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第6回 「あなたに会えてよかった」の「あなた」は誰か
第6回 「あなたに会えてよかった」の「あなた」は誰か
■最初は作詞を嫌がっていた  1991年、小泉今日子は「あなたに会えてよかった」をリリースしました。この曲はミリオンセラーとなり、彼女のシングル盤の売り上げ記録を更新します。みずから手がけた歌詞は、日本レコード大賞作詩賞に輝きました。  自分で歌詞を書くアイドルは、そのころ珍しくありませんでした。そのなかで、メジャーな作詞賞を受けたのは、小泉今日子ただ一人です。  よく知られているとおり、小泉今日子は2006年から、読売新聞の書評委員をつとめています。作詞で賞を獲り、大新聞に定期的に寄稿する。「作家」としてこれほど実績のある「アイドル出身者」は稀です。  小泉今日子は、もともとは「書いたものを公表すること」に積極的でなかったようです。彼女が最初に歌詞を書いたのは、1985年に発売されたアルバム「Flapper」に収められた「Someday」でした。レコーディングを担当していた田村充義が、このときの事情を回想しています。 <作詞も「せっかくだから小泉さん書いてみない?」って振ってみたら不承、不承(笑)「こんなので」って書いて渡してくれて。(中略)あまり自分でやる気はなかったようですが、僕は当時、彼女を見ていて、話が上手い人だと思ったんです。TBSの『ザ・ベストテン』で彼女が紹介した本がベストセラーになったということがあったり、この本やこのドラマのここが面白かったという説明をすごく的確に言う人なので、「歌詞書けるんじゃないかな?」って思って>(注1)  ピアノを弾くときには、できれば他人に聴いてもらいたいと願い、文章を書いたら、なるべく広く読まれたいと望む――これが「自然な心の働き」です。自分に恵まれた表現能力は、可能な限り使いたくなるのが「道理」のはずです。小泉今日子は、傑出した「言葉をあやつる力」を持ちながら、そこに背をむけていました。  彼女と9年間結婚していた永瀬正敏は、「あの人はああ見えてすごくシャイな人」と言っています(注2)。小泉今日子当人は、自分の特徴についてこう語っています。 <……世間のみなさんは、私はトンがったことを発信するアイドルだと思っただろうし、実際そう見えていたと思います。でも、本当の私はそういうことを自発的に発信するタイプではないんです。子どものころから内向的で、家にいるのが好きなタイプ。部屋で一人で本を読んだりレコードを聴いたりマンガを読んだり。(中略)私に何か才能があるとすれば、人が提案したものを吸収して「自分らしい形」にすることなんです>(注3)  詞を書くことは、一般的に考えるなら「人が提案したものを吸収して『自分らしい形』にすること」ではありません。それよりずっとストレートな「自己表現」です。このことと、小泉今日子が作詞に及び腰だった理由はおそらく関連しています。「あからさまに自分の世界を語ること」は、彼女にとって抵抗があったのです。 ■「文学系アイドル」がいた時代  多くの80年代の女性アイドルは、「歌と演技だけの人間と思われたくない」という願望をギラギラさせていました(詳しくは「もしも「なんてったってアイドル」を松田聖子が歌っていたら(上)」(dot.<ドット>朝日新聞出版 参照)。彼女たちは、文才や教養を誇示して「ただの芸能人」でないことを印象づけようと試みました。演技や歌といった「芸能人としてのスペック」に収まらない「特別な私」――それを証明しようと必死になっていたのです。  小泉今日子の「夜明けのMEW」(1986年リリース)のアレンジを担当した武部聡志は、こんなことを言っています。 <(「夜明けのMEW」は)秋元康さんの詞だし、(斉藤)由貴ちゃんや薬師丸(ひろ子)さんみたいな「文学系アイドル」ではないから、ドラムやシンセの音色もちょっと派手めに作ってありますね>(注4) 「文学系アイドル」という表現に、この時代の「『特別な私』を見せつけたがる芸能人」のありようが集約されています。  斉藤由貴は1985年、男性向けアイドル雑誌で「ルキノ・ヴィスコンティの映画と三島由紀夫の小説が好き」と語りました(注5)。今から見ると場違いな「教養自慢」に映りますが、この時代にはこうした言動が受けいれられていました。ポエムや小説をあつめた単行本も、彼女は何冊か上梓しています。パーソナリティをつとめていたラジオ番組にも、自作ポエムを朗読するコーナーがありました。  薬師丸ひろ子は、スケジュールの合間を縫って受験勉強に励み、1983年に玉川大学に入学しました。当時は18歳人口が多く、志願者全員が入学できる「Fランク大学」は存在しません。芸能人が4年制大学に進学することは、それだけで「快挙」でした。  1年間留年したものの、薬師丸ひろ子は大学を卒業し、ハードな芸能活動と勉学を両立させています。この実績によって、「高卒がほとんどの、ふつうのアイドルとは格が違うイメージ」を彼女は獲得しました。  こうした「文学系アイドルの時代」を象徴するメディアが、「月刊カドカワ」です。1998年に終刊したこの雑誌は、「総合文芸誌」の看板を掲げていました。にもかかわらず、特集ページでは歌手を取りあげ、小泉今日子も二度フィーチャーされています。このうち、1990年2月号の特集には、ロング・インタビューや「読書日記」、当人自身による全アルバム解説などが載っています。  このときの「読書日記」の前文に、小泉今日子が「芸能界一の読書家」であるというフレーズがあります。編集部には、彼女の「教養」をアピールする意図があったのでしょう。しかし、小泉今日子がここで触れている書物は、ジュニア向けファンタジーや少女漫画が中心です。文芸雑誌の読者が、「こんなハイブロウな本も読むんだ。すごい!」と感心するラインナップではありません。  この号の目次には、五木寛之、林真理子、山田詠美、村上龍といった、現在でも人気のある作家の名前が見えます。その傍らに、斉藤由貴、尾崎豊、黒木瞳、鈴木保奈美といった芸能人の創作が並んでいます。小泉今日子が二度目に特集された1993年2月号にも、斉藤由貴、渡辺満里奈、荻野目洋子、三上博史などが寄稿しています。    武部の言葉にもあるとおり、「月刊カドカワ」でポエムや小説を書いていたタレントと、小泉今日子は「別のタイプ」と見られていました。「読書日記」からも、彼女が「文学系アイドル」と一線を画していたことは伝わってきます。  この「文学系ではない」という点では、80年代アイドルの二大巨頭だった松田聖子と中森明菜も同じです。  ただし、松田聖子は華麗な男性遍歴で知られています。子どもの頃から憧れだったという郷ひろみをはじめ、映画で共演した神田正輝、年下の外国人、歯科医師――彼女のお相手は、女性が「こんな人と恋愛をしてみたい」と願うタイプの総カタログです。そのことが「女の子が欲しがるものはすべて手に入れるイメージ」を生み、同性の共感を呼ぶポイントになっています。  中森明菜は、1989年、交際相手だった近藤真彦の自宅で自殺未遂をしました。以後、恋愛や事務所の移籍をめぐってトラブルがつづき、精神的な不調を伝えられるようになります。このことは、多くの男性の「自分が応援してあげないと」という気持ちをかき立て、新しいファンの獲得につながりました。  松田聖子も中森明菜も、「歌手としてのキャラクター」と「どういう恋愛をしているか」を分けて語ることはできません。「芸能人としてのスペック」に還元されない「ドラマチックな私生活」が、彼女たちのカリスマを支えています。  アイドル時代の小泉今日子にも、恋愛の噂は当然ありました。何回かは、写真週刊誌の標的にもされています。しかし、そうした恋愛騒動によって、彼女の歌う曲や演じる役柄は左右されませんでした。交際相手が、小泉今日子の「芸能人としてのイメージ」に影響したのは、中年に達してからです。40歳になった2006年、20歳若い亀梨和也とつきあっていることが報じられました。その結果、「美しく齢を重ねている人」として、いっそう広く認められるようになりました。 ■「マウンティング」しないから「アンチ」が少ない 「文学系アイドル」は、教養や文才を誇示することで、「芸能人としてのスペック」に収まらない「私」をアピールします。松田聖子や中森明菜も、仕事を離れた「私」の姿でファンを引きつけました。  アイドル時代の小泉今日子は対照的です。歌詞を書いて「自己表現」することには及び腰、教養自慢もせず、恋愛騒ぎも仕事に反映させない――芸能活動を離れた「私」が表に出ることを、避けていたようにも映ります。    先に触れた「月刊カドカワ」1990年10月号の小泉今日子特集に、精神科医の香山リカは書いています。 <記号で表現される――つまり、メディアを通して私たちの目に触れる――キョンキョンは、偉大な精神分析家といわれるJ・ラカンの説を待つまでもなく、“記号内容の上を絶えず横すべりしている”。  キョンキョンの歌、CM、衣装、スキャンダル。  それらは凝視されればされるほど別の記号にするっと逃げ込もうとするばかりで、その記号が意味しようとするキョンキョンを読み取ることなんてできた試しはない。 (中略)ウルトラマリンの深い淵に沈むキョンキョンの真実は、あくまで縁からそっとのぞくことしか許してくれないみたい>(注6)  小泉今日子が、きわだって「『私』を見せないタイプ」と思われていたことがわかります。 最初は◯◯することは恥ずかしかったけど、やっていくうちにそうではなくなった――彼女のインタビューを見ると、この種の言いまわしがたびたび現れます。 <この年(1985年)のツアー「Kyon2 panic85」が始まるまで、ステージに立ちたくないとか家に帰りたいって思ったりしてたんだけど、これからそういうことがなくなった気がする>(注7) <歌詞を小泉今日子で書き始めたのもこれ(1987年のアルバム「Phantasien」)が最初(それまでは「美夏夜」というペンネームを使っていた)。なれてきて、恥ずかしくなくなってきて>(注8) <長い時間があったから、少しずつ恥ずかしくないことも増えているという感覚があるのね。(中略)文章を書くこともずっと恥ずかしかったけど、たとえば書評委員会も二年で辞めていたら、やっぱり中途半端で恥ずかしいまま終わっていた気がする>(注9)  彼女は、人前に心身を投げ出す必要にせまられると、まず「恥ずかしい」と感じるようです。「シャイ」で「私」を見せたがらない人間として、きわめて自然な反応といえます。   そうした「恥ずかしい」ことから逃げ出さず、「私」をさらすのとは別のアプローチで取り組もうとするのが、小泉今日子の流儀に見えます。他人から吸収したものを「自分らしい」形にして発信する――この「得意技」で勝負できる道を探すわけです。ライヴも作詞も書評も「恥ずかしくなくなった」のは、おそらくそれに成功したからです。  小泉今日子が手がけた歌詞を見ると、「自分以外の何か」の「尊さ」や「儚さ」が簡素な言葉で綴られているものが目につきます(彼女が愛読している大島弓子の漫画を思わせます)。女性歌手の自作歌詞は、「あなたをこんなに愛してる『私』」を声高に主張するものになりがちです。そういう類いの作品と、小泉今日子が描く世界は異なります。  彼女の著す書評にも、難解な用語や奇をてらった論法は現れません。誰にでも書けそうに見える平易な語り口で、対象としている本のすばらしさを読者の心に沁みこませます。  作詞でも書評でも、「私」をさらすのとは違うやり方で、小泉今日子は成果をあげています。「シャイ」な自分を変えることなく、体も言葉も公共の場に露出させる――そんな矛盾する営みを、30年間、彼女は続けてきました。  したがって小泉今日子は、「マウンティング=『私の方が上なのよ』アピール」とは無縁です(「マウンティング」イコール「私」自慢なわけですから当然です)。  男性にくらべ、女性が複雑なやり方で「マウンティング」しあうことは、しばしば話題になります(注10)。男性の「偉さ」を決める要因は、年収や職業など、いくつかに限られます。これに対し、女性同士の「どっちが上」を決める尺度はさまざまです。40歳で「独身・子どもなし・年収1000万円」と「専業主婦・子ども一人・夫の年収500万円」――両方に「私の方がエライ」と主張する言い分があります。  ほとんどの女性が込みいった「マウンティング」合戦に巻きこまれ、疲弊しているようです。このため、自分から「マウンティング」をしないタイプの女子は、同性から全方位的に好かれると、様々な文献で指摘されています。  小泉今日子は昔から、女性の「アンチ」がほとんどいませんでした。松田聖子や中森明菜とくらべても、この点は際立っています。  芸能人が書評のような「文化系活動」に乗り出すと、「無知なくせに見栄を張って」と批判を浴びせられたりします。そういう声も、小泉今日子に限っては聞こえてきません。 「私」をさらすことが苦手だから「マウンティング」しない――この性質が、小泉今日子の「敵の少なさ」の大きな理由だといえます。 「文学系アイドル」は、文才や教養を示すことで「マウンティング」しようとしていた人たちです。彼女たちがスキャンダルを起こしたときに、同性が向けた目には厳しいものがありました。このことも、小泉今日子の「嫌われない理由」を、反対側から物語っています。 ■バブルへの哀悼歌  バブルに浮かれていた世相に対し、小泉今日子が冷静なスタンスをたもっていたことを、以前述べました(「バブル時代の小泉今日子は過剰に異常だったのか」dot.<ドット>朝日新聞出版参照)。加えて、現在でも語り草になるような「弾けた活動」を彼女がしていたのは、1985年と1986年のほぼ2年間です(「何てったってアイドル」のリリースが1985年、「人拓」で話題を集めた写真集『小泉記念艦』の発売が1986年)。1987年からは、みずからアルバムのプロデュースを始めるなど、「大人の歌手」への路線変更が始まります。  バブル景気は1990年から終息に向かい、1991年に潰えました。小泉今日子は、周囲がまだ好況に踊っていた段階で、「次」へのステップを踏み出していたことになります。  彼女は昨年、テレビのトーク番組で「バブルの頃は、いくらでもCMの話が来た。毎日CM撮ってた。それが私のバブル」と語っています(注11)。  自分は時流に身をまかせていなくとも、異様な熱気がバブル期に立ちこめていたことは、彼女も肌で感じたはずです。そんな「狂乱の季節」が幕を降ろそうとするころに、「あなたに会えてよかった」の歌詞は書かれました。「作家」としての小泉今日子は、「失われゆくもの」に人一倍敏感なのが特徴です(『原宿百景』という「死んでしまった知人の思い出話」ばかりが並ぶエッセイ本も出しています)。一つの時代が去りつつあることへの感慨が、この曲の歌詞を綴る彼女の胸中にあったのではないかと、私は想像しています。 「あなたに会えてよかった」の「あなた」は、小泉今日子が当時つきあっていた恋人のことだ、という噂も耳にします。あそこで語りかけられている「あなた」に特定のモデルがいた可能性は、たしかに否定できません。  ただし、あの歌が個人的な思いだけを表したものだったら、あそこまでヒットしなかったように思えます。  私個人は、バブルの恩恵にはほとんど浴していません。それでも、無限に日本が豊かになっていけると、誰もが本気で信じていた様子は印象に残っています。そんな、夢のような時代に別れを告げる歌として、「あなたに会えてよかった」は人びとの心をとらえたのではないでしょうか。  流行に棹さしていた「文学系アイドル」たちは、1991年の段階では方向転換していません。特定の状況に深く加担してしまうと、そこを離れるのはどうしても難しくなります。トレンドを一歩引いて眺めていた小泉今日子だからこそ、「バブルへの哀悼歌」をいち早く書くことができたのです。 ※助川幸逸郎氏の連載「小泉今日子になる方法」をまとめた『小泉今日子はなぜいつも旬なのか』(朝日新書)が発売されました 注1 田村充義インタビュー(『80年代アイドルカルチャーガイド』洋泉社 2013) 注2 永瀬正敏ロング・インタビュー(『アクターズ・ファイル永瀬正敏』キネマ旬報社 2014) 注3 小泉今日子インタビュー(川勝正幸『ポップ中毒者の手記(約10年分)』河出文庫 2013) 注4 武部聡志インタビュー(『80年代アイドルカルチャーガイド』洋泉社 2013) 注5 巻頭大特集・斉藤由貴(『BOM』1985年9月号 学習研究社) 注6 香山リカ「キョンキョンのポワン・ド・キャピトン」(『月刊カドカワ』1990年10月号 角川書店) 注7 小泉今日子「本人自身によるヒストリー&全アルバム解説」(『月刊カドカワ』1990年10月号 角川書店) 注8 注7に同じ 注9 小泉今日子「独りであることの美しさ」(『Swich』2008年8月号 スイッチ・パブリッシング) 注10 瀧波ユカリ・犬山紙子『女は笑顔で殴りあう・マウンティング女子の実態』(筑摩書房 2014) 注11 『ボクらの時代』2014年6月1日放送
2015/02/25 11:30
ゆるキャラ界最高齢98歳“パチ公”女子高生の祭典で大活躍
ゆるキャラ界最高齢98歳“パチ公”女子高生の祭典で大活躍
ゆるキャラ界最高齢98歳“パチ公”女子高生の祭典で大活躍  【1万人街コン】や【すごい豆まき2015】など話題のイベントに登場し、知名度を上げているゆるキャラ“パチ公”。2月22日 山野ホールにて開催された女子高生の祭典【渋谷青春祭】に出演した。  ゆるキャラ界最高齢98歳のパチ公は、電動アシスト自転車YAMAHA PASの試乗ブースで女子高生と記念撮影。本編では、お笑い芸人のパンサーやバンビーノ、現役女子高生シンガー 井上苑子、ボーイズユニットのKaleido Knight等も登場し、バンビーノと1500人の女子高生で行った「1500人でダンソン!」では会場が1つになった。なお、YAMAHA PASは、スタイリッシュで若者にも似合う電動アシスト自転車で、今回パチ公を起用する事で若年層に向けての情報発信に更に力を入れていく。 ◎パチ公コメント 「女子高生が作り上げたイベントで、場内も若い子だらけだったパチ ご主人様は見つからなかったけど、みんなと一緒に盛り上がれて嬉しかったパチ!」
billboardnews 2015/02/24 00:00
小島慶子さん アナウンサーになったのは「おやじウケ」狙い?
小島慶子さん アナウンサーになったのは「おやじウケ」狙い?
Amazonで購入 現代の肖像 小島慶子 eAERA [Kindle版]  一家の“大黒柱”となったとまどいや家族に対する思いを語ったエッセーが、多くの人の共感を得ている小島慶子さん。林真理子さんとの対談でアナウンサーになった理由を語った。 *  *  * 林:小島さんの性格だったら、アナウンサーではなくドラマやドキュメンタリーをつくるディレクターを目指してもよかったんじゃない? 小島:ドキュメンタリーをつくる人になりたかったんです。「NHK特集」をつくる人になろうと思って、高1のときに調べたら「難しいぞ」と思ったんです。 林:どうして難しいの? 小島:男の人と肩を並べて入局しても、ごく一部の人しか「NHK特集」には携われないし、NHKにはいろんな子会社があるって書いてあって。そんなの女の私にできるわけがない、女の私でもこの世界に入れそうなのはアナウンサーだと思ったんです。15、16歳のときに。 林:「私、けっこうイケてる」という自信はあったんですか。 小島:高校2年生のときに修学旅行の集合写真を見たら、「私、意外と整ってる? イケるんじゃない?」ということを発見しまして(笑)。同級生マーケットじゃないところでウケるんじゃないかと……。 林:男ウケ? 小島:おじさんウケ(笑)。それまで自分の容姿が現代的じゃないのがイヤだったんですけど、ちょっとやぼったいぐらいの価値観の中だったら、美人として扱ってもらえるんじゃないか、秘書とか女子アナだったらいけるんじゃないかと思ったんです。 林:就職活動のとき、フジテレビは受けたんですか。 小島:もちろん受けましたよォー(笑)。カメラテストで落ちました。 林:フジテレビ的じゃないですよね(笑)。女子アナって次々とフリーになっていくけれど、限られたパイを分け合うって大変なことですよね。 小島:大変だと思います。私は局アナとしてパイの争いに完全にあぶれたので……。 林:自分で違うパイを焼くしかなかった? 小島:永遠に勝てないであろう土俵をおりて、誰もいない土俵に行って独り相撲をとっていたら、それが話題になったという感じなんです。退社するときは、「アナウンサー廃業だ」と思って、「フリーアナウンサー」じゃなくて「ラジオパーソナリティー」を名乗ったんです。あんなに競争率の高いきらびやかな世界で生き残るのは大変だなと思って。 林:小島さんみたいな生き方、みんなうらやましいんじゃないかな。カッコいいですよ。 小島:ありがとうございます。ただ結果としていま楽しくお仕事をさせていただいてますが、人生をやり直せるとして、あの屈折した20代と、そうでない20代のどっちを選ぶかと言われたら、屈折してないほうを選びます。しんどかったですね。 ※週刊朝日 2015年2月27日号より抜粋
週刊朝日 2015/02/23 11:30
東京女子医大 麻酔薬投与事故調「はなはだ無責任」と激怒
東京女子医大 麻酔薬投与事故調「はなはだ無責任」と激怒
「看護師らの供述と矛盾する内容の供述を強弁」 「弁解の余地のない、はなはだ無責任な言動」  医師らに対する怒りに満ちたこの言葉は、東京女子医科大学病院(東京都新宿区)に提出された医療事故調査報告書に記されていた。  異例ともいえるこの文書は、昨年2月に同病院のずさんな医療で2歳の男児が亡くなったことを受け、第三者による事故調査委員会がまとめたものだ。  男児は同病院で手術を受け、ICU(集中治療室)での人工呼吸中に麻酔薬「プロポフォール」を大量投与されて死亡。そもそもこの薬は、人工呼吸中の鎮静で小児に使用することが禁止されている劇薬だった。  事故調はなぜ、医師に激しい批判を浴びせたのか。遺族の代理人である貞友義典弁護士は言う。 「大量投与は、どの医師の指示で、どの医師がいつ投与したのか。それが今でもわかっていません。ICUの医師たちが医療行為の内容についても『記憶がない』などと、証言を拒否しているためです」  大量投与があったのは、昨年2月19日午後8時から翌20日の午前10時。この間、成人の限界使用量の3倍以上の薬が投与されていた。病院の説明では、この時間帯を担当していたのは医師歴わずか5年の研修医だった。ところが、薬の投与量を記入する「注射指示書」には、この時間帯だけ、どの医師の署名もない。男児の両親は、「研修医の判断で、投与量を大幅に増やすことができるとは思えない」と不審感を抱いている。  ICU担当医の証言も二転三転している。  責任者のA医師は当初、プロポフォールを使用した理由について「適応の拡大を検討していた」と遺族に説明し、別の医師らから批判されていた。昨年4月の説明会でも、プロポフォールに使用制限があることは知っていて、24時間で他の薬に切り替えるよう指示していたとの話をしていた。 「ところが、A医師は昨年11月に事故調に提出した文書では、遺族への説明をすべて撤回。それが今年1月には、『私の意に反する不適切な内容』と言って11月の文書を再び撤回しました。A医師に一度は意に反する撤回をさせたのは誰か。誰かを守ろうとしていた可能性もある」(貞友弁護士)  本誌は病院に説明を求めたが「回答は控えさせていただきます」と答えた。  真相が闇に葬り去られぬよう、遺族は司直の手に解明を委ねる予定だという。 (本誌取材班=上田耕司、小泉耕平、西岡千史、福田雄一、牧野めぐみ/今西憲之) ※週刊朝日 2015年2月27日号
週刊朝日 2015/02/18 11:30
モーニング娘。'15 自ら築き上げた高い壁を超えていく/何度でも高みを目指していく娘。の今“誰もが大ブレイクの可能性”
モーニング娘。'15 自ら築き上げた高い壁を超えていく/何度でも高みを目指していく娘。の今“誰もが大ブレイクの可能性”
モーニング娘。'15 自ら築き上げた高い壁を超えていく/何度でも高みを目指していく娘。の今“誰もが大ブレイクの可能性”  4月15日に新体制初のシングル『青春小僧が泣いている/夕暮れは雨上がり/イマココカラ』をリリースすることになったモーニング娘。'15。今作をもって道重さゆみ在籍時に劣らぬ活躍ぶりを見せることができるか、注目が集まっている。 <モーニング娘。'15はどれだけの存在感を発揮することができるか>  昨年11月26日 早くも伝説化されている【モーニング娘。'14 コンサートツアー秋 ~GIVE ME MORE LOVE~ 道重さゆみ卒業記念スペシャル】を開催(http://bit.ly/1tvFXVs)し、ひとつのゴールとスタートを飾った彼女たちだが、12期メンバー加入後のモーニング娘。'15は一体どうなるのか。音楽/アイドルシーン全体としてはもちろん、残り僅かな活動期間をひた走るBerryz工房、念願の横浜アリーナ公演を実現する℃-ute、絶賛ブレイク中のアンジュルム(旧スマイレージ)、嗣永桃子の加入はもちろん新メンバーも早々に大注目を集めているカントリー・ガールズ等、各位が勢いに乗るハロー!プロジェクトの中においてどれだけの存在感を発揮することができるか、期待と不安の入り混じった声がSNS上など目に入る範囲でも多数飛び交っていた。 <“モーニング娘。2度目の全盛期到来”に大きく貢献したスタイルは>  そんな中で発表された今回のニューシングル情報。新たな作家陣が台頭している2015年のハロプロシーンにおいて、3曲中2曲を変わらずつんく♂が作詞作曲する今作への注目度は高い。EDMを独自解釈したサウンドとフォーメーションダンスは“モーニング娘。2度目の全盛期到来”に大きく貢献したが、このスタイルは15でも更に追求/進化していくのか。アンジュルム「大器晩成」がつんく♂節を飲み込みながら生音で新機軸を打ち出した今、新たなスタイルで次なるセンセーションを巻き起こしていくのか。いずれにしてもこの一枚『青春小僧が泣いている/夕暮れは雨上がり/イマココカラ』がモーニング娘。'15の未来を握る意識はチーム全体にあるものだと思われ、公開と共に大きな話題になることは間違いないだろう。 <さらに新しくなったモーニング娘。'15を多くの皆さんに見ていただきたい>  そんな自らが築き上げた高い壁を前にどう立ち振る舞うのか。この試練をファン……だけでなく、ファン以外のユーザーも大いにドキドキワクワクしながら注目してほしいのだが、道重卒業後最大の勝負を目前にして新メンバーは気合いも自信も十分。野中美希(のなかみき/15歳/12期)は「さらに新しくなったモーニング娘。'15を多くの皆さんに見ていただきたい」と語り、尾形春水(おがたはるな/16歳/12期)は「フレッシュさを武器に一生懸命、大きくパフォーマンスいたしました」と胸を張り、羽賀朱音(はがあかね/12歳/12期)は「私の大好きな『プリキュアオールスターズ』の主題歌にもなっていてとてもうれしいです! 最年少の私ですが、がんばりたいと思います」と述べ、牧野真莉愛(まきのまりあ/14歳/12期)は「一番輝けるようにさらに努力したいです。今後も私に注目してください」とコメントしている。 <先輩方の築き上げた「モーニング娘。」の伝統を引き継ぎ>  そんな12期メンバーの為に“教育係”も復活し、担当の飯窪春菜(サブリーダー/10期)は「先輩方の築き上げた「モーニング娘。」の伝統を引き継ぎ、礼儀や挨拶など社会人として基本的なこともしっかり伝えていきたいと思っています」と漲っており、リーダーの譜久村聖(9期)も「道重さんが卒業した今、世代の近いメンバーで構成されているので12期メンバーに伝えること、教えることは私たちにとっても改めて学びなおすべきことなのかもしれません」とコメント。KYキャラで知られるもう一人のサブリーダー生田衣梨奈も「みんなで話し合いながら力を合わせて見守っていきたいと思います」と、先輩らしい言葉を残している。 <誰もがモーニング娘。'15をブレイクさせる可能性に溢れている>  また、モーニング娘。'14の若きエースとして活躍してきた負けず嫌い 鞘師里保(9期)、今流行りのぽっちゃりキャラを活かしてバラエティ番組への出演を増やした鈴木香音(9期)、ミュージカルで男役を演じてから熱狂的な女性ファンが急増している工藤遥(10期)、得意のダンス/ラップだけでなく大人びたその美貌でも人気を博す石田亜佑美(10期)、稀代の天然キャラクターだけでなく宅録女子であることも発覚した佐藤優樹(10期)、グループ最強の歌唱力を持つ歌姫 小田さくら(11期)と、誰もが大ブレイクの可能性に溢れている。  覚悟やパフォーマンススキルに加えこれだけの個性を擁する集団が一丸となったとき、道重さゆみ卒業記念公演で生み出した圧倒的な爆発力、ファンでない者も巻き込む事態を再び起こせるはずだ。その瞬間がシングル『青春小僧が泣いている/夕暮れは雨上がり/イマココカラ』になるのか、今春開催の【モーニング娘。'15コンサートツアー春 ~ GRADATION ~】になるのか。どんなに形を変えても、何度でも何度でも高みを目指していくモーニング娘。の物語。ぜひその動向に、ここからまた注目してもらいたい。 取材&テキスト:平賀哲雄 ◎シングル『青春小僧が泣いている/夕暮れは雨上がり/イマココカラ』 2015/04/15 RELEASE 初回生産限定盤A EPCE-7089~7090 1,728円(税込) 初回生産限定盤B EPCE-7091~7092 1,728円(税込) 初回生産限定盤C EPCE-7093~7094 1,728円(税込) 初回生産限定盤D EPCE-7095~7096 1,728円(税込) 通常盤A EPCE-7097 1,080円(税込) 通常盤B EPCE-7098 1,080円(税込) 収録曲: 「青春小僧が泣いている」作詞:つんく 作曲:つんく 編曲:江上浩太郎 「夕暮れは雨上がり」作詞:つんく 作曲:つんく 編曲:鈴木俊介 「イマココカラ」(『映画プリキュアオールスターズ 春のカーニバル♪』主題歌)作詞:青木久美子 作曲:高取ヒデアキ 編曲:大久保薫
billboardnews 2015/02/16 00:00
卓球「稼げるスポーツ」に 躍進の立役者は
卓球「稼げるスポーツ」に 躍進の立役者は
(※イメージ)  2014年末にタイで行われた、国際卓球連盟(ITTF)ワールドツアー年間王者を決めるグランドファイナル。ここで、6種目中4種目で日本選手が優勝するという「異常事態」が発生した。入賞者を含む19人の獲得賞金は4800万円を超え、女子シングルスで優勝賞金約1180万円を手にした石川佳純(21)はこうつぶやいた。 「こんなにもらったことない」  女子ダブルスを制した伊藤美誠(みま)と平野美宇の14歳ペアは、賞金が約500万円だと聞いて息をのんだ。2人が目を丸くして口をあんぐりと開けた写真は、多くのメディアに掲載された。  今大会は中国が不在だったとはいえ、あまりにも大きな前進。どちらかといえばマイナー競技のイメージがあった卓球がいま、「稼げるスポーツ」に変貌しつつある。  1月発表の世界ランキングでは、男子はエース水谷隼(25)の5位を筆頭にほとんどの選手が順位を上げ、100位以内に11人が名を連ねた。女子では、エース石川が4位と自身最高位を記録し、100位以内に17人がランクインしたうえ、そのうち中学生4人、高校生4人と若手が台頭。  躍進の立役者が、ITTF執行副会長でもある前原正浩・日本卓球協会専務理事(61)だ。卓球が初めて五輪種目になった1988年ソウル五輪から3大会、日本代表監督を務め、「勝てない時代をもがいてきた」。  どん底を味わったのが、代表監督最後の2001年世界選手権大阪大会。男子団体が史上最低タイの13位に終わり、その時に強化育成を担っていた数人が集まった席で聞いた、宮崎義仁さん(現2020ターゲットエイジ育成・強化プロジェクトコーディネーター)らの言葉がターニングポイントになった。 「小学生から(強化を)やらなければダメだ」  当時は各年代とも、国際大会の前に選手を集める程度の強化しかできていなかった。 「1秒間に150回転する球を自在に打ち返せる高度な感覚は、小さい時から養わなければ世界に追いつけない。何万回と打ってきた高校生の(クセのある)フォームを変えるのは難しい、と訴えました」(宮崎さん)  02年に小学生のナショナルチームを創設。日本代表を頂点とするピラミッド型の育成システムを目指した。当時、プロ化からちょうど10年を迎えていたサッカーを参考にした。 「例えば、五輪団体戦を戦う選手は3人かもしれないが、その3人が成長するには大勢のライバルが必要になる。裾野を厚くするのは良い指導者なんです」(前原さん) ※AERA 2015年2月9日号より抜粋
東京五輪
AERA 2015/02/14 16:00
名古屋大女子学生 秋葉原通り魔に「ゾクゾクする」
名古屋大女子学生 秋葉原通り魔に「ゾクゾクする」
 女性殺害事件で愛知県警に逮捕された名古屋大学理学部1年の女子学生A。  特徴的なのは、凶悪犯罪者への傾倒だ。中学時代の同級生が振り返る。 「Aはサバサバして男っぽく、女としてみられていなかった。中2の頃、ネットで10年前の佐世保事件の加害者少女の名前を知ったらしく、『○○(加害者の実名)はすごい』と話していた」  04年に長崎県佐世保市内の小学校で同級生の少女をカッターナイフで殺害する事件を起こした11歳(事件当時)の加害者の情報に夢中になっていたという。  中学1年の08年6月、東京・秋葉原で7人が死亡、10人が負傷する無差別殺傷事件が起きると、Aは激しく反応したという。 「事件翌日、学校で『あれ見た? すごいじゃん、あの加藤(智大被告)って』『あんな人に会ってみたい。ゾクゾクする』と、一人で興奮していた。中3になると、サリンがどうとか、薬品の話もするようになった。話しだすと突然スイッチが入って止まらなくなり、呼びかけても無反応。自分の世界に入り込んでいた」(小中学校時代の同級生)  中学時代に同級生だった女子も、こんな言動を目撃している。 「『今日はサカキバラの日』と言うので何かと思ったら、あの殺人やった人のこと(97年の神戸連続児童殺傷事件の犯人は酒鬼薔薇聖斗と名乗った)。高校時代に会った時は財布に酒鬼薔薇の写真を入れていて、『酒鬼薔薇と秋葉原事件の聖地巡礼に行きたい』と話していた」 (本誌取材班=今西憲之/小倉宏弥、牧野めぐみ、小泉耕平) ※週刊朝日 2015年2月13日号より抜粋
週刊朝日 2015/02/04 11:30
リウマチ専門医「今後の課題は治療費軽減」
リウマチ専門医「今後の課題は治療費軽減」
 炎症の原因とされる物質に作用する生物学的抗リウマチ薬の発売から11年が経ち、多くの患者で痛みがほぼ消失する寛解(かんかい)が可能になった。  多くの患者で寛解が現実的となったが、それをいかに維持するかが今後の課題だ。多くは一生涯、薬による治療が必要となるため、治療や医療費の最適化に向け、薬の量を減らして(投与間隔を延ばす等)、寛解を維持する工夫もおこなわれている。  東京都に住む会社員、春日健二さん(仮名・43歳)は、06年3月に、突然、肩の痛みを覚え、近くの整形外科を受診したところ、肩の靱帯の断裂と診断された。しかし、同年9月ごろから手足や全身の関節が腫れて痛み、微熱や倦怠感が続き、仕事に支障が生じるようになった。そこで、同年11月に東京女子医科大学膠原病リウマチ痛風センターを受診した。春日さんを担当した山中寿医師は、臨床症状や検査値から関節リウマチと診断した。  春日さんは、リウマチ治療の定石どおり、第一選択薬であるメトトレキサート(MTX)の治療を開始。著しい関節炎があったため、07年5月から、早く効果が表れることを期待できる生物学的抗リウマチ薬「レミケード」を軸に治療した。同剤は病院で点滴するタイプの薬。3カ月後には関節の痛みがほぼ消えるなどしたが、本人の強い希望により、いったん投与を中断。08年9月から投与を再開したが、3年半後の12年3月に強い関節炎が再発し、効果が弱くなったと判断した山中医師は、薬を変えることを提案した。  12年5月からは、しくみの異なる生物学的抗リウマチ薬の「アクテムラ」による治療がおこなわれた。1回目の治療で関節炎はほぼ消失し、2カ月後には寛解状態になった。  この薬は4週おきに点滴注射するが、春日さんの仕事の出張と治療時期が重なり、投与間隔が6週に延びたことがあった。効果が持続していたことや、本人が投与間隔を延ばすことを希望したため、山中医師はその治療の妥当性を理解し、間隔を延ばす治療に変えた。  山中医師はこう話す。 「リウマチの患者さんは薬を使い始めると、なかなかやめることは難しい。ただ、生物学的抗リウマチ薬は治療費が高額ですので、患者さんの経済的負担の軽減という視点での治療も必要です。当院ではこの薬を用いて寛解になった人で、薬を減量して治療を継続している事例は数多くあります」  春日さんは、その後、投与間隔を6週から7週に延長し、13年10月から8週間隔で治療を継続中だ。効果が切れることなく、現在も寛解を維持しており、今後はさらに延長して使い続けることも検討中という。 「春日さんのように寛解を維持できている人もいますが、維持できなくなり、投与間隔を短くした患者さんもいます。身体的、経済的負担を減らす治療法として期待できますが、研究は緒についたばかりです。今後、十分なデータを集める必要があります」(山中医師) ※週刊朝日  2015年1月23日号より抜粋
健康
週刊朝日 2015/01/20 07:00
ギタ女シーン注目の沖縄出身SSW Suzu 貫地谷主演『女くどき飯』EDテーマに決定
ギタ女シーン注目の沖縄出身SSW Suzu 貫地谷主演『女くどき飯』EDテーマに決定
ギタ女シーン注目の沖縄出身SSW Suzu 貫地谷主演『女くどき飯』EDテーマに決定  沖縄県出身のシンガーソングライターSuzu。待望の3rdシングル『虹色color』を3月18日にリリースする事が決定し、同シングル表題曲がMBS・TBS系ドラマ『女くどき飯』のエンディングテーマに起用される事も明らかになった。  2015年第一弾シングルとなる今作は、春らしい軽快なナンバー。働く女子の気持ちを歌った曲で、ドラマ用に書き下ろした渾身の楽曲となっている。素敵な恋愛を求めているけどなかなかうまくいかない現実に不安を抱きながらも、明日もがんばってみようかなと思うアラサー女子の気持ちをストレートに書いた歌詞に注目だ。  また、デビュー1周年を記念して、2月12日 渋谷eggmanにて主催イベント【Bell soundもあい~eggman編~】を開催。“もあい”とは出身の沖縄独特の風習“模合”に由来し、「音楽の力で人が出会い支え合いお客様ともつながっていきたい」という願いを込めてつけられた。記念すべきVol.1には、同郷の7!!、そして、THE SxPLAYがゲストとして参加する。 ◎Suzu コメント 「新しい恋とか新しい自分とかを探している女子に是非聞いてもらって、明日もがんばろうと前向きになってもらいたいです。」 ◎ドラマプロデューサー森谷雄 コメント 「今回の楽曲は歌詞もサウンド感も、貫地谷しほりさんが演じる主人公の心情を見事に表現してくれています。ドラマと共に、恋や仕事に頑張っている女性たちへの応援歌にもなってくれると嬉しいなと思います。誰にだって「運命が色づく瞬間」が来るはずだから。」 ◎MBS・TBS系ドラマ『女くどき飯』 MBS:1月25日(日)スタート 毎週日曜深夜0時50分~1時20分 TBS:1月27日(火)スタート 毎週火曜深夜1時11分~1時41分 ほか 原作:峰なゆか 脚本:北川亜矢子 監督:宝来忠昭、深迫康之 主題歌:[Alexandros]「Dracula La」(ユニバーサル J) エンディングテーマ:Suzu「虹色color」(ユニバーサル J) 製作:ドラマ「女くどき飯」製作委員会 / MBS 出演 :貫地谷しほり 安藤玉恵 ◎イベント【Bell sound もあい ~eggman編~】 2月12日(木)渋谷eggman 開場18:00 / 開演19:00 出演:THE SxPLAY / Suzu / 7!! チケット:オールスタンディング 3,500円(税込) ※1ドリンク代 別途 ※3歳以上有料 / 3歳未満入場無料 ※いずれのチケットも転売は出来ません ◎シングル『虹色color』 2015/3/18 RELEASE [初回盤(CD+DVD)] UPCH-9997 1,700円(tax in.) [通常盤(CD)] UPCH-5837 1,200円(tax in.) 収録曲: 01.虹色color 02.The way I am 03.虹色color(Instrumental) 04.The way I am(Instrumental) DVD収録内容: 虹色colorMV等予定
billboardnews 2015/01/20 00:00
ダニー・ブラウン、“黒人女子の自尊心”テーマの児童書執筆へ
ダニー・ブラウン、“黒人女子の自尊心”テーマの児童書執筆へ
ダニー・ブラウン、“黒人女子の自尊心”テーマの児童書執筆へ  デトロイト出身のラッパー、ダニー・ブラウンが、マドンナやブルース・スプリングスティーン、キース・リチャーズなどが辿ってきた道と同様に、子ども向け書籍の執筆を手掛けることが明らかになった。  オーストラリアのラジオ局“triple j”でこのニュースを明らかにしたブラウンは、同書について、絵本作家ドクター・スースの韻を踏んだ構成と、13歳の娘の成長を観察した経験をもとに描くと説明。「これは自分の娘のためのものなんだ……もう完成させないといけないんだけど、本物のドクター・スースっぽくしたくてね。『The Grinch』、『Green Eggs And Ham』、『One Fish, Two Fish』みたいに」と語っている。  ブラウンはさらに、「完成させるまでに果てしない時間がかかる。俺が思うにこれは、黒人の女の子の自尊心についての話だ。黒人女性がよく、髪に手を加えたり瞳の色を変えるのを知っているだろ? それらを全部やって自身を変え、元の自分よりも良いと認識する女の子の話なんだ」と続ける。  この黒人少女の自尊心をテーマにしたドクター・スース風の児童書は、ダニー・ブラウンの中から生み出されているのだが、今年中に出版されることを祈るばかりだ。  また、「それはたぶんアルバムにもくっつけると思うよ」と話したブラウン。2013年のアルバム『Old』に続く作品に着手したことも明かしており、先日はジ・アルケミストとのレコーディングのためロサンゼルスで一週間過ごしたという。
billboardnews 2015/01/08 00:00
ホルモン屋がヒント? "デブ・ブス・ババア"風俗店が大ヒットのワケ
ホルモン屋がヒント? "デブ・ブス・ババア"風俗店が大ヒットのワケ
 スリーサイズ・体重ともにオール100超えの巨体、どう見ても男にしか見えないビジュアルのオナベ女子、加齢臭もする64歳......キャストの大半が「デッドボール」級の"3B"(デブ・ブス・ババア)の繁盛店。今年で5周年を迎えた「鶯谷デッドボール」は、知る人ぞ知る"地雷系"風俗店で、東京・鶯谷、池袋、埼玉・西川口の3店舗を構え、今年11月には新橋にも進出するなど快進撃を続けています。 まったく美形のキャストを整えていないにも関わらず、大勢の客が足を運ぶのはなぜか――そんな誰もが抱く疑問に応えてくれるのが、本書『なぜ「地雷専門店」は成功したのか? 』です。同店を2009年の開店当初から知る風俗ライターのハラ・ショーさんと、自身を「デッドボール総監督」と称する同店の店長が共著で綴る本書では、総監督の人柄・マーケティングおよび経営手腕を取り上げ、ヒットの秘密に迫っています。 37歳のときに「風俗開業で年商1億」の謳い文句につられ、なんでもいいから社長になりたい! という思いから脱サラした総監督。実は、開業前は、風俗嬢の定番テクニック"素股"も知らないようなズブの風俗素人でした。もちろん、当初は業界未経験の素人起業がうまくいくことはありませんでした。その後、挫折しかけた時期に、たまたま飲みに行ったホルモン屋で総監督はひらめいたといいます。"捨てるしかなかった内臓肉を使い、ホルモン屋は商売を成立させている""同じことが人間でもできるのではないか? " そう思いついた総監督は、野球に例えるなら「戦力外通告」を受けた女性たちをかき集めます。さらに集めた"戦力外選手"たちに野球風のキャッチコピーを与えホームページに掲載し、加えてマスコミへ取材依頼のFAX攻勢を仕掛るなど、一挙に売り出します。 やがて、他店にはない特色と、「会いに行けるアイドル」ならぬ「手の届くブス」が口コミで広まり、「罰ゲーム」やアトラクション感覚で来店するチャレンジャーが続出、いまやリピーターもいるほどの人気店となりました。マスコミに取り上げられたことで、「ここなら私でも雇ってもらえる」と考える人妻や、40代以上の高齢処女も面接に来るようになったそうです。また、高齢のホームレス女性も面接のため来店したことがあったとか。 昨今、どうにもならない低所得や生活苦のため、セックスワーカーの道を選ぶ女性も増加していると言われています。とはいえ、誰でもなれる職業というわけではなく、年齢、容姿がネックとなり、風俗嬢にさえなれない女性がいるのも事実。同店は、そんな働き口を見つけられない女性たちの受け皿という一面も持っているのです。
BOOKSTAND 2014/12/30 10:30
なんと! 恋愛ゲームにハマる女子は「リア充」だった!?
なんと! 恋愛ゲームにハマる女子は「リア充」だった!?
恋愛ゲームユーザーと非ユーザーの休日の過ごし方に対する回答をまとめたグラフ(サイバード提供) 恋人がいたことがある確率も、恋愛ゲームユーザーの方が多かった(サイバード提供)  さまざまなタイプのイケメンと恋の駆け引きが楽しめる恋愛ゲーム。現実ではあり得ないような展開にドキドキしながらやっているけれど、友人には「非モテ系のオタク女子」などと思われそうで言いづらい。そんな恋愛ゲームユーザーを勇気づけるような調査結果が明らかになった。  スマートフォン向け恋愛ゲームを運営するサイバード(東京都渋谷区)はこのほど、恋愛ゲームのユーザーは美容やファッションへの関心や恋愛経験値が高いという調査結果を発表した。  この調査は、未婚女性(27歳~33歳)の恋愛ゲームユーザー、非ユーザーそれぞれ221人を対象とした。11月10日から13日にかけて、インターネットを通じて行った。  結果をみると、意外な実態がわかった。休日の過ごし方については、ショッピングや女子会といった「女子力」が高そうな項目で、ほぼ当てはまると回答した恋愛ゲームのユーザーの割合が非ユーザーを上回っていた。特に、「女子会」、「美容」、「外食する」の項目では、10ポイント以上の差が出ている。恋愛ゲームユーザーは、積極的に休日は外出し、美容への意識も高い傾向があった。  過去の恋愛経験を尋ねた問いでは、7割弱の恋愛ゲームユーザーが「これまでに恋人がいたことがある」と回答した。さらに、「自分の女子力に自信がある」、「甘え上手である」と答えた人の割合は、恋愛ゲームユーザーの方が、非ユーザーをいずれも上回った。  サイバードの担当者は、今回の調査結果について「ときめきを求めて恋愛ゲームを楽しむユーザーは多く、日常生活でもアクティブに過ごしているのだろう。スマートフォンを使いこなすアラサー女性は、恋愛ゲームに対してあまり先入観や抵抗がないのではないか」と話している。  日々のストレスを癒やしてくれるだけでなく、何やら“リア充”への近道になるかもしれない恋愛ゲーム。興味がない人もやってみれば、新しい発見があるかもしれない。
dot. 2014/12/24 11:30
第3回 小泉今日子とオリーブ少女と森ガール
第3回 小泉今日子とオリーブ少女と森ガール
■「少女」と「消費文化」  小泉今日子が、「女の子に支持される女性アイドル」として、時代を駆けていた80年代半ば、言論界では「少女」ブームが起きていました。宮迫千鶴『超少女へ』(1984)、山根一眞『変体少女文字の研究』(1986)、本田和子『少女浮遊』(1986)など、「少女」をテーマとする書籍が相次いで登場。女性アイドル論もさかんで、野々村文宏・中森明夫・田口賢司の鼎談『卒業 KYON2に向って』(1985)や竹内義和『清純少女歌手の研究・アイドル文化論』(1987)などが出版されています。  どうしてこの時期に、「少女」に関心が集まったのでしょうか。  1950年代後半から、「既成の権威に異議申し立てをする文化=対抗(カウンター)文化(カルチャー)」がワールド・ワイドに広まりました。ロックンロールやモダン・ジャズがその象徴です。こうした「対抗文化」が、伝統的な「主流(メイン)文化(カルチャー)=純文学やクラシック音楽など」と対立していく構図が、15年ほどつづきました。60年代は、世界各国で学生運動が活発であり、「怒れる若者たち」が「対抗文化」を支えていました。  1973年のオイルショックと前後して、この構図に変化が生まれます。学生運動が衰退し、「対抗文化」が勢いを失ういっぽう、「主流文化」も権威も低下します。60年代の「怒れる若者たち」も、社会人になると「反逆」のトーンをゆるめ、下の世代の青年もそれにならいました。かといって、昔ながらの「主流文化」に栄光はもどらず、それらは次第に過去のものとみなされていきました。 「主流文化」と「対抗文化」の対立が崩れたのち、日本の文化シーンは、「消費文化」と「おたく文化」の両極がリードするようになります。  生活水準が向上し、自家用車も家電もだれもが買えるようになると、消費によって自己表現する傾向があらわれました。自分の属する文化圏や社会的ステイタスを、どんなクルマに乗り、どこのブランドの服を着るかによってアピールする風潮が生まれたのです。  こうした「消費による自己表現=消費文化」についていけない層もありました。「消費文化」からのそうした「落ちこぼれ」のなかで、マニアックなことに関心のある人びとが、「おたく文化」を生み出します。 「消費文化」も「おたく文化」も、「成熟」とは無縁なところは共通しています。消費は未成年にもできますし、アニメや特撮といった「子ども向けコンテンツ」を、いい歳になっても観ているのがおたくです。「主流文化=まっとうな大人が身に着けるべき文化」が衰えた後、何が「大人になること」なのかはっきりしなくなりました。「消費文化」対「おたく文化」という構図ができたことは、「大人になること」が難しい時代の到来を物語ります。  オイルショックのころに兆した「大人になりにくい状況」は、80年代になると、どこから見てもあきらかになりました。この時期、「モラトリアム人間」や「ピーターパン症候群」といった用語で、「いつまでも成熟しない人びと」が頻りに論じられています。 「少女」が注目されていたのは、そうした「大人にならない生き方」のモデルとみなされたからです。80年代少女論の総括といえる『少女民俗学』(1989)のなかで、大塚英志はいっています。 <……近代の少女たちは大人になることに「待った」をかけられた。彼女たちは、やがて妻として子供を「生産」させられる運命にあるのだが、とりあえず待て、といわれた。つまり、あらゆる意味で「生産」からはずされた。(中略)近代とはなんのかんのいいながら、日本人がなるべく「生産」から遠くに行こう、という時代だったといえる。誰もが消費者になりたかったのだ。だから、ぼくたちは自分自身を知るために少女文化を学ばなければならない> ■「オリーブ」の中の小泉今日子  このように「少女」が特別、注目されていた時代に、少女文化をリードしていたのが雑誌「オリーブ」です。  「オリーブ」は、1982年の創刊。当初は「ポパイ」の姉妹誌として、アメリカン・トラッドを志向していました。一年後に方向転換し、「パリの女子学生(リセエンヌ)」のライフスタイルを紹介する雑誌になってから、大ブレイクします。  それまでのティーン向け雑誌は、良妻賢母への道を読者に歩ませようとしていました。「どうすれば男性にモテるか」という女性誌の伝統命題は、「いかにしてよい結婚をするか」という問いに変換できます。 「モテ」に直結しない「かわいらしさ」の牙城となった点で、「オリーブ」は画期的でした。そこで提案されるファッションや生活は、そうしたものにかこまれることで、だれよりも読者当人がうっとりすることをめざしたものでした。  こうした雑誌が現れたのは時代の必然です。「大人になれない」時代がやってきて、「結婚」という未来から切りはなされた「少女性」をイメージしやすくなったこと。バブルにむかう好景気がはじまり、いつまでも夢の世界にひたっていられるムードがあったこと。さまざまな要因が、「オリーブ」を後押ししていました。  山崎まどか『オリーブ少女ライフ』にはこう書かれています。 <私が熱心に読んでいた1985年、「オリーブ」は公称60万部の人気雑誌だった。(中略)私のように学校では変わり者の女の子も、人気者のグループも、洋服や素敵なことに関心がある子はみんな「オリーブ少女」だった>  輝かしかった時代の「オリーブ」に、一推しにされていた女性アイドルが小泉今日子です。  84年8月3日号の「アイドルもリセ大好き」という特集では、10人のアイドルが誌面に登場しています。小泉今日子は冒頭で取りあげられ、堀ちえみとならんで2ページをあてがわれています(菊池桃子や岡田有希子など、他の8人は1ページ)。  84年10月3日号は、「オリーブ少女の髪型(ヘアスタイル)はショート・カットに決めた!」というコピーが表紙に躍っています。読者モデルとして、「オリーブ少女」の憧れの的だった栗尾美恵子が、「誌上断髪式」をおこなって話題を集めた号です。「突然この秋、アイドルたちもショート旋風」というコーナーに、小泉今日子の写真が載っています。キャプションには、 「彼女が、もしショートに/しなかったら……?/ありがとうキョンキョン」  前回触れた「小泉今日子の短髪化」に、どれだけインパクトがあったよくわかります。  84年11月3日号でも、小泉今日子は話題にされます。「オリーブ少女のプライベート時間、100人に質問!」という欄の「好きなアイドルは?」という項目に、女性アイドルとしてはひとりだけ、名前をあげられているのです。  85年8月3日号には、男女の着せかえ人形が付録についています。男性の人形の顔はチェッカーズの藤井郁弥、女性のほうは小泉今日子です。  「オリーブ」の提案するおしゃれは、しばしばいわれるように、“ストレートには”モテをめざしません(注1)。短髪アイドル時代の小泉今日子は、男性以上に女性から好まれていました。その点から見ると、彼女が「オリーブ」のアイコンのようになっていたのも不思議な話ではありません。 ■魔性の「オリーブ少女」  小泉今日子はしかし、最盛期の「オリーブ」にほんとうにマッチしていたのでしょうか?  私の知り合いに、「オリーブ少女を僕がなんとかしてあげなくちゃ」といって、結婚した人がいます。彼女があまりに夢見がちで、浮世ばなれしているように見えたので、心配になったのだそうです。  前回、マリリン・モンローの人気は、セクシーな肢体のためではなく、男性の「俺がなんとかしてやらなくちゃ」感をかきたてるからだと述べました。知人の心を「オリーブ少女」がつかんだ回路は、モンローとおなじです。  何年か前、「森ガール」ということばが一部ではやりました。ゆったりとしたシルエットの、少女趣味全開の服を好む女性たちをさす語です。由来は「森から出てきたような恰好をした女の子」だとか。じぶんの世界に陶酔しきり、モテをめざさない――そんな風に見える「森ガール」のありかたは、「オリーブ少女」に通じるとしばしば指摘されます。  この「森ガール」について、評論家の湯山玲子はうがった見方をしています。 「(若い女の子は男性に)やっぱり少女性というもので、取り入ろうと思うよね。森ガールというのはそういった少女性をテクニックにして引っぱっといて、がぶりと食う」 「森ガールは、草食系の男たちを狩りに行っているんですよ。草食に食ってもらう草になればいいわけです」(注2)  自信のない男性は、「赤文字系雑誌」を読んでいそうな感じの女性を見ると、馬鹿にされるのではないかと引き気味になります。いっぽう「森ガール」や「オリーブ少女」には、そういう怖い印象は抱きません。  そんな「自信ない系男子」にターゲットをしぼり、コンスタントにモテている女性もいます。彼女たちは、湯山のいうように「少女性」で相手を引きよせようとして、「森ガール」や「オリーブ少女」をよそおいます。  あからさまにモテをめざしている女性は、相手をあまり幻滅させることはありません。そういうタイプとつきあえる男性しか、そばに寄ってこないからです。「森ガール」や「オリーブ少女」偽装系は、見た目と本心にギャップがあるため、「こんなはずでは……」というとまどいを、しばしば相手にあたえます(私の知り合いも、結局離婚してしまいました)。 「森ガール」や「オリーブ少女」がすべて、「少女性で草食男子を狩るタイプ」だと私は思いません。しかし、あどけなさを演出することでモテようとする「オリーブ少女もどき」も、たしかにいたのです。そういう「もどき」と、男性の「俺がなんとかしてやらなくちゃ」感にまったくはたらきかけない小泉今日子は、ちがう世界の住人です。 ■小泉今日子が「森ガール」になるとき  それでは、「もどき」でない「オリーブ少女」は、小泉今日子の「同志」といえるでしょうか?  1987年、小泉今日子は「Phabtasien」というアルバムをリリースしています。その冒頭の一曲「連れてってファンタジェン」のプロモーション・ヴィデオで、小泉今日子は「お姫さま」のような衣装を纏い、森の風景をバックに歌っています。  このPVの小泉今日子は、私の見るところ、あまり魅力的ではありません。 「森のなかのお姫さま」は、悪い魔法使いに見つかるにせよ、王子さまに連れ出されるにせよ、まもなくこのままでいられなくなるのが運命です。失われるからこそかけがえない「至福の時」を、お姫さま自身がたのしんでいる――そんな自己陶酔的世界に共鳴できなければ、「森のなかのお姫さま」は愛せません。 「お姫さま」に扮する小泉今日子も、いちおううっとりした表情を浮かべています。しかし、心から酔い切れていないことが、あからさまに顔に出ていました。  小泉今日子にも、彼女なりの「少女」や「儚いもの」へのこだわりがあります。たとえば、最近、ドラマ化されて話題を呼んだエッセイ「戦う女 パンツ編」の一節――。 「(中学生の私は)生きるも死ぬも同じように捉えていて、どっちでもいいような気がしていた。今もそのくらいの年の女の子に会うと心がザワザワする。確かにそこにいるのに、向こう側が透けて見えるような儚い魅力を感じる。触ろうとすると3D映像のように何もつかめないのではないかと不安になる。その年代が持つ一過性のものだと知りながら、その時期を過ぎてしまい、完全に実写の世界で生きている今の私には眩しくてたまらない」(注3)  ここで語られている「少女」のありかたは、「森のなかのお姫さま」と似ているようでちがいます。小泉今日子が「眩しい」と感じているのは、生と死の対立を乗りこえ、この世の向こう側を見てしまっている存在です。「森のなかのお姫さま」は、そんなふうに真理と直面していません。森の外側について知ることを免除され、つかのまの至福に酔いしれています。  子どもと大人の境目が、生死の彼方に接近しやすい時期だというのは、時代や環境にかかわらない真理です。いっぽう、「森のなかのお姫さま」がうっとりしていられるのは、生活の心配がないからです。未熟なまま自活しないでいる「ゆとり」がなければ、お姫さまにはなれません。  80年代に注目されていた「少女」性は、ゆたかさに支えられた「森のなかのお姫さま」の世界といえます。最盛期の「オリーブ」は、「大人にならない文化」がきわまったところに生まれた花園、「森のなかのお姫さま」の聖域でした。小泉今日子にとって全面的に共感できる雑誌ではなかった気が、私はしています。 ■Kyon2と「オリーブ少女」、それぞれの「それから」 「オリーブ」がもっとも読まれていたころの中高生は、80年代末のバブル絶頂期に大学に入学します。「生産から遠ざけられた主体」の象徴だった「オリーブ少女」の一部は、「男に貢がせるバブルおねえさん」という、べつの「生産しない主体」に転向しました。見かけは正反対の「オリーブ少女」と「バブルおねえさん」ですが、両方を経験している人はすくなくありません。 「オリーブ少女」を経て「バブルおねえさん」になったひとたちは、いまだに「貢がせ自慢」をしていたりします。心のどこかで、「お姫さま」でありつづけたいと念じながら――。  これに対し小泉今日子は、もはやじぶんが「少女」として生きられないことをわきまえています。 「……今の私は10代の人達の儚く消えてしまいそうな魅力に、クラクラとノックアウトさせられるだけ。いろんな経験や出来事が血となり、肉になってしまった今、海の泡になってしまいたいという気持を胸に抱いている事はズルイ事なのだと思う。反則なのだ」(小泉今日子「海の泡」 注4)  80年代のようには、日本はゆたかではなくなりました。小泉今日子の語る「少女」には、変わらないリアリティがありますが、「オリーブ少女」の世界は、近年の若者には理解しづらいかもしれません。まして「バブルおねえさん」たちのメンタリティは、謎でしかないと思います。  漫画の登場人物か芸能人しか持てないような、輸入ブランド品や高級外国車がにわかに身近に溢(あふ)れるようになったのが80年代前半でした。唐突にだれもがゆたかになって、まるで夢のなかにいるようでした。そうした記憶をもつ身としては、「オリーブ少女」から「バブルおねえさん」になったひとたちの懲りない「お姫さま願望」も、ちょっぴりわかる気がします。 ※助川幸逸郎氏の連載「小泉今日子になる方法」をまとめた『小泉今日子はなぜいつも旬なのか』(朝日新書)が発売されました (注1)酒井順子『オリーブの罠』(講談社現代新書 2014)など。 (注2)水越真紀他編著『ゼロ年代の音楽 ビッチフォーク編』(河出書房新社 2011) (注3)http://www.littlemore.co.jp/tatakauonna/ (注4)小泉今日子『パンダのanan』(マガジンハウス 1997)
2014/12/18 11:30
躍進の無良崇人 演技で「奥さんと子供イメージ」
躍進の無良崇人 演技で「奥さんと子供イメージ」
 12月にスペインで開幕するグランプリファイナルは、フィギュアシーズン前半の世界王者を争う重要な試合だ。各選手は11月末までに行われる6戦のうち2戦に出場してポイントを争い、上位6人がファイナルに出場するが、第4戦までを終えて、日本勢の強さが目立つ。  第1戦で町田樹が、第2戦では無良崇人が、そして第4戦では女子の本郷理華が、相次いで優勝したのだ。  24歳の町田は、昨季に急成長を果たしソチ五輪は5位、世界選手権2位に。今季は実力の証明が求められるシーズンだ。  本人も、「昨季は貴重な経験と学びがありました。今季のプログラムは、以前からずっとやりたかった『バイオリンと管弦楽のための幻想曲』とベートーベンの『交響曲第9番』。どちらも傑作に仕上がったので、自分らしい高水準の演技を皆さんの前で披露したい」と意欲的。第1戦のスケートアメリカでは4回転をショートで1本、フリーで2本成功、熱演を披露した。  一方、ジャンプ力に定評がある23歳の無良も好調だ。「昨季は前半が安定しない状態だった。今季はスタートから成績を残していきたい」と臨んだ第2戦スケートカナダ。フリーで4回転2本を成功させて、優勝。  無良の原動力は妻と子どもだ。オフシーズンは親子3人で沖縄旅行に行き、休日は自身の両親も連れて3世代で出かける。一家の大黒柱だ。 「今年は『カルメン』と『オペラ座の怪人』で定番曲だが、相手の女性を意識する表現が必要になる。自分の奥さんや子どもをイメージして振り付けてもらったので、観客にもそれが伝わればいい。ベテランの年なので風格ある演技にしたい」と話し、感情表現に自信をみせる。 ※AERA 2014年12月1日号より抜粋
フィギュアスケート
AERA 2014/11/28 07:00
ももクロ 大阪城ホール史上初の女性限定ライブ敢行「今日は女子だけのもの」
ももクロ 大阪城ホール史上初の女性限定ライブ敢行「今日は女子だけのもの」
ももクロ 大阪城ホール史上初の女性限定ライブ敢行「今日は女子だけのもの」  11月24日 ももいろクローバーZが、大阪城ホールにて自身3度目となる男子禁制の女性限定ライブ【女祭り2014 ~Ristorante da MCZ~】を開催した。ももクロ その他のライブ写真など  大阪城ホールで女性限定ライブが行われたのは史上初ながら、現地では全9,849人を動員し、全国28劇場で行われたライブビューイング会場では6,713人を動員。物販コーナーにはマカロンやヘアアクセサリー、フリフリトートバックといった女性限定ならではのグッズが並び、開場前から大きな盛り上がりを見せた。  ライブ本番では今回のためにアレンジされたクラシック調の「overture ~ももいろクローバーZ参上!!~」が響きわたる中、本公演の“リストランテ”というコンセプトに合わせてウェイトレス風の衣装を纏ったももいろクローバーZが登場。黄色い歓声に迎えられた彼女たちは、「Wee-Tee-Wee-Tee」「Z女戦争」と披露し、MCでは「私たち、今日は女子だけのもの、週末ヒロインももいろクローバーZ!」と告げて会場を扇情していく。  その後も会場に設営されたお立ち台や、女性ダンサーをバックに従えたパフォーマンス、12thシングル『MOON PRIDE』のももクロ盤に収録された「Moon Revenge」(『劇場版 美少女戦士セーラームーンR』エンディング主題歌)カバーお披露目など。この日に向けて用意した演出も随所でアクセントとなり、アンコール含む全23曲をもって、【女祭り】は大盛況のうちに幕を下ろした。 ◎【女祭り2014 ~Ristorante da MCZ~】 2014.11.24(月・祝) 大阪城ホール セットリスト: 01.Wee-Tee-Wee-Tee 02.Z女戦争 03.仮想ディストピア 04.ツヨクツヨク 05.My Dear Fellow 06.ワニとシャンプー 07.いつか君が 08.ピンキージョーンズ 09.DNA狂詩曲 10.MOON PRIDE 11.Moon Revenge 12.月虹 13.空のカーテン 14.Chai Maxx 15.キミとセカイ 16.猛烈宇宙交響曲・第七楽章「無限の愛」 17.労働讃歌 18.サラバ、愛しき悲しみたちよ 19.走れ! 20.コノウタ En1.ももいろパンチ En2.ももクロのニッポン万歳! En3.スターダストセレナーデ ◎【ももいろクリスマス2014 さいたまスーパーアリーナ大会~Shining Snow Story~】 12月24日(水)、25日(木) さいたまスーパーアリーナ(スタジアムモード)
billboardnews 2014/11/25 00:00
ベストセラー作家の人生が変わった「片づけ」
ベストセラー作家の人生が変わった「片づけ」
作家、「もしドラ」の作者岩崎夏海さん(46)東京芸術大卒。作詞家の秋元康さんに師事。「AKB48」のプロデュース等にも携わる。近著に「部屋を活かせば頭が良くなる」ほか(撮影/高井正彦)  生活の中で何気なくしている「部屋の片づけ」。だがそれで、人生が変わったと話す人もいる。  片づけで「自分は生まれ変わった」。『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの「マネジメント」を読んだら』の作者の、岩崎夏海さん(46)の実感だ。200万部を超すロングセラーになったこの本で、「僕の人生は、完全に変わった」。その根底には、部屋自体の「生まれ変わり」があったという。    30代の時、親が出て空き家になっていた3LDKの庭付きの一戸建てで、一人暮らしを始めた。ひと部屋が本や雑誌に埋もれ、また別の部屋もモノに侵食され…。気づけば「開かずの間」だらけの、身動きのとれない家に変貌していた。  職場に近い場所に住もうと、2005年、37歳の時に渋谷の18 平米のワンルームマンションに引っ越した。狭いので仕方なく、本は10冊程度、服は着る数枚に「ドラフト会議」。しばらくすると、厳選したモノだけの部屋で暮らしているのが気持ちいいことに気がついた。苦じゃないので、出がけにササッと掃除機をかけるのが日課に。自然と、好循環が生まれていた。 (1)帰宅したら、いつもきれいな部屋に出迎えられる→ウレシイ (2)維持できるよう、掃除がしやすい部屋に変えたい→掃除の動線にあわせて家具を配置し直す (3)キレイな部屋が、当たり前に  という具合に。そんな折、師匠でもある作詞家の秋元康さんのもとから独立することを決めた。40歳だった。その時、全身全霊で書いたのが『もしドラ』だった。 「実家と秋元さんという、二つのくびきが取れ、小さくも整った部屋を手に入れたことで、自分の中に、自信のようなものが生まれて。あえて後ろ盾をなくしたことで、捨てるものがなくなり、勝負しようという気になっていたんだと思います」  岩崎さんは今、モノの詰まりをなくして部屋を生かす「ヘヤカツ(部屋活)」を提唱している。 ※AERA  2014年11月24日号より抜粋
AERA 2014/11/22 11:30
小泉今日子の「謎」はどこにあるのか(上)
小泉今日子の「謎」はどこにあるのか(上)
 どうすれば小泉今日子のように、齢とともに魅力を増していけるのか―― その秘密を知ることは、現代を生きる私たちにとって大きな意味があるはず。  日本文学研究者である助川幸逸郎氏が、現代社会における“小泉今日子”の存在を分析し、今の時代を生きる我々がいかにして“小泉今日子”的に生きるべきかを考察する。 *  *  * ■はじめに 「小泉今日子48歳。年齢は隠しませんが、正直シミやくすみは隠したい」  小泉今日子が、堂々とそう告げたあと、頬のシミにファンデーションを塗る―― そんなCMが、このごろテレビで流れています。  このCMで小泉今日子は、「誰もが言いたくて、言えない本音」を隠さず口にしているのに、ちっとも開きなおりには見えません。シミを画面にさらしているのに、「やめておいた方が……」という風に思わせないところも見事です。  小泉今日子は、「加齢」と正面から向き合うことで、「齢を重ねなければ手に入らない魅力」を得ることに成功しています。「中年には見えないほど若くて美しい」のではなく、「中年にしか身にまとえないかっこよさ」に溢れているのです。日本の女性に、こういう人はなかなかいません。映画に出ても歌をうたっても、デビュー当時より現在のほうが、はるかに存在感があります。  女性にとっても男性にとっても、現代では「成熟すること」が困難です。「女は専業主婦、男は企業の正社員」という、標準的な到達モデルがくずれ、ひとりひとりが齢の重ねかたを考えなければなりません。  どうすれば小泉今日子のように、齢とともに魅力を増していけるのか―― その秘密を知ることは、現代を生きる私たちにとって大きな意味があるはずです。  小泉今日子は、時代の変化に的確に対応しながら変わりつづけてきました。彼女の変わっていき方のカナメの部分が理解できたなら、私たちもまた、自分らしく年輪を積みあげていけるかもしれない。そんな期待をこめて、この連載では「デビューから今日に至るまで、小泉今日子がどのように変わっていったか」を、社会状況の変化とかかわらせながら見ていきます。 ■類いまれな「変化する力」  小泉今日子の芸能生活は、転身の連続です。  1982年にデビューしてから、彼女はずっと第一線で活躍しています。それだけでもすごいことですが、「息の長いビッグスター」というだけなら、他に例がないわけではありません。たとえば、松田聖子は、小泉今日子よりも早く芸能界に入り、一貫して日の当たる道を歩きつづけています。  ただし、松田聖子は、若い頃からほとんどイメージが変わりません。可愛らしいルックス、スキャンダルにへこたれない強さ。時にはドラマや映画にも出ますが、芸能生活の軸はつねに歌です。そのうまさは、デビュー当時から抜群でした。  これに対し、同期にキラ星のように個性豊かな女性アイドルがそろっていた小泉今日子は、デビュー直後は今ひとつ際立っていませんでした。当時としては珍しかった「帰国子女アイドル」の早見優、脆さと気まぐれさが交錯する松本伊代、山口百恵の後継者といわれた中森明菜―― 強力なライバルに囲まれ、「正統派アイドル」路線を歩んでいた小泉今日子は、完全に埋もれていたわけではないにせよ、セールスポイントがぼやけ気味でした。  しかし、デビューの明くる年、松田聖子そっくりにしていた髪形を短髪に変え、小泉今日子は「かわいい」から「かっこいい」へ、アピールする方向に転換します。その結果、 「女性アイドルのメインターゲットは若い男性」  という常識を覆し、同世代女子の絶大な支持を得るようになりました。「かっこいい」を目指して転身することで、小泉今日子は、まったく新しいアイドル像を確立したのです。  小泉今日子がイメージチェンジに成功した直後、日本はバブル経済に突入しました。この時代、金あまりの世相を反映して、大がかりな予算を投入した悪ノリ気味のプロジェクトがはやりました。その種の企画に、いちばん重宝に使われたアイドルが小泉今日子でした。男性よりも女性に人気があり、奇抜なことを仕掛けるときに起用するとピタリとはまる――今でいうと、きゃりーぱみゅぱみゅみたいなタレントだったのです。  90年代に入ると、流行の最先端だった渋谷系ミュージシャンたちの手がけた楽曲を歌い、小泉今日子は「お洒落なアーティスト」路線を歩みます。1995年に永瀬正敏と結婚した頃からは、女優としての活動が本格化、いくつもの演技賞に輝きました。2004年には永瀬と離婚。以後は演技と歌の両方で、同世代の女性の心情をもっとも的確に代弁する存在になっています。読売新聞の書評委員など「文化系」の活動も好調です。  小泉今日子は、どんどん路線をチェンジしていって、つねに時代から求められるポジションに身を置いています。こうしたやりかたは、真似ようとしても、なかなかできる業ではありません。  アイドルから本格派歌手にイメージを変えようとはかったり、音楽畑で活躍していた人が俳優にシフトを試みたり―― そうした路線変更は、珍しいことではありません。一つのことだけに取り組んでいたのでは、芸能人としての寿命が限られるからです。しかし、小泉今日子のように何度も転身をくり返し、その度にステップアップしていくケースは滅多にありません。  現在の小泉今日子は、同期にデビューしたアイドルの誰よりも輝いています。その輝きは、デビュー当初から備わっていた天与の魅力ではなく、比類のない「変化する力」によってもたらされたものです。  この「変化する力」を、どのようにして小泉今日子は手にしたのでしょうか? ※小泉今日子の「謎」はどこにあるのか(中)につづく ※助川幸逸郎氏の連載「小泉今日子になる方法」をまとめた『小泉今日子はなぜいつも旬なのか』(朝日新書)が発売されました 助川 幸逸郎(すけがわ・こういちろう) 1967年生まれ。著述家・日本文学研究者。横浜市立大学・東海大学などで非常勤講師。文学、映画、ファッションといった多様なコンテンツを、斬新な切り口で相互に関わらせ、前例のないタイプの著述・講演活動を展開している。主な著書に『文学理論の冒険』(東海大学出版会)、『光源氏になってはいけない』『謎の村上春樹』(以上、プレジデント社)など
小泉今日子になる方法
dot. 2014/11/20 11:30
ドン小西「佳子さまファッションはステキ、もっとよくなるには…」
ドン小西「佳子さまファッションはステキ、もっとよくなるには…」
秋篠宮さまと紀子さまの次女として1994年に誕生。学習院初等科からフィギュアスケートを始め、大会にも出場。学習院女子高等科在学中は文化祭でダンスを披露するなど、積極的な行動も人気に。学習院大学を中退し、今年10月、国際基督教大学に合格する=11月9日、初の単独公務で「少年の主張全国大会」に出席(代表撮影) (c)朝日新聞社 @@写禁  ファッションデザイナーのドン小西氏が、学習院大学を中退し、国際基督教大学に編入することが決まった秋篠宮佳子さまのファッションチェックをした。「ファッションリーダーを目ざして」といい、もっとよくなるためにどうしたらいいのかをアドバイスする。 *  *  *  小さい体で氷のリンクをぴょんぴょん跳びはねていた佳子さまが、こんなにすてきなレディーだもんな。かわいいし、スタイルはいいし、おまけにアクティブだし。今や皇室きってのアイドルだよね。  この日、ピンクの膝丈フレアスカートのスーツで臨まれたのは、初の単独公務。この写真だとわかりにくいけど、ピンクのフランネル素材はいかにも上質で、仕立てもいい。靴と黒で合わせたバッグも一見、キャンプで使う飯盒(はんごう)みたいだけどさ、実は今年のバッグのトレンドは小ぶり。一粒パールとの合わせ技で、デビューにふさわしい控えめでシンプルなザ・ご公務ファッションになってるよね。  とはいえ、これだけ国民から注目されているんだもの。ファッションにもどこかしら、佳子さまらしさがあるともっとよかったよ。たとえば英国のキャサリン妃なんて、着ているのはオーダー服じゃなくて、ほとんどが既製服。で、キャサリン流ファッションを、あっという間に世界に広めちゃったじゃない。まもなく20歳。これを機に、個性の見える新皇室ファッション、切り開いてみるのはいかがでしょう。 ※週刊朝日  2014年11月28日号
佳子さま皇室
週刊朝日 2014/11/20 07:00
オヤジかるた 女子から贈る、飴と鞭。
オヤジかるた 女子から贈る、飴と鞭。
〈全国の迷えるオヤジ様、毎日明るい気分で生きてますか?〉〈そこの無口で無表情なオヤジ様! 今、どんな気分ですか?〉。そんな呼びかけではじまるコラムが「あ」から「ん」まで46本。瀧波ユカリ『オヤジかるた 女子から贈る、飴と鞭。』は「週刊文春」の人気コラムを集めた、中年男性に「正しいオヤジ道」を説くエッセイ集だ。  特製かるたも付いてます。〈あ 明るい オヤジは いいオヤジ〉〈い イライラは わかりやすく お願いね〉〈う 後ろ姿に ご用心〉  クラブホステスも派遣社員も経験した著者は男性の気持ちも女性の気持ちもわかっちゃう。かくて繰り出されるアドバイスは〈「女は愛嬌」と言われ育ってきた女子は、男性に明るく接するのにいいかげん疲れています。(略)あなたの明るさで、女子を喜ばせてあげてください。さすれば、必ずやあなたの周りには女子たちが群がり始めるでしょう〉。  おーそうなのか。でも本当か?  10年か20年前だったら、もっと楽しく読めたかもしれない。 〈この世で一番生命力の強そうな生物は何でしょう。(略)私は即座に「オヤジ」と答えます〉〈そう思うからこそ私達女子は、安心してオヤジ様に冷たくできます〉  だよね。私も前はそう思ってたわ。だからオヤジやっつけ系の文章を書くのも読むのも好きだった。しかしこの頃、オヤジの生命力が落ちていると感じるのは私だけ? 〈地面に座り込んだギャルの、ずり下がったジーパンからお尻の割れ目がコンニチハしている後ろ姿を見るのが大好きな、そこのオヤジ様!〉や〈家にも帰らず運動もせず毎晩おいしいものばかり食べ歩いている、そこのオヤジ様!〉がウヨウヨいるとはどうも思えないのである。  思い出したのはバブルの頃のオヤジ像。そんなオヤジは今いずこ。  著者は1980年生まれの34歳。30代女子には今もオヤジがこう見える(お気をつけあそばせ)というメッセージとしては意味があるかも。 ※週刊朝日 2014年11月28日号
今週の名言奇言
週刊朝日 2014/11/19 00:00
ドラマ評論家 綾瀬はるか“こじらせ女子”は「職場恋愛のファンタジー」
ドラマ評論家 綾瀬はるか“こじらせ女子”は「職場恋愛のファンタジー」
 ドラマ評論家の成馬零一氏が、綾瀬はるか主演の『きょうは会社休みます。』について、「入口は痛々しい」としながらもこう評価する。 *  *  * 「こじらせ女子」という言葉をご存知だろうか。  由来は、女としての生きづらさを綴った女性ライター・雨宮まみの著書『女子をこじらせて』(ポット出版)からで、普通の女性にはできる恋愛や結婚などの女らしい振る舞いが、何で自分にはできないのだろう?と、悩んでうまくこなせない自意識のありようを「こじらせ」という言葉で表現したものだ。  日本テレビ系で水曜夜10時から放送されている綾瀬はるか主演の『きょうは会社休みます。』は、そんな「こじらせ女子」の恋愛を描いたドラマだ。青石花笑(綾瀬はるか)は30歳の誕生日を控えたOL。老舗商社の帝江物産食品部で事務職として勤めるが、恋愛には疎く、未だに男性経験はゼロ。映画鑑賞と愛犬の散歩以外は会社と家を行き来するだけの単調な生活を送っていた。しかし、30歳の誕生日に同じ部署の現役大学生のアルバイト・田之倉悠斗(福士蒼汰)と二人きりになったことがきっかけで、一夜を共にしてしまう……。  一途で真剣な田之倉の積極的なアプローチに翻弄されながらも、自分に自信がない青石はなかなか素直に好意を受け取れない。普段は30歳の自立した女性として振る舞っていても、恋愛に関しては疎いために、田之倉のことで心の中がいつもザワザワ。そんな外見と内面のギャップが本作の面白さだ。  当初は『ファーストクラス』(フジテレビ系)と同じ時間帯のため、綾瀬はるかvs.沢尻エリカの女優対決として注目されていたが、『ファーストクラス』第1話の平均視聴率が8.8%(関東地区)なのに対し、本作の第1話は14.3%(同)と圧勝。  また、第2話では、17.0%(同)と上昇し、今後、どこまで数字を伸ばすのか、注目が集まっている。   スタート当初は、「こじらせ女子」を綾瀬はるかが演じるってどうなの?と不安だった。しかし綾瀬の出世作となった『ホタルノヒカリ』(日本テレビ系)の雨宮蛍が、「干物女」という、恋愛がめんどくさくて私生活がだらしない女という、元祖こじらせ女子とでもいうような存在だったため、むしろハマり役だった。 『ホタルノヒカリ』もそうだが、男性主人公の作品でも『電車男』(フジテレビ系)や『モテキ』(テレビ東京系)など、奥手の男女を主人公にする恋愛ドラマが増えている。トレンディドラマが、恋も仕事も華麗にこなす男女の恋愛を描いていたのに対し、近年では、“自分には恋愛なんて縁がない”と感じている人間を主人公にした恋愛ドラマの方が支持されるようになってきているのだ。  また、最近ではバラエティ番組に出演した際の綾瀬の振る舞いにも注目が集まっている。能年玲奈もそうだが、お笑い芸人が彼女たちのマイペースな振る舞いに翻弄されて、番組のトーンがおかしくなってしまうのが面白い。  二人とも演技以外の部分では「超天然」のため、恋人というよりは、小動物を愛でるように視聴者から愛されている。普通に描いたら痛々しくなりかねない作品が、温かい目で見られるのは、綾瀬の持つフワフワした存在感によるところが大きい。  一方、恋人役の福士蒼汰も、男としての生々しさは薄く、韓流スターのような甘い演技を見せている。  入り口こそ痛々しい設定ながらも、一度作品の中に入ると、ファンタジーとしての楽しい職場恋愛が描かれているのが、人気の秘密だろう。 ※週刊朝日  2014年11月21日号
ドラマ
週刊朝日 2014/11/18 11:30
学校現場の大問題

学校現場の大問題

クレーム対応や夜間見回りなど、雑務で疲弊する先生たち。休職や早期退職も増え、現場は常に綱渡り状態です。一方、PTAは過渡期にあり、従来型の活動を行う”保守派”と改革を推進する”改革派”がぶつかることもあるようです。現場での新たな取り組みを取材しました。AERAとAERA dot.の合同企画。AERAでは9月24日発売号(9月30日号)で特集します。

学校の大問題
働く価値観格差

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職場にはびこる世代間ギャップ。上司世代からすると、なんでもハラスメントになる時代、若手は職場の飲み会なんていやだろうし……と、若者と距離を取りがちですが、実は若手たちは「もっと上司や先輩とコミュニケーションを取りたい」と思っている(!) AERA9月23日号では、コミュニケーション不足が招く誤解の実態と、世代間ギャップを解消するための職場の工夫を取材。「置かれた場所で咲きなさい」という言葉に対する世代間の感じ方の違いも取り上げています。

職場の価値観格差
ロシアから見える世界

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プーチン大統領の出現は世界の様相を一変させた。 ウクライナ侵攻、子どもの拉致と洗脳、核攻撃による脅し…世界の常識を覆し、蛮行を働くロシアの背景には何があるのか。 ロシア国民、ロシア社会はなぜそれを許しているのか。その驚きの内情を解き明かす。

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