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「ポスト新垣結衣」か「第2の大竹しのぶ」か…永野芽郁の大ブレークが確実視されるワケ
藤原三星 藤原三星
「ポスト新垣結衣」か「第2の大竹しのぶ」か…永野芽郁の大ブレークが確実視されるワケ
永野芽郁(C)朝日新聞社  映画、ドラマ、CMと八面六臂(ろっぴ)の活躍をみせる女優の永野芽郁(21)。現在オンエア中の連続ドラマ「ハコヅメ~たたかう!交番女子~」では戸田恵梨香とW主演を務める一方、5月に公開され、バカリズムが脚本を務めたことでも話題となった映画「地獄の花園」でも主演を果たした。  さらに今年は「キネマの神様」「そして、バトンは渡された」と2本の映画が控えているなど、まさに大ブレーク中だ。映画誌の編集者は彼女のブレークをこう分析する。 「たしかな演技力と透明感は同世代の女優の中でも群を抜いています。映画に関してはヒロイン役で主人公をもり立てるのがとてもうまい。いわゆる“引きの演技”がとにかく秀逸なので、いろんな監督がキャスティングしたがるのもうなずけます。これまで主演した映画『ひるなかの流星』や『君は月夜に光り輝く』はともに興行収入10億円を超えているので、しっかり数字を持っている貴重な女優さんです。10月公開予定の主演映画『そして、バトンは渡された』は原作が本屋大賞を受賞した瀬尾まいこ氏の人気作。おそらくコロナも落ち着いているころだと思うので、永野芽郁さんの代表作になると思います」 「地獄の花園」はコロナ禍で集客が苦しかったにもかかわらず、最終的には興行収入は7億円を突破しそう。また、現在放送中の「ハコヅメ」も初回視聴率が11.3%と好調なすべり出しをみせ、永野の女優として安定した人気を感じさせる。  永野はもともと子役として芝居を始め、ティーン誌のファッションモデルなどを経て、本格的な女優の道に。女優として頭角を現したのが、参加者2366人のオーディションを見事勝ち抜き、朝ドラのヒロイン役をつかんだ朝の連続テレビ小説「半分、青い。」(2018年)だ。 「永野さんは当時18歳。左耳が聴こえないヒロインを好演し、脚本を手掛けた北川悦吏子さんから“第2の大竹しのぶ”とまで絶賛されました。実際、役に没頭するがあまり『本当に耳が聞こえなくなった』ということを自身のブログで明かしており、それは『白血病患者役を演じていたら役に憑依しすぎて実際に吐血した』というエピソードを持つ大竹しのぶさんそのもの。実際、ドラマの視聴率もよく、今の永野さんの快進撃につながりました。同世代で言うと広瀬すずさんや橋本環奈さんと比べられることも多いのですが、女優のキャリアとしても遜色ありません。また、永野さんはこの2人に比べると若い女性からの人気が非常に高い。『ポスト新垣結衣』と言われるのも納得の存在です」(テレビ情報誌の編集者) ■あと10年は第一線で活躍できる  先日発表された「高校生が選ぶ今一番好きな女優」ランキング(アイ・エヌ・ジー調べ)では2位を獲得。若者世代からも圧倒的な支持を得ている。一方、所属事務所も永野をなんとしても大女優に育てあげたいという思いがあるだろう。 「永野さんは昔から数多くの人気女優が名を連ねるスターダストの所属です。ただし、近年は柴咲コウさんが独立するなど、昔ほど女優陣の勢いはなくなり、最近では山崎賢人さん、横浜流星さん、仲野太賀さんなど男性俳優陣のほうが存在感があります。その点、21歳の永野さんがさらなるブレークをみせれば、やはり“人気女優が育つ事務所”という評価にもつながります。スターダストは俳優のマネジメント力には定評がありますし、永野さんにはあと10年でも第一線で活躍できる若さがある。今後のエンタメ界を担う逸材だと思います」(同)  TVウオッチャーの中村裕一氏は、永野芽郁の今後をこう分析する。 「『半分、青い。』での熱演は言うまでもなく、天性の華を持つ俳優です。先日ドラマの番宣で、多い時は1日5食しっかり食べるというエピソードを披露していました。あの細い体のどこにそんな量の食べ物が入るか不思議ですが、それが彼女のパワーの源であると同時に、そんな飾らなさが多くの人の心を捉えて離さないのでしょう。また、ピュアで屈託のない笑顔も魅力。カルピスウォーターやUQモバイルといった好感度の高いCMに5年に渡って起用されていることからも、お茶の間からの根強い人気ぶり、浸透ぶりがうかがえます。次代を担う女優として、さらなるブレークを迎えることも時間の問題でしょう」  誰もが太鼓判を押す女優・永野芽郁の圧倒的なポテンシャル。ピュアな魅力でガッキーのような国民的女優となるか、憑依型の演技で大竹しのぶのような実力派女優となるか、この先が楽しみだ。(藤原三星)
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dot. 2021/07/15 11:30
デビュー作10万部超の現役高校生作家・鈴木るりか 小説で「中学受験に失敗した子」を描く理由
デビュー作10万部超の現役高校生作家・鈴木るりか 小説で「中学受験に失敗した子」を描く理由
中学2年生の時に文壇デビューした鈴木るりかさん。現在は高校3年生(写真/高橋奈緒=写真部)  現役高校生作家の鈴木るりかさんが、『さよなら、田中さん』でデビューしたのは14歳のとき。中学受験をテーマにした作品が話題を呼び、10万部を超えるベストセラーになった。現在発売中のAERA MOOK『偏差値だけに頼らない 中高一貫校選び2022』(朝日新聞出版)では、自身も中学受験を経験したという鈴木さんに、作品に込めた思いや中学受験の思い出を聞いた。 *  *  *  現在、高校3年生。中高一貫校に通いながら、既に4冊の本を刊行し、作家として活躍する鈴木るりかさん。才能が開花したのは小学生のとき。小学館主催の「12歳の文学賞」で、小4から3年連続で大賞を受賞するという偉業を成し遂げたのだ。小5の終わりには、中学生の間に書き下ろしを加えて本を出す話があった。 「中学受験をすることはぼんやり考えていましたが、決断したのはそのころですね。高校受験がないほうが、創作活動に集中できるかな、って」  小6の4月から中学受験の塾を探し始めたが、予想外の苦労があった。「受け入れてくれる塾がほとんどなかったんです。受け入れOKだとしても、転塾者限定。中学受験は小4から準備することを初めて知りました」  4月の終わりにようやく決まったが、そこは主に高校受験をサポートする塾だった。 「小6の塾生はわたし含め2人。だけど、もうひとりの子がやめちゃって。集団塾のはずなのに個人塾状態(笑)。先生はわたしのペースに合わせてくれて、競争もなくゆったりしていましたね」  公立の小中一貫校に通っていたため、「落ちても元の学校に通えばいい」と思っていた。最後まで切羽詰まった気持ちにはならなかったという。 「一般的な中学受験とは別物の経験だったと思います。厳しい環境や競争が苦手な私には、合っていたかな。これから中学受験をする人の参考には、あまりならないかもしれませんが……(笑)」 ■学校選びの基準は「忘れ物が届けられる距離」  志望校選びで両親からの条件として挙げられたのは、女子校であることのほかに、家から近いことだった。理由は、「学校が遠いと、忘れ物を届けるのが大変だから」。 「最初は、なんで忘れ物をする前提で話が進むんだろう、と思っていました。でも、思い返すと、忘れ物をして届けてもらうことが何度もあった。今は、家から近い学校を選んでよかったな、と思います」  無事合格した学校では先生や友達、先輩に恵まれ、創作活動にも集中できた。「中学生の間に、2冊も本を出せました。新刊を出すとサインを頼まれたり、学校にポスターを貼ってくれたり。温かく見守ってくれています」  デビュー作『さよなら、田中さん』に収録され、書名にもなっている書き下ろし作品は、中学受験に失敗した男の子、三上くんの視点から語られる。また、続編の小説には志望校に落ちて公立中学校に通う子や、難関中高一貫校に受かったものの中退した青年が登場する。 「中学受験に対して、否定的な気持ちがあるわけではありません。目標に向かって物事に取り組むということは、中学受験もスポーツも音楽も同じで、その努力は等しく称賛されるべきだと思います。ただ、全ての人が望みどおりの結果にはならない。負けたり失敗したりしたあと、どう生きていくかが大切だと思う。だから、小説ではその先を描きたかったんです」  そしてこう続けた。 「本当の目標は受験よりも先にあるはず。そこにたどり着く方法は何通りもあって、もしだめでも別の道があるということが、作品を通して伝わったらうれしいです」 すずき・るりか 2003年、東京都出身。中学受験を経て、現在都内の中高一貫校に通う高校生。小学4年生のときに小学館主催の「12歳の文学賞」で大賞を受賞。その後も2年続けて大賞に選ばれる。中学2年生のときに、『さよなら、田中さん』(小学館)で小説家としてデビュー。これまで、4作品を刊行。21年6月刊行の『今読みたい太宰治私小説集』(小学館文庫)では、初めて解説も担当。 (文/濱田ももこ=編集部) ※『偏差値だけに頼らない 中高一貫校選び2022』より
中学受験
AERA with Kids+ 2021/07/04 10:00
日本人初の五輪メダリストは商社マン? オリ・パラの「人物うんちく」7連発
日本人初の五輪メダリストは商社マン? オリ・パラの「人物うんちく」7連発
日本人初五輪メダリストはテニス男子シングルス。それから96年ぶりの2016年リオ五輪で、錦織圭が銅メダルを獲得した(写真/朝日新聞社)  オリンピックやパラリンピックの歴史に残る人物にはどんな人がいるだろう? 小中学生向け月刊誌「ジュニアエラ」7月号の「スポーツのうんちく特別編」では、さまざまな人物にまつわるうんちくを紹介した。 *  *  * ●最年長の金は「射撃」 スバーン(スウェーデン・射撃)  五輪史上最年長の金メダリストはスウェーデンのオスカー・スバーン。1912年ストックホルム大会(スウェーデン)、シカの形をした的をライフル銃で撃つ射撃競技「100m鹿追い」のシングルショット団体に出場し、64歳258日で優勝した。8年後の20年アントワープ大会(ベルギー)にも100m鹿追いのダブルショット団体に出場し、72歳280日で銀メダル。これはメダリストの最高齢だ。  逆に、最年少は? 1900年パリ大会(フランス)、ボートのペア競技で、オランダチームの舵手が出場できなくなり、10歳くらいの少年の観客が代役を務めて、見事に優勝。名前も告げず消えたこの少年が、幻の最年少金メダリストといわれている。記録に残る最年少金は36年ベルリン大会(ドイツ)、女子3m飛び板飛び込み、マージョリー・ゲストリングの13歳268日。  日本人金メダリストの最年長は1984年ロサンゼルス大会(アメリカ)、射撃競技「男子ラピッドファイアピストル」の蒲池猛夫(48歳135日)、最年少は92年バルセロナ大会(スペイン)女子200m平泳ぎの岩崎恭子(14歳6日)。 ●日本初メダリストは商社マン 熊谷一弥(テニス)  日本人初の五輪メダリストは、1920年アントワープ大会テニス男子シングルス銀メダルの熊谷一弥。慶應義塾大学テニス部で活躍し、卒業後は三菱合資会社銀行部(現・三菱UFJ銀行)に入社。ニューヨーク駐在員として働きながら現役プレーヤーを続け、日本人初のメダリストになった。柏尾誠一郎と組んだダブルスでも銀メダルを獲得している。  熊谷が銀メダルを獲得した後、日本人はテニスでなかなかメダルを獲得できなかったが、2016年のリオデジャネイロ大会(ブラジル)男子シングルスで錦織圭が銅メダルを獲得。熊谷以来96年ぶりの快挙だった。 ●日本初の金と特大の日章旗  織田幹雄(三段跳び)  日本人初の五輪金メダリストは、1928年アムステルダム大会(オランダ)、陸上男子三段跳びの織田幹雄。主催者側は日本人の優勝を予測しておらず、表彰台に掲げる日の丸を準備していなかった。日本選手団が持ってきていたもので代用したが、2、3位の国の旗よりもかなり大きかった。この大会では競泳男子200m平泳ぎで鶴田義行も金メダルに輝いている。  アムステルダム大会には日本から初の女子選手として人見絹枝が1人だけ参加し、陸上女子800mで銀メダルに輝き、日本女子初のメダリストに。日本女子初の金メダリストは、8年後のベルリン大会競泳女子200m平泳ぎの前畑秀子だ。 ●6連覇の鉄人はメダリスト一族 ゲレビッチ(ハンガリー・フェンシング)  五輪連続大会金メダルの記録を持つのはハンガリーのアラダール・ゲレビッチ(ハンガリー)。1932~60年にかけて、フェンシング男子サーブル団体で6大会連続優勝を果たした。22歳から50歳まで、世界のトップに君臨していたことになる。しかも、妻、息子、義父もメダルを獲得しているメダリスト一族だ。  個人の夏季五輪連続金メダルの記録は4回で、男子は陸上・走り幅跳びのカール・ルイス(アメリカ)、競泳200m個人メドレーのマイケル・フェルプス(アメリカ)ら4人。女子はレスリング63キログラム級・58キログラム級の伊調馨(2004~16年)1人だけだ。 ●オリ・パラ両方に出場! パルティカ(ポーランド・卓球)  卓球女子のナタリア・パルティカ(ポーランド)は、 生まれつき右腕のヒジから先がないが、2004年アテネ大会(ギリシャ)からパラリンピックのシングルス(立位)で4連覇している。オリンピックにも08年北京大会(中国)からは3大会連続で出場して活躍。16年のリオ大会の団体1回戦では、ダブルスで日本の福原愛、伊藤美誠チームと戦っている。  オリンピックとパラリンピックの両方に参加した選手は、ほかにもアーチェリー女子のザハラ・ネマティ(イラン)、競泳女子のナタリー・デュトワ(南アフリカ)、陸上短距離のオスカー・ピストリウス(南アフリカ)らがいる。 ●冬季五輪初の金は表彰台独占 笠谷幸生(スキージャンプ)  冬季オリンピックでの日本人初の金メダルは、1972年札幌大会スキージャンプ70m級の笠谷幸生。金野昭次が銀、青地清二が銅と続き、表彰台独占の快挙だった。以後、ジャンプは日本のお家芸となり、これまでに金3を含む11個のメダルを獲得。五輪のジャンプで金メダルを手にしている国は、ヨーロッパ以外では日本だけだ。  日本の表彰台独占は、冬季大会ではこの1回のみ。夏季大会では、1932年ロサンゼルス大会の競泳男子100m背泳ぎ、68年メキシコ大会の体操男子床、72年ミュンヘン大会(西ドイツ)の体操個人総合、鉄棒、平行棒(ともに男子)の計5回ある。 ●帰ってきた金15の「水の女王」 成田真由美(パラ水泳)  パラリンピックの日本人最多金メダル獲得者は競泳女子の成田真由美。中学1年生のときに発症した脊髄炎で両足に障害が残り、車いす生活になったが、パラリンピックには1996年のアトランタ大会から2008年の北京大会まで4大会に出場し、金15個を含む計20個のメダルを獲得。一度は引退したが、16年のリオ大会で日本代表に復帰している。  オリンピックの日本人最多金メダリストは体操男子の加藤沢男で、1972年ミュンヘン大会と76年のモントリオール大会(カナダ)で金8。最多メダリストは同じく体操男子の小野喬で、金5を含む計13個を獲得。 ※月刊ジュニアエラ 2021年7月号より
ピックアップ東京五輪注目選手
AERA with Kids+ 2021/06/30 16:00
「美智子さまの人生の終い方」を描く 87歳・皇室ジャーナリストの集大成
大谷百合絵 大谷百合絵
「美智子さまの人生の終い方」を描く 87歳・皇室ジャーナリストの集大成
渡邉みどり(わたなべ・みどり)/1934年、東京都生まれ。早稲田大学卒。ジャーナリスト、文化学園大学客員教授。日本テレビのディレクターとして、報道、情報系の番組を担当。著書に『心にとどめておきたい 美智子さまの生き方38』など。  60年以上、同い年の美智子さまを追いかけ、20冊あまり本を書いた。87歳となった今年、皇室ジャーナリストとして渡邉みどりさんは、集大成となる著作を発表した。『美智子さま いのちの旅─未来へ─』(講談社ビーシー/講談社 1650円・税込)。テーマは「終活」だ。  美智子さまとの出会いは、大学時代。読売新聞社主催の論文コンクールで渡邉さんも友人も軒並み落選する中、2位に入選したのが、当時聖心女子大の2年生だった正田美智子さんだった。しかも、賞金2千円の半分は「社会事業の一助に」と返還し、半分は母校に寄付していた。その名は脳裏に焼き付いた。  そんな「正田さん」はテニスコートで時の皇太子に見初められ、3年後、プリンセスに。渡邉さんは日本テレビの新米ディレクターとして、翌年のご成婚パレードの取材に加わった。歓声の中で美智子さまの姿を見た瞬間、「この方とは一生涯関わり続ける」と不思議な縁を直感したという。  その予感通り、人生を皇室報道に捧げてきた。 「テニスに興じる美智子さまを取材した時は、まず『立派なおみ足だ』と思いました。小さいころ疎開先で『かけっこが速い正田のみっちゃん』と呼ばれただけあるなあと。ひょんなことから、侍従の方に『妃殿下のお友達』だと勘違いされて、大事な着物やグランドピアノを見せてもらったこともありましたね」  皇室の数々の改革も振り返る。  家事育児は美智子さま自らする。被災地への慰問の際は床にひざをついて話す。誰かを呼ぶときは、呼び捨てせず「さん」をつける。これらの変化は、民間から嫁いだ美智子さまの「市民の感覚」によるものが大きいと渡邉さんは考えている。 「ご自分の意志を貫く精神力のある方。美智子さまがいて、日本は救われたと思います。私としても、これだけ熱を入れて取材し続けられる方に巡り合えて幸せです」  渡邉さんが飛び込んだ当時のマスコミ業界は、女性がほとんどいなかった。あらゆる雑用を引き受け、「女は早く辞めろ」と上司に言われ、ポケットにコンドームを入れられるなど数々の嫌がらせも経験したという。そんな中、苦労も多い皇室でしなやかに自身の道を歩む美智子さまの姿に、励まされていたのだろう。  その美智子さまが陛下(上皇さま)と成し遂げた「最後の大改革」が、生前退位だ。  国民への負担や経費を最小限にするための決断だった。葬儀も400年ぶりに土葬から火葬に変更すると決めた。  どこまでも国民に寄り添おうとする姿に、「美智子さまらしい終活」としみじみ語る。今回の著書には、「一人一人が自分の『死に様』を考えるきっかけになれば」との願いを込めた。 「どう生き、どうこの世から消えたいのかを見つめ、次の世代の理解と賛同を得る。美智子さまの人生の終い方は、後世の大きな学びになると思うのです」  本のタイトルに「未来へ」と添えた真意だ。(本誌・大谷百合絵) ※週刊朝日  2021年7月2日号
皇室読書
週刊朝日 2021/06/29 11:30
『82年生まれ、キム・ジヨン』チョ・ナムジュさんによる、もう一つの「私たちの物語」出版
三島恵美子 三島恵美子
『82年生まれ、キム・ジヨン』チョ・ナムジュさんによる、もう一つの「私たちの物語」出版
チョ・ナムジュ/1978年、ソウル生まれ。梨花女子大学社会学科卒。2011年、『耳をすませば』で文壇デビュー。著書に『82年生まれ、キム・ジヨン』『彼女の名前は』など (c)Munhakdongne Publishing Group 『82年生まれ、キム・ジヨン』で大きな共感を呼んだチョ・ナムジュさんによる待望の小説『ミカンの味』が出版された。ナムジュさんが作品や自分自身の変化について語った。AERA 2021年6月28日号に掲載された記事を紹介する。 *  *  *  幼少期から経験する数々の理不尽や不平等、女性であるがゆえの困難を描き、「私たちの物語」と大きな共感を生んだ『82年生まれ、キム・ジヨン』。その著者であるチョ・ナムジュさんの新作『ミカンの味』は、高校進学を控えた女子中学生4人の「連帯」を描いたシスターフッド小説だ。 「私は、いま自分が属している社会でどんなことが起きているのかを知り、記録し、質問することが好きなようです。これまでも、その時々に私にできる方式でそれをやってきたのだと思います」 ■社会に目を向ける姿勢  ナムジュさんは、大学で社会学を専攻し、ドキュメンタリー番組などの放送作家を10年務めた後に、作家となった。昔も今も社会へと目を向け続ける姿勢は変わらない。  12歳の娘の母という顔も持つナムジュさんが、本作のテーマでもある教育環境、入試といった問題に関心が湧いたのは必然だったのだろう。 「『ミカンの味』は、現在の学校と家庭と入試制度を取材し、今の中学生たちに会って得た情報と資料をもとに書いています。しかし、書いている間、時代も環境も制度も私のときとはまったく違うのに、自分の中高生時代の出来事がたくさん浮かび上がりました。小説を書くことで、当時は分からなかった自分自身の状況と感情に気づいた部分があります。何げなく過ぎ去らせていた瞬間を覗いてみる機会になりました」 ■少女たちの心の機微  本作の読みどころは、現在の韓国が抱える教育の問題点を鋭く抉りながらも、自らの手で未来を掴(つか)みとろうともがく少女たちの心の機微を丁寧に掬(すく)い取っているところだろう。その一方で、働く親が抱える苦悩や矛盾に焦点を当てることも忘れていない。 <子どもが待っているから、子どもの具合が悪いから、子どもが小さいから、という言葉は、言い訳に聞こえるのではないかとぐっと飲み込み、子どものおかげで人間として成長できた、責任感が生まれた、人の気持ちを思いやるようになったという言葉は、きれいごとに聞こえるのではないかと我慢した。しかし、今回はそのまま正直に答えた。隠すのも疲れた> <ラーメンやハンバーガーみたいなものは絶対に食事にならない、外の食べ物は調味料が多くて体に良くない、と。そんなお母さんが、(略)一食ぐらい適当にすませても死なないと言う。人の考えが、言葉が、行動が、いつどう変わるかは誰にもわからない>  ナムジュさんは、自らに起きた変化についてもこう話す。 「『82年生まれ、キム・ジヨン』以降、女性の暮らしを書く作家と呼ばれることが、私を大きく変えたのは事実です。こうやってインタビューを受け、読者と会って話を聞き、応援と、それと同じだけの非難を受けながら思考と感覚の領域が広がり、たくさん成長したと思います。人の感受性と価値観は不可逆的な面があり、私はもう以前の私には戻れそうにありません」  緑色のときに収穫されてひとりで熟したミカン、日光からの栄養分を最後までもらって熟したミカン。常に感情のはざまで揺れ動き続ける少女たちは、自分はどちらのミカンに近いのかと、自問自答する。  主人公の一人、ソランの答えは、こうだ。<ゆっくり答えを探していけばいいと。まだそんな歳だと>  ナムジュさんの社会を見つめる視線は鋭いが、紡ぐ言葉は温かい。本作が『82年生まれ、キム・ジヨン』と並んで、もう一つの「私たちの物語」と共感を呼んだゆえんは、ここにある。(編集部・三島恵美子) ※AERA 2021年6月28日号
AERA 2021/06/25 16:00
女優・映画監督・小説家、3つの顔を持つ小川紗良「思い描いた道を歩めている」
吉崎洋夫 吉崎洋夫
女優・映画監督・小説家、3つの顔を持つ小川紗良「思い描いた道を歩めている」
小川紗良さん(撮影/写真部・張溢文)  NHKの朝ドラなどに出演し女優として活躍する一方、早稲田大の学生時代に是枝裕和監督に師事し、映画監督としても活動する小川紗良(25)。25日には、初めて長編映画監督を務めた映画『海辺の金魚』が全国公開され、それに先立ち同タイトルの小説も出版した。「女優」「映画監督」「小説家」という3つの顔を持つ小川紗良の実力の秘密に迫った。 *  *  * 「役者として駆け出しのころは映画監督や小説家までできるとは想像していませんでしたが、やりたいとは思っていました。周りに恵まれて、思い描いた道を歩めていると思います」  物静かな口調でこう語るが、「思い描いた道を歩めている」という言葉からは、強い信念を感じさせる。  女優として注目されたのは、NHK朝の連続テレビ小説『まんぷく』。主人公・福子と萬平の娘・幸を演じ、高い演技力が話題になった。昨年はドラマ『アライブ がん専門医のカルテ』に出演し、乳がん患者役を好演した。  他方、映画監督としても学生時代からキャリアを積んできた。早稲田大在学中には映画サークルに所属し、『万引き家族』でカンヌ国際映画祭最高賞パルムドールを受賞した同大教授、是枝裕和監督にも師事。3本の短編・中編映画を監督し、若手登竜門の映画祭で入選するほどの実力派だ。  そして今回、『海辺の金魚』(25日公開)で初めて長編映画の監督を務めた。映画に対する強い思いはどこから出てくるのか。 「初めて映像を撮ったのは高校1年生のとき。役者の仕事は高2から始めたので、実は役者よりも早いんです。学校行事の記録を撮って、みんなに喜んでもらえた経験が忘れられない。それが映画監督にこだわる原点です」 『海辺の金魚』は、児童養護施設で暮らす18歳の女子高校生と、新たに入所してきた8歳の少女との交流を描く作品だ。ひとりの少女が「自分の人生を歩き始める瞬間を描いた物語」だという。同映画のプロデューサーを務めた東映の小出大樹さん(29)はこう評価する。 インタビュー中の小川紗良さん(撮影/写真部・張溢文) 「『自然な姿を撮りたい』という小川監督の意向で、今回は演技経験のない子どもたちに出てもらい、台本も渡しませんでした。そのため、どう演技してほしいかを伝えるのにとても心を砕きました。監督は、一緒に作品を作っているんだということを子どもたちと同じ目線になって伝えようとしていました。後半の大事なシーンを撮るときに、子役に『今日は大変だと思うけど、花ちゃん(主人公)と一緒に頑張ろうね』と目を見て話していたのはとても印象的でしたね」    なぜ児童養護施設を舞台にしたのか。小川は「身寄りのない子どもたちに以前から思い入れがあったから」と語る。 「『キャンディ キャンディ』とか、『明日のナージャ』『アルプスの少女ハイジ』など、孤児院で育った少女や親元を離れた少女が主人公のアニメを小さい頃から見ていました。自然と、希望を捨てずにたくましく自分の道を歩んでいく女の子の姿に共感するようになったんだと思います。今回の作品は、主人公だけではなく、見てくれた方や私自身が、自分の人生を歩み出す後押しになればと思っています」 窓から空を眺める小川紗良さん(撮影/写真部・張溢文)  彼女の作品には、雨のシーンが少なくない。映画のクライマックスは大雨のシーンが印象的だ。大学時代に最初に作った短編映画『あさつゆ』は、アジサイの咲く梅雨の季節が舞台になっている。 「私は晴れ女なんですが、雨が好きですね。梅雨生まれなんで(6月8日生まれ)、梅雨の時期が好きなんです。植物が生き生きとしている感じがいいな、と思って。登場人物の心理や情景描写によく使っています」  映画制作後に執筆した小説も、雨のシーンから始まる。初めて書いた小説について、「映画よりも予算や場所などにとらわれない分、自由に表現ができ、奥深いと思いました」と小川は話す。  小説の前半にはこんな描写がある。18歳の女子高校生の誕生日会と、施設に入所してきた少女の歓迎会が一緒に開かれた際のシーンだ。 <窓の外に目をやると、いつの間にか雨は止み、庭の木々に滴る雨粒が月光に照らされていた。風が吹くとその雨粒がきらりと落ちて、庭中の木々が涙を流しているようだった。私と晴海の記念日を祝うその涙は、喜びにも悲しみにも思えた>  登場人物の心情も織り込んだ情景描写が特徴的だ。なぜこんな表現ができるのか。本人は「小説を書くための勉強は特にしていません」と言うが、文章力の秘密についてこう明かしてくれた。 「昔から作文が好きで。高校・大学受験は推薦入試だったのですが、小論文の練習として朝日新聞の『天声人語』を要約したり、書き写したりしていました。それで文章構成の基礎や表現力が身につけていたのが役立ちましたね」  2016年、早稲田大学2年次には女子大生モデルとして『週刊朝日』の表紙を飾った。オーディションでは「ピカイチの存在感で、審査でも満票」(当時の週刊朝日編集長)だった。当時をこう振り返る。 「このときは初めて出演した映画が公開されたり、初めて自分で映画を撮ったりと、本当に駆け出しの頃でしたね。もっと映画に出たいとか、もっと映画を作りたいとか、野心をもっているときです(笑)。表紙に出たおかげで反響がすごくありました。写真家の川島小鳥さんともこの時に出会い、今回の映画のスチール撮影や小説の表紙を撮ってもらっていました。週刊朝日の表紙に出させてもらったことは、私のキャリアの支えになっています」 週刊朝日2016年8月5日号の表紙  彼女の活躍はまだまだとどまりそうもない。今回の撮影では「子どもたちが脚本に書かれた予定調和を壊してくれることで、そこから新しい表現が生まれた」と語る小川。コロナ禍で空いた時間を活用して、子どもとより向き合えるようにと、保育士の資格を取得したそうだ。 「資格を取ったのは、子どもを理解して向き合うためですね。また子どもが出る映画を撮りたいとも思っています。役者も映画も小説もやることは全然違いますが、表現という点ではお互いに結びついている。これからも新しいことに挑戦しながら、表現の幅を広げていきたいと思っています」  進化し続ける小川紗良に注目だ。 (文/AERA dot.編集部・吉崎洋夫) ※映画『海辺の金魚』は6月25日から東京・新宿シネマカリテほか全国公開。小説はポプラ社刊。
小川紗良海辺の金魚
dot. 2021/06/25 11:00
「令和」の名がつく大学が誕生 大学の名前はどのように決まるのか?
「令和」の名がつく大学が誕生 大学の名前はどのように決まるのか?
ともに元号に関係する大学名の慶應義塾大(左)と明治大(撮影/片山菜緒子、小山幸佑)  2022年、新しい大学がいくつか誕生する。  福岡県福岡市に令和健康科学大(仮称)が開学する予定だ(設置認可申請中)。大学での「令和」名称、いちばん乗りとなる。  同大は、学校法人巨樹の会(カマチグループ。系列に病院20、診療所2、助産院1、学校7)が運営する。同会創設者の蒲池真澄氏は、「日本はもっと健康になれる 令和を健康な時代にする大学、はじめます。」と同大ウェブサイトで掲げている。  元号に関係する大学名は、慶應義塾大以降、明治大・明治学院大・明治国際医療大・明治薬科大、大正大、昭和大・昭和女子大・昭和薬科大・昭和音楽大、平成国際大・平成音楽大・帝京平成大・福山平成大と、しっかり踏襲された。大学にとって、元号はブランド力構築として魅力なのかもしれない。  22年には大阪公立大が開学する。文部科学省の大学設置認可上では、大阪府立大、大阪市立大が統合し、新しい大学としてスタートする。校名を決めるにあたって、「公立大学大阪」「大阪総合大学」が最終候補に残っていた。「大阪城大」「なみはや大」「森之宮大」などの名前もあがっていた。これは所在地などにちなんだものだ。大阪維新の会所属の府議会議員のなかには、大阪都構想が実現すれば「大阪都立大」に変更するという思惑もあったようだ。「将来は首都大学大阪」という冗談も飛び出したという。  大阪公立大は英語表記として、「Osaka Metropolitan University」(略称:OMU)を定めた。当初「University of Osaka」だったが、大阪大から抗議を受けている。同大学の英語表記が「Osaka University」で「混同される」という理由からだった。大阪公立大は一歩引いて、大阪大に配慮した形だ。  22年に名称変更を予定する大学がある。  稚内北星学園大(北海道)は育英館大と改称する。これは経営者が代わったことによる。稚内北星学園大は長年、定員割れが続いており、経営が厳しかった。そこで、京都を拠点とする学校法人育英館が経営を引き継いで再建に乗り出した。大学の名前は法人名から付けられており、京都市内に育英館大サテライトキャンパスを新設することになった。  学校法人育英館は、関西語言学院、四万十看護学院、東北育才外国語学校(中国)を運営する。また、系列の学校法人京都育英館として京都看護大、北洋大、北海道栄高校を運営している。  稚内北星学園大はキリスト教プロテスタント系大学だったが、経営者が代わったことで、ミッションスクールではなくなった。  21年には、広島県に叡啓大が開学した。読みは「えいけい」である。そして、県立大だ。さっそくSNS上で「読めない名前を大学名にするな」「宗教系みたいで公立とは思えない」といった話で盛り上がってしまう。  校名の由来、決定経緯について、地元紙がこう伝えた。 ――新大学の名称を発表した今年10月の記者会見。中村健一理事長は、その名に込めた思いを解説した。「『叡』の訓読みは『かしこい』。『谷』と『目』が組み合わされた字で、物事を掘り下げて追求し見据えるとの意味がある。そうした力をもって『啓』、つまり新時代を切り開く人材を育てる」。名称は同法人の教職員約10人で構成する準備室が決めたという。4月に検討を開始。新大学のカリキュラムを協議した有識者会議のメンバーにも候補を募った。50余りの案の中に「叡」の字があった。案には含まれていなかったが、新大学の理念に沿った「啓」の字を組み合わせた。(中国新聞デジタル2019年12月20日)  広島県では19年、県立広島叡智学園が開校した。「えいち」と読み、国際バカロレアを得るための教育プログラムを備えた全寮制中高一貫校である。県教育委員会は同校の名称を公募しており、そのなかから「叡」が採用されている。叡智と叡啓。広島県は教育理念として「叡」すなわち「かしこい」を掲げたいようだ。  多くの公立大学には「県立」「市立」という名前が入っている。国公立大学と位置づけられることで、ブランド力を保ちたいという思いがうかがえる。そこには「私立よりも上」という優越意識やプライドさえも見えてくる。  叡啓大はそういう意味で冒険といっていい。「県立」とつけなくても秋田の国際教養大は全国区となった。全員留学必須というグローバル性を強くアピールしたことによる。叡啓大はそれ以上に強烈な個性を打ち出せるか。大学名称で勝負に出たということは、よほど自信があるのだろう。楽しみだ。  2006年から21年までの16年間に、63校が大学名を変えている。『大学ランキング2022』(朝日新聞出版)では大学の名称変更の一覧表を掲載している。名称を変えた大学<その1>  名称変更の理由は次のように分類できる。代表的なケースをあげて紹介しよう(2006年以前の名称変更を含む)。 (1)経営者が代わり、新しい大学に変わった。  京都学園大→京都先端科学大(2019年)。日本電産会長の永守重信氏が大学経営者(理事長)になったのは有名だ。 (2)系列校と統合して総合大になった。 武蔵工業大→東京都市大(2009年)。同じ学校法人の系列校、東横学園女子短期大学と統合し、都市生活学部と人間科学部を設置した。 (3)学部増設で学部の構成が変わり、現行の大学名が適さなくなった。  大阪医科大→大阪医科薬科大(2021年)。統合により薬学部が加わり単科大学ではなくなった。 (4)校名変更で大学のイメージを変えようとした。 苫小牧駒澤大→北洋大(2021年)。駒澤大という曹洞宗の仏教系大学の系列だったが、宗教系ではなくなった。 (5)私立大から公立大へ設置者が変わった。 千歳科学技術大→公立千歳科学技術大(2019年)など。 (6)「市立」「県立」とつけて、公立大であることを強調する。 尾道大→尾道市立大(2012年)など。 (7)女子大の共学化。少子化を見据えて共学化に踏み切った。 東北女子大→柴田学園大(2021年)など。 (8)都市名を冠して大学所在地をアピールした。世界的に観光地として知名度が高い京都、神戸に見られる。 松蔭女子学院大→神戸松蔭女子学院大(1995年)、ノートルダム女子大→京都ノートルダム女子大(1999年)。名称を変えた大学<その2> 名称を変えた大学<その3> (9)大学名称の地名、地域名が広がった。 秋田経済法科大→ノースアジア大(2007年)、福岡経済大→日本経済大(2010年)。 (10)大学の所在地を変更した。 北海学園北見大→北海商科大(2006年)。所在地が北海道北見市から札幌市に移転したため。 (11)大学院大が大学に変わった。 ビジネス・ブレークスルー大学院大→ビジネス・ブレークスルー大(2010年)。  大学が名前を変えるには、やむにやまれぬ事情があって、というケースもある。  1997年、北海道江別市に北海道女子大が開学した。2000年に北海道浅井学園大に改称する。05年には浅井学園大に変えた。しかし、07年になると北翔大に変更する。10年間で3回変わったことになり、2004年の入学者は卒業するまでに自己紹介で3つの大学を名乗らなければならなかった。  それには、こんな事情があった。この大学は創始者一族が経営しており、そのトップである理事長は自分の姓を大学名につけた。ところが2006年、理事長は背任容疑に問われ、職を辞したあとに逮捕されてしまった。大学の経営幹部は「大学の名称に逮捕者の名前が出るのはまずい」との判断で、その翌年に大学名を変更したというわけだ。 名称を変えた大学<その4>  山口県萩市にある至誠館大は数奇な運命を辿ってきた。1999年に萩国際大を開学したが、当初から学生募集で苦戦を強いられる。2005年に民事再生法を申請して外部からの支援を仰いだ。学校法人、企業などが救いの手を差し伸べる。07年、コンサルタント会社が経営陣に加わり新体制でリニューアルをはかった。校名を日本福祉文化大に変更しようとしたが、他大学関係者から類似した大学名があるという指摘を受け、山口福祉文化大で落ち着いてスタートした。  しかし、学生募集で苦戦し経営が立ちゆかなくなり、12年に民事再生法を申請する。その後、まもなく他の学校法人が支援するが、経営をうまく軌道に乗せられず手を引いてしまう。その後も別の学校法人が経営にかかわるが、撤退。菅原学園などが経営に加わって大学運営のかじ取りをすることになり、14年に至誠館大に衣替えし、今日に至っている。  校名は、その大学の顔である。アイデンティティー、設立者へのリスペクト、地域への帰属性、教育の方針や特徴、遵守する宗教の教え、建学の精神、思想などが込められている。  名前が多くの人に広く浸透するか、学生や地元から愛される名称になるかは、優れた教育、最先端の研究、そして私たちを幸せにしてくれる社会貢献にかかっているだろう。 (文/教育ジャーナリスト・小林哲夫)
大学の名前大学ランキング
AERA with Kids+ 2021/06/25 10:00
男性に生まれ、女性として就活した慶大卒のトランスジェンダーが語る就職活動
男性に生まれ、女性として就活した慶大卒のトランスジェンダーが語る就職活動
 政府が企業に要請している入社面接などの選考活動が6月1日に解禁され、2022年春卒業予定の大学生の就職活動は今がまさにピーク。自己PRや志望動機は自分自身をさらけ出す側面もあるが、トランスジェンダーの人たちは?   厚生労働省は履歴書の性別欄に男女の選択がない書式案を作成したり、民間でもLGBT当事者が働きやすい環境を整える企業が今増えつつある。8歳から建築家を夢見て慶応義塾大学大学院で建築学を学び、トランスジェンダーとして就活を経験し、日建設計で社会人3年目を迎えたサリー楓さんに聞いた。 *  *  * ――単刀直入に就活の履歴書の性別欄は男女どちらにマルを?  履歴書では戸籍情報を聞かれているんだと思って、男性にマルしました。 ――カミングアウトした上で就活して良かったことは?   自分らしく表現できたことです。就活って自分のこれまでの経歴や長所・短所を振り返り、第三者の視点に立って、自分と社会との距離感を俯瞰的にとらえる機会。そういうタイミングでカミングアウトしたことによって、トランスジェンダーであることが社会にとってどのような意味を持つのか、社会と会社にどんな価値を提供できるのか、真剣に考えることができました。ジェンダーの説明は、履歴書の備考欄ではなく自己PRの記入欄に書きました。 ――具体的にどう書いたんですか?  現在働いている会社は国際的にも利用されるプロジェクトを手掛けることが多く、さまざまな立場の方々がその施設を利用します。11人に1人ぐらいの割合でLGBT当事者がいるとも言われているので、施設利用者が1万人いれば千人弱ぐらいの当事者の方がいるかもしれません。ですからプロジェクトに私が関わることで、多様性に配慮した視点が少しでも加わり、建築が提供できる豊かさの幅が広がるのではないかということを書きました。 ――面接の場でトランスジェンダーについてたずねられましたか?  自己PRの欄でジェンダーについて書いていましたし、履歴書に添付する写真も女子大生のリクルートスーツ姿だったので、書類審査の段階で気づかれていたと思いますが、最終面接で初めてジェンダーについてたずねられました。ジェンダーに限らず、誰もが色々なアイデンティティーやコンプレックスがあると思うんです。それを説明するための文脈を工夫することで、前向きな姿勢を示すことができると感じました。 ――コンプレックスをポジティブ語るという発想はどこから?  小学校2年生のときに『スイミー』という絵本を見て感動したんです。赤い魚たちの中に1匹だけ黒い魚がいて、“これ私じゃん!”って(笑)。当時から男の子の集団にも女の子の集団にもなじめなくて、先生からは「男の子と一緒に外で運動しなさい」と言われることもありました。そんなの嫌だったから教室でずっと絵を描いていました。  絵本のスイミーは、物語の最後で、赤い魚の群れの中で黒い自分が「目」になることを思いついて、天敵の大きな魚を追いやった。じゃあ私の場合、どうしたらクラスという群れの中で「目」の役割ができるのか考えて、他の子がやりたがらなかった遠足のしおりや校内のポスターの絵を描いたんです。それまでは絵を描くのがそんなに好きじゃなかったんですが、建築の道を志すようになったのもその延長だったと思います。 ――もし就活生のときにカミングアウトしなかったら、今どんな日常を送っていると思いますか?  私が今もし男性として社会人になっていたら、ジェンダーのことに気が取られて、仕事に集中できていなかった気がします。自分がどういうジェンダーで生きたいのかは、健康で、よく眠ることができて、最低限の生活基盤があるのと同じで、基本的なコンディションの一部。それが欠けていたら寝不足で仕事するのと一緒だと思うんです。そういう意味で、今は自分の力を発揮しやすい環境で働けていると感じます。 ――楓さんは社会人になった後も、LGBT就活生をサポートする活動に参加されていますね。  私が就活していたとき、トランスジェンダーの立場で就活した体験談を聞ける仲間がいなくて困っていたんです。もっと若いLGBT当事者には就活でそういう大変な思いをしてほしくないし、ジェンダーを理由に夢や人生をあきらめてほしくなくて。  大事なのは、自分がどういう人間であって、その上で社会に何を残したいかを考えること。でも就活の障害としてLGBTの課題があると、それが解決されるまでは自分がどういう将来を選択したいのか正しい判断がしにくい。  だから就活をすでに終えたLGBT当事者たちで協力して、情報を共有したり発信したりしながら、就活生を応援できることがあれば関わっていきたいと思います。私が出演しているドキュメンタリー映画「息子のままで、女子になる」の中でも、JonRainbowの方々と一緒にLGBT就活生のための就職支援イベントを準備する場面が出てきます。 ――入社してから、会社側が環境を整えてくれたということが何かありましたか?  入社するときに人事部の担当者から「就活でカミングアウトされたのは初めてで、正直どうすればいいかわかりません。だから問題があれば一緒に変えていきましょう」と言われて、安心して働けそうだと感じました。  会社が取り組んでくださった事例の一つが、戸籍名と異なる通名を社員証で使えるようになったことです。私のようにジェンダーが理由ではなく、夫婦別姓を選択された方や、日本での通称を使いたい外国人スタッフの方もこの制度を利用できるでしょう。 ――ジェンダーに対して大きな取り組みをする予算のない企業でもできることはありますか? 「誰でもトイレ」を設けるようなハード面の取り組みは予算がかかるので、社内のモラルをアップデートするための研修を行うなど、ソフト面から始めるのが良いと思います。LGBT当事者が社内にいるかもしれないという機運が高まるだけでも環境は変わりますし、その上で当事者の方が入社してきたら本人と話し合えばいいと思うんです。話し合える雰囲気があるかどうかが、「誰でもトイレ」があるかより、もしかしたら重要かもしれません。 ――職場にLGBT当事者の方がいる場合、本人に直接その話を聞いてもいいのでしょうか。  これはあくまで私の場合ですが、間接的に噂されるより直接聞かれるほうがいいですね。当事者にLGBTについて尋ねる理由にも色々あると思うんです。恋愛対象が知りたいとか、男女どちらのトイレを使うか確認したいとか、あるプロジェクトにおいてLGBT当事者の意見がほしいとか。 ――実際に仕事上でLGBT当事者として意見を求められたことは?  ありました。会社で働いている中で、LGBTの課題に取り組みたいという関連企業さんから相談されたり、勉強会を開催しませんかと言われたり。そういった過程で新しい情報をいただくこともあるので、結果的に自分のプロジェクトにも役立つことになります。 ――色々なことがつながっていっていますね。  新しい情報を得る機会が増えると、それが世の中のニーズをとりこぼさないことにもつながっていくのかなと思います。かつて就活でアピールしたのはそういう可能性だったので、実際にその通りになっているのかもしれません。  就活は自分のネガティブなことも売り込まないといけません。それはジェンダーの問題に限らなくて、大学を中退したとか、持病を抱えているとか、親の介護があるなど、さまざまな状況があると思います。ジェンダーの問題が取り上げられることによって、そういった多様な状況を生きている方々が自分らしく働ける社会になればいいなと思っています。 (大西夏奈子) ■ プロフィール/サリー楓(さりーかえで) 1993年京都生まれ、福岡育ち。慶応義塾大学大学院卒業後、国内外の建築事務所を経験し、現在は建築のデザインやコンサルティング、ブランディングからモデルまで多岐にわたって活動。その傍ら、トランスジェンダーの当事者としてLGBTQに関する講演会も行っている。パンテーンCM「#PrideHair」起用や「AbemaTV」コメンテーター出演も話題に。自身が出演するドキュメンタリー映画「息子のままで、女子になる」が6/19(土)より渋谷ユーロスペース他全国で順次公開。
LGBTサリー楓トランスジェンダー就活
dot. 2021/06/24 10:00
「底辺校から東大へ行く子vs地頭がいいのに深海に沈む子」明暗決める12歳までの親の"ある行動"
「底辺校から東大へ行く子vs地頭がいいのに深海に沈む子」明暗決める12歳までの親の"ある行動"
東京大学(c)朝日新聞社 (c)Norifusa Mita/Cork  進学校ではない高校から東京大学に進む子は何が違うのか。作家で教育カウンセラーの鳥居りんこ氏は「偏差値が低い底辺校などから東大に合格した人たちは12歳までの過ごし方に共通点がある。それは親が実践する4つの習慣によってつくられた心穏やかになれる生活時間を過ごしていることです」という――。 ■同じく子供を持つ「親」……なぜ、天と地ほどに違うのか  親の「実力」はこれほどまでに違うのか……。  今回、2冊の書物に触れる機会があった。書籍『ドラゴン桜「一発逆転」の育て方』(以下、一発逆転本)と、雑誌『プレジデントFamily2021年夏号』(いずれもプレジデント社)だ。  前者は、人気ドラマ「ドラゴン桜」(TBS系)のリアル版、すなわち、低学力・底辺校・不登校などハンデがあったにもかかわらず東京大学に合格した高校生とその親へのインタビュー集。なぜ奇跡を起こすことができたのか、そこには本人の努力だけでなく、親の献身や関与があった。  後者の目玉記事は、現役の東京大学の学生249人に実施した小学生時代のアンケート。この記事を読むと、有名な私立中高一貫校の生徒でないケースでも合格できたのは、やはり親の存在があったからだということがよくわかる。  筆者は、長年、教育カウンセラーとして活動し、中学・高校・大学受験する子供やその親からの相談を受けるとともに、学校の現場に足を運んで取材している。その中で東大生、もしくは東大生の親から話を聞くことも多いが、そこから得た知見と、今回の2冊から感じたポイントは同じだ。 ■東大合格者の家庭には世帯年収350万円以下が8%もいる  それは賢い子が育つ家庭には“共通点”があるということであり、東大生の親の育て方は他とは似て非なるものだということだ。  東大合格者の半数の家庭が世帯年収950万以上だと言われる。世帯年収350万円以下の家庭はわずか8%。データ上は、高年収家庭が圧倒的有利だが、経済的に豊かとは言えない家庭からも、その壁(18歳世代120万人のうち、東大進学者は約3000人。同世代では0.25%という狭き門)を突破する子供はいる。 「一発逆転本」に登場する10人の学生はまさにそうした人たちだ。家庭は裕福ではない、低偏差値の高校出身、不登校経験あり、成績低迷といった困難を見事に乗り越えた。  以下、「東大生アンケート」の結果と合わせて「奇跡を起こした東大生の親」の子育て(主に小学生時代)にはどんな秘密が隠されているのか探ってみたい。 ■子供に東大へ進ませる親が12歳までに実践する4つの習慣  筆者が「賢い子に育てる親」が実践していると感じたのは次の4つの習慣だ。 1 良い習慣(含む勉強)の確立 2 ルールありきの中での自主性を育む 3 愛情を持って褒めて伸ばす 4 知的好奇心を刺激する  この4ポイントが、たとえお金持ちの家庭でなくても、わが子を頭のいい子にすることができる秘訣。なぜ、そう言えるのか「一発逆転本」に登場する東京大学の学生A~Eさんの例から検証してみよう(書籍内では、実名)。 1 良い習慣の確立 ケース:女性Aさん・教育学部3年・私立日本大学三島中高(静岡県)卒  東大を目指す受験生の勉強時間は1日10時間以上に及ぶことも珍しくない。この猛勉強を支えるためには家族のバックアップが欠かせないが、Aさんの場合も東大合格には母(自営業)の力も極めて大きかった。仕事の合間を縫って1日3食、栄養バランスを考えた手料理を決まった時間に用意していたのだそうだ。食事時間以外は机に向かう娘の唯一のリラックスタイムだからこそ「そうしてあげたかった」ということだが、そのおかげでAさんは受験中も規則正しい生活を送ることができたという。 「東大生アンケート」にも、幼い頃から食事作り、早寝早起きへの誘導、整理整頓、共に食卓を囲むといった生活習慣を整えてくれた親への感謝が数多く寄せられている。 「1日にやるべき勉強範囲の習慣付けを根気強くしむけてくれた」(文科2類・学部1年・男子・埼玉県立伊奈学園校卒) 「朝に勉強する習慣を付けてくれた」(文科1類・高3・女子・静岡県立浜松西高卒)  子育てに励む多くの家庭を見てきた筆者の経験では、「東大生の親」に限らず、良習慣化を実行できる親は子供の「睡眠・食事・遊び(ごっこ遊びのようなお手伝いも含む)」を非常に大切にしている。規則正しく暮らしていくことに重きをおいているのだ。  逆に、中学受験塾の宿題のために子供を深夜まで起こしてやらせる親や、口だけで指示してそのフォローをしない親(例:歯磨きの習慣化は親がある程度、フォローしていくことによって身に付く)がいる家庭には良い習慣は根付かない。一貫性に乏しいため、「安定した時間」が得られず、子供が心穏やかな生活を送ることはできない。 2 ルールありきの中での自主性を育む ケース:女性Bさん・文科3類2年、私立富士見中高(東京都)卒  Bさんの小学校の成績は「よくできました」が1~2個で、あとは普通。勉強面では「並」の子だった。親は子供に「勉強しなさい」と言うことはなく、教育方針は「何かを始める場合は基本的には子供の希望通りにさせる」というもの。  ただ、そこにはルールがあった。それは「中途半端はいけないので3年は続けて基礎を学ぼう」。Bさんの希望で始めたピアノもそろばんも、それほど上達したわけではなかったが、「うまくいかなくても諦めない」という教訓が東大受験時に生かされた。  東大生が育った家庭は総じてのびのびとした自由な家風だが、「何でもOK」ではない。「始めたら最低3年は続ける」のような家庭のルールに沿って、その中で子供の自主性を育てる傾向があるのだ。  反対に「子供を潰しかねない親」の特徴はルールがないことだ。    例えば、「子供が望んでいるから」となんでもかんでも許容する。携帯電話、ゲーム関係など端末を簡単に買い与え、時間制限なしに使わせるというようなことだ。 「何でもOK」派の真逆、「なんでもダメ」な親も問題がある。こうした親は子供から夢や希望という話が出るや否や、「それはやめろ」「どうせ無理だ」と否定に走りがちだ。そうなると「自分が何をしたいかすらもわからない」子供になる可能性が高い。 3 愛情を持って褒めて伸ばす ケース:男性Cさん・文学部4年・私立共栄学園中高(東京・特待生)卒  Cさんの両親は自営業で世帯年収は300万円。通常、経済的に苦しい家庭は家族の関係がギスギスしがちだ。ところが、Cさん宅は違う。両親は「いいことは口に出して褒め合う。悪いことは、厄は落ちたから、もう起きないと考える」が共通認識だ。  なぜ、ネガティブな捉え方をしないかといえば「お金が苦しい上に、夫婦や親子で喧嘩したら、やっていけなくなるから」。そういう智恵・習慣があったため、小さなことでも褒め合う。お互いを肯定し合う家庭の雰囲気が、家族の病気や経済苦、Cさんの高3時の“全落ち”といった試練を乗り越え、前を向く力になったのだという。 「東大生アンケート」でも、「親が良いところを褒めて自信を持たせてくれたか」が79.5%に達した。やはり親が「褒めて褒めて褒めまくる」→「愛情をたっぷり注ぐ」→「興味を持ったことを好きなようにやらせる」という方針を貫くことが今の時代の子育てに合っていることが証明された。  アンケートでは「親が子供の趣味や好きなことを応援してくれた」91.1%、「親が話をよく聞いてくれた」90.4%、「親が失敗を責めなかった」84.3%となっており、同じ目線で寄り添い、会話する。そんな親の人間性が見えてくる。  ところが、“普通の親”は、こううまくはいかない。点数・順位・偏差値といった相対的な、他人様が決めた尺度で子供を褒めたり褒めなかったり。わが子自身の成長をしっかり見ずに、誰かと比較するのだ。そのため否定や苦言、叱責が多くなる。  筆者はこれまで子供の成績に一喜一憂して情緒不安定になる親をたくさん見てきたが、これをやめない限り子供の伸びしろが小さくなるばかりか、下手すればやる気を失って、潰れてしまうリスクがある。もともと地頭がよく、将来は東大も夢ではないが、親のせいで深海魚のように沈んでしまう子供の事例は数知れない。 4 知的好奇心を刺激する ケース:男性Dさん・法学部3年・県立水沢高校(岩手県)卒  Dさんが通った岩手県の小中学校は各学年40人程。周囲には田んぼが広がっている田舎の中の田舎だ。そんなD家では毎晩欠かさず、本の読み聞かせをする習慣があり、これが東大受験に影響をもたらし、「国語の勉強に困らなかった」そうだ。休みの日には、家族全員で東北各県の博物館を回り、そこで開催される体験イベントに積極的に参加したという。  東大生アンケートでも「小さい頃読み聞かせをしてくれた」83.2%。「本や新聞を読むことを勧めてくれた」75.9%。「博物館や科学館に連れて行ってもらった」64.6%と高い率になっている。自由回答では「本だけは好きなだけ買ってくれた」が目立った。 「質問したことを真剣に答えてくれた」というものも多く、子供の疑問を放置せず、親が分からなければ「親子で一緒に調べる」という経験をしていることも特徴だ。  このことが、いろいろなものに興味・関心を持ち、さらには「わかる喜び」を知るという人間に育つのだということが見て取れた。 ■普通の親は「カナブン」に何の興味も示さない  一方、普通の親はこんなに子供に時間を割いていない。やれ仕事だ、やれスマホだ、とオフの時間を自分自身のために使う。先日、散歩の途中で、幼稚園児と思しき女の子と歩いていた父親もそうだった。女の子は、父親に「こないだ見つけたカナヘビ(トカゲ)」について一生懸命語っていたが父親の耳には全く入っていない。歩きながら女の子はカナブンの死骸を発見し立ち止まったが、パパはそれに気づかずズンズン先に行く。そして、こう言った。「さっさと歩け!」。女の子は小さな声でカナブンに「バイバイ」と手を振った。  これだけのエピソードでこの女の子の未来を計ることはできない。だが、父親が面倒くさがらず、ほんの少しでもカナブンなどの生き物に興味を示していれば、さぞかし娘は満足し、父親との楽しい時間を思い出にできたのではないだろうか。  東大生の親は優先順位が違う。「幼い子供の脳と体を健康に育てること」を何よりも大切にしているのだ。  結局のところ、親の庇護の元で暮らすしかない小学生以下の子供たちに親ができることは、日々の暮らしをちょうどいい塩梅に整えるということだと筆者は確信している。それには、親自身が子供と共有する時間が限られていることを知り、その時間を楽しもうとすることが最も大事なのだと思っている。
大学受験東大
プレジデントオンライン 2021/06/22 17:21
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岡本直也 岡本直也
「『美しすぎる野球選手』は正直しんどかった」26歳になった加藤優が語る女子プロ成功のカギ
加藤優さん(撮影/写真部・東川哲也)  2021年3月、今季の公式戦の中止を発表した日本女子プロ野球リーグ。一部報道では、昨シーズン終了後から所属選手の退団が相次ぎ、現在、残っているのは数人のみという。今後、リーグは無事に再開されるのかどうか、多くの野球ファンが注目するなか、記者はある選手のことが気になった。「美しすぎるプロ野球選手」として人気を集めた元女子プロ野球選手の加藤優(26)だ。  加藤は、2016年から19年まで日本女子プロ野球リーグに在籍していた。数多くのメディアにも出演し、19年には同リーグの「美女9総選挙」で連覇を達成するなど、女子野球界を牽引した選手の一人だ。「女子プロ野球=加藤優」、そんな重責を背負ってきたともいえる加藤は、この報道をどのように受け止めているのか、話を聞いた。 *  *  * ――女子プロ野球リーグが公式戦の中止を発表しました。率直に、どう感じましたか?  報道を聞いた瞬間は「やっぱりか…」と思いました。いつかはこうなるのではないかと感じていた部分がありました。興行が厳しいと言う事もずっと聞いていましたし、それを補えるだけの集客が出来ていたかと考えると、そうではありませんでしたから。運営方法や選手の育成方法なども成功しているようには見えない状態でしたし、選手としては、そういう現状を目の当たりにしていると、やはり不安になってしまいます。ここにいても「先が見えない」と感じてしまうのは仕方がない事なのかもしれません。そんな中、球場で熱心に応援してくださったファンの方々には、本当に感謝の気持ちしかありません。 ――一部の報道では、選手の「報酬」などに問題があったのではと言われています。加藤さんはどうでしたか?  お金の問題なので、個人で捉え方は異なるかもしれませんが、「報酬」に関しては、すごく恵まれていたと思います。あれだけ赤字があったにも関わらず、成績を残せば、年俸も上がりましたし、タイトル料などもしっかりもらえました。2020年には、年俸が下がった選手もたくさんいたようですが、それでも、一定の成績を残せば、出来高はちゃんとつくという契約だったので、私は悪くなかったのではないかなと思います。選手全員が「一律年俸200万円」なんていう報道をみたりもしましたが、そんなことはまったくありませんでした。こんな運営が苦しい状況でも、私達に、投資をし続けてくれた株主の「わかさ生活」にはとても感謝しています。ただ、そこが現実と釣り合っていなかった、ということでしょうね。これは、女子プロ野球だけに限ったことではないですが、女子スポーツが成功するというのは、非常に難しいのが現実です。 現在は「GOOD・JOB女子硬式野球部」に所属し、横浜DeNAべスターズのスクールコーチ、またTVバラエティやCM、YouTube出演など多岐に渡る活動をしている(撮影/写真部・東川哲也) ――現在、どのような活動をされているのか教えてください。 「GOOD・JOB女子硬式野球部」という企業チームに所属しています。もちろん、選手としてプレーを続けています。2019年の秋に、女子プロ野球リーグを離れてからは、1年ほど、チームには所属していなかったのですが、「人数が足りないから助っ人として試合に出てくれないか」と声をかけてもらったことがきっかけで、今年の1月から加入させてもらっています。企業チームなので、他のメンバーは「株式会社GOOD・JOB」の社員ですが、私はそうではなく、芸能活動と並行して活動させてもらっています。 ――昨年の4月から横浜DeNAベイスターズのスクールコーチに就任しています。これは、現在も続けているんでしょうか?  週3日程度ですが、続けさせてもらっています。対象は小学1~6年生。理解しやすいように伝えるのが難しいんです。子どもなので、たまに危険な行動をする時もありますし(笑)。今年でコーチは2年目になりますが、子どもは1年経つとものすごい背が伸びたりするのも驚きます。そういう成長に感動したりもしています。 ――加藤さんはYouTubeでも活動されています。 「加藤の優チューブS」というチャンネルで2週間に1回程度ですが配信しています。野球とは関係なく、自分の特技であるギターや歌を披露しています。最近ではアイナ・ジ・エンドさんの「彼と私の本棚」、Awesome City Club の「勿忘」などを歌いました。企画や編集、撮影など、全部一人でやっています。YouTubeって、ほんと大変ですね(笑)。もう少し自分のスケジュールに余裕ができたら、更新頻度をもっとあげたいと考えています。 ――現在、企業チームでプレーされていますが、やはりプロとは気持ちの入り方などは異なりますか?  やはり野球を仕事にしているか、そうでないかというのは、かなり大きな差だと思います。目標設定もプロでいた時のほうができていたと思います。でも、だからといって、決して遊びでやっているわけではありません。企業チームも応援してくれるスポンサーの方がたくさんいますし、所属している選手として責任を持って行動し、プレーしなければいけないのは当然です。 「美しすぎる」と書かれたポスターは恥ずかしかったと語る加藤さん(撮影/写真部・東川哲也) ――女子プロ野球リーグ在籍時は「美しすぎるプロ野球選手」として数多くのメディアなどにも出演されていました。野球とは関係ないところを評価されるのは、複雑な思いもあったのでしょうか?  正直、結果を出すまではかなりしんどかったです。1、2年目などは成績もまだ全然安定していなかったので、もっと練習に力をいれたいのに、イベントなどに出ないといけない日も多く、「私よりもレベルの高い選手がいるのになぜ?」と、戸惑っていたというのが本音です。私がまだベンチに入れていない頃に、開幕戦の試打式のピッチャーを任されたこともありました。通常であれば、ベンチに入れない選手は、運営スタッフとして試合をサポートしなければならないのに……。あとは、「美しすぎる……」と書かれたポスターも恥ずかしかったです(笑)。まだ新人の私がそうやって表に出てしまうことで、私の実力が女子プロ野球の全レベルだと思われてしまうのではないかと、そんなネガティブな感情にもおそわれたりもしました。一日も早く、恥ずかしくないような選手に成長しなければいけない、そんな焦りの中で、ずっとプレーしていました。 ――なぜ、女子スポーツの成功は難しいと思いますか?  結局、男子と比べられてしまうというのが非常に大きいと私は思います。女子プロ野球も、昔から「迫力がない」「スピード感がない」というのは、散々言われてきました。男子と女子って、身体の作りが全然違うのに、同じ土俵で評価されてしまっているので、競技の魅力が伝わりにくいんです。なので、女子スポーツを成功させるには、もっとその競技の面白さが伝わるように、規格などをもう一度見直すっていうのも必要じゃないかなと思います。 ――規格を見直すというのは具体的には、どのようなことでしょうか?  例えば、野球だと、女子は男子よりもどうしてもホームランが出にくい。これは、やっぱり寂しいです。もっとホームランが出やすいように、フェンスの手前に柵を作るなどの工夫があってもいいと思います。あと、「飛びやすいボールに変更する」とか、少し危険を伴うので難しいでしょうが「塁間などを少し狭める」などもそうですね。女子選手や運営側は「女子でも男子と同じ規格でできる」という意地もあると思いますが、興行ということを考えると、いつまでもそう言ってはいられないのではないかと思います。 次世代の選手のために日本女子プロ野球リーグの再開を願う加藤さん(撮影/写真部・東川哲也) ――女子プロ野球リーグも成功するためには、新しいチャレンジが必要ということですね。  いきなり「プロ」にこだわらなくていいのかなとも思います。例えば、実業団を主体に構成されているようなソフトボールリーグの運営などを真似してみるのもいいと思います。まずは、そこからスタートして、ゆくゆくはプロリーグになれるように地道に頑張るというのが、いちばん現実的な方法かもしれません。あとは、NPBの12球団ともっと絡ませてもらうなど、話題になるような企画するのも面白いと思います。今は、西武ライオンズや阪神タイガースにも女子野球チームが誕生しましたし、そういったチームと積極的に交流し、知名度を少しずつ広げていく活動も必要でしょう。そして賛同してくれる企業をもっと増やしていく。これまで女子プロ野球リーグは、「わかさ生活」の1社だけで運営していたので、それだけでは長く続けていくのは難しい。欲をいえば、NPB12球団がそれぞれ女子野球チームを作ってくれて、一緒に協力していくのがベストです。 ――女子プロ野球リーグが中止のままだと、次世代の選手への影響も大きいですよね?  やはり女子プロ野球を目標に、日々の練習を頑張っている選手はとても多いので、それが無くなりかけているという状況は、かなり深刻です。目標を見失った選手もいますし、「何を目指せばいいですか?」と聞かれるたびに、私も心が苦しくなります。このままでは女子野球そのものがどんどん衰退してしまうので、早急に何とかしてほしいなと願っています。「女子プロ野球はやはり成功できなかった」、そんな単純な言葉で、このまま終わらせてほしくありません。改善の余地はまだまだあるし、絶対良くなると私は信じています。諦めずに、ぜひ、もう一度チャンレンジしてほしいですね (聞き手・構成/AERA dot.編集部・岡本直也) 加藤優(かとう・ゆう)/1995年5月15日、神奈川県生まれ。父親の影響で5歳から野球を始める。高校時代から企業チーム「アサヒトラスト」に所属し、女子野球日本代表候補に選出される。2016年に女子プロ野球選手として「埼玉アストライア」に入団。2019年にベストナイン受賞。同年11月に退団。現在は「GOODJOB女子硬式野球部」に所属し、横浜DeNAべスターズのスクールコーチ、またTVバラエティやCM、YouTube出演など多岐に渡る活動をしている。
dot. 2021/06/21 10:00
一人予約や安さで20代に高まるゴルフ人気 笹生優花、松山英樹らも影響?
一人予約や安さで20代に高まるゴルフ人気 笹生優花、松山英樹らも影響?
写真はイメージ(c)GettyImages 「接待ゴルフ」などの印象から、中高年に好まれるスポーツというイメージもあるゴルフ。だが近年、若い世代のあいだで人気が高まっているという。若年層を取り込むゴルフ場の戦略を、マーケティング・コンサルタントが読み解く。 *   *  * 「ゴルフを始めて2年目ですが、グリーンにはまだ行ったことがないんです。月に1回、近所の打ちっぱなしで練習したり、シミュレーションゴルフに行って『ゴルフ女子会』をしたりしています」  都内に住む会社員女性(27歳)はこう話す。女性がゴルフを始めたきっかけは「しぶこフィーバー」。2019年8月「AIG全英女子オープン」で、渋野日向子プロが日本人選手として42年ぶりに海外メジャー優勝を果たした。「スマイル・シンデレラ」といわれる渋野プロに、女性は「同年代で身近な存在で親近感を覚えた」と言う。  総務省の『家計調査』によると、29歳以下(2人世帯以上)が支出しているゴルフプレー料金は、2018年は1世帯あたり平均わずか107円(100世帯あたりの購入頻度は2回)だったが、20年には1262円(同26回)にまで増加している。ほかの年代と比べると数字そのものは大きくないが、その伸びは顕著だ(表参照)。都内でも若い男性、女性が練習用のクラブケースを抱える姿をよく見かけるようになった。大手のゴルフ場ではコロナ以後、若年層の利用客が増えているという。 ■レジャーや軽スポーツとしてのゴルフ  若い世代がゴルフに目を向けるようになったのには、いくつかの背景がある。  ひとつは、前出の女性がゴルフを始めたきっかけになったように、渋野選手をはじめとした若手スター選手の影響が指摘できるだろう。19年の渋野選手の活躍に続き、21年4月12日(日本時間)には、松山英樹選手が『マスターズゴルフ2021』で日本の男子選手で史上初めて、ゴルフ4大メジャー大会の一つを制覇した。  そして、6月7日、さらなるビッグニュースが飛び込んできた。『全米女子オープン』で笹生優花選手が、畑岡奈紗選手とのプレーオフの末、メジャー初優勝を果たした。日本女子選手としては三人目、19歳での大会制覇は史上最年少の快挙だ。日本選手同士によるメジャー大会のプレーオフの筋書きなど、いったい誰が予想できただろうか。若手プレイヤーの活躍にメディアも反応し、特集番組が放送されるなど、視聴者を引きつけている。今後、世界を席巻して優勝するプレーが期待され、ゴルフ人気にも影響してくるかもしれない。  さらにコロナ禍の影響も大きいだろう。近くのゴルフ練習場でクラブを振ることで、外出自粛による運動不足を解消し、あまり汗をかかずにストレス発散できる。さらに、ゴルフ場デビューすれば、緑豊かな広大な野外で、互いの距離を取って3密(密閉、密集、密接)を避け、気兼ねなくプレーすることができる点も魅力だ。50代以上が経験した会社の経費を利用したゴルフではなく、レジャーや軽スポーツの一環としてゴルフを選択する人がでてきているのだろう。  一方、受け入れる側のゴルフ場の変化にも注目したい。  バブル経済の崩壊後、日本のゴルフ場の経営権を外資が握ることで、多方面に渡りゴルフ場改革が進んだ。会員権がなくても利用できる施設や、平日であれば1万円以下でもプレーができるコースも登場するなど、ゴルフ場を利用するハードルは下がっている。さらにゴルフ場へ行くときの服装も、通常は「紳士淑女のスポーツ」として男性ならジャケット着用(夏場を除く)が原則だが、カジュアル化し、ドレスコードを緩和して対応しているゴルフ場もある。  さらに、一人予約で単独のプレー希望者が集まってコースを回ったり、夫婦やカップルなど2サム(2人組)でのプレースタイルを実施したりしているところもある。さらに女性プレイヤーのために、ロッカーやトイレ、シャワールームを新たに増設している施設もあり、手軽に使いやすくなっていることもブームを後押ししている。  また、業界全体として、若い世代を取り込む動きもある。  たとえば、21、22歳のゴルフ場や練習場の利用料金を無料とする取り組みがある。リクルートの旅行情報サイト「じゃらんnet」は、中長期的にゴルフ参加率を増やすことで、ゴルフ市場と関連産業、ゴルフに伴う国内旅行を活性化することを目的に「ゴルマジ!」プロジェクトをスタート。 21歳、22歳だけゴルフ無料(ゴルフ場=9ホールや18ホールプレー、練習場=30分の打席料または50球のボール代無料)とすることで、需要創出を目指している。就職活動を終えた学生をゴルフへと誘導することで、将来への顧客の増加に貢献するのが狙いだ。 ■とはいえゴルフ業界は「斜陽産業」  ここで、ゴルフ業界の歴史を振り返ってみたい。これまでにも「ゴルフブーム」と言われた時代が何度かあった。  第1次ブームは、戦後12年目の1957年になるだろう。霞ヶ関カンツリー倶楽部(埼玉県川越市)で第5回カナダカップ(後のワールドカップ)が開催され、中村寅吉選手が個人で優勝。そして中村選手と小野光一選手ら日本チームが団体優勝も成し遂げ、日本ゴルフ界が一般大衆化へと舵を切る出来事となった。さらに、井上誠一氏、上田治氏、富澤誠造氏といった名匠により、日本各地に多くのゴルフコースが設計、造成された。  第2次ブームは1971年、笹生選手の師匠にあたる尾崎将司選手が、日本プロゴルフ選手権で初優勝。青木功選手、尾崎将司選手、中嶋常幸選手によるAON時代が到来した約20年の期間であろう。スター選手の存在と高度経済成長と相まって、日本ゴルフ界は発展。日曜日の午後には、幾つものゴルフ中継番組が放映されていた。  だがバブル後、企業の接待交際費や個人の娯楽費が激減。ゴルフは「負の財産」と化し、冬の時代が到来する。その一方で1997年にタイガー・ウッズ選手が21歳3カ月という史上最年少、かつ大会史上最少ストローク(270)でマスターズを制しメジャー初優勝。そこから、タイガー・ブームが巻き起こり、第3次ブームがやってくる。石川遼選手や松山英樹選手は、ウッズ選手の影響を受けた「タイガー・チルドレン」と言っても言い過ぎではないだろう。この時代、男子プロでは丸山茂樹選手、田中秀道選手、片山晋呉選手らが、女子プロでは不動裕理選手、宮里藍選手らが活躍した。今回のブームは、これに続く「第4次ブーム」とみることができるだろう。  とはいえ、大きな流れでみればゴルフ業界全体が斜陽産業であることは否定できない。ゴルフ人口は1994年時点では1200万人だったが、2012年は840万人にまで減少。市場規模も90年代と比べると大幅に縮小している。  90年代からゴルフ用品メーカーの販促を担っていた筆者は、プレー減少の深刻化、外資によるゴルフ場の買収と倒産、ゴルフ会員権の価格が下がり紙くず状態に……といった冬の時代を体験しており、閉店や倒産に陥る販売店も間近に見ていた。 ■「接待ゴルフ」から脱却できるか  この第4次ブームに乗ってゴルフ業界が再興できるかどうかは、「接待ゴルフ」から脱却し、スポーツとしてのニューゴルフが定着するかどうかにかかっている。そのためには、将来のゴルフプレイヤーを増やすべく、いまから種をまいておくことが必要になるだろう。  たとえば、子どもゴルフ体験教室。プラスチックのボールやクラブでまずはボールを打つゴルフの楽しさに触れる機会を設けていく。中学、高校にゴルフ部を作る運動は、2019年「ジュニアゴルファー活性化プロジェクト」(日本高等学校ゴルフ連盟とゴルフ業界3社)により動き出したばかりである。同連盟によると、野球部がある高校は約4000校、野球人口は14万人以上だが、ゴルフ部があるのは現状、中学・高校を合わせて362校、4200人ほどしかない。  多くの業界と同様、ゴルフ業界も「マーケティング・マイオピア状態」に陥っている。これは、近視眼的に了見が狭くなり、顧客の立場に立った広い視野で全体最適をはかることなく、自身の価値や連携を意識、理解せずに市場を縮小化、衰退させてしまう状況を指す。たとえば鉄道業界は、単に人を運ぶ路線と考えるのではなく、駅構内のショッピングエリアや沿線の宅地、郊外のレジャー施設の開発をおこなうことで、顧客と業者のwin-winの関係を生みだしている。ゴルフ業界でも、顧客志向による川上から川下への一気通貫システムの再構築が望まれる。  そのような観点からすれば、たとえば女性プレイヤー向けにファッションとしてのゴルフウェア、キャップ、レインコート、サングラスなど、機能性ある日常使いを展開してみるのもいいだろう。  ゴルフ業界をゴルフそのものにたとえるなら、谷や海越えさえあり、バンカーも池もある長い18番ホールのなかで、業界のプレイヤーそれぞれが、クラブの役割に応じたグリーンへのナイス・ショットやリカバリー・ショットが求められている。一人の優勝者ではなく、ゴルフ業界全体が勝者になる最後のチャンスだ。 (文/新山勝利) ●新山勝利(にいやま・しょうり)研修セミナー講師、マーケティング・コンサルタント、大学講師。日本商業学会、日本マーケティング学会、日本プロモーショナル・マーケティング学会・正会員。顧客満足を高める売場づくり、販売促進、店舗の活性化(ミステリー・ショッパー、マニュアル作成)のノウハウを提供する。メーカーのリテール・サポートにはじまり、全国の商工会議所など団体組織、広告代理店、卸売業、量販店、チェーン店等でコンサルティングを展開。他業界の豊富な成功事例の写真や図表を用いた、わかりやすい理論的な説明が特徴。飲食店の経営者経験もある。食べログで3.50点を達成するため、飲食店のコンサルティングでは、点数を分析したデータ主義で売上向上をはかる。また多数の専門誌に執筆。著書に『売れる商品陳列マニュアル』(日本能率協会マネジメントセンター)など。ホームページはhttp://www.ureru.jp/
ゴルフ
dot. 2021/06/20 10:00
全米女子V笹生優花 東京五輪で畑岡奈紗との名勝負再び?
菊地武顕 菊地武顕
全米女子V笹生優花 東京五輪で畑岡奈紗との名勝負再び?
最終日は我慢のゴルフを強いられ続けた。バンカーショットを放つ (GettyImages)  松山英樹が4月にマスターズを制したのに続き、米ゴルフツアーからまた朗報が届いた。 笹生の父は日本人の正和さん(右)、母はフィリピン人のフリッツィさん。日本とフィリピンの二つの国籍を持っている (GettyImages)  全米女子オープンを笹生(さそう)優花が、畑岡奈紗(22)とのプレーオフの末に制したのだ。弱冠19歳11カ月による快挙。大会史上最年少での優勝である。 フィリピン国旗を掲げるギャラリーの前で。笹生はフィリピン代表として、東京五輪に出場する意向 (GettyImages)  笹生と畑岡は、2016年の世界ジュニア選手権15~17歳の部で激戦を演じた。そのときは首位を走る笹生を、最終日に畑岡が逆転し優勝。2人の名勝負第3幕の舞台は東京五輪?(文/本誌・菊地武顕) (GettyImages) ※週刊朝日  2021年6月25日号
週刊朝日 2021/06/18 16:00
田中圭「しんどいけど辞められない」「この道しかない」 アスリートとの間に見いだした共通点
熊澤志保 熊澤志保
田中圭「しんどいけど辞められない」「この道しかない」 アスリートとの間に見いだした共通点
俳優 田中圭(撮影/写真部・張溢文)  田中圭が空を飛ぶ。映画「ヒノマルソウル~舞台裏の英雄たち~」で演じるのは、長野冬季五輪で“主役”になれなかったベテランのスキージャンパーだ。実在のアスリートと自身の間に意外な共通点を見いだしたという。 *  *  * ――1998年、20世紀最後の冬季五輪として開催された長野オリンピック。そのスキージャンプ団体戦で、原田雅彦や船木和喜ら日本代表は劇的な逆転優勝を果たした。当時13歳だった田中も、その様子をテレビで観ていた。 田中圭(以下、田中):長野冬季五輪のことははっきり覚えていますね。日本がスキージャンプで金メダルをとったこととか、優勝した後、原田さんが泣きながらインタビューに答えていたこととか、船木さんがめちゃくちゃ美しいジャンプをしたことも、印象に残っています。  当時はジャンプの得点がどんな基準で採点されるのかわからなかったんですが、船木さんのジャンプだけは、子ども心に「めっちゃきれいだ!」って感動しましたね。  だから、この映画のお話をいただいたときは、すぐに「ああ、あの長野の!」と思い出しました。あの逆転劇の裏側にこんなエピソードがあったと知って、とても驚きました。 ■役作りはしなかった ――映画「ヒノマルソウル~舞台裏の英雄たち~」は、長野五輪の大逆転劇の舞台裏に迫った、実話を基にした作品だ。田中が演じるのは、原田でも船木でもなく、オリンピックに出場することが叶わなかった“テストジャンパー”、西方仁也だ。 田中:西方は、1994年のリレハンメル冬季オリンピックに日本代表として出場、チームを牽引するも、原田のジャンプ失敗により、金メダルを逃してしまう。その後の長野冬季五輪では、まさかの代表落選。競技前に試験飛行を繰り返してジャンプ台の状態と安全を確かめる「テストジャンパー」として参加することになる。 ――西方を演じるにあたって、田中は役作りは「特にしなかった」という。 田中:本を読んで、当時のオリンピックの映像や資料を見て、人物のバックボーンを頭の中に入れただけです。僕は、西方さんの“代弁者”になれればいいなと思ったので。それに、そもそもスキージャンパーは、役作りのしようがなく。付け焼き刃の練習で飛べるものではありませんから。 ――一方で、事実に基づいた物語で、実在の人物を演じることの難しさも感じていた。 田中:実は、脚本を読んだ直後は、正直「これはどうしたもんか……」という感じでした。僕が演じる西方さんは、もちろん今もご存命です。フィクションと同じように演じれば、本人とかけ離れた人物になってしまう。脚本のストーリーがあまりにもよく出来過ぎていて、映画用に多少盛っているのかなと思ったんです。  たとえば、冒頭の長野オリンピックのシーンで、ジャンプする原田に対して西方は何度も心の中で「落ちろ!」と念じるのですが、演出的な都合でそんなことを言うのは嫌だなあって。だって、悲劇があったとしても、さすがに親友でありライバルであるチームメートの原田のことを、そんなふうには思ったりしないだろうと。演出だとしても、なんか嫌だなあってずっとモヤモヤしてたんです。  もちろん、ドラマや映画はあくまでエンターテインメントだけど、事実や歴史はできる限り捻らずに、正確に伝えたいじゃないですか。  たとえば、僕らもテレビの仕事で、インタビューを受けて再現VTRを作っていただくことがありますが、少し盛られることもあるんです。すると、事実に少し捻れが生じて視聴者に伝わってしまうこともある。  あのオリンピックで現実にあった話を演じるのであれば、できる限り事実をいじりたくないという気持ちが強くありました。 ■人間の弱さ表現したい ――同時に、作中の西方と実際の西方の違いを具体的に知ってしまうと、今度は“事実を再現すること”ばかりに演技が引っ張られてしまう懸念もあった。そのため、当初は、西方本人に「会いたくない」とさえ思っていたという。実際に会って話を聞いたのは、クランクインしてしばらくしてからだ。 田中:ところが、いざ西方さんとお会いして話を伺ったら、「『落ちろ』と言葉にしてはいないけど、同じようなことは思っていましたよ」って言われて。 「いや、思ってたんかーい!」っていう(笑)。  それから、劇中で西方がほかのテストジャンパーたちと酔っぱらってクダを巻くシーンがあるんですけど、「あれは実際はもっとひどかった」とかノリノリで話してくださって。「これなら、もっと早くお会いしたかった」と思いました(笑)。  西方さんの話を聞いてからは、人間の妬みや弱さ、きれいじゃない部分こそ、むしろしっかり表現したいという思いが強くなりました。 ■この仕事が好きです ――作中、西方が直面するのは、五輪に選手として出場して金メダルをとる、人生をかけて追ってきた夢がかなわない、というアスリートとしての大きな挫折と屈辱だ。本作の企画プロデュースを担当した平野隆は、「長い下積みを経てきた田中さんならば、きっと西方さんの“痛み”を肌で感じて、まっすぐに表現してくれると思った」と述べている。田中自身も、過去には「自分より先に売れていく後輩に嫉妬したこともあった」と語っている。 田中:西方は、代表に選ばれなかった後、何度もジャンプを辞めようと思うんですが、結局飛ぶことをあきらめられずにテストジャンパーを引き受けました。  僕も役者をやっていて、「しんどいなあ」と思うことはたくさんあります。でも、結局辞められない。やっぱり、好きなんですよ、この仕事が。この道しかないのに、無駄に悩んで、もがいているところが、「自分に似てるな」って、かなり共感しました。  西方は、前向きな主人公タイプじゃなくて、めちゃくちゃ人間臭い男なんです。くやしい気持ちをわかりやすく表現するし、ふてくされやすいし、立派な言葉も言わないし、最後まで「テストジャンパーなんてやりたくない!」ってウジウジしてる(笑)。でも、僕もスポーツをやっていたので、そういう気持ちはわかるし、「かわいいなあ」と思いましたね。  日本中の期待を一身に背負って立つアスリートたちも、やっぱり僕らと変わらない人間なんだと思いました。 ■踏み切りを練習した ――映画に登場するテストジャンパーも、聴覚障害がありながら国際大会で優勝した経験を持つ高橋竜二(山田裕貴)、女子スキージャンプがオリンピック種目になかった当時からオリンピック出場を目指して訓練を続けていた女子高生の小林賀子(小坂菜緒)など、いずれも実在の選手がモデルだ。ジャンプシーンの撮影は、実際に長野冬季五輪の舞台になった白馬ジャンプ競技場を借りて行われた。キャストたちは「空サッツ」(ジャンプ直前の踏み切り動作)の陸上トレーニングを積んだうえで、実際に高さ約130メートルのジャンプ台の上に立ち、命綱を付けて滑り出すまでを演じた。 田中:初めてあのジャンプ台に上ったときは、めちゃくちゃ怖かったですよ! 滑走路の上に置かれたスターティングバーに実際に座って撮影したんですけど、直前に水っぽい雪が降ったせいかツルツル滑って、「こんなに滑んの!?」ってヒヤリとしました。でも、それが、撮影の終盤には、バーの上で足をプラプラさせながらスタンバイするようになっていたので、本当に恐ろしいのは人間の“慣れ”のほうかもしれません(笑)。 ■選手の裏に無数の物語 ――撮影現場は「楽しかった」と振り返る。 田中:西方の妻役の(土屋)太鳳ちゃんと、(山田)裕貴は前から知っている仲なので、信頼して演じることができました。(眞栄田)郷敦と菜緒ちゃんには初々しい力強さがあって、刺激を受けました。菜緒ちゃんは、ジャンプ台に立ったときに涼しげな顔をしていたのが印象的だったのですが、あとで聞いたら実は高所恐怖症で、表情に出ないように我慢していたらしいんです。その横で座長の自分が「やっべぇ、こええ、嫌だあ!」って騒いでいたのが恥ずかしくなりました(笑)。  コーチ役の古田(新太)さんと僕とは、サシのシーンが多くて、本番でも僕の目をじっと見つめてしばらく黙っていることがあったんです。だいぶ時間があって、ようやく「西方!」と声を上げるんですが、僕は知っているんです。「この人、今、絶対おれの名前を忘れていた」ということを(笑)。そんなこともたくさんあって、楽しい現場でしたね。 ――クライマックスのシーンでは、共演者の熱のこもった演技と、実際の五輪でジャンパーたちが繰り広げた物語がオーバーラップして、思わず目頭が熱くなったという。 田中:当時の映像を見ると、テストジャンパーたちは本当に猛吹雪の中で飛んでいるんです。僕は知ることができてよかったと思いました。  オリンピックという大舞台で、そこを目指して研鑽を積んできた選手たちに目がいくのは当たり前だと思うのですが、その裏側にその選手を支えている何倍もの人がいる。一人の選手の裏側に無数のストーリーがあって、それが表に出てくることはほとんどありません。でも、僕は、あの長野で人知れず戦った人たちがいたという事実に励まされたし、「負けてらんないな俺も」と活力をもらいました。  こんなにすてきな物語を知ったら、自分もがんばらないわけにはいきませんよ。 (編集部・熊澤志保) ※AERA 2021年5月3日-2021年5月10日合併号
AERA 2021/06/18 11:30
自称28歳役を演じた高岡早紀 10歳長女が真似した”魔性の女”のセリフとは
上田耕司 上田耕司
自称28歳役を演じた高岡早紀 10歳長女が真似した”魔性の女”のセリフとは
自称28歳役を演じた高岡早紀(写真提供/(c)2021映画『リカ ~自称28歳の純愛モンスター~』製作委員会)  女優の高岡早紀(48)が主演するラブサイコスリラー映画「リカ~自称28歳の純愛モンスター~」の全国ロードショー公開が6月18日から始まった。その高岡に映画や私生活、恋愛などについて聞いた。  取材場所に入ると、テーブルの上には、新型コロナ対策の透明のアクリル板が置いてあり、アクリル板をはさんだ両側で、顔を見合っての取材となった。 高岡は現在、都内の自宅で母親、次男、長女と4人暮らし。家では犬がゴロゴロと寝そべったり、走り回る。「シングルマザーとして子供たちを育てました。家族から幸せや癒しをもらっています。常に周りに誰かがいて欲しいし、いてくれた方が安心感があり、楽しさも倍増する。友達は少人数でいいと、もしくはいらないくらい」「友達は……いらないくらい」というふとした言葉に、衝撃を受けた。ドラマ、舞台、映画と再注目されている高岡のやすらぎの源は、25年前に建てた家であり、家族なのだ。 23歳の時に結婚し、翌年の24歳で長男、その2年後の26歳で次男を出産した。結婚生活8年で離婚。2人の息子は高岡が引き取った。38歳の時に再婚を考えていた男性との間に長女を出産したが、「結婚しない」道を選んだ。 インターナショナルスクールに通う10歳の娘とは、ガールズトークに花が咲くことも。「娘と最近、どんなことを話したかと言うと、学校で好きな男の子がいるという話(笑)。誰々くんが『今日はしゃべってくれなかった』とか。まだ10歳なので、好きな男の子の話をしゃべっていても、『あーそうなんだ、へェ~』っと、受け流しています」 怖い女の役の映画とはギャップのあるやさしい母の顔。そんな娘の夢はというと──。「私のウォークインクローゼットの洋服を見ながら『あーこれ着たい。大きくなったら、ここにある服を全部、私が着ていいんでしょう』と言って楽しみにしています。私は音楽活動でライブをやっていますから、衣装ってキラキラしたものも多く、娘は楽しそうに見ています。娘は母に憧れるものなんですよ。私も母が大好きですし、大きくなった時には、母の服を片っ端から着たものです」 左から内田理央、市原隼人、高岡早紀、佐々木希。 映画『リカ~自称28歳の純愛モンスター~』に出演。(写真提供/(c)2021映画『リカ ~自称28歳の純愛モンスター~』製作委員会)  娘はまだ、映画「リカ~自称28歳の純愛モンスター~」(以下「リカ~」と略)を見ていない。「リカ~」では、主人公の雨宮リカ役の高岡の振り切った演技が光る。 リカは元看護師で、外科手術もできるくらいのオペの技量を持ち、マッチングアプリを通じて知り合った愛する男たちに、注射針を突き射し、刃物で解体。自分だけのものにしていくという狂気の純愛を描いた物語。 記者も、映画を見ていて「怖い」という言葉を、ついつい口走っていた。ゾクッとするリカのセリフもある。「昨日か一昨日か、食事をしていたら、娘がリカのセリフをマネて『死ねばいい』と言ったんですよ。私が普通にビックリしたら、『ごめん、急にちょっとリカのことを思い出しちゃって』と言っていました(笑)」 この映画は「PG12」指定となっていて、12歳以下の子供は保護者同伴か親の承諾がなければ見られない。血の流れるシーンもある。 娘はバレエのレッスンに熱中しているという。「一生懸命頑張って練習してますね。私も幼少の頃、バレエをやっていて、仕事上、良かったなと思ったことがたくさんあります」 高岡の娘は将来、モデルや役者を目指すのだろうか。「息子たちの時にも、そういう質問がよくあって『本人から俳優を目指すと言われたら反対はできませんよね』と答えていましたが、結果的には2人とも俳優にはならなかった。娘も兄たちと同じ気がします。芸能界は華やかで楽しいばかりではない。子供たちは、私を一番間近で見てきていますから。私が仕事から帰って来て、『今日はもう寝かして』と言ってずっと寝ていたりすることもありますし、そういう姿を見ていて、『大変そうだな』と思ったのかもしれません。彼らなりに俳優になりたいという気持ちが1ミリでもあって、私のせいで諦めたのなら、『夢を壊してごめんなさい』と言いたいですね」 高岡は神奈川県出身。15歳で雑誌のモデルを始め、キャンペーンガールとしてCMに出演し、芸能界デビュー。アイドル歌手としてステージにも立った。18歳の時、映画「バタアシ金魚」で女子高校生役の初主演を射止め、女優業が本格化。19歳で深作欣二監督の映画「忠臣蔵外伝 四谷怪談」でお岩の役を好演し、日本アカデミー賞の最優秀主演女優賞を受賞するなど一躍、人気女優として駆け上がった。 魔性の女を演じた高岡早紀(写真提供/(c)2021映画『リカ ~自称28歳の純愛モンスター~』製作委員会)  仕事のかたわら、次男が生まれた時、母親と同居するようになった。「デビューした頃から、母の強い支えがあったからこそ仕事をやって来られました。すべては母の存在ありきなんです。私を産んでもらったという意味でも、こうやって仕事をしていく上でも。これからもそうですけど、とても大切な存在です」 高岡自身、相手の男性が好き過ぎて、モンスター化してしまいそうになった恋の経験はあるのだろうか。「若い頃は周りのことを気にせず、なりふり構わずでしたね。恋の駆け引きなんて全くできないし、仕事に支障をきたしても突っ走るしかなかった。『これが真実の愛なんだろうな』と感じていた頃がありました」「23歳の人気絶頂で結婚した時もそんな感じだったんですか」と聞くと、「まぁ、そうでしょうね。それこそ運命の相手だと思って結婚したんですから」と答えた。  彼女のインスタグラムには、料理とともに、缶ビールや白ワインを飲む姿の写真をしばしば発見する。一体どうやって、そのスタイルを維持しているのだろうか。「毎晩飲んでいるわけではなく、みんなが寝静まった後にリビングでワインを飲みながらくつろぐのは凄くいい時間なんです。仕事が終わった後の1人の時間というのも大事にしています。理想とする体型は年齢で違っています。今は多分、痩せていると思いますが、これが嫌いじゃないんです。だけど、この体型が理想かというと、ちょっと細すぎるかな、と思うこともあります。それでも健康なので、問題はなさそうです」 普段の食事には、野菜をふんだんに取り入れるようにしているという。「お肉だけじゃ嫌だし、お魚だけでも嫌だし、やっぱり野菜があった方がいい。副菜的な料理がないと、ご飯は食べられない。もちろん、カツ丼だけでもいいんですよ。それはおいしいし、それだけでも満腹にはなるけれど、満足感はどうかなと思う。満足感がないと、食後にチョコレートが食べたい、お菓子が食べたい、となってしまう」 食卓には大皿の料理をたくさん並べて食べる。「少しずついろんなものを家族には食べてもらいたいし、目で満足するってすごく大事なことです。野菜は色も綺麗だから、色とりどりの料理がたくさん並ぶと、満腹感、満足感ともに満たされます」  自宅の屋上には果物の樹や植物の鉢植えなどのガーデニングスペースがある。夏にはビニールプールを置き、娘と水着で満喫することも。ソファやテーブルでくつろぐカフェ風の小部屋もある。日曜大工用に電動ノコギリも購入した。映画では、リカが電動ノコギリを持っているシーンがある。映画の世界と現実が入り混じって、何だか怖い。「リカの撮影終了後に、衣装ケースを普通ゴミで出せるように切ろうと思って、無意識に電動ノコギリを買っていたんです。次の仕事をして、リカのことはすっかり忘れていたんです。別に好きな人の足を切ろうとしたわけではありませんよ(笑)」「リカ~」の原作は累計65万部を突破した五十嵐貴久氏のサイコスリラー小説「リカ」シリーズ。2019年10月、連続テレビドラマ「リカ」(フジテレビ系)の放送が始まると「怖すぎてヤバい」とツイッターなどで拡散され、たちまち話題に。今年3月からはリカの原点を明らかにする続編ドラマ「リカ~リバース~」(フジテレビ系)が放送された。 48歳のアラフィフになった高岡だが、「リカ~」では自称28歳を演じ、違和感がなかった。役作りに、工夫したことはあるのだろうか。「28歳のリカを演じたわけではなく、自称28歳だと言い張っている女性の役ですので、全然、28歳に見えることは意識しなかったです。ただ、リカの持つピュアな心やまなざしが、どう見ても28歳ではないけれども、そうかもしれないと思わせる要因だと思います」 高岡はいつの間にか「魔性の女」と呼ばれるようになった。「『魔性の女』は、これまでもいろんな女優さんにつけられて来たし、『悪い女』みたいに使われていた時代もありましたけど、今はちょっと人と違う魅力を持っていて、惹きつけられる女性みたいな褒め言葉だと解釈するようにしています。私生活で、そう言われたくはないですけどね」(AERAdot.編集部 上田耕司)
dot. 2021/06/18 11:00
60代でBTSファンに 「推し活」とシニアが相性のいい理由
井上有紀子 井上有紀子
60代でBTSファンに 「推し活」とシニアが相性のいい理由
BTS (GettyImages) BTS推しの女性(62)の自宅にある「推しコーナー」。BTSグッズやARMY仲間からもらったプレゼントなどが並ぶ  好きな人や物(=推[お]し)を応援する「推し活」が話題だ。アイドルファンの若者たちだけの話かと思いきや、さにあらず。心と時間とお金に余裕のあるシニア世代こそ、「推し活」を最大限に楽しめる可能性があるという。あなたも「沼」にはまってみたら、人生が輝き始めるかも!? *  *  * 「推しって何かしら、と思ったんですけど、気づいたら大切な存在になっていました」  神戸市の求職中の女性(62)の推しはBTS。世界を席巻する韓国出身の7人組男性グループだ。今年2月、女性は「ARMY」と呼ばれるBTSファンになった。特定のメンバーでなくグループ全体を応援する「ハコ推し」だ。  一人暮らしの家で、BTSを聞いて目を覚ます。家事のときは「Dynamite」でテンションを上げる。夜はテーブルや壁にディスプレーした「推しコーナー」を眺める時間。ブロマイドや、写真を切り抜いたアクリル板、ARMY仲間のプレゼントに癒やされる。 「人生で初めて『沼』に落ちました」  推しにどっぷりはまることを沼という。子育てと仕事が一段落し、自分の時間を推しにささげている。バラエティー番組でメンバーが「10時間以上もレッスンして死ぬかと思った」と言うのを聞き、本当に心配になった。 「プロとしてすごいけど、そこまでやって大丈夫なの、と。完全にオンマ(母親)目線ですね」  推し活でよく使われるキーワードが「尊い」。最初は抵抗があったが、いつしか自然と使うようになっていたという。 「彼らの頑張る姿やファンを思う言葉に触れ、熱い気持ちがこみ上げるのですが、言葉にできない。『ああ、本当に愛しくて尊い』と自然と言葉が出ました。BTSとの出会いは、人生のご褒美。彼らは私の元気の源です」  15年前、自営業の夫は40代で亡くなった。借金を返済しながら、3人の子どもを育て働いた。「ジェットコースターのような人生で、推しどころではなかった」  それが昨年、親友から勧められ韓国ドラマ「愛の不時着」に夢中になった。ドラマにARMYが登場したのを機に、BTSの「Dynamite」を聞き、ファンになった。  推し活で人間関係も広がった。女性はツイッターに推し活専用アカウントを持っている。気になる情報はシェアし、フォロワーとコメントを送り合っている。 「感想を言い合うと、若い人とも『わかる』『そういう見方もあるんだ』と共感できます。気が合う32歳の女性は、親友だねと言ってくれました。私をオンニ(姉)と慕ってくれる人もいます。リアルな親友は3人でしたが、友達が増えました」  推し活は元々、若者発のカルチャーだ。アイドルにのめり込む女子高生を描いた宇佐見りんの芥川賞小説『推し、燃ゆ』は今年上半期のベストセラー総合1位になった。だが、意外なことに推し活とシニア世代との相性はバツグンだった。『人類にとって「推し」とは何なのか、イケメン俳優オタクの僕が本気出して考えてみた』の著書があるライターの横川良明氏は言う。 「お金や時間に限界がある若者に比べ、シニアは仕事も家庭も落ち着いて、余裕がある。今はSNSを活用することで交友関係を広げることもできますし、心の中に大切な人がいることで、新たな生きがいにつながります」  推しの熱愛報道などに一喜一憂してしまう若者は少なくないが、シニア世代は違うという。 「推しが結婚しても子どものような感覚で、祝福できるのかもしれません。人生経験豊富だから、自分の愛情を押しつけず、過剰にならない応援ができるのでしょう」  長く推し活を続けることで見えてくる境地もある。名古屋市に住む主婦(71)は、17年前、娘から勧められた韓国ドラマ「冬のソナタ」を観て、どはまり。ヨン様ことペ・ヨンジュンのファンになった。仲間内からは「ユジンちゃん」と呼ばれている。 「イベント予約のためにインターネットを覚え、公式サイトの掲示板に書き込みすることでお友達と出会えた。ここ数年、掲示板は動いていませんが、ヨン友さんとスマホでLINEし、インスタグラムもやってます。夫はパソコンが使えないから、ヨン様と出会えなかったら私も文明についていけなかったでしょう」  当時築いたものはいまも財産になっている。 「全盛期は名古屋の店で、ヨン友さん40人と集まって、ヨン様の誕生日会を開きました。韓国の方角を見て『おめでとう』と言って、ケーキを食べた。ヨン様が映画やドラマに出演したときも、お祝いに集まりました」  いまは人数が少なくなったものの、集まりは年に一度、20人くらいで続いているという。 「ここ数年、ヨン様の出演がないので昔ほどの熱量ではありません。みんなもヨン様のことはあまり話さず、年金や病気や介護の話が多いですね。いい人たちに巡り合えました。旅立ったヨン友さんもいますが、葬儀で旦那さんが『ヨン様を愛した人生だった』と泣いていた。ヨン様と私たちは家族なのだと思います」  ファンたちの熱さに定評があるのは、演歌歌手の氷川きよし。6月8日、東京・中野で開かれたコンサートに記者もチケットを買って参加してみると、会場にはシニア世代の女性たちが詰めかけていた。感染症対策のため掛け声はなしだったが、縦方向にペンライトを振り、拍手で盛り上げる。和服での演歌から一変、ボディースーツに網タイツという衣装でロック調の激しい曲目になると、観客は演歌の倍くらいのスピードでペンライトを激しく振って盛り上げる。終演後は、そこかしこに集まり感想を共有するファンたちの姿があった。会場にいた東京都在住の女性(56)は氷川のデビュー当時、茶髪でピアス、イケメンな風貌が意外でファンになった。 「最近イメチェンしたけど、いいじゃんと思っている。kiina(キーナ)が輝きだして、私はもっとルンルンです」  キーナは氷川の愛称。近年、ジェンダーレスな衣装でロックも歌うようになった氷川を見て、美しいと思ったという。 「デビューから20年たって、自然体で生きているように感じる。『自分を信じて』と歌うキーナに励まされています」  推し活を語る人たちは皆、幸せそうだった。第二の人生、推しと歩んでみるのもいいかも。(井上有紀子) ※週刊朝日  2021年6月25日号
シニア
週刊朝日 2021/06/16 11:30
受験生が「浪人してでも入りたい」大学は? 現役生比率が低い国立大トップ10
受験生が「浪人してでも入りたい」大学は? 現役生比率が低い国立大トップ10
国立大で現役生比率が2番目に低い北海道大(c)朝日新聞社 『大学ランキング』(朝日新聞出版)では毎年、入学者に占める現役合格者の割合を、大学ごとに調査している。現役生比率が低い大学は、浪人生を中心とした既卒生が多い大学、ということができる。 既卒生には、(1)受験生が第一志望にこだわり浪人してでも勉強して入りたいと思った、(2)他大学に通っていたが自分のやりたい道を見つけたり、適性が合わなかったりして進路変更した、(3)社会人が新しい道に進むため、あるいはキャリアアップのために入り直した、などの背景があるだろう。受験生の現役志向が強まるなかで、現役生の比率が低い大学はどこなのか。「浪人してでも入りたい」「既卒生でも入りたい」大学を、データから読み解いた。*  *  * マイナス1万9369人。今年の「大学入学共通テスト」に挑んだ浪人生の数を、昨年と比較した結果だ。大学入試センター試験は今年、入試改革によって共通テストに代わった。昨年、最後のセンター試験を受けた受験生が新形式の試験問題に挑むことを避けたため、浪人生の数は大幅に減った。今年共通テストを受験した浪人生は、昨年センター試験を受けた浪人生と比べ19.3%減。共通テストは、受験者の84%が現役生となった。 浪人生が減っているのは入試改革の影響だけではないようだ。代々木ゼミナール教育総合研究所主幹研究員の奥村直生さんは「高校生のあいだに、“浪人はありえない”という風潮ができている」と話す。「1990年代初頭は18歳人口が大学の定員を大きく超え、需要と供給のバランスが成り立っておらず、現役受験生のおよそ半分は大学に入れませんでした。しかし今は、選ばなければ現役で大学に入れるという状況になっており、時間をかけて再受験することの価値を見いだしにくくなっています。総合型選抜(旧AO入試)や学校推薦型選抜(旧推薦入試)を利用した早期合格が増えてきたことも理由の一つでしょう」 そうした風潮にもかかわらず、いまでも既卒生が多い大学はどこなのか。まずは国立大の現役生比率が低い大学トップ10を見てみよう(表は『大学ランキング2022』から、2020年入学者のデータ)。  1位は東京芸術大で50.7%。入学者のおよそ2人に1人は既卒生で、飛び抜けて現役生の比率が低い。独立行政法人大学改革支援・学位授与機構が公表する大学基本情報によれば、同大の2020年入学者に占める19歳以上の割合は、音楽学部で約30%、美術学部では約80%にも及ぶ。「美術学部と音楽学部で事情はまったく異なります。音楽学部は在学してからコンクールを目指したりしますが、美術学部では、とくに絵画科などのファインアート系は何年も技術を磨いて合格する多浪生も珍しくありません。また、数人ですが30歳以上の大人が入学していることも特徴で、なかには60代の入学者もいます」(奥村さん、以下同) 同大出身者は各界で活躍している。野村萬斎、坂本龍一、葉加瀬太郎、King Gnuのボーカル・井口理とギター・常田大希、マンガ大賞2020を受賞した『ブルーピリオド』の作家・山口つばさなどがいる。 2位は北海道大で62.6%。同じく難関国立大である東京大は67.9%で10位、京都大は63.5%で4位なので、それよりも現役生の比率は低い。なぜなのか。「2010年までは前期日程の合格者の5割以上が道内出身者だったのですが、この2、3年、その数字が4割を切っている。つまり本州からの人気が高まっているのです。旧帝大のなかでは入試の難易度も手頃で、難関国立大を狙っているが東京大や一橋大、東工大、東北大などは難しいという本州の浪人生の選択肢に入りやすいのだと思います」 3位は滋賀医科大で63.2%。もっとも、総合大を含めた医学部全体でみると、滋賀医科大の数字は突出しているわけではないと奥村さんは言う。医学部は浪人して目指す受験生も多いからだ。「たとえば、九州の国立大医学部で、現役生比率が2割前後のところもあります。しかし、人口の多い関西圏にあり、志望学生が集まりやすく、ほかの難関国立大医学部よりは比較的入りやすいという要素から、これ以上浪人したくないという人の“最後の選択肢”として選ばれているのではないでしょうか」  公立大にも目を向けてみよう。上位には美大、芸大に加え、医大、歯科大、薬科大も多く見られる。トップ10では、3位の金沢美術工芸大、4位の愛知県立芸術大、8位の大阪府立大をのぞき、医療系大学だ。「公立大は学費の面では私立大に比べてとてもリーズナブル。さらに、歯学部や薬学部は非常に選択肢が限られていますので、浪人生が集まるのでしょう」  一方、大規模私立大で現役生比率が最も低いのは、東京理科大だ。2位の慶應義塾大と約5ポイントの差がついている。「難関大をめざす理系受験生は、国立は東京大や東工大、私立は早稲田大や慶應義塾大を選びます。次に受ける大学として、東京理科大は人気があります。MARCHは文系のイメージが強く、理系学部のブランド力は少し弱い。そのため数十年前からずっと、東京理科大は理系浪人生の“受け皿”として機能してきました」 反対に、現役生比率が高い大学はどのような顔ぶれなのだろうか。国立大では教育系大学が多い。1位兵庫教育大、2位愛知教育大、3位京都教育大は、いずれも既卒生比率が1割に満たない。 「背景には、近年、教員のなり手が減少しているという事情があります。そのため教育系大学の競争率も高まらないのではないでしょうか。その中でも難関大に行きたい受験生は、浪人も覚悟のうえで東京学芸大や横浜国立大などの教育学部をめざす一方で、浪人を避けたいという現役生がこうした中堅大を受験しているのだと思います」  また公立大では看護系が、私立大では女子大が目立つ。公立大の1位は千葉県立保健医療大、2位は敦賀市立看護大、3位は同率で岐阜県立看護大、山形県立米沢栄養大。私立では、大規模大学では兵庫の武庫川女子大の現役生比率が高いほか、愛知の椙山女学園大、広島の安田女子大も同様だ。 この傾向は、女子学生が浪人を避ける傾向があることが関係していると奥村さんは見ている。「看護系の学生は今もほとんどが女性です。かつては短大や専門学校で、近年、4年制大学に変わったというところも多く、浪人して入るという認識があまりないのだと思われます。また、やはり女子は浪人を避けるべきという社会観念が強く残っていることが、一番の理由だと思います」  私立の学年定員1000人未満の小規模大学では、現役生比率が100%というところもある。桜花学園大、九州国際大、至学館大などだ。 奥村さんは、大学によって異なる現役生比率について、こう分析する。「“選抜型大学”と“募集型大学”という区分けをすれば、後者の大学は浪人してでも入ろうという学生が少なく、現役生比率が極端に高くなるのかもしれません。もっとも現役生だけのほうが、大学側も学生のレベルを把握しやすく、運営しやすい面もあるかと思います。一方で、リカレント教育(社会人になってからも大学で学ぶこと)を推進する国の方向とは逆行しているという見方もあるかと思います。欧米の大学では、二十歳前後の若者しか大学で学べないという固定観念はなく、年齢の多様性も重視しています」 現役生が少ない大学は、難関でブランド力のある大学はもちろん、人文・社会・自然科学・医歯薬・芸術系など、さまざまなことを学べる総合大学が多い。多様な人材を集める大学と言えるのかもしれない。(文/白石圭)
ランキング現役生比率
dot. 2021/06/16 10:00
りかりこ「わかる!」総フォロワー数200万超えの双子モデルが共感した本とは?
りかりこ「わかる!」総フォロワー数200万超えの双子モデルが共感した本とは?
りかりこ/「双子ダンス」や「ミラー風動画」など、双子をいかした動画投が話題となり、特に同世代から支持を集める。主要SNSの総フォロワー数は200万人を超える(撮影/写真部・高橋奈緒)  主要SNSの総フォロワー数が200万超え! 同世代から根強い人気を誇る、双子モデルでクリエーターの「りかりこ」。動画配信アプリでの「双子ダンス」投稿をきっかけにファンを増やし、現在では松阪市(三重県)ブランド大使も務める。ソーシャルタレントとして幅広く活動中。 「ドラマも音楽も食べ物も……韓国が大好き」と話すりかりこが、韓国の人気作家の最新作『ミカンの味』(朝日新聞出版)を読んだ感想を語り合った。 *  *  *  4人の女子中学生が主人公の『ミカンの味』。多感な時期に悩み、迷いながらも歩む姿が、ていねいに描かれている。著者は、韓国で130万部を超える大ベストセラーとなった『82年生まれ、キム・ジヨン』のチョ・ナムジュ。『ミカンの味』は、彼女の待望の最新作でもある。 『ミカンの味』を読んで、真っ先に思ったのは、「わかる、共感できる」だと、りかりこは話す。 りか:中学時代を振り返ることがあまりなかったから、この本を読んで「ああ、こんなことあったな」って、14歳のころの景色が目の前に広がりました。 りこ:私たちも、女の子3人や4人で過ごすことが多かったです。自分たちも含めて、もう1人の友だちと登下校や部活で一緒でした。中学のときって、思ったことをすぐ口に出して言っちゃうことがあって……。 りか:めっちゃ喧嘩してました。友だち同士の喧嘩なのに、先生を巻き込んだこともあったなって、思い出しました。 りこ:本を読んで、こういうことがあったなぁ、あっ、これもあるあるって。思い出して懐かしんだり、共感したりすることがたくさんありました。 ■そんな意味じゃない、気持ちがうまく伝わらない りか:喧嘩のスタートは、ほんまに小さな事でした。バトミントン部で、よく4人で一緒に行動していたんですけど、あるとき3対1に分かれちゃったことがありました。りこも含めて3人のほうに私もいたんですけど、1人の子が、私たちの行動が原因で傷ついてしまって、すねちゃったことがありました。 りこ:言葉一つとっても、何が気に障ったのか、ちょっとわからなくて。そんなつもりで言ったんじゃないよ、って何回かなぐさめたりもしたけれど、結局、その子自身もすねとるから、仲直りがうまく出来なくて。 りか:喧嘩がめっちゃ長引いたとき、その子が先生に相談して。その後、4人が部屋に集められて、「仲がよかったのに、どうしたの? ちゃんと仲直りしなよ」って。「ずっと一緒におったのに」って言われた先生の言葉で、4人で一斉に泣きました(笑い)。 りこ:幼稚園からずっと一緒にいる、その友だちとはきちんと仲直りをしました。2年前、上京するときに手紙を書いてくれて、一緒に泣いてもくれた。今でもよく連絡を取る、親友の一人です。 ■話さないのに、なぜか一緒にいる 『ミカンの味』の主人公である4人の女の子も、部活(映画部)で出会った。「いつも一緒にいる4人」として学内でも知られていた。だが、生い立ちや先生からの期待、仲間はずれになった経験など、4人ともそれぞれに傷を抱いている。 りか:中学時代、友だちと喧嘩すると無視をしがちに。でも、話さないのに、登下校は一緒で。遅刻してきたら、みんな何も話さんとずっと学校まで行ったりとか。 りこ:嫌な思いをするのに、約束の集合場所には行く。一緒にはおりたいという気持ちがありながらも、気まずいからしゃべらん。 りか:喧嘩しとったからこそ今、めっちゃ仲がいい。今はもう、昔のことは笑い話にできる。そういう経験があってよかったって思うよね。『ミカンの味』を読んで、女の子同士の友情ってこんな感じだったなって、思い出しました。 ■喧嘩はしょっちゅう、でも離れられへん りこ:今まで、学校のクラスでりかとりこが一緒になったことはないね。 りか:同じ学校に双子が何組かいたね。5クラスで4組ぐらい? りかとりこが仲がいいから、そこに「友だちになろう」って声をかけるのって、ハードル高いんかなぁ。 りこ:りかに、仲のよい友だちができたこともあったけど、結局、放課後は一緒におったね。それぞれの友だち含めて、大勢で遊んでました。ずっと一緒にいるからこそ、喧嘩もめっちゃします。些細なことで。 りこ:「何で準備が遅いん?」って言ったら、そこからりかがしゃべらんくなったり。 りか:自分も準備してないやん、って言い返して。今からしようとしていたのに、何で先に言ってくんの!とか。 りこ:お互いにイライラして、雰囲気が悪くなることもよくあります。でも、ずっと一緒におるから離れられへん。使っている化粧品も一緒で。今日着ているりかの洋服も持っています。りかが「これ着るわ」って言ったら、りこもそれ着ようと思っていた場合は、じゃんけんします。家にいるときも2人一緒。携帯を触っているときは2人一緒に触っているし、テレビを見ているときは一緒に見ています。 ■プリクラでボコボコになった下敷き りか:最近引っ越して、初めて自分の部屋ができたんですけど。でも結局、一緒にリビングにいてしまう。自分の部屋は寝るだけの場所に……。 りこ:一緒にいるのに、中高時代は、交換日記をしたり手紙を書いたりしたな。三重県の実家は2人一緒の部屋。勉強机を向き合って置いて、その机には充電用のコードを通す穴があいていた。勉強中とか、ちょっと息抜きしたいときは、その穴から「手紙が来ましたよ」「手紙が行きますよ」と遊んでました。 りか:両脇に壁がないので、すぐに手を伸ばせば直接、渡せたのに。なぜか、コードの穴から(笑い)。 りこ:中学時代はプリクラにはまって、友だちとめっちゃ撮ってシール帳に貼ったり。 りか:下敷きに貼ったりしていたから、ボコボコすぎて逆に下敷きじゃなくなる(笑い)。 ■人気アーティストのコンサートで驚愕したフォロワー数 りか:3歳からダンスを習っていて。中学校のときにやめちゃったから、一緒のメンバーとは離れてしまったけど。その中から2人、今東京にいる子がいて。中学の途中からこの年になるまで会っていなかったけれど、この1年でまた、めっちゃ仲良くなりました。 りこ:ダンスが今の仕事にも生きていますね。最初はりかが「やろう!」って。オーディションを受けていたんですけど、SNSで「いいね!」を投票してもらわなきゃ、いかんくて。 りか:私たち、全然知名度がなかったから、流行っていたアプリで双子ダンスをしようって。数字にしてみてもすごいけど、その数がすべて人と考えるとびっくりします。 りこ:当時、人気アーティストのライブに行ったことがあって。会場には何万人も人がいるんやけど、フォロワーを数値にしたら、ここにいる人数が! 私たちのフォロワ―と同じ? ホンマ? 嘘ちゃうかな?ってなりました。 りか:でも、みんなの目に触れるように、SNSに関して、いろいろ工夫はしているよね……。
SNSりかりこチョ・ナムジュフォロワーミカンの味中学時代双子ダンス双子モデル喧嘩韓国
dot. 2021/06/12 17:00
50代王者誕生に丸山茂樹も「異様な光景。同世代の快挙に興奮」
丸山茂樹 丸山茂樹
50代王者誕生に丸山茂樹も「異様な光景。同世代の快挙に興奮」
丸山茂樹 2010年、全米プロ選手権の公式記者会見に臨む当時40歳のフィル・ミケルソン (c)朝日新聞社  丸山茂樹氏は、フィル・ミケルソンが成し遂げたメジャー最年長優勝を祝福する。 *  *  *  いやいや、驚かされました。どこからその底力が出てくるんだ、って。感動しましたよ。  男子の海外メジャー第2戦「全米プロゴルフ選手権」(5月20~23日、米サウスカロライナ州キアワアイランドのキアワアイランドゴルフリゾート・オーシャンコース)で、50歳のフィル・ミケルソンがメジャー最年長優勝を飾りました!  これまでの最年長記録がジュリアス・ポロスの48歳4カ月18日だったそうですから、ポーンと超えちゃいましたね。僕はテレビ東京さんで解説のお仕事をさせてもらいました。毎日寝不足で少しキツかったんですけど、最終日は同世代の快挙に興奮させてもらって、楽しかったですよ。  今月で51歳になる人のプレーじゃない。パフォーマンスが信じられなかったです。飛距離もさることながら、全体的なバランスが完璧でしたよね。何であんなことができるのか。体の強さなのか。もう頭の中が「?」でいっぱいでした。フィルのポテンシャルの高さをまざまざと見せつけられた感じがしましたね。いやあ大したもんです。  それにしても異様な光景でした。最終日の最終18番ホールですよ。フィルがセカンドを打ってグリーンに乗せると、とんでもない数のギャラリーがフェアウエーになだれ込んできました。一時はフィルがその中に埋もれてしまって。あれには恐怖感さえ覚えました。  もうコロナなんて関係ないのかな、って。コンサートの会場みたいでした。ああいう密集はしばらく見てない光景なんで、「大丈夫かな」と思いました。まあ、あんなに熱狂してもおかしくないぐらいのことをなし遂げたのは間違いないんですけどね。  これで米PGAツアー通算45勝目ですか。体も強いし健康だし、飛距離も出ます。まったく問題ないと思うんで、やれるところまで頑張ってほしいですよね。それがたぶん、これからプロゴルファーになる人たちへの勇気にもつながるんじゃないですか?  ケガでリハビリ中のタイガー・ウッズ(45)も、すぐにツイートしてましたね。彼のケガの状態がどうなってるのかは分からないですけど、フィルのトシまでああいうパフォーマンスができるんだと思ったら、ね。タイガー自身のなし遂げてきたことはフィルの2倍以上でしょうけど、それでもフィルの優勝を「すごい」と思ったんですよね。  メジャー連覇のかかっていた松山英樹(29)は23位でした。僕がいつも言ってるように、何かがかみ合えば優勝できるゴルフでしたよ。今回も寄ったヤツが入って、曲がったヤツが半分ラッキーになったら分からなかった。ただ珍しく連続でミスを犯したってのはありましたね。  国内の女子ツアーでは稲見萌寧さん(21)が今年5勝目、シーズンでいうと6勝目。タダ者じゃないですね。芯が太い選手なんだと思います。勝ちまくって圧倒的な力を見せ続けてほしいです。 丸山茂樹(まるやま・しげき)/1969年9月12日、千葉県市川市生まれ。日本ツアー通算10賞。2000年から米ツアーに本格参戦し、3勝。02年に伊澤利光プロとのコンビでEMCゴルフワールドカップを制した。リオ五輪に続き東京五輪でもゴルフ日本代表ヘッドコーチを務める。セガサミーホールディングス所属。 ※週刊朝日  2021年6月11日号
丸山茂樹
週刊朝日 2021/06/06 07:00
新世代が続々と台頭するワケ 昔と大きく変わった女子プロゴルファーの“なり方”
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新世代が続々と台頭するワケ 昔と大きく変わった女子プロゴルファーの“なり方”
現在賞金ランク2位につけている稲見萌寧 (c)朝日新聞社  ここ数年の国内女子ゴルフは、毎年多くの新しいヒロインが生まれ、またそうした同世代のプロたちが活躍していることから、毎年のように「~世代」という言葉が生まれている。  近年、最も活躍が目覚ましいのは「黄金世代」だ。1998年度生まれのトッププロを指し、その筆頭は渋野日向子。海外を主戦場にする畑岡奈紗、勝みなみ、現在賞金ランクトップの小祝さくら、原英莉花、大里桃子、河本結、新垣比菜らはここに含まれる。 「黄金」に続くのが「プラチナ世代」で、2000年度に生まれた女子プロたちだ。この世代の代表格は、ワールドレディスチャンピオンシップでメジャー初制覇を達成した西村優菜や古江彩佳、安田祐香といった面々。吉田優利、澁澤莉絵留もこの世代だ。さらにこの下の笹生優花、山下美夢有らは「21世紀世代」。2001年度生まれだから、こうしたネーミングになったのだろう。 「~世代」はこれだけではない。5月の中京テレビ・ブリヂストンレディスオープンまで今年だけで5勝し、現在賞金ランク2位につけている絶好調の稲見萌寧は、1999年7月生まれの21歳。稲見のように現在20歳前後ではあるが、こうした「~世代」に当てはまらない1999年度生まれは、「はざま世代」と呼ばれている。もう少し捻りはなかったのか?ということは触れないでおこう。  とにかく、現在の女子ゴルフはこうした20歳前後の各「~世代」が隆盛を極めている。昨年から続く今シーズンの賞金ランクを見ても、トップの小祝から10位の山下まで、「~世代」でないのは渡邉彩香と申ジエだけ。ツアーは「~世代」に当てはまるプレーヤーたちが圧倒しているのだ。  宮里藍が現役高校生としてツアー優勝を飾ったのを境に、女子ゴルフで活躍する世代の低年齢化は顕著になってきている。「~世代」のプロたちは、宮里のプレーを見て、宮里に憧れゴルフを始めた者が多いのがその主要因だが、そこには、女子プロゴルファーになるための道筋も大きく変わったことも影響しているだろう。  女子ゴルフに限らず男子にも言えたことだが、例えばバブル期ごろまでの女子ゴルファーへの道は、ゴルフ場所属の研修生となり、そこで腕を磨いたり、有名指導者と師弟関係を築きプロ入りするのが一般的だった。ゴルフを始めるのは研修生となる中学や高校卒業後。過去を紐解くとアジア人として始めた海外メジャーを制した樋口久子は、高校卒業後から下積みを経験した。米女子ツアーで賞金女王にまで昇り詰めた岡本綾子は、ソフトボール一筋でチームがある企業に就職したほど。ゴルフに出会ったのはその頃で、退職してから2年後にプロテストに合格している。  一人の指導者を師事しプロゴルファーとなった事例として有名なのは、不動裕理、大山志保、古閑美保の賞金女王経験者だろう。彼女たちは全員、故・清元登子さんの指導を受けた「清元門下生」。不動は1997年のプロ入り後から4年間、清元さんの自宅に居候しており、今となれば時代を感じさせるスタイルだ。  師弟関係といえば「坂田塾」も有名だ。坂田信弘プロが主宰していたジュニア育成組織で、その厳しい指導はたびたびメディアにも取り上げられた。古閑、上田桃子、笠りつ子、原江里菜などはここで腕を磨きプロで活躍する礎を築いたが、それ以外にも多くのプロを輩出。女子ゴルフにとっては欠かせないプロ養成塾となっていた。  原英莉花とジャンボ尾崎のような“師弟関係”を築いているケースもあるが、今では、こうした“師弟関係”“門下生”という昔ながらの仕組みは、目立たない存在となっている。例えば、宮里はゴルフコーチである父・優さんの指導を受け、横峯さくらもコーチではないが父・良郎さんからゴルフを学ぶなど師匠は父。それまでの通例とは異なる形になってきた。  その後も、そうした傾向はさらに増え、ゴルフを始めるのも小学生時代、あるいは幼少期からクラブを握ることが当たり前。勝がゴルフを始めたのは6歳だったし、西村は父の影響で5歳からクラブを手にし、古江にいたっては3歳でゴルフをスタートしたという。  幼少時代からゴルフを始めるということは、当然ながら両親の意向が大きく反映されている。小さい頃から両親の指導を受けたり地元のスクールなどに通い、上達したり将来が見込まれればゴルフの強豪校に進学することもあるし、通信制の学校に進んでできる限りゴルフに集中できる環境を整える。そこには昔ながらの研修生という選択肢は、あまり見当たらない。  例えば畑岡や稲見は、通信制の高校に在籍しながらアカデミーなどでゴルフを学んだタイプ。安田、古江は兵庫県の滝川第二高校ゴルフ部出身で、同じ部活のライバルとしてジュニアの大会で切磋琢磨した。古江は高校卒業後に、六甲国際ゴルフ倶楽部に研修生として就職した経歴があるが、今では珍しいタイプだ。  そして、こうした流れは今後も止まることはないだろう。今年4月にオーガスタナショナルゴルフクラブで行われたオーガスタナショナル女子アマチュアでは、梶谷翼が優勝という快挙を達成した。この梶谷は、日本ジュニア女王の17歳で滝川第二高校3年生。つまりは安田、古江の後輩に当たる。  女子ゴルフは、プロゴルファーになる新たな道筋が定番化してきた今、世代の新陳代謝は男子の比ではなくなっており、今後も新たな「~世代」は誕生し続けていくはずだ。そして、梶谷がプロツアーで活躍する頃、彼女の年代には、どんなネーミングがつけられるのだろうか。
dot. 2021/06/05 09:00
「黒マスクは低学歴説」東大生を調査したら…ネットの噂を検証
「黒マスクは低学歴説」東大生を調査したら…ネットの噂を検証
※写真はイメージです (GettyImages)  ネット上にはさまざまなフェイク情報が流れている。新型コロナウイルスの感染拡大が始まったばかりの昨年2月に多くの人を不安に陥れた「トイレットペーパーが不足する」というデマもその一つ。ネット発の噂の中から、話題になって“都市伝説”化したものについて検証してみた。 *  *  * 「黒マスク低学歴説」がネットで話題になったのは、昨年の初夏ごろ。マスク不足が次第に解消し始め、アベノマスク配布が始められた時期だ。人気ユーチューバーが「黒マスク柄マスクしてるヤツ低学歴説を検証する」という動画を公開。動画は30万人以上が視聴し、低学歴説の存在が流布され、今も一部で語られ続けている。  この動画では街で黒マスクをしている人に学歴を聞いていたが、浪人生や専門学校生、中には難関大学生もいて、結局、情報の真偽は不明だった。  そもそも他人が人の学歴を高い低いと言うのも失礼な話だが、今回の記事の目的は都市伝説の検証。あいまいなまま終わった調査の続きを記者が実施しようと、行ってみたのは東大赤門前。噂が事実なら、ここでの黒マスク率は低いはずだ。結果、1時間少々で175人が赤門から出て、マスクを着けていなかったのは1人。マスクを着用していた174人中、黒マスクは33人だった。黒マスク率は約20%。東大生でも5人に1人は黒マスクを着用しているのだから、マスクと学歴に関係はなさそうだ。  この日、黒マスクを着用していた東大関係者たちのほとんどは、都市伝説を否定した。 「馬鹿らしい。僕自身が反証なのでは?」(21歳男子学生) 「今日は友人と会うだけだから黒マスクだけど、面接とかには白マスクで行きますよ。学歴問題ではなく、エチケットの問題なのではないでしょうかね」(22歳男子学生) 「香港の民主化運動に敬意を表して黒マスクを使用してる。学歴とは関係ない」(19歳女子学生)  ではいったいなぜ、こうした根拠があいまいな風説が独り歩きするのか。ネット上にはほかにもたくさんの“都市伝説”が飛び交っている。 「090で始まる携帯番号の人はおじさん」 「ニキビができる位置で体の不調がわかる」 「花崗岩は新型コロナウイルスに効く」  どれもこの1年の間にネットで話題になり、都市伝説化した「噂」である。特に新型コロナウイルスに関しては「お湯を飲むと予防できる」「新型コロナは5Gの電磁波で活性化される」等々の噂がネット上を賑わせた。どれも「ありそう」な話ではあるが、エビデンスは不確かなものだ。  このうち「090番号おじさん説」が広まったのはこの5月に入ってから。ツイッターでつぶやかれたこの説に、多くの「いいね」がつき、拡散していった。こちらも実際におじさんの聖地・新橋駅前SL広場で実地調査を行った。携帯番号の上3桁を聞いた33人の中高年のうち、23人が「090」、「080」と「070」が各5人と、ほぼ噂どおりの結果となった。 「実際おじさんだし(笑)。今さら変える気もないね」(090番の50代) 「これ(スマホ)は070だけど、自前のガラケーは090。ウチは息子も娘も080だよ」(070番の60代)  だがこれにはカラクリがある。総務省によると、携帯利用者の増加に伴い、090番号が枯渇した2002年から080番が、さらに13年に070番が割り当てられた。そのため、新規で契約すると、自然と070や080が割り当てられるが、解約された090番が使用できる場合もありうるという。要するに契約時期が新しければおじさんでも070になる確率が高いが、昔からの利用者はほぼ090というわけだ。おじさんに090は多いが、090だからおじさんということはない。 「ニキビで不調の部位がわかる説」は昨年の12月、あるインフルエンサーがツイッターに、自分の顔写真を使ってニキビと体の不調箇所がわかる「ニキビ地図」を投稿したところ、すぐに3万件の「いいね」がつきネット上に拡散した。  ある皮膚科医師は「ニキビは体の不調が表面化して出てくるものではなく、あくまで顔の皮膚のトラブル。足裏マッサージのツボと違って、思われニキビみたいな都市伝説」と断言した。要するに、ニセ情報なのだ。 「花崗岩は新型コロナウイルスに効く」は昨年の春ごろネットで広まった。一時はフリマアプリで、河原で拾った花崗岩が数千円で売買されていたが、明らかなデマ。医師で評論家の米山公啓氏は「コロナウイルスに特別な鉱物が効くという研究はありません。したがって花崗岩が効くということもありません」と、ズバリ断言した。 『うわさとは何か』という著書がある中央大学の松田美佐教授(社会情報学)は「黒マスクや090など、ネット上で広まる噂は、その真偽とは別に『それ、あるよね~』という共感が得られるものが多い」と言う。 「『そんなのエビデンスがない』というより、『それありそうな話だよね』と笑い合ったほうが仲間内でも会話が盛り上がる。だから面白ネタとして広まるわけです。ネットの噂の場合も同様ですが、その速度は口コミ以上に速い。多くの人が『いいね』するものは本当らしく見えてしまう傾向があるので、なおさらです」(松田教授)  松田教授はさらに、新型コロナウイルスに関する“都市伝説”が多い理由として、米国の心理学者が1940年代に提唱した「噂の公式」を挙げる。噂の公式とは「R~i×a」という式で、噂の流布量(R)はその重要性(i)とあいまいさ(a)の積で求められるというものだ。 「コロナは命に関わることで重要性が高い一方、はっきりした性質は解明されていないため、情報はあいまい。戦時中や災害後の混乱期と同じように、噂が広まりやすくなるわけです」(松田教授)  噂の本質を理解し、ニセ情報に振り回されないようにしたいものだ。(本誌・鈴木裕也) ※週刊朝日  2021年6月11日号
週刊朝日 2021/06/02 11:30
学校現場の大問題

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クレーム対応や夜間見回りなど、雑務で疲弊する先生たち。休職や早期退職も増え、現場は常に綱渡り状態です。一方、PTAは過渡期にあり、従来型の活動を行う”保守派”と改革を推進する”改革派”がぶつかることもあるようです。現場での新たな取り組みを取材しました。AERAとAERA dot.の合同企画。AERAでは9月24日発売号(9月30日号)で特集します。

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職場にはびこる世代間ギャップ。上司世代からすると、なんでもハラスメントになる時代、若手は職場の飲み会なんていやだろうし……と、若者と距離を取りがちですが、実は若手たちは「もっと上司や先輩とコミュニケーションを取りたい」と思っている(!) AERA9月23日号では、コミュニケーション不足が招く誤解の実態と、世代間ギャップを解消するための職場の工夫を取材。「置かれた場所で咲きなさい」という言葉に対する世代間の感じ方の違いも取り上げています。

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ロシアから見える世界

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プーチン大統領の出現は世界の様相を一変させた。 ウクライナ侵攻、子どもの拉致と洗脳、核攻撃による脅し…世界の常識を覆し、蛮行を働くロシアの背景には何があるのか。 ロシア国民、ロシア社会はなぜそれを許しているのか。その驚きの内情を解き明かす。

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