ラリー遠田
女子アナに負けないMCになった島崎和歌子の密かな努力とは?
島崎和歌子(c)朝日新聞社
3月31日に放送された『オールスター感謝祭』(TBS系)が13.0%という高視聴率を記録した(関東地区、ビデオリサーチ調べ)。『世界一受けたい授業SP』『月曜から夜ふかしSP』(共に日本テレビ系)、『めちゃ×2イケてるッ!』(フジテレビ系)の最終回特番、『池上彰のニュースそうだったのか!! 2時間SP』(テレビ朝日系)、『ローカル路線バス乗り継ぎの旅Z』(テレビ東京)などの強力な裏番組がひしめく中で、27年の歴史を誇る老舗番組が意地を見せた形となった。
いまやTBSを代表する番組となった『オールスター感謝祭』の人気を支えているのが、MCを務める島崎和歌子である。彼女は1991年に番組が始まったときに島田紳助と共にMCを担当していた。紳助の引退後、そのポジションは今田耕司に代替わりしたが、隣にいた島崎だけはそのままMCのポジションを維持している。これほどの大型番組のMCを長年にわたってアナウンサー以外の女性タレントが務めているのは異例のことだ。その裏には知られざる彼女の努力があった。
島崎は1989年にアイドルとして芸能界デビューした。アイドルらしからぬ飾らない気さくな性格が面白がられて、バラエティ番組で早くから頭角を現した。その才能を島田紳助に見込まれて、『オールスター感謝祭』のMCに抜擢された。このとき、彼女はまだ18歳だった。
芸人MCの隣でサブMCを務めるというのは、本来ならば女子アナが務めなくてはいけないような重要な役回りだ。スムーズに進行をするためには、高知県出身の島崎はなまりを抑えて、標準語によるしゃべりをマスターしなくてはいけなかった。歌手デビューするために歌のレッスンやボイストレーニングも経験していたが、司会業のための方言矯正トレーニングこそが最も大変だった、と本人は振り返っている。
努力の甲斐あって、島崎は『オールスター感謝祭』のMCを立派に務めた。生放送の番組を進めていくためには、多少の強引さも必要になる。もともと物怖じしない性格の彼女はそういう要素を持ち合わせていた。
芸能人とは概してマイペースで、身勝手で、他人の言うことを聞かないものだという。クイズの解答用のタッチパネルは水に弱いので、解答席に飲み物を持ち込むことは固く禁じられているのだが、それでも大御所俳優などが平気で飲み物を持ってきたりする。生放送なので予定通り進まないことも多い。機材のトラブルも頻繁にある。そんな中で、島崎は持ち前の度胸で見事に司会をやり遂げた。見た目が良く、声が聴き取りやすく、キャラクターは明るくて豪快。島崎は女性司会者に必要な条件を高いレベルで満たす逸材だった。
島崎がデビューした時期は「アイドル冬の時代」と言われていた。松田聖子や中森明菜などが圧倒的な人気を博し、おニャン子クラブがそれとは対極の素人っぽさを売りにしてブームを作っていた時代が終わり、歌番組も次々に終了して、正統派のアイドルが活躍できる場所がどんどん少なくなっていた。
そんな時代に新たな存在として脚光を浴びたのが「バラドル」だった。「バラエティ番組に出て、面白おかしいことをやってみせるアイドル」というのが新たに台頭してきたのだ。森口博子、井森美幸、山瀬まみ、松本明子などがその代表格である。少し遅れてデビューした島崎もこの流れに続いた。そして、島崎は単にバラエティ番組に出るだけではなく、努力の末に「司会ができる」という能力も身につけて、唯一無二の存在となったのだ。
彼女はそんな自分の性格を「適当、大ざっぱ、せっかち、飽きっぽい」と評している。適当だからこそ、細かいことは気にしないで新しい仕事に取り組める。また、飽きっぽい性格だからこそ、毎日現場にいる人が変わり、企画の内容も変わるバラエティ番組の仕事が向いているのだろう。
島崎がデビューしたのはちょうど平成元年。平成が終わりを迎えようとしている今も彼女がバラエティの最前線で活躍しているのは驚異的なことだ。島崎の芸能人生は、平成バラエティの歴史そのものでもあるのだ。(ラリー遠田)
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2018/04/07 11:30