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女子アナに負けないMCになった島崎和歌子の密かな努力とは?
ラリー遠田 ラリー遠田
女子アナに負けないMCになった島崎和歌子の密かな努力とは?
島崎和歌子(c)朝日新聞社  3月31日に放送された『オールスター感謝祭』(TBS系)が13.0%という高視聴率を記録した(関東地区、ビデオリサーチ調べ)。『世界一受けたい授業SP』『月曜から夜ふかしSP』(共に日本テレビ系)、『めちゃ×2イケてるッ!』(フジテレビ系)の最終回特番、『池上彰のニュースそうだったのか!! 2時間SP』(テレビ朝日系)、『ローカル路線バス乗り継ぎの旅Z』(テレビ東京)などの強力な裏番組がひしめく中で、27年の歴史を誇る老舗番組が意地を見せた形となった。  いまやTBSを代表する番組となった『オールスター感謝祭』の人気を支えているのが、MCを務める島崎和歌子である。彼女は1991年に番組が始まったときに島田紳助と共にMCを担当していた。紳助の引退後、そのポジションは今田耕司に代替わりしたが、隣にいた島崎だけはそのままMCのポジションを維持している。これほどの大型番組のMCを長年にわたってアナウンサー以外の女性タレントが務めているのは異例のことだ。その裏には知られざる彼女の努力があった。  島崎は1989年にアイドルとして芸能界デビューした。アイドルらしからぬ飾らない気さくな性格が面白がられて、バラエティ番組で早くから頭角を現した。その才能を島田紳助に見込まれて、『オールスター感謝祭』のMCに抜擢された。このとき、彼女はまだ18歳だった。  芸人MCの隣でサブMCを務めるというのは、本来ならば女子アナが務めなくてはいけないような重要な役回りだ。スムーズに進行をするためには、高知県出身の島崎はなまりを抑えて、標準語によるしゃべりをマスターしなくてはいけなかった。歌手デビューするために歌のレッスンやボイストレーニングも経験していたが、司会業のための方言矯正トレーニングこそが最も大変だった、と本人は振り返っている。  努力の甲斐あって、島崎は『オールスター感謝祭』のMCを立派に務めた。生放送の番組を進めていくためには、多少の強引さも必要になる。もともと物怖じしない性格の彼女はそういう要素を持ち合わせていた。  芸能人とは概してマイペースで、身勝手で、他人の言うことを聞かないものだという。クイズの解答用のタッチパネルは水に弱いので、解答席に飲み物を持ち込むことは固く禁じられているのだが、それでも大御所俳優などが平気で飲み物を持ってきたりする。生放送なので予定通り進まないことも多い。機材のトラブルも頻繁にある。そんな中で、島崎は持ち前の度胸で見事に司会をやり遂げた。見た目が良く、声が聴き取りやすく、キャラクターは明るくて豪快。島崎は女性司会者に必要な条件を高いレベルで満たす逸材だった。  島崎がデビューした時期は「アイドル冬の時代」と言われていた。松田聖子や中森明菜などが圧倒的な人気を博し、おニャン子クラブがそれとは対極の素人っぽさを売りにしてブームを作っていた時代が終わり、歌番組も次々に終了して、正統派のアイドルが活躍できる場所がどんどん少なくなっていた。  そんな時代に新たな存在として脚光を浴びたのが「バラドル」だった。「バラエティ番組に出て、面白おかしいことをやってみせるアイドル」というのが新たに台頭してきたのだ。森口博子、井森美幸、山瀬まみ、松本明子などがその代表格である。少し遅れてデビューした島崎もこの流れに続いた。そして、島崎は単にバラエティ番組に出るだけではなく、努力の末に「司会ができる」という能力も身につけて、唯一無二の存在となったのだ。  彼女はそんな自分の性格を「適当、大ざっぱ、せっかち、飽きっぽい」と評している。適当だからこそ、細かいことは気にしないで新しい仕事に取り組める。また、飽きっぽい性格だからこそ、毎日現場にいる人が変わり、企画の内容も変わるバラエティ番組の仕事が向いているのだろう。  島崎がデビューしたのはちょうど平成元年。平成が終わりを迎えようとしている今も彼女がバラエティの最前線で活躍しているのは驚異的なことだ。島崎の芸能人生は、平成バラエティの歴史そのものでもあるのだ。(ラリー遠田)
ラリー遠田
dot. 2018/04/07 11:30
有働由美子がAERAに語った「頑張り続ける気持ちが折れる時」
有働由美子がAERAに語った「頑張り続ける気持ちが折れる時」
有働由美子(うどう・ゆみこ)/1969年大阪府出身。91年NHKに入局。大阪放送局を経て東京へ。「おはよう日本」「サンデースポーツ」「NHKニュース10」「スタジオパークからこんにちは」などを経て、昨年3月から「あさイチ」キャスター (c)朝日新聞社  3月31日付けでNHKを退局した有働由美子アナ。AERA2011年12月26日号のインタビューで、「結婚や出産をしている人は確かなものがありますけど、仕事に捧げてきてスコンと席がなくなったらものすごいショックだと思う」と語っていた。インタビュー全文を配信する。 *  *  * ――「あさイチ」快調ですね。 有働:昨年3月のスタート時に立てた「3年目に視聴率10%」の目標が、ありがたいことに1カ月ぐらいで達成できました。数字がついてきたらやろうと言っていた企画にも挑戦でき、リアクションもあるので手応えを感じています。 ――衝撃的だったのが「セックスレス」特集。共感と批判が殺到し、週刊誌にも有働さんがセックスと何回言ったかが載りました。 有働:番組立ち上げのときから、40代の女性が抱えている悩みを正面から取り上げようと決めていたんです。中高年の性は、男性目線で語られることはあるけれど、女性目線で語られることはなかった。アンケートをとったらものすごく悩んでいる方が多くて、その切実な声には驚きました。たとえば夫とセックスしたくないのに求めてくる、養ってもらっているので応えざるを得ないという声も多かった。 ●5%の「嫌い」覚悟して ――「閉経」特集では、一緒にキャスターを務めるいのっち(V6の井ノ原快彦さん)も柳澤(秀夫、NHK解説委員)さんも当惑してましたけど、それを隠さないところでキャスター陣の呼吸も合っています。 有働:「絶対無理をしない」をベースにしているんです。悲しい話題だから悲しいトーンでやらなきゃとか、ゲストにこれを聞いちゃいけないとか一切なし。知らないことは知らないし、気持ち悪いことは気持ち悪いと言う。民放もNHKのほとんどの番組も「カッコつけない本音トーク」を目指していると思うんですが、視聴者の反響を考えるとなかなかできない。「あさイチ」への意見を募集すると、95%が「好き」でしたが、5%は「嫌い」。そこは織り込み済みでやらないと、ぶっちゃけトークはできません。3人の相乗効果もあると思います。 ――でも、週刊誌にさんざん書かれて、有働さん大丈夫?と心を痛めています。最初は有働さんの「脇汗」がみっともないという記事でした。でも、その後、脇汗の特集を組みましたね。 有働:ひどい番組ですよね。あれで縁遠くなった(笑)。あんなに反響があるとは思わなくて。「やっていい?」とディレクターに聞かれたとき、「ここまで書かれるならやります」と。 ――もともとそういうことを恥ずかしく思わないタイプですか。 有働:いえ、セックスという言葉も含めて、そういうことを口にすると男性に嫌われると思っている世代です。バブル世代ですから自立して働くという意識は強いけれど、男の人に気に入られてなんぼという価値観もある。30代半ばまでは、下ネタ話もわからないふりをしていました。少なくとも自分のことは言わなかった。だけど40歳過ぎた今、毎日3千ぐらい来るアンケートに励まされるんです。「なーんだ、みんなそうなんだ。だったらいいだろう」と。 ――閉経特集のときには、膣トレーニングにも挑戦して。 有働:尿漏れ防止のためにも膣トレーニングマシンに乗るという企画。表現には気をつけなきゃと、「ああ、なるほど。ピクピクする感じですかね」としか言わなかったのに、「ああ~と悶えた」と書かれました。「ああ」は納得の「ああ」だったのに。 ――「あさイチ」で有働さんの本質が花開いた感じです。 有働:特に好かれようとも思わず、自分に枠を作らなくなったので本当に楽になったし、覚悟ができました。それまでの3年間、ニューヨークのアメリカ総局にいたのですが、向こうのジャーナリストは自分で調べて報道して、全部の責任を自分で引き受ける。それまでの仕事は一生懸命はやっていたけど、そこまでの覚悟を持ってやりきれてなかったと思い知ったんです。定年を考えればそう長くは現場にいられないのに、視聴者にも嫌われないようにして、局内的にもうまくやり、誰がやっても一緒みたいには、私はやる必要はないなって考えました。 ●付けまつげでバーンと ――ニューヨークは、希望して赴任されたんですか。 有働:サラリーマンですから。38歳になっていたので今からアメリカへ行くと婚期も出産も逃すだろうし、ステップアップというより不安を抱えての赴任でした。行くと、英語は通じなくて自尊心はズタズタ。アシスタントの英語さえも、録音して毎晩単語を起こし、翌日の指示を夜中に作っていました。初のアナウンサーとしての特派員だったので、負けて帰るわけにはいかない。「今、ここでトラックが死なない程度に轢いてくれて、日本で治療しなきゃいけないようにならないかな」と2回くらい思いました(笑)。でも、だんだん英語も聞きとれるようになり、仕事も回り出して。 ――「あさイチ」のキャスターが決まったとき、ニューヨークにもっといたかったんですよね。 有働:いたかったし、独身でニューヨーク帰りなんて、主婦に最も嫌われるタイプですよ。「私なら、消すな」って(笑)。でも、クビになってもいいから自分でコメントしていこうという覚悟もできていました。 ――有働さん、付けまつげですよね。「あさイチ」から? 有働:スポーツ担当の時代からです。5%の「嫌い」の中に、とにかく有働由美子が嫌いだ、あの女のせいでNHKは信頼を失っているという声があり、その中に「あの付けまつげが浅ましい。見ていて痛々しい」というのがありました。人の感情はどうしようもないのですが、さすがにそういうコメントには落ち込み、2~3日思ったことを言えなくなる。付けまつげ、悪いですか。 ――私も付けてみたいなって。 有働:仕事用にはいいですよ。私、顔が平板だから、なんか自信のない人みたいになっちゃうので、付けまつげでバーンと元気つけよう!って。 ●顔以外でカバーする ――「おはよう日本」のキャスターに起用されたときの記者会見で「私は前任者の草野さんのように美人じゃないので」と。顔にコンプレックスがありますか。 有働:ありますよ。同期の女性アナウンサー7人のうち私以外みんな美人ですから。高校までは共学だったので、勉強や運動ができることが、可愛いと並列におかれていたけれど、国立を落ちて女子大に入った瞬間、美醜が女の価値を決めるという現実に直面しました。とくにバブル時代でしたから。 ――なのに、なぜ女子アナに。 有働:国際部の記者になりたくてNHKを受けたんですが、アナウンサーとして採用されたと聞いたときは、「やっぱ私、可愛かったんかな」と。でも、初任地の大阪放送局で「なんであんな不細工な女性アナウンサーが出てんねん」という電話を自分で受けました(笑)。「おはよう日本」は小谷真生子さん、草野満代さんの後で、「正統派でやってきたけど、民放さんが(視聴率)上げてきているから今回は変化球でいく」と言われました。普通にやっても女性的な品質を保てないなら、人と違う視点を見つけるとか、表現方法を変えるとか、頑張って取材するとか、別のところでカバーしなければ、というのは刷り込まれています。哀しいことに……。 ――大阪時代から有働さんを見てますが、当時から女子アナの枠をはみ出て面白かった。 有働:目立とうとは思わなかったけれど、面白くないのは嫌だなとは思っていました。入局したときから、先輩に視聴者のために放送しているんだということを忘れるなと徹底的に教えられました。中継でも自分が伝えたい構成を書いた上で、それを一回壊して、視聴者が面白いと思うかという視点で作り直す。でも、やっぱり受け取る側の視点でものを作るのは難しい。「あさイチ」が成功しているのは、そこだと思います。「いい取材ができた。どこも書いていない」といってネタを決めるのではなく、それって40代の主婦が知りたいのかなと考え直す。子育てや介護で悩んでいる女性スタッフも多いので、そういう個人の意見も丁寧に拾います。 ●当たるほど不安になる ――有働さん、努力家ですよね。 有働:顔がなかったですからね。 ――でも「紅白歌合戦」やオリンピックの司会で、早くからエースと脚光を浴びていました。 有働:それでお給料増えるわけでもなく、むしろ不安でした。目立ちすぎて失敗して、「ほらみろ」となるんじゃないか。当たれば当たるほど不安になるので勉強する。それでも不安は解消されない。でも、いざとなると、どうしたら視聴率を上げられるかにシフトするんです。「紅白」の司会のときも、自分のことを考えれば質素な服でカンペを読んだほうがいい。だけど、視聴者が喜んでくれるなら、私はどう思われてもいいわ(笑)、と大胆なドレスを用意していただきました。 ――この職業に向いていますね。 有働:向いてると思います。4~5年前まではウジウジ悩んで、向いてないなと思っていました。「スタジオパークからこんにちは」で司会をしていたときは、毎日自分のミスが思い出されて、しんどいわぁって。 ――どうやって乗り越えました? 有働:誰かに相談しても納得できないし、ボーイフレンドに相談しても「仕事なんかできなくても魅力的だからいい」みたいな慰められ方して、「こいつ、わかってないな」と(苦笑)。とにかく次に自分で結果を出すしかないというのは、やっていくうちにわかりました。ただ、母親には毎日電話していました。「準備していったのに、ゲストが何にも答えてくれなくて」と言うと、「あの人、そういうところあるわ」と、こちらが望むような反応をしてくれるんです。私の放送を見てなくて、誰が出演したかも知らないくせに(笑)。完全に私の味方だとわかっているので、イライラや不安の解消を助けてもらい頼りきっていました。 ●誰か終止符打って ――お母さんは9月に亡くなられたんですよね。かつては、夫に尽くす母は反面教師、だと。 有働:私はやっぱり自分の充実感のために生きてきて、そのために母を頼り、居心地のいい友だち関係も作ってきたんですね。でも、それもやりきらせてもらったので、ここから自分のために向上したいという気持ちはもうありません。できればパートナーを見つけて、自分の家族を大切にしたい。いろんな人から惜しまれて母が亡くなるのを見て、誰かのために生きるほうが人生としての充実感が大きいだろうなと思いました。 ――女性って40過ぎると、会社に居場所がなくなって、頑張り続ける気持ちが折れる人も多い。 有働:私もそういうとき、あります、あります。今は番組やらせてもらっていますけど、いつ誰に代わってもいいわけです。そのとき、結婚や出産をしている人は確かなものがありますけど、仕事に捧げてきてスコンと席がなくなったらものすごいショックだと思う。だけど、今はそれを含めて引き受けないと、と思ってます。 ――でも、今度、福山雅治さんからはインタビュアーに指名されたり、40代の働く女性には最高のモデルです。 有働:いつまで続くのか。結果がいまいちだったらと思うと胃がキリキリ痛みます。不安との闘いが永遠に続くので、どこかで終止符を打ってくれる男の人が欲しいんですけど、男の人に全然人気がないんです(笑)。 (聞き手・構成・島崎今日子)
AERA 2018/04/05 00:00
07年生まれは50%の確率で107歳まで生存、子育て世代に求められる「二つのシフト」
07年生まれは50%の確率で107歳まで生存、子育て世代に求められる「二つのシフト」
あなたは100歳まで生きたいですか?(AERA 2018年4月2日号より)  驚愕のデータがある。2007年に日本で生まれた子どもは、50%の確率で107歳まで生きるというのだ。人生100年時代を迎える今、現役世代には、自身の仕事と子どもの教育という「二つのシフト」が強く求められ始めている。 *  *  * 「人生100年時代」が叫ばれ始めた、2017年1月。製薬会社で働くAさん(女性・39)は強い危機感を覚えた。 「80代まで仕事をする人生になったら、私にはスキルがなさ過ぎることに気づきました。ルート営業で特別な情報や人脈があるわけでもない。これではダメだとすぐに動き出し、その年の春から早稲田大学大学院の入試に向けて勉強を始めました」  約半年間の猛勉強の末、秋入試で合格。今年4月からは、平日の夜間と土曜日に大学院で人材組織マネジメントを学び、2年間でMBA取得を目指す。特に、ダイバーシティーを体系的に学び、将来は企業コンサルができるスキルを身につけたいという。学費は約350万円。Aさんには9歳の長男と3歳の長女がおり、今後は夜間のベビーシッター代などが月に約10万円かかると見積もる。経済的な負担は増えるが、それでも「今は自分のためにも、子どものためにも勉強する時期です」とAさんは言う。 「100年人生と言われるように、子どもたちには私よりもっと長い人生が待っています。今後は大学受験まで勉強すればいい時代ではなくなる。だからまず、私が大人になっても勉強し続ける姿を子どもたちに見せることも大切だと思っています」  英ロンドン・ビジネススクール教授のリンダ・グラットン氏らが著した『ライフ・シフト』(東洋経済新報社)は、16年10月の発売以来、大ベストセラーとなり、日本でも「100年人生」が本格化することを知らしめた。先進国の中でも「長寿化」の流れは日本が頭ひとつ抜けており、07年に日本で生まれた子どもの50%は107歳まで生きる、50年までに日本の100歳以上の人口は100万人を突破するなどの指摘は、多くの日本人に衝撃を与えた。国も対策を始めている。  17年9月に安倍政権は「人生100年時代構想会議」を設置。同年12月には、幼児教育、高等教育の無償化などの政策がまとめられた。『ライフ・シフト』は、長寿社会ではこれまでの「教育→仕事→引退」という一方通行の「3ステージ型」の人生は通用しなくなり、常に新たなスキルを習得しながら複数のキャリアを渡り歩く「マルチステージ型」の人生に移行すべきだ、と説く。同書によると、50%の確率で生存する年齢は、今20歳で102歳、40歳で98歳、60歳でも94歳。私たち「現役世代」も自身の想像以上に長寿化することを覚悟しておくべきだろう。  とはいえ、「長く生きられること」と「長く生きたいか」は別問題だ。AERAが行ったアンケートでも、「100歳まで生きたいですか」との質問に約67%は「いいえ」と回答した。 「健康で生きるならいいが、いろんな疾患等を抱えてはつらい。100年生きたら、友人や家族に先立たれることが多くなりそう」(30歳女性・医療関係) 「生命維持だけの不自由な体で、介護で迷惑をかけたくない」(57歳女性・自営業)  など、やはり健康面での不安が大きいようだ。また、 「経済的にインフレになって年金の価値が相対的に下がるかも」(83歳男性・無職) 「現在の負担で有料ホームを利用できるか分からない」(68歳女性・会社役員)  と具体的な金銭面の不安を挙げる人も多かった。  子どもがいる「現役世代」はさらに大変だ。前述した50%が107歳まで生きるとされる07年生まれの子どもは、今、小学校高学年。この世代の子を持つ親は30代後半から40代中盤が多く、自分たちの複数キャリアを模索しながら、100年生きる子どもの未来を見据えた教育もしなければならない。第一生命経済研究所主席研究員の宮木由貴子さんはこう語る。 「『団塊ジュニア世代』は、受験競争の激化、バブル崩壊後の就職難、非正規社員の増加、リーマン・ショックによる賃金抑制、共働き増加で追いつかない公的保育サービス、就労形態の変化……など人生の重要なステージで、上の世代の常識が通用しなくなる経験をし、多くの『逆風』を受けてきました。これからの生き方の転換のキー世代であるといえます」 (編集部・作田裕史) ※AERA 2018年4月2日号より抜粋
AERA 2018/03/27 11:30
佐川・前理財局長が証人喚問で明かさなかった今井首相秘書官の秘密
上田耕司 上田耕司 秦正理 秦正理
佐川・前理財局長が証人喚問で明かさなかった今井首相秘書官の秘密
参院予算委員会で証言する佐川宣寿・前国税庁長官(撮影/西岡千史) 安倍晋三首相(左)と麻生太郎財務相 (c)朝日新聞社  安倍政権の存亡がかかった攻防が国会で始まった。森友学園を巡る一連の問題の“主犯”扱いされた佐川宣寿前国税庁長官が、3月27日午前、参院予算委員会で証人喚問されたのだ。  冒頭、改ざんを把握していたのかとの質問に対して、佐川氏は刑事訴追の恐れがあるとして「答弁を差し控えさせていただきたい」と、森友問題の核心部分についての証言を拒否。文書改ざんに財務省官房や政治家などによる関与はなかったのかについては、「官邸などからの指示もございません。理財局の中で対応したということであります」と答えたが、安倍晋三首相夫人の昭恵氏の名前を消すために改ざんが行われたのかと問われると、「刑事訴追の恐れがあるので控えさせていただきたい」と繰り返した。  国有地取引そのものに安倍晋三首相や妻の昭恵氏の影響があったかという質問に対しては「一切、総理や総理夫人の影響があったとは私はまったく考えていません」と否定。質問者の丸川珠代議員(自民)は、ほかにも菅義偉官房長官、麻生太郎財務大臣らの名前を挙げ、指示があったのか尋ねたが、「ございませんでした」と繰り返し、理財局外の関与を否定した。それを受け、質問者の丸川氏は「少なくとも総理、総理夫人、官邸の関与はなかったという証言が得られました」と質疑を締めた。  昨年2月の国会で安倍首相が「私や妻が関係していたら総理大臣も国会議員も辞める」と答弁したことが佐川氏の答弁に影響したとの指摘には「(首相答弁によって)答弁を変えたという意識はありません」と回答。これまでの国会で太田充理財局長が答弁した「理財局として政府全体の答弁は気にしていたと思う」との見解と反するものだった。  その後も佐川氏は弁護士と相談しながら、「刑事訴追の恐れがある」「答弁を差し控えさせていただく」といった答えに終始し、共産党の小池晃書記局長は「これでは証人喚問の意味がない」と憤慨した様子を見せた。 “ゼロ回答”に終始する佐川氏の答弁に、近畿財務局の関係者はこう語る。 「佐川氏の証言は、責任は自分にある、申し訳ないといいながら空虚に聞こえる。われわれの仲間が財務省の指示で改ざんさせられ、それがもとで命を絶ったのに、お詫びもないし、本当に責任を感じているのか疑問。刑事訴追を受けるから改ざんの詳細は話せないというが、それをさせたのは佐川氏。ひどい証言だ」  改ざん作業では財務省理財局と近畿財務局にはそれぞれ実務的な窓口になる人間がいたという。 「それが3月7日、自殺したAさんで、最終的に改ざんをさせられた。かなり上のレベルから指示があり、削除する作業を何度も何度もやらされた。近畿財務局では森友を『総理案件』と呼び、Aさんは書き換え作業で本省に連絡をとって深夜まで帰れず仕事をしていたようです」(別の近畿財務局関係者)  Aさんは亡くなる前、家族に向けた数行の遺書と、パソコンで作成されたA4用紙に5~6枚のメモを残したという。 「決済文書の調書が詳しすぎると、書き換えさせられた」などと書かれていたと報じられた。  安倍首相や麻生財務相、官邸、首相秘書官からの指示はなかったと語る佐川氏。だが、ある自民党幹部はこう語る。 「格安での国有地払い下げ、文書改ざんなど一連の森友案件の“主犯”は安倍さんの懐刀の今井尚哉首相秘書官だろう。彼が理財局の迫田英典氏(売却交渉時の局長)、後を引き継いだ佐川氏と相談し、“実行”させた。昭恵夫人が絡む森友案件の首相答弁は今井氏が財務省と調整し、練り上げていた。もし、佐川氏が今井氏の名前を出したら、安倍政権はもたなくなる。安倍さんは必死で今井氏を庇(かば)っており、代わりに杉田和博官房副長官に責任をとらせるのではないか、という声も出ているほど。首相周辺からは『今井氏を重用しすぎた、ヘタな小細工で墓穴を掘った』という声がしきりだ」  前川喜平・前文科事務次官も本誌先週号で、「官邸にいる誰かから『やれ』と言われたのだろう。私は、その“誰か”が首相秘書官の今井氏ではないかとにらんでいる」と名指ししていた。だが、自民党国対関係者はこう言う。 「官邸は佐川氏は重要なことは絶対しゃべらないと信じている。佐川氏と今井首相秘書官は東大同期の仲だ。今井秘書官と佐川氏は首相答弁と決裁文書の整合性を持たせるため、必死で書き換えを現場に指示していたようだ。佐川氏は絶対に今井氏や古巣の財務省を裏切らないだろう。彼はまだ60歳で人生も長い。組織を守り通せば、それなりの見返りは得られる」  官邸は佐川氏を「最終責任者」にしてトカゲのしっぽ切りを断行するかに見えるが、実態は違う。近畿財務局の関係者がこう語る。 「森友学園の事案は『総理案件』と呼ばれていて、幹部の中には籠池(泰典)氏のことを『籠池先生』と呼ぶ人もいたそうだ。籠池氏と担当者の面会の日程など逐一、本省に知らせていた。決裁文書からの削除箇所はマーカーで線を引き、本省が指示。改ざんを拒否した職員もいたが、組織防衛だと押し切られた」  今や無職の佐川氏は、どんな心境なのか。  本誌は3月22日、佐川氏に取材を試みようと、東京都内の自宅を訪問した。そこは住宅街の瀟洒な一軒家。庭に植えられた桜の花は七分咲きで、門にはきれいに手入れされた四つの植木鉢が、花を咲かせていた。近所の人はこう言う。 「以前は公用車がお迎えに来ることもありましたね。旦那さんは見かけませんが、奥さんはたまにゴミ出しをしているのを見かけることがあります。お嬢さんがいるようです」  犬と一緒に自宅から出てきた若い女性に聞くと、「何もお答えできないんです」と足早に去っていった。  佐川氏や財務省をめぐっては、まだまだ解明されていない話が多数、残っている。勾留中の籠池氏と面会した希望の党の今井雅人衆院議員がこう語った。 「疑惑が発覚した当時、理財局国有財産企画課課長補佐が籠池氏に『10日間ほど雲隠れをしてほしい』と森友学園の顧問弁護士(当時)を通して依頼し、ホテルに彼が隠れた件なども本人から改めて確認しました」  自由党の森ゆうこ参院議員の調査によれば、国有地売却に当初、別の学校法人が手を挙げた際にはゴミの撤去費用は約8400万円とされたが、森友学園に売却された際には約8億2千万円と、実に10倍の費用が算出された。会計検査院にも指摘されたこの謎もいまだに解明されていないままだ。  佐川氏の口から真相は語られるのだろうか。(本誌・上田耕司 小泉耕平 秦正理) ※週刊朝日  2018年4月6日号より加筆
安倍政権森友学園
週刊朝日 2018/03/27 00:00
天津木村、クマムシ、AMEMIYA…テレビから消えた歌ネタ芸人の「勝ち組と負け組」
天津木村、クマムシ、AMEMIYA…テレビから消えた歌ネタ芸人の「勝ち組と負け組」
天津木村=2009年撮影 復活も「あると思います」(C)朝日新聞社  お笑い芸人のクマムシが3月9日深夜に放送された「ぷっすま」(テレビ朝日系)に出演した。最近テレビで見かけなくなってしまった理由を自己分析し、MCのユースケ・サンタマリアや草彅剛らの笑いを誘った。  2015年に歌ネタで大ブレイクを果たしたクマムシ。同年「あったかいんだからぁ♪」でCDデビューし、第57回日本レコード大賞特別賞、日本有線話題賞などを受賞。作詞作曲を担当した長谷川俊輔(32)は「CDの売り上げは約15万枚、累計約40万ダウンロードされた」と語り、印税と給料を合わせて「最高月収は800万円」だったことも告白した。  そんな大人気だった彼らのテレビ露出がめっきり減ってしまったのはどうしてなのだろうか。 「『ぷっすま』で長谷川は『アーティスト気取りになっていたから』と自己分析していましたね。あれだけのヒット曲を作れたのだから、才能があるんじゃないかと思っていたそうです。そして、笑いより高音を出すことを求めてボイストレーニングに通ったり、ギターを持って浜辺で曲作りをしていたこともあるとか。相方の佐藤大樹(29)が『たまたま売れたのに自分たちの実力を過信しすぎてしまって』と当時を回顧すると、スタジオにいたオアシズの大久保佳代子に『おまえは何もやってない』とすかさず突っ込まれ、スタジオには笑いが起こっていました。新ネタ『損々SONG』を披露したのですが、『おもしろい』『癖になる』と予想外にも共演者たちにウケていました。もしかしたら再ブレイクもあるかもしれませんね」(民放バラエティー制作スタッフ)  歌ネタといえば、詩吟に下ネタを交えた「エロ詩吟」で一世を風靡した天津の木村(木村卓寛=41)も、テレビからは姿を消してしまった芸人のひとりだ。 「独特の詩吟リズムと『あると思います!』の決め台詞で、2009年前後に人気を博した木村。人気絶頂のときは2~3カ月は休みがなく、1日20~30の詩吟を披露することも当たり前だったそうです。売れ始めると、どの番組(舞台)でどんなネタをチョイスすればいいのかわからなくなったそうで、悩み始めると同時にテレビの露出が激減してしまったと本人は語っていました。テレビでは顔を見なくなった木村ですが、現在は芸人の仕事に加え、ロケバスの運転手をしています。『満点☆青空レストラン』や『行列のできる法律相談所』(ともに日本テレビ系)など人気番組のロケを担当する“高視聴率ドライバー”だそうで、先日ついにロケバスの収入が芸人の収入を超えたとバラエティー番組で話していました。また一時期、1時間1000円で自分を貸す『おっさんレンタル』に登録し、アルバイトをしていたそうです」(同)  テレビ出演が減ると収入も激減というイメージがあるが、露出が減っても高給をキープしている芸人もいる。それが「冷やし中華はじめました」でブレイクしたAMEMIYA(39)だ。 「最近テレビであまり見かけなくなり、一発屋芸人と思われがちなAMEMIYAですが、実は現在も月収360万円以上を稼ぐこともある売れっ子芸人なんです。その稼ぎの秘密は『企業向けあるあるオリジナルソング』にあります。社長や社員のあるあるネタを盛り込んだ企業のオリジナルソングを企業パーティなどで披露するんですが、社員しか知らない細かい情報が盛り込まれていて、会場では大ウケ。評判となっています。AMEMIYAの努力もすごく、企業へ細かいアンケートを送ったり、インターネットで企業情報を徹底的にリサーチしたりして、ネタを集めています。自分たちのことをネタにした世界でたったひとつのオリジナルソングはやっぱりうれしいですよね。これは結婚式でも重宝され、結婚するふたりに向けたオリジナルソングも人気なんです。企業パーティは平日、結婚式は土日が多いので被ることなく多くの仕事をこなせるようです」(テレビ情報誌の編集者)  また、彼のキラーフレーズによりCMの仕事も多いのだという。 「『はじめました~』というフレーズはCMでとっても使いやすいんです。施設のオープンや新製品の宣伝などに持ってこい。『マイナンバー、はじめました~』と、なんと国からの仕事も舞い込んだことがあります。稼ぎ続けるには努力はもちろんですが、いいネタを持っていることも重要ですね」(前出のスタッフ)  歌ネタでブレイクした芸人は、テレビから消えるのも早いのかもしれない。しかし、だからといって、「売れていない」わけではない。活動の場を他に求め、成功している芸人も多い。クマムシもAMEMIYAのように第2の舞台で復活となるか。(ライター・天野まひる)
dot. 2018/03/15 11:30
がんで余命3カ月宣告の映画作家・大林宣彦「肺がんと聞いてうれしくて」
がんで余命3カ月宣告の映画作家・大林宣彦「肺がんと聞いてうれしくて」
 映画作家の大林宣彦さん(80)は2016年8月、肺がんのステージ4と診断された。余命3カ月。新作「花筐/HANAGATAMI」の撮影開始のタイミングだった。それから1年半近くが経ち、映画は完成(昨年12月公開)し、次回作に挑む。がんと共存し、仲良く語り合っているという大林さんに、元国立がんセンター総長の垣添忠生・日本対がん協会会長が聞いた。 *  *  * 大林:実はがんは2度目なんですよ。5、6年前に前立腺がんになりまして。数値が上がってわかったんです。 垣添:PSA(前立腺特異抗原)ですね。 大林:はい。ちょうど小線源という新しい放射線治療が定着したころでした。 垣添:私は泌尿器科専門なので、事情はわかります。 大林:検査報告を聞くため病院で待っている間、別の患者さんが出入りした際に扉の向こうの先生と一瞬、目と目が合った。先生がハッと目を背けられたんです。あ、悪い結果だなと。その経験があったので、今回は冷静に「またがんか」と。 垣添:なるほど。しかし、前立腺がんと肺がんでは全然違いますよね? 大林:はい。2010年に心臓手術を受けてから、3カ月に1回、レントゲンを撮ってましたが、16年の夏ごろ、骨に異常数値が出た。前立腺がんの転移が疑われ、「花筐」のロケ地、佐賀県唐津市の唐津赤十字病院で検査を受けました。最上階に「ここでシナリオを書けたらなあ」というすばらしい病室がありました。検査の結果、転移ではなく、「肺がん、ステージ4、余命半年」の宣告。翌日から撮影開始で、ミーティングを開く2時間前でした。 垣添:どんなふうに受け止められましたか。 大林:「花筐」は40年前にシナリオはできていました。原作は檀一雄さんで、映画化をお願いしに行くと、肺がんの末期で、遺作となった『火宅の人』を口述筆記されていました。檀さんに「唐津へ行ってごらん」と言われ、すぐに唐津を訪問。だが、原作に「その町はまず架空の町であってもよい」とあるから当然かもしれませんが、物語で重要な鍵となる断崖絶壁など何もないんです。そのうちに檀さんが亡くなり、映画は中止。だから、今回、肺がんと聞いたとたんに、うれしくて体中がふわあっと温かくなりました。 ■同じ痛みを持つ共感が深まった 垣添:告知を受けたのに? 大林:理由は檀さんです。檀さんは、私の父や尊敬する黒澤明さん、木下恵介さんと同世代です。あの戦争中、思いを自由には語れず、さまざまな断念や覚悟があって、乗り越えてこられた。檀さんの小説を読み解き映画にする資格が平和ボケの時代の私にあるか、とずっとおびえていました。それが、同じ肺がんだとわかったとたん、「ああ、これで資格ができた。同じ痛みを持つ人間として共感できる部分が深まった」と思ったのです。先ほどのミーティングに、檀さんの長男の太郎君が欠席している。電話したら「肺がんになっちゃって。1週間後に手術です」と。太郎君も肺がんだった。「太郎、俺も肺がんだよ」と2人で喜んだ。映画人って、何でも得点法で考えます。 垣添:なるほど。とても興味深いお話です。 大林:2日後に唐津赤十字病院で、「こんなに元気だから大丈夫じゃないですか」と聞いたら、逆に「余命3カ月」と言われました。たった2日で余命が半分になっちゃった。でも、映画の完成までは1年かかる。東京の帝京大学病院の関順彦(のぶひこ)先生を紹介してもらい、現場は息子と同年代の助監督さんに任せて帰京。檀さんと同じで口述筆記で映画を作ってみよう、と。関先生も息子と同年代で、診察のとき、「同じ名前のよしみで、『宣彦おじさん、現場に帰って映画を作ってくださいよ』と言ってくだされば戻れるのに」とお願いしたら、そのとおりになりました(笑)。 垣添:それで、唐津に戻られたのですか? 大林:わが家に一晩泊まってから。タクシーで駅へ行く途中、妻の恭子さんが「わあ、きれい」と声を上げるんです。虹の橋というのでしょうか、あれが3本かかっていました。待ち合わせ場所に着くと、娘の千茱萸(ちぐみ)と婿殿がうれしそうな顔をしている。「おいおい、パパ死にかけてるんだぞ」と言ったら、「パパ、イレッサが効くの!」と。その直前に、病院から連絡があったそうです。イレッサという薬のことは聞いてましたが、ヘビースモーカーで血糖値が高いし、諦めてました。 垣添:イレッサは、女性で非喫煙者に使えることが多いです。正反対なのに効いたのは、監督のがん細胞に、EGFRという遺伝子変異があったからでしょう。同じ肺がんでも、さまざまなタイプがあるのです。 大林:なるほど。唐津に戻っても、夕食後に錠剤をポンと飲むだけで、あこがれの病室に宿って病院から現場に通っていました。1週間目ぐらいでしょうか。先生がスキップをするように病室までいらして、「大林さん、効いた効いた。ほら、肺がんがないじゃないですか」とレントゲン写真2枚を見せてくださった。おかげで撮影は無事に終わり、東京に戻りました。しかし、去年の4月ごろ腫瘍マーカーの数値がまた上がりだしたのです。脳転移の可能性があり、放射線治療を受けました。そのとき、「飲む点滴です」と、食後に服用する薬を渡されたのですが、ちょっと味覚障害になりましてね。 垣添:放射線治療そのものは首尾よく進みましたか? 大林:髪の毛は抜けました。おかげで頭のがんはすっかりやっつけましたが、「一生分のリミットを当てました。毛が抜けたのも被曝なんです」と言われました。「ちょっと待ってくださいよ。私は広島の人間で、2週間間違えば被曝で死んでいました。それが今、被曝のおかげで生きているというのは、理不尽な矛盾ですね」と言うと、「科学文明とはそういうものです。被曝で亡くなった方もいますが、監督は生き残った。そういう中で、人間は暮らしています。だからこそ、治すことが私の仕事です」と。私は「そうだね。同じ人間が、平和をたぐり寄せることもできるし戦争もしちゃうんですね。医学もそうですね」と答えました。こんな会話で、関先生を大好きになりましてね。 垣添:よくなられて、動揺せずにいられるのは、症状がないからでしょうね。 大林:それもあります。実はがんの話はしないと思っていたんです。ツキを自慢しているようになるのは嫌なので。しかし関先生に、「落ち込んで、自ら病気を引き込んでしまう患者さんもいます。だから監督のような方が、冗談のような口調でも、薬が効いて快適に仕事もやっているという体験を公表したほうが、トータルには患者さんを元気づけることになるのではないでしょうか」と言われて、取材も受けているんです。私、がんとも仲良くなっちゃったんです。「おい、がんよ」と語りかけます。「あんまりいたずらしないで、宿主の俺を大切にしろよ。俺を殺したらおまえも死んじゃうんだからね」と。語りかけているうちに、「ああ、人類も地球にとってのがんだ」と気づいちゃった。自分の欲望で、自分が生きる地球を汚している。「俺も少し我慢して利口になるからな」と話してます。 垣添:がんの経験をされて、考え方やものの感じ方が変わったのですね。 大林:告知を受けてから、アリ一匹、蚊一匹殺していません。道端の草一本、踏みつぶさない。同じ命に見えてきたんですね。そんな皮膚感覚がしっかりある。 垣添:「花筐」も、命がテーマですよね。戦争と結核という不条理に命を奪うものに負けない若者たちの物語です。がんは映画作りにも影響がありますか。 大林:撮影のときに出すOKのクオリティーがよくなったかな。やっぱり私自身も弱い生き物のひとつに過ぎないとわかったことは、世界に対して優しい気持ちを持てるし、表現者として、ありがたかったです。だから、がんに対して一言言えってなったら「ありがとう」しか言えません。 垣添:そういうお話は初めてお聞きしました。 大林:私は軍国少年で、敗戦後は、平和ニッポンを作ることを担わされて育った世代。父の義彦は医者で、「人の命を救えるかもしれない」と軍医として自ら戦争に行きました。後に開業医になっても、夜中まで医学書を開いていた。父の遺言は「戦争なんかなくて、みんな健康で幸せなら、医者はいらない。そういう時代を導くために医学をやってきた」でした。私も同じ気持ちです。平和で、緑の芝生でみんなで笑い合って過ごせれば、映画など必要ない。でも今は、戦争を呼び寄せる時代になってきた。だから、映画を使って平和を呼び寄せようとしているのです。 垣添:次回作は、原爆をテーマにした作品ですね。 大林:はい。自分ががんになって反射的に思ったことは、「がんごときには殺されないぞ。がんで死んだら、戦後70年生きてきた意味が何もないぞ」ということです。生きて伝えるべきことが、まだまだいっぱいあるのです。 ◎おおばやし・のぶひこ 1938年、広島県生まれ。主な映画に「転校生」「時をかける少女」「さびしんぼう」の尾道3部作、「HOUSE/ハウス」「あした」「この空の花─長岡花火物語」など。CMディレクターとしてもハリウッドスターを起用し、「マンダム」などで新時代を築いた ◎かきぞえ・ただお 1941年、大阪府生まれ。東京大学医学部卒。国立がんセンター中央病院長、同総長などを経て、公益財団法人「日本対がん協会」会長。著書に『妻を看取る日』など。7月まで、全国約3500キロを歩く「がんサバイバー支援ウォーク」を展開中。 ※対談動画(前編・後編)は、日本対がん協会「がんサバイバー・クラブ」のサイトで視聴できます。 (構成/中村智志)
がん病気病院
dot. 2018/03/13 07:00
森友疑惑 自殺した近畿財務局職員の妻の無念「1人で抱え込んだ」“主犯”は佐川前長官?
森友疑惑 自殺した近畿財務局職員の妻の無念「1人で抱え込んだ」“主犯”は佐川前長官?
問題となった決裁文書を国会に提出した時、財務省の担当者だった佐川宣寿元国税庁長官 (c)朝日新聞社 【資料写真】写真左と写真中は、昨年2月に国会議員に配布された決裁文書。写真左は、数字部分などの確認後に入れたと思われる「・」(黒ポツ)のチェック印があるが、朝日が「書き換えた」と報じた写真中の「調書」の記述部分には、チェックを入れた形跡がない。一方、5日に近畿財務局が提示した決裁文書(写真右)の「調書」部分には、「/」(スラッシュ)印でチェックが入っている(赤字のマルは財務省職員が付けたチェック印と思われる部分で、編集部による追記) 安倍首相(左)と麻生財務相には与党内からも批判があがっている (c)朝日新聞社  朝日新聞がスクープした森友学園への国有地売却の決裁文書「書き換え」疑惑が大きく動き出した。これまで「知らぬ存ぜぬ」を貫いてきた財務省が12日、ついに白旗をあげ、書き換えを認めるというのだ。 「書き換えの“主犯”は森友への国有地売却が発覚した昨年2月当時、理財局長を務めていた佐川宣寿前国税長官ら幹部。佐川氏は国会で売却の経緯を責任者として説明したが、決済文書の内容をそのまま、公表すると辻褄が合わなくなるので、近畿財務局幹部らに書き換えを指示したようです。関与した財務省幹部、近畿財務局職員らの処分が検討されています」(与党関係者)  国会が疑惑解明へと動き出したきっかけは9日朝、永田町を駆け巡った疑惑のキーマンの1人とされる近畿財務局職員の自殺の一報だった。その直後、佐川前国税庁長官は逃げるように辞任している。  遺書のようなメモを残し、神戸市内の自宅で7日、首を吊ったのは、森友学園の籠池泰典前理事長と直接交渉にあたっていた近畿財務局統括国有財産管理官(当時)の直属の部下だったAさん。  Aさんの遺体は10日午前、故郷の岡山県内の葬儀場からひっそりと出棺された。  遺族の知人は言う。 「奥さんは『どうしてこんなことになってしまったのか』『ひとりで抱え込んでしまって、ずっと休んでいた』『あんな担当になり、巻き込まれてしまった』と泣いていた」  Aさんは体調を崩し、昨年秋から休職中だった。 「Aさんは森友への国有地売却交渉がほぼ終わっていた時、前任者から引き継いだだけ。(昨年2月に)森友問題が発覚してからは、ずっと帰宅が深夜で、朝も早くから役所に来ていました。休職前もつらそうな顔で歩いていたので『大変ですね』と声を掛けると、小声で『ええ』という返事があっただけでした。もしウチ(近畿財務局)が文書書き換えに関与したのなら当然、Aさんの名前は思い浮かびます。『天の声でやらされて、休職に追い込まれてしまったのか』とずっと噂になっていました」(近畿財務局関係者)  Aさんは正月明け、新年のあいさつで職場に顔を出し、春の復帰を目指していたという。朝日新聞の報道(3月2日付)で文書書き換え疑惑が浮上した直後、再び職場にひょっこりと顔を出したという。 「かなり体調がよくなってきました」と関係各所にあいさつしたが、わずか数日後に自ら死を選んだ。  Aさんの自殺について9日の会見で質問された麻生太郎財務相はこう言葉を濁した。 「大変残念で誠に悲しい話だ。(佐川氏の)辞任と直接つながったように(メディアは)報道したいんだろうけど、私はわからない」    Aさんの妻の親族は麻生財務相、財務省に怒りを隠さなかった。 「麻生財務相の会見をテレビで見てて本当に腹が立ちました。このままでは、死人に口なしでAさん一人だけが悪者にされてしまう。洗いざらい全部、真相を明らかにしてほしい」  昨年10月にはAさんの妻の父親の法事があり、Aさん夫妻は岡山に里帰りし、墓参りをしていたという。Aさん夫妻は互いの仕事を大事にし、子どもはいなかったという。 「Aさんは芯が強くて仕事もしっかりやれる人物。精神的にも、タフですよ。それが自殺とは、よほどのことがあったのではないか」(別の近畿財務局関係者)  もともと近畿財務局は森友側との交渉には乗り気でなかった。財務省は1月、神戸学院大の上脇博之教授による情報公開請求に対し、森友学園への国有地売却関連文書を5件、2月には20件、計約300ページにのぼる文書を国会に提出したが、それらをひもとくと、15年半ば、近畿財務局と森友側の交渉が暗礁に乗り上げていたことが読み取れる。  同年4月には、森友側が軟弱な地盤を理由に貸付料の減額を求めてきたことに対し、省内で「『無理に本地を借りていただかなくてもよい』と投げかけることも考えている」と契約破棄も検討していた。  ところが、安倍昭恵首相夫人が同年9月に小学校の名誉校長に就任したころから風向きがガラリと変わった。同年11月には、昭恵夫人付の政府職員が同省に「問い合わせ」、回答のファクスを森友側に送付。そのころから交渉内容が一変していく。賃貸契約の破棄を検討していたはずが、同年12月には「国有地の売買価格の交渉」、さらには「売買価格を学校法人に提示して買い受けの可否を判断させるなどの調整が必要」と変貌していた。  佐川氏が9日、辞任した後、麻生財務相は一連の経緯を説明したが、支離滅裂だった。  辞任は佐川氏からの申し出だと説明したにもかかわらず、「国有財産行政に関する信頼を損なったことを踏まえ、減給20%、3カ月の懲戒処分にする」と発表。退職金から差し引くと言いながら、国税庁長官に任命した自らの責任を問われると、「彼はきわめて有能だし、真面目」「適材適所だった」と矛盾する弁明をした。  上脇教授がこう批判する。 「佐川氏を懲戒処分にしたのであれば、本来は更迭しなければならないはず。その理由は文書書き換えか、虚偽答弁か、文書破棄か。麻生財務相は説明する責任があるのに、まったく果たしていない」  12日にも発表される財務省調査の中身がどこまで踏み込んだものになるのか、注目される。 「佐川氏の辞任で財務省は事実上、これまでの“虚偽答弁”を認め、白旗を揚げたようなものだった。新たな森友文書書き換え疑惑で告発状が出れば、本省もガサ(強制捜査)をかけられるかもしれない。上から捜査を終了してはどうかという打診も出ていたが、指揮する山本真千子・大阪地検特捜部長が粘り、まだ継続中です。2月末には、大阪高検検事長が上野友慈氏に交代した。上野検事長は大阪の特捜部時代にイトマン事件、横山ノック知事の強制わいせつ事件など大きな案件を手掛けた敏腕。森友疑惑を徹底してやると噂になっている」(大阪地検関係者)  森友疑惑の核心にメスが入るのか? (週刊朝日取材班) ※週刊朝日オンライン限定記事
森友問題
週刊朝日 2018/03/11 00:00
『水道橋博士のメルマ旬報』過去の傑作選シリーズ ~ある日のマッハスピード豪速球ガン太~(vol.2)
『水道橋博士のメルマ旬報』過去の傑作選シリーズ ~ある日のマッハスピード豪速球ガン太~(vol.2)
(写真:BOOKSTAND)  芸人・水道橋博士が編集長を務める、たぶん日本最大のメールマガジン『水道橋博士のメルマ旬報』。  過去の傑作選企画として、かつて水道橋博士の運転手も務め、現在、気鋭の芸人として活躍中のマッハスピード豪速球ガン太さんによる連載『ハカセードライバー』から、僕が大好きな原稿を無料公開でお届けします。是非、お手すきの時に一読ください。(編集担当/原カントくん) ※vol.1はこちら。 ***** ■2013年7月22日 今日は午後からの運転、昼からのため車内が高温になっていることを予想し先にエンジンをかけて車内を冷やして博士の乗車を待つ。 しばらくすると博士がやってきて荷物を車にいれます。 博士は常に、ペン、雑誌、新聞、本、パソコンなどを持ち歩くため荷物が多い、 最近は暑いので熱中症対策に塩飴や乾燥梅干しも持ち歩く。 更にはその時の博士のマイブームでプラスアルファ持ち物が増えることがある 最近では『呪術師の棒』と呼ばれている謎の棒を持ち歩かされていて、正直邪魔でしょうがない・・。 そんな荷物の中に今日は見慣れない仲間が・・バナナだ・・・一本の色鮮やかな。 バナナだけは博士自ら大事そうに持っての乗車だったので、何となく博士は出かける寸前お腹がすいたと思い車の中で食べる様に一本もぎ取ってきたのだろうと思った。 しかし、珍しいな・・博士今まで出かける時に車で物を食べる何て事無かったよなー 分かった、もしかしたら新しい健康法かも知れないな・・などと妙にバナナが気になりつつも車を出発させた。 博士宅から打ち合わせ場所の事務所まで約45分。 「君のライブ(修行ライブ3)の評判が良かったみたいじゃない!」 「はい、前回よりいいライブが出来ました!」 「ほんとかー!俺が見ても面白いって言うかー!?(笑)」 「はい!きっと気に入ってくれると思います!」 「そうかー!」 などと先日行ったボクの単独ライブの話をしながら車を走らしますが、後部座席のバナナの様子が気になります・・後部座席の博士の横の席にポンと置かれたままなのです。 んー?食べないのかな・・何だか気になる・・。 しばらく黙り込みパソコンをイジる博士。 ・・バナナ・・食わないのか?腹減っているのだろ?・・バナナ・・食べない・・ というか見向きもしない・・あんなに大事そうに抱えてきたのに・・気になる。 「これ見てよ!今日はズボンの色を、呪術師の棒と合わせてきたんだよ!!」と博士。 「はい・・。」 そんな事はどうでもいい!・・バナナは食べないのか?バナナ!? 依然バナナには見向きもせず読書を始めてしまう博士・・。 バナナ!もう目的地に着いちゃう!打ち合わせ中に食べるつもりなのか?それはちょっと間抜けじゃないか? ・・結局バナナは食べられる事無く事務所に到着してしまいました。 どうやら、打ち合わせ中に食べるようだ・・少し間抜けだが食べるなら早く食べて欲しい 何だか気になってしょうがない。 部屋に到着し少し談笑が交わされたのち打ち合わせが始まりました・・結局その間も博士はバナナを食べません。 ん?・・て言うか博士バナナ持っていない?・・カバンの中も探してみます・・無い! バナナが無いのです・・まさか・・バナナは車の中に置き去りに!? この炎天下の車の中に置いといたらどうなるかくらい分かるだろうに・・食べる気もないのに連れてくるなんてヒドイことをする! 何故かバナナに感情移入しすぎたボクは、博士に怒りさえ覚え始めてしまっています。 2時間の打ち合わせ中、チュパチュパと何個も何個も乾燥梅干を食べる博士。 いや、バナナ食べい!! ・・2時間の打ち合わせが終わり車に戻ります。 暑さでどうなっている事か・・恐る恐る後部座席を覗きますが、意外にもバナナは色鮮やかな朝見た時と変わらない姿でいます。 おお!バナナ!捨てられても腐らずに凛としたその姿!!何と健気な!このバナナ女なら相当良い女ですぜ。 ・・博士!もしあなたに良心が残っているなら、この女を抱いて下さい・・食べてやってください・・。 とその時!!遂に博士がバナナに手を伸ばしました。 おお!やった!2人がやっと結ばれる! しかし、博士はそのままバナナのはじとはじを持った! おい!そんな、剥き方ないだろう!散々待たせて、引っ張って引きちぎろうとするなんて!!そんな野蛮な仕打ち! 容赦なく博士はバナナを力いっぱい引っ張った!!もうダメだ!! "ビヨーーーーーーン!ビョーーーーン!!" バナナ?・・・バナナが伸びた!!?? なんと!ずっと色鮮やかな健気なバナナだと思っていたそれは、ゴムでできた玩具の バナナだったのです・・こんなにリアルなオモチャバナナ見たことないってくらいリアルなやつです・・。 「おおお!!!それ!おもちゃだったんですね!!びっくりしたー・・何で食べないんだってずっと思ってたんですよ!」 「これさ!"ビヨーン"これ、今日からカバンの"ビヨーン"中に入れといてね!"ビヨヨーン"」バナナを引っ張りながら博士。 「何でそんなもの持ち歩くんですか?」 「これ、こうやって引っ張って体鍛えたりするから!!」 ・・バナナのオモチャで体を鍛える・・なんだその発想は・・。 どうしよう、明日からふと博士を見るとバナナで体を鍛えてるかもしれない・・打ち合わせでバナナ食べるのより遥かに間抜けで面白すぎる。 このようにこの日から博士の持ち物に新たな仲間バナナが追加された、全体ゴムでできているのでずっしりと地味に重いバナナ、さらに重くなるカバン・・バナナ入りカバンを運ぶことでボクも間接的にバナナで身体を鍛えることになった。 ■2013年8月7日 今日は12時20分に東京駅へと博士をお送りするために11時20分に博士宅に伺うはずが寝坊をしてしまいスズキ秘書と博士にとても迷惑をかけてしまった。  色々失敗することもあるだろうけれども寝坊の様な凡ミスだけは絶対しない様にと 運転手になる時強く決めていたことだったので悔しかった。 直接お会いしてお詫びをしたかったのだけれどもこの日ボクはライブの為 帰り迎えに行けない状況だった、そのためライブ終了後博士のご自宅までお詫びに行くことにしました。 次の日が博士のご長男たけし君の誕生日という事を知り手ぶらも何なので待ってる間 何か誕生日プレゼントを探しに行く事に。 とは言え何が良いのか見当がつかない・・そうだ!あの"伸びるバナナ"の何か違うバージョンは無いかな?親子で色んなもの伸ばしていたら何だか面白いなー。 探してみると伸びるマツタケを発見しました!いやバナナだけじゃ無かったんだな、マツタケとは高級感もあって良い!ルンルン気分で購入しお店を出ます。 ・・はっ!?いかん・・今日は謝罪をしに来たんだ、ルンルン気分になっている場合じゃ無い気を引き締め直し博士を待つこと約30分帰ってこられたので謝罪をする。 「博士!!」 「おお!!どうしたの?何してんの!?」 待ってたと言っても待ち伏せに近かったので突然暗闇から道端に現れたボクにビックリさせてしまった。 「博士、実は今日の朝ボクが運転だったのですが、遅刻をしてしまいました。」 「うん、知ってるよ。」 「はい、謝りたいと思いまして来ました、すみませんでした。」 「うん怒ってないよ。でも・・遅刻はいかんよ!」 「今後絶対しないようにします。」 「うん。」 「これ・・明日たけし君が誕生日だと聞いたのでプレゼントです。」 「ん? おお、ありがとうね何これ?」 「伸びる松茸です。"ビヨーン"」 「おお? おおお! いいね!」目の色が変わった博士 「親子で違う種類をもっていたら面白いと思って。」 「おお!"ビヨーン"イイね!"ビヨーン"イイね!」 「・・博士親子で持っていたら・・たけし君に・・」 「え?分かった分かった"ビヨーン"超良いじゃんコレ!」 「はい、明日たけし君に渡してほし・・」 「最高だね!!!"ビヨーン"」 「渡してほしいんですよ・・」 「うん?"ビヨーン"そうだね。"ビヨーン"」 ・・・果たしてこのマツタケは息子の手に渡るのだろうか? 何はともあれ怒られなかった、寝坊はしないようにしたい。 ■2013年8月10日 「おはようございます。」本日は前回寝坊して以来初の運転、デスクで作業中の博士に あいさつをしマツタケが長男のたけし君の手に渡っているのか探ります。 今日の持ち物などを確認しながらも、マツタケの行方をそれとなく眼で探してみる。 この部屋に無ければたけし君の手に渡った可能性大だ! 床には・・バナナはあるがマツタケは見当たらないな・・博士のデスクにもバナナは有るがマツタケ無し・・あそこにもバナナはあるがマツタケは無い! 待て、まだカバンを探していなかったな・・んん?何だこれバナナの絵が描いてあるバナナの形をしたプラスチックの容器みたいのがあるな・・こんなのこの前まで無かったぞ まさか?この容器の中にマツタケが入っているんじゃ!? "カパッ"・・・中には・・バナナが!! どんだけバナナあるんだよ!!バナナだらけじゃないか!!!部屋中がバナナだらけだ! 何でもネット通販のamazonで購入可能な分は買い占めたらしい。 「アマゾンのバナナをすべて買い占めたって響きが面白いでしょ?」と笑っていた。 乱獲のような気もするが・・まあ、とりあえずマツタケは見当たらない無事たけし君の元へと行ったようだ! と安心していると、デスクから博士が立ちあがってこっちを向きパソコン作業で固まった体を伸ばしたその手に・・"ビヨーン" ああ!マツタケが握られている!?何だ膝に置いてあったのか!!博士の背中が死角になって見えなかったんだ!!ちきしょう!!なぜだ!!何故たけし君に渡してくれないのだ!!!あんまりだ!!! ・・あれ?何か違和感がある?博士が伸ばしているマツタケが何だかおかしい・・んー?? エリンギだ!!博士が伸ばしているキノコが何故かエリンギです!あれ!?昨日のマツタケだよな?頭が混乱する・・マツタケがエリンギに代わっている、買った時からボク自身の認識が間違っていたのか?・・いや違う、ちゃんと袋の商品説明の所にマツタケって書いてあった・・・なぜか高級マツタケが安くなってしまった。 "ビヨーン" もう我慢できない!!初めて気が付いたかのように言ってみた! 「あ、あれ!?それ、マツタケかと思ったけどエリンギじゃないっすか!?あはは!!」 「うん、ネットで買った!」 「買った?全制覇するつもりですか(笑)・・」 「・・・」 「あのー・・ボクのマツタケは・・?」 「ん?あそこにあるよ。」 指差した視覚だった方を見ると。 引きちぎれた白い素材の中身が出ている無残な姿のマツタケが!!?? うおーーー!!!まつたけーーーー!!! 博士がキン肉マンのポーズで力こぶを作りながら言った。 「どう?筋肉ついたでしょ!!」 ・・確かにゴムチューブを引きちぎるほどの筋力をつけた事は間違いない。 ありがとうマツタケ、キミはこの筋肉になったのだね。 ■2013年8月12日 今日は徹子の部屋収録。 あの徹子の部屋の収録現場を生で見られると思うとテンションが上がります。 今日の見どころはズバリ博士がお父さんの話を振られた時泣かずにいられるかです。 実は水道橋博士、芸風的に意外ですがとっても涙もろいのです。 ボクも運転手をさせていただくまでそんなイメージを全く持っていなかった訳で 初めて目の前で博士が突然泣き出した時は"見てはいけないものを見てしまった!" と、何ともどうしていいか分からず非常に気まずい思いをにいましたが、テレビ収録やいたるところであまりにも泣くのでもう慣れてしまいました。 中でも博士の涙腺の最もの強敵と言えるのがお父様の話です。(詳しく父親の話でなぜそんなに泣いてしまうのか知りたい方は『キッドのもと』を読んでみてください。) 8月6日の徹子の部屋打ち合わせの時、最初はスタッフの方の質問に軽快に答えていたのですが話がお父さんになった瞬間徐々に博士の口数が減っていきしばらくすると"ブワッ"っと泣いてしまったのです。 芸能界にはテレビで涙を流し、涙を好感度につなげようとする営業涙が少なからず存在すると思うのですが。 博士は元々、芸人がテレビで涙を流すの何てありえない。という考えの方なので 博士の涙は営業涙一切なし、純度100%の混じりっけなしの本気涙なのです! その証拠に100%の本気涙なので博士は泣いてしまうと全く話せなくなってしまいます。これがかなり厄介です、ラジオで放送事故になりかけた事もある程喋れなくなります。 この打ち合わせでもマネージャーが代わりに博士とお父様のエピソードを話し何とか事なきを得ました・・。 「俺、父の話はこうなってしまって番組にならないと思うのでやめた方がいいと思うんですけど。」と博士。 「んーそうですね・・ではこの話は番組のラストにして頂くという事で本当に最後にお話をふるという形にしますよ。」 と言う出来事がありましたので、ずばり本日の本番見どころは[水道橋博士泣かずにいられるか!?]なのです! スタジオまでの車内 「今日の為に練習してきたよ。」 「練習?何の練習ですか?」 「泣かない為にさ父親の話を話す練習をしてきたの。」 「ええ?なんすかその練習!?」 何と博士、打ち合わせの日からというもの夜な夜な家族が寝静まるのを待ちシーンとした部屋でブツブツと一人お父さんの話を泣かないようにするという訓練をしていたというのです!・・まさに涙ぐましい努力!!何と言うプロ意識!! 「泣かないですめばいいけど・・」 心配そうな口調とは裏腹に博士の顔にはつらい訓練を乗り越えた自信が満ち溢れています。 スタジオへ入って楽屋で待機です。 徹子の部屋は、本番直前に徹子さん自身がゲストの楽屋に迎えに来るシステムらしいです。とても素敵なシステムです徹子さんの敬意のようなものを感じます。 しばらくすると小さなノックオンが聞こえた気がしました、音が小さいためこっちが微妙な反応しかできずにいると反応が無かったためか「コンコン」と徹子さんの声が聞こえ 全員慌てて返事をしました。自分で「コンコン」ってボクの人生で最もキュートなノックでした。 一言二言挨拶を交わしそのまま本番に向かうのですが、博士が何やらスタッフにコソコソ 「このバナナを収録にもって行って良いですか?」と聞いています・・。 「え?バナナですか・・」当然困惑するスタッフさん。 「これ、ほら!伸びるやつなんですよ!体鍛えてるんですよ!」と"ビヨーン"と伸ばして見せる博士。 伸びるんですか!だったらどうぞ!とはならないと思うが・・ 「ま、まあいいですけど。」 ありゃ、良いのか・・絶対変な感じになると思うけどな・・何で収録にバナナを持って行くんだろう?すると最後尾を歩くボクの方に振り向き博士ニヤリと笑い 「これさ、何となくこのバナナを股間のとこにチンポみたいに置いてトークするんだ面白いだろ!」とイタズラっぽく言った。 なんと!!徹子の部屋は収録ですが編集をほとんどしないほぼ生放送の番組なのですがそれを利用してイタズラしようと言うのです!悪童だ!!この人は悪童だ!!油断も隙もない!!大人のずる賢さに子供の発想が加わるとこうなるのだ!! ルールル♪ルルル、ルールル♪ルルル♪ルール―ルールール―――♪ 例のオープニング曲が流れ軽く紹介をすませ、ソファーに座りトークが始まりました。 股間には明らかに不自然なバナナが握り絞められています・・。 「あらアナタ、何でバナナ何て持ってらっしゃるの?」 当然食いつく徹子さん・・。 ほら来た!!とばかりに"ビッヨーーーン!"と伸ばす博士! 「まあ!伸びるのねそれ。」 しばらくの間「このバナナは腰痛に良いんですよ!」などとトークをし、すぐに予定されていた台本通りのトークに移る。 その間も博士はバナナを股間にあてがいトークを・・。 1回目のCMが入った所でまだ若いADが博士に近づいて来て言いにくそうにいいます。 「あのですね・・バナナ後半は仕舞って頂けないでしょうか・・。」 博士曰く、ADのインカムイヤホンの声が漏れていて、そこからは「バナナしまわせろ!!」「何なんだよ!あのバナナ!」と怒声が響いていたらしいです。 "ちぇっ"とばかりにバナナをお尻の後ろに隠す博士CMがあけの撮影が再開。 「あなた、さっきのバナナ何ですけどね。」 なんと!インカムの怒声を知らない徹子さんはまたバナナの話しをしだしてしまった! 手に取ってバナナを伸ばす徹子さん・・イヤホンから漏れる怒声・・ほくそ笑む博士・・板挟みで一番可哀相な新人AD・・三谷幸喜作品のワンシーンのようだ・・。 結局バナナは腰の裏に隠し仕切りなおし、トークも大いに盛り上がり番組も終了に向かっていきます。 お父様の話はまだです・・番組残り終了5分前くらいになり(徹子の部屋はほとんど生放送の尺で撮っているからわかる)そろそろかなと思った時、何となくトークの雰囲気が変わった感じがした。 来る!そう思い博士を確認すると博士も思ったのだろう・・顔がちょっとだけ険しくなった。 緊張の一瞬だ、博士の涙ぐましい一人でした泣かない訓練は実を結ぶのであろうか? 真剣な目で徹子さんを見つめる博士・・徹子さんが口を開く 「あなた、おと」 と"おとうさま"の"おと"と言ったくらいの瞬間 なんと博士"ブルブルぶるぶる!"と泣いてしまった! ええーー!?早い!あまりにも早すぎる!! 後で聞いた話によると、"泣かないぞ泣かないぞ泣かないぞ"と余りにも泣くことを意識しすぎた結果、話が来た!と思った瞬間感情が駆け巡り泣いてしまったらしいです。 正に本末転倒・・何時もよりも早く泣いてしまいました・・余りの早さにテレビを見ている人からしたら"え?何で泣いたの?何?コワい・・"と訳の分からない状況でしょう。 不可解な涙でシーンと静まり返るスタジオ・・マズい、番組終了までまだ時間があるのに博士は話すことが出来ない状態になってしまった! どうする!この状況!と誰もが思ったその時!! 突然博士が"バッ"っと動いた!腰の裏に隠してあったバナナをサッと取り出し両手で持ち上げ"ビヨオオオ――――ン!!!"と伸ばしニッコリと笑ったのだ。 "わはははははは!!!" 全然意味は分からないけれども妙にその姿が面白い!!一気に場の空気は変わり笑いに包まれました!博士も自らの行動で平静を取り戻し話が出来るようになりエンディングトークをして撮影は終了しました・・まさか精神安定にまで使えるとは!チューブバナナ恐るべし!! 以後今でも博士はバナナを持ち歩いている。 ■2013年12月31日 「ええ!・・『大滝詠一』が亡くなったって・・」車内に水道橋博士の声が響いた。 『太田けいいち』と言う人が亡くなったのか・・とぼんやり聞き流す程、当時のボクは 恥ずかしながら『大滝詠一』と言う存在を知らなかったのですが、その博士の声のトーンから相当な方が亡くなったのだろうと察した・・実際に後日博士から語られる話や死後すぐに週刊藝人春秋で書かれた『大滝詠一』の回を読む事で『大滝詠一』が音楽業界のみならず芸能界の様々な人に多大なる影響を与えた方で、ましてや水道橋博士はもろに思春期に影響を受けていたのみでは無く実際に本人とお会いしてご自宅にも遊びに行ったという素敵な思い出があったと言う事を知りました。 あの悲報を聞いた時、博士は何を思ったのだろう・・。 がしかし、実際のあの時の博士はセンチメンタルな感傷に浸っている余裕は無かった。 何故ならあの日あの時2013年12月31日14時半頃 藝人春秋2上巻『大滝詠一』の章の導入と締めくくりに少し書いていますが、この時博士は後輩の『ダイノジ』が率いる『DJダイノジ』のバックダンサーとして7000人の前でダンスをするために[カウントダウンジャパン]と言う超巨大音楽フェスにノーギャラで出演する為幕張メッセへ向かっている最中と言うとんでもない状況だったのです! 藝人春秋2『大滝詠一』の章では、さらりとこの事に触れているだけなのですが中には "DJ?ダイノジ?7000人?バックダンサー?踊った?"と水道橋博士のイメージとはかけ離れたワードの連続にこの日博士の身に何が起きていたのか気になった方も居たかと思います。 少し長くなりますが時系列で順を追って『カウントダウンジャパン』でダンスを踊らなければいけなくなってしまった『水道橋博士』のお話をお楽しみください。~ 《補足》この当時博士の倉庫部屋と言う名のかなり大きい部屋が家の近所にあった、本格的な卓球台が置いてあり卓球がマイブームで博士とボクはしょっちゅう卓球をしていた。 ■2013年8月17日  今日はTBS前で行われている『夏サカス』で行われる『北野合衆国』というイベント。 これはオフィス北野のイベントでボクも博士も出演するため車を運転して一緒に現場入りをした。 博士の出番は『東京ポット許可局』のコーナーで水道橋博士をゲストに迎えてのスペシャルバージョン、題して【東京ポット許可局水道橋博士論】 博士がこの日の為に用意してきた水道橋博士本人の年表をもとにしたトークで盛り上がる。 この年表が常軌を逸している・・まず文字数が6万6千文字もある・・しかもライブに来た人に限定無料配布をする。 無料イベントなのにこんな事する必要はない、一銭も儲からないし何なら良い紙を使っているので経費が結構かかっている、製作にも労力を費やす・・忙しい膨大な仕事量の中にやらなくてもいい仕事をぶち込んだ博士。   「なぜこんな事をするのですか?」と思わず聞いてみると 「無料でこんな事やってるの気が狂ってて面白いだろう!!」と一言。 真似できない・・素直に尊敬です。 そんな年表を元に繰り広げられる【東京ポット許可局水道橋博士論】は大いに盛り上がり、あっという間に終わりの時間が迫ってきた。 最後はビートたけしさんの曲「浅草キッド」を博士先頭に客席と若手芸人全員で熱唱するという事に。 これは博士が発案した演出なのですが、実は博士が人前で歌うという事は珍しい事です。 異常に自意識の高いタイプの博士は今まで客前はおろか人前で歌を歌った経験がほぼ無いのです・・なのでこの演出何でも無い演出の様に思いますが博士からしたら少しハードルの高い行動なのです。それをこの50歳最後の日に(次の日8月18日は誕生日)博士の"自意識の殻"をブチ破ると言う目的のために人前で歌おうというのです。 野外ステージに『マキタスポーツ』のギターによる浅草キッドの伴奏が響き渡ります。 浅草キッドによる浅草キッドは何だか妙にと言うのかやはりと言うべきか、しっくりきていてノスタルジーな雰囲気に会場は一体になり高揚感が生まれた。 博士の顔にも自意識の殻をブチ破ってやった満足感のような物が伺えた・・。 その後、若手ネタコーナー、アル北郷のコーナー、マキタ学級のコーナー、サンプラザ中野君ライブ、フライデーナイト公開審査会が終了しエンディングで再び博士が登場し 「今日は僕の50歳最後の日です!誕生日を祝いにある人が駆けつけています!」と言うと布袋の「スリル」が流れた! この歌は!?と誰もが江頭2:50を想像したところ (この頃不祥事を起こし江頭さん謹慎中) 何故か三又又三さんが乱入しマイクをに向かって捲し立てます! 「博士ぇ!あんたみたいなインテリ芸人俺を一番馬鹿にしているんだろう!?馬鹿にしていないというならパンイチで三又ダンス踊れるのかよー!まあ、とりあえず僕の三又ダンス見て下さい。」と乱入して来たのに三又さん本人が「見てください」とネタフリをすると言うヘンテコな展開に。 山本リンダの「狙いうち」が流れ、ブレイク中の三又ダンスを踊り切り会場のボルテージもあがる。 そこで改めて「皆!博士ぇの三又ダンスみたいだろー!?」と三又さんが客を焚きつけ お客さんも拍手をし大盛り上がり。 コレには、総合司会の山崎さんも手で×を作りやめようとさせる。 博士自身も「やらないよ!やらない!!」と声を荒げます。 ところが「やらない!やらない!」と言いながら何故か上着のボタンを一つ一つとっている博士・・・この、お約束の動きはまさか!? 素早く上下の服を脱ぎ捨てた博士、パンイチになったその姿は何と三又さんと同じブーメランパンツ!! 「用意してたんかい!!」 と突っ込まれる中いざ!博士ダンス開始! そうです、これは博士の自意識の殻を更にぶち破る為に博士が自ら用意した流れだったのです!浅草キッドを熱唱程度では満足していなかったのです!何とも大掛かりなSMプレイ! タララララ♪タララララ♪タラララ♪タラララ♪タララララー♪(狙いうち) 伴奏が流れ踊りだす博士! "ヘコ""ヘコ""ピヨン""ビヨン""ヘコヘコ" ・・・パンツは用意していたが、ダンスの練習はしていなかったのか博士のそれはとてもダンスと呼べない様な物凄いドンくさい不思議な動きだ・・。 "ヘコヘコ""ピョコピョコ""ヘコ""ビヨーン" しかし、小さい体でピョンピョン飛び跳ねている感じ普段のテレビなどの印象とのギャップも重なって、死ぬほど面白い!客席も大爆笑! 客席で見ているはずの博士の二男あきら君長女ふみちゃんの反応が気になり探してみる・・ 居た!引いてると思いきや・・大笑いしている!? それに気が付いた『お宮の松さん』が「2人も踊っちゃえ!」と二人を舞台に上げた! すると、2人とも楽しそうに踊り始めたではありませんか!? これが笑いと同時に親子で踊る微笑ましい姿に感動も混ざりとっても不思議な雰囲気になりライブは最高のフィニッシュを迎えた! 50歳最後のこの日博士は人前で歌うでは飽き足らずダンスまで踊り見事自意識の殻から解き放たれた! (vol.3へ続く) ■水道橋博士のメルマ旬報 http://bookstand.webdoku.jp/melma_box
BOOKSTAND 2018/03/09 17:00
恋活イベントに参加したアラフォー記者の心が折れた瞬間とは?
恋活イベントに参加したアラフォー記者の心が折れた瞬間とは?
イベントの様子  結婚したい!と思い続けて、既にアラフォー。おっさん記者が、出会いを求めて街コンイベントに初めて参加してみた。    彼女無し歴?年の独身おっさん記者は、結婚願望はあっても、最近ではもっぱら出会いすらもない。そんな時、編集部に「大型恋活イベントが開催!」というリリースが届き、企画会議で「独身男性の誰か参加して体験ルポで書いたら、面白いんじゃない」となった。その場にいた独身男性記者は3人。すぐさま「俺が参加します!結婚したいんで!出会いを求めに行ってまいります!」と立候補し、ワラにもすがる思いで参加してきた。  今回参加したのは、街コンジャパンが主催する“そのエリアで最大にして最高の恋活パーティー”とうたうイベント「LOVE FES(ラブフェス)」。街コンジャパンは昨年12月から、定期的にラブフェスを全国複数箇所で同日開催を行い始め、これまで計3回約6000人の男女が参加した。記者はその内、1月に全国14カ所で一斉に開催されたラブフェスで、関東圏の会場のものに参加した。  30代後半までという年齢制限があり、参加費は当日購入で男性が8000円、女性が2500円。男性には高額に感じた。前売りチケットや、複数人とのまとめ参加で安くチケットを購入することは可能だが、記者は当日チケットを購入した。  週末の夜、少しばかり服装を気にかけて、会場へ到着すると、まさかの長蛇の列。さっそく怖気つく。  会場について驚いたのは、思った以上に参加人数が多く、男性も女性もそれぞれ100人ほど。そして、何より意外だったのは、20代半ばの男性、女性の参加者が多いことだった。さっそく、自分が会場内でも最年長の部類に入ることを悟った。  受付を済ませると番号が書かれたネームカードを渡された。自分の名前または呼び名、趣味などを書き、身に着けた。会場では、番号付けられたテーブルが並んであり、それぞれ男女5人ずつほど立ち、立食やお酒を飲みながら会話をしていく。そして15分経過したら、男性たちが次のテーブルに移っていく仕組みだ。  午後7時、ついにスタート。こういったイベントが初めてなこともあって、何をどうしたらいいか、さっぱりわからない。しかも明らかに記者以外、男性も女性も年下ばかり。緊張で固まっていると、すると意外な助け舟が出た。同じく一人で参加しているという30代前半の男性が、記者を巻き込んで女性に話しかけ始めた。  とりあえず話すきっかけはつかみ、隣に立つ20代後半の女性2人組と話した。二人とも看護師だった。その内のひとり、理恵さん(仮名)と会話してみた。「良い相手が見つかればなとこういったイベントに参加してみました。今回で2回目。職場での出会いは嫌なので、友達と一緒に参加してますね」逆にこちらの身のうちを聞かれるが、無難な回答しかできず、5分ほどで会話が止まった。そのタイミングで席移動タイムに。ここで、同じテーブルにいた男性参加者が、「LINEを交換しましょう!」と女性2人に言ったおかげで、交換ができた。  男性陣がまとめて次のテーブルに移動すると、強烈な女性2人組がいた。推定30代半ばの女性2人組が、記者の向かい側に立った。誤解を招かないように表現するが、スナックのママかなと思われる風貌の2人組だった。とりあえずお互いに自己紹介。2人とも事務職だった。見た目で判断したのは間違いだった。  しかし、会話が始まって5分後、その2人組が、「ちょっとタバコ吸ってくるね」と会場外の喫煙所に行ってしまった。残された男性陣。なんとも気まずい空気が流れた。「お前ら期待外れだわ。時間の無駄だし、一服してくるわ」とは口には出さなくても、彼女たちの行動で十分伝わった。「こっちも興味ないわ!」と思いつつ挫折感を味わった。そのテーブルの時間が終了する頃にその2人は戻ってきた。当然LINEを交換しなかった。  次のテーブルに移動すると再び、友人と参加したという20代半ばの看護師2人組がいた。その内の一人、小春さん(仮名)は「こういう仕事でなかなか休日が合わせることができなくて、出会いもないんですよ。だから、こういうところに参加してみました」と愛想よく話してくれた。見た目も美人で、こんなところに来なくても、十分モテるだろうにと思うほど。もう一人の友人の看護師は、会場屈指の美人だった。しかし、人見知りする性格のようで、会話はほとんどできずじまい。  そして、最後のテーブルへ。今度は30代前後の、小学校で栄養士として働く女性3人組と話した。この頃にはだいぶ慣れてきて、上っ面トークだけはできるようになった。  4回ほど回るといよいよフリートークタイム。残り1時間ほど、自由に会場内を移動して、自由に話してくださいというアナウンスがされた。これがなかなかハードルが高かった。  実は、男性も女性も友人と参加してる割合が多い(様に感じた)。友人と組んで気軽に話しかけたり、かけられたりしてる姿が多かった一方で、一人で参加する男性には、よっぽどナンパしなれているとか、女性に一人で声かけることに抵抗がない限り、かなり心の障壁が高い。勇気を振り絞って声をかけてみたが、相手にされず凹んでしまい、次また別の女性に声をかけにいく気力がドンドン薄まっていった。  ただ、イベントでは、そういう個人参加の男性や女性が、少しでも楽しめるように工夫はしてある。「ネームカードにある趣味や特技が一緒の人に話しかけましょう!」とか「受付番号の数字が一緒の相手を探しましょう!」と定期的にアナウンスしてくれた。それによって、一人でもなんとなく話しやすい空気を生み出してはいた。  そして夜9時。イベントはついに終了した。疲れ果てていたところに、スタッフの方が「どうでしたか?連絡先を交換しましたか?」と声をかけてくれた。記者が「きつかったです。女性と何人か交換しましたが、これは無理と思います」とこぼすと、スタッフは笑顔で「そんなことないですよ。女性はメッセージ頂いたら嬉しいものですよ。ぜひ送ってみてください!」と励ましてくれた。  本当かな?と思いつつ、背中を押された勢いで、帰り道、LINEを交換した小春さん(仮名)に「また機会があれば、食事にでも行きましょう」とメッセージを送った。返信くるのかな…と思っていたら、自宅に到着する頃に返信が着ていた。 「ごめんなさい、お気持ちは嬉しいですが、私の追い求めている人とは少し違いまして…。お互い良い出会いがあるといいですね!」  ショックを通りこして思わず笑ってしまった。現実は厳しい。  気を取り直して、最初に話した理恵さん(仮名)に同様のメッセージを送ってみたら、今度は「行きましょう!」と返ってきた。そして数週間後に一緒に食事を楽しんだ。後に続くかはわからないが……。  さて、街コンジャパンを運営するリンクバルの担当者によると、こういった街コンイベントが増えてるそうだ。街コンジャパンで掲載されているイベントは、2017年は約11万件で前年比5割増で、イベント参加者数は17年は約98万人で前年比3割増と急拡大しているという。参加者の年齢層は、25~29歳が全体の半数を占め、30~34歳が次いで約25%だという。今回驚いたことに、大学生も参加していた。  また、今回記者が参加した独身男女が参加する単なる恋活イベントもあれば、共通の趣味で楽しむ恋活イベントもある。離島で1泊2日したり、スポーツ、アニメ、美術などと趣味ごとの恋活イベントもあれば、シングルファザーとシングルマザー向けのイベントもある。ひと昔前の単なる街コンイベントから、より細分化して、楽しめるようになってきている。  最後に、初参加した男性記者の感想をもとに、もし一度参加してみたいと思った男性読者(女性でも)がいれば、参考になりそうなことを書き記しておきたい。 1、一人で参加するなら羞恥心を捨てるべし。 2、初参加するなら1回目は慣れるための勉強と思うべし、2回目以降からが本番。 3、友人と参加した方がやっぱり良い。 4、LINEを交換しても顔と名前はお互いに覚えていない。思い出してもらえるような特徴を相手に植え付けよう。 5、期待はしすぎず、何かあったらラッキーぐらいが精神的ダメージは深くない。  出会いを求めてるのなら、ぜひ体験してみてはいかが。 ※週刊朝日オンライン限定記事
婚活恋愛
週刊朝日 2018/03/08 00:00
芸能人も「働き方改革」? はるな愛に“副業の極意”を聞いた!
芸能人も「働き方改革」? はるな愛に“副業の極意”を聞いた!
はるな愛(はるな・あい)/大阪府出身。タレント。ANGEL・LOVE代表取締役。韓国観光名誉広報大使。出雲観光大使。3月21日に自身初となるミニアルバム「BONダンス」を発売 副業を持つ主な芸能人(週刊朝日 2018年3月9日号より)  オネエタレントのはるな愛さんは、都内で4軒の飲食店を経営するANGEL・LOVEの代表という顔を持つ。 「飲食を始めたきっかけは、親が商売をやっていたからなんです。はじめは大阪のショーパブで働いていたんですが、芸能界デビューするのを目標に上京したんです。売れるまでは食べていかないといけない、でもまたショーパブをやったら、大阪時代と比べて何も変わらないと思ったんです。それで最後のチャンスだと思って貯金を全て使って、2001年に三軒茶屋に自分のお店を出したんです」  居抜きの物件をそのまま使い、7人が入れば満席となる、アットホームなバーとしてオープンさせた。 「最初はママがいて、お酒を提供するようなお店をやりたかったんですよ。でも、いざやってみると誰もお店の扉を開けてくれなくて。お店に来てもらうにはどうしたらいいのかと考えた末に、自分にしかできないことをやろうと思ったんです。それがニューハーフとしてやっていくことでした。男や女になって踊って盛り上げたり」  ニューハーフという部分を逆に前面に出していくことで、お店を盛り上げていこうと決意したはるなさん。するとおもしろいほどに大好評となり、客が客を呼び、7人しか入れないお店は毎夜満席となるまでに繁盛していった。しかし、お店が軌道にのっていくなか、はるなさん自身の体調にある変化が表れる。 「声が出なくなってしまったんです。毎晩飲んで歌っていたので。それで、仕方なく筆談でお客さんと会話するようになって、物まねも口パクでやるようになったんです。それがきっかけで『エアあやや』が生まれたんですよ」  まさに今のはるなさんの原点となったのだ。 「お店での経験がタレント業にも生きているし、逆もある。両方とも手を抜けない大事な仕事です」  はるなさんは経営者として「サービス」と「店の雰囲気」を大事にするという。 「お店は山ほどあるなかで、自分のお店を選んで扉を開けてもらうためには、何が必要か。やはり、メニューの味もそうなんですが、空間とサービスに尽きると思うんです。話しかけるタイミングや話の聞き方、あとはお客さんの盛り上げ方とか。一つひとつのことを丁寧にやることがやはり経営者としても接客でも大事なことだと思うんです」  現在都内に4店舗の飲食店を営む経営者のはるなさんは、お店のオープン当初は、自らが面談をし、採用基準も明確だ。 「夢があり、自分の目標を持っている人は、動きが速く、無駄がない。そういう人を雇うと、お店を明るくするし、いい影響をもたらしてくれます。あと、イケメンも~」  外せないポイントなのだろう。ちなみに従業員とは、月に1度はランチをしながらミーティングをし、年に1回、海外旅行や温泉旅行に行き、人間関係を大切にしている。 「実は最初のお店の時に、カウンターの下で休憩をしていたら、お客さん同士で盛り上がったり、口論になったりすることがありました。その時に『そういうことってあるよね~』『愚痴、言うよね~』といったんです。それを客さんが笑ってくれて、ギャグになったんですよ」  はるなさんには2020年に向けての大いなる野望もある。 「今後は、化粧品のプロデュースに、宿泊施設の経営でしょう。あとは、ショーキャバレーのようなナイトスポットをつくって、20年のオリンピックに向けて東京を盛り上げたいです」 (構成・ライター/新津勇樹) ※週刊朝日 2018年3月9日号より加筆
週刊朝日 2018/03/06 11:30
鈴木亮平の主演「まだ早い」と発言も 「西郷どん」脚本家が明かす舞台裏
鈴木亮平の主演「まだ早い」と発言も 「西郷どん」脚本家が明かす舞台裏
中園ミホ(なかぞの・みほ)/1959年、東京都生まれ。日本大学芸術学部卒業後、広告会社勤務、コピーライター、占師などを経て、88年にテレビドラマ「ニュータウン仮分署」で脚本家デビュー。2007年、「ハケンの品格」で放送文化基金賞を受賞。13年、「はつ恋」「ドクターX 外科医・大門未知子」で向田邦子賞と橋田賞をダブル受賞。主な作品に「不機嫌な果実」(97年)、「やまとなでしこ」(00年)、「スタアの恋」(01年)、「anego」(05年)、NHK連続テレビ小説「花子とアン」(14年)など。NHK大河ドラマ「西郷どん」が放映中。(撮影/岡田晃奈、ヘア&メイク:三上宏幸(エムドルフィン))  NHK大河ドラマ「西郷どん」で脚本を担当する中園ミホさん。原作者の林真理子さんとは長年の友人であり、「anego」「不機嫌な果実」「下流の宴」など、数々のヒットドラマを世に送り出してきたゴールデンコンビ。大河の裏舞台を林さんが伺いました。 *  *  * 林:いろんな人に聞かれると思いますが、脚本家ってどのぐらいキャスティングにかかわれるんですか。 中園:みんなで会議して決めます。それぞれが出してきた候補者の中から、どの人がいいかを。 林:最終決定は中園さん? 中園:違います。みんな私が鈴木亮平さんに入れあげて主役にしたと思っているみたいですけど、候補にあげたのは私ではないです。彼は「花子とアン」のオーディションで抜擢した俳優さんなので、親戚の男の子みたいな感覚があるんですよ。その分厳しく見ますから、「まだ早くないですか」って言いました。だけど「いいと思う」という演出家が何人かいたんです。 林:体もムクムク増量して、目つきも変わって、どんどん西郷さんになっていますよね。でも、中園さんぐらい売れっ子だと芸能人とのお付き合いも密なのかと思うと、「一線を引く」と言ってますよね。 中園:そうです、めったに食事とかしないです。「この役どうなるんですか?」と聞かれたら「もっと立ててあげなくちゃいけないかな」と思っちゃうし、はっきりと「僕をもっと立ててよ」って言う人もいますからね。そういうの聞いてたらきりがありません。 林:「今から飲みに来ない?」とか、ないんですか? 中園:ぜんぜんないですね。米倉涼子さんは飲むと楽しい人ですし、飲み友達として飲んだことはありますけど、それも(「ドクターX」の)1回のシリーズで一度ぐらい。それに私、あんまり現場に行かないんです。親しい俳優さんができちゃうと、やっぱりどこか肩入れしちゃうと思うので。 林:私も昨日ラジオの仕事でNHKに行ったけど、皆さんに気を使わせちゃうかなと思って撮影現場には寄らなかったんです。 中園:そうだったんですか。林さんがいらしたらみんな喜びます。 林:でも、中園ミホの名言。「原作者に来られるといろいろ気を使うから、差し入れを置いたらさっさと帰ってほしい」(笑)。 中園:林さんが来てくれたらうれしいと思いますよ。その代わり差し入れをお忘れなく(笑)。 林:もちろん、もちろん。 中園:林さんは差し入れの女王ですもんね。「西郷どん」のキャスティングでは小柳ルミ子さんの評判がすごくいいんですが、実は林さんのアイデアなんですよね。夜中にLINEで、「お由羅役の候補、こんな人たちがあがってるんだけど、どう思う?」って聞いたら、「小柳ルミ子さん、どう?」って。 林:「さっき歌番組で見たけど、よかった」って送ったの。 中園:盲点を突かれた気がして、ハッとしました。翌日の会議で話したら、演出家たちがすごくノッたんですよ。「誰も思いつかなかったね」って。 林:素人の発想もたまには役立つと(笑)。キャスティングといえば、なんといっても第1話の斉彬さま(渡辺謙)ですよ。まるでプロモーションビデオのようでした。 中園:林さん、原作を書かれているときから「斉彬は渡辺謙さんだといいな」って言ってましたよね。みんなもそう思っていたから、謙さんに決まったときはほんとにうれしかったです。 林:第4話で斉彬が家督を譲ろうとしない父親の斉興に「天の声を聞くことにしましょう」と言って、銃を手にロシアンルーレットするじゃないですか。鹿賀丈史さん(斉興)と渡辺謙さんじゃなかったら、あの迫力は出なかったですよ。 中園:あの場面はNHKのスタッフが、「薩摩の武士は宴会の余興で火縄銃でロシアンルーレットみたいなことをやる」という史料を見つけてきて、「できませんか」と言われて書いたんです。お二人の演技が素晴らしいので、救われました。史実がお好きな皆さんは怒ってらっしゃると思いますけど(笑)。 (構成/本誌・野村美絵) ※週刊朝日  2018年3月9日号より抜粋
ドラマ林真理子
週刊朝日 2018/03/04 11:30
大御所も後輩芸人も…志村けんがみんなに愛される理由
大御所も後輩芸人も…志村けんがみんなに愛される理由
志村けん (c)朝日新聞社  お笑い界の大御所・志村けん(68)が2月19日に誕生日パーティーの写真をブログで公開し、その豪華な参加者で話題となった。お笑いコンビ・タカアンドトシやタレントの島崎和歌子(44)、中山秀征(50)など、仲のいいメンバーが参列。また私服姿のマツコ・デラックス(45)も写っており、さらなる注目を浴びた。 「志村さんの誕生日会はだいたい毎年行われていますが、今回はマツコさんのすっぴんネタなどでちょっと話題になりましたね。お気に入りの共演女性たちである“志村ガールズ”の参加も一部で報じられていましたが、その時に付き合ってる女性がいたら一緒に来ることもある。かつて交際が噂された、いしのようこさん(50)などは別れてからも仲がよく、都合が合えば参加する年もあるようです。志村さんはたいてい東京・麻布十番付近で飲んでいますが、誕生日会は中山さんが仕切って六本木の高級カラオケと決まっているようです」(芸能リポーター)  古希を目前にして、なお豪胆に飲み歩いている様子の志村。仕事でも、かつてのように冠番組は少なくなったが、「天才!志村どうぶつ園」(日本テレビ系)や深夜帯で「志村の夜」(フジテレビ系)が放送中だ。「志村の夜」は昔懐かしいドリフスタイルのコントが、現代でも見られるということで視聴者にも好評だ。また、ほかのバラエティー番組や年末年始の特番にも積極的に出演している。10代や20代にとっては、大御所となっていて何が面白いのかわからない部分もあるだろうが、現在のお笑いやバラエティーの基礎的な部分で彼の功績は大きく、お笑い批評などでも大きく評価されている。 「『志村うしろ!』など数々の笑いを作ってきた志村さんですが、普段は寡黙で自分から笑いを取りに行くようなことはありません。飲みに行ってもただ笑っているだけ。ただし、番組での笑いには相当こだわりが強く、番組の打ち合わせから参加しています。例えば『バカ殿コント』は、過去のコントを少し変更して撮り直すんですが、リハ中は結構ピリピリしていて、小道具などのチェックも全部、自分でするし、演じている画が実際にどう映るか、“間”は大丈夫かなど、ディテールも気にされていました」(民放バラエティー制作スタッフ)  また、志村はお笑い芸人であることにこだわりを持っていて、映画への出演も断り続けてきた。 「もちろん人気芸人ですので、映画出演のオファーも度重なっていましたが、その依頼を全て断ってきたといいます。数好ない映画出演となったのが、高倉健さんの映画『鉄道員』ですが、それも最初は断っていたそうです。ところがある日、突然、高倉健さんから直接連絡がきて、出演を依頼したそう。心を打たれた志村さんは、初めて映画に出演したのです。その後も、志村さんの深夜番組に、高倉健さんがVTR出演するなど、二人の交友は深くなりました」(前出の芸能リポーター)  さらに後輩芸人たちからはこんな話も上がっているようだ。 「最近、人気を集めている千鳥の大悟さん(37)が、さまざまなところで『志村さんにかわいがってもらっている』と話をされていますよ。その低姿勢ぶりが一部で話題となっていましたが、一緒に飲みに行くようになっても敬語で接するそうです。大悟さんは2017年の単独ライブで、志村さんから薫陶を受け、長編舞台『志村魂』から着想を得た『大悟魂』を披露し、大成功させました。大物ゲストや美女が参加し、相方のノブさん(38)は客席から突っ込み続けるという、志村イズムを継承したような舞台でしたね」(前出の民放バラエティー制作スタッフ)  一方で、志村が育て、人気になった芸人も多いという。 「毎年、正月に放送される『志村けんのバカ殿様』の収録は、土曜日と次の金、土曜日の3日間にわたって収録するのが通例になっています。最後の土曜日の収録終わりには、必ず演者を連れて飲みに行っていました。『バカ殿』には、前年度に売れた芸人がだいたい出演するので、その飲み会で志村さんに気に入ってもらって、その後の飲みにも連れていってもらえるようになれば後輩芸人たちにとって大成功。売れる道筋が見えてくるのです」(同)  もちろん女性との熱愛報道も絶えないが、一方でその別れ方も豪快だという。「付き合っている間にはクレジットカードを渡し好きなだけ使えるようにし、別れる際にも数千万円単位にお金を渡すので、ぜったいに悪口は出ない」(前出の芸能リポーター)のだとか。    彼の芸人としての哲学が詰まった名言集などは書籍やネットでも紹介されており、じっくり見てみるとかなり深くて面白い。大御所芸人が少しずつテレビから消えていく中で、今後も新たな伝説を残していってほしい。(ライター・黒崎さとし)
dot. 2018/02/27 11:30
草なぎ剛が語る「あの日の高倉健さん」
草なぎ剛が語る「あの日の高倉健さん」
草なぎ剛さん 草なぎさんに俳優人生とは何かを教えてくれた高倉さん(c)朝日新聞社 『もういちど あなたへ 追憶 高倉健』(朝日新聞出版)でインタビューに応えた俳優・草なぎ剛さんが、映画「あなたへ」に出演するきっかけは高倉さんからの一通の手紙だった。草なぎさんは、その手紙の返事を書くように、本誌に語ってくれました。題して「拝復 高倉健様」。 *  *  *  昨年、「新しい地図」というプロジェクトを立ち上げました。歌も歌いたいし、いろいろなことをやっていきたい。でもやっぱり、高倉健さんと縁があったことで、役者が僕の中では特別な分野というか、そういう気持ちになっています。健さんの影響は本当に大きいんです。  僕は当時、自分のことを役者だとは思っていませんでした。ですが、健さんと仕事をしてから、演技というものに興味が出てきました。「役者になりたい」と思いました。 「あなたへ」で、田宮という役を演じ、自分としても開花したなというか、心が解放された、と感じています。そういうものが出てくるとは思わなかったんだけど、なんだかウキウキする感じなんです。  ラストシーンで、健さんがずうっと歩いていく姿を見ながら、健さんが導いてくれたんだなと考えていました。僕自身が知らなかった部分を、健さんは直観して、引き出してくれたんだと。そして、そういうことを感じたのはたぶん僕だけじゃないと思うんです。  健さんの存在感がみんなを引っ張っていくというか、健さんの大きな雰囲気に包まれながらの撮影でした。そうですねえ、僕は緊張しながらも、なんだか映画の世界に誘ってもらえているような、健さんと仕事をしている時はそんな感じでしたね。  最初にお目にかかったのが富山のホテルでした。僕は撮影前日の夜に富山に入りました。食事をする予定でしたが、僕の到着が少し遅れてしまって。すると健さんがステーキを差し入れてくださっていました。「周りにごはんを食べるところがないから」って。  翌朝、健さんのお部屋で朝食を一緒に食べました。「ようやく会えたね」って握手をしてくださって。その時の健さんの手のぬくもりとか、手の大きさとか、握る強さとか、一生忘れないでしょうね。  ちょっと、ハグみたいな感じもしてもらったんですが、「ああ、なんだか大きい山のような人だ」って思いましたよ。「でかいっ」って。「やばいぞ、この人は」って。  めちゃくちゃ緊張しましたよ。朝食はしっかり食べましたけど、味がわからない(笑)。でもなんかね、すごい幸せな気分になったんですよね。  僕が演じた田宮は、イカめしの実演販売をしながら全国のデパートやイベント会場を回っている男です。健さん演じる倉島と出会って、倉島をイカめしの販売に巻き込む。強引なんだけど、どこか憎めない、そんな男でした。  健さんがこの役に僕を推してくれたらしいんです。役をやってほしい、ということで手紙をいただきました。そんなことがあるのかなって。なんか僕、最初、意味がわからなくって。  スタッフの方々も、なんで草なぎなんだって思っただろうし。でも、うれしかったですねえ。なにかいろんな奇跡というか、そういうものが積み重なって、健さんとお仕事ができたんだなって思います。  健さんは「草なぎ君の役は明るい役だから、あなたの好きにやればいい」と言ってくださいました。「明るければ明るいほど、あなたの役は映える。とにかく明るくやりなさい」と。  健さんがそう言ってくださったおかげで、自由に演じることができました。200本以上の映画に出演されている方の一言って本当に大きいな、と思いました。たった一言で人の心を動かしちゃう。そういうところがすごい、と感じました。  スクリーンに映っている健さんは、とにかく嘘がないって言うのでしょうか。どんな小さなシーンでも、たとえ顔が見えなくても、背中で真実を語っているといいますか、気持ちに偽りがないから、真実がにじみ出てくるんだなって思います。  お芝居をする時の役作りの技術はいろいろ勉強しないといけないんだけど、一番の役作りは、常に素直に正直に生きていくっていうことなんだと、健さんが教えてくれました。撮影中もずっと「嘘偽りなく生きていくことが大事なんだよ、草なぎ君」って言われているような気がしていました。  健さんの特徴は、ご自身の気持ちに沿った役を演じているというか、健さんなのか役なのかわからなくなってくるというか。そこだと思います。  健さんは、普段、いたっておしゃべりなんですけどね。知識も豊富で、バイタリティーにあふれていて、めちゃくちゃ頭のいい方だから、ひとつ聞くと、いっぱい話をしてくれました。  だから健さんといると、いつも楽しかったですね。もしかしたら「あなたへ」の時は、次世代の僕たちに自分の持っているものを惜しみなく伝えようとされていたんじゃないですかね。だから、あれだけ話してくれたんじゃないかな。 「200本以上映画に出ているから」とおっしゃっていましたが、200本って、僕なんかには、神の領域としか思えませんよね。撮影での秘話みたいなこともいろいろ話してくださってね、やらなかったことはなかったって。  自分で限界を決めないというか、健さんのお話から、そういうことを学びました。やろうと思えば、何でもできるんだよ、って。「健さんだからできるんじゃないんですか」とも思いましたけどね、心の中では(笑)。でも、本当に勉強になりました。  健さんは、普通に高倉健としてしゃべっていても、映画の中の人間が話しているように感じるんです。健さんはそう思っていないかもしれないけれど。僕たちにはそう見えちゃうし、そう感じちゃう。  だから、ポツッという言葉に説得力がある。「目だよ、目。役者は目が大事だよ」とか、自分の胸をたたいて、「ここ。ここを持っていないとだめだよ、草なぎちゃん」とかね。  想像なんですけど、高倉健という人自身の生き方がスクリーンに映っているのは、やはりそれが映画スターだからということなんじゃないかと思います。スターとして一つの映画の黄金時代を築き上げたことは、やはり半端じゃない。  だから、演じている人物を超えて、健さん自身の熱量が観客を魅了してきたんだな、と。普通に話していてもポッと映画の中にいるんじゃないか、って思っちゃうんですよね。  いつもと同じ景色の中に、健さんがいるだけで違う景色に見えたりするんですよ。健さんがしゃべると吸い込まれていくし。そういう意味で、健さんのすべてが「高倉健」であり、生き方が「高倉健」であり、「映画」であるというか、現実と映画の区別がつかなくなっていくんです。そういう人っていないですよ。  撮影当時、僕は37歳だったんですが、それまでやってきた芝居だとか、それ以外の芸能活動が、大げさに言ってしまえば、「あなたへ」で健さんといっしょに仕事をするために存在していたのか、とさえ思うんです。そして、「あなたへ」から現在の僕に至っているんです。  芝居の上での不安や疑問も、健さんの一言で乗り越えられたというか、自信が持てたという感じです。これから先も演じるということで、健さんの言葉とか雰囲気をいただいて、仕事をしていくんだろうなと思っています。  ただ、最近、健さんに対する気持ちが少し変わってきていることに気づきました。健さんみたいな人にはなれないな、って思えてきたんです。「あなたへ」の撮影のころは、高倉健さんが自分にとっての理想の役者になっていました。  生涯現役80歳でいらして、デビュー時から50、60、70代まで、ずっとトップスターとして活躍されてきた。アスリートは最も力を発揮できる時期って決まっているじゃないですか。  役者もそうです。でも健さんを見て、すごいと思いました。そして自分が目指すべきところだ、と考えていました。  でも今は、目標にすること自体がおこがましいと思うようになりました。「なに高倉健目指しているんだよ、馬鹿じゃないの?」っていうか(笑)。「お前が健さんと同じレベルで考えるなよ」っていうか。  健さんはすごすぎて、僕が目指すところではなかったことに今ごろ気づかされたんです。健さんを目指すんじゃなく、もっと自分らしくやろうぜ、って。しかし、それも健さんに教えてもらったことなんですよ。  ただ、こうも言えます。6年前に健さんと仕事をして、目指すところは高倉健さんだと思った自分があってこそ、現在の自分があるんだぞ、と。最近の僕はそんな気持ちなんですよ。  今は「健さんを目指すとか言ってるんじゃなく、もっと身近な目の前のものをちゃんとやれよ」という気持ちになっています。6年前とは変わってきているんです。単純に健さんみたいな俳優になりたいというものを超えて、自分というものができている。もっと自分らしく。  じゃあ、それは何なんだよって。芝居をする時、自分自身に問いかけるようになりました。演技をしている時に、健さんのこと、つまり健さんと自分との距離感とかを測るようになっています。  人の心に何かが残るような、何かが伝わるような作品をつくっていければいいなと思います。期待してくれているファンの方もいらっしゃるので、待っててもらいたいなと思います。  自分の新しい地図を描きたいという思いは、今を生きる誰もが抱いている普遍的な気持ちなのではないでしょうか。そこにうまくはまるような仕事をしていきたいですね。 (聞き手/朝日新聞編集委員・石飛徳樹) ※週刊朝日 2018年3月2日号
週刊朝日 2018/02/26 11:30
ノブコブの徳井、ハライチの岩井、インパルスの板倉が「腐り芸人」と呼ばれる理由
ラリー遠田 ラリー遠田
ノブコブの徳井、ハライチの岩井、インパルスの板倉が「腐り芸人」と呼ばれる理由
ハライチの岩井勇気(左) (c)朝日新聞社  テレビ東京の深夜番組『ゴッドタン』で、「腐り芸人」という新しいジャンルが生まれた。この番組で「腐っている芸人」の代表として紹介されたのは、ハライチの岩井勇気、インパルスの板倉俊之、平成ノブシコブシの徳井健太。いずれも相方の人気や知名度が高い「じゃない方芸人」に属する。しかし、彼らが腐っているのは、単に相方の方が自分よりも売れているから嫉妬している、という単純なものではない。  岩井は、ネタ作りを担当している自分は「ゼロから1を作っている」と胸を張る。一方、相方の澤部佑のことは「1を増やすのが得意なだけで、ゼロから1を作れない」とバッサリ斬り捨てている。しかし、現実は非情である。テレビでは岩井よりも澤部の方が重宝され、数多くのバラエティ番組から声がかかり、CMにまで出演している。  テレビでは自分が思う「100点の笑い」は求められていない。「30点の笑い」が必要とされている。そして、その30点を100点だと思い込める芸人が売れるのだ、と岩井は主張した。岩井が提唱した「テレビの笑い30点理論」は、番組を見たお笑いファンの間でも大きな反響を巻き起こした。  一方、板倉は、相方の度重なる不祥事で足を引っ張られている上に、グルメ番組で料理を食べて気の利いたコメントをするような「テレビのお約束」に馴染めないと告白した。そして徳井は、相方に暴言を吐かれたことをいつまでも根に持っていて、「殺したいと思っている」と公言していた。徳井には「腐っている芸人」というよりも単に「危ない人間」という表現の方がふさわしいかもしれない。  彼らに共通しているのは、「芸人として自分が求めている笑い」と「テレビで求められる笑い」のギャップに苦しめられているということだ。「腐る」という言葉の辞書的な意味は「思いどおりに事が運ばないため、やる気をなくしてしまう」である(小学館『デジタル大辞泉』より)。思い通りにならないことに苛立つのは、思いが強いことの裏返しでもある。彼らは笑いに懸ける気持ちが強く、理想が高いからこそ、そこに深い挫折感と絶望を感じて、腐ってしまうのだ。  ただ、ここには奇妙なねじれがあることを忘れてはならない。バラエティ番組の「お約束」には馴染めないと語っている彼らは、バラエティ番組の『ゴッドタン』の中でそのことを率直に語って、笑いを生み出している。少なくともこの番組では、彼らはバラエティ番組のルールに従い、制作者の望む結果を出しているのだ。  人としての腐り方がほかの2人よりも深刻に見える徳井でさえ、最近はその冷静な態度の裏にある燃えるような情熱と的確なコメント力が評価され、『内村てらすSEASON2』などに出演している。  当たり前のことだが、「腐り芸人」という枠で番組に引っ張り出されている彼らは、文字通り腐っているわけではない。彼らは、お笑いに携わる誰もが密かに思っているけれど上手く言葉にできていない本音を口にして、共感の笑いを引き出すプロフェッショナルなのだ。  最近放送された『ゴッドタン』の「腐り芸人セラピー」という企画の中では、腐り芸人の代表として呼ばれていた徳井が熱っぽく笑いを語っていたことから、「腐り芸人って実は熱い芸人なのではないか」という指摘が飛び出していた。  無粋を承知で言わせてもらえば、私の知る限り、そもそも熱くない芸人などいない。芸人にとって笑いとは自身の「稼業」である。自分が選んだ仕事に対して真剣に向き合うのは当たり前のことだ。ただ、熱い芸人が「熱い」と揶揄されることがあるのは、笑いに対して熱い姿は人前で見せるものではない、という美意識が芸人の間にあるからだ。  笑いは緊張を緩和することで生まれる。お笑いは見る側がリラックスした気分で見ることが重要だ。芸人が笑いに対して真剣であることを過剰にアピールするのは、見る人を緊張させ、笑いづらい状態へと追い込んでしまう。だから彼らは普段は意図的にそれを避けている。  いわば、「腐り芸人」とは、芸人たちが内に秘めている「笑いへの高い理想」という普段は笑えないものをあえて笑いにする画期的な試みなのだ。(ラリー遠田)
ラリー遠田
dot. 2018/02/24 11:30
「家ではテレビ6台つけっぱなし」デーブ・スペクター夫妻の知られざる日常
「家ではテレビ6台つけっぱなし」デーブ・スペクター夫妻の知られざる日常
二人の日常とは(※写真はイメージ)  夫は今や“寒いダジャレ”が代名詞となった放送プロデューサーでタレントのデーブ・スペクター。妻の京子は代表取締役として夫の会社を取り仕切る。そんな二人の日常とは? ※「駆け出しのデーブ・スペクターに“妻からプロポーズ”した理由」よりつづく *  *  * ――夫は番組出演の準備にいそしみ、妻は会社の代表取締役を務める。忙しい二人は家事や料理はせず、思い切り仕事に打ち込む。 夫:僕はテレビ業界が大好きなの。視聴率、編成、局の人事異動にまで関心がある。アナウンサーも裏方の人たちも大好き。「明日は何やる?」「ネタ足りる?」と、勝手に番組作りに参加するタイプです。 妻:トランプ大統領のネタがあると、頼まれていないのにテレビ局にメモを送ってるわよね。 夫:この番組をどうするとよくなるかという話なら、永遠に話し続けられる。とくに今はネットとテレビが融合し始めているから、面白くてしょうがない。 妻:番組でコメントするための情報収集は全部自分でやってますね。 夫:新聞、雑誌、ネットで海外のメディアも見るし、家ではテレビを6台つけっぱなし。ニュースジャンキーでもある。気晴らしは海外ドラマを見ること。たまに映画も見るけど、番組で話題に上ることがあるから、それも仕事のうち。 妻:リラックスする時間がないのよね。睡眠時間も短いでしょう。 夫:リラックスするとイライラする。せっかちだから。 妻:私は、昼間は会社で仕事をして、夜はレセプションやパーティーに出かけることが多いんです。デーブは夕食も家よね。 夫:東京の食は世界一だから、もったいないとは思うけど、会食はめったに行かない。夕食に2時間も費やす忍耐力がないの。だって、その分、番組の準備もメールの対応も遅れちゃう。 妻:行っても仕事が気になっちゃうのね。 夫:アメリカ人の友だちとは朝食か昼食のときに会うんです。そのほうが、効率がいい。夜はお酒が入るし、メモもとらないから、ビジネス的にはメリットがないんですよ。 妻:二人ともお酒はあまり飲みませんし。 夫:だから、モンゴル会は全部断ってる(笑)。 ――結婚記念日や誕生日は必ずお祝いしてくれる夫だが、時間を有効に使わないといやな性分。たまに夫婦で海外旅行に行っても、ついついロケをしてしまう。 夫:アメリカに行くとよくやるよね。アメリカ大統領選のときなら街頭インタビューとか。 妻:私がカメラを回して、デーブがリポートして。20回くらい撮り直したこともありましたよ。 夫:イギリスではカメラマンを雇ったね。僕のポリシーはどこへ行くのも3日。アメリカも中3日で帰ってくる。ハワイのプールでくつろぐなんて人生がもったいないですよ。プールは5分以上いられない。イライラするよ。まぶしくてスマホ見えないし。 妻:何かしていないとダメなのね。ツイッターも1日に最低6回はつぶやいてる。クスッと笑えたり、心に残る言葉だったり。 夫:テレビに出ていることはありがたく光栄に思っているから、ツイッターではテレビとは別のことをやりたい。テレビでは言えなかった話、文字だからわかるダジャレとか。夜はマニアック、週末はのんびりなど、時間帯も考えています。 妻:そういう努力を見ているから、私が時間をとっちゃうのは、かわいそうな気がして。自分の時間を持てて、好きなことをしてくれているほうが、私も気持ちがいいんですよ。 夫:でも、二人で話す時間はいっぱいあるよ。LINEもやってる。夫婦でやるとワクワクして楽しいね。 妻:私のLINEスタンプが発売されて、デーブが購入してくれたんです。 夫:だって購入しないと悪いじゃない。 妻:だから私がメッセージを送ると、自分の顔のスタンプでデーブから返事が来るのが面白くて。 ――結婚生活36年。ロサンゼルスでほぼゼロの状態からスタートして、まったく予測のつかない道を二人で歩んできた。 夫:いつのまにか別行動になっている夫婦もいるけど、僕たちはずっと一緒だった。 妻:たまにけんかすることもありますけど、5分たって冷静になったとき、自分が悪かったと思えばすぐにあやまります。これからも一緒にいたいですから。 夫:彼女は今の生活を全部可能にしてくれたんです。やさしくて陽気。いつも応援してくれるし、おしゃれで年齢に関係なく女性であることを楽しんでる。ときどき、めちゃくちゃかわいい格好をするんですよ。 妻:ハロウィーンとかね。 夫:趣味も合わないところがない。相手を知り尽くしてから結婚したわけじゃないから、ラッキーだね。結婚は運も大きいと思う。 妻:デーブと結婚してよかったのは、やさしくて誠実で努力を怠らないところ。この三つですね。 夫:結婚はいいもので、ワインやチーズのように熟成していく。相手のことがより深くわかってくるから、よくなっていく一方なんだよね。 妻:ただ、デーブは人のためにいろいろやっているから、もう少し自分のことを大切にして、ゆっくり休んでもらいたいですね。 夫:年をとると、どちらかが先に逝ってしまうでしょう。それを考えちゃう。だから健康には気をつけてほしい。 伊勢市の二見浦にある夫婦岩を見たとき、大感動したんですよ。大きい岩が夫で、小さい岩が妻で、きれいな縄で結ばれている。あ、うちは大きい岩が奥さんか。夫婦岩のように二人でずっと過ごしていけたらいいな。 妻:夫婦はそういうものだと思ってくださっているだけでも、ありがたいし、うれしいですね。 (聞き手/仲宇佐ゆり) ※週刊朝日 2018年2月23日号より抜粋
夫婦
週刊朝日 2018/02/20 11:30
教育ローン支払い月15万円…「世界一働いても貧困」日本のシングルマザー
教育ローン支払い月15万円…「世界一働いても貧困」日本のシングルマザー
韓国では2015年、国が養育費を立て替える制度ができた。さらにメンタルサポートにも力を入れるのは、シングルマザーは「次世代を担う子ども」を育てる存在だから。欧米諸国でも「子の利益」を最大に考え、施策が立てられている(写真はイメージ)[撮影/今村拓馬] ひとり親世帯になった理由別年次推移(AERA 2018年2月19日号より)  ひとり親として必死に子育てし、貧困の連鎖を断つために努力して我が子を進学させたのに、親も子もとてつもない借金を抱え込む。日本のシングルマザーは「次世代を育む存在」なのに、あまりにも社会的に冷遇されていないだろうか。 「原因は教育ローンです。これで、自己破産するしかなくなりました」  本田潤子さん(仮名、54歳)は沈痛な面持ちで切り出した。20年前、夫の浮気に振り回され、離婚を決意。長女小2、長男4歳の夏だった。  四大卒であっても、正規労働に就くことは難しかった。シングルマザーのママ友が働いているゴルフ場で、キャディーとして働くことを決めた。手取りは20万円になることもあれば、子どもの病気で休みが続けば10万円ほどの月もある。年金や社会保険もない。 「ただしこの時は、毎月4万円ほどの児童扶養手当があったし、医療費は無料、水道代の基本料金免除、有料のゴミ袋の支給など福祉のネットワークに支えられ、何とか暮らしは成り立っていました」  家計を直撃したのが、教育費だった。長女が国立大学受験に失敗、私立大学へ進んだ。私立と国立で学費にそれほど違いがない時代でもあったが、この時、日本政策金融公庫が低所得者向けに教育費を融資する「国の教育ローン」を使い、入学金含め150万円の貸し付けを受けた。学費については、長女が奨学金とアルバイトで賄った。問題は長男だった。公立高校に不合格、私立高校へ進学することに。元夫に学費の援助を頼んだが、「公立に落ちるのが悪い」と一蹴されたばかりか、滞りがちだった養育費の支払いがここで途絶えた。自治体の「母子福祉資金貸付金(無利子)」から150万円を借り、学費を賄った。長男は私大へ進学。国の教育ローンから200万円を借りて、入学金及び前期学費を支払った。 「2人とも成績はよく、必死に受験勉強をし、有名私大に入学しました。『お金がないから、高卒で働いて』とはとても言えなかった。子どもが人生の選択肢を持てるところまで連れていくのが、私の子育ての最大目標でしたから」  潤子さんが月々の返済に事欠くようになったのは、長男が高校卒業後、児童扶養手当の対象でなくなってからだ。教育費が最もかかる時期に、月4万円ほどの手当ばかりか福祉のネットワークが全て足元から消え失せた。  加えて不況がゴルフ場を直撃、同じコースを回っても2バッグばかりなら、収入は減る一方だ。教育ローンやクレジットカードの支払いは、カードのキャッシングで補填(ほてん)する。限度額が来れば、別のカードへ乗り換える。 「毎月約15万円の返済をキャッシングでやりくりしていたのですが、どこも貸してくれなくなった。明らかな多重債務者でした」 「子どもの貧困」が叫ばれて久しい。2017年6月に公表された、15年の子どもの貧困率は13.9%、7人に1人の子どもが相対的貧困状態にあるわけだが、ひとり親世帯に限ってみれば貧困率は50.8%、2人に1人が貧困だ。ちなみに、ひとり親世帯の約85%が母子世帯と推計される。  国際的に見れば、日本のひとり親世帯の就労率は約86%と、OECDの国の中で最も高い(ドイツ、フランス、アメリカなどは70%未満)。にもかかわらず、相対的貧困率は群を抜いて高くなっている。その鍵は就労形態にある。母子世帯の就業者の内訳を見れば「正規の職員・従業員」が44.2%なのに対し、「派遣社員」4.6%、「パート・アルバイト等」が43.8%と非正規職が計48.4%で正規をしのぐ。  長年、母子世帯の調査・研究を行ってきた神戸学院大学教授の神原文子氏は「母子世帯の多くはなぜ貧困なのか」という問いへの実証研究において、「非正規化のさらなる進行と、673円(06年度)から823円(16年度)へと150円しか上昇していない、最低賃金の低さ」を真っ先に挙げる。  児童扶養手当と児童手当を受給しても年収220万円という貧困基準ギリギリだ。 「女性の貧困元年って、いつだと思いますか?」  神原氏が発したのは、思いもよらぬ問いだった。 「1985年です」  1985年──労働者派遣法と男女雇用機会均等法が成立した年だ。 「一部のエリート女性が男性並みに働くことを応援する制度ができたと同時に、非正規化という非常に不安定な働き方の種類が増えた。非正規の拡大と同時に、賃金格差が決定的になりました」  政府はより積極的に“女性格差”を制度化する。国民年金の第3号被保険者制度(85年)、パート所得の配偶者特別控除制度の創設(87年)など、専業主婦を優遇する制度が、この時期につくられていく。  ひとり親についても、85年は分水嶺(ぶんすいれい)となった。この年、政府はこれまでの児童扶養手当に、全額と一部支給という2段階制を導入、手当の大幅削減に踏み切った。一方、死別の母子世帯に対しては遺族年金制度を創設、充実した社会保障が完備された。神原氏の指摘は鋭い。 「夫に扶養され家庭を守った女性は、夫が死んだ後も死ぬまで守りましょう。家庭から勝手に飛び出した女性には、最低限の保障しかしません。これが、この国の女性への姿勢です」 「夫婦に子ども」という“標準家族”内にいる女性は守るが、シングルマザーやシングル女性はその範囲ではないと、明らかな“女性格差”の制度化が始まったのが85年だったのだ。 90年代、右肩上がりに離婚が増えると政府はひとり親政策を「保護」から「就労支援」へと切り替えた。02年に母子寡婦福祉法と児童扶養手当法を改正、全額支給の所得制限を年130万円未満(母子2人世帯の場合)に引き下げ、収入が増えるほど支給額を減額するスライド方式を採用。5年受給の後は支給額を半額にするとした。神原氏は言う。 「働けば働くほど支給額を減らすって、残酷な制度です。5年後に半額にするという規定については、年数が長くなったからとはいえ、収入が増えるわけではないことを政府が認識して凍結されましたが」  実は私自身もシングルマザーとして、一部支給に減額された身だ。就労に力を入れると政府は言うが、提示された施策に使えるものはなく、アドバルーンを上げただけだと痛感した。月10万円を2年間支給されても、看護師資格を得るための看護学校と生活を両立できるとは思えない。  先進国のシングルマザーの就労率が日本より低いのは、シングルマザーは子どもをケアする存在だという認識が根底にあってのことだ。日本のシングルマザーは、世界一働いている。それでも国はもっと働け、自立しろと迫る。  小林真波さん(仮名、55歳)は20年前に離婚した。不倫に浮気、生活費を渡さないなど社会的DVが原因だった。長男は小4、長女は小2、次男は小1だった。真波さんは大卒だが専業主婦期間が長く、仕事は介護職のパートしか見つからなかった。夜勤免除を条件にした勤務の給料は、月に14万円ほど。  暮らしが暗転するきっかけは教育費だ。長男が公立高校に落ち、私立に進学。この3年間の学費で真波さんの貯金、300万円が全て消えた。2年後、長女も私立高校へ。自治体の「母子福祉資金貸付金」から約300万円を借り、次男の私立高校の費用も同貸付金から200万円の融資を得た。さらに長男が私立大学に進学。父の会社を引き継いだ元夫は裕福だが、学費を依頼しても「大学に行かせた、おまえが悪い」と拒否。再度貸付金300万円を借りる。元夫は、養育費は一切支払わないが、子どもと会った際、20万円など多額の現金を渡し、長男には「おまえが会社を継げ」と話した。長男は大学を中退、元夫の会社へ就職した。 「長男の貸付金を今、返していますが、65歳までかかります。それまで持つかどうか。クレジットカードのリボ払いやキャッシングで補填してきた分が、雪だるまのように大きく膨らんで、毎月の支払いがとんでもない」  ずいぶん前から夜勤に就いているが、激務続きで体調も芳しくない。先の見えない不安に押しつぶされそうになる。  潤子さんと真波さんのケースから浮上するのは、子育てを終えた後に直面するシングルマザーの貧困だ。前出の神原氏はこう予見する。 「これから日本社会では、60代以降の離別寡婦の貧困問題が出てくると思います。これまでは60代以上の寡婦は死別がほとんどで、遺族年金で困らない生活ができていた。しかし今、60歳未満の寡婦は離別が多い。年金もフルにかけていないし……」  死別なら死ぬまで生活は保障される。だが離別の場合、子どもが学業期には「働け、自立しろ」と尻をたたかれ、子どもが18歳を過ぎれば「あとは知らない」とバーンとハシゴを外される。  他国は、どうなのだろう。ひとり親の福祉政策の各国比較を行った、元金城学院大学教授で、現NPO法人ウイメンズ・ボイス理事長の杉本貴代栄氏に他国との違いを聞いた。  たとえばデンマーク。18歳未満の子どもを持つ全世帯に「有子家族手当」が支給され、その上で全てのひとり親に「普通児童手当」が給付される。しかも、ほとんどの父親が養育費を支払っている。教育費は大学まで無料で、学生には「学生支援金」が支給される。  この対極にあるのがアメリカで、「全て自己責任」という考えだ。白人等の中流階層や富裕層は離婚時、裁判所で共同養育権を確認、養育費を取り決める。養育費を支払わないのは社会的非難を浴びる恥ずべきことであり、一方、養育費を払えない貧困層には、「貧困家庭一時扶助」という手当が支給される。州や家族数により異なるが、おおよそ、3人家族で月4万円ほどで、併用される「栄養補給支援」制度と合わせて月20万円程度になる。杉本氏は言う。 「アメリカでも奨学金はありますが、社会人入試が当たり前。子どもがお金をつくってから、大学へ行くというシステムができています」  しかもアメリカは給付型奨学金が整っており、受給率も48%ほどなのに対し、OECD加盟国のなかで日本の国による給付型奨学金制度整備は遅い。そもそも、北欧諸国やフランス、ドイツなどヨーロッパ諸国では教育費は大学まで無料となっている国が多い。  ここで浮上するのが養育費だ。日本の離別母子世帯で養育費を受けているのはわずか20%だ。日本の制度に実効性は乏しく、父親は払わなくても社会的制裁を受けることはない。国による「養育費取り立て制度」があるアメリカでは、養育費受給率は離婚母子で51%に上る。貧困女性では受給額が所得の43%に上り、その意義は大きい。  神原氏がシングルマザーの生きづらさを定量化して見えてきたのが、「絶望感と疲弊感と重圧感」だ。必死で子育てをし、貧困の連鎖を断とうと子どもが上級学校へ進学を果たした途端、親も子もとてつもない借金を背負い込む。日本のシングルマザーには、こんなロールモデルしかないのだろうか。 「これは全て本人の問題ではなく、施策の問題です。この20年間、女性の非正規の割合が40%から60%に急増しているのに、ひとり親の経済施策は何も変わっていない。子どもの貧困対策も、学習支援と子ども食堂など居場所づくりだけ。これで何が変わりますか?」  養育費取り立て制度、給付型奨学金、生活支援として機能する児童扶養手当……このうちの一つでもなされていれば潤子さんや真波さんの「今」は違ったものになっていた。シングルマザーもまた、子どもをケアする大事な存在であるという前提に立った社会的支援が、今こそ切実に望まれる。(ライター・黒川祥子) ※AERA 2018年2月19日号
AERA 2018/02/20 07:00
藤真利子「長生きしたらまったくもたない」 介護で感じたお金の不安
藤真利子「長生きしたらまったくもたない」 介護で感じたお金の不安
藤真利子(ふじ・まりこ)/1955年、東京都生まれ。聖心女子大学文学部歴史社会学科在学中の77年、ドラマ「文子とはつ」でデビュー。78年の「飢餓海峡」でゴールデンアロー賞最優秀新人賞などを受賞。出演作に映画「もどり川」「薄化粧」、舞台「アマデウス」「テンペスト」「テレーズ・ラカン」「リチャード三世」など。昨年、自身の母を11年間介護した経験をつづった『ママを殺した』を上梓。現在、NHK大河ドラマ「西郷どん」に大久保利通の母、大久保福役で出演中。(撮影/関口達朗、ヘア&メイク/Eita(Iris))  作家・林真理子さんとは長年のご友人の藤真利子さん。2016年11月、最愛のお母さまを亡くされましたが、実はそれまで11年もの間、介護生活を送っていたのです。その看病の様子は著書『ママを殺した』に描かれています。仕事との両立、お金の不安、在宅介護の難しさなど、赤裸々に語ってくれました。親を持つすべての人、必読です。 *  *  * 林:壮絶というか、よくここまで正直に書いたな、というのが私の感想です。もっとラクな方法、たとえばお母さんを施設にあずけて、女優さんとしてのお仕事をするという道もあったと思うんだけど、ここまで在宅でやるのかと思って、ショックを受けた人、多いと思いますよ。 藤:母と私って、ふつうの人とはちょっと違う生き方をしてきたと思うのね。二人三脚みたいに生きてきたから、母と離れていることがすごくつらかったの。だからあの本は介護の本じゃなくて、半分は私の半生、あと半分は介護なんですね。私は自分で本を書きたいと思ったわけではないんだけど、2016年の11月に母が亡くなって、たまたま葬儀の翌日にAbemaTVの「徹の部屋」という見城徹さん(幻冬舎社長)の番組に、林さんと私が出たのよね。 林:はい、一緒に出ました。 藤:そのときに母について私が話したら、それを見たTBSのプロデューサーから「爆報!THEフライデー」という番組に出てほしいと言われて。それで出たら、それがとっても視聴率がよかったみたいで、今の事務所の社長から「本を書きませんか」と言われたんです。母の半生は波瀾万丈で、頑張って生きてきたしるしを残したい気持ちはあったんだけど、まさか自分で書くとは夢にも思ってなくて、書けるとも思ってなくて、「えっ!」と思ったの。 林:ええ。 藤:林さんはいろんなところで私を応援してくださって、前の事務所をやめたときにも「相談したら?」って見城さんにも連絡してくださって。見城さんにもとてもよくしていただいているから、本ならまず見城さんに相談しようと思って、「爆報!THEフライデー」のDVDを送って見ていただいたの。そしたら「赤字はイヤだ」と言われて……。 林:まあ、ずいぶんキツいことを言いますね。 藤:「オビは林真理子とユーミンだ」と、まずオビから始まったんです。 林:貴乃花親方もオビに書いてましたね。 藤:貴乃花親方からたまたま電話かかってきたときに、そうだ、と思って「光司君、ママと一緒に撮った写真、使ってもいいかな。今、本を書いてるんだ」と言ったら、「真利子さん、ベストセラーですね」とか言って、「オビ書かせてください」って向こうから言ってくれたの。 林:いい人じゃないですか。昔からおすし食べに連れてってあげたりしたんでしょう? 藤:そうよ。そして見城さんはいやいや担当の編集者を決めてくれて、私が10時間ぐらい話して、ライターさんがそれをまとめるというやり方でいったんは決まったの。でも私、「ちょっと待ったァ!」みたいな感じで、母と私とのいろんなこと、たとえば林さんにも言ってないし、昔からの友達にも言ってないし、私の彼にも話したことがないようなことを、知らないライターさんにしゃべれるかなと思ったの。 林:それはそうですよね。 藤:それで「やっぱり自分で書いてみます」と言ったの。編集者にはちょっとテストをされて、「だったら最初の『はじめに』を書いてください。それによって、この本をどんな本にしたいか、スタンスが決まる」って言われて。 林:プロの言葉ですね。 藤:それで「はじめに」を書いたんだけど、すごく短い文章だったので、これだけじゃ“審査”に通らないなと思って、第1章のあたまの、私が舞台に行っている最中に母が脳梗塞で倒れた日のことを書いて送ったの。そしたら「このまま書き進めてください」と言われて、ドラマのお仕事の合間に必死に書いたんです。私、何十枚かの原稿は書いたことあるけど、あれだけ長いものは書いたことがないでしょ。200字詰めの原稿用紙に手書きで書いたんだけど、「500枚」と言われて、最終的に504枚であげたんです。 林:本を書いたことがない人が、手書きで500枚って大変だと思う。 藤:林さんと同じで腱鞘炎みたいになって、始めたころは最後までもつかな、と思いました。でも、とりつかれたみたいになっちゃって、こっくりさんみたいに手がどんどん動いちゃうのよ。 林:私、だからパソコン使わないの。パソコンだとこっくりさんが来ないけど、手書きだと来るんです。いいことおっしゃる。 藤:そして1年後の母の命日(昨年11月7日)に発行できたんです。見城さんには「赤裸々に書け」と言われてたから、そのためには小さいときのこともちゃんと調べなきゃいけなくて、父(作家の故・藤原審爾さん)のお弟子さんとか、母の親戚に聞きに行ったり、私が中学生のころから母が倒れる年までの手帳があったので、それを見たり、あとはパスポートとか、(雑誌の古い切り抜きを取り出して)林さんと初めて会ったときの記事とか、香港に行ったときの写真とか……。 林:あ、若い! 私たち、女学生のようじゃないですか(笑)。藤真利子さん、ほんとに美しい。 藤:母がファイルしてくれてたの。そして(大学ノートを何冊か取り出して)これが介護ノート。母が倒れて、病院からうちに連れて帰ったその日から亡くなる日までの介護ノート。これはその一部で、全部で65冊あるの。「食事」「飲水」「熱」「血圧」「脈」「尿」……。 林:(パラパラと見て)「便 150」って書いてあるけど、在宅で測ってるわけ? 藤:うん。医療処置で管で尿瓶に取るから、量が測れるの。 林:すごい。女優さんしながらよくやりますね。たとえば夜、お仕事の帰りにちょっと飲んだとき、「イヤだな、また帰ってママの面倒見るの」とか思わなかった? 藤:ぜんぜん思わなかった。というか、ヘルパー代が結構なものなんですよ。うちは11時から夜の7時までが基本なんだけど、私が仕事のときに早く来てもらったり、外で食事して帰りが遅くなったりすると、その分ヘルパー代がかかるじゃない。だから仕事のとき以外は、なるべく夜は外に出ないようにしていた。 林:観月ありささんの結婚式でバリ島に行ったら、火山が爆発して帰れなくなって大変だったんでしょう? 藤:そう、あれが顕著な例。母は脳梗塞の後遺症で右半身不随で、口がきけなくて、「あーあー」とか「うーうー」とか言うのを、私たちが読み取るわけよ。あのときは母の状態がよくて、手を振って「行け、行け」みたいなサインをしたのね。それと、ヘルパーさんたちも「行かせてあげよう」という空気になって、みんなが協力してくれたの。それでお言葉に甘えて行ったわけ。 林:何泊したの? 藤:3泊して、次の日の夜中の12時に乗って日本に帰る予定だったんだけど、帰りの飛行機に乗る寸前に「飛ばない」ってことになって、しかも、その前の爆発では1週間飛ばなかったという情報があったわけ。どうしようと思って、あちこちヘルパーさんに電話して土下座するというのも変だけど、土下座するようにお願いして、やっとのことで一日一日埋めていって、2日遅れぐらいで帰れたの。それはまあ大変なことだった。 林:一人っ子だし、ご親戚はいないんですか。 藤:いるんだけど、母の面倒をみるのは、慣れたヘルパーさんしか無理だったのよ。誰かいればいいってものじゃないのね。しゃべれないし、医療処置もあるから。 林:藤真利子さんは有名作家のお嬢さんで、聖心女子大を出て、すぐに売れっ子になり、何の不自由もなく暮らしてきたというイメージがあるので、こんな壮絶な介護をされていたと知って、びっくりしました。 藤:この話をすると、「そんな苦労をしてたようには見えなかった」って言われるんだけどね。あとは、お金の心配ですよ。介護の途中できちんと計算すると、この速度でこれだけのお金がなくなっていって、母が長生きしたらまったくもたないんですよ、うちの財政は。だからといって死んでほしいとは思わないし……。 林:うちの母のときもそう。母が94歳のときに、大手企業の部長をしていた弟が介護離職したの。母のこれからの人生は「プレミアム」だから自分が介護をすると言って。でも、まさか101歳まで生きると思わないから。弟にはかわいそうなことをしました。 藤:これは介護をしている人の宿命というか、お金と生きる年月とを照らし合わせるみたいな、それがすごくイヤなのよ。残酷。私の場合は、じゃあどうしようと思って、まずいちばんは自分が切り詰める。 林:でも、女優さんだから、流行のお洋服とかも必要だし。 藤:何の興味もなくなっちゃった。着物はたくさんあるけど、私、自分で半襟もつけられないのよ。倒れるまでは母が着せてくれてたんだけど、倒れてからは着付けの先生と、着物の髪ができる人に頼んだら、なかなかお金がかかるでしょ。そんな余裕もないの。自分のものから切り詰めていくしかない。でも、そんなに切り詰められるものじゃないの。毎月出ていくお金って確実にあるのよね。 林:お誘いだってあるわけでしょう? 「飲みに行こう」とか「食事に行こう」とか。 藤:お世話になった方にお誘いを受けるときは、まかせても大丈夫なヘルパーさんの日。林さんと会うときも、6時とかの早い時間に会って10時半か11時にうちに着くようにして、ヘルパーさんが終電に間に合うように、みたいな形でやってきたのよ。帰り際にタクシーを拾ってくれる人もいるんだけどね、お金がかかるからいちばん近い駅で降りて電車に乗って帰ってた。たとえば六本木で乗ると四谷で降りて電車に乗ったり。 林:そうなの? 知らなかった。 藤:最近は、女優をやっていても制作費がだいぶ少なくなって、たくさん出ても「えっ?」という収入だったりするしね。 林:華やかなスタジオから帰ってきて、その落差に愕然とすることはなかったですか。よく切り替えができるなと思う。 藤:朝、母の世話をしているときに、「きょう来る帝劇のお客さん、私が朝こんなことをしているなんて誰も思わないだろうな」と思ってた。私は世間的には内緒にしてたのね。そんな私的な事情でNGを出すなんて、プロっぽくなくてイヤだなと思ったので、スタッフには「一切伏せてください」ってお願いしてたの。もちろん仲のいい林さんとか見城さんとかユーミンとかには話をしてたけど。 林:施設に入れようとは一度も思わなかったんですか。 藤:入れようとしたの、最初は。だけど重度すぎて入れなかった。最後の最後に病院にお世話になったときに療養型病院を紹介されたんだけど、今度は、うちの母の程度はいちばん軽いの。脳梗塞の後遺症で動けないし、しゃべれないし、自分では何もできないのに、いちばん軽いって。 林:そうなの? 藤:私がいないあいだ、病院に2週間あずかってもらったとき、褥瘡(じょくそう・床ずれ)にされちゃったのよ。その褥瘡の処置だけのために療養型病院が受け入れてくれるって。そして「褥瘡が治ったら出ていってください」って。「出ていくって、どこに行ったらいいんですか」と聞いたら「紹介します」って言うの。そうやってたらい回しにされていくわけ。それが嫌で、家に連れて帰ったの。 (構成/本誌・直木詩帆) ※週刊朝日 2018年2月23日号
介護を考える
週刊朝日 2018/02/16 11:30
「スルーしろ」「自作のデスノートを」“アホへの対処法”がバカ売れ
「スルーしろ」「自作のデスノートを」“アホへの対処法”がバカ売れ
田村耕太郎(たむら・こうたろう)/1963年、鳥取市生まれ。シンガポール国立大学リー・クアンユー公共政策大学院兼任教授。元参議院議員。慶大大学院修了。新日本海新聞社編集局長、大阪日日新聞社社長などを歴任。著書に『アジア・シフトのすすめ』(PHPビジネス新書)など。(撮影/写真部・小山幸佑) 「アホ」の類例と対処戦術 その1 ストーカー型・工作員型(週刊朝日 2018年2月23日号より) 「アホ」の類例と対処戦術 その2 パワハラ型・キリギリス型(週刊朝日 2018年2月23日号より) “リベンジ”に“倍返し”。「やられたら、やりかえせ!」と高ぶる気持ちに、ちょっと待ったをかける本が昨年から爆売れしている。『頭に来てもアホとは戦うな!』(朝日新聞出版刊)だ。シンガポール在住の著者に「タイプ別アホへの対処法」を聞いてみた。 「パネルなどを置いて大展開してくださった書店さんを中心に、全国に広がりました。女性の読者も多い」  と書籍の担当編集女子。  著者の田村耕太郎さんは山一証券勤務などを経て2002年に参議院補選で当選。2期務めた後、現在はシンガポール国立大学兼任教授や経済シンクタンクのフェローを務めている。「3年も前の本なのに」と田村さんもベストセラー化にびっくり。一時帰国中のところ話を聞いた。 「“アホ”のインパクトでしょうか。だとすると相当にフラストレーションをため込んでいる人が多いということでしょうね」  政界にいた頃は足を引っ張り、いちゃもんをつけたがるアホたちに悩まされた。一度の人生こんなアホに煩わされるのは損と、愛読書の『孫子の兵法』をもとに敵兵(アホ)と戦わず、時間を有効に活用することを説いたのが本書だ。  論旨を一言でかいつまむと「アホと関わるのは時間の無駄。スルーしろ」「メンツよりも実利」となる。  スルーするのがいちばん。「アホ」への対処法に、うなずきつつも「しかし」と思う人も多いはずだ。アホは手ごわい。実践するとなると容易ではない。 「そうなんです。私もスルーできずに戦ってしまったがために何度も痛手を負ってきました。関わることで問題が解決に向かうどころか、ますますこじれてゆく。戦うことで大損する悔しい体験をしたからこそ、スルーすべきだと断言できるようになりました」  そこで、田村さんに顕著な「アホ」の類例と対処戦術をあげてもらった。  まずは、しつこく議論をふっかけてくる「ストーカー型のアホ」には「ごもっとも!」と褒め上げ、やはりスルーがいちばんという。 「まじめな人ほど、論争を挑まれると相手を論破しようとする。それはやめたほうがいい。何の解決にもならない。それどころか、言い負かされた相手は恨みを倍増させる。海外では話がかみ合わないと思ったら『ああ、こんな時間だ。もう帰らなきゃ』と時計を見てグッドバイ。あるいは『キミの意見は正しいと思うよ。コングラチュレーション』と笑顔で立ち去る」  これぞスルー力。背景には多様な文化の寄り合い所帯という認識が土台にある。 「出身国も違えば、信じる宗教も異なる。互いを理解できないのが当たり前だと思っている。“違い”を前提にすると、ムダな議論をしなくなります。例外は、組織の進路を決める重要会議。ここでは激論を交わします。でも、一文の得にもならない論争はしません」  しかし、どんなにスルーしても絡んでくるアホはどうしたらいいのか。「幽体離脱」を試みよという。 「なぜ、そうした行動を取るのか。心を落ち着けて、相手の気持ちを読む。大半は理不尽な言いがかりですが、客観的な視点に立つことでカッとしていた頭がクールダウンされます。いちばんやってはいけないのは、感情のまま反応すること。火に油を注ぐだけです」  嫌がらせに対する反撃で田村さんが勧めるのは、怒りを発散させる返信メールを書くこと。しかし、送らずに保存する。 「一晩寝たら、怒りが静まっていることが多い。気が晴れるということなら自作の『デスノート』に書いて保管するというのもいいでしょう。大事なのは、怒りのエネルギーをコントロールすることです」  それでもデマを流布されるなど対処を求められる事態には、まず情報収集を行う。関係者に「正確な情報」を伝え、相手を監督する立場にいる人物にも報告するのが有効だという。  田村さんが実例にあげたのは、インターナショナルスクールでの娘へのイジメだ。娘から話を聞いた田村さんは、その夜は一睡もできなかったという。調べてみると父母会の運営に関して、田村さんに対する保護者の感情のもつれがあったようだ。結果「情報の共有化」を選び、出来事を学校に報告するにとどめた。 「父母に、自立した考えの人が多いのが幸いしました。それはアンフェアだと以降のイジメも防げましたが、エスカレートせずにすんだのは、カッカしていたときに家内から『こんな本を書いているんだから』といさめられたおかげです」  パワハラ上司の「アホ」対処法も聞いた。ここは徹底的な聞き流し戦術だ。 「向こうではパワハラをしかけてくる上司がいたら我慢などせずに辞める。転職マーケットがあるからでしょうけど。どうしても辞められないのであれば、戦わずに聞き流す。口答えをすると逆上させるだけですから。大事なことはオプションを持つ。ここしかないと思うことが自分を追い詰めてしまう。いざとなったら辞めてやるというモビリティー(変動性)を持つことが、戦わないカギになる」  逆に、部下に悩まされている中間管理職も多い。田村さんの回答は明快だ。 「世代間ギャップもありますが、日本でも職場に外国人が増えてくるでしょう。若い世代や外国人に『言わなくてもわかるだろう』と多くを期待してはいけない。仕事の指示は数字で具体的に、目的は何かを教える。コモンセンス(共通認識)を若い世代や外国人に求めることが無理なように『違い』を前提にすればストレスもなくなりますよ」  田村さんがシンガポールに移住を決めたのは子供の教育を考えたのと、アホに煩わされず自分を生かせる場所を求めてのこと。海外生活で考え方も変わったという。たとえば「謝罪」に関して。 「タクシーが道を間違えたときに、向こうの運転手は『オー、ネバーマインド。狭いシンガポール、いつかつくよ』とノンビリしたもの。『こっちのセリフだろ!』とも思いますが、日本だと約束の時間に遅れかねないとハラハラ、イライラしますよね。でも、少々遅れたところで相手も気にしない。欧米人になると、さらに謝りません。同僚はミスしても『OK。レッツ・ムーブオン(次に行こうぜ)』ですから。お前が言うな!ですが、私もそれでいいと思えるようになりました」  もうひとつ、実感したのは「コモンセンスはない」だった。 「シンガポールにはいろんな宗教や国籍の人たちが寄り集まっている。だから“違いがある”のが当たり前。たとえば娘が通うインターナショナルスクールは1クラス20人に10以上の言語が飛びかう。共通の常識があまりないので日本人特有の“同調圧力”をかけるのは無理です。納得できないことには『なんで? 私は嫌だよ』と言い返すのは当然」  日本では見慣れた不祥事の「謝罪会見」に対しても違和感が強くなった。 「あれは、ミスを許さない日本社会ならではの儀式なんですよね。海外では“事態改善”“再発防止”が最優先。思ってもいない言葉や無理に作った表情で謝ることに時間とエネルギーを使う暇ないだろ!ですよね」  他人の足を引っ張ろうとするのは、それだけヒマをもてあましているからだという。 「競争が激しく物価が高いシンガポールでは皆生きるのに必死なのです。ヒマな時間があるなら一銭でも収入や資産を増やすことに使います。自分や家族のための時間も大切にする」  いい意味で自分中心の環境では、上司の顔色をうかがいながらの居残り残業も起こりえないという。 「うちの大学の秘書さんなんて、僕がどんなに忙しくしていようとも自分の仕事を片付けたら退社しますから(笑)。“意味なく”他人に関心を持つ日本とは違うのです。ただ、当初は正直、さみしく感じたこともありました」  しかし、いまや子供と食事をともにする時間が増えて、楽しい。さらに悩まされた「アホ」もまわりには皆無。戦わない毎日を満喫しているという。(朝山 実) ■4タイプの「アホの人」 【1】ストーカー型 いきなり「おまえは……」と絡んでくるアホ 「こちらが感情的に反応すると喝采する。ヒマをもてあましたこういう人たちはすべてスルーするのがいちばん。どう反応しようかと考える時間がそもそももったいない」 【2】工作員型 ウソやデマを流し、陰湿なイジメを企むアホ 「立腹しての反撃は禁物。陰で足を引っ張ろうとするこのタイプは嫉妬が動因の場合が多い。冷静に調査し、キーパーソンとなる人物に正確な情報を伝え、逆に孤立化させる」 【3】パワハラ型 権力をかさに理不尽なアホ 「部下の心をズタズタにする言葉を投げつけても無自覚な上司はどこの会社にもいます。しかし、永遠にその立場にいるとも限らない。従順なフリをして、聞き流すのがいちばん」 【4】キリギリス型 指示されたことしかしないアホ 「使えないと嘆くのは禁物。仕事の指図は目的とともに具体的であること。若い世代は外国人だと思えば『わかるだろう』といった期待値は下がり、ストレスもなくなる」 ※週刊朝日  2018年2月23日号
朝日新聞出版の本
週刊朝日 2018/02/15 07:00
いいことずくめのナイター滑走! 特徴的なナイターゲレンデ5選
いいことずくめのナイター滑走! 特徴的なナイターゲレンデ5選
以前は早朝から夜遅くまで、めいっぱい滑り込むスキーヤーも多かったですが、最近はナイターまで滑る人は激減。ほぼ貸し切り状態なんてこともざらにあるのが現状です。だからこそ、あえて言いたい! リフト待ちは皆無だし、雪でも降ってたらナイターパウダー独り占め。高速道路の渋滞を避けて帰ることもできるし、さらに、春でも締まったバーンで滑りやすい! そう、ナイター滑走はいいことずくめなんです。今回はそんなナイター滑走をさらに楽しくする、特徴的なナイターゲレンデを紹介します。雪が舞っている様も幻想的! 今宵はライトアップされたナイターゲレンデへ 業界最安値?! ナイターたったの500円! 「舞子スノーリゾート」といえば、ナイターだけの3つのお得「Maiko de Night」。ひとつめのお得は、なんといってもワンコインナイター。滑走料金が業界最安値の500円! しかも、1日券(1dayパス)でナイター滑走可能というのもうれしいポイントです。 ふたつめは平日限定の「GO!GO!仮眠パック」。1dayパス(通常4,700円)に仮眠室+スパ入浴(通常3,200円~)がセットになって5,500円という超破格プライス。20時までガッツリ滑走、温泉&仮眠室でしっかり疲れを癒やし、翌日に備えるなんてことも可能です。最後は、意外と開講しているところが少ないナイターレッスン。Maiko de Nightで、こそっと上達しちゃいましょう! 【舞子スノーリゾート】 ●ナイター営業 <期間>~3/17 <時間>16:00~20:00 <コース>パラダイス、キンダーなど5コース <料金>500円 ●所在地:新潟県南魚沼市舞子2056-108 ●スキー場の詳細はこちらナイターゲレンデは5コース完備の「舞子スノーリゾート」。1日券(1dayパス)でもナイター滑走可 光るアイテムで人気のナイターパーク 関越道 水上ICからたった3kmという抜群アクセスに、金・土・祝前日は24時までというロングナイター。学校終わりでも仕事終わりでも思い立ったらすぐ行ける、そんなお手軽ナイターを満喫できるのが「ノルン水上スキー場」です。 注目は光るレインボーボックスが特徴的な、ナイターでも滑走可能な「ENJOY PARK」。すべてのユーザーが楽しめる!をコンセプトにした、パーク初心者向けアイテムが多彩なスノーパークです。夜でも滑れるパークは希少価値あり。パークアイテムでコソ連したい! そんな人には絶対おすすめです。 【ノルン水上スキー場】 ●ナイター営業 <期間>~3/21 <時間>22:00 金・土・祝前日~24:00 <コース>Dコース、Eコース <料金>大人2,300円(金土祝前日2,700円) 子供1,700円(金土祝前日2,100円) ●所在地:群馬県利根郡みなかみ町寺間479-139 ●スキー場の詳細はこちら「ノルン水上スキー場」の代名詞ともいえる、光るレインボーボックス 朝4時まで滑り倒せるほぼオールナイター ほぼオールナイター! 金・土・祝前日はなんと朝4時までというバブル時代のようなナイター営業をしているのが「神立高原スキー場」。しかも池の平高速4人乗りリフトに乗って、プロキオンコースからポルックスコースを通せば、なんと2,000m超のロング滑走も可能なんです。 ナイター営業にあわせて、露天風呂もある「神の湯」は24時間営業。仮眠室もあり、2時間券(大人1,000円)から用意されているので、疲れたら気軽に休めるのもうれしい限り。リフト券に入浴+仮眠+朝食が付いた「神んパック」(大人6,500円・子供5,000円)もあるので、ぜひ活用してください。 【神立高原スキー場】 ●ナイター営業 <期間>~3/31の金・土・祝前日 ※春ナイター営業あり <時間>18:00~翌4:00 <コース>プロキオン、レグルス、ポルックス <料金>オールナイター券(18:00~翌4:00)大人3,700円、子供2,600円 ※ナイター券、ミッドナイター券あり ●所在地:新潟県南魚沼郡湯沢町神立4121-1 ●スキー場の詳細はこちらバブル時代を彷彿とさせる、朝4時までナイター営業の「神立高原スキー場」 たとえ滑れなくても楽しいナイター?! スキーやスノーボードをしない人でも楽しめるナイターで注目を集めるのが「軽井沢プリンスホテルスキー場」。「カルスキナイトツアー」(大人1,800円)なら、板を履かずにイースト高速リフトに乗って山頂までひとっ飛び。幻想的な星空や軽井沢の夜景を満喫することができると好評です。 さらに、イルミネーションボートに乗って夜のゲレンデを散策する「ナイトクールズ」(1名3,500円)、バギーを自ら運転して山頂を目指す「スノーバギー」(1台20,000円)も要チェック。夜のスキー場を縦横無尽に冒険できるので、家族で、カップルで、ぜひとも体験してほしいアクティビティです。 【軽井沢プリンスホテルスキー場】 ●ナイター営業 <期間>~3/4 ※定休日は毎週火・水・木 <時間>16:00~20:00 <コース>プリンスゲレンデ、くりの木コース <料金>大人1,800円、子供1,300円 ●所在地:長野県北佐久郡軽井沢町軽井沢 ●スキー場の詳細はこちら「軽井沢プリンスホテルスキー場」のナイトアクティビティ「スノーバギー」
tenki.jp 2018/02/15 00:00
小室さんにエール! 借金返済には「クラウドファンディング」がいい?
亀井洋志 亀井洋志
小室さんにエール! 借金返済には「クラウドファンディング」がいい?
マスコミの前では笑顔を絶やすことはないが……(c)朝日新聞社 “借金”返済に向けた仕事例(編集部調べ)(週刊朝日 2018年2月23日号より)  小室圭さんの母親が抱える“金銭トラブル”。ここはひとつ、圭さんが母親に代わってしっかりお返しされてはどうか。あなたがなりふり構わず働く姿を見せれば、きっと多くの人が共感してくれるだろう。  小室圭さんが現在勤める法律事務所での年収は公表されていないが、事務員の場合は200万~400万円前後のことが多い。給料だけで、騒動となっている400万円を返すのは大変かもしれない。 「パラリーガルの業務は、年収だけでは測れない高度な事務」と、ある弁護士は言う。 「法律や外国語などの特殊能力があり、弁護士が指示する事務をただこなすだけでなく、案件の検討、調査、法律文書の翻訳などもあり、当然忙しい。副業ができるかは疑問」と、その弁護士は語る。  とはいえ、質素な生活を心がけ、事務員をしながら夜間や週末にアルバイトはできる。副業を禁止している企業もあるが、業務に支障がなければ、就業時間外に働くのは原則自由だ。  経済評論家の森永卓郎さんは、小室さんがアルバイトをすることは世間的にみてもふさわしいことではないと見解を示しながらも、 「現在の仕事を続けながらであれば、時給の高い深夜のアルバイトが現実的です。警備員や深夜営業の飲食店スタッフ、コンビニ店員などでしょうか」と語る。  人手不足もあって都内のアルバイト時給は上がっている。深夜のコンビニや飲食店の店員などは時給1500円以上も。運転免許を持っていたら、配送員として活躍できるかもしれない。仮に休みなく毎日午後7時から午前1時ごろまで時給1500円程度のアルバイトに入れば、年間で300万円はたまりそうだ。  さらに掛け持ちが可能ならば、早朝の新聞配達もある。1日2時間程度の配達で2500~3千円前後の日当がある。毎日続ければ100万円近くは稼げる。  翻訳やデータ入力、ウェブ制作など、在宅でのクラウドソーシングもある。  世界の王室を見渡すと、インターネットを積極的に活用する動きがある。たとえば英王室は2010年からフェイスブックを始め、11年秋に国賓として来日したブータン国王もフェイスブックで活動を伝えている。インターネットに活路はないだろうか。最近ではYouTuberに注目が集まる。小室さんの知名度を考えれば人気が出そうだ。 「当たればもうかりますが、高収入は見込めないのでは」と森永さん。ただ、森永さんはインターネットの活用が最も現実的だとみる。 「どうしても働きたいのであれば、ネットでの転売がいいです。限定品を求めて列に並んで買って、ヤフオクやメルカリで転売するんです。1カ月に20万円程度は稼げると思います」(森永さん)  近年脚光を浴びる仮想通貨はどうか。都内の個人投資家は「やめておいたほうが賢明」という。「乱高下が当たり前で、あっさり数百万円稼げることもありますが、大損だってありえます。短期で手っ取り早くもうけようともくろむ人たちは、たいてい失敗します」  ウルトラCはこれだ。 「もっとも簡単な方法はクラウドファンディングですね。『僕たちに結婚のチャンスをください』と支援を募れば、1日で400万円は集まるでしょう」(森永さん)  小室さんといえば、節約本『月たった2万円のふたりごはん』(幻冬舎)を購入し、倹約のイメージがある。経済ジャーナリストの荻原博子さんが勧める節約術は効果がありそうだ。 「(小室さんは)自宅で暮らし、家賃もかからないし、たとえ年収が300万円ほどだとしても、まるまるお小遣いですよね。節約を実践すれば、1年で150万円から200万円くらい貯金できますよ」  たとえば食事。外食であれば、1日1千円の支出はあるだろう。20日が外食とすれば月2万円、1年間で24万円にもなる。「弁当を作ることで大幅に節約できます。また、缶コーヒーや飲料水を買うのも控え、水筒を持参しましょう」(荻原さん)  次に携帯電話。 「大手のキャリアのスマホから格安スマホに変えると、利用料金は2分の1から3分の1になります。大手だと料金がひと月6千~7千円はかかる。でも、楽天、ビックカメラ、イオンなどの格安スマホであれば、ひと月2千~3千円に収まり、年間で5万円近く切り詰められます」(同)  そして衣類。 「(小室さんの)イメージがあるから、洋服など身ぎれいにしておかないといけないのであれば、東京・下北沢にある古着屋がいいです。ほぼ新品の服が、古着として流通しています。スーツは、紳士服の大手のものであれば、2着1万円ほどで購入できます」(同)  前出の森永さんも節約について助言する。 「ふるさと納税を活用すれば、税の控除のほか、コメももらえますし、おかずはできるだけ安い食材を集めれば、月1万円で生活することは十分可能です。小室さんの年収はわかりませんが、これによって1年間で400万円に近い金額をためることが可能になります」  皇室ウォッチャーであるコラムニストの辛酸なめ子さんは、「2年間の猶予を前向きにとらえるとしたら、何とか手を尽くして小室さんに国際弁護士になっていただきたい。知人の弁護士からお聞きしたのですが、ニューヨーク州やカリフォルニア州は日本よりも司法試験がパスしやすいそうです。そうした方法もあるかもしれません」と語る。  辛酸さんはノルウェーのメッテ・マリット皇太子妃が結婚前、シングルマザーで麻薬に手を染めたことを例に挙げ、「涙ながらに『残念ながら過去は変えられません。しかし、未来は変えられます』と語り、当初あった国民の反感は薄らいだのです。小室さん親子もそのくらいのお気持ちでやるしかありません」とエールを送る。  皇室ジャーナリストの久能靖さんは解説する。 「眞子さまは民間人になったところで、皇室とのお付き合いは続くわけです。ご実家にも時々顔を出されるでしょうし、小室さんはご親戚になるわけだから、世間の目から見ると、それなりの品格を持ってほしいという思いがあるでしょう。それが今回のような騒ぎにつながっているとは思います。金銭トラブルを抱えたような人がふさわしいのかというのが、みなさんの正直な感想だと思います」  久能さんは婚約の内定会見に物足りなさを感じた。 「小室さんが将来どうしたいのかをお聞きしたかったが、それは語られなかった。2年後に一本立ちして、今より多くの収入を得るようになったら、考え方も変わってくるでしょう。そのころ彼がどうなっているかが大きいと思います」  Let it be(どうにかなるさ)、では国民も納得しないだろう。(本誌・大塚淳史、亀井洋志、多田敏男、秦 正理) ※週刊朝日  2018年2月23日号
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