一貫して続けてきたことは、遊びも勉強も子どもと同じ目線で一緒に取り組むこと。 「勉強は家族4人で食卓を囲み、大学入試まで一緒にやりました。小学校1年のひらがなの練習も一緒にしたので、私まで字がきれいになりました」  長男は中学受験し、神奈川県の私立中高一貫校・栄光学園に進学。3割の生徒が東大に進学する名門校だ。優秀な同級生に囲まれるなか、負けず嫌いの長男は全員が同じスタートラインに並ぶ英語で優位に立とうと考えた。 「教科書のCDを聞きながら復唱し、テキストを全部暗記していました。耳は幼少期から育てていたので、毎日反復することで、英語の発音の筋肉も鍛えられました」  中3のとき、学校代表として高円宮杯全日本中学校英語弁論大会に出場。神奈川大会でいきなり優勝し、全国で3位に入賞。高校1年で米国に留学した。 「私は高1で米国に留学させたいとずっと思っていましたが、長男は乗り気ではなかった。弁論大会がきっかけで考えが変わり、息子にとって大きな転機となりました」  留学先のテキサスの公立高校で最優秀の成績を修め、全米トップの学生だけが参加できる米国の教育プログラムの招待を受けた。ここで出会った学生たちに強い刺激を受け、長男は米国の大学で勉強したいという思いを強くした。1年後、栄光学園の1学年下に復学。高2で級友と英語の世界ディベート大会に出場し、高3ではニューヨークの国連本部で行われた模擬国連世界大会で日本人初の優秀賞を受賞。そして、東大とイエール大学に現役合格した。 ※AERA 2015年7月27日号より抜粋
大学入試東大
AERA 2015/07/29 11:30
内臓脂肪が多い職業 第1位は意外な?あの仕事
内臓脂肪が多い職業 第1位は意外な?あの仕事
内臓脂肪と職業の関係は… 結構保険組合連合会資料より  健康第一のビジネスマンにとって、「内臓脂肪」は気になるもののひとつ。この内臓脂肪の多さと職業の関係をみていくと、意外なことがわかってきた。  全国約1400の健康保険組合からなる健康保険組合連合会が、2013年度の特定健康診査の結果を分析したところ、内臓脂肪症候群の多い職業は建設業、年金事務などの公務、運輸業だった。  運動量が多そうな建設業が1位というのは意外に思えるが、東京大学政策ビジョン研究センター特任助教で医学博士の古井祐司さんによると、体力を使う分、それに耐えうるカロリーと塩分を摂取してしまいがちだという。  特に警察官や建設作業員は、昼食は弁当や外食になりがち。さらに、職場に受け継がれている「理想像」も影響している、と古井さんは指摘する。 「体が小さいと小突かれて、バカにされてしまう雰囲気がある。新人は体の大きな先輩たちにあこがれて、最初は頑張って揚げ物やカロリーの高いメニュー、大盛りを食べ、見よう見まねで醬油やソースもたっぷりかける。それが習慣となり、肥満につながるのです」  建設現場ができると、近くのコンビニや弁当店は大盛りや高カロリーの弁当を多くそろえるようになるのも、それがよく売れるからだ。  一方、2位にランクインした公務員のようにデスクワークが多い仕事にも、独特のリスクがある。  運動量が落ちることに加え、狭いオフィス内で気分転換するために、お菓子や甘い飲料に手が伸びやすいのだ。  同じく運動量が少なくなりがちな運輸業について、荷物の陸上運送を担う中小企業が加入するある健保の担当者は、こう説明した。 「走った距離で稼ぐ仕事なので、休憩もそこそこに昼食をかき込んで仕事に戻る人が多い。運転中は眠気覚ましに甘い缶コーヒーを飲み、夏場には清涼飲料水。トラックの中には空き缶やペットボトルがゴロゴロしているという話もよく聞きます」  だが、健保から効果的な指導をするのは難しい、と担当者は嘆く。運転手は車内で一人になる時間が長く、監視の目が届きにくい。さらに、同じ会社で働くドライバーでも荷主によって勤務時間が多様で、日中の定時勤務もあれば、夜勤や交代勤務もある。画一的な生活指導が難しいのだ。運転免許があれば仕事ができるため、定年後の再就職や中高年になってからの転職先として人気が高いということも、業界の肥満率を押し上げる一つの要因になっているようだ。 ※AERA  2015年7月20日号より抜粋
ダイエット健康転職
AERA 2015/07/24 11:30
“大きなお友達”が大集結! 「ミニ四駆バー」の凄すぎる中身
“大きなお友達”が大集結! 「ミニ四駆バー」の凄すぎる中身
ミニ四駆バー「DRIBAR」の女性スタッフ ミニ四駆バー「DRIBAR」のオーナー・宮地慶さん 店内のコースには2つが設けられ、タイム計測も可能だ  1980年代後半から90年代にかけて、少年たちを中心に絶大な人気を誇った「ミニ四駆」。そのブームが再燃している。今回のブームの中心は、大人たち。かつておもちゃ屋や自宅のコースで走らせていた少年たちが今向かっているのは、夜の街に現れる「ミニ四駆バー」だ。  ブームの再燃を受け、全国各地に登場している、ミニ四駆バー。今回はブームの中心が大人であることから、仕事後に気軽に走らせたり、お酒を飲みながら楽しめるところが受けているようだ。店内にコースを設置し、マシンのチューニングや改造ができるスペースや工具を用意するほか、飲食物を提供する。 「私もほかのミニ四駆バーに通っていたんですが、次第に自分でもお店を持ちたいと考えるようになりました。そして、どうせやるなら広いスペースでゆっくりと楽しめるお店を、山手線の内側に開きたいと思ったんです」  そう語るのは、東京・池袋駅から徒歩3分にあるミニ四駆バー「DRIBAR」のオーナー、宮地慶さんだ。今年6月にオープンし、100平米超の面積はほかのミニ四駆バーと比べて倍近い広さになるという。筆者が取材したのは土曜日の15時頃だったが、すでに20人ほどが来店していた。  初めて来店する人のうち、およそ3割はかつてミニ四駆で遊んでいた「復帰組」だ。手ぶらで来ても走らせられるよう、セットやパーツを店内で販売されるほか、組み立てるために最低限必要な工具を無料で貸し出す。一方、「ガチ勢」と呼ばれるヘビーユーザーのために、広いスペースを生かした作業スペース(1回=300円)も設けている。 「『工具スペース』と呼んでいますが、ここでは切削などの作業ができる工具を用意しています。ちょっと気を使う作業になるので、『飲酒運転禁止』ならぬ『飲酒作業禁止』です(笑い)」(宮地さん)  料金体系は90分の飲み放題・走らせ放題で1500円(12歳以下は750円。またビールは別途1杯200円)。ミニ四駆一式が揃う3000円の「初心者パック」も用意する。また、店舗では各種ドリンク・フードを取り揃えているが、そのほか飲食物の持ち込みや、来店客が各自で出前をとれる。  今回のミニ四駆ブーム、その特徴はどんなところにあるのだろうか。 「子どものころは、高くて手の届かなかったパーツが大人となり買えるようになったことで、いま一度始める人がいる。また、経験者がお互いに同世代であったり、あるいは親御さんが子どもに『ミニ四駆やってみようぜ』と呼びかけるなどして、輪が広がっているというのもありますね」(同)  また、大人を改めて夢中させるその魅力については、宮地さんはこう続ける。 「人によって、パーツの選び方がまったく違う。できる限りコースアウトしないようなマシンづくりをする人がいれば、ボディーの見た目を重視する人もいたり……遊ぶ人それぞれの性格が如実に現れる点も、ミニ四駆の面白さだと思います」  あの頃買えなかったパーツを手に、自分がかなえたかった理想のマシンを作り上げる……そんなところに、大人たちは魅了されているのかもしれない。  バーの営業時間は23時(金・土曜は翌朝5時)まで。手ぶらで赴くのはもちろん、仕事帰りに自慢のマシンを携えて、「ちょっと一杯」とともに、ミニ四駆で「ちょっと一走り」なんてこともできそうだ。 (ライター 藤麻迪)
dot. 2015/07/18 11:30
野菜がとれるファストフードはこれだ! 外食=不健康は過去のものに?
野菜がとれるファストフードはこれだ! 外食=不健康は過去のものに?
管理栄養士監修の弁当やおにぎりなど、栄養バランスを考えた商品が続々登場(前列3品はサークルKサンクス)。半日分の野菜が取れるスープやサラダ、淑徳大学看護栄養学部教授監修の弁当など、本格的なヘルシー商品も(ファミリーマート)(撮影/写真部・長谷川唯) 外食メニュー、コンビニ商品の栄養は?※各社HPから抜粋、編集部作成※弁当や丼などのライスの量はすべて「普通」「並盛」の場合※一部取り扱いのない店舗あり 最近、外食店のメニューやコンビニ商品の裏面を見ていますか。健康志向の高まりの中、どこもヘルシーメニューを増やしています。上手に利用しない手はありません。(編集部・吉岡秀子)  外食=不健康の図式は、もう過去のものになりつつある。  平日の東京・有楽町。正午前の牛丼チェーン吉野家は満席だった。1分も待つことなく、席に座る。4列あるカウンターにはスーツ姿のビジネスマンだけでなく、女性や高齢者も目立つ。  その多くが手にしているのは、黒い丼。牛丼用の白い丼ではない。5月下旬から発売になった「ベジ丼」だ。「一日に必要な野菜の量の半分が取れる」という触れ込みで、健康志向の強い女性や、野菜不足を気にする男性にも受け、「販売は好調」(吉野家)だという。 「吉野家らしくない」と嘆くファンもいるようだが、マクドナルドしかり、弁当チェーンのほっともっとしかり、「ヘルシー戦略」はいま、集客力アップの切り札だ。健康的なメニューを選択肢としてつくらないと、客足が遠のいてしまいかねない。 ●ドレッシングはトロッ 「外食ばかりだと、特に野菜不足になりがち。最近、野菜を使ったメニューが増えてきたのは喜ばしいことです」  と話すのは、管理栄養士で健康運動指導士の佐々木由樹さん。身長166センチ、体重は50キロを切る細身ながら、「週5回は外食。ランチはコンビニ」なのだという。どうすれば、その体形を維持できるのか聞くと、健康的な生活を送るためには次の3点が大切だという。 (1)適正なエネルギー(カロリー)を摂取する (2)塩分を控える (3)野菜をたっぷり食べる  常識的なことだが、外食やコンビニばかりでとなると容易じゃない。しかも、仕事が忙しい世代ほど、外食の頻度は高い。  ホットペッパーグルメリサーチセンターが首都圏、関西、東海地方の男女約9千人を対象に行った「2014年度外食市場調査」によると、外食(夕方以降の店での食事)の頻度が最も高いのは40代男性で月に平均5.02回。次に20代男性で5.01回、30代男性の4.93回と続く。女性も20代は4.84回と高い。  そんな外食やコンビニ食中心の生活で、どうやって健康になれるのか。佐々木さんは言う。 「栄養素の中でカロリーがあるのはたんぱく質、脂質、糖質。ダイエット中は摂取カロリーを減らすことが大切なので、これらのどれかを抑えるといい。野菜も必要ですが、取れないときは野菜ジュースを飲む。そんなちょっとしたことを毎日実行するだけで、カラダは変わります」  一日に必要な摂取カロリーは個人差があるが、体重を35~40倍した数字が目安。体重約70キロの男性ならば2800キロカロリー、約50キロの女性は2千キロカロリーほどといったところだ。やせたい場合は、ひとまず200キロカロリーを減らす意識が必要という。問題は塩分。国が指導する一日8グラム未満を3食外食で守るのは難しい。 「まずは10グラム以下を目指す」が、現実的なようだ  ちなみに、佐々木さんの減塩の“裏技”は、ドレッシングなど成分表示がないものを選ぶとき、「トロッ」としているほうを選ぶこと。例えばノンオイルよりもサウザン、ウスターソースよりケチャップのほうが塩分は低いという。サラサラとした液体は食材に絡みにくいため、味を濃くする傾向があるとか。覚えておくと便利だ。 ●パスタにはサラダも  コンビニ業界の今のキーワードも「健康」だ。ローソンは13年、「マチの健康ステーション宣言」を打ち出した。  ファミリーマートは今年、「Fun&Fresh」をスローガンに掲げ、ヘルシーさを前面に出す。店内の陳列を見ると、昨年とは品ぞろえが一変。棚には野菜や総菜が増え、パスタサラダ、オクラをのせた豆腐など、健康に配慮した商品が並ぶ。 「以前は昼食におにぎりだけ買う方も少なくありませんでしたが、最近は一緒にサラダや総菜、ヨーグルトなど、サイドメニューも購入される方が多い」(広報担当の高岡夏さん)  買い合わせを促すように、弁当のサイズは少々小さくなった。ここ数年のヒット商品はといえば、カット野菜。レタスやキャベツなどが袋に入っていて、ドレッシングをかけて食べるビジネスパーソンも多い。客層は過去には7~8割が若い男性だったが、最近は男性6割、女性4割という。店のヘルシー度がアップした証しだろう。  前出の佐々木さんも「複数買い」を勧める。例えば、パスタだけではなくサラダも取る。牛丼にするなら卵も買う。市販メニューの肉は脂肪の割合が多いので、たんぱく質を補うためだ。コーヒーに牛乳を入れれば、ふだん取りにくい乳製品を取ることができる。 「コンビニ商品は裏にカロリーや栄養成分が表示されていることが多いので、健康管理に役立ちます。チェックする習慣を持つといいですね」(佐々木さん)  ただし「ナトリウム(Na)」は、2.54を掛けないと「塩化ナトリウム(NaCl)=塩分」にはならないから要注意という。 ●トクホでチャラは×  結論。外食チェーンやコンビニに、ヘルシーメニューが増えてきた。残業をこなして帰宅して、インスタント料理を作るより、サクッと買って食べたほうが健康的になれるかもしれない。  とはいえ、深夜にコンビニでボリュームのある弁当を買って、トクホのドリンクでチャラにしようなんて安易な考えは、ご法度。健康は一日にしてならず。 「3食バランスよく食べる」。この基本を忘れずに。 ※AERA 2015年7月20日号
AERA 2015/07/13 00:00
二十四節気「小暑」・七十二候初候「温風至る」~季節の風物詩と言えば…?
二十四節気「小暑」・七十二候初候「温風至る」~季節の風物詩と言えば…?
そろそろ梅雨明けが待ち遠しいころですね。今年の「小暑(しょうしょ)」は7月7日…七夕と重なり、さらに晴れが期待されますね。そして「小暑」の七十二候・初候は「温風至(おんぷういたる)」です。季節の風物詩とあわせてご案内いたします。小暑のころの花便り「朝顔」 「暑中」のはじまりが「小暑」、「温風至」とは… まだ雨が降る日が多いのに「小暑」とは気の早い…と思うかたもいらっしゃるかもしれませんが、南から順に梅雨明けが始まるのがこの頃です。そして、梅雨明けの合図は大雨。雷を伴う大雨と交代するように暑さが増してきます。 「暑中」は、「小暑」から「大暑」の間を言い(冬の寒中と同様)実際の暑さのピークとは少しずれますが、これは旧暦から新暦に変わったためと考えられます。(旧暦7月7日は今年は8月20日) そして暑中とともに七十二候・初候「温風至(おんぷういたる)」がはじまります(~11日まで)。 温風とは南風のことをさし、蒸し暑い日が増えてまいりますから「涼(りょう)」を求めたくなる頃でもあります。涼やかな色や音、和菓子もひんやりとした食感のものが増えます。五感すべてで感じる夏の涼、日本的な感性だと思いませんか? 季節の風物詩と言えば…その①「朝顔」 7月に入るとさまざまな夏の花が咲き始めます。そのひとつに「朝顔」があります。 東京・入谷の鬼子母神界隈では、毎年「小暑」のころに「朝顔市」を催します。始まりは江戸時代後期、朝顔の栽培が盛んだったことと花の美しさが際立ったことから今に続いています。奈良時代に遣唐使により薬として伝来した花種でしたが、その後観賞用として栽培されるようになり、今では千種類以上の品種があります。 毎年7月6日、7日、8日の3日間開催され、早朝5時から深夜23時まで賑わいをみせてくれます。平日ですが、早起きは三文の徳…とばかりに、早朝に行くのもよし。仕事帰りや外出の帰りに寄り道するのも楽しいですね。(リンク参照) 季節の風物詩といえば…その②「暑中見舞い」 冬の「寒中見舞い」に対して、夏は「暑中見舞い」となります。年始は年賀状を出せなかった方へのご挨拶とされることが多いのに対して「暑中見舞い」は年賀状と同じように広く知られていますが、元々は、直接ご挨拶することができない遠方の方にだけ行われていた行事でした。それが大正時代のころから、近い遠いにかかわらず、季節のご挨拶として一般的に広まりをみせました。従来は「梅雨見舞い」というのが小暑まで、小暑から立秋までが「暑中見舞い」、立秋を過ぎたら「残暑見舞い」でした。 今ではこの時期に葉書や便箋の準備を始め、梅雨が明けたら筆をとるのが望ましいですね。また、日付は入れずに「盛夏」とだけ記すようにしましょう。 《参考文献》 日本の七十二候を楽しむー旧暦のある暮らし涼しげなご挨拶
tenki.jp 2015/07/05 00:00
「自主避難者」住宅の無償提供が打ち切り! 福島県「17年3月まで」と発表
「自主避難者」住宅の無償提供が打ち切り! 福島県「17年3月まで」と発表
河井さん宅に取材に行ったのは午後3時ごろ。母の目線の先には、近所の子どもたちと遊ぶ娘の姿が。子どもたちには「避難者」かどうかは関係ない(撮影/写真部・植田真紗美) 福島県は6月15日、いわゆる「自主避難者」への住宅無償提供を2017年3月で打ち切ると発表した。復興の加速と帰還促進を目指す国の意思だという。(フリーライター・吉田千亜) 「うるせぇ! 帰るところがあるヤツは、帰れ!」  スポーツセンターの広いロビーに、初老の男性の怒号が響いた。身をすくめる子どもたち。言葉を向けられた河井加緒理さん(33)も咄嗟(とっさ)に返す言葉がない。 「私たちは、認められない存在なんだ……」  そう自覚した瞬間だった。2011年3月下旬。栃木県内のスポーツセンターでのことだ。  東日本大震災に伴う原発事故からの避難者が身を寄せていた。誰もが同様の境遇なら、冒頭の発言はなかったかもしれない。だが、避難者は政府による避難指示の有無によって、自宅に帰りたくても帰れない「強制避難者」と、物理的には帰ることが可能だが避難を選んだ「自主避難者」に二分されていた。 「原発が爆発して、安全なはずがない」  と、当時5歳と3歳の子どもを連れて福島県いわき市の自宅を出発、この避難所へ来た河井さんは、後者だった。  1カ月後の4月に埼玉県へ。現在まで、災害救助法に基づく福島県による住宅の無償提供を受けて公営住宅に暮らしてきた。その無償提供が16年度いっぱいで打ち切られる。河井さんは言う。 「このままでは、追いつめられた親は子どもと路上生活するしかない。『もう大丈夫。ありがとう』と言える日まで、家を追い出さないでほしい」  自主避難者にとって今回の決定は、「2度目の切り捨て」とも受け取れるものだった。  最初の「切り捨て」は、政府が原発事故後、避難指示を出す基準を「年間被曝(ひばく)線量20ミリシーベルト」と定めたことだ。 ●国の避難指示出ると信じた  原発事故以前の日本の年間被曝限度は1ミリシーベルト。原発事故後は、これが20倍になった。自主避難者の多い福島県の中通りやいわき市の事故直後の放射線量は、この基準には達しないものの、平時の数百倍から1千倍。正確な放射線量や被曝の影響についての情報が錯綜(さくそう)する中、自分の住む地域にも避難指示が出ると信じて避難した人も多くいた。  6月15日の記者会見で内堀雅雄・福島県知事は無償提供打ち切りを「帰還や自立を促すため」と説明したが、戻る場所がないケースや自立できないケースも少なくない。 「原発離婚」という言葉がある。子どもの被曝リスクを減らすために避難を選択した妻と、避難は必要ないと考えた夫。避難生活を支えるために離れて暮らすうち、気持ちがすれ違ってしまった家族。取材の過程で多くの避難者に出会ったが、原発事故後に離婚したという夫婦は5組や10組ではない。  冒頭の河井さんも避難を巡る意見の食い違いで夫と離婚していた。栃木県内の避難所、親戚宅などを転々としてたどり着いた埼玉県の公営住宅。避難に否定的だった夫は同行せず、避難先での生活費も自分で工面するしかなかった。すぐに保育園と仕事を探し、病院の看護助手としてフルタイムで働き始めた。慣れない土地での生活。仕事をしながらの孤独な子育て。夜が来るたびに泣いて過ごす半年間を経て、11年11月に離婚した。  酒浸りになった時期もある。一番守りたかった子どもたちに一日中留守番をさせてでも働かざるをえず、精神的に追いつめられ、思わず子どもに手を上げかけた。そんな毎日を少しでも明るくしたくて、思いきってカーテンを買い替えたとき。新しいカーテンを見た近所に住む女性に投げかけられたのは、こんな言葉だった。 「避難者はいいわね、お金がもらえて」  そもそも自主避難者は、複数の共通する困難を抱えている。  一つは、経済的な困難。「すべての避難者には東京電力から高額な賠償金が支払われている」という誤解があるが、強制避難者なのか自主避難者なのかによって、受け取れる賠償金や支援には大きな違いがある。  例えば、帰還困難区域から避難している4人世帯の賠償実績は、2013年時点で1億円(財物・就労不能損害・精神的損害)。これが自主避難者の場合、18歳以下の子どもと妊婦は1人につき68万円、大人は1人につき8万円が基本。河井さんが手にしたのはこれにわずかな追加賠償を加えた約150万円のみだ。母子3人の避難生活を支える金額としては、あまりにも少ない。住宅の無償提供は、自主避難者に対するほとんど唯一の経済的支援だった。  二つ目は、孤独や孤立という困難。原発事故以前のコミュニティーから切り離され、河井さんがそうだったように、避難先では「勝手に避難してお金をもらっている人たち」という視線にもさらされている。  三つ目は、未来の生活を描けないという困難だ。自宅のある地域の放射線量は、今後どう推移するのか。どこまで下がったら戻るのか。このまま下がらなかったら、避難先に永住するのか。避難先の人に「いつ帰るの?」と聞かれて困惑したという話はよく聞く。  そして最大の困難は、避難に伴うあらゆることが「自己責任」とされてしまうことだ。 ●私のせいじゃなかったはず  磯貝潤子さん(41)は、2人の娘とともに福島県郡山市から新潟県に避難し、現在もそこで暮らしている。避難を決めた当時、自宅の放射線量は、原発事故前の30~50倍。部分的には500倍にもなった。「ここで子育てはできない」と判断した彼女の自主避難を、「自己責任」と片づけてしまっていいのだろうか。  福島県内で仕事を続ける夫の月収は、30万円に満たない。磯貝さんもパートで月に5万円ほどを稼ぎ二重生活を支えるが、自宅の住宅ローンの支払いも継続中で、保険を解約した払戻金や貯金を切り崩して、なんとか生活している。自宅売却も考えなければならないかもしれない。  そんな矢先の無償提供打ち切り。避難先で家賃を支払う余裕はとてもない、と磯貝さんは言う。長女は来春、新潟市内の高校を受験する予定。すぐには地元に帰れない。それでも郡山市から住民票を移さず税金を払い続けるが、いまは地元から見捨てられた気持ちだと言う。 「地元に住み続ける人がいる中、自分たちだけ支援してほしいなんて思っていないんです。でも、『自己責任』と言われるたびに、『私のせいじゃなかったはず』と思ってしまう」  3万6千人いるとされる自主避難者のうち、応急仮設住宅の居住者は2万5千人、およそ9千世帯と推計されている。住宅の無償提供費用は年に80億9千万円ほどとされ、1世帯にすると最高でも126万円ほどだ。一方で、居住制限区域では1世帯の除染費用が1億円に上るケースもあるという。  今回、無償提供打ち切りに代えて示されたのは、「福島県内への引っ越し費用の補助」「低所得者への家賃補助」「公営住宅確保」「コミュニティー強化」の四つだが、財源も開始時期も未定の状態だ。  磯貝さんと同様、福島県内の自宅のローンを抱えながら新潟県に自主避難中の男性(40)は、たとえ一家がそろっていても、 「貧困のリスクは高いですよ」  と話す。  原発事故直後の11年4月に妻の妊娠が発覚。「妊婦や子どもは放射線の影響を受けやすい」と知って避難を決めた。初産の妻を1人で避難させることは、当初から考えなかったという。 ●いま必要なのは社会全体の共感  その年の夏に新潟県に避難してNPO団体で働きはじめたが、収入は原発事故前の半分以下になった。その後、2人目の子どもも生まれ、一家4人月収20万円以下の切り詰めた生活が続く。 「自主避難者でかつ夫も避難しているケースは、『働き手がいるだろう』と支援の枠から外れやすい。時間の経過とともに『二重生活を続けるのは厳しい』と判断して母子の避難先に夫が合流するケースもあるが、年齢によっては思うように転職ができないなど、みんな厳しい」  災害対応を続けてきた津久井進弁護士は指摘する。 「いま必要なのは、それぞれの立場に対する社会全体の理解と共感。住宅支援は生活基盤に直結する最も大切な支援で、それを打ち切ることは避難者の生存権を奪うことにほかならない」  そして、続けた。 「避難者一人ひとりが置かれている状況は違う。避難の権利を認め、実情に応じてパーソナルサポートをしていくべきだ」  すでに打ち切りの決定は下ったが、撤回を求める署名活動が続いている。 ※AERA 2015年7月6日号
原発
AERA 2015/06/29 00:00
サラリーマンより高い? 看護師の平均年収
サラリーマンより高い? 看護師の平均年収
看護師として働いたら、お給料はどのくらいもらえるのか? 気になるナースの給与事情 ナースのお給料は、全労働者の平均年収を上回っている 「看護師になる」(週刊朝日MOOK)朝日新聞出版定価:980円(税込み)Amazonで購入する  看護師がいくらやりがいのある仕事といっても、働く上での切実な関心事は、給与面での待遇だろう。看護師といえばあまり所得の高くないイメージがあるかもしれないが、結論から言うと、医療職の国家資格である看護師は、収入面でかなり恵まれた職業だ。  数字を見てみよう。日本の全労働者の平均年収が400万円前後を推移しているのに対し、2014年度の看護師の平均年収は473万円で、月収にして約33万円、賞与は80万円近くある。いわゆるサラリーマンを大きく上回っているのだ。  初任給も、地域や病院の規模により差はあるが、同年代の平均よりも高めだ。  栄養士や作業療法士、臨床検査技師など、ほかの医療職と比べても、夜勤手当がつく看護師の収入は高い傾向がある。  仕事を見つけやすいというメリットもある。多くの都道府県で看護師は不足しているため、求人も多く、働く意欲があるのに職に就けないということはほとんどない。  看護師免許を持っていれば、日本全国どの土地に行っても、安定した、かつ収入のよい仕事を確保しやすいといえる。 ※週刊朝日MOOK「看護師になる」より抜粋
大学入試朝日新聞出版の本
dot. 2015/06/25 11:30
鉄道で旅に出よう

鉄道で旅に出よう

いよいよ秋の行楽シーズンに突入。今年もどこかに行きたいけれど、円安で海外はハードルが高い。そんな時こそ、列車に揺られ日本を楽しもう。「AERA 10月14日増大号」では、北海道から九州まで、鉄道をこよなく愛する「鉄ちゃん」たちがおススメする至福の鉄道16選を紹介。黄金色に輝く釧路湿原を走るJR釧網線、もみじのトンネルを走る京都の叡山電鉄、昭和にタイプスリップしたかのような千葉の小湊鐵道などのほか、「動くテーマパーク」とも言える各地の観光列車もピックアップ。さあ、秋の鉄道旅に出かけよう!

鉄道旅
更年期をチャンスに

更年期をチャンスに

女性は、月経や妊娠出産の不調、婦人系がん、不妊治療、更年期など特有の健康課題を抱えています。仕事のパフォーマンスが落ちてしまい、休職や離職を選ぶ人も少なくありません。その経済損失は年間3.4兆円ともいわれます。10月7日号のAERAでは、女性ホルモンに左右されない人生を送るには、本人や周囲はどうしたらいいのかを考えました。男性もぜひ読んでいただきたい特集です!

更年期がつらい
学校現場の大問題

学校現場の大問題

クレーム対応や夜間見回りなど、雑務で疲弊する先生たち。休職や早期退職も増え、現場は常に綱渡り状態です。一方、PTAは過渡期にあり、従来型の活動を行う”保守派”と改革を推進する”改革派”がぶつかることもあるようです。現場での新たな取り組みを取材しました。AERAとAERA dot.の合同企画。AERAでは9月24日発売号(9月30日号)で特集します。

学校の大問題
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