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「お口ポカン」放置は危険!約3割の子どもが該当 インフルやコロナなど感染症のリスクを高める危険性
「お口ポカン」放置は危険!約3割の子どもが該当 インフルやコロナなど感染症のリスクを高める危険性 口が開いてしまう「お口ポカン」を軽視してはいけない  日常的に口がポカンと開いてしまう「口唇閉鎖不全症」という症状をご存じだろうか。口の機能が発達していない病気「口腔機能発達不全症」の症状の一つで、治療せずに放置すると、口呼吸になりやすく、インフルエンザウイルスや新型コロナウイルスなどの感染症、虫歯や歯周病のリスクが高まるという。「お口ポカン」は、軽視してはいけない病気なのだ。  新潟大学のホームページ(2021年2月17日付)によると、同大大学院医歯学総合研究科小児歯科学分野(現・朝日大学歯学部教授)の齊藤一誠准教授らと、大垣女子短期大学歯科衛生学科の海原康孝教授および鹿児島大学病院小児歯科の稲田絵美講師らの共同研究で、日本国内で初めて「お口ポカン」の有病率に関する全国大規模疫学調査を実施。2021年1月に国際学術雑誌に掲載された内容によると、30.7%の子供たちが日常的なお口ポカンを示していたという。口呼吸問題の第一人者で、NPO法人日本病巣疾患研究会副理事長を務めるみらいクリニック院長の今井一彰氏に、話を聞いた。 ――お口ポカンの子供たちは確かに多いように感じます。データでも数字が出ているのですが、どのような印象をお持ちでしょうか。  新潟大などの共同研究アンケートは保護者からの聞き取りという形で行っているので、医療者の感覚とは若干違ってきます。専門医の感覚では、日本全国で60%以上の子供たちがお口ポカンの症状に当てはまるという認識です。この症状が深刻なのは日本だけではありません。世界中の国々でお口ポカンの子供たちが増えていることが確認されており、専門家の論文も日本、ブラジルが多かったのが、近年は中国、インドなど諸外国で増えています。台湾で昨年、私が講演した際も、お口ポカンが深刻になっている現状を知らされました。専門家が増えていることで、警鐘を鳴らしていますが、残念ながらまだまだ一般的にこの症状は認知されていません。 ――原因はなんなのでしょうか。  原因は一つではありません。噛み応えのある食べ物、噛む回数が多い食べ物が減ったことで、噛む力が弱くなっていることも一因ですし、低年齢で花粉症になり、鼻閉から口呼吸にいたる子供が増えていることも考えなければいけません。また、ライフスタイルの変化も大きく影響を及ぼしていると思います。昔に比べてYouTube動画を見たりゲームで遊んだりする時間が増え、外で遊ぶ時間が減りました。全身を使って遊ぶという行動は非常に重要です。呼吸は全身運動で、横隔膜と胸郭回りの筋肉が深い呼吸に重要な役割を果たします。全身運動をする機会が減ると、呼吸が浅くなってしまう。夜遅くまでゲームをすることで睡眠時間が削られ、成長発達、睡眠に重要なメラトニンや成長ホルモンなどの分泌が減り、睡眠障害を引き起こすケースが多く確認されています。 ――ライフスタイルも大きく影響しているんですね。  そうです。言葉の平板化も一因ではないかと思います。例えば、「ギター」と発音するとき、昔は語尾が下がっていましたが、今は平板化してしまっています。発声していただければわかりますが、アクセントを使わない後者は腹に力を入れる必要がなく呼吸が浅い。「やばい」「ムズイ」という言葉も一例です。形容詞の最後に付く「い」は、舌位置を高くしてのどを締めて発音するのですが、現在は「やばっ」「ムズッ」と語尾が楽な形になっています。それほど舌を使わずに、浅い呼吸でも話せる言葉になっているのです。 ――お口ポカンの予防、症状が出たときの対処法を教えてください。  おススメは「あいうべ体操」です。「あー」と口を大きく開き、「いー」と口を大きく横に広げます。「うー」と唇をとがらせて口を前に突き出し、「べー」と舌を思い切り突き出して、下に伸ばす。この体操を1セットで4秒くらいかけ、1日30回くらいを目安に行います。子供は声を出したほうがやりやすいでしょう。  また、口笛、シャボン玉遊び、ガムで風船をふくらませることなど口遊びもおススメです。口笛、シャボン玉遊びは唇や舌を複雑に使うので、口まわりや舌の筋肉を育てるのに役立ちます。また、風船ガムはふくらます際に口やほお、舌の細かい動きが必要なので、口まわりや舌の筋肉の発達には最適です。 ――対処法を知ることで精神的にも楽になりますね。  ただ、これだけでは抜本的な対策になりません。食事、遊びを含めた運動、しっかり噛んで食べる習慣を身につけること、日常生活で口を閉じるように意識すること、すべてが重要です。食事の際にはテーブルにみそ汁、スープ以外の水分を出さないほうがいいと思います。食べ物が口にある状態で水を飲むと、そのまま流し込んで噛まなくなります。食事の際に水の摂取量を減らすだけで、噛む回数が増えます。  また、食材を大きく切って提供することもいいと思います。光熱費が上がり、料理も時短目的で野菜などを細かく切ったほうが火が通りやすいのは承知の上ですが、大きく切った食べ物のほうがしっかり噛みます。野菜は千切りより、ざく切りにするなどちょっとした工夫が効果的です。 ――では、お口ポカンを放置することでどのようなリスクが伴うのでしょうか。  口呼吸により、中耳炎、副鼻腔炎、新型コロナウイルスを含めた感染症にかかる危険性が高くなり、歯並びが悪くなる、虫歯や歯周病、鼻炎や睡眠障害に伴う学力の低下なども確認されています。中・長期的には体の中に慢性の炎症が出ることで、統合失調症、うつ病、高血圧などの生活習慣病などにもかかりやすくなります。  お子さんが、お口ポカンの症状に当てはまるのか、心配な親御さんもいらっしゃるでしょう。誕生日のろうそくを吹き消せるかどうかがいい目安になると思います。唇を丸めたり、すぼめたりすることができないと吹き消せません。 ――お口ポカンの認知度について、どのように感じていますか?  まだまだ低いと感じます。例えば、鉛筆やお箸の持ち方は大人がしっかり教えますが、鼻呼吸はいつの間にか身についているモノなので、子供に伝えないケースが多い。子供たちの花粉症の低年齢化や、スマホによるYouTube視聴時間の増加などで全身運動の機会が減り、呼吸が浅くなっていることをお伝えしましたが、私たちを取り巻く環境が時代とともに変化していることを理解する必要があります。  近年は新型コロナウイルスの影響で、子供たちは小さいときからマスクをつける生活になり口呼吸が定着しています。子供が輝ける未来になるかは、環境が重要です。親の無知で子供が苦しむのはかわいそうですし、病気を体の体質、遺伝と決めつけるのは危険です。お口ポカンは親が気づいて対策を講じれば、子供は年齢が早ければ早いほど対応力が高いので、改善のスピードも上がります。 ――子供がお口ポカンに悩む親も多いと思います。最後にご助言があればお願いします。  いろいろな方法を試した上で、お口ポカンが治らないようでしたら、小児歯科で診察を受けたほうがいいでしょう。歯の治療だけでなく、食生活、日常生活で必要な取り組みなどを教えてくれる専門医の方が全国にたくさんいます。お子さんが症状から解放されることで、親も楽になります。親子で素敵な未来を築くためにも、お口ポカンを放置せずに治していきましょう。 (構成:今川秀悟)
「みんなで足並み揃えて」の日本 入学も入社も育休復帰さえも4月スタートの不思議
「みんなで足並み揃えて」の日本 入学も入社も育休復帰さえも4月スタートの不思議 4月一斉スタートが主流の日本。生活をすべて合わせようとすると無理が生じる(写真/gettyimages)  新年度が始まりましたね。アメリカ暮らしから日本に本帰国して受けた逆カルチャーショックのひとつが、4月という節目には思ったよりも多くの物事が刷新されるという事実でした。4月といえば入園・入学式と入社式という印象しかありませんでしたが、周りを見渡すと案外たくさんのものが4月を境に、あるいは4月スタートを目指して新しくなっています。  私はどこにも所属していない自営業者なのですが、それでもふだんお世話になっている会社や役所の部署名、制度、担当者などが変わることで新年度の始まりを意識します。街並みさえ様変わりします。我が家の近くには大きい大学があるのですが、新入生がやってくる3月末や4月を目指してのことなのか、新しいアパートやマンションが建つのがこの時期です。また定食屋さんやラーメン店など学生向けの飲食店も4月1日前後に新規開店するところが多く、これも節目を意識しているのかなと感じます。  それに、テレビ番組。教育番組では、視聴者の子どもたちと同じように長年親しまれてきた出演者やキャラクターが3月で“卒業”し、4月から新しい顔ぶれがまるで転校生のように仲間入りします。テレビドラマも、ニュースやバラエティでも、4月から新番組や新コーナーが始まります。4月3日の月曜日にローカル番組を見ていたら、出演者が全員入れ替わったとのことで一列に並び、カメラに向かって自己紹介をしていました。「初めまして、〇〇県から来ました。これからよろしくお願いします!」とニュースキャスターや気象予報士さんがたが背筋を伸ばして挨拶をしている様子を見て、アメリカ人の夫は特に目を丸くしていました。アメリカにももちろん新学期はありますが(多くの州は9月頭開始、8月頭のところも)、こんなふうに何もかも“せーの”で一新する文化はありません。  4月に物事ががらりと変わるのは、日本の足並みを揃えて学び働くシステムが理由ではないでしょうか。多くの日本人は3月に学校を卒業し、4月に新卒で仕事を始めます。4月にどっと増える新入社員を考慮して人事異動が計画され、転職活動もほぼ同時期に行われ、育休だって子どもの月齢にかかわらず4月から復帰する人が多い。日本よりアメリカで子育てをした期間のほうが今のところ長い私は、「年度途中だと保育園に入りにくいから4月生まれになるよう計画して妊娠する」という話を聞いたとき、にわかには信じられませんでした。  我が家がアメリカから日本へ戻ってきたのは2年前の1月。コロナの自粛期間や引っ越し作業を終えた翌2月から、2歳と5歳の子どもたちを幼稚園か保育園へ入れようと考えていました。でも幼稚園からは「2月からの途中入園は難しい、来るなら4月からにしてください」という返答で、保育園の募集はそもそも前年の秋にはとっくに終了しており、転入は叶いませんでした。結局1月から3月の3カ月間元気いっぱいの子ども2人に付きっ切りで、3人目がお腹にいてしんどかったこともあって、なぜ簡単に転入できないのか? と不満を抱えていたのですが、2年間日本に暮らした今ならその理由がわかります。園のカリキュラムや人員配置は毎年4月から3月までかっちり決まり、先生も子どもたちも3月の終業・卒園を目指し全員一丸となって取り組んでいます。2月にはお別れ会の練習や進級準備なども控えており、全員が「年長さんとのお別れ寂しいね」「進級がんばろうね」ムードに染まっています。そんななかに異端の転入生がぽんと入り込んだら、そりゃあ困るでしょう。  日本の“みんなで足並み揃えて”文化は、その大いなるシステムに一度組み込まれてしまえば快適です。3月にお店へ行けば入園・入学グッズが揃い、新生活に必要な家電はセットで買えます。4月頭には初々しくも危なっかしい新入社員があいさつ回りに来るものだ、と得意先の人は心得た顔で出迎えてくれます。街並みやテレビなど普段見ている景色も4月1日を機に一新されて、新生活の一体感を高めます。システムを管理する側も、みんなが一斉に同じ動きをするので楽でしょう。でもそのシステムの外から内側に入り込むのは、いつでも容易にできるわけではありません。まるで乗降するチャンスが一周のうちで一度だけしかない観覧車のようです。新卒一括採用をはじめとする日本の制度がもう少し柔軟になれば、外部の人間も入り込みやすく多様性が生まれるのにと、観覧車に乗りこむタイミングを逸した者としては思うのです。 〇大井美紗子(おおい・みさこ)ライター・翻訳業。1986年長野県生まれ。大阪大学文学部英米文学・英語学専攻卒業後、書籍編集者を経てフリーに。アメリカで約5年暮らし、最近、日本に帰国。娘、息子、夫と東京在住。ツイッター:@misakohi ※AERAオンライン限定記事
中国出身の写真家・宛超凡が「荒川」を撮り続ける理由 「生活感がめっちゃある」
中国出身の写真家・宛超凡が「荒川」を撮り続ける理由 「生活感がめっちゃある」 撮影:宛超凡 *   *   * 宛超凡(えん ちょうはん)さんは5年にわたって東京湾にそそぐ荒川流域を撮影した。そのときの印象をユーモアを交えて、こう語る。 「荒川の撮影で特に感じたのは、日本人はゴルフが好きだな、ということですね。ゴルフ場がいっぱいある。中国にいたとき、ゴルフは金持ちのスポーツだと思っていましたけれど、おじいちゃんやおばあちゃんがみんなゴルフをしていた。ゴルフに対するイメージが全く変わりました」  作品には河川敷の市民ゴルフ場や、そこでプレイする人々が写っている。 ■生活感がめっちゃある  2017年、「政治と写真について研究したい」と、東京藝術大学大学院に入学した宛さんが選んだ撮影テーマは荒川だった。  川を撮ることは最初から決めていた。「ストレートな写真で政治を表現するのは難しいと思っていた」こともあるが、「水は命の源だから。水をテーマとすることで、その国の政治や社会、経済がわかると考えた」。  テーマは硬いが、実際に荒川の流れに沿って撮影した四季の風景を目にすると、親近感を覚える。 「ある意味、何もないところですが、生活感はめっちゃある。見たことのない風景ばかりだったので新鮮でした。撮りたいものがいっぱいありました」  川岸の岩畳を散策する観光客、秩父市街の奥にそびえる武甲山、すげがさをかぶった子どもたちが練り歩く夏祭り、道端に干された布団、青葉に囲まれたグラウンドで行われている少年野球。パンツ一丁で日光浴をする男性の姿もある。 「服を脱いで日光浴をしている人が結構いました。でもパンツだけの人は珍しいかも」 撮影:宛超凡  作品のタイトルは「河はすべて知っている──荒川」。 「川のある風景ではなく、川から見える両岸の風景を撮影しました。なので川が写っていない写真もたくさんあります。それで『河はすべて知っている』というタイトルにしました」 ■故郷には川がなかった  宛さんの川への思いは強い。 「重慶の大学に進学したとき、生まれて初めて大きな川が流れているのを見て、感動しました」  故郷、中国河北省固安県には川がなかった。北京市の南に隣接する固安県の大半は農村で、畑がどこまでも広がっている。  一方、中国南西部の重慶は二つの大河、嘉陵江(かりょうこう)と長江の合流点に発達した都市である。 「18歳になるまで見たことがなかった風景なので、すごく川が好きになりました。水のにおいや流れる音。大学から徒歩で10分くらいのところにある嘉陵江にほぼ毎日行って写真を撮りました」  宛さんがスマホの画面で見せてくれたモノクロ写真には嘉陵江の岸辺で過ごす人々の姿が写っている。 撮影:宛超凡  大学卒業と同時に来日し、明治大学大学院で政治学を学んだ。 「写真を撮り始めたころから森山大道さんの作品が大好きで、とても影響を受けました。森山さんはエッセイに、引っ越したら必ずその周辺を歩いたり電車に乗ったりして撮る、と書いていた。なので、明治大学に入ったとき、自分も森山さんと同じように、線路沿いの風景を全部歩いて撮ろうと考えた。そうすれば東京がわかると思った」  最寄り駅のある西武新宿線沿線を撮り終えると、今度は「自然にもともとある『線路』を撮ろうと思った」。それが川だった。 ■撮影を支えた奨学金  明治大学では写真はまったくの趣味だったが、東京藝術大学に進学すると写真を研究テーマに据えた。 「博士課程の作品ですから、東京を見る、という目的をきちんと考えました。隅田川は東京の母なる川ですが、荒川の支流なので、本流を撮ったほうがもっとわかるなと思い、荒川を選びました。名前もかっこいい。ワイルドリバー。これが荒川を選んだもう一つの理由です。もともとは暴れ川だったので、人間の力によってかなりコントロールされている。私が興味のあるテーマに一番近いと思った」 撮影:宛超凡  宛さんは荒川を撮るのにどんなカメラがふさわしいのか、考えた。そして選んだのが横長の画面を持つ古いフィルムカメラ、フジ パノラマG617だった。 「友だちのお父さんがカメラのコレクターで、GX617を貸してくれました。でなかったらこのカメラの存在も知らなかったし、このフォーマットで撮ることもなかったと思います」  画面が横長なので、フィルム1本でたった4カットしか撮れない。 「フィルムの値段が高いので、自分のルールとして、1回の撮影で25本しか持っていきません。撮りたいものが少ないときは10数本の撮影ですが、持っていったフィルムをすべて使うことが多かったです」  これまでに1000本以上のフィルムを費やした。その撮影を奨学金が支えた。 「返済の必要のない奨学金を支給していただいたサンリオには大変お世話になりました。2年間、毎月15万円。これがなかったら撮れなかったと思います」 ■折り畳み式自転車を活用  荒川の上流部を訪れ、撮影を始めたのは17年夏だった。それから毎月、荒川を訪れた。  川の水の色は場所や天気によって大きく変化する。上流部の水は美しいエメラルドグリーンだが、台風が通過すると流れ込んだ土砂で泥の色になる。 「最初はそれまでと同様にモノクロで撮影していました。でも、モノクロだと水や森、建物の色などがわからない。なので、翌年からカラーの撮影に切り替えました。モノクロで撮影した場所も全部撮り直した。この作品は記録性が大切ですから」 撮影:宛超凡  上流部と中流部の撮影では折り畳み式の自転車を活用した。「でも、慣れないので、お尻が痛くて」。川の最寄り駅まで電車で行き、自転車で移動しながら被写体を探した。 「秩父は遠いので始発電車で行っても現地に着くのは8時半ごろ。撮影は3時ごろには終えて帰ります。それ以上遅くなると影が長くなって、画面内がごちゃごちゃしてしますから」  思い切りレンズを絞り込んで撮影するので、シャッター速度はかなり遅くなる。手ブレを防ぐため、カメラを一脚に取り付けて撮影した。 「一脚のいいところは、三脚撮影と手持ちのスナップ撮影の中間、といった感じで撮れることです。十分に安定して撮れるし、偶然に出会った被写体にもすぐにカメラを向けられる。三脚を使うと撮るのに時間がかかるので、多分5年では撮影は終わらなかったでしょう」 ■削り取られた神の山  宛さんは人のいる風景を「そのまま」といった感じで撮りたかったので、基本的に声をかけずに撮影した。 「一脚を使って撮影していたので、気づかれても、この人はちゃんと写真とやっている人だ、という感じがしたのだと思います。撮らないでほしい、と言われたのは1回しかありません」  ただ、ホームレスを撮影しようとしたときは声をかけた。 「撮ってもいいですか、と尋ねたのですが、ほとんど断られました。なので、河川敷に建てられた家だけを撮らせてもらいました」 撮影:宛超凡  作品には、経済や防災という視点も盛り込まれている。象徴的なのが秩父神社の神体山である武甲山。山の姿が変わるほど石灰岩が削り取られ、その手前には秩父市街が広がっている。 「武甲山は神の山ですが、人間がコンクリートをつくるために、お金のためにこんな姿になってしまった」  ほかにも、山から切り出された丸太、川で採取した砂や砂利を運ぶダンプカー、コンクリートで固められた川岸、治水のための水門。送電線や高速道路、鉄橋、工場なども写り込んでいる。そして作品は荒川河口の向こうにかすむ葛西臨海公園の大観覧車の写真で終わる。 「でも、まだ撮りたいと思っています。新型コロナで中止された花火大会と野焼きはまだ撮っていないですから。この二つが再開されたら撮りに行こうと思います」 ■賞金でフィルム500本  さらに宛さんは中国・上海を流れる黄浦江(こうほこう)と、韓国・ソウルの漢江(はんがん)の撮影を計画している。 「日本、中国、韓国の川を撮れば、三つの国の政治の違いがわかってくると思います。中国は重慶の川しか行ったことがないので上海の川がどんな感じか、楽しみです」  宛さんさんは今回の作品で三木淳賞を受賞した。 「授賞式のスピーチでは、こう話そうと思っています――賞金で上海の川を撮影するためのフィルムを500本買いました」 (アサヒカメラ・米倉昭仁) 【MEMO】宛超凡写真展「河はすべて知っている──荒川」ニコンサロン(東京・新宿) 4月11日~4月24日
【ゲッターズ飯田】今日の運勢は?「人との距離を縮められそうです」銀の鳳凰座
【ゲッターズ飯田】今日の運勢は?「人との距離を縮められそうです」銀の鳳凰座 ゲッターズ飯田さん  占いは人生の地図のようなもの。芸能界最強の占い師、ゲッターズ飯田さんの「五星三心占い」が、あなたが自分らしく日々を送るためのお手伝いをします。12タイプ別に、毎週月曜日にその日の運勢、毎月5のつく日(毎月5、15、25日)に開運のつぶやきをお届けします。 【タイプチェッカー】あなたはどのタイプ?自分のタイプを調べる いま日本で一番売れてる占い師・ゲッターズ飯田さんの最新刊『五星三心占い2023年版』は、全国の書店・ネット書店・セブンイレブンにて発売中!>>本の詳細をAmazonで見る 【金の羅針盤座】 面倒を見ていた人や、つくしていた人との距離があいてしまいそうな日。よかれと思ったことでも、余計なお世話になる場合があるので、相手の成長を「見守るくらいの距離感」を大切にしましょう。 【銀の羅針盤座】予想外のアクシデントに巻き込まれてしまいそうな日。部下や周囲の失敗のしわ寄せがきたり、渋滞や電車の遅延が原因で、遅刻をして叱られることもありそう。今日は、何が起きても冷静に対応するよう心がけておきましょう。【金のインディアン座】新しい情報を入手するのはいいですが、余計な情報まで入れないようにしましょう。不要なことを考える原因になりそうな情報は、カットすることも大切。【銀のインディアン座】身の回りをきれいにするのはいいですが、うっかり大事なものまで捨ててしまうことがあるので、しっかり確認しておきましょう。必要だったデータを消去したり、大事な書類をシュレッダーにかけてゾッとするようなこともありそうです。【金の鳳凰座】自分の言動に責任をもつことが大切な日。軽はずみなことはあまり言わないタイプですが、調子に乗っているときは、勢いで余計なことを言う可能性があるので気をつけましょう。【銀の鳳凰座】ゆっくりですが、いい人間関係をつくれたり、人との距離を縮められそうです。「この人は苦手」などと思い込まず、自ら挨拶をしたり、気楽に話しかけてみましょう。【金の時計座】気分で生活や仕事をしないで、しっかり気持ちを込めて取り組むことが大切。気分に左右されるとブレてしまいますが、気持ちを入れれば相手にも伝わり、自分の成長にもつながるでしょう。 【銀の時計座】起きるタイミングが悪かったり、体が重たく感じそう。ストレッチをしてから出かけるといいでしょう。仕事でも、頑張りすぎると疲れてしまうので、ペース配分を間違えないよう心がけて。 ゲッターズ飯田の五星三心占い 【金のカメレオン座】年上の人の話をしっかり聞くことが大切な日。知恵を借りることで、無駄な苦労を避けられそうです。また、不思議と懐かしい人からの連絡もありそう。後日会う約束をしてみるといいでしょう。【銀のカメレオン座】油断をしていると遅刻や忘れ物をしやすいので要注意。転んで大ケガを負ったり、操作ミスをして大問題になる場合もありそうです。小さなミスで済んだら「ラッキー」と思っておきましょう。【金のイルカ座】日中は、自信をもって行動することが大切。少し強引になるくらいがちょうどよさそうです。ただし、夕方以降は空回りしたり、タイミングが悪くなりそうなので、一歩引いて冷静に判断しましょう。【銀のイルカ座】仕事運のいい日ですが、実力がまだまだな人は、厳しい指摘を受けてしまうかも。言ってくれることへの感謝を忘れないようにしましょう。実力が十分身についている人は、一押しで大きな結果につながりそうです。
人の目が気になりすぎるのは「視線恐怖症」かも 公認心理師が教えるセルフケアの方法
人の目が気になりすぎるのは「視線恐怖症」かも 公認心理師が教えるセルフケアの方法 ※写真はイメージです(写真/Getty Images) 他人の視線が怖くなったり、相手の目を見られなくなったりする悩み、症状を「視線恐怖症」と呼ぶ。悪化すると仕事や学校生活に支障をきたすことがあり、注意が必要だ。環境が変わり、出会いが増える春に知っておきたい視線恐怖症の症状や原因、対処法を公認心理師に聞いた。 *  *  *  春は生活環境が変わりやすく、「周りになじめるだろうか」「人前で話すのが怖い」といった不安がつきまとうものだ。「自分は緊張しやすい性格だ」と思い込んでいる人も多いが、度を超える場合は病気の可能性も。人前で注目を浴びる状況で強い不安や恐怖、緊張を感じ、失敗して恥をかくことを過度に恐れることを社交不安障害(対人恐怖症)と呼ぶ。  代表的なものにスピーチ恐怖症、赤面恐怖症などがあるが、中でも「視線」に恐怖を感じる不安症が視線恐怖症だ。  トラウマ、PTSD、愛着障害などを専門とするカウンセリングセンター「ブリーフセラピー・カウンセリング・センター」のみきいちたろう氏は、視線恐怖症の主な種類として、「他人の視線が怖い(他者視線恐怖)、目を合わせられない(正視恐怖)、自分の視線が相手に不快感を与えたんじゃないかと考えてしまう(自己視線恐怖)といったものがあります」と話す。 トラウマ、PTSD、愛着障害などを専門とするカウンセリングセンター「ブリーフセラピー・カウンセリング・センター」のみきいちたろう氏  ほかには、視界に入る人やものを強く意識してしまったり、反対に他人の視界に入らないように避けようとしたりする「脇見恐怖症」もあるという。 「ただし、これらの症状は強迫性障害からくる場合もあります。視線恐怖は、その他の不安症の症状として現れることもあるのです」  さらに、視線恐怖症が悪化すると、学校や会社に行けなくなるなど生活に支障をきたし、社会との関わりが失われてしまう可能性もある。QOL(生活の質)を下げる原因にもなる、恐ろしい症状でもあるのだ。 ■主な原因は「環境要因」「自我の適応不全」「体質・気質」など  視線恐怖症に陥った場合、身体的には汗をかいたり、動悸が激しくなったりする症状が現れる。この時、脳内ではどのような現象が起きているのだろうか。みき氏は言う。 「人間は、脳内でセロトニンという神経伝達物質が分泌されて精神が安定・安心します。視線恐怖症を含めた社交不安障害の人は、不安や恐怖などの感情に大きく関わる海馬や扁桃体(へんとうたい)などが過活動になり、セロトニンの分泌量が減少すると考えられています」  また、視線恐怖症の主な要因としては、環境の変化、自我の適応不全(未成熟さ)、体質・気質の問題という三つが考えられるという。 「環境が変化することで、それまでになかったストレスを感じやすくなります。入学式や入社式で周りを警戒したり、緊張したりした経験をお持ちの人も多いでしょう。こういったストレスは人によって重さが違い、緊張や不安が一瞬で終わってしまう人もいれば、継続する人もいます。特に若く自我が未成熟な場合は、新しい環境にうまく適応できない原因を視線にまつわる問題に帰属させてしまうことで視線恐怖症といった形であらわれやすいのでしょう」  視線恐怖症は10~20代の若者に多く見られるが、それは新しい環境に飛び込むことが多いためだと考えられる。  しかし、みき氏によると、それまでいた環境が変わることがきっかけになるので、転職や転勤、異動なども当てはまる。視線恐怖症は、年齢や性別に関係なく発症する可能性をはらんでいるのだ。 ■視線恐怖症のケア方法は?  では、自分でできる視線恐怖症のケアには、どんなものがあるのだろうか。 「ひとつは認知行動療法です。なぜ不安や恐怖を感じるのかを自分で分析して、認知の修正を図る方法です。ポイントは、自我を成熟させることを主題に置くこと。環境に適応する方法を探るように意識するといいでしょう。次に運動です。週2~3回から、20~30分の有酸素運動をすることで、うつ病を含めた精神的な症状にも高い効果が期待できるといわれています」  近年、1日5分のウォーキング・ランニングが、学力や記憶力といった脳のさまざまな力を伸ばすと説いた『運動脳』(サンマーク出版)は、ベストセラーにも輝いた。 「有酸素運動をすることで全身の機能が働いて、やる気や幸福感を与えてくれる脳内物質が分泌され、不安や恐怖といった気持ちを抑えられます。ウォーキングやヨガがいいとされていますが、休日にウィンドーショッピングをしながら歩くこともよいでしょう」と続ける。 「最後は、自我の形成、適応の促進をうながすための方法として読書もよいかもしれません。語彙(ごい)を増やし、自分の言葉を持つことで、自分の思いや考え、取り巻く事象を正しく捉えて、悩みの要因を把握し、解決へと導きやすくなります。認知行動療法もしやすくなると思います」  もしも、自分で解決できそうにない場合は、専門家に相談することも検討しよう。 「ボーダーラインは、例えば知人に相談しても悩みが緩和されない、考えが修正されない、周りの人の言葉が入らないくらいに思考がかたくなで強固になってしまったような時。さらに登校や出勤ができないほどの重度になると、精神科や心療内科を受診し、カウンセリングや投薬治療を行うことになるでしょう」  最後に、自分は視線恐怖症かもしれないと悩む人に向けて、みき氏は次のメッセージを送る。 「実は、環境への適応とは周りに合わせることからではなく、自分をしっかりと持つことから始まります。周りに過度に忖度(そんたく)せず、自由にわがままに生きてもいいと思います。自由でわがままに生きているからといって、人望がなくなり人が離れていくわけではありません。反対に、しっかりと自分を持っているから人に好かれることもあります。視線恐怖症の気配を感じたら、まずは自己中心的に生きることを意識することからはじめてみてください」 (文・安倍季実子)
「日本はちょろいと思われている」警視庁OBが明かす中国のスパイ事情 ハニートラップにご注意
「日本はちょろいと思われている」警視庁OBが明かす中国のスパイ事情 ハニートラップにご注意 写真はイメージです(GettyImages)  日本の製薬大手・アステラス製薬(東京都中央区)の50代の男性社員が中国・北京で3月、スパイ行為に関与した疑いで国家安全当局に身柄を拘束された。中国で狙われやすい人とは、気をつけるべきことは、もしも社員が拘束されたら……。各国のスパイ事情に詳しい元警視庁の公安捜査官で、セキュリティコンサルタントの松丸俊彦氏に、中国のスパイ事情について聞いた。 「外交カードとしての拘束の可能性もある」  松丸さんは今回の男性社員の拘束についてそう話し、日本人が狙われやすい政治的な理由があったとの見方を示す。 「日中平和友好条約の締結から今年で45年目。日中関係は悪化しているなか、今年5月には広島でのG7サミットが控えています」(松丸氏、以下同)  松丸さんの指摘のように、昨今は中国側にとって不満が高まる状況にあった。 松丸俊彦氏  たとえば3月にロシアと中国の首脳会談が行われているなか、同じ日に岸田首相はウクライナへ電撃訪問し、ゼレンスキー大統領と会談した。ほかにも2月末に、駐日中国大使が離任する際、日本政府はあいさつを断る”異例”の事態が判明している。2001年以降、駐日中国大使を務めた5人のうち、特段の理由がない限り、歴代大使は離任時に首相と面会をしている。  とはいえ、中国ではそんな容易に邦人を拘束できるものなのだろうか。 「中国はスパイを取り締まる反スパイ法を2014年に制定しています。ただ定義があいまいで、スパイ活動に従事した疑いがあるというだけで、具体的な情報などを明らかにしないで身柄を拘束できるようになったのです。14年以降、17人の日本人が拘束されました」  中国には22年10月時点で約10万人の日本人がいる。どんな人が狙われやすいのだろうか。 「中国は共通して、情報や人脈のより多い人物を拘束します。バックパッカーとかではなく、特定の分野の主要人物だったり、ある程度の肩書を持っていたりする人です」  実際に今回拘束されたアステラス製薬の男性は、現地法人の幹部だった。また、中国でビジネス展開する日系企業の支援を行う「中国日本商会」の幹部を務めた経験もあるという。  そのほか、これまでに拘束されたのは、19年9月に北京市内で北海道大学の教授、18年2月に伊藤忠商事の男性社員だった。  拘束されるのは日本だけではない。  18年2月、カナダは米国からの要請で華為(ファーウェイ)の最高財務責任者で創業者の娘の孟晩舟氏を国内で逮捕した。これに対抗するかのように中国当局は同年12月、元外交官と企業家のカナダ人男性2人を、スパイ容疑で拘束した。当局は当時、身柄拘束の理由を明らかにしなかった。  この事件ではカナダから身柄の引き渡しを受けたアメリカが孟晩舟氏を解放した直後に、中国はカナダ人男性2人の身柄を解放している。   ■事案が起きたら企業はすぐに公表すべき その理由とは    実際に中国に駐在員がいる日系企業は、社員が拘束された際にどんな対応が求められるのだろうか。 「まず拘束された後、数カ月は監視下に置かれます。16年に拘束された日本人男性は約7カ月間、古いホテルのような一室で一日中監視され、取り調べを受ける生活を強いられました。この段階のときに国が積極的に動いて、身柄の解放を実現しないといけません」  松丸氏によれば、数カ月に続く取り調べの後、裁判が行われるという。裁判では有罪判決が下されるのはほぼ確定的で、現地の刑務所に収監されることになる。この男性社員は懲役6年の実刑判決を受け、22年10月まで帰国することはできなかった。 「伊藤忠の場合、男性社員が拘束されているということを約1年間公表していませんでした。企業イメージの悪化につながるので避けたい、と考えるのは仕方のないことですが、中国相手に水面下の交渉は有効ではありません。企業はすぐに公表して、マスコミを使って世論を形成し、政府が動かざるを得ない状況を作り出すことが得策と考えます」  中国に実際に行ったとき、気をつけるべき点は何が挙げられるのか。 「電話やメール、FAXまでもがすべて監視されていると思って間違いありません。あと拘束の候補になりそうなターゲットには、常時監視がついているので、話す内容も気をつけるべきです。口が滑っても『クーデター』や『テロ』といった言葉を出したり、ゼロコロナの批判をしたりしてはいけません。会話に出た名詞を恣意(しい)的に切り取って、反スパイ罪の適用をしてくる可能性があります。実際に伊藤忠の男性は16年に、たわいもない北朝鮮に関する話題を中国政府の関係者と話したことが罪状となりました」 ■露と並んで日本で暗躍する中国スパイたち  中国でスパイの取り締まりが厳しくなるなか、日本国内では中国スパイが暗躍中だ。  「機密情報を日本政府や日系企業から得ることを目的としたスパイが、日本で活動中です。特に多いのはロシアと中国です」  日本での中国人スパイについては、少し前に問題になっている。  中国がいま、自国の農業のIT化を推し進めている真っただ中の事件だった。日本の電子機器メーカーで働く技術者の男性が去年、クラウド上で管理されていたスマート農業の情報を不正に持ち出したとして、警視庁が不正競争防止法違反の容疑で捜査していたことが4月3日に明らかになった。  中国人男性は農作物の栽培を最適化する機器のプログラムを、SNSで中国国内に勤める知人2人へ送信していたという。その男性はすでに国外へ出国している。中国共産党員で、中国人民解放軍と接点があったことも明らかになっている。 「中国は人海戦術のスパイ活動を行っており、日本にいる留学生、会社員、経営者まで幅広くスパイ活動を依頼します。また、研究や取材などこじつけて、情報を提供できないかと接触してくることもあると聞きます。また、対象企業に勤めるビジネスマンが中国に出張で来たとき、ハニートラップに引っ掛けて、脅して協力者にしてしまうこともあります」  松丸氏は最後に、 「『日本はちょろい。こういう状況でも日本企業は中国から撤退できない』と思われがちな面があるので、企業の経営者はいま一度、自社の情報管理体制やコンプライアンス意識の強化などを一新する必要があります」  と警鐘を鳴らす。  (AERA dot.編集部 板垣聡旨)
「女性は“誰かに属している”ことを求められる」 地方女子が感じる「生きづらさ」の正体
「女性は“誰かに属している”ことを求められる」 地方女子が感じる「生きづらさ」の正体 ※写真はイメージです。本文とは関係ありません(写真:violet-blue / iStock / Getty Images Plus)  辻村深月著『傲慢と善良』が大ヒットしている理由のひとつに、ストーリーを読みすすめるうちに現代社会における生きづらさが次々と浮かび上がってくる点があるだろう。  ひと組の男女がマッチングアプリを通して出会って、婚約する。本作の主人公である坂庭真実(まみ)と西澤架(かける)。すべてが順調に見えた。それなのに、真実は突然失踪する。  架はその行方を追い、真実を知る人に会って、話を聞く。それは真実がどう生きてきたかをたどる旅でもあった。そのなかで架は、婚約者が抱えていた生きづらさにまるで気づいていなかった自分を突きつけられる。ふたりが生きてきた環境に共通点が少なかったことも、その一因だ。  架は東京に育ち、小さいながら親から継いだ会社を経営し、社交的な性格も手伝って学生時代からの友人は男女問わず多い。一方の真実は群馬県に生まれ公務員の父と専業主婦の母のもとで育ち、地元の女子高、女子大を経て、やはり地元の県庁に臨時職員として就職して、親元から通った。  地元にいたときの真実は息苦しさに喘ぎ、しかし自分ではそうとは気づいていないようだった。  ここで、同じく地方に暮らし息苦しさを感じている女性たちの話を紹介しよう。北陸地方在住のモモエさんは、こう話す。 「このあたりではいまでも、女性は“誰かに属している”ことを求められます。独身なら●●さんのところの娘さん、結婚すれば▲▲家に嫁に行った。特に冠婚葬祭で親戚が集まるときに、それを強く感じます。私は未婚で両親と同居しているのですが、そうなると40代になっても“あそこの家の娘”としか認識されない。私がなんの仕事をしているとか、何が好きで、どんな人間であるとかは、誰も興味がない感じです」  結婚した女性は、たとえ仕事をもっていてもそこには注目されず、夫の勤め先などが話題になる、とモモエさんは付け加える。作中の真実は親のすすめに従ってお見合いをしたが、母親は相手の職業への思い入れが強かったようだ。その身上書を自分の友人に見せ、真実から怒られたこともある。 ※写真はイメージです。本文とは関係ありません  モモエさんが生まれ育った地域では、地縁と血縁が強い。適応すればそれはそれで楽なのかもしれないが、モモエさんのように疑問をもつと途端に息苦しくなる。でも、自分ひとりがその息苦しさを訴えたところで、変わるものではない。モモエさんの淡々とした口調には、あきらめの色が混ざっている。  地縁と血縁は、しがらみになりやすい。 「私が育った家では、プライバシーの概念というのがまったくなかったんですよ」と話してくれたのは、30代のアリサさん。現在は東京在住だが、山陰地方に生まれ育った。 「うちは祖父母も親族もみんな県内にいるのですが、しょっちゅう電話し合っては、母が『アリサが学校でこんなことしてね』『先生にこんなことを言われてね』と何から何まで話すんです。子どもながら、自分のことを勝手に言いふらされることに強い反発を覚えました。よかれと思ってなんでしょうけど、自分は世間話のネタでしかないんだと感じられたし、母親同士の集まりなど家族以外にも私のことを話しているのではないかと不安になって。結果、自分のことを一切知られたくないと思ってそれが態度にも出ていたので、親からすれば秘密主義の困った子どもに見えていたと思います」  30代のレナさんも同じく、生まれ育った東海地方でプライバシーのなさに苦手意識を感じていた。 「ご近所のあの子はどこの大学に行ったとか、あそこのうちの長男は仕事を辞めたらしいとか……。それを知って何になるんだろう、と思いますね。その噂になっている人のことを私はよく知らないし、興味もない。それでも耳に入ってくる煩わしさがありました」  口さがない人は、どこにでもいる。しかし地方でこうしたことがより起きやすいのは、同質性の高いコミュニティーでは、ひとりの情報をその他全員で共有することがよしとされる傾向があるからだろう。そして、自分の周囲はすべて同質だと思っているからこそ、学歴や職業、婚家といった“違い”が話題になりやすい。  加えて、コミュニティーが小さく、それでいて密であるためにこんなことも起きるという。 ※写真はイメージです。本文とは関係ありません 「友だちと出かけた先で、母親の同級生に会うとか知り合いに見られているとかもしょっちゅうで、『レナちゃん、来てたわよ』というのがウチにまで伝わってくる。デートをしたくても誰かに見られて、親にも知られるかもしれない……と考えると、出かけるのもためらわれますよね」  いたるところに大小さまざまなしがらみがあって、行動するたびそれに引っかかる。作中での真実も、人間関係はすべて地元で築いてきたものだった。職場でも、お見合い相手と出かけたショッピングセンターでも、古い知り合いに出会う。  レナさんは、大学進学を機に上京した。祖父は「女の子には学問はいらん!」と言っていたが、両親の考えは違った。 「地元では、女性の働き口が少ないんです。ほとんどが非正規雇用だし、正社員でも給与が信じられないほど低い。女性がひとりで生活をすることが想定されていないんでしょうね。そこそこのお金を得るとなると医師、看護師、薬剤師などの医療関係か、教職以外にない」  女性は人生の早いうちからそれを知り、人生の選択を迫られる。 「高校生のとき進学を考えるにも、女子は『あの学科にいって、あの資格を取って、将来はあの職業に就く』って具体的な想定をしている子が多かったと思います。男子はもっと漠然としていたけど、きっとそれでもなんとかなるんですよ。私は大学進学時に奨学金を利用することになっていたので、地元の大学に進み地元で職に就くと将来きっと返済に困るだろう、という考えが両親にもあったようです」  作中の真実は、県庁勤めとはいえ臨時職員だった。契約は1年更新。経済的に困ることはなさそうだが、それは親元で暮らしているからだろう。  女性と職の問題は、結婚とも無関係ではない。  モモエさんは職場で、複雑な思いに駆られたことがある。「仕事がデキる」と評判の女性がいた。年のころは30歳手前。上司の覚えもよく、同僚や後輩からも人望があるが、昇進することはない。そんな彼女が辞表を出したと聞き、モモエさんは耳を疑った。しかも結婚を機に辞めるのだという。 ※写真はイメージです。本文とは関係ありません 「その3カ月前には彼氏がいないと言っていたのに……。お見合いをして、あれよあれよという間に話が決まったそうです。私、彼女が退職のあいさつが忘れらなくて。『これからは主人のためだけに生きていきます!』って言ったんですよね」  前時代的なセリフに驚かされはしたが、彼女の気持ちもわからなくもない。 「勤め先には女性社員が20人ほどいるけど、そのなかで既婚者は2人だけ。どちらにもお子さんはいません。そうした光景を見ていると、この先、結婚して家庭を維持し、人によっては子どもを育てながらこの会社で働いていくっていうイメージが持てませんよね」  そのような環境で、生活の安定を求めて結婚するケースをモモエさんはいくつも見てきた。しかし周囲に漂っている「結婚すれば幸せになる」「養われるのが女の幸せ」という考えには懐疑的だ。先のことは誰にもわからないし、人の妻となったことで安定を得られるとは思えない。  モモエさんは、今後も働きつづけたいと思っている。生きていくには当然のことだ。しかし40代で未婚、両親と同居している自分が、狭くて密なコミュニティーではどのように言われているのかは、だいたい想像がつく。本人が結婚を望んでいなくても周りからは「していない」ことだけが取り沙汰され、仕事をつづけたいということについては話題にものぼらない。モモエさんはその話しぶりからも自立した女性だとわかるが、地元でそれは評価されない。  その人の評価は、その人自身によってでなく、しがらみのなかのどの位置にいるかで決まる。真実の出身大学は、県下では有名な“お嬢さん大学”で、地元企業にはわざわざ就職の枠を設けているところもあるという。真実の姉から、それは「お嫁さん枠」を意味するのだと聞いて、東京育ちの架は驚く。  ただし真実はその枠には入らず、親の伝手で県庁に就職する。同じく臨時職員の同僚には、出産で一度辞めたが経験値を買われて再契約した女性もいる。キャリアを築くことはむずかしくとも、それなりに長く勤められたかもしれない仕事を辞めてまで、真実は地元から出た。 ※写真はイメージです。本文とは関係ありません  地元を離れるのは、簡単なことではない。今回お話を聞いたレナさんとアリサさんは、大学進学を機に親元、地元を離れて都市部に出ている。アリサさんは振り返る。 「母は自分が高卒で就職して悔しい思いをしたことから、四年制大学には絶対に行きなさいという教育方針だったのですが、県外にいくのは親も親戚も大反対。願書を出すギリギリまで電話がかかってきて『地元の大学じゃダメなの?』『県内でひとり暮らしして、通えるところにすればいいじゃない』といわれました」  アリサさんには高校生のときから将来就きたい職業が明確にあり、それに向けて資格をとるプランも立てていた。そのことは尊重されず、ただ地元にいることを求められる。押し切って大阪の大学に進学したアリサさん、ここではじめてのびのびできたのではないだろうか。 「それが、頭のなかにずっと親や親戚がいるんです。親がすぐには来られない遠くにいて、誰にも見られてないとわかっていても、ずっと口を出され干渉されている感じ。苦痛でしたね。そのうち、不思議なことが起きたんです。洋服がピンクやパステルカラー、フリルやレースといったファンシーなものばかりになってしまって……。地元にいるときは干渉されたくない、女の子らしさやかわいらしさを押し付けられるのを嫌って、ずっと無地で黒色の服ばかり着ていたんです。幼児がえりみたいなものですかね。同時に、私こういうのが実は好きだったんだと気づいて、少し泣いて、自分のなかの小学生の女の子が成仏した感じです」  レナさんは、大学の夏休みで帰省中に、水害に見舞われた。 「そのときは隣近所の人が声をかけあって物資をフォローしあったりして、地元のよさも感じました。つながりが密なのって、いい面も悪い面もありますよね。就職後に親元を出て地元でひとり暮らしという人もいますが、見ていると出たいのは親元ではなく地元そのものなのだろうなと思います。でも出たい気持ちがあっても、給料が全体的に低いので貯蓄もできない、ひとり暮らしをはじめる資金を貯めることもできない。タイミングもむずかしいですよね、進学や就職、それから結婚など、わかりやすいタイミングでないと、なんで?って言われちゃう」 辻村深月著『傲慢と善良』(朝日文庫)※Amazonで本の詳細を見る  作中の真実の上京も、周囲からは「なんで?」と思われた。母にも姉にその理由がわからない。彼女らから話を聞いた架も当然わからない、が、そこにこそ真実という人を知るヒントがあるように思えてならなかった。  地元のつながりのよさも知っている。そのうえでレナさんは、首都圏で就職し、いまのところ地元に帰る予定はない。連絡を取りつづける幼馴染は2人ほどいるが、同窓会の案内があっても出ようと思ったことはない。血縁はともかく、地縁が自分に必要だと思えない。ご近所、同級生、親の知り合い……「私のことは放っておいて!」と思う。レナさんにとって地元は「放っておいてくれが通じない場所」だった。  アリサさんは大学卒業後、山陰の地元に帰って就職する。息苦しさはすぐに復活した。地縁と血縁の強さを思い知らされた。母親は、無断でアリサさんの職場を覗きにきて「がんばってたわね」などという。これも親心、とは思えない。「逃げなければ」と思い続け、かわいがってくれた祖父母が他界したのを機に、今度は東京に出た。資格を活かした仕事に就き、やがて独立。もう地元に戻ることはないだろう。 「いまは、私のバックボーンを知っている人が身近にいない環境に逃げてこられたのだと感じて、それだけで楽です。今後地元に帰ることはあるか……そうですね、両親が自分の足であちこち行くことができなくなったら、考えられるかな。ひどいことを言うと思われるかもしれませんが、動けるかぎりは私がいくつになっても干渉してくると思うんです」  地元から出ることを、アリサさんは「逃げる」と表現する。進路を自分で決め資格を取り、一度は地元に戻ったものの、転職とともに再び地元を出る……すべて自分で獲得したものであるにもかかわらず「逃げた」という感覚が強いようだった。それほど“しがらみ”が怖いのだろう。いま暮らしている東京では、地域に根ざしたいと思いながらも地元の人たちと関係を築くことに及び腰になっている。 ※写真はイメージです。本文とは関係ありません  自分で選び、獲得した場所でも、しがらみができる可能性はもちろんある。  真実も、実家を、地元を出ることで何かから逃れることができたのだろうか。断ち切りたいしがらみはあったのだろうか。そして上京することで何かを獲得できたのか。ともかく結婚がしたくて、架と出会い、婚約した。架の友人たちとも何度かあった。その人間関係は、真実にとって新たなしがらみとなるものだったのか。  その後、真実は失踪してしまう。真実の地元で知人らから話を聞き歩くことで、架にはこれまで見えていなかった真実の輪郭が見えてくる。 『傲慢と善良』は二度読みたくなる小説だ。一度目は、真実の行方、そして架との関係がどうなるのかが気になってページをくる手が止まらない。二度目は、真実がずっと抱えてきた生きづらさをつぶさに拾い、自分や誰かと重ねながらじっくり読む。何度読んでも発見があり、だからこそ「人生でいちばん刺さった」と感じる人が、きっと多いのだろう。 (取材・文/三浦ゆえ)
NHKから“カレーアナ”に転身 内藤裕子「カレーは食べた人が元気を受け取るラブレター」
NHKから“カレーアナ”に転身 内藤裕子「カレーは食べた人が元気を受け取るラブレター」 内藤裕子(ないとう・ゆうこ)/1976年生まれ。99年、NHKに入局。「あさイチ」リポーターなどを担当。2017年に退局、18年にカレー大学院卒業(撮影/高橋奈緒)  仕事を選ぶうえで、やりがいや働きやすさなども大事な要素だが、「好きだから」というのも忘れてはいけないポイントだ。自分の「好き」に向かって飛び込んだ、元NHKアナウンサーの内藤裕子さんが語った。AERA 2023年4月10日号の記事を紹介する。 *  *  *  情報番組「あさイチ」の初代リポーターだった元NHKアナウンサーの内藤裕子さんは、フリーに転身した今、「カレーアナ」と呼ばれている。  40歳でNHKを退局後、カレーの勉強を始めたが、趣味で終わらなかった。  よく食べるときは、朝、夜、そして翌朝。最近も2日に1回は食べる。食べたカレーの写真は、必ず「おつカレー!」と書いてインスタグラムに投稿している。投稿を始めて今年で5年。記録のつもりだったが、そのカレー愛が、テレビ朝日の料理番組「家事ヤロウ!!!」のスタッフの目に留まり、番組内でカレーの作り方を紹介するように。そして、レシピ本を出版するまでになった。カレー関係のイベントや番組にたびたび呼ばれて、カレーの魅力を伝えている。 「右手にスプーン、左手にマイクのカレーアナウンサーです」  もともと思い切りがよくて、元気がいいほう。でも、カレーの話をするときは「いつもより前のめりだね」と言われる。  内藤さんは取材に、いつものカレー用のスプーンを持ってきた。そして、食べ歩きしやすいデニムに靴、カレー愛を込めた赤と金のカレーコーデで登場した。  お気に入りのカレーを紹介してくれた。東京・渋谷ヒカリエの「コスメキッチン アダプテーション」のレモンとココナッツミルクのチキンカレーだ。 「ん~さわやかな香り! レモンの酸味が利いて軽やかでおいしいんですよ」 アイスで簡単!「バターチキンカレー」(撮影/原ヒデトシ) ■母の生きた証し  でも、なぜカレー? “カレー道”にのめり込んだ背景には、40歳を目前にした迷い、そして九死に一生を得る事故があった。  思えば、カレーがよく出る家庭に育った。父は週末にスパイスの香るカレーを作った。母はなすとひき肉のキーマカレーをよく作ってくれた。 母から教わった「なすとひき肉のキーマカレー」(撮影/原ヒデトシ)  新人時代、給料日は、配属先のNHK熊本放送局の近くにある洋食屋で、カレーを食べるのが楽しみだった。肉は柔らかく、バターライスとの組み合わせが最高。 「おいしいし、体は温まるし、ハッピーホルモンがわいてくるんです。焼き肉を食べるのに似た感じで、元気が出ました」  2010年、「あさイチ」のリポーターに抜擢(ばってき)された。だが、初回の出演の1週間前、母がすい臓がんで亡くなった。  どうしたら母を感じられるだろう。いろいろ試すうちに、よく作ってくれたなすとひき肉のキーマカレーに行き当たった。何度も母のカレーを作ってみた。 「当たり前の味だと思っていましたが、自分で作っても母の味には近づけられなかったんです。カレーに母の生きた証しが詰まっていたんだと思いました」  作ってみて気づいた。その時によって味が違う。少しずつ上達していく実感もあった。もう少しカレーのことを知りたい。時間を見つけては作るようになった。  決定的な転機は、36歳のとき。交通事故に巻き込まれた。信号待ちをしていたところ、交差点でバイクと車が衝突、バイクが内藤さんの目の前に飛んできた。バイクはポールに当たって跳ね返されたため、内藤さんは直撃を免れて、足の打撲で済んだ。  警察官から「もしポールがなかったら、バイクに当たって即死か大やけどだったでしょう」と言われて、こう思った。 「いつ人生に幕が下ろされるかわからない。たった一度きりの人生を思いっきり生きたいって、自分が変わった気がしたんです」  アナウンサーの仕事は大好きだった。毎日、新しいことの連続だった。 「40歳を前にして、いろいろ考えさせられたんですよね。50歳の時、10年後の自分はどうしてるんだろうって」 ■「カレー好きだよね?」  若い頃は、自分のことを考えて、好きなことをしていればよかった。でも、母が亡くなった今、父には元気でいてほしいし、そばにいたい。全国転勤があり、多忙な生活を続けていいのだろうか。  それに、いつまで現役のアナウンサーでいられるだろう。 「一回ちょっと違う景色を見てみるのもいいのかな」 カフェ風「チキンカレー」(撮影/原ヒデトシ)  数年悩んだ末、18年勤めたNHKを辞めた。  ただ、辞めてすぐに、カレーのことが頭に浮かんだわけではない。いままで家族に迷惑をかけた罪滅ぼしをしたい。主婦業を始めた。  一方で、NHK時代の同僚から少しずつナレーションなど声の仕事を依頼されるようになり、語りの仕事の奥深さを改めて実感した。「細々でもいいから語りの仕事をしていきたい」と強く思うようになっていった。  そんなときに知人から連絡があった。 「どうしてる? カレー好きだよね?」  まもなく開校する「カレー大学院」の存在を教えてくれた。カレー作りからカレーの社会学まで勉強できる。「何それ。面白そう」と申し込んだ。 「今までと違う筋肉を鍛えられるかなって」 スパイスを重ねた「メカジキとエビのカレー」(撮影/原ヒデトシ) ■自分の言葉で伝える  仕事を辞めて、カレーの学校に踏み出した。夫は「何を考えているんだ。お花畑はやめてくれ」と反対したが、あきらめなかった。 「自分を輝かせられるのは、自分だけだから。好きなことをしよう」  授業は半年間、月に1回。朝から夕方まで。課題が毎回出された。課題のために、カレーについて調べた。例えば、1960年代の高度経済成長期までは、日本のカレーは辛く、大人の食べ物だった。だが、子どもたちが食べられる甘いカレーを作れないか。そんな声に応えたメーカーは、努力の末、甘口カレーを生みだした。先人たちの思いを感じると、カレーがよりおいしくなった。 「カレーは食べた人が元気を受け取るラブレターだと思うんです。作った人たちの思いをみんなにシェアしたくなりました」  筆記試験と卒業論文の結果、カレー大学院を首席で卒業し、芸能事務所に所属した。早速、ラジオ番組へのレギュラー出演が決まり、チャンスが巡ってきた。 「でも、カレーアナとしての活動は、ゼロからの再出発でした。まるで温室からジャングルに出たようでした」  NHK時代とは、違う能力を求められた。データや歴史を紹介するだけではない。 「あなたがどう感じたか話してください」とダメ出しされた。自分の言葉で、視聴者が共感するようなエピソードを話さなければならない。脱皮しよう。ダメな自分と向き合った。  スパイスは、ピリッと引き締めるだけではない。とろけるような甘み、個性的な香りをかもす。今はこう感じている。 「カレーにも人生にも、スパイスが必要だと思うんです」 (構成/編集部・井上有紀子) ※AERA 2023年4月10日号
ハーバード卒・廣津留すみれは料理が怖くて方向音痴!? 苦手なことは諦めて得意なことに時間を使いたい
ハーバード卒・廣津留すみれは料理が怖くて方向音痴!? 苦手なことは諦めて得意なことに時間を使いたい 学校や仕事、生活での悩みや疑問。廣津留さんならどう考える?(撮影/吉松伸太郎) 小中高と大分の公立校で学び、米・ハーバード大学、ジュリアード音楽院を卒業・修了したバイオリニストの廣津留すみれさん(29)。その活動は音楽だけにとどまらず、大学の教壇に立ったり、情報番組のコメンテーターを務めたりと、幅広い。「才女」のひと言では片付けられない廣津留さんに、人間関係から教育やキャリアのことまで、さまざまな悩みや疑問を投げかけていくAERA dot.連載。今回は、「非の打ち所のない廣津留さんにも苦手なことはあるの?」という、30代女性からの疑問をぶつけてみた。 * * * Q. 廣津留さんは非の打ち所がない女性に見えて素晴らしくて憧れる反面、凡人離れしていて「私は絶対こんな風になれない……」と、自分と比較して落ち込んでしまいます。苦手なことやお茶目なところがあったら、ぜひ教えてほしいです。 A. えっと、料理が苦手ですね。全然やらないんです(笑)。ニューヨークにいるとき、炒め物を作ろうとして鍋に油を入れて火にかけている間に野菜を切っていたら、ボッと音がして火が燃え上がったことがありまして……。しかも、パニックになって馬鹿なことに水をかけちゃったんですよ! 火は燃え上がり続けて、「どうしよう~」と思いながらも、しばらくただ燃える火を見ているしかできなくて。幸いなことに、しばらくしたら火がしぼんでいったからよかったけど、水をかけたことをルームメイトに言ったらすごく怒られました。鍋の蓋を閉めたり濡れタオルをかけたりといった発想がなかったですね……。これは料理が苦手以前の問題で、知識のなさが引き起こした事故なんですけど、それ以来、ちょっとしたものを炒めるのも怖い(苦笑)。  あとは、ものすごい方向音痴です。ニューヨークのマンハッタンは碁盤の目のようになっていて分かりやすいはずなのに、毎回どっちに向かって進めばいいか分からなくなっちゃうんです。街角で警備員さんに道を尋ねて行き方を教えてもらって、自分ではその通りに行ったつもりが、また同じ警備員さんのところに戻っていたということもあったくらい(笑)。いま住んでいるところは、大きな幹線道路から細い道に入っていくような場所なんですけど、タクシーで帰宅するときは自分がどっち方向から来ているのか分からないから、運転手さんに「あの信号を曲がってください」って言うことしかできなくて。「どっちに曲がるんですか?」と聞かれるたびに「右か? 左か?」って迷っています(笑)。 “捨ててもいい情報” と “押さえておかないといけない情報”の区別がつく?(撮影/吉松伸太郎)  でも、苦手なことは正直、諦めています。無人島でサバイバルしないといけないとか、必要に迫られたらどうにかしようって思うんだろうけど……。いまの日常生活では、料理はデリバリーやお惣菜屋さんで買ったりすればご飯を炊くだけでいいし、方向音痴もGoogleマップがあれば何とかなる。そもそも苦手なことって、自分に合っていないことだとも思うんですよね。だから、そこに自分の時間を使うよりも、外注なりテクノロジーに頼るなりして、その分空いた時間を自分の得意なことに使ったほうがいいなって思っちゃいます。 Q. 苦手なことをどうしてもやらなくてはいけないことになったら、どうやってチャレンジしますか? 気が乗らないときにモチベーションを上げる方法もあれば教えてください。 A. 練習あるのみ、ですかね。私がもし苦手な料理にチャレンジするなら、とりあえず料理教室に行って、効率的にこなしている人や得意な人に話を聞くかな。例えば料理なら、私がレシピ本を何冊も読んだところで、料理が得意な人が読み取る情報量と全く違うと思うんですよね。料理初心者の私は、捨ててもいい情報と押さえておかないといけない情報の区別がつかなくて、必須ではないところにも労力をかけてしまうだろうから。得意な人に大事なポイントを5つ教えてもらうというのを5人くらいに聞いたら、かぶってくるポイントがあるはず。そうやって、コツを聞いて効率よくできるようになるまでの最短ルートを探すタイプですね。英語が得意な人は、とばしてもいい英単語と覚えたほうがいいものがわかるのと一緒かなって思うので。  そして、気が乗らないときのモチベーションアップには、B’zの曲をかける!(笑)。「イチブトゼンブ」みたいなアップテンポな曲を聞くと、やる気が出ます。あとは、仲間を作って一緒に頑張るというのもいいですよね。最近はYouTubeでも勉強しているだけ、料理しているだけという動画があるから、そういう動画を流しながらやれば「あの人も頑張っているから、私も頑張ろう」っていう気持ちになることが多いです。 構成/岩本恵美 衣装協力/BEAMS 英語や海外事情、勉強、音楽、学校、これからの日本。気になることをなんでも聞いてみよう(撮影/吉松伸太郎) AERA dot.では、ハーバード大学とジュリアード音楽院を卒業・修了した廣津留すみれさんのライフヒストリーを紹介する連載「廣津留すみれのアタマの中」を掲載。2023年からは「Season 2」として、バイオリニストでありながら、情報番組のコメンテーターや大学の教員など多方面で活躍する廣津留さんが、勉強やキャリア、海外のことなどにまつわるさまざまな悩みや疑問に答えます。 そこで、みなさんからの質問を大募集します! お子さんから学生、大人まで、年齢は問いません。 【こちらから気軽にお寄せください】 例えば…… 「歴史と英単語の暗記のコツを教えて」 「これって今の英語ではなんて言うの?」 「ピアノがなかなか上手くなりません。習い事はいつまで続けたほうがいい?」 「日本に遊びに来た若い外国人を、廣津留さんならどこに案内しますか?」 「英語でプレゼンするときに相手に響くポイントは?」 「今、勉強しておくといいジャンルは何だと思いますか?」 「ずばり、日本の教育を変えられるならどこを変える?」 廣津留すみれさんのファーストCD「メンデルスゾーン/ヴァイオリン協奏曲+シャコンヌ」
「肌の老化」を抑える5つの方法は? 皮膚科医が教える“肌のアンチエイジング”最新研究
「肌の老化」を抑える5つの方法は? 皮膚科医が教える“肌のアンチエイジング”最新研究 ※写真はイメージです(写真/Getty Images) 年とともに肌が老化していくのは仕方がないこと。弾力がなくなり、シワやたるみに悩む人も多いでしょう。それを少しでも遅らせるにはどうしたらいいか。近畿大学医学部皮膚科学教室主任教授の大塚篤司医師が肌のアンチエイジングについて解説します。 *  *  *  アンチエイジングの研究は日進月歩です。とくに肌の老化に関して、近年、様々なことがわかってきました。肌の老化の要因は主に3つあります。炎症、過酸化脂質、糖化です。これらは紫外線、ストレス、不健康な食事などで引き起こされることが多く、これらの要素を制御することが、肌のアンチエイジングに重要です。今回は肌のアンチエイジングについて紹介したいと思います。 ●抗酸化物質を取る  肌の老化の要因として、過酸化脂質があげられます。過酸化脂質は、脂質が酸化によって変性した化合物です。体内で起こる酸化ストレスや外部からの酸化剤の影響で、不飽和脂肪酸が過酸化反応を受け、過酸化脂質が生成されます。過酸化脂質は細胞膜の構造を損傷し、機能を低下させます。過酸化脂質は、紫外線、喫煙、ストレス、大気汚染などで増えることが知られています。  過酸化脂質の生成を防ぐには、抗酸化物質が有効です。食事やサプリから抗酸化物質を取り、活性酸素によるダメージを抑えることで、肌のアンチエイジングにつながる可能性があります。抗酸化物質として、ビタミンC、ビタミンE、アスタキサンチンなどを含む食品を積極的に食べることが推奨されています。多くの研究が抗酸化物質が老化や炎症を抑制し、肌の健康を維持することを示しています。  ただし、抗酸化物質の摂取にも注意が必要です。過剰な抗酸化物質摂取は、逆に酸化ストレスを引き起こすことがあります。また、ビタミンCやビタミンEなどの一部の抗酸化物質は、水溶性と脂溶性の両方が存在するため、適切な形態で摂取することが重要です。 ●糖化を防ぐ  糖化とは、糖分とたんぱく質が結合し、結果としてコラーゲンやエラスチンなどのたんぱく質が劣化する現象です。この過程は、肌の弾力やハリを低下させ、シワやたるみの原因となります。シナモンやターメリックなどの糖化抑制食品には、糖化反応を遅らせる効果があることが研究で示されています。  しかし、抗酸化物質と同様に、糖化抑制食品を過剰に摂取することも避けるべきです。適量を守り、バランスの良い食事を心がけることが大切です。さらに、糖化抑制食品の効果を十分に発揮させるために、食品の摂取方法や調理法にも注意が必要です。例えば、シナモンは熱に弱いため、熱を加えずに摂取することが望ましいです。 ●水分補給を怠らない  水分不足は肌の乾燥やたるみを引き起こすため、適切な水分補給が必要です。1日に約2リットルの水を摂取することを目標にしましょう。水分が適切に摂取されることで、体内の老廃物の排出が促され、新陳代謝が活性化されます。これにより、肌細胞の新陳代謝が円滑に行われ、健康で若々しい肌が維持されることが期待されます。さらに、水分摂取は皮膚のバリア機能の維持にも役立ち、外部刺激からの保護や皮膚の修復に寄与します。  一方で、過剰な水分摂取による水中毒(低ナトリウム血症)のリスクが存在します。適切な水分摂取量を守り、無理な水分摂取を避けることが重要です。バランスの良い食事と併せて、適切な水分補給を心掛けることで、肌の健康維持に役立ちます。 ●健康的な脂質を取る  オメガ3脂肪酸やオメガ6脂肪酸を含む食品(魚、ナッツ、種子など)を食べることで、肌の水分バランスや弾力が保たれます。オメガ3脂肪酸とオメガ6脂肪酸は、体内で生成されない必須脂肪酸であり、外部から摂取する必要があります。これらの脂肪酸は、細胞膜の構成成分であり、肌の水分バランスや弾力を維持する役割があります。特にオメガ3脂肪酸は、抗炎症作用があり、肌荒れやアトピー性皮膚炎などの炎症性皮膚疾患の予防や改善に効果があるとされています。  ただし、オメガ3脂肪酸とオメガ6脂肪酸の摂取バランスが重要であることに注意が必要です。現代の食生活では、オメガ6脂肪酸が過剰に摂取されがちであり、その結果、炎症を引き起こす可能性があります。理想的なオメガ3脂肪酸とオメガ6脂肪酸の摂取比率は、1:4程度とされています。 ●紫外線を避ける  紫外線は、太陽から地球に到達する電磁波の一部で、特にUVA(320-400nm)とUVB(280-320nm)が肌に影響を与えることが知られています。紫外線が肌に与えるダメージは、アンチエイジングに関連して重要です。紫外線は肌のコラーゲンを分解し、シワやたるみを引き起こすからです。コラーゲンは肌の弾力性や構造を維持するために重要な真皮の構成成分です。また、 紫外線はメラニン生成を促し、シミやそばかすができる原因となります。さらに、 紫外線は細胞のDNAに損傷を与え、長期的には皮膚がんのリスクを高めることがあります。  以上、肌のアンチエイジング対策を紹介しました。この中でいちばん重要なのが、紫外線対策です。イメージで言うと、紫外線で肌の老化が100進むのに対し、他に紹介したアンチエイジングは1か2くらい巻き戻せるくらいであると思ってください。つまり、十分な日焼け止め対策を行うことが、肌のアンチエイジングにとって最重要となります。SPF30以上の日焼け止めを選び、2時間ごとにこまめに塗り直すこと、日傘や広いつばの帽子を使用すること、屋外に出るときは紫外線に直接当たることがないように気をつけましょう。そのうえで、バランスの良い食事や生活習慣を維持することが、肌のアンチエイジングにより効果的です。アンチエイジングは他にも、サーチュイン遺伝子(長寿遺伝子)に着目したNMNの摂取もありますが、それについては次回、説明したいと思います。
彼女のことは大好きなのに…クロちゃんが「デート」の日をなかなか決められない理由「予定を把握されるのは嫌」
彼女のことは大好きなのに…クロちゃんが「デート」の日をなかなか決められない理由「予定を把握されるのは嫌」  安田大サーカスのクロちゃんが、気になるトピックについて"真実"のみを語る連載「死ぬ前に話しておきたい恋の話」。今回のテーマは「デート」。昨年に放送された「水曜日のダウンタウン」の企画「モンスターラブ」で、みごと彼女をゲットしたクロちゃん。これまで10年間彼女がいなかったクロちゃんだったが、今では、彼女であるリチさんと毎日のように連絡をとりあい、デートを楽しんでいるという。いったい、2人は、普段どんなデートをしているのか。そして、クロちゃんが「一生忘れられない」と語る、リチさんとの思い出のデートとは? *  *  * 「モンスターラブ」の最終回から、早くも3カ月がたった。まだまだ付き合っている期間は短いかもしれないけど、リチといる時間は、ほんとうに楽しい。気がつけば、ほぼ毎日のように会って、デートを楽しんでいるからね。平均すると週4~5日くらい。おそらく3日間会わなかったことって、ほぼないと思う。  ボクのお家で、2人でのんびり過ごすのも好きだし、散歩、サウナ、買い物などに出かけるのも好き。ボクは、派手なデートよりも、こういう素朴な感じのデートのほうが落ち着くんだ。中でも、散歩デートは、ボクのお気に入り。ボクは、この連載で何度も伝えているけど、散歩が大好き。1日20キロ以上歩くこともあるからね。  公園巡りもよくするから、ボクには、いきつけの公園がたくさんある。亀が逆立ちしているオブジェがあったり、どんぐりがたくさん落ちていたり、大きな恐竜のオブジェがあったりなど、公園ってそれぞれに個性があって、面白い。だから、行きつけの公園には、リチも何度か連れていった。パンを買って、一緒に公園のベンチに座って食べて、他愛も無い話をする、それだけでボクは、すごく心地が良い。幸いなことに、リチも散歩が好きみたいだったから、ほんとうに良かった。ただ、散歩デートの時、リチは、歩くスピードが異常に早い時があるから、たまに困る(笑)。早すぎて、小走りしないとついていけないからね。あれは、もう散歩じゃなくて、競歩に近い。リチとのデートは、基本的に楽しいことばかりだけど、唯一クレームがあるとしたら、「歩くスピードが速すぎること」かもしれない(笑)。  散歩デートの次に、頻度が高いのはサウナデート。リチはサウナが大好きだからね。これは、付き合ってから知ったことなんだけど、リチは、一時期、サウナにハマり過ぎて、日本全国にあるサウナに行きまくっていたことがあるらしい。日本全国だよ? すごいよね。  サウナに行く資金が尽きたら、サウナで働いて資金をためて、またサウナの旅に出るみたいな、そんなサウナ漬けの生活。ボクが思っている以上に、ガチのサウナ好きだったから、びっくりした。先日、仕事でサウナイベントに参加したんだけど、そこでロウリュしてくれたサウナーの人も、リチのことを知っていたからね。リチは、サウナ界では、ちょっとした有名人なのかも。  サウナには、昨年からボクも徐々にハマりつつあったんだけど、リチの影響で、今ではもう大好きになった。ダイエットにもなるし、気分もリフレッシュできるから、ボクの家に、簡易サウナを作ろうかなって、本気で考えている(笑)。  先日、大阪にも2人で初めて行った。さんまさんがMCの番組「痛快!明石家電視台」の収録にリチと参加したんだよね。もちろん、仕事で行ったんだから、完全にデートってわけじゃないけど、新幹線に一緒に乗るっていうだけで、すごいワクワクした。収録終わりに、人気のカレー屋さんにも寄って、梅田から新大阪まで1時間ほど散歩した。いつもの東京の景色とは違ったから、知らない道も多くて、ちょっとした冒険みたいな感覚にもなって、すごく新鮮で楽しかったよ。  ちなみに、ボクらはデートの約束を、当日か前日に決めるっていうパターンがすごく多い。リチは、もっと早くに予定を決めたいみたいだけど、いつも直前になってしまうのは、ボクの都合というか、完全なわがまま(笑)。正直、ボクは、先々の予定をビッシリ決めるのがあまり好きじゃないんだ。予定を先に決めすぎると、リチにボクの予定をすべて把握されているような気がして、なんか嫌なんだよね。そもそもマネージャーに2~3日先の仕事の予定しか教えてもらえないんだから、現実的に決めづらいっていう理由もある。急に仕事が入ることも少なくないし。だから、ボクは、自分の予定をリチの前ではあまり口にしないようにしているんだけど、どうやら、リチは、これがけっこう不満みたい(笑)。たまにバラエティー番組に一緒に出ると、突然「秘密主義だ」とかって愚痴ったりするからね。 ■初デートは「一生忘れることはない」  リチとのデートで、最も印象深いものをあげるとするならば、やっぱり初デートかな。あれは、たしか「モンスターラブ」の最終回の翌日だったと思う。最終回の放送日と実際の収録日って、1カ月半ほどタイムラグがあったんだけど、「ネタバレ」を防ぎたかったから、ボクらは、その期間ずっと会わないようにしていたの。だから、初デートの日は「やっと会える」っていう気持ちがすごく高まっていたのを覚えている。  その日は、ボクが、リチを家まで迎えに行って、まずは一緒に六本木のほうまで散歩をした。「モンスターラブ」の反響がすごすぎて、すれ違う人から、「おめでとうございます!」とか「お幸せに!」って、めちゃくちゃ声をかけられた。大げさじゃなくて、もう日本中の人がボクらを祝福してくれている、そんな気分だった。芸能人カップルって、きっと目立たないように行動するのが普通なんだろうけど、ボクらの場合は、まったくその必要はなかったね。だから、その後も、カフェのオープンスペースで堂々とランチを食べたり、手をつないだり、じゃれあったり、スキンシップはまったく遠慮しなかった。はたから見たら、完全にバカップル(笑)。隠れる必要ないってすごい楽だなって実感した。幸せ過ぎたから、あの初デートを、ボクは一生忘れることはないと思う。  リチのおかげで、ボクは、今、人生でいちばん楽しいデート生活を送れている気がする。ほんとうにありがとう。  先日の大阪デートがすごく楽しかったから、ゆくゆくは、もっと遠出の旅行とかにも連れていってあげたい。リチー、そのうち、ボクがすてきな旅行プランを提案するから、楽しみに待っていてほしいしん! (構成/AERA dot.編集部・岡本直也)
猫よりも犬の飼育がフレイル・介護予防に! 最新研究で「介護費抑制にも効果的」と判明
猫よりも犬の飼育がフレイル・介護予防に! 最新研究で「介護費抑制にも効果的」と判明 ※写真はイメージです(写真/Getty Images) 永遠に終わらない論争の一つに「犬派」対「猫派」がある。昨今の猫ブームにやや押されがちだが、実は犬派のほうが健康面では優位に立っていることが近年の研究で明らかになっている。犬を飼うことは、高齢者の介護・認知症予防にどのように効果的に働くのか。研究員に話を聞いた。 *  *  * 「ペットを飼うことでストレスが緩和され、病気のリスクが減る可能性があることはこれまでたびたび指摘されてきました。しかし、実は科学的な検証は十分とは言えず、未解明な部分が多く残っているのです」  こう語るのは、国立環境研究所 環境リスク・健康領域主任研究員(東京都健康長寿医療センター研究所協力研究員)の谷口優氏。ペットを飼うことで生活習慣が整う、幸せホルモンが分泌される、子どもの成長や教育によい影響を与える、といった話を聞いたことのある人も多いだろう。 国立環境研究所 環境リスク・健康領域主任研究員(東京都健康長寿医療センター研究所協力研究員)の谷口優氏  しかし、ペットの飼育による健康への効果を示した論文には、海外で少人数を短期間観察した研究が多かったという。  例えば2022年10月に発表された米アラバマ大学の研究によると、犬を飼う人々は飼っていない人々に比べて、脳が最大15歳も若いことが明らかにされた。このことから、認知機能の低下が抑制される可能性があると期待される。  ただし、これは95人を対象とした横断研究。横断研究はある時点で特定の集団から収集したデータを分析・検討する研究手法のことで、「原因と結果の因果関係を示せないことには注意が必要」と谷口氏は言う。  東京都健康長寿医療センター研究所では、都内の高齢者約1万人を対象に3年半の追跡研究を実施。65~84歳の男女に犬猫の飼育経験の有無などを聞く郵送アンケートをもとに、行政データと照らし合わせて介護や死亡との関係を調査した。  すると、過去に犬を飼ったことのある人は要介護や死亡のリスクが一度も飼っていない人に比べ約15%減、現在飼っている人に至っては半減していたことが判明。この傾向は年齢や性別、持病、飲酒や喫煙といった影響を取り除いても変化がなかったという。一方、猫の飼育経験には大きな差は見られなかった。 提供/谷口優氏 ■なぜ猫より犬がいいのか? 最大の要因は運動習慣  谷口氏によると、犬を飼育した場合と猫を飼育した場合に差が見られるのには、いくつか理由が考えられる。 「最大の理由は、犬を飼っている人は散歩を含めた運動習慣があること。例えばスポーツは天候やその日の気分などに左右されますが、犬は毎日最低1回、散歩に連れていく必要があります。運動習慣があることはフレイルの予防に効果的です」  谷口氏の過去の調査では、犬の飼育経験がある人はフレイルの発生リスクが低いことが明らかになっている。フレイルとは健康な状態と要介護状態の中間の虚弱な状態を指す。 「フレイルは、要介護や死亡だけでなく、認知症を引き起こす要因になることも知られています。健康長寿の実現には、病気の予防に加えて、フレイルの予防や進行の抑制が重要です。近年の研究成果から、運動や栄養管理、社会参加活動が十分な高齢者ほど、フレイルを発症するリスクが低いことがわかっています」  厚生労働省は運動習慣を「週2回以上、1回30分以上、1年以上継続して実施すること」と定義しており、犬を飼っているとこの条件をクリアしやすいのだ。ほかに、犬の散歩中に近所の人と立ち話をする機会が増えることで社会的に孤立しにくくなり、フレイル予防に効果的と考えられる。  しかし、と谷口氏は続ける。 「犬を飼ったことでアクティブになったのか、もともとアクティブだから犬を飼っているのか。両者の因果関係はまだ明らかになっていません。また、人によっては猫やほかのペットを飼うことで社交的になる場合もあるでしょう。この辺りの研究も今後進めていきたいと思います」 ■ペットを飼うことで介護費用が半額に抑えられる  いずれにせよ、ペットは一部の人が可愛がる対象である「愛玩動物」という捉え方から、「健康増進効果をもたらすパートナーである」と認知される時代へと移行していることは事実なようだ。  東京都健康長寿医療センター研究所では、ペット飼育と社会保障費との関係を調べるため、2017年に埼玉県鳩山町の65歳以上でペットを飼っている96人と飼っていない364人を対象に、直近1年半の医療や介護の利用状況などを比較。ペット飼育者と非飼育者との間で医療費に差はなかったが、ペット飼育者の介護保険サービス利用費は非飼育者のほぼ半額だった。 提供/谷口優氏  近年の日本では、ペットに対する考え方が見直されつつあるが、アメリカやドイツ、オーストラリアなどの“ペット先進国”と比べるとまだ発展途上にある。今後、人と動物が共生できる寛容な社会の構築を目指すことは、社会保障費の抑制をはじめとする様々な社会課題の解決にもつながるはずだ。谷口氏は言う。 「ペットの飼育は個人と社会の両方にメリットがあることが明らかになってきました。それぞれ事情があるのでやみくもにペットを飼うことを勧めるわけではありませんが、我々の研究がペットを飼いたい人の背中を押すことになればうれしいです」 (文・酒井理恵)
韓国の出生率0.78は「まだ下がる可能性も」 専門家に聞く急速に進む少子化の背景
韓国の出生率0.78は「まだ下がる可能性も」 専門家に聞く急速に進む少子化の背景 撮影/松沢美緒  韓国の少子化に歯止めがかからない。合計特殊出生率は2022年に0.78を記録した。日本を上回るスピードで急激な少子化が進行し、深刻な状況に陥っている。背景に何があるのか。AERA 2023年4月10日号の記事を紹介する。 *  *  *  出生率0.78は前代未聞の低さだが、ソウル大学国際大学院の殷棋洙(ウンギス)教授は「まだ下がる可能性もある」と言う。  ウン教授は、少子化の主要原因の一つに、若者が子育てできるほど安定的な職を得るのが難しいことを挙げる。大卒初任給は日本よりも韓国が高いと言われるが、実は韓国は大企業と中小企業の賃金格差が大きい。  韓国統計庁によると21年の大企業の月平均所得は563万ウォン(約57万円)、中小企業は266万ウォン(約27万円)と大企業が2倍を上回る。 「就職できない若者や、不安定な非正規職の若者も少なくない」(ウン教授)  一方、韓国では物価が上がり続けていて、特に昨年は物価上昇率が5.1%と大幅に上がった。それに加え、「ソウル一極集中」で多くの若者がソウルで働こうとするが、ソウルの家賃は高く、結婚・出産どころか日々の生活を維持するのがやっとという若者が少なくない。  さらに男女格差もある。韓国はOECD(経済協力開発機構)が公表した21年の男女間賃金格差が31.1%と、女性の賃金は男性の賃金に比べて3割以上低い。これはOECD加盟国38カ国中最下位だった。日本は下から3位で22.1%。 「特に昇進は男性に比べて女性が不利な場合が多く、不満は大きい。結局、出産・育児で共働きの一方が辞めざるを得ない場合、賃金の低い女性が辞めることになり、会社内でも家庭内でも女性が不満を募らせるのは当然」(ウン教授)  ウン教授がさらなる悪化を懸念するのは、文在寅(ムンジェイン)政権下では労働時間を週52時間までに制限し、その徹底に努めてきたが、現在の尹錫悦(ユンソンニョル)政権下で最大週69時間まで制限を緩和する案が出ているからだ。 「今でさえ夫婦の1人が辞めないと子育てが難しい状況なのに、さらに労働時間を延ばすのは少子化対策の観点からは論外。貧富格差や男女格差などさまざまな要因が絡み合って、少子化は政策によってすぐに解決できる問題ではなくなっている」(同) AERA 2023年4月10日号より  ウン教授の考える代案は、外国人労働者の受け入れだ。ソウル大学の「国際移住と包容社会センター」のセンター長も務めるウン教授は言う。 「根本的な解決ではないが、近い将来の労働力不足に備えて、外国人労働者の受け入れを本格的に進める必要がある」  実際、韓国政府は外国人労働者受け入れを視野に「出入国・移民管理庁(仮称)」の設立を検討中だ。日本で19年に新設された出入国在留管理庁も先行事例として参考にしているという。  急激な少子化で「待ったなし」の状況に陥った韓国。首都一極集中、男女格差など同じ課題を抱える日本にとって、韓国の状況は近い未来に起きるかもしれない。(ライター・成川彩=ソウル) ※AERA 2023年4月10日号より抜粋
EVのシェア拡大で自動車業界は「100年に一度の大変革」 「クルマ屋」からエネルギー分野のビジネスまで手がける動きも
EVのシェア拡大で自動車業界は「100年に一度の大変革」 「クルマ屋」からエネルギー分野のビジネスまで手がける動きも EV専門店「メルセデスEQ横浜」にはメルセデスのEVが全車種展示されている=横浜市神奈川区(撮影/安井孝之)  電気自動車(EV)で出遅れ気味の日本だが、国内市場でもEVのシェアはジワリと増え始めた。販売の現場で「クルマ屋」からの脱却の動きが見える。AERA 2023年4月10日号の記事を紹介する。 *  *  *  日本の電気自動車(EV)の普及スピードが今年に入って加速している。乗用車の新車販売(軽自動車・輸入車を含む)に対するEVシェアは1月が2.7%、2月が2.5%と2カ月連続で2%を超えた。国内のEV販売は2022年に1.7%とようやく1%を超えたが、その後も勢いは増している。  もちろん新車販売に対するEVのシェアが約10%の欧州や約20%の中国に比べれば日本のシェアはまだ小さい。だが日産自動車と三菱自動車が共同開発し、昨年6月に発売した軽タイプのEV「サクラ」と「eKクロス EV」がEVを身近なものにした。この1、2月に売れたEVの約6割を軽タイプが占めた。まさに軽EVが国内のEV化の牽引役になっている。  軽自動車は日常的な買い物や通勤通学に使われることが多い。1日の走行距離は30キロ程度。日産と三菱は航続距離を180キロと短くして、電池量を減らし価格を下げた。  昨年12月に値上げをしたが、国の補助金を使うと200万円程度で買える。自治体の補助金も使えば100万円台となる。EVを手に届く価格にし、日常生活に使える商品につくり込んだことが好調な理由だ。 ■好調な輸入車EV  最近の国内市場で目立つのが、高額所得者が購入する輸入車EVの好調ぶりだ。日本自動車輸入組合によると、22年の輸入車(乗用車)のうち5.9%がEV。今年の1~2月の累計では8.2%に上昇した。  輸入車の主な購入者層である高額所得者の市場に限れば、日本もEV先進地域である欧州の10%レベルに近づいている。EVで出遅れているトヨタ自動車も高級車ブランドのレクサスでは35年に100%のEV化を打ち出しているゆえんである。  高額所得者の市場動向は先行指標だ。EVの販売価格が低下し、身近な存在になれば、EV市場は一気に拡大するだろう。軽EVと輸入車EVの好調ぶりから考えると、国内のEV市場はまさに夜明け前の明るさが見え始めた状態といえる。 日産プリンス神奈川販売の販売店。受付前に展示されている軽EVの「SAKURA」(撮影/安井孝之) ■100年に一度  自動車業界には「100年に一度の大変革」が起きていると言われている。消費者と日々、対面する販売の前線でも大変革に向けた変化が見て取れる。  メルセデス・ベンツが発売するEVブランド「メルセデス EQ」の全車種を展示するEV専門店「メルセデスEQ横浜」が昨年12月にオープンした。メルセデスとしては世界初のEV専門店だ。 「メルセデスEQ横浜」の井上雄道店長は「EVを購入しようとされているお客様の不安要素をまず取り除くのが最初のハードルです」と言う。  スマホのように毎日、充電しなければいけないの? 充電器はどのように設置するの? マンション住まいだが、大丈夫?電池が劣化して下取り価格が下がらないか?……  EVに興味はあるが、今買って後悔しないかと不安を抱いている客がまだ多いようだ。EVを販売するにはEVのメリット、デメリットや充電設備などの設置方法などガソリン車とは違う知識が販売員には必要なのだ。 「EQ横浜」には急速充電器、普通充電器のほかクルマと家との間で電気を融通し合う「V2H」機器も設置され、EVとその周辺電気設備の専門知識を持つ販売員が働いている。  客が充電設備を使ったり、V2Hの設備に触れたりして、停電時にEVから家に電気が供給できることを知り、ガソリン車にはないEVの魅力を感じてもらう。販売員の力量が問われるところだ。 「EQ横浜」の近くにある日産プリンス神奈川販売・東神奈川店の目立つ場所に軽EV「サクラ」が展示されていた。販売促進部の吉川博晶課長は「まずはお客様のニーズ把握です」と言う。毎日100キロ以上走るような客にはサクラは薦めにくい。電池切れを心配しながら日々運転するのはストレスがたまるからだ。  充電設備が設置できる戸建てに住み、毎日の走行距離は数十キロ、そして家にもう一台車があれば「サクラにピッタリ。ガソリン車を上回る走行性能やランニングコストの安さを実感してほしい」と吉川課長。  高級車タイプにしろ、軽タイプにしろEVならば出かけるときにフル充電していれば、通勤や買い物などに使う程度なら、外での充電は不要だ。電気料金が値上がりしてはいるが、ガソリン車に比べれば軽タイプでもまだランニングコストは安い。そんな「EVライフ」をまずは知ってもらいながら、徐々にEVが身近な存在になりつつある、というのが国内EV市場の現在地である。 AERA 2023年4月10日号より ■自動車産業の近未来  一方、夜明け前といえるEVの販売現場で見えてくるのは、「クルマ屋」からの脱却を迫られている自動車産業の近未来の姿だ。 「EQ横浜」に来店する客の3割ほどはV2Hに関心を持っているという。EVに載っている大容量の電池を蓄電池として使い、家庭の太陽光パネルで発電した余剰電力を貯めたり、災害時の電源として使ったりしようとしているのだ。自宅を新築し、太陽光パネルを設置したことを契機に、EVを購入したいという客も増えている。こうした傾向は日産の複数のディーラーでも耳にした。  今、EVを購入している人たちの関心事はクルマとしての走りの良さ、環境性能だけではない。家庭内のエネルギーマネジメントの主要な装置としてEVを活用しようとしているのだ。そこにビジネスチャンスがある。  現状ではEV購入者に対する充電機器などの販売、設置は販売店が提携している電気設備業者が請け負っている。充電器は1基10万~30万円程度、V2H機器は設置費用を含めると120万~130万円ほどだが、販売店は紹介手数料を取っているだけだ。  とはいえ客のニーズをいち早くつかむのは販売店である。EV販売と同時に電気関連の周辺設備の販売を一気通貫で総合的にサービスした方が客の利便性も上がる。だが現状は数%にも満たないEV販売の国内市場でそこまでマンパワーを投入できないというのが実情だ。  メーカーも販売店も手をこまねいているわけではない。  日産は「ブルー・スイッチ」活動と称して214の自治体や企業と連携し、EV導入を通じて脱炭素や災害時の電力供給態勢の構築を目指している。40年に全車種をEVと燃料電池車(FCV)にすると表明したホンダは12年前からV2Hの実証実験をし、昨年からはスイス国内の40カ所で再生可能エネルギーを安定供給するためにEVの蓄電池を活用する実証実験を始めている。  いずれの取り組みも、EVが普及した際には、自動車メーカーがクルマを売るだけではなく、エネルギー分野のビジネスも手がけようとしている証左である。 ■「クルマ屋の限界」  トヨタ系ディーラーの「トヨタユナイテッド静岡」は昨年2月からEVの普及に伴い、クルマと一緒に便利な暮らしを届けようと充電器や蓄電池、太陽光パネルなどのエネルギー関連事業に乗り出した。トヨタのプラグインハイブリッド車やEV「bZ4X」などの購入者にサービスを提供している。  EVの普及と再生可能エネルギーの増加は中長期の潮流だ。発電量が不安定になりがちな再エネには余剰電力を貯める蓄電池が必要だ。大容量の電池を搭載しているEVは走らないときは蓄電池として活用できるデバイスになりうる。  クルマとエネルギーマネジメントの統合は、「100年に一度の大変革」を迎えた自動車産業の重要な課題だ。豊田章男氏が社長交代会見で「クルマ屋の限界」を吐露したが、クルマ屋では生き残れない競争がもう始まっている。(経済ジャーナリスト・安井孝之) ※AERA 2023年4月10日号
近年の箱根のエースたちの“卒業後” 一時は苦しむ傾向も、徐々に見えてきた「世界」
近年の箱根のエースたちの“卒業後” 一時は苦しむ傾向も、徐々に見えてきた「世界」 早稲田大学時代の大迫傑  2023年新春の箱根駅伝を制し、史上5校目の学生駅伝3冠を達成した駒澤大。その“最強チーム”の大黒柱が、大エース・田澤廉だった。この3月で卒業した田澤は今後、トヨタ自動車に所属しながら、引き続き大八木弘明総監督の下でトレーニングを続けてパリ五輪を目指すことになっている。果たして「箱根から世界へ」を体現することができるのか。新時代の幕開けを期待する前に、近年の“箱根エース”たちの卒業後を検証したい。  今から11年前に大学を卒業したのが、「二代目・山の神」と呼ばれた柏原竜二(東洋大、2012卒)だった。4年連続で5区区間賞を獲得してチームを3度の総合優勝に導き、自身も大会MVPに当たる金栗四三杯を3度受賞。当然、卒業後も大きな期待と注目を集めた。だが、富士通入社後はタイムを伸ばせず、3度出走したニューイヤー駅伝は、2013年6区4位、2015年5区7位、2016年5区9位。フルマラソンでもベストタイム2時間20分45秒と振るわなかった。度重なる故障に苦しんだ中で2017年4月、27歳で現役から退いた。平地への適応力不足なども指摘されたが、それ以上に「重圧」に苦しみ続けた卒業後の競技生活だった。  その1学年下には、出岐雄大(青山学院大、2013年卒)がいた。原晋監督が「今まで見てきた中で歴代最高レベルの天才」と称した才能の持ち主。大学3年時の全日本、箱根で区間賞の走りを見せ、4年時の出雲では青山学院大初優勝のゴールテープを切るなど、常勝軍団の礎を築いた。卒業後は中国電力に入社し、2014年のニューイヤー駅伝でアンカーを務めると、2015年の都道府県駅伝では最終7区で区間賞の走り。2015年7月のゴールドコーストハーフマラソンでは1時間02分11秒の自己ベストで優勝を果たした。しかし、2016年2月の東京マラソンで2時間15分49秒の26位に終わると、その直後に25歳で現役引退。「目標が見つけられない」、「走ることが嫌いになった」とモチベーションの低下を理由とした。 「箱根のスターは大成しない」――。そんな世間の声を結果で黙らせたのが、大迫傑(早稲田大、2014年卒)だった。佐久長聖高から鳴物入りで大学駅伝界に身を投じると、1年時から1区で区間賞の走り。4年時には世界陸上(1万メートル)にも出場し、「学生最速ランナー」の枕詞とともにエースとして活躍した。そして卒業後、日清食品を経て、2015年4月からはプロランナーとして活動。2016年のリオデジャネイロ五輪に出場(5000メートル、1万メートル)した後、2017年4月に初マラソンを走り、2018年10月、2020年3月と2度にわたって日本記録を更新(自己ベストは2時間05分29秒)した。人気が低迷していた男子マラソン界の救世主として高いスター性を発揮し、2021年東京五輪では日本人トップの6位入賞を果たした。一度は現役から退いたが、今年のニューイヤー駅伝に出場して3区区間2位の走りを見せている。 「三代目・山の神」を襲名した神野大地(青山学院大、2016年卒)も大きな期待を背負った箱根出身ランナーだ。3年、4年と2年連続で5区を走り、箱根2連覇の原動力となった大学時代の活躍ぶりは実に輝かしかった。だが、卒業後は思うような成績は残せていない。コニカミノルタ入社2年目の2017年12月に初マラソン挑戦するも2時間12分50秒の13位。その後、プロランナーに転向して多くの大会に参戦したが、学生時代のようなインパクトのある走りは披露できていない。それでも2021年12月の防府読売マラソンで自己新の2時間09分34秒のタイムで2位と好走してMGC出場権を獲得。現在29歳、2024年のパリ五輪出場を目指している。  服部勇馬(東洋大、2016年卒)も箱根で快走を続けたエースだった。1年時から三大駅伝で結果を残し続け、箱根では3年、4年と渡辺康幸(早稲田大)以来20年ぶりの2区2年連続区間賞を達成した。卒業後はトヨタ自動車に入社し、実業団駅伝で活躍すると同時にマラソンでも結果を残し、2018年12月の福岡国際マラソンで2時間07分27秒の好タイムで優勝。翌年9月のMGCでも2位と好走して東京五輪出場権を勝ち取った。だが、2021年8月の五輪本大会では、故障による準備不足も祟って熱中症を起こして73位(2時間30分8秒)でゴール。現在は五輪舞台でのリベンジへ向けて、再起へのプロセスを歩んでいる最中だ。  記憶に新しいのが、相澤晃 (東洋大、2020年卒)だ。大学2年時に箱根2区で3位に入ると、3年時は4区で区間新の快走で東洋大の2年連続往路優勝の立役者になると、主将&エースとなった4年時は、出雲、全日本、箱根とすべてで区間新記録を樹立。集大成の箱根では、2区で7人抜きの驚異的な走りを見せた。そして卒業後、旭化成に入社してからも勢いは止まらず、2020年12月の日本選手権で1万メートルの日本記録を樹立し、東京五輪にも出場(17位)した。ニューイヤー駅伝では、2021年、2023年と故障で欠場したが、2022年は3区で8人抜き&区間賞の走り。日本長距離界の未来を担う男は、2024年のパリ五輪まではトラックで勝負する意向を示している。  こうして振り返ると、まだ不十分ではあるが、長距離界の“革命児”とも言われる大迫傑を筆頭に「箱根から世界へ」は確実に体現されつつあると言える。今後のさらなる活躍が期待される相澤晃、そして田澤廉……。彼らは大学在籍時から卒業後を意識し、「世界」を見据えたトレーニングを積んできた。箱根駅伝の存在価値を今以上に高めるためにも、今後より多くのランナーが箱根を足掛かりにして「世界」へと羽ばたく必要がある。すでに、その候補者は多くいる。
3人の子どもに「お母さんはやっぱり勉強したい」 主婦から大学教授になった石川幹子さんの分岐点
3人の子どもに「お母さんはやっぱり勉強したい」 主婦から大学教授になった石川幹子さんの分岐点 衰退したルール炭鉱地帯の再生プロジェクトで訪れたドイツのデュイスブルグで。69歳のとき=2018年7月、石川幹子さん提供  東京の明治神宮外苑に根をおろした約1000本の樹木を伐採する開発計画に、学者として敢然と異を唱えた中央大学研究開発機構教授の石川幹子さんは、26歳で結婚した。義父母と同居して「嫁」の役割を果たしつつ3人の子を産んでから、学者になろうと志す。  42歳にして母校東京大学の博士課程に入り、誰もが自由に利用できる「コモンズ」としての緑地の歴史と価値を研究して博士号を取得。その3年後、夫が心臓発作で倒れた。1年3カ月後に51歳で他界。一家の生活を背負う立場となり、大学教授として理論と実践の両面で次々と大きな仕事を手掛けて各種の賞を受賞してきた。設計した公園、守った緑地は国内外に数多い。(聞き手・構成/科学ジャーナリスト・高橋真理子) >>【前編:神宮外苑再開発に「何かおかしい」と図面を片手に学術調査、女性都市環境学者の原点 中国、ブータン、東日本大震災復興でコモンズ再生を実践】から続く *  * *――学者になる前は主婦だったとうかがいました。  そうなんですよ。子どもを3人育て、夫の両親と同居して、みんなのごはんを作っていました。東大農学部の大学院博士課程に入ったのが42歳のとき。一番下の子が小学校に上がるタイミングで、3人の子どもを集めて「今までお母さんはあなたたちのために一生懸命やってきたけど、お母さんはやっぱり勉強したいから大学に入る。反対してもダメよ」って言ったら、子どもたちは顔を見合わせて「誰も反対しないよ」って。私は悲壮な覚悟をして言ったんだけど、あれは面白かったですね。 ――卒業された学科の博士課程に入られたんですか?  そうです。東大に入ってから「理不尽な開発をなくす学問」はないかと調べたら、農学部農業生物学科に緑地学研究室というのがあった。そこを卒業して不動産会社に就職しました。ニュータウン開発とかがすごかった時代で、私はものすごく大きな仕事を任され、設計事務所や現場の職人さんたちに発注者として指示しないといけない。現場のおじさんに、学校で教えてもらえなかったことをいろいろ教えてもらったりしながら、「自分はもっと勉強すべきだ」という思いが募り、2年後に米ハーバード大学デザイン大学院の修士課程に入りました。 ――入学試験に受かったんですね?  はい。会社に内緒で夜勉強しました。ただ、英語については中高の教育がとても良かったので、あまり苦労しませんでした。数学は簡単で、おそらく満点だったと思います。ランドスケープアーキテクチャー(景観設計)を専攻し、もちろん大変でしたけれど、満足いくまで勉強ができた。最高の教育を受けました。世界中に同級生がいます。 経済学者の石川経夫氏との結婚式=1975年6月、米国ハーバード大学内のチャペル、石川幹子さん提供  入学して半年後に出会ったのが、隣の研究所にいた夫です。東大の宇沢弘文先生の弟子で、経済学部を卒業したら紛争で大学院に行けず、宇沢先生が推薦状を書いてくれてジョンズホプキンス大学に行って3年間で博士号を取っちゃったんですよ。それですぐにハーバードの先生になっていました。純粋を絵に描いたような人で、3日目に結婚を決意し、3週間で婚約、3カ月で結婚式をあげました。26歳でした。 結婚式当日の披露パーティーでは着物を着た=石川幹子さん提供  夫が東大から呼び戻されたので、私はしばらく米国に残り、修士号を取ってから帰国しました。長女を身ごもっていたので、帰ったときは主婦をやるしかなかった。諦めの境地です。私の時代は赤ちゃんがいたら諦めるしかなかった。いまは、本当に良い時代になったと思います。 ――東京ランドスケープ研究所というところでお仕事をされていましたよね?  ここは恩師が顧問をしていた会社です。主婦をしながらでも、毎年1つぐらいならできると、帰国直後から細々と設計の仕事を始めました。だって、何もしなかったら、そのまま終わりですからね。 私が働くことに夫の両親はものすごく反対だったと思います。いい顔なんてされませんでした。「嫁が子どもをほったらかして働くなんてことは許されない」と思っていたと思います。  この時期に私が設計したのが、新宿御苑トンネルの整備に伴う樹林地保全と再生、お台場海浜公園などです。でも、設計事務所は下請けみたいなものだったので、自分がこうしたいと思ってもノーと言われたらおしまいです。自分のやりたいことをやるんだったら、自分が意思表示して受け入れられないとダメだと思って、大学院に行こうと思いました。 ――それで冒頭のお子さんたちの話につながるわけですね。  夫は「学者でやっていくなら論文をいっぱい書かないとダメだよ」とアドバイスしてくれて、学者になることを応援してくれました。  当時、42歳で大学院に入りたいなんていう人はいなくて、まず卒業した学科の教授に相談に行ったら「3年でちゃんと博士号を取るなら受け入れてやる」と言われました。農学部では私のような分野を学問的にやっている人が少ないので、博士号を出してもらいにくい。それなら、他の分野で認められれば農学部の先生もダメだと言えないだろうというのが私の戦略でした。  3年間は都市計画学会、造園学会、土木学会の3つに毎年1本ずつ論文を出すことを目標にしました。1年を3つに分けて、4カ月ごとに論文を仕上げていくことにして、必死で書いた。結局、3年間で11本の論文を書いて、無事に博士号をいただけました。  それでも就職先はありませんでした。本を書いて賞をとれば、きっとどこかにひっかかるだろうと論文を集大成した本を出そうと思ったんですが、その前に夫が職場で心臓発作で倒れたんです。意識不明の状態が1年3カ月続いて、1998年に51歳で亡くなりました。倒れたとき、私は工学院大学で特別専任教授というパートタイムの仕事をし始めたばかり。収入は微々たるものでした。なのに、子ども3人と夫の両親と合わせて5人の生活がいきなり私の肩にかかってきたんですよ。 ――「働くのは許さない」などと言っていられない状況になった。  そうです。幸い、慶應義塾大学の湘南藤沢にある環境情報学部が教授として呼んでくださいました。慶應の先生になってから、義父の対応が変わりました。それまでは「嫁」だったのが、人権を回復した感じ。義父も学者で、「学問をしたい」という私の思いをわかってくださり、その一点でつながりができたんだと思います。その後はとてもいい関係になりました。夫の両親は92歳と94歳で天寿を全うし、私はちゃんとお見送りしたので、心は安らかです。 ――2007年から東大の工学部都市工学科の教授になられた。  農学部ではなく工学部から、私がやっていることは面白いっていうんで、「環境デザイン」という講座を新たにつくって呼んでいただきました。私のような者を呼んでくださった先生方に今でも感謝しています。最初は、私の代だけのつもりだったようです。いや、この分野は重要だから都市工学科の永久講座にしないといけないと思って、私は懸命に努力しました。設計競技(コンペ)では、内外で第1位を取り、毎年のように立派な賞をいただきました。岐阜県各務原市の「水と緑の回廊計画」には日本都市計画学会計画設計賞(2007年度)と土木学会デザイン賞最優秀賞(2008年)、同じく優秀賞(2010、2012年)をいただき、2008年には内閣府から私の仕事全体に対して「みどりの学術賞」を授与された。おかげで、永久講座になりました。ですから私は環境デザイン講座の創設者です。  論文を集大成した本は、2001年に岩波書店から出しました。これは、日本都市計画学会論文賞をいただきました。 石川幹子さん=2023年3月、中央大学の隣にある文京区立礫川公園 ――まちづくりや景観設計の実践活動も多いですね。  神奈川県の鎌倉市や川崎市など自治体の環境審議会や都市計画審議会の委員を数多く務めてきました。鎌倉では開発業者と闘い、川崎では緑地のカルテというのを作ってコツコツ小さな緑を守ってきました。20年ぐらい奉仕しました。横浜は10年ぐらいかな。一番長いのが東京都新宿区で、将軍家の鷹狩りの場だった「おとめ山公園」の再生は、地元の皆さんとの協働で武蔵野の自然を再生したコモンズです。新宿区という大都会で、蛍が群舞しています。  ただ「緑を守りましょう」と言っても全然ダメ。きちんと調査して、計画にしないと守れません。それはサイエンスなんです。なぜ、賞をいただけるのか、長い間わかりませんでしたが、私の場合はサイエンスの土台があるからだということに、最近、思い至りました。  私の設計は、科学的な調査をがっちりやって、それに基づいてデザインするんですけど、デザインは設計者が勝手に描かないで、集まった市民の意見を聞いてみんなで考える。「私が決めない」のが私の原則です。設計者は、縁の下の力持ちに徹することが大事です。  最近取り組んだのが、東京都中央区の兜町のど真ん中にある坂本町公園という小さな公園のリニューアルです。ここは明治時代に東京府が「密集した市街地には新鮮な空気を提供する空地と緑が衛生上必要だ」と考えて、コレラ患者を収容した病院を取り壊してつくった公園です。隣接する小学校の建て替えのため取り壊され、区の案ができていたのですが、町会の皆さんが「納得できない」と訪ねてこられた。それで、子どもたちの意見を取り入れて、広い芝生と小川のある公園にしました。(写真を見せながら)ほら、子どもたち楽しそうでしょ? 遊具を置くより、原っぱで友だちと一緒にトンボを追いかけるほうが楽しいですよね、きっと。  神宮外苑の当初計画には、あんまり注目されていませんが、青山の入り口に子どもの遊び場があったんですよ。一等地が子どもの遊び場なんです。信濃町の入り口も子どもの遊び場でした。いまでも不思議な山があります。一番入りやすい一等地です。どれだけこの時代の人が子どもを大事にしたかっていうことがわかります。今は駐車場とかになっていますけどね、あの場所を「子どもに返して」って私は思うんです。 石川幹子(いしかわ・みきこ)/1948年宮城県岩沼市生まれ。1972年東京大学農学部卒、1976年ハーバード大学デザイン大学院修士課程修了(M.L.A)、1976~1991年東京ランドスケープ研究所・設景室主幹。1994年東大大学院農学生命科学研究科博士課程修了(農学博士)。工学院大学特別専任教授、慶應義塾大学環境情報学部教授を経て2007年から東大大学院工学系研究科都市工学専攻教授、2013年から中央大学理工学部人間総合理工学科教授・学科長。2019年から中央大学研究開発機構教授。中国の四川大地震復興支援に対し、2020年に四川省都江堰市から最優秀人材栄誉賞を、2022年に成都市から公園都市建設を先導した貢献をたたえるメダルを受けている。
神宮外苑再開発に「何かおかしい」と図面を片手に学術調査、女性都市環境学者の原点 中国、ブータン、東日本大震災復興でコモンズ再生を実践
神宮外苑再開発に「何かおかしい」と図面を片手に学術調査、女性都市環境学者の原点 中国、ブータン、東日本大震災復興でコモンズ再生を実践 石川幹子さん=2023年3月、中央大学の隣にある文京区立礫川公園  東京の明治神宮外苑に根をおろした約1000本の樹木を伐採する開発計画に、学者として敢然と異を唱えたのが中央大学研究開発機構教授の石川幹子さんだ。昨年1月に自ら現地を調べ、伐採本数を突き止めて発表したら反対運動に火がつき、12万を超える署名が集まった。  外苑の再開発は、多くの反対署名があるにもかかわらず、ほぼ原案通りに進められようとしている。援軍が乏しい中でも「サイエンスに基づいた論理的な闘い」を続ける覚悟は揺るがない。(聞き手・構成/科学ジャーナリスト・高橋真理子) *  * *――今年1月25日に、ユネスコ(国連教育科学文化機関)の諮問機関「イコモス(国際記念物遺跡会議)」国内委員会理事として、事業者による神宮外苑再開発の環境影響評価書(アセスメント)が「非科学的だ」と訴える記者会見を開きました。  資料編もいれると約1000ページになる評価書を詳細に分析して、「非科学的方法論による虚偽の構造」を明らかにしたんです。植物社会学に基づく生態学方法論の適用が必要なのに、方法論を習得していない調査者が担当していた。現況調査に根本的な誤りがありますから、これに基づく評価・予測は砂上の楼閣で、虚偽の構造となっています。1月30日の環境影響評価審議会では「ゴーサインは出せない」との発言があり、審議会の場でイコモスの指摘に答えるよう事業者に求めることが決まったのに、東京都は2月17日に再開発事業を認可しました。きわめて深刻な事態です。  私は昨年1月に「何かおかしい」と思って、事業者が出している図面を片手に現場を調べ、約1000本が伐採されるとわかった。その後、事業者が1018本と発表しましたから、私の調査はかなり正確だといえますよね。  再開発自体をやめてほしいと思いますが、そうもいかないのだろうと伐採樹木が2本で済む計画をつくりました。昨年4月26日に東京都に提出し、公表もしました。ところが事業者の三井不動産は話も聞かない。日本を代表する企業が返事すらせず、都合の悪いことには完全に沈黙を決め込んでいる。もう、予想外の展開ですよ。民主主義はどこにいったのか、って思います。 航空写真のパネルに、草木染をして微妙に色彩の異なるスポンジで作った樹木を配植したお手製の「外苑の模型」を前に説明する石川幹子さん=2023年3月、東京都文京区の中央大学研究開発機構 ――東京都や事業者はなぜ真剣に検討しないのでしょうか?  開発利益があるからです。本来、外苑のような「都市計画公園」には、超高層ビルは建てられません。しかし「公園まちづくり制度」という新しい制度がつくりだされ、民間事業者の力を活用し「再開発等促進区」を定め、制限をなくすという、とんでもないことが行われました。この制度は「長い間公園整備ができず、開園していない未供用区域」で、かつ「建築制限により市街地の更新が進んでいないところ(密集市街地等)」に適用されるものですが、今回は、計画的に整備された外苑に、秩父宮ラグビー場が「常時、開放されていない」というだけの理由で適用されてしまったのです。15mの高さ制限がある風致地区に、185mの超高層ビルが建つのですよ。考えられますか? 法の秩序はどこにいってしまったのでしょうか?  外苑って、みんなの財産なんです。「苑」って特別な字でしょ? 新宿御苑の「苑」で、公園の「園」ではない。明治時代にここで万国博覧会を開こうとしたんですが、日露戦争後の財政難を理由に中止となり、まもなく明治天皇が崩御された。そこで伊勢神宮の内宮と外宮にならい、内苑は「聖なる森」として、外苑はみんなが美しい景色の中でゆったりと楽しめる場として整備されたんです。  内苑について書かれた『明治神宮造営誌』と、『明治神宮外苑志』を読むと、この2つの緑地の意味がわかります。外苑のほうは「志」という字を使っていて、ゴンベンがありませんね。自分たちが「志」を持ってつくった、ということがここに出ているんですよ。国内外の献金と献木、そして青年団の奉仕によって外苑はでき、1926年には日本最初の風致地区に指定されました。度重なる変更はありましたけど、基本的骨格は約100年継承されています。伊勢神宮という日本の伝統が、近代にしっかりトランスファーされているところが本当にすごい。 ――ご説明を聴くと、貴重な歴史的資産なのだとよくわかります。  私の研究は、社会的共通資本(コモンズ)としての緑地がどのようにつくり出されてきたのか、守られてきたのかを、近代都市計画の原本に遡りながら明らかにしていくことでした。困難な仕事でしたが、誰も研究していない未知の領域で、「旅」をするように心ときめくものでもありました。  コモンズとしての緑地をつくるには理念が必要です。でも理念だけではできません。社会に実装するには法と政策が必要で、具体的なデザインと具体的なお金もいる。理念、計画、施策、デザイン、財源の5点セットがないと新しい社会的共通資本はつくれません。 ――なるほど。  私が最初に国際競技設計にチャレンジしたのは、スペイン・マドリードの「21世紀の公園」でしたが、これはEU環境基金が財源でした。貧困層の生活環境を改善するために巨大なゴミ捨て場を森林公園へと転換するというプロジェクトで、建築家の伊東豊雄さんとチームを組んで応募し1位になりました。 ――すごい!  公園は2003年から10年かけて完成させました。その後も伊東さんとは一緒に良い作品をずいぶんつくっていますよ。相手を尊重してくれるのが彼のいいところ。建物はお庭や風景の中で生きてくるものですから、お互いに相手を尊重して仕事をしてきました。  大きな社会的仕事を実現していくには「協働」が必須です。私は、その場その場で、本当に素晴らしい方々に巡り合ってきた。2008年に発生した中国の四川大地震の農村復興支援プロジェクトは現在も続いています。東日本大震災では、私の故郷の宮城県岩沼市も津波被害を受けたので、そこの復興会議議長を務めて住民と一緒に新しいまちづくりを進めてきました。  震災のときに、ブータンの王様が被災地の福島県にお見舞いにきてくださり、そのお礼に福島の皆さんとブータンに行きました。そうしたら、首都が開発の波に翻弄されていて、王様にコモンズをつくることを進言しました。素晴らしい王様で、王族に呼びかけ、王宮の周りの棚田や森林を保全し、コモンズがつくり出されています。 ブータン王国首都ティンプーでコモンズとして整備した「ロイヤルパーク」。後ろにタシチョンゾン王宮が小さく見える=2019年5月、石川幹子さん提供  外苑の樹木の保存活動は、こうした社会奉仕の一つです。考えてみると、私はずっと奉仕活動を実践してきました。キリスト教系のミッションスクールで育ったからかもしれません。 ――本当に幅広いご活躍ですね。お生まれは宮城県岩沼市なんですね。  はい、仙台の南、電車で30分ほどの海沿いのまちです。うちは祖父が政治家をしていて、いつもいろんな方が出入りしていて、プライバシーなんてない状態。私はそういうのがとっても嫌で、もっと真っ当な暮らしをしたい、それは学問だろうと思っていました。  中学高校は仙台の宮城学院です。お嬢様学校で、休み時間になると机の中から箱を出してレース編みをやるの。競争でね。私なんかフランス刺繍、上手でしたよ。 10歳のころ=宮城県岩沼市、石川幹子さん提供  あのころは駅のすぐそばに学校がありました。当時は戦争で夫を亡くされた方がたくさんいました。朝、家で育てた野菜をかついで塩釜に行ってそれを売って魚を仕入れて、その魚を売る「かつぎや」のおばさんがいっぱいいて、みんなたくましいの。電車にはそういうおばさんも大勢乗っていて、仙台駅の前には市が立っていた。ここにはアコーディオンを弾く傷痍軍人さんもいて、戦争の被害を受けながら必死に生きる人たちが大勢集まっていて、とにかくカオス。そこを通り抜けていくと、まるで天国のような学校がありました。荘重なパイプオルガンと賛美歌で、一日が始まる。  毎朝、そういう複雑なものをたくさん見て育ったので、いろんなことを考えました。戦争の悲惨さとか、平和の大切さとか、人を愛することがどれだけ大事かとか。  高校3年生のときに、役所に勤めていた父が亡くなりました。要するに大学は学費の安いとこにしか行けない。お嬢様学校で、受験勉強なんかしていないから現役では受からない。東京に叔父がいたので、そこで1年間受験勉強をして東京大学に入りました。  植物の勉強をしたいと思っていました。高校の先生に里山にいろいろ連れて行っていただいて、野草大好き、植物大好き人間になりました。でも、あのころは高度成長期で開発もすごかった。大好きな森がある日突然、ブルドーザーが入ってなくなってしまう。こういう理不尽なことを学問によって解決できないかと思っていました。  ところが、入学しても学園紛争でバリケード封鎖されていて、中に入れなかったんですよ。私の次の年は入試が中止。そういう世代です。私は何でストライキやっているのかわからない。結局、勉強しようと思って大学に来たのに勉強ができなかった。その思いはずっとありました。 >>【後編:3人の子どもに「お母さんはやっぱり勉強したい」主婦から大学教授になった石川幹子さんの分岐点】に続く 石川幹子(いしかわ・みきこ)/1948年宮城県岩沼市生まれ。1972年東京大学農学部卒、1976年ハーバード大学デザイン大学院修士課程修了(M.L.A)、1976~1991年東京ランドスケープ研究所・設景室主幹。1994年東大大学院農学生命科学研究科博士課程修了(農学博士)。工学院大学特別専任教授、慶應義塾大学環境情報学部教授を経て2007年から東大大学院工学系研究科都市工学専攻教授、2013年から中央大学理工学部人間総合理工学科教授・学科長。2019年から中央大学研究開発機構教授。中国の四川大地震復興支援に対し、2020年に都江堰市から最優秀人材栄誉賞を、2022年に成都市から公園都市建設を先導した貢献をたたえるメダルを受けている。
坂本龍一さんが生前語った「優しいハグ」と希望 「敵対するものをつぶしたとしても、別の新しい敵対勢力が生まれるだけ」
坂本龍一さんが生前語った「優しいハグ」と希望 「敵対するものをつぶしたとしても、別の新しい敵対勢力が生まれるだけ」 音楽家・坂本龍一さん/1952年、東京都生まれ。映画「母と暮せば」(山田洋次監督)の音楽担当。東北ユースオーケストラの代表理事・監督も務める(撮影/写真部・松永卓也)   音楽家でアーティストの坂本龍一さんが3月28日、死去した。所属事務所が4月2日に発表した。71歳だった。  坂本さんは、2014年に中咽頭がんを患っていることを発表。コンサート活動の中止を強いられ、療養生活を送った。その後、20年6月には直腸がんが発覚した。昨年12月にはオンラインで全世界にピアノコンサートを配信。公の場に姿を見せた最後の姿になった。所属事務所によると、がんの治療を受けながらも、体調の良い日は自宅内のスタジオで創作活動を続け、最期まで音楽とともに過ごしたという。  音楽家として活躍する一方で、政治や社会への問題も提起し続けた。今年2月には、明治神宮外苑地区の再開発の見直しを求める手紙を東京都の小池百合子知事らに送っていたという。  芸術の再前衛を走りながらも、なぜ発言と行動を続けるのか。2016年にアエラ誌上で実施した同世代の作家で同じく発言を続ける作家の高橋源一郎さんとの対談では、「声をあげ続けることの大切さ」を語っていた。安保法制が施行され、社会が揺れていた当時、坂本さんを突き動かした希望とは、なんだったのか。当時の記事を再掲する。 *  *  *  高橋源一郎:今日はとてもうれしいです。坂本さんとはほぼ同世代ですけど、きちんとお話しするのはこれが初めてですね。 坂本龍一:そうですね。僕が1学年下かな。 高橋:僕は高校生のときから学生運動に参加していましたが、1971年から72年にかけての連合赤軍(※1)事件以降、日本から反体制的な政治運動をやろうというマインドがほとんど見られなくなりました。今年、ほんとうに久しぶりにSEALDsのデモに参加したんですが、40年以上も前の忘れ物を取りに行った気持ちがしました。そういう意味では、いまの日本人としては、というかミュージシャンとしては珍しく、坂本さんはずいぶん前からデモに参加していて。 ■何にも似ていない運動 坂本:それでも2000年ぐらいからですよ。僕の場合、藝大(東京藝術大学)の音楽学部に入ったのが70年で、その頃、ちょうど勉強していた西洋音楽が一種のデッドエンドを迎えるんです。大学に入っても勉強すべきモデルがない状態で、ポンと音楽的に放り出されてしまった。で、その当時から、自分が義憤を感じたり、疑問を感じたりしている政治的問題と音楽とがどう結びついているのかを考えていたけど、答えが出ないまま、今まできてしまった感じがある。 高橋:SEALDsの運動がおもしろいなと思うのは、特定の何かをサンプルにして運動を始めたわけではないことです。普通は何かに影響されたり、もっと言うとオルグされたりして始めるものなのに、40年以上、学生の政治運動らしいものがなかった。だから彼らは、ネットやユーチューブで、それこそ在特会(※2)からオキュパイ・ウォールストリート(※3)まで見て、いいとこどりをしている感じがしますね。そういういい意味で素人っぽい政治運動って過去にはほとんどなかったんじゃないでしょうか。 音楽家・坂本龍一さん/1952年、東京都生まれ。映画「母と暮せば」(山田洋次監督)の音楽担当。東北ユースオーケストラの代表理事・監督も務める、作家・高橋源一郎さん。1951年、広島県生まれ。著書に『ぼくらの民主主義なんだぜ』(朝日新書)、SEALDsとの共著に『民主主義ってなんだ?』(撮影/写真部・松永卓也) 坂本:そうですね。さらに言えば、SEALDsのデモは、日本の自由と民主主義を求める運動としては、明治の自由民権運動以来の高まりではないかと感じてます。僕らがやっていた60年代、70年代の安保闘争よりも重要なんじゃないかな。それに45年の空白があるから、彼らはいわゆる昔の学生運動の負の歴史をひきずっていない。シュプレヒコールの代わりに、ヒップホップを参考にコール・アンド・レスポンス(※4)を作ったりして、かっこいい。音楽家からみると、彼らのラップ的なスピーチは結構ノリがいいんですよ。それまでの日本人がやっていた盆踊り的なラップとは違って、黒人的というか、アメリカ的なラップに近くなっている。新しくて、かっこいい半面、おじいちゃん、おばあちゃんは参加するのは難しいかもしれない。福島などの、当事者の方が参加できるようなデモのスタイルを見つけることは課題だとずっと考えていて。 高橋:SEALDsの運動はすべてが正しいわけではないし、当然、たくさん欠陥もあるし、彼らもそれは認識していると思います。彼らが良かったのは、「デモをしよう」ではなく、「国会前に行こう」というメッセージを出したことでした。眺めているだけでも、たたずんでいるだけでもいいから、国会前に行くことが、意思表示になるよと伝えたことですね。 ■デモって実は効果的 坂本:03年にイラク戦争(※5)反対の大きなデモがありましたよね。世界中で「World Citizen(世界市民)」を掲げ、各国で同じ日にデモをしたんです。僕はニューヨークで参加したんですけど、ニューヨークで50万人、ロンドンでは200万人が集まった。それに比べると、東京では圧倒的に少なかった。悲しかったですね。現状を変えようともしない人が、素直にストリートに出ていっている人をバカにする風潮があるけど、そういう人は自分が非常に低いレベルにあることに気がついたほうがいい。 高橋:デモって、実は思っている以上に効果がありますからね。さっき久々にデモに行ったと言いましたが、その少し前に僕は祝島(※6)でおじいちゃん、おばあちゃんたちがやっている反原発デモに行ってるんですね。超ゆるいんですよ(笑)。参加者の平均年齢が70歳を超えてるんじゃないかな。だから、週に1回、時間も30分ぐらいで、雨が降ったらやめるし、風が吹いたらやめるし、身内に不幸があってもやらない(笑)。歩きながら「原発をつくらせないぞ~」「つくらせないぞ~」とやってるかと思うと、歩きながらNHKの朝の連続ドラマの話をしている(笑)。でも、それで30年間続けて、実際に原発はつくられていない。 坂本:3・11の後、ずいぶん長いこと原発は再稼働されなかったしね。今は少しずつ再稼働されていますけれど、それでもまだ彼らは様子を見てる。今回の安保法制も、あれだけ反対の声があがらなければ、もっと早く可決しちゃってましたね。 高橋:この前、ある政治学者と話したんですが、安保法制のデモは政権のトラウマになって、憲法改正をやる気がなくなったんじゃないかとおっしゃってました。あんなデモがあるなら改正をすっぱりあきらめて、解釈改憲に向かうんじゃないかって。 坂本:今の状況で改憲しないことがいいのかは、長期的にみると判断が難しい。つまり、憲法解釈で実質、憲法改正と同じ状況がつくれるならそれでいいじゃないかと、彼らが思っちゃってる。解釈で逃げられてしまった感じですね。 音楽家・坂本龍一さん/1952年、東京都生まれ。映画「母と暮せば」(山田洋次監督)の音楽担当。東北ユースオーケストラの代表理事・監督も務める(撮影/写真部・松永卓也) ■ネットを公共の場に 坂本:何十年も日本に政治運動がなかったのは、みんなが集まって発言する場所がないことも大きかったと思う。SEALDsは国会前に人を集めたけれど、そもそも国会前は道路だから集まるには不便だし、理想的な場所ではない。大きな公園は規制が厳しくて、市民が自由に使える感じではない。 高橋:そう、日本は人々がパブリックなことを話し合うための場所をなくすことに、見事に成功したんですね。本拠地がないと、運動は続かないですから。結局どうしたか。SEALDsはネットを公共の場所にした。 坂本:LINEとかね。彼らは非常にうまくSNSを利用している。すごいね。 高橋:ええ。今、僕たちは民主主義を自分たちが手に取れるものにしなくちゃいけない時期に来ているのかもしれません。僕は、朝日新聞で論壇時評を書いていることもあり、民主主義について考えることが多くなりました。そして、民主主義とは何かを考えると、民主主義を再定義しなければいけないんじゃないかと思うようになってきたんです。 坂本:日本では従来、民主主義って、自分たちがつくったり、考えたりするものじゃなかったけど、ようやく考える時代になったのかな。 ■パッと日常に戻る 高橋:そう思うんですよ。ギリシャの古代アテナイ(※7)では市民6千人ぐらいが集まって、自分たちの社会や政治について話し合って決めていました。それが初めての民主主義と言われていますね。祝島のデモがまさにそれでした。週に1回、島民が集まって、政治的な主張を30分する。それが終わると、パッと日常に戻る。パートタイムの政治参加。それが、古代アテナイ由来の「民主主義」なんですね。実際、原発はつくられていません。いま、民主主義の誕生にまで立ち返って、その本質を考えてみるべきときなのかもしれませんね。 坂本:代議制民主主義(※8)というものに、もう一度疑問の目を向けるべきときなんだと思うんです。日本の政治システムでは、直接首相を選べない。アメリカにしても、大統領選はすごく複雑なシステムで、直接選べるわけではない。権力側が、システムを複雑化させ、本来の主権者たる国民から、直接政治(※9)を遠ざけようとする傾向がある。直接政治を取り戻す、手にすることはとても大事なことだなあ。 高橋:デモクラシーとは、すごく簡単に言うと、主権を他人に渡さないということです。逆に言うと、主権が自分の手の中にあるということは大きな責任を伴うことだから、何かの折には公的なことに参加しなければいけない。それが今の日本では主権を他人に渡しちゃっている状態です。選挙のときだけ主権者になっても、安倍政権に対しても、強行採決にしても、僕たちは止めることすらできない。 坂本:アメリカにしても、民主主義は実現してない。民主主義を輸出するんだと声高に叫んで、イラク戦争を始めたり、世界中で戦争をしていますけど、アメリカ人の多くは、これは全然民主主義じゃないと思っている。 高橋:本来、「民主主義」は、その社会で生きる僕たちを活性化してくれるシステムであり、概念であり、言葉のはずと思うんです。 音楽家・坂本龍一さん/1952年、東京都生まれ。映画「母と暮せば」(山田洋次監督)の音楽担当。東北ユースオーケストラの代表理事・監督も務める(撮影/写真部・松永卓也) ■憎まないという戦い 坂本:それにしても、意外と僕らの上の世代で戦争を経験している人たちが、右寄りの反応を示すのが不思議なんですよ。やられたから、もう一度やり返せみたいな心情なのかなあ。ちょっと理解できない。 高橋:うちの父親も右翼だったからなあ……(笑)。でも、経験がある故に、戦争を絶対肯定しない戦中派の人たちも多いと思います。結局戦争にしろテロにしろ難民問題にしろ、それが生まれるのは、国家の論理がまずあるからだと思います。その国家の論理に、国家の論理で立ち向かおうとすると、争いが起き、泥沼化していく。パリの同時多発テロのあと、遺族が「(ISを)憎まない」(※10)と発言して話題になったけど、憎まない、攻撃しないというのは、国家の論理には加担しないということだと思います。僕たちは国民である前にまず人間であり、国という枠を超えて考えて、行動していいはずですよね。 坂本:そうですね。たとえ戦いで敵対するものをつぶしたとしても、根本的には経済的な差別や、階級的な差別、人種や宗教の問題だから、別の新しい敵対勢力が生まれるだけ。富の再分配を考えたり、差別をなくしたりしていくような社会をつくらない限り、次々と起こります。 高橋:まったくその通りです。だからこそ、国家がやろうとする無謀な争いには、個人として反対なんだと強く言い続ける必要があると思います。 坂本:それは、安保法制やヘイトスピーチに対しても同じで、自分たちの意見を表明するために声をあげ続けなくてはいけないし、世界中で大勢の人が声をあげることが大事。今、その動きが日本でも生まれてきたことは、法や政治の面では厳しくなっているけれども、希望なんじゃないかな。 高橋:ええ。そして敵対するものに、敵対しないことですね。相手と同じものになってしまうから。 坂本:優しくハグする。それが一番ですね。 (構成/編集部・大川恵実) ※「AERA」 2016年1月4日号掲載 【脚注】 (※1)連合赤軍  新左翼組織の一つ。共産主義者同盟赤軍派と京浜安保共闘が合流して結成。山岳ベース事件、あさま山荘事件などを起こした。 (※2)在特会(在日特権を許さない市民の会)  東京・新大久保等でヘイトスピーチを伴う街宣をする。それに反対する「カウンター」も現れた。 (※3)オキュパイ・ウォールストリート(ウォール街を占拠せよ)  2011年、米・ウォール街で発生。公園を占拠し「格差社会の是正」などの主張を様々な形でアピールした。 (※4)コール・アンド・レスポンス  呼びかけとそれに応答すること。例えば「民主主義って何だ?」「これだ!」という一連のやりとり。米国のラップ音楽等で頻繁に使われる。 (※5)イラク戦争  2003年3月、イラクが大量破壊兵器を保有しているとして米が攻撃を開始。日本も自衛隊が重火器を携行する初めての海外任務に参加した。   (※6)祝島  山口県上関町祝島。1982年に中国電力の上関原発計画が浮上して以来、住民が毎週月曜に原発反対デモをしている。 (※7)ギリシャの古代アテナイ  古代ギリシャの都市国家(ポリス)。民主主義発祥の地と言われる。 (※8)代議制民主主義  有権者が選挙を通して政治家を選び政治家が政策決定を行う。間接民主制、議会制民主主義とも同義。 (※9)直接政治  代議制民主主義の対概念として直接民主制がある。市民の意見をそのまま政治に反映するシステム。 (※10)「(ISを)憎まない」  パリ同時多発テロで妻を失った仏人男性が容疑者に向け発したメッセージ。
「痛風って大変らしいですね」ネットで調べて何を聞く?【医師との会話の失敗例と成功例】
「痛風って大変らしいですね」ネットで調べて何を聞く?【医師との会話の失敗例と成功例】 ※写真はイメージです(写真/Getty Images) 病院に行き外来で主治医にいろいろ聞こうと思っていても、短い診療時間でうまく質問できなかったり、主治医の言葉がわからないまま終わってしまったりしたことはありませんか。短い診療時間だからこそ、患者にもコミュニケーション力が求められます。それが最終的に納得いく治療を受けることや、治療効果にも影響します。今回は、最近の健診結果で「尿酸値が高いので再検査を」となり、受診前にインターネットでいろいろと調べてクリニックに行った会社員の会話の失敗例、成功例を挙げ、具体的にどこが悪く、どこが良いのかを紹介します。  西南学院大学外国語学部の宮原哲教授と京都大学大学院健康情報学分野の中山健夫教授(医師)の共著『治療効果アップにつながる患者のコミュニケーション力』(朝日新聞出版)から、抜粋してお届けします。 *  *  * 「失敗例:エピソード1」と、「成功例:エピソード2」を順番に紹介します。 『治療効果アップにつながる患者のコミュニケーション力』(朝日新聞出版) 【患者の背景と現状】  Bさんは48歳の男性会社員です。メーカーの営業職で、会社では遠くはない将来、管理職、そして末は執行役員とさえ言われるほど実績を上げています。  仕事柄、顧客と飲食をともにしたり、部下思いでもあったりするBさんですから、後輩と仕事帰りにお酒を飲んだりする機会も多いほうです。50歳が近づき、そろそろ真剣に健康管理を、とは思うものの、忙しさのため、運動をしたり、会社の保健師と面談をして食生活の指導をしてもらったりなど、積極的な健康管理に向けた対策は今のところとっていません。  会社の定期健診は毎年受けてきましたが、これまで異常を指摘されたり、再検査の指示を受けたりしたことはありませんでした。ところが、最近の健診結果で、「尿酸値が高いので再検査を」という、思いがけない文字がBさんの目に飛び込んできました。  いつか健康相談を、と考えていたので、これを良い機会ととらえ、Bさんは自宅近くの、これまで風邪の治療やインフルエンザの予防接種などで何度も行ったことのある内科に行ってみることにしました。高い尿酸値を放置し、痛風の発作でも起こると仕事に影響します。食生活や飲酒、その他控えるべきこと、運動などについて指摘されるかもしれないので、Bさんは受診前にできるだけ知識を得ようと、インターネットでいろいろと調べてクリニックに行きます。 【エピソード1】 Bさん:先生、お久しぶりです。あのう、定期健診で尿酸値が高いという結果で、再検査を受けるように言われまして……。 医師:(カルテを見ながら)Bさんはこれまで特に大きな病気もされたことはないですね。健診の結果を見ると、確かに去年の数値からかなり上がっていますね。何か心当たりはありますか? Bさん:いえ、別に。ただ、仕事が忙しくて、お客さんや部下と飲む機会は多いので、その結果がこうなのかな、とは思っていました。気になったので、ちょっとネットで調べてみたら、痛風って、たまらない痛さだとか、経験者の話も読みました。今のうちからサプリメントを飲んで、お酒もプリン体ゼロのビールにして、そして適度な運動を……。 医師:いろいろ調べられたのですね。それは良いことですが、健診からしばらく経っていますし、まずは、あらためて検査をしましょう。 Bさん:肝臓や腎臓が弱っても自覚症状はほとんどないとネットにもありましたけど、まだお酒を少し控えたり、運動を始めたりとか、検査や薬に頼らないで良い方向にもっていける方法はあると……。そうやって、〇〇%の人たちが尿酸値を下げたって。 医師:うーん、Bさんの場合、急に数値が上がっているので、生活の中で何か思い当たることがないか、もう少し教えてもらえるでしょうか。 Bさん:自分の体のことは自分が一番良く知っていると、子どもの頃は親から、今は友人や、ネットでの体験談でよく分かっていますから大丈夫ですよ。 イラスト/浜畠かのう 『治療効果アップにつながる患者のコミュニケーション力』(朝日新聞出版)より 【このときの医師の気持ち】  尿酸値が上がる主な原因は食べ物に含まれるプリン体だけれども、急に数値が上がったのは気になるところだし、もっと詳しく調べてみる必要がある。ネットで調べた知識を鵜呑みにして、こちらの話に耳を傾けてくれない患者さんが増えたのは本当に残念なことだ。ネットの情報で自己診断して、薬まで指定してそれを出してほしい、という患者さんもときどきいるし……。健康も、病気も十人十色で「同じ」症状や検査結果でも、簡単に自己診断はできるものではないし、人それぞれ事情が違うから治療法や薬も異なる。だから一人ひとり診察をして、その人の生活習慣や仕事の様子、それに性格まで考慮して診断する必要がある。ネットに書かれていることがみんなに同じように当てはまるんだったら、医師も病院も必要ないんだけれど、ネットの影響は本当に大きい。もし書かれていることを信じて当てにならない高いサプリをたくさん飲んだり、偏った食事をしたりして悪くなってしまっては、いけないのだけれど……。 【解説】  インターネットが普及し、誰もが気軽に病気、健康、医療、治療などに関する情報を際限なく得られる時代です。しかし、ネットに限らず、書籍やテレビのコマーシャル、雑誌の広告などに書かれている健康情報は、あくまでも平均的、あるいは不十分で、誤りである場合も少なくありません。玉石混交の情報から、自分の病気や治療などに合った情報を取捨選択するには、医療知識が必要です。  不安なときは、少しでも安心したいと思うのは自然ですし、私たちはネットの情報を自分の都合の良いように解釈して読む場合が多いものです。あふれる健康情報から必要、適切なものを理解、評価して自分の健康管理に適用する能力が「ヘルスリテラシー」、認識力の一環です。  ネット情報を医師との対話に利用するのは悪いことではありません。むしろ医師も「この患者は自分で調べて、早い回復の努力をしている」という気持ちにもなるでしょう。  しかし、Bさんのように全部分かっている、という姿勢を示し、さらには〇〇の治療法や薬を、と言われると医療のプロがどんな気持ちになるか、その結果Bさんにとって不利益な診察となるかもしれない、ということは意識しておく必要があります。 【エピソード2】 Bさん:先生、お久しぶりです。定期健診で尿酸値が高いという結果だったので、再検査を受けるように、と言われて今日はお伺いしました。 医師:(カルテを見ながら)Bさんはときどき風邪で来られていましたが、それ以外特に大きな病気もありませんでしたね。健診の結果を見ると、確かに去年の数値からかなり上がっていますね。何か心当たりはありますか? Bさん:いえ、別に。ただ、仕事が忙しくて、お客さんや会社の者と飲む機会は多いので、その結果がこうなのかな、とは思っていました。ネットでも調べてみたのですが、痛風って大変らしいですね。 医師:そうなんですよ。足の親指が腫れて、強く痛むんですよ。痛風の発作が出ないように、これから対策を考えないといけないですね。健診からしばらく時間が経っていますから、あらためて血液検査をしてみましょう。食事やアルコールが原因のことが多いので、まずそのあたりの注意が必要です。急に値が上がっているので、生活や仕事の中で何か思い当たることがないか、教えてもらえるでしょうか。 Bさん:そうですか。まだお酒は完全にやめなくてもいいですよね。最近、プリン体ゼロの発泡酒にしてるんですよ。 医師:あ、いや、ビールだけ変えても……。プリン体はうまみ成分に含まれていて、血液中の尿酸が増えすぎると、溶けきれない分が結晶になって血管や関節に悪さをします。でも、発泡酒だろうが焼酎だろうが、アルコールには、尿酸の排出を抑える作用があるので、どんなお酒も痛風にはよくありません。ビールだけ気をつければよいと皆さん誤解されているようですね。 Bさん:そうだったんですか。プリン体ゼロ、糖質ゼロのお酒にはそんな作用がないものと、ネットの記事を読んでいて思ったんですが、そうではない、ということですね。 【このときの医師の気持ち】  インターネットに書いてある情報は、本当に玉石混交で、全部が嘘とは言わないけれど、偏った内容も多いし、すべての人に同じように当てはまるわけではない。根拠が十分示されていなかったり、実は広告で特定の商品に誘導していたり、読む人の目を引いて信用させるよう、さまざまな工夫が施されている。  Bさんも最初はネットで調べたことだけを根拠に自己診断しようとしていた。でも尿酸の特性や痛風との関係を少し説明しただけで、不特定多数の人向けの情報より、これまでの健康状態を知っている目の前の医師のほうに気持ちを向けてくれている。  尿酸値が上がって痛風の発作が出て、仕事の妨げとなっては困る、という気持ちから受診前に自分で調べようとしたBさん、それだけ真剣に自分の健康を取り戻そうとしている。Bさんが調べてきたことをすべて否定するのではなく、Bさんに当てはまることと、そうではないことを丁寧に説明して、納得してもらい、これから注意すべきことを一緒に考えることにしよう。 【解説】  どんなにインターネットで医療情報を入手することができるようになっても、患者と医師との役割が根本的に変わることはありません。医療の専門性が高いことについては医師にまかせて、患者は自分でできること、しなくてはいけないことに集中する役割力が重要です。  また、情報の一般的な意味と、Bさんだけに当てはまることとの間には必ず差があります。生の情報を鵜呑みにする代わりに、それらが自分にとってどのような意味を持つのかを理解し、知識に換える認識力が必要です。もちろん、いくら一人で考えても知識も経験もなければそれはできないでしょう。だからこそ、「開かれた心」で医療のプロとの相談や質問をすべきです。  エピソード2ではBさんは患者としての自分の役割と、医師の役割とを適切に認識しています。そして、インターネットで得た情報を受け売りで医師にぶつけるのではなく、医師からの「Bさんは……」という、「カスタマイズ」されたメッセージに敏感に反応し、「この先生は自分のことをしっかりと診てくれている」という認識をした結果、医師の言葉一つひとつを真摯に受け止めています。  こうしてBさんは医師とともに病気に立ち向かう、という関係を築くことができています。 ※『治療効果アップにつながる患者のコミュニケーション力』(朝日新聞出版)より 宮原 哲/西南学院大学外国語学部教授 1983年ペンシルベニア州立大学コミュニケーション学研究科、博士課程修了(Ph.D.)。ペンシルベニア州立ウェスト・チェスター大学コミュニケーション学科講師を経て現職。1996年フルブライト研究員。専門は対人コミュニケーション。ヘルスコミュニケーション学関連学会機構副理事長。 主な著書:「入門コミュニケーション論」、「コミュニケーション最前線」(松柏社)、「ニッポン人の忘れもの ハワイで学んだ人間関係」、「コミュニケーション哲学」(西日本新聞社)、「よくわかるヘルスコミュニケーション」(共著)(ミネルヴァ書房)など。 中山健夫/京都大学大学院医学研究科健康情報学分野教授・医師 1987年東京医科歯科大学卒、臨床研修後、同大難治疾患研究所、米国UCLAフェロー、国立がんセンター研究所室長、京都大学大学院医学研究科助教授を経て現職。専門は公衆衛生学・疫学。ヘルスコミュニケーション学関連学会機構副理事長。社会医学系専門医・指導医、2021年日本疫学会功労賞。 主な著書:「健康・医療の情報を読み解く:健康情報学への招待」(丸善出版)、「京大医学部で教える合理的思考」(日本経済新聞出版)、「これから始める!医師×患者コミュニケーション:シェアードディシジョンメイキング」(医事新報社)、「健康情報は8割疑え!」「京大医学部のヘルスリテラシー教室」(法研)など。
「老害化前に集団自決」発言で考える世代間対立 標的になるのは 貧困の高齢者
「老害化前に集団自決」発言で考える世代間対立 標的になるのは 貧困の高齢者 日本の高齢者の就業率は先進国の中で高水準にあり、シニアの人たちの労働力抜きには日本経済は成り立たない状況になっている。農業を支えるのも高齢者だ(写真/Getty Images)  米イェール大学に在籍する経済学者、成田悠輔さんの「高齢者は老害化する前に集団自決、集団切腹をすればいい」との発言が物議を醸した。高齢者は社会のお荷物なのか。不毛な世代間対立の根を断つ必要がある。AERA 2023年4月3日号の記事を紹介する。 * * *  日本社会では以前から高齢者への風当たりが強い。高齢者が問題を起こせば「老害」という批判が飛び交い、「シルバー民主主義」という用語は選挙のたびに使われている。超高齢社会が顕在化するにつれ、高齢者は「お荷物」あるいは「優遇されている」という認識が浸透しているようにも感じられるが、実際はどうなのだろう。 「公的年金制度が賦課方式によって運用されている以上、そうした議論もあると思います。ただ、優遇されているという話を高齢者一般に当てはめるのは少し無理があるかもしれません。現在、シニアの方々の仕事なしには日本経済は成り立たない状況になっているからです」  こう話すのは、高齢者の就労に詳しいリクルートワークス研究所の坂本貴志研究員だ。  日本の高齢者の就業率は主要国の中で韓国に次いで高い水準にある。「とりわけ65~69歳の過半数、70~74歳の3分の1が働いている日本の状況は特筆すべきものであり、高齢になるとほとんどが働かない欧米主要国とは全く異なります」(坂本さん)  職種別で見ると、農林漁業で52%、清掃従事者のほぼ4割が65歳以上の高齢者で占められる。ほかにも居住施設・ビルなどの管理人や、輸送、建設、飲食などのサービス業でも2割前後が高齢者で占められている。  そう言えば、昨年、首都圏の物件を請け負う建設会社を取材した際、社長が「建設の現場は今、本当に若手が少ないんです」と吐露していた。ファッションブランドが軒を連ねる都心の通りを明け方に歩くと、店舗の内外にいるのは高齢の清掃員ばかりで日中とのギャップに戸惑ったこともある。タクシー運転手も高齢者が目立つ。地方では人手不足や高齢化はさらに深刻で、学校や施設の送迎バスの運行や配送などのサービス業も高齢者が不可欠な担い手になっているという。 ■人手不足の業界・職種ほど高齢化が進む傾向にある  少子化が進む日本社会では、もはや高齢者抜きには維持できない職場が増えているのが実情なのだ。だとしても、なぜここまで高齢者の就労が増えているのか。高齢者側には経済的な事情がある、と坂本さんは言う。 「年金支給額も減るなか、働き続けることで受給年齢を遅らせたり、家計の足しにしたりする人が増えています」  企業側は人手確保が必須。若い人を優先して採用する企業が多いなか、人手不足の業界や職種ほど高齢化が進む傾向にあるという。国が近年、高齢者就労を促す政策を進めているのも、少子化による人手不足や年金支給年齢の引き上げが背景にある。かといって条件の良くない職場を生活の苦しい高齢者に押し付ける構図を定着させるべきではない、と坂本さんは唱える。 「市場原理に委ねていればそれで良いと考えるのは適切ではありません。最低賃金の引き上げなど政策的なバックアップが必要です。高齢の方に無理なく社会に貢献してもらえるようインセンティブ付けを図るとともに、年をとっても働かれている人たちの権利を守っていくことが大切です。日本経済は今、そういう局面にあります」 物価高騰は少額の年金で暮らす高齢者を直撃している。生活保護利用世帯の過半数が高齢者世帯で、うち9割が単身高齢者だ(撮影/写真映像部・戸嶋日菜乃)  2022年の自殺者数は中高年の男性で大幅に増えた。昨年11月までの暫定値では、50代が2604人(前年同期比12・9%増)、80代以上では1425人(同16・8%増)だった。過去の調査では、生活保護を利用している高齢者の自殺リスクが高いとの調査結果も報告されている。生活困窮者の支援活動に取り組む一般社団法人「つくろい東京ファンド」の稲葉剛代表理事がかつて接した人の中にも、あえて病気を治療せずに「緩慢な死」を選ぶ高齢者がいたという。 「コロナ禍でもリーマン・ショックの時もそうですが、日本経済を支えるど真ん中の世代が生活に困窮している状況に対しては、社会全体としてなんとかしないといけないというコンセンサスを得やすい半面、高齢者の貧困は見過ごされがちなのは否めません」  物価高騰は生活保護を受けている世帯や、少額の年金で生活している高齢者の暮らしを直撃している。生活保護を利用している70代の女性から「ガス代がかさむため温かいものを食べるのをあきらめた」と聞いて稲葉さんはショックを受けたという。 「団塊の世代は裕福と思われがちですが、生活保護を利用している世帯の過半数が高齢者世帯で、うち9割が単身高齢者です。背景には低年金、無年金の問題があって、景気動向にかかわらず増え続けています」 ■シルバー民主主義の批判は格差無視する乱暴な議論  都内で路上生活をしている人の平均年齢は65歳を超え、70~80代の路上生活者も珍しくない。90代で野宿している人もいるという。  稲葉さんは、若者の投票率アップを呼び掛けるキャンペーンで「シルバー民主主義」という言葉が用いられることに異議を唱えてきた。有権者人口が多く、投票率も高い高齢者層向けの政策が優先され、若年層の声が政治に反映されにくいことを指す言葉だ。 「子どもの貧困問題に真摯に取り組む人たちも、若者の投票率アップを促すためにあえて『シルバー民主主義』という言葉を使って現状を批判するんですが、当然ながら裕福な高齢者もいれば貧困の高齢者もいて、政策に求めるものは全く違う。同じ世代の中でも貧富の差やジェンダーの格差が大きいことを無視して、世代全体を一括りにして語るのはあまりに乱暴な議論です」  稲葉さんはこう続ける。 「貧困は世代を問わず拡大しています。今の日本社会で富の再分配がきちんと行われていないことが問題なのに、世代間対立をあおることで論点がずらされてしまうのを懸念しています」  少子高齢化で日本社会はもう持たないんじゃないか。そんな不安心理に付け入る形で、若者と高齢者を分断していく言説は今に始まったことではない。「老人はみんな死ねばいい」といった発言をする人は昔からいた。ただ、たいていは居酒屋談議や暴言を売りにしているお笑いタレントだった。今回の成田さんの「集団自決」発言に、稲葉さんは強い危機感を抱いたという。 「有名大学の学者が発言することで学問的に裏打ちされた主張であるかのようなイメージが社会に広がることを危惧しています。一見、高齢者全体を批判しているように聞こえますが、医療や福祉が社会全体の負担になっているという言説の中で使われる言葉ですから、実際に標的になっているのは貧困の高齢者です」  これは「優生思想」につながる発言だと稲葉さんは警鐘を鳴らす。 「今回は高齢者がターゲットですが、次は障害者だったり、生活保護利用者だったり、と際限なく広がっていくでしょう。結局、私たちの社会全体の根幹を崩す議論にしかなりません」 ■少子化政策の不備が世代間対立にすり替えられ  かつて留学していたフランスの年金制度改革の反対運動をめぐる研究の中で、日本国内の世代間対立の根深さに気づかされた、と話すのは科学史や社会思想史が専門の東京大学の隠岐さや香教授だ。  フランスでは今年に入ってマクロン政権が年金改革法案を発表。1月にはフランス全土で100万人以上が参加する反対デモがあった。とりわけ不評なのは、現在62歳となっている年金支給開始年齢を64歳に引き上げる改革案だ。現地報道で20代とおぼしき男子学生が「今この改革に反対しておかないと、私たちが手に入れてきたさまざまな権利が次々にないがしろにされてしまう」と訴えていた。  その動画を見た隠岐さんは、「私たちは完全に分断されていた」と悟ったという。日本で厚生年金の支給開始年齢が60歳から65歳に引き上げられると決まった00年当時の自身の経験と重ね、隠岐さんはこう振り返る。 「当時20代だった私は自分の将来への不安で頭がいっぱいで、年金問題には全く無関心でした。実際には高齢者の貧困率が高いことも知らず、『若者は苦しんでいるが、上の世代は恵まれている』という感情すら持っていました」  日本の高齢者の貧困率は女性が22・8%で男性が16・4%。いずれもOECD(経済協力開発機構)平均を上回る。日本の超高齢化社会は少子化政策の失敗の帰結でもある。  本来、少子化政策の不備を指摘しなければならないのにもかかわらず、問題の本質が「高齢者優遇」といった世代間対立にすり替えられる状況はなぜ生じたのか。年金問題を「労働者の権利保障の問題」と捉えるフランスでは、シルバー民主主義といった言葉を聞いたことがない、と隠岐さんは言う。 「フランスで年金改革に反対している人たちには、文化的な生活を維持するための労働者の権利は、いったん手放すと政府によってどんどん奪われていくという危機感が背景にあります。しかし、日本では『労働者の権利』という話を持ち出すと、『左翼』とたたかれるような言論空間があります。こうした分断を乗り越え、私たちは世代間対立という奇妙な対立の構図に落とし込められていることに気づくべきです」  隠岐さんは成田さんの言説について、従来の「男の子的な文化」との親和性を感じるという。 「『有害な男性性』という概念がフェミニズムにあります。男性たち自身が子どもの頃から『男らしく』しなさいと言われて育ち、こうあるべきという規範意識にとらわれた結果、暴力的になったり、弱いものと自分を区別し、かつ相手を支配しないと自分を保てないと感じたりする意識です。そういう自己認識はエリート校など競争的な環境にいた人ほど持ちやすい。成田さんの言葉に肯定的に反応している層が今もそうだとすれば心配です」 (編集部・渡辺豪) ※AERA 2023年4月3日号

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