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米国でよもやの「海藻」ブームが到来する? 効果的な食べ方を管理栄養士が解説
米国でよもやの「海藻」ブームが到来する? 効果的な食べ方を管理栄養士が解説 ※写真はイメージです(写真/Getty Images) 食に対する健康意識が高まるなか、アメリカで2023年の食のトレンド予測に選ばれたのは、日本人になじみ深い「海藻」。優れた健康効果はもちろん、膨大な量の炭素と窒素を吸収する性質を持つ「リジェネラティブ」な食材であることも選出された理由のひとつだ。身近にありながらも意外と知らない海藻の働きや取り方を管理栄養士に聞いた。 *     *  *  2022年秋、アメリカの大手自然派スーパーマーケット「ホールフーズマーケット」が、23年の食のトレンド予測「Top 10 Food Trends」を発表した。これは消費者やバイヤー、食の専門家などを含む50人以上のチームによって選出されたもので、サステイナブルな食材であるとして「海藻」がランクインした。  管理栄養士・野菜ソムリエなどの資格を持ち、“昆布大使”としても活動する野口知恵氏は、「コロナ禍で自宅時間が増え、健康やダイエットに対する意識が変わり、ローカロリーな食材が注目されるようになりました。さらに、二酸化炭素や炭素の吸収に優れている海藻類は、地球温暖化対策にもなるということもあって選ばれたのでしょう」と推測する。 管理栄養士・野菜ソムリエなどの資格を持ち、“昆布大使”としても活動する野口知恵氏  アメリカの食トレンドに選ばれたことで、日本人に再認識されることとなった海藻。海藻が持つ栄養素や健康につながる効果・効能、摂取時の注意点などを改めて確認しよう。 ■花粉症がマシになる!? 腸内環境を整える海藻特有の「アルギン酸」 「海藻の特徴的な栄養素といえば、カルシウム、マグネシウムといったミネラルと食物繊維です。カルシウムとマグネシウムは、骨をつくる際に必要な栄養素。特に長年カルシウム不足に悩まされてきた日本人にとって、海藻はうってつけの食材です。また、食物繊維には不溶性食物繊維と水溶性食物繊維の2種類がありますが、海藻類はどちらも含んでいます」と野口氏。  不溶性食物繊維には、腸の中で便のかさを増やす働きがある。水溶性食物繊維は善玉菌の餌となり、腸内環境を整えたり、コレステロールや糖の吸収を和らげたりする力があるとされている。 「昆布やもずくなどが持つヌメリは、海藻類特有のアルギン酸という水溶性食物繊維です。メタボの抑制、高血圧や糖尿病といった生活習慣病の予防につながるとして注目されつつあります」  そのほかにも、海藻にはうれしい効果・効能が期待できるという。 「例えば、善玉菌が増えて腸内環境が整うと、お通じがよくなりますし、ニキビや吹き出物といった肌トラブルも緩和されます。また、腸には免疫細胞の70%が集中しており、アレルギーと密接に関係しているといわれます。花粉症に悩まされている人は、意識的に海藻を取ることをおすすめします」  また、海藻にはミネラルや食物繊維、鉄も含まれている。鉄は女性に不足しがちとされる栄養素で、貧血防止に必要不可欠だが、「海藻に含まれるのは、ほうれん草や小松菜といった野菜と同じ植物性の鉄です。動物性の鉄と比べて吸収率が低いため、海藻から鉄を摂取する場合は、ビタミンCと一緒に取る工夫が必要です」と野口氏は続ける。 ■食べ過ぎると「ヨウ素」の多量摂取に…  様々な栄養素を有し、現代人の健康のために存在しているかのような海藻だが、ヨウ素を含んでいる点には注意が必要とのこと。 「ヨウ素とはミネラルの一種で、体の成長やエネルギー代謝に必要な甲状腺ホルモンの原料となる栄養素です。とても重要な栄養素である半面、食べ過ぎると甲状腺機能が低下する可能性もあります」  ヨウ素の多量摂取は、甲状腺機能低下症を引き起こす要因だ。皮膚の乾燥、体のむくみや便秘、物忘れや倦怠感といった様々な症状が引き起こされる。甲状腺に不安を持つ人は医師の指示を仰ぐことが推奨されるが、大量に摂取しなければ問題はないという。 「海藻は、できれば毎日取りたい食材です。毎食どんぶりいっぱいの海藻を何週間も食べ続けるようなことをしなければ、特に心配することはないでしょう」  もずく、ひじき、わかめの味噌汁のような副菜として食べることが理想的だが、難しい場合は野口氏が考案した「こんぶ漬けオリーブオイル」から摂取するのもいいだろう。 【こんぶ漬けオリーブオイルの作り方】 (1)だしをとり終わった出がらしのこんぶを、キッチンペーパーなどで水分をふき取ってから細かく刻む (2)(1)をオリーブオイルの瓶に入れ、1日~1週間漬け込むと、昆布のうまみが出てくる (3)完成したオイルを野菜炒めなどに使用すると、少しの味付けでうまみが増し、減塩効果も期待できる  2023年のトレンド食材で、SDGs的観点からも注目される海藻。上手に食事に取り入れて、毎日の健康に役立てよう。 (文・安倍季実子)
脳梗塞の後遺症で認知症に 医師「症状のない無症候性脳梗塞でも認知症リスク高まる」
脳梗塞の後遺症で認知症に 医師「症状のない無症候性脳梗塞でも認知症リスク高まる」 ※写真はイメージです(写真/Getty Images) 脳梗塞の治療法は大きく進歩しているが、残念ながら「治療すれば終わり」という病気ではない。後遺症に対する早期リハビリの大切さと、生活習慣病の治療などによる再発予防の重要性について、専門医に聞いた。 *  *  *  脳梗塞を起こすと、血管が詰まって血流が途絶えるため脳の神経細胞が壊死してしまう。短時間で血流が再開すれば回復が見込めることもあるが、発症から長時間経過し、完全に壊死した細胞を再生させることは現代の医学では不可能だ。そのため、脳梗塞では後遺症が残ることも多い。  症状は発症した脳の領域により異なるが、多くみられる後遺症として、意識障害や手足のまひ、言語障害(言葉が出ない、理解できないなど)、嚥下(のみ込み)の障害、認知機能(記憶、理解、空間認識など)の障害などが挙げられる。「認知症を合併することも多い」と、横浜新都市脳神経外科病院院長の森本将史医師は話す。 「認知症で最も多いのはアルツハイマー型認知症ですが、次に多いのが脳卒中の後遺症などによる脳血管性認知症です。症状のない無症候性脳梗塞でも、認知症のリスクが高まるといわれています」  後遺症が残るか、残らないか、また残る場合の程度の差は、脳梗塞の重症度や患者の年齢、持病の有無などによる。国立循環器病研究センター病院副院長の豊田一則医師はこう話す。 「重症度が最大の要因で、加えて年齢が高いほど、そして糖尿病などの生活習慣病がある人ほど重い後遺症が残りやすい傾向があります」  さらに、血栓溶解療法や血栓回収療法などの治療を受けた場合も、「より早期に治療できたほうが経過は良い」という。 「発症から治療開始までの時間が短いほど治療効果が得られやすいという研究報告は多くあります。どれだけ早く治療できるかがその後の経過に関わる大きな要因といえるでしょう」(豊田医師) ■リハビリ病院との連携も重要  壊死した神経細胞の再生は不可能でも、失われたからだの機能はリハビリにより回復が可能なこともある。治療と同様、リハビリも早期に開始することが望ましい。 脳梗塞データ 「できれば入院初日から開始できるのが理想です。患者さんの状態により無理は禁物ですが、寝た姿勢のまま腕や脚を曲げ伸ばしする訓練は初日からできることもありますし、早くリハビリを始めたほうが治療効果は高いでしょう」(同)  急性期の治療をおこなう病院は、原則として約2週間で退院となる。その後も継続的なリハビリが必要な場合、回復期リハビリ病院などに転院する。 「病院にはそれぞれ役割があり、急性期病院は発症直後の脳卒中治療に専念することが使命です。急性期を過ぎ症状が安定したら、リハビリのためのシステムとスタッフが充実している病院に移ることが、効率よくリハビリを進める上でも有効と考えます」(同)  脳梗塞の治療を多くおこなっている病院であれば「リハビリ病院とも連携できているはず」と森本医師は言う。 「もし患者さんやご家族がリハビリ病院を探さなければならない場合でも、病院にいるソーシャルワーカーが患者さんの病状や生活背景、居住地などを考慮し転院先を提案するなど、相談にのってくれるでしょう」  大学病院や地域の中核病院など、積極的に脳卒中の治療をおこなう病院には「脳卒中相談窓口」が設置されていることが多い。日本脳卒中学会が認定する一次脳卒中センター(PSC)コア施設には、この窓口の設置が義務化されており、患者や家族の相談に応じている。学会のホームページにPSCコア施設一覧が掲載されているため、参考にしてほしい。 ■まずは予防を心がけたい  脳梗塞は、再発リスクが高い病気だ。生活習慣との関わりが深いため、「原因となる病気や生活習慣が改善されない限り高い確率で再発する」と両医師は口をそろえる。 「最初の1週間がとくに再発リスクの高い時期で、最も起こりやすいのは発症した日です。脳梗塞を起こしたら軽症でも入院が勧められますが、それは再発の多い時期を病院でしっかり管理するためです」(豊田医師) 「昔は10年間で5割が再発するといわれていました。現在は再発予防のための治療薬が進歩しているので少し減っていますが、それでも再発は起こり得ます。そのため、医師は治療と同時に再発リスクも評価し、リスクが高い患者さんには、血液を固まりにくくする薬を処方する、生活習慣病の治療をするなど再発予防への取り組みを積極的におこないます」(森本医師) 脳梗塞のリハビリについて  患者自身ができる再発予防策として、生活習慣病の治療をきちんと続けること、定期的に受診して検査を受けることを挙げる。さらに、栄養バランスの良い食事、禁煙、適度な運動など生活習慣の改善は、再発予防だけでなく、脳梗塞を起こしていない人には脳梗塞を予防する手立てにもなる。 「脳梗塞は生活習慣病です。まれに遺伝的な要因が関わっていることもありますが、多くは生活習慣に気をつけることで予防できる病気といえます」(同)  加齢とともに増える脳梗塞だが、近年では若年化の傾向もみられ、40代で発症する人も増加している。「若いから大丈夫とはいえない」と森本医師は言う。できれば健康なときに一度、自分の脳や血管の状態を調べる検査をすることを勧めている。 「検査で脳梗塞のリスクが高そうだとわかれば予防策を講じることができます。脳卒中は寝たきりと認知症の主要原因。なってからの対応ももちろん大事ですが、まずはならないための予防が大切です」(同) (文・出村真理子) ※週刊朝日2023年4月7日号より
中国留学中の日本人が語るコロナ禍の生活 「ある日突然、寮がロックダウン」して今は
中国留学中の日本人が語るコロナ禍の生活 「ある日突然、寮がロックダウン」して今は にぎわう清華大学の学生食堂。政策緩和後もパーティションは残っている(佐藤さん提供)  中国は「ゼロコロナ政策」を2022年12月に大幅緩和。市町村の封鎖を解除し、海外からの入国者に義務づけていた検査や隔離措置も撤廃した。めまぐるしく方針転換がなされるコロナ禍の中国で、日本からの留学生はどのような大学生活を送っていたのだろうか。清華大学で語学留学中の佐藤春香さん(仮名)と、長年中国の大学で教鞭を執り、現地の状況をよく知る加藤隆則氏に話を聞いた。  佐藤さんが中国留学への準備を始めたのはコロナ禍のまっただ中だった。 「それまではユーチューブを見たり、推しの俳優さんの動画を見たりして中国語を勉強していました。でもやはり独学では限界があると感じ、語学留学を検討しました」 ■奨学金を得て、アジアトップ大学へ  佐藤さんが見つけたのは語学留学ができる日中友好協会の奨学金。しかし当時は留学ビザの発給も中止されており、渡航はままならない状況だった。 「ただ、韓国人には留学ビザが下りていたんです。22年になってから日本人にもビザが発給されるといううわさが流れ、思いきって志願することにしました」  大学の成績や論文、学習計画などの書類を提出し、面接に臨み無事合格。受け入れ先も第一志望の清華大学に決まった。英教育誌タイムズ・ハイヤー・エデュケーション(THE)による2023年版の世界大学ランキングで、アジア圏トップに躍り出た名門大だ。  会社を辞め退路を断っての決断だったが、2月に内定がでているのになかなか受け入れを許可する通知が届かない。22年の8月末にやっとビザ発給の通知が届き、9月にあわただしく中国に旅立った。政府が手配した隔離施設での10日間の隔離に加え、清華大学のホテルで4日間、寮の個室で7日間、計3週間に及ぶ隔離生活をおくる。 「隔離施設に比べて、大学のホテルや寮は食事などの待遇がかなり良かったですね。部屋に着いたらウェルカムのお菓子が置いてあり、サポートも充実していて孤独を感じずにすみました」  中国のキャンパス事情に詳しい加藤氏はこう話す。  中国各地の主要大学は広大で学生は全国から集まりますから、ほとんどの学生がキャンパスにある寮で生活します。朝8時から始まり夜9時まで続く授業もあるので、学生にとってもそのほうが都合がいい。友人とのつながりも宿舎で生まれることが多いです」   キャンパスにはスーパーやコンビニ、美容院や病院もあるので、キャンパスが封鎖されたとしても、十分生活はできるという。 清華大学の学生食堂内には火鍋屋も(佐藤さん提供)  佐藤さんが合わせて20日間余りの隔離を終えいよいよ教室に行くと、誰もマスクをしていないことに驚いた。 「北京ではまだはやっていなかったですし、隔離された状態で、感染者がいないのならマスクをするまでではない、という考え方なんです」  佐藤さんは、韓国人留学生のルームメートとすぐに仲良くなった。週に4回、1コマ100分の授業を2コマ受け、その後は同級生たちと食堂へ行ってランチをしたり、図書館で一緒に勉強したりして過ごす。日本語を学ぶ中国人学生を紹介され、一緒におしゃべりをしたり、お互いの文章を添削したりして語学力を磨いた。 「やはり対面授業は充実しています。発音の間違いをすぐその場で教師に直してもらったり、気軽に友達とコミュニケーションをとったりできました」  当時、北京市内は自由に行動できたため、繁華街に出かけてお茶を飲んだり、ちょっとした買い物を楽しんだりしていたという。 ■突然の寮ロックダウンでも、大学のサポートは充実 ロックダウンが始まったとき、寮の部屋の前に置かれていた隔離セット(佐藤さん提供)  しかし11月中旬から風向きが変わってきた。北京でもぽつぽつと感染者が出始め、キャンパスからの外出が禁止に。 「5~6月ごろの政策が一番厳しい時期のロックダウンを経験した同級生がいて、またそういう事態になるかもしれない、と不安がっていました」  同時期に大学でも感染者が出て、教員やスタッフ、学生ごとに区画や食堂が分けられ、キャンパス内でも移動が制限されるようになった。11月下旬には対面授業からまたオンライン授業に。12月に入ると、佐藤さんの寮の学生にも感染者が現れ、その日は棟から出ることが禁止された。 隔離セットの中身。これらに加え各自に四つずつ抗原検査キットが届いた。水はひとりにつき4本(佐藤さん提供) 「ある日突然、寮が騒がしくなり、どうやら隔離が始まったようだぞ、と。部屋の前に隔離グッズが配られていました。医療用マスクやゴム手袋、抗原検査のキット、水、カップラーメンなどが入っていましたね。大学のスタッフの方がZoomで相談に乗ってくれたりして、清華大の支援はかなり手厚かったです。ここにいれば最悪コロナになってもサポートが受けられるだろうという安心感はありました」 清華大学の図書館。空き時間はここで勉強して過ごした(佐藤さん提供)  最初の感染者が出た後は、またたく間にキャンパスに感染が広がった。クラスメートの8割以上が感染。教員もほとんど罹患し、連日400人あまりの感染者が出ているという情報も流れた。 「私自身、感染しなかったのが不思議なくらいです。ただ大学のサポートがあったのと、軽い症状の人が多そうだったので、あまり悲壮感はなかったですね。むしろ、かかったら仕方がないというあきらめに似たような気持ちでした。このあたりは、日本と空気感が似ているかもしれません」  秋学期の授業は最後まで対面に戻ることはなく、オンライン授業のまま12月末に終了。一方で政策は緩み、都市の封鎖もなくなってどこでも自由に行けるようになった。学内の感染者数も落ち着き、生活は元に戻っているという。  大学の授業は23年の6月までだが、佐藤さんはその後も中国に残ろうと思っている。佐藤さんが芸術大学に在学していた時の研究テーマは、中華圏のファッションだった。  「中国の文化が好きなんです。長い歴史があるので、物事をひもとこうとすると次々といろんな発見があります。ファッションも時代が変わるとガラリと様変わりし、日本にはない面白さがありました」  18年に大学を卒業しアパレル業界に就職。仕事をするなかで、アパレル業界の重要なステークホルダーである中国のことをより理解するためにも、大学までの学びをさらに深めるためにも、中国語を習得する必要性を感じての留学だった。 「清華大は理系のイメージが強いかもしれませんが、実はファッション研究が盛んな大学でもあるんです。コロナ禍の留学生活でしたが、キャンパス内には大きな図書館が8棟あったり、オンラインシステム上でもジャーナルが読み放題なので関心のあるファッション関連の文献を読み漁ったりと、それなりに充実した環境で過ごせていると思います。ただ、中国語の習熟度はまだまだ足りません。もう少しこちらにとどまり、語学をもっと鍛えようと考えています」 加藤隆則(かとう・たかのり)さん1962年東京生まれ。86年早稲田大学卒業後、北京言語学院大学院に留学。88年読売新聞社に入社。2005年から10年間中国に駐在し中国総局長上海支局長、編集委員を歴任。16年から汕頭大学ジャーナリズム・コミュニケーション学部の教授に就任。定年退職後22年から昆明分離文理大学院外国語学部で日本語の教師を務める。 (文・柿崎明子)
地方政治の現場が熱い! 有権者からのセクハラ対策など選挙戦で新たな動きも
地方政治の現場が熱い! 有権者からのセクハラ対策など選挙戦で新たな動きも ※写真はイメージです (GettyImages)  万年与党と万年野党が支配する緊張感ゼロの国会に、モウ我慢ならん。それなら自分が出るしかない! 4月投開票の統一地方選では、そんな候補者が増えている。いま、地方政治の現場が熱い。 *  *  * 「キャ~、かわい~」  今年1月、千葉県市川市で開かれた「二十歳の集い(旧成人式)」で、振り袖姿の女性たちが黄色い声をあげて、演説中の男性に近づいてきた。  演説をしていたのは、4月23日投開票の市川市議選に立候補する予定の野口淳(じゅん)さん。1級建築士で、所属するNPOでは市川市の街づくりをしてきた。政治の世界を目指したのは、新型コロナウイルスがきっかけだった。 「生活が苦しい人に食品を配るフードバンク事業を始めたら、民間のボランティア団体と市川市の行政が連携できていないことを痛感しました。『それなら僕が市川市政の中に入って、つながりをつくろう』と思ったのがきっかけでした」  演説では、生まれ育った市川市への熱い想いを語る。ただ、若い女性が「かわい~」と言っていたのは、残念ながら野口さんではない。お目当ては、横にいる愛犬のシロ。ソフトバンクのCMに出てくる白犬にソックリで、女性たちはシロを触りに近寄ってきたのだった。  シロは体重が40キロある雑種の大型犬だが、性格はおとなしい。誰からも愛される人気者だ。一方、「犬を政治活動に利用している」との批判もあるが、そうせざるをえないのだという。 「公職選挙法の規定で、任期満了日の6カ月前になると、僕の顔写真が入ったポスターは掲示できなくなります。それで、シロをイメージキャラクターにしたポスターを作って街中に貼りました。今では、市川市ではシロのほうが有名になってしまいました」(野口さん)  なお、任期満了日まで6カ月以内になっても、本人以外の政治家や著名人と2人以上で写ったポスターは掲示しても問題ない。政治の世界で「二連ポスター」と呼ばれる合法的抜け穴だ。野口さんも二連ポスターを制作するつもりだったが……。 ■規制多い公選法 新人候補に不利 「有名な政治家の知り合いもいないので、シロと並んだ二連ポスターを作ろうとしたら、選挙管理委員会から『動物との二連ポスターはダメです』と言われてしまいました」  公選法は公平な選挙を実現するための法律だ。ただ、時代に合っていない規制も多く、知名度を上げたい新人候補者に不利な法律だ。今年に入ってからは、公選法をめぐる“事件”も起きた。  4月23日投開票の東京都杉並区議選で、区の選管は、若年層の投票率を向上させるためにボートマッチ(投票マッチング)事業の準備を進めていた。これに対し総務省は今年2月、区の選管が主体となったボートマッチは、公平性の問題から公選法に抵触する可能性を指摘。事業断念に追い込まれた。  ボートマッチはドイツやオランダなどでは公的な団体が実施していて、選挙期間中では当たり前の光景だ。それが日本ではできない。杉並区関係者は「投票率を上げたくない政治家がそれだけいるということ」と嘆く。  政治家の新規参入を妨げる規制はいつまでたっても改善されない。そのため、日本の政治は遅れてしまっている。  内閣府の「全国女性の参画マップ(地方議会編)」によると、全国に1741ある市区町村議会のうち、女性議員がゼロの議会は全体の15.8%にあたる275。女性議員が比較的多い市区議会でも、女性が占める割合は17.5%だ。  国会議員はもっとひどい。2021年10月の衆院選当選者のうち、女性が占める割合は9.7%。世界各国で女性議員の比率が増えるなか、日本だけが横ばいだ。ちなみに、日本で初めて女性の国会議員が誕生したのは1946年。39人の女性が衆院選で当選し、割合にすると8.4%だった。それから77年経つが、日本の女性議員の比率はほぼ変わっていない。  台東区議会議員で、女性議員のためのネットワーク団体「ウーマンシフト」の本目さよ代表理事は、女性の政治家が少ない理由を、こう話す。 「そもそも政治家になろうと思う人が少ない。なろうとしても、なり方がわからない人が多い。女性の政治家で、若い人が憧れるようなロールモデルがいないことも影響していると思います」  議会や役所は典型的な男性社会。パワハラ、セクハラも多く、無事に当選できても、2期目はあきらめる女性議員は後をたたない。本目さんの調査によると、15年の統一地方選挙で当選した東京23区の新人女性議員のうち、約3割が2期目の出馬をあきらめていた。  そこでウーマンシフトでは、政治を志す女性や現職議員向けに、勉強会やワークショップを開催している。そこでは、選挙活動や議会活動の知識やスキルから、有権者からのセクハラ対策まで、様々な学びの場を提供している。その活動を通じて、本目さんは女性が政治を学ぶ場所が少ないと感じている。 「政策を実現するためには、決定権を持っている議員にあらかじめ根回しをしておくことも必要です。これは民間企業でも必要とされる広い意味での政治技術なのですが、今の日本では、女性が仕事で政治的な経験をする機会が少ないのです」 ■女性が増えると質問内容変わる  ドイツの宰相ビスマルクは、「政治とは妥協の産物であり、可能性の芸術である」との言葉を残した。むしろ「妥協こそが政治」ともいえる。本目さんは言う。 「議会で女性が発言する機会が増えると、保育や教育、福祉といった生活に密着した議題が増えると言われています。もちろん、男性議員でも子育てに参加している人は積極的に日々の生活の課題について質問しています。地方議会では生活者の目線のある議員がもっと増えてほしい」  新しい政治家を増やすにはどうすればいいのか。そこで欠かせないのが、政治活動を支えてくれる支援団体だ。国政政党であれば、業界団体は自民、創価学会は公明、労働組合は立憲民主や国民民主といったすみ分けがある。地方議員の第一歩は、規模は小さくとも支援者を組織することにある。  今回の統一地方選では、既存の枠組みにとらわれない形で議員を目指す立候補予定者もいる。  杉並区議選に緑の党グリーンズジャパン公認で立候補を予定しているブランシャー明日香さんは、気候変動問題対策を公約の柱に掲げた。ブランシャーさんは言う。 「気候変動対策というと国や大企業がするものと思われがちですが、一人ひとりの意識の変化が大切。杉並区でやれることはたくさんあります」  ブランシャーさんが手がけているのが「オトナカフェ」だ。気候変動問題をはじめとする様々な政治課題について、大人たちが真面目に楽しく議論する場を提供している。  3月19日に開かれたオトナカフェには、未就学児から60歳以上の高齢者まで、14人が集まった。名付けて「ミニ気候市民会議」。進行役のブランシャーさんが、参加者にこう呼びかけた。 「杉並区では、CO2(二酸化炭素)の総排出量のうち、52.8%が家庭から出ています。今日は、それをどうやったら減らすことができるかをみんなで考えましょう」  まずは、参加者が思い思いのアイデアを出し合う。突飛な提案でも、否定しないのがルールだ。 「焼却の時にエネルギー消費量が多い生ゴミを減らそう」「断熱効率を良くするためにガラスを二重にしよう」など、CO2排出削減の具体的なアイデアが次々に出てくる。  次は、そのアイデアを周囲の人にどうやって広げていくか。最後に、自治体や政府などの公的な団体に実現してほしい政策について話し合う。  すると「避難訓練みたいに、CO2削減を学ぶ日を杉並で制定しよう」「CO2削減に協力した人にエコポイントをプレゼントしよう」などといった具体的な政策が次々に出てきた。オトナカフェは1時間半の短い時間だったが、ブランシャーさんは「私の政策に採用したいぐらい、良いアイデアがたくさんありました」と満足そうだ。  気候市民会議の発祥は英国やフランスなどのヨーロッパで、19年から広がり始めた。  業界団体の支援を受けた議員で構成された議会では、利害関係が複雑で大胆な政策転換が難しい時もある。気候市民会議は議会の弱点を補完し、市民の声を政策に直接反映するための試みだ。メンバーはくじ引きで選ばれ、最後は性別や年齢などのバランスを調整した上で決定する。  ブランシャーさんは、気候市民会議について学ぶため、昨年8月にパリに行き、運営メンバーの話を聞いた。そこで学んだのは、ていねいに議論することの大切さだ。それを日本でも広げていきたいと考えている。 「選挙で大事なのは、投票に行くまでの過程だと私は思っています。オトナカフェもその一つ。いろんな人と政策課題について議論をして、誰に投票するかを決める。『選挙っておもしろい』と感じてもらって、投票した後も政治に関心を持ち続けてほしい」(ブランシャーさん) ■政治家支援の新しい動きも  政治家を支援するネットワークづくりを模索する動きもある。  24年度に改正が予定されている介護保険法について、現在政府内で議論が始まっている。そこでは介護サービスを利用した際の自己負担割合が2割(現行は原則1割)になる対象者を拡大することなどが議論されている。  これに異を唱えたのが、若者時代に国家権力と闘った団塊世代のグループ「アクション『介護と地域』」だ。事務局長の前田和男さん(ノンフィクション作家)はこう話す。 「今回の介護保険法改正の問題を広く知ってもらい、また、高齢化する日本の社会のあり方を考えてくれる政治家を一人でも二人でも増やしたい。組織を作ったといっても、我々が選挙に出るわけではありません。地域から日本の介護を考える運動をしていきたい」  支援を受ける一人である東京都の佐藤司さんは、れいわ新選組公認で北区議選(4月23日投開票)に出馬する予定だ。自身も介護事業所を経営し、北区の介護保険行政に疑問を呈する。 「高齢者の生活支援などを市町村が展開する総合事業について、北区の報酬は特に低い。事業者の経営は厳しく、このままでは北区内の約6500人の要支援者の介護サービスが低下して、介護難民が増えます。3年ごとに、上がり続ける介護保険料も問題だと考えています」  地方自治は、「民主主義の学校」と言われる。これまでの政党任せ、現職有利、選挙戦では選挙カーで叫ぶだけの政治から、民主主義を自分たちの手に取り戻す。日本を変えるには、まずは足元から。熱い戦いはすでに始まっている。(西岡千史)※週刊朝日  2023年4月7日号
会社のために人生を我慢しなければいけない日本 アメリカにはない無茶な転勤制度
会社のために人生を我慢しなければいけない日本 アメリカにはない無茶な転勤制度 転勤に伴う引っ越しで大変な人も多い時期。働く場所や住む場所を自分でコントロールできない転勤制度について、見直す動きも出ている(写真/gettyimages)   4歳の長男は今日もご機嫌斜めです。幼稚園でいちばんのお友だちが、お父さんの転勤で遠方に引っ越してしまったからです。  幼稚園はもう春休みだというのに、毎日のように友だちの名を口にします。「なんでAくん引っ越しちゃったの?」「この車、Aくんに見せたかったのに」。A君のお母さんによると、A君本人はすっかり新天地に慣れて寂しさはひとかけらも見せていないそうで、未練がましいのは私の息子だけです。私も最初は息子のいじらしさに涙し、そうだね、寂しいよね、なんてなぐさめていたのですが、それが数週間も続くといい加減げんなりします。「しょーがないでしょ、Aくんのお父さんの会社が決めたんだから! またすぐ会えるってば!」  でも、4歳児にそんな理屈は通用しません。いや、大人にだって納得し難いものです。一体どうして転勤しなきゃいけないの? 転勤の必要性とはなんだろうか? 得意先との癒着を防ぐためとか、社内機密情報を知りすぎないようにするためとか、将来管理職になるには各支店で人間関係を構築しておくべきとか、もっともらしい理由は色々つけられますが、転勤がなくたって汚職する人はするし、人望を得られる人は得られるでしょう。一箇所に留まっていると社員はダメになるという考えは、会社が働き手を信用していない証拠ではないかと思います。  転勤は、弱い立場の人間に集中するともいえます。家を買った途端に転勤を命じられたなんてグロテスクな話をよく耳にしますし、新人の転勤もよく行われます。同じ部署で職場結婚したら夫婦ふたり、あるいはどちらかが転勤しなければならないという話も聞きます。「転勤するくらいなら辞めます」とは言いづらい立場の人たちに辞令が出されるわけです。  私自身の話をすると、5年半務めた会社では計3回転勤を経験しました。同期の中でも多い方だったと思います。初めて転勤を言い渡されたのは入社してわずか3カ月目。会社は京都と東京にあり、東京に配属されたと思ったら6月の半ばに「2週間後に京都へ行ってくれ」と言われたのです。これから大都会東京で、摩天楼の間をヒールでコツコツ闊歩し、休日はあれこれお出かけしようとガイドブックまで買い込み、期待に胸を膨らませているときでした。人事の部長さんは「京都もええとこやで、キミ大学が大阪やさかいすぐ慣れるやろ」と笑っていましたが(きっと会社のほうでもそういう配慮があったのでしょうが)、私の目の前は真っ暗でした。京都が嫌とか東京が好きとかではなくて、わくわく積み上げていた公私の計画を一太刀でなぎ倒されるような理不尽を感じたのです。会社って怖いところだと、入社3カ月目の若造は恐れおののき、絶望しました。  それから2年半経ち、京都にもすっかり慣れたなと思っている頃に2回目の転勤を告げられました。2回目はすっかり慣れたもので、3回目ともなるといい機会だとばかりに当時交際していた夫と結婚することを決めました。会社に何を言われても平然と受け止める、それがカッコいい社会人のありかただと思っていたのです。でも今振り返ると、初めて転勤を言い渡されて泣きべそをかいていた新入社員のときの姿のほうが、人として自然な感情を抱いていたように思えてなりません。  3回目の転勤に付き合ってくれた夫はアメリカ人です。アメリカの会社には、私たちが知る限り日本のような転勤制度はありません。夫自身は父親が海軍に勤めており、アメリカ国内と海外合わせて18年間で7回引っ越したのですが、それはアメリカの中でも特殊な例だそう。navy brat(親が海軍の子)とかmilitary brat(親が軍の子)という言葉があるくらいで、「ご出身はどちら?」と訊かれたときに「自分はnavy bratだから」と言うと、「生まれ故郷がどことは言えないくらい引っ越しが多かったのか」と察してもらえるそうです。みな転勤が頻繁にあることを承知済みで志願しており、だからといって「知ってて入ったんだから文句を言うな」というわけではなく、家族ぐるみで引っ越しを繰り返すことへのケアがしっかり行われます。金銭面でのサポートはもちろん、引っ越しのたびにコロコロ変更する必要がないよう軍関係者専用の保険や銀行があり、軍関係者専用のスーパーで故郷の食べ物が手に入り、子どものためにデイケアや学校も用意されています。とにかく「転勤が多い分あなたと家族の人生を支えます」という姿勢がうかがえるのだそうです。それくらい、雇用主の都合で住まいを転々とさせることは働き手の負担が大きいということなのでしょう。  日本の会社は、そこまで面倒を見てくれるでしょうか。引っ越しに伴う生活面のサポートを、社員の配偶者(主に妻)にお願いしていないでしょうか。転勤のないエリア総合職や地域限定職は、昇進や昇給まで限定されていないでしょうか。私も日本の企業に勤めていたときは転勤を「我慢して当たり前」「我慢してこそ評価される」と思い込んでいましたが、アメリカの文化を知るとそれはまったく必要のない我慢だったなと思います。慣れ親しんだ土地を強制的に移動させられるなんて、人として嫌で当然です。「なんでAくん引っ越しちゃったの?」と嘆く4歳児を見ていると、初めて転勤を言い渡された当時の素直な悲しみを思い出します。 〇大井美紗子(おおい・みさこ)ライター・翻訳業。1986年長野県生まれ。大阪大学文学部英米文学・英語学専攻卒業後、書籍編集者を経てフリーに。アメリカで約5年暮らし、最近、日本に帰国。娘、息子、夫と東京在住。ツイッター:@misakohi ※AERAオンライン限定記事
“金持ち”と“貧乏シニア”の二極化に備える 現役から備えたいリタイア後の生活
“金持ち”と“貧乏シニア”の二極化に備える 現役から備えたいリタイア後の生活 リタイア後に向けた、現役時代からの備えが重要だ(撮影/写真映像部・東川哲也)  現役から、備えておきたいリタイア後の生活。“金持ち”と“貧乏シニア”の二極化が進むなか、今からできる準備、心構えは。AERA 2023年3月27日号より紹介する。 *  *  *  年金生活になれば、現役時代と比べて所得が減るのは必至。とはいえ、老後に備えて貯蓄してきた人たちが大半のはず。シニアはお金をため込んだまま使わないというイメージも抱きがちだ。しかし、そういった先入観と現実との間には、大きなギャップが存在する。  実は、高齢になるほど貧富の格差が深刻化しているのだ。それを裏付けるのは、金融広報中央委員会が公表した「家計の金融行動に関する世論調査(2人以上世帯調査)2022年版」だ。まず、3千万円以上の金融資産を保有している人の割合は60代が20.3%で、70代が18.3%だった。  一方、金融資産を保有していない人は60代が20.8%、70代が18.7%だった。“金持ちシニア”が2割前後に達している傍らで“貧乏シニア”も同程度を占め、二極化が顕著なのだ。 「ここ十数年、貯蓄ゼロ世帯の占める割合がジリジリと増えているという印象は抱いていました。しかも、必ずしも低収入だから貯蓄ゼロに陥るというわけではなさそうです。高収入であっても、使い切ってしまう人もいるということでしょう」 AERA 2023年3月27日号より ■40、50代の不安大  こう語るのは、ファイナンシャルプランナーの菱田雅生さん。こうした実態を肌感覚で察知しているのか、老後の生活に関する質問では、世代を問わず不安を抱く人の数が圧倒的だった。同調査では、「多少心配である」と「非常に心配である」との回答の合計値は、まだ老後が先の話である20代でも75%超。子育て期で出費がかさみがちな40代では、実に約87%に上った。  心配している理由については、「十分な金融資産がないから」(68%)が最多で、「年金や保険が十分でないから」(52.1%)がそれに次いだ。少子高齢化で給付額の減少が避けられないだけに、現役世代の公的年金に対する不安は大きい。「年金でさほど不自由なく暮らせる」と答えた人は70代が11.2%だったのに対し、50代は6.3%、40代は6.1%にすぎない。 AERA 2023年3月27日号より  40~50代のほうが20~30代よりも公的年金に対する期待が低いのは、年齢を重ね老後のことが現実味を帯びてきているからだろう。単に不安がるばかりではなく、何らかの自助努力が必要だと考える人も増えてきている。また、元本割れの可能性がある半面、高収益を期待できる金融商品に対する意識についてもヒアリング。「積極的に保有しようと思っている」もしくは「一部は保有しようと思っている」と答えた人は、13年の調査で15.8%だった。 ■高まる投資意識  だが、20年の調査から急増し、今回は49.3%に達している。その背景には、金融庁の金融審議会「市場ワーキング・グループ」の調査報告が物議を招いたことがある。いわゆる「老後2千万円問題」で、公的年金だけでは30年間で約2千万円が不足すると世間では受け止められた。その結果、自分でも何らかの投資を始めるべきだという意識が高まった。  もっとも、闇雲に投資を実践したからといって、着実な成果を期待できるわけではない。自助努力で確保すべき老後資金の金額にも、少なからず個人差があるだろう。目標額の算出方法について、菱田さんは計算式で「予定される収入や資産」−「予定される出費」=「不足額」と示してくれた。 「蓄えておくべき老後資金の計算式自体は非常にシンプルなのですが、老後に予定される収入や資産の状況についてきちんと調べる必要があります。また、老後の支出も生活費の想定だけにとどまらず、子どもの結婚資金援助や家のリフォーム費用など、まとまった出費も見積もっておきます」  大病を患った場合の医療費や、自立生活が困難となった場合の介護費用も念頭に置きたい。ただ、医療費は「高額療養費制度」で自己負担がかなり抑えられるのも確か。介護にしても、「施設入居を迫られない限り、介護保険のカバーで自己負担は限定的」(菱田さん)と言える。 (金融ジャーナリスト・大西洋平) ※AERA 2023年3月27日号より抜粋
中学受験の“不合格”で母親が「無気力症候群」に 受験うつ専門医に聞く、親が結果を引きずる背景とは
中学受験の“不合格”で母親が「無気力症候群」に 受験うつ専門医に聞く、親が結果を引きずる背景とは 写真はイメージです(Getty Images) 2023年度の首都圏中学入試の受験者数は、過去最多の6万6500人。一層の激戦のなか、希望通りの合格をつかめなかった家庭も少なくない。受験のメンタル面での悩みに向き合う心療内科「本郷赤門前クリニック」の吉田たかよし院長によると、受験生本人よりも親のほうが残念な結果を引きずってしまい、無気力になるケースがあるという。 * * *  志望校に合格できず心が沈むのは、ごく正常な気持ちの動きです。中学受験は親の役割が非常に大きいですから、挑戦した本人はもちろんのこと、全力で伴走した親だって、悔しくないはずがありません。ただ、結果にとらわれすぎてメンタルを悪化させてしまうと厄介です。  実際、親御さんのほうが受験結果を引きずってしまうケースが多いのです。私のクリニックに訪れる動機は子どものメンタル面の不調ですが、よくよく話を聞くと実は親がトラブルの震源地ということがよくあります。  通常の思考ができずに暴言を浴びせてしまい、子どもを追い詰めるというケースもありますが、気持ちの回復が追い付かずに、うつ症状を引き起こすこともあります。目立つのは、母親の「無気力症候群」です。食事を作ったり、掃除をしたりといった日常のことができずに放置し、家の中が荒れてしまうというケースが少なくないのです。 ■中学受験の目的とは  この無気力の要因は何か。中学受験は、受験生はもちろん、親も総力戦です。自分の時間を犠牲にして、塾の送迎やお弁当作り、教材のプリント整理、勉強の補助、志望校選びなど、全エネルギーを費やして挑むわけです。それが受験終了を境にプツンとやることがなくなるので、立ち止まってしまう。  本来、親には、思春期に向かう子どもの全人格的な成長を支えるという幅広い役割があるはず。ところが、試験に受かるか落ちるかの究極の二元論で成り立つ刺激的な世界に慣れてきたので、結果が明らかな形ですぐには出ない長期的な子育てに、物足りなさを感じてしまうわけです。そこに、不合格、という現実。これまでの労力は一体何だったのかという失望から、ますます意欲がそがれてしまうのです。 「本郷赤門前クリニック」の吉田たかよし院長(画像=本人提供)  受験にのめり込んだ動機が、親自身の承認欲求を満たすことにある人ほど、無気力になるケースが多いように見受けられます。父親の浮気で夫婦は不仲、プライドがむしばまれた母親は、子どもを難関校に合格させることで自己を満たそうとする。また、学生時代に学業に力を入れてきた母親が自身の夢を子どもに託し、有名中学に入れなければという強迫観念を抱いてしまっている。あるいは、学歴が高い受験エリート組の親が、わが子も超難関校に入るのが当然で失敗はあり得ないという思考回路に陥る……。いずれも実際にあったケースですが、子どもの合格が親の人生の全てになるので、こういう場合は受験に落ちてしまったときのダメージが、より大きくなるわけです。  心を空っぽにしないためにも、やはり、何のための中学受験なのか、そこが揺らいではなりません。中学受験は、大学受験の予行練習であるという意味合いが大きい。だからこそ、結果よりも、わが子はチャレンジ精神を養えたのだと捉えるべきでしょう。私のクリニックの調査では、中学受験でネガティブな感情を植え付けてしまうと、その後くすぶり続け、6年後の受験で3倍ものストレスになって親子に出てくるというデータが出ています。 ■結果を引きずらないために  次の目標へ向かうには、まずは、自身の気持ちを真正面から受け止めて、一旦ズーンと落ち込むことです。ショックの大きさから気持ちにふたをして、仕事など別のことに猛進してしまうことがありますが、曖昧にするのが一番よくない。結局、しこりのように暗い気持ちが残り、切り替えられません。  涙を流すことも、ストレスを打ち消す作用があります。親子一緒に泣いていいのです。よく、子どもの前でがっかりした姿を見せてはいけないと、無理に明るく振る舞おうとする親御さんもいますが、逆効果です。自身も気持ちがすっきりしませんし、受験勉強で高度な国語の物語文を読んで鍛え続けてきた12歳は、心情リテラシーが高い状態です。はれ物にでも触るように気を使いすぎると、子どもはかえって、親を悲しませているという心理的な負担を感じてしまうこともあります。  そして一定期間、親子ともに休みを取ることが大切です。4月からの新しい生活が始まるまでの期間を、充電時間にしましょう。その際に心がけることは、気持ちの持ち方です。受験に落ちてつらいから休むという現実逃避ではなく、4月から次の目標に向けてリベンジする、回復のための休みとポジティブに意識づけることです。あまりの悔しさから、結果発表の翌日には勉強を始めるという極端な行動をとる人もいますが、その無理は次第にストレスに変わってしまいます。休むことで、人はポジティブになれます。  とくに旅行はおすすめです。場所が変わると、メンタルが好転することもあります。できるだけ自然に触れるとよいでしょう。都会のレジャースポットではなく、海や山などの大自然に飛び込むことで、人工物にはない脳に優しい線や形、たくさんの緑を目にして心の安らぎが得られます。 ■親子で取り組む強さ  前を向くには、親子が一緒に取り組むことがポイントになります。多くのご家庭を見てきましたが、朝ごはんをみんなで食べる家庭では、受験の局面でもメンタル不調を起こしにくい。週末に家族みんなでスポーツやキャンプに取り組むといったことでもよいでしょう。携帯やSNSで常に個々の時間を過ごしているよりも、家族のネットワークのなかにいることで、心が安定します。  ときに、よい結果をつかめなかったわが子が腹立たしく、かわいく思えないという悩みも聞きます。ただそれは、根本的に子どもを嫌いになっているわけではなく、労力やお金をかけた分の空しさから起きる一時の感情です。また、受験期は親子関係が異常になっているケースも多いものです。わが子が勉強さえやって成績さえ上がればと、親はまるで子どもの家臣のように何でもやる。合格という結果が得られなかったうえにその関係性が続くと、親自身もさすがに子の態度に嫌気がさしてしまうわけです。  こうした場合も、生活を見直すことが関係修復につながります。中学受験期は、勉強以外の要素をそぎ落とし、いわば健全な生活が壊れている状況ですから、リセットする必要があります。料理や掃除に一緒に取り組むといった親子の触れ合いから、愛情はまた深まっていくものです。 (AERA dot.編集部 市川綾子)
佳子さま お引っ越し3月末の「期限」まで数日 「きちんと説明し、堂々とお使いになればいい」と専門家
佳子さま お引っ越し3月末の「期限」まで数日 「きちんと説明し、堂々とお使いになればいい」と専門家 3月16日、偕楽園(水戸市)で左近の桜の植樹式典に出席した佳子さま  活躍の目覚ましい秋篠宮ご一家。注目度が高いだけに、ご一家の一挙手一投足に視線が注がれる。佳子さまの「お引っ越し問題」もその一つだ。宮内庁サイドは、引っ越しのめどについて今年度中としているが、はたして――。 *  *  *  赤坂御用地にある秋篠宮本邸は、2022年9月30日に改修工事を終えた。プライベートな生活の場である私室部分の荷物も徐々に運び出され、秋篠宮ご夫妻と悠仁さまの生活や公務での活動も、新居に移っているという。  ご一家の引っ越し状況について宮内庁に問い合わせても、 「改修後の御本邸並びに御仮寓所(ごかぐうしょ)の私室部分の具体的な使われ方については、私的な事柄であることから、お答えは控えます」  との返答のみだ。  御仮寓所とは、秋篠宮本邸の改修工事の間に暮らしていた仮の住まい。19年2月から秋篠宮ご一家が使われていた。  しかし、依然として佳子さまの引っ越しは終わっていないと見られている。 改修を終えた秋篠宮邸(2022年11月撮影)  この改修工事自体、秋篠宮さまは、国民への負担を思い、長年断り続けた末の工事だった。築50年となる旧秩父宮邸を利用した秋篠宮邸(00年に増築)は老朽化が進んでいた。眞子さんと佳子さま、悠仁さまも成長し、住居部分も手狭になった。見かねた宮内庁が増築を伴う改修を打診しても秋篠宮さまは、 「やめておきましょう」  と断り続けてきたのだ。  しかし、ここにきて佳子さまの「引っ越し問題」が注目を集めてしまった。  騒ぎが大きくなった背景には、宮内庁側の説明に一貫性がないこと。そして、秋篠宮家から、きちんとした説明がないことだ。  秋篠宮邸が改修工事に入ると宮内庁が発表したのは、19年2月のこと。その際は、本邸の改修工事が終わった後に、仮住まいの御仮寓所が私室部分にも使用されるとは、ひと言も触れていない。各紙の報道にも、 「ご一家が宮邸に戻った後は、事務所と収蔵庫として使用される」  と、しっかりと記載されている。  宮内庁サイドが御仮寓所を「私室としても使う」と漏らしたのは、改修工事を終えた22年秋の報道陣への公開時だった。「御仮寓所を分室とし、私室も残る」と説明したのだ。 16日、植樹のためのスコップを持つ佳子さま。偕楽園(水戸市)にて  その後、秋篠宮ご夫妻と悠仁さまが改修を終えた秋篠宮邸で生活を始めても、佳子さまの御仮寓所での“分室暮らし”は続いていると見られる。  宮内庁も秋篠宮家も私生活であることを理由に、一切の説明をしない。しかし、めどといわれている「今年度中」があとわずかになっても、佳子さまが「引っ越しを終えた」という話は、いまだ聞こえてこない。  人間がひとり、別の建物で生活を続ければ、食事の世話に始まり、衣類の洗濯、部屋にとどまらずお風呂やトイレなど使用部分の掃除を行う人手も必要になる。食事を新宮邸で作っていたとしても、「分室」に運ぶ手間も必要だ。  秋篠宮さまが、「国民の負担になる」と改修工事を断り続けたのは、その費用も源流は税金だと認識しているからに他ならない。 16日、左近の桜の苗木に土をかける佳子さま(左)と大井川和彦知事。偕楽園にて  元宮内庁職員で皇室解説者の山下晋司さんは、こう話す。 「御仮寓所を佳子内親王殿下が引き続き使わなければいけないなら、当初の方針と違うわけですから、その理由をきちんと説明すべきです。社会情勢を鑑みるなどして、これまで改修をしてこなかったというのはご立派ですが、様々な方針変更に関しては、その理由がわかりません。これでは、臆測が生まれるのも当然で、国民の不信感も募ることになります」  皇族方のプライベートは、もちろん守られるべきだ。私生活に制約をかけられ、人生の多くを「公」に捧げてきた方々だ。生活のすべての原資が「税金である」などと追い詰めるべきではない。  しかし、説明のある部分とない部分の境界があいまいであれば、当惑が生じてしまう。山下さんは、こうも言う。 「秋篠宮同妃両殿下や長女の眞子さん、佳子内親王殿下は、平成の時代から多くの公務を担い、天皇を支えてこられました。このようなことで、臆測に基づいた批判が出てくるのは残念です。公私に関わらず、秋篠宮家にとって必要なら、宮内庁は国民に対してきちんと説明し、ご一家には宮邸の施設を堂々と使っていただきたい。批判を恐れて説明をしないと臆測を呼び、また批判に繋がるという悪循環になります」 (AERA dot.編集部・永井貴子)
「恋愛は頭の良くない子たちがするもの」 親からの“いい子の呪縛”から抜け出した女性たちの闘い
「恋愛は頭の良くない子たちがするもの」 親からの“いい子の呪縛”から抜け出した女性たちの闘い ※写真はイメージです。本文とは関係ありません(写真:Solovyova / iStock / Getty Images Plus)  婚活アプリをとおして出会った架(かける)と真実(まみ)。挙式を目前に控え、すでに生活をともにしている。しかし真実は婚約指輪を残して突然、消えた――辻村深月著『傲慢と善良』(朝日文庫)は、多くの謎とともに幕を開ける。  架は真実を探す。なぜ失踪したのか、いまどこにいるのか、ストーカーに狙われていたというがそれは誰なのか。そして、真実とはどんな女性で、これまでどのように生きてきて、何を思って架と結婚しようとしていたのか。過去の真実を知るたびに明らかになる衝撃の事実とは……。  真実を“いい子”だと思っていた架。本人にそう伝えたこともあるし、友人に会わせても「いい子じゃないか」といわれた。婚活アプリで知り合ったこともあり、ふたりの生い立ちに共通点は少なく、架は真実の過去を詳しく知っているわけではない。  親きょうだい、元同僚、そして真実が婚活で出会った男性たちにまで話を聞きにいき、架は自分と出会う前の真実を知っていく。そこには、“いい子”として生きてきたからこその善良さがあり、同じく“いい子”として生きてきたからこその傲慢さがあった。  真実と同じく“親にとっての”いい子として育ってきた女性たちに、これまで行き当たってきた壁について話を聞いた。親も年をとり、自分も社会的には“いい大人”になってもなかなか解けないのが“いい子の呪縛”のようだ。  両親ともに中学校の教師で、母親からの抑圧を強く感じながら育ったミフユさんは、「物理的な距離を取るしかないと思うんです」と語る。親元を離れるきっかけとして多いのは、まず進学や就職だろう。 「私は大学進学を機に、実家を出ました。ものすごい開放感でしたね。これでやっと自分をはじめられる、という気持ちでいっぱでした」  日本では、30、40代になっても子どもが未婚のうちは親と同居する率が高い。作中の真実も、そうだった。社会人になっても実家から職場に通った。それが30歳を過ぎてから唐突に、仕事を辞め、地元を離れて東京でひとり暮らしをはじめ、架と出会う。  失踪した婚約者の半生をたどる架は、「なぜ彼女は親元を離れたのだろう」と考える。そのことと、後の失踪とは何かつながりがあるのではないか?  とくに女性にとっては親と物理的、心理的な距離を取る大きなきっかけとなるのは、結婚だ。しかし、人間関係でつまづく“いい子”は、恋愛でも苦戦する。真実のように、「奥手」な女性も多い。  ユウナさんの例を見てみよう。 「私はずっと恋愛やセックスを、悪いことだと思っていたんですよね。家族でテレビを観ていてキスシーンが出てくると気まずい……っていうのはどこの家でもあると思いますが、うちでは恋愛映画は低俗なものという空気がありました。両親はSF映画が好きで、その様子を見て私もSF映画は恋愛映画より高尚というイメージを持つようになり、ひいては恋愛って、言葉が悪いんですけど、あまり頭のよくない子たちがするもの、と思っていました」  10代のころユウナさんは、「メイクやファッショにはまるで興味なく、メガネに短髪で、まるでのび太くんのようだった」そう。両親は、一般的に「カタい」といわれる仕事に就き、教育熱心。思春期まっただ中で恋愛に一喜一憂したりラブコメ映画の話題で盛り上がるクラスメイトのことを、ユウナさんは冷めた目で見ていた。  しかし20代半ばになったころ、両親から急に「いい人はいないの?」と尋ねられる。 「話には聞いていたんです。恋愛の話がタブーだった家でも、子どもが20代になると親は突然結婚を急かすようになるって。本当だったんだ~、と思いましたね。そんなこと急に言われても、恋愛も結婚も自分とは無縁で一生しないという気持ちは変わらない。でもそのときに、私のなかで親への反発心がむくむくと大きくなったのを感じましたね」  ユウナさんがそれまで恋愛経験がゼロだったのは、親がそう望んだ結果でもある。  作中の真実も、同じだ。交際経験も、セックスの経験もほぼゼロ。なのに、30歳前後になると母親が結婚の話題を持ち出すようになり、真実自身も焦りはじめた。「突然、そんなこと言われても」という、真実と同じ戸惑いを抱えたことのある女性は、日本に数え切れないほどいると見て間違いない。それが本書への共感の嵐にもつながっている。 辻村深月著『傲慢と善良』(朝日文庫)※Amazonで本の詳細を見る  結婚に向けて背中を押されても、“いい子”は何からはじめればいいかもわからない。そこで真実は親の伝手を頼り、お見合い相談所に登録するのだった。  マイさんの両親は、早く結婚することが女性の幸せという考えの持ち主だった。だから大学卒業後、大手企業の関連会社への就職をことのほか喜び、「すぐに大企業の男を捕まえてこい!」とけしかけた。しかしマイさんも恋愛経験ゼロ。自分に自信がなく、ちょっとでも好意的な態度を見せてくれる人のことをすぐ好きになった。 「別の部署の、29歳独身の先輩とデートするようになり、交際に発展……と私は思っていたのですが、同僚から『あの人、36歳で3児の父親だよ』と聞かされました。ひどい嘘だとは思うけど、気づかない私も私ですよね。しかもモラハラ気質なので、すぐには別れられずにずいぶんこじれました」 “いい子”は処世としての嘘や計算に慣れていない。それは、恋愛していくうえであまりに不利だ。いうまでもなく、結婚相手を探すうえでも。  本作のもう一人の主人公・架は、個人で結婚相談所を営む小野里という女性を訪ねる。真実が親の伝手で登録していた紹介所で、架の目的は真実がそこから紹介されて出会った男性たちのことを知ることだったが、小野里の口から語られる真実の話に、また知らない一面を見た。  話を、“いい子”の結婚に戻す。マイさんは幸運な例だろう。  ネット通信を通じて現在の夫と知り合う。彼は、マイさんの親が過干渉であることを早々に見抜き、「嫁入り前の娘がひとり暮らしするのはダメと親からいわれている」と伝えると、「じゃあ結婚しよう」と話はとんとん拍子に進んだ。出会ってから結婚を決めるまで半年もかからなかった。新居に移ったマイさんにとって、毎日が驚きの連続だった。 「夜になっても、友だちと遊んでいいんですよ! 朝までカラオケをしても怒られない、というのが何より新鮮でした。親からはしょっちゅう電話がかかってきましたが、それを無視したり、小さな嘘をついてごまかしたりといったことも覚えていきました」  結婚して親離れし、はじめてひとりの人として認められたと感じていたマイさんだが、数年前にメンタルの調子を崩し、精神科にかかる。そこで親からの抑圧による影響を指摘され、現在はカウンセリングを受けながら子ども時代のことを振り返り、整理をしている。  作中の真実は、自分の意志で実家を出て上京した。架との結婚も決まった。ある意味、理想的な形で親離れできるかに見えた。そんな矢先の失踪だけに、架も真実の両親も「なぜ?」という疑問がことさら強く出てきたのではないか。  さて、「いい人いないの?」を機に、親への反発心がむくむくとわいてきたユウナさんの話に戻る。ユウナさんは成人した後、意外な行動に出る。 「就職してから、美容整形をはじめました。最初は歯の矯正からスタートして、お給料を貯めては手術を受けました。高校時代までは容姿に一切構わなかった私ですが、大学生になり、そして社会人になってルックスがいい女性のほうがていねいに扱ってもらえるということにやっと気づいたんですね。普通は10代で気づくものなんでしょうけど」  歯の矯正とはいうが、何本も抜歯するという大掛かりなものだった。ダウンタイムが6カ月かかる顎の手術を前に、会社を辞めた。 「親は、『なんで整形なんかするの?』『お金がもったいない』とはいいましたが、私のなかでは親が反対することをなんとしてでも成し遂げないと、自分の人生は生きられないという気持ちが強かったんです」  希望していた手術をひと通り終え、ユウナさんはいまの自分の顔に満足している。「のび太くん」の面影はもうどこにもない。そうすることで得たものはあるのだろうか。 「いい子って、ずっとマウントされている状態だと思うんです。親からはもちろんだし、どこにいてもマウントされる側に自分を置いてしまう。人が作ったルールに合わせて生きていくんです。それを楽だと感じていたときもあるけど、次第に世界が怖く感じられるようになりました。自分自身を生きていないから。それが、整形をして変わったんです」  整形完了後、ユウナさんはオンラインでつながった趣味の集まりによく顔を出した。会場に入ると、参加者の視線が自分の顔に集まるのがわかる。容姿がいいと、その場を支配できるのだとわかった。 「ルールに合わせる側じゃなく、ルールを与える側になれた、と思いました。マウントされている状況から抜け出すには、人によっていろんな方法があると思いますが、私にはそれが整形だった。いまはもう“いい子”じゃありません」 “いい子”が親離れするには、ドラスティックな方法が必要な場合もある。ユウナさんはそうだったのだろう。“いい子”の呪縛が断ち切る方法は、人それぞれだ。『傲慢と善良』の真実はどうだったのだろうか。  本作は、再生の物語でもある。真実は“いい子”として生きていくことの限界がきたから、すべてを投げ出して失踪したのではないか。さらにすべてを投げ出した真実が自分自身を生きられるようになるには、何が必要だったのか。  親と物理的、心理的な距離ができることで、親へのまなざしも変わる。母親は思ったよりダメな人だと気づいたと語るのは、ミフユさんだ。 「30代半ばをすぎたいま、母親とは壁を感じずに話せています。末っ子の私が独り立ちしてからは、母も荷が降りたのでしょう。私も母の重みを少しずつ感じなくなってきました。そうすると、あんなに立派で威圧的に見えていた母の、ダメなところが見えてくる。実は意外と社会性がないんだな、とか。親は親というだけで自分よりすごいと思っていたけど、そんなことなかった。よくも悪くも、母って普通の人だったんです」  本作は二部編成となっており、前半は架の目を通した真実が描かれ、衝撃的な事実が明らかになる。追い詰められた真実がとった驚くべき選択と、開放された真実が選び取った未来。“いい子”として生きてきた人にとっても、そうでない人にとても、人生で一番刺さる一冊になるだろう。 (取材・文/三浦ゆえ)
男性育休の推進企業に潜む「とるだけ育休」 取得率100%なのに“取得日数わずか数日”驚きの実態
男性育休の推進企業に潜む「とるだけ育休」 取得率100%なのに“取得日数わずか数日”驚きの実態 厚生労働省イクメンプロジェクト駒崎弘樹座長(写真/ワーク・ライフバランス)  昨年の出生数が80万人を割り込んだ衝撃を受け、少子化対策を巡る議論が国会で熱を帯びている。3月17日、岸田文雄首相は記者会見で、男性の育児休業の取得率の目標を2025年度に50%、30年度に85%に引き上げることを明らかにした。一方、4月1日から改正育児・介護休業法の施行により、従業員1千人を超える企業は、男性従業員の育休取得率を公表することが義務づけられる。それに先立ち、15日、「男性育休推進企業実態調査2022」の結果発表が厚生労働省で行われた。そこで繰り返し指摘されたのは育休取得率100%の企業でも取得日がわずか数日の「とるだけ育休」になっていることが少なくない実態だ。 *   *   * 「男性育休の取得率100%の企業でも取得日数には数日から約150日までと、すごくばらつきがあります。つまり、取得率が高いからといって取得日数が長いというわけではない。取得率が100%でも取得日数がともなわない『とるだけ育休』が存在することがうかがえます」  厚生労働省イクメンプロジェクトの座長で、認定NPO法人フローレンス会長の駒崎弘樹さんは、そう語った。  今回の調査結果は、男性従業員の育児休業取得を推進する141企業・団体の回答を分析したものだ。2021年度の全国の男性育児休業平均取得率は13.97%(厚労省調べ)なのに対して、今回の調査では59.7%(21年度)。企業全体と男性育休推進企業とでは取得率に大きな差があることを感じた。  男性の育休の取得率に大きな伸びがあったこともわかった(有効回答数92企業・団体)。20年度は52.0%だったが、22年度は76.9%と、直近の2年間で24.9ポイントも増加した(22年度は回答時点での見込みの数値。以下同)。  一方、平均取得日数については大きな変化がなく(有効回答数83企業・団体)、20年度は42.2日、21年度は35.4日、22年度は40.7日だった。  これらは、何を意味するのか。 2022年の男性育休の取得率と取得日数の分布 金融・保険の「とるだけ育休」  取得率と平均取得日数の分布を示した図を見ると、取得率が高い企業ほど取得日数が長いわけではなく、むしろ、取得率100%でも取得日数の少ない企業が目立つ。つまり、男性育休推進企業でさえも「とるだけ育休」が珍しくない実態が明らかになった。  特に取得日数の少なさが際立ったのは金融・保険業界で、22年度の取得率は平均97.9%と非常に高いものの、平均取得日数は、20年度は6日、22年度は11.0日だった。  その背景について、イクメンプロジェクトの委員で、ワーク・ライフバランス社長の小室淑恵さんは、「金融・保険業界の特徴として、長時間労働があり、長期では休めない風土がまだまだあるのが実態ではないか」と言う。  対照的に取得日数の伸びが大きかったのは建設・不動産・物流業界で、平均取得日数は20年度が8日だったが、22年度は22.6日と、約2.8倍に増えた。 「19年から働き方改革関連法(働き方改革を推進するための関係法律の整備に関する法律)が順次施行されてきましたが、建設・物流業界では24年度から労働時間の上限規制が適用されます。この業界では今、非常に頑張って働き方改革をしている。なので、ここ数年で大きな変化が生まれたと思われます」(小室さん)  結局のところ、「本当に社内で男性育休が定着しているのかを見極めるためには『当事者が希望する期間の取得ができたのか』『とるだけ育休になっていないか』といった点で情報を精査する必要があります」(発表資料から)。 ブラックな職場の指標に  男性育休取得の実態公表の意義を、先の駒崎さんは、こう語る。 「ただ単に育休、育休と発信している企業や業界は、『とるだけ育休』になっている、ということがだんだんと見えてきた。今の学生は就活の際、育休の取得日数を見るようになってきていますので、そのような表面的な対応を繰り返していたら、学生から選ばれなくなる。男性が希望する育休をとれないような職場、イコール、ブラックな職場、ということで、採用力がどんどん落ちて淘汰されてしまう。そのような時代になってくるのでは、と思います」 厚生労働省イクメンプロジェクト小室淑恵委員(写真/ワーク・ライフバランス)  その点、もっとも厳しい目が向けられているのが先に書いた金融・保険業界だろう。最近、三井住友海上火災保険は社員が育児休業をとった際に職場の同僚全員に3千~10万円の一時金を給付する制度を7月から始めると発表した。すると、同僚に気兼ねすることなく育休をとれると、インターネット上で共感が広まった。  今回の調査結果から職場の働き方改革と男性育休の取得日数の間には強い相関関係があることもわかった。 「働き方改革を職場全体で実施していると回答した企業の男性従業員の22年度の平均取得日数は33日なのに対して、一部の部署で実施していると回答した企業の平均取得日数は17日でした。約2倍の取得日数の違いがあるわけです」(駒崎さん)  つまり、男性育休の取得日数は、働きやすい企業を示す指標の一つになっているといえよう。 男性育休は少子化対策  そもそも、なぜ、男性が育休をとることが少子化対策に結びつくのか?  前出の小室さんは、出産数と夫の家事・育児時間の関係について、グラフを示しながら、こう説明した。 「これは厚労省のデータですが、第1子が生まれたとき、夫の家事・育児時間が長い家庭ほど第2子以降が生まれるということがわかっています。男性が育休を取得すると男性の家事・育児時間が延びる。そうした家庭ほど、第2子以降の出生が増加している。男性の育休取得が少子化対策の大きなかぎになる、ということです」  4月1日から改正育児・介護休業法の施行により、従業員1千人を超える企業は、男性従業員の育休取得率を公表することが義務づけられる。公表は厚労省が運営するサイト「両立支援のひろば」や自社のホームページなどで行われる。  しかし、だ。  平均取得日数の記載は任意である。これまで書いたように、育休の実効性は取得率と取得日数の両方が明らかにならなければわからない。  なぜ、国は取得率の公表のみを義務化したのか? 夫の家事育児時間と第二子以降の出生  筆者の質問に対して、厚労省雇用環境・均等局職業生活両立課の平岡宏一課長は、こう答えた。 「育休は取得率と取得日数のかけ算で求めた『積』が大事なポイントで、この面積をどう増やしていくか、というお話がありましたが、男性の育休取得率自体が低い状況なので、まずは取得率から公表するということで、この制度が導入されたものと承知しております」 なぜ、公表できないのか  ただ、国がどこまで意識したのかは不明だが、取得率の公表のみを義務化し、取得日数の記載は任意とするのは、企業に男性の育休取得を促すには効果的な方法かもしれない。  本当に男性の育休取得を推進する企業であれば、取得率と取得日数の両方を公表するだろう。しかし、取得日数を空欄にした企業に対しては「なぜ、公表できないのか」と、社会から圧力が働く。その結果、職場全体の働き方改革が迫られる。 「企業トップや人事部門からの声かけで取得率の向上はできますが、誰が休んでもまわる職場づくりができていないと取得日数は増えない、ということがわかった調査結果」と、小室さんは述べたうえで、全社的に働き方改革を行うと、必ず行き着くのが属人化の解消だという。  小室さんは、さらにこう続けた。 「同僚が普段から休めていないなかで育休をとると非常に肩身が狭い。ですから、特別な事情がなくても休める、お互いさまの風土がある職場をつくることが重要です。普段から、あの人にしかできない仕事とか、特定の人に情報が偏っている仕組みを改善することで、育休をとる人の肩身の狭さが軽減され、十分な日数の育休を申請できるようになると思います」 (AERA dot.編集部・米倉昭仁)
「学校に行くぞ」脅迫電話も 暴露系インフルエンサーの告発に端を発する「ネット私刑」
「学校に行くぞ」脅迫電話も 暴露系インフルエンサーの告発に端を発する「ネット私刑」 一度インターネットに掲載すれば、仲間内に発信した投稿もデジタルタトゥーとして残る。それは、「ネット私刑」の投稿も同じだ(撮影/小黒冴夏)  SNSに投稿した動画によって誹謗中傷を受けたり個人情報を晒されたりする事態が後を絶たない。未成年者が標的になるケースも。「ネット私刑」の問題点とは何か。AERA 2023年3月27日号より紹介する。 *  *  *  東日本大震災が発生してから12年を迎えた3月11日。ツイッターで1本の動画が物議を醸した。 <東日本大震災のこれを観て生きている方、とても嬉しいです。また死んでしまった人はお墓で聞こえないと思うが、ほんとに悔しいです(原文ママ)>  被災者をやゆするような発言を動画に収めて投稿したのは、埼玉県内の高校に通う男子生徒だった。動画はわずか30分ほどの間に40万回以上再生。瞬く間に炎上した。さらに、男子生徒の実名や学校の電話番号が晒され、批判や誹謗(ひぼう)中傷が殺到した。  事態を受け、男子生徒が通う私立高校はホームページに謝罪文を掲載。震災の犠牲者や遺族、被災者を傷つけたことを謝罪し、生徒指導を強化するとした。  動画が日本中に広まったのは、あるインフルエンサーの“告発”がきっかけだった。 <こんにちは!○○高校サッカー部の生徒さんがインスタで東日本大震災を生き抜いた方、亡くなった方に哀悼のメッセージを公開されていますが、炎上しそうなので消させた方がいいかもです!>(○○は学校名) ■ネット界の情報屋  同校の公式ツイッターに向けて、動画とともにそうツイートしたのは、「滝沢ガレソ」を名乗るインフルエンサー。170万人を超えるフォロワーを有し、“ネット界の情報屋”として知られている。  SNSで影響力を持つインフルエンサーは、ファッションやコスメ、グルメ情報などさまざまな分野に存在する現代のアイコンだ。そのなかに、いつからか「暴露系」「告発系」のインフルエンサーが目立ち始めた。 「暴露系インフルエンサーの存在感は日に日に増しています」  そう指摘するのは、ネットの誹謗中傷問題に詳しい国際大学GLOCOM准教授の山口真一さんだ。連日ワイドショーをにぎわせていた大手回転ずしチェーン「スシロー」でしょうゆボトルや湯飲みを舐め回すといった迷惑行為を追及したのもガレソ氏で、告発系のなかでもトップクラスの拡散力を持つ。山口さんは言う。 日曜日に掲載された学校の「お詫び」には、「本人を出して謝れ」との声も上がった。同校のSNSには3千件以上のコメントが寄せられている 「数百万回表示されているものも多く、へたなメディアよりも影響力がある。告発情報がたくさん集まるのは、警察やメディアよりも暴露系インフルエンサーのほうが身近な存在で、告発しやすい相手だからです」  過去には、老舗和菓子店の元社長が交通事故を隠蔽しようとしたことや飲食チェーンの衛生問題など、企業の不祥事を告発。いずれも謝罪に追い込まれた。 ■「ネット私刑」に発展 「企業内部の不適切な言動などが明らかになり、是正されるという点では社会的意義があると思います。ただ、犯罪性がなかったり、エンタメ性が高かったりするものは微妙なラインです」  と山口さん。たとえば、著名人にまつわる「暴露動画」で人気を集めて政治家に転身、15日に除名処分を受けた前参議院議員のガーシーこと東谷義和(ひがしたによしかず)氏(51)の告発動画は、エンタメ性を意識したものが多いという。一方で、ガレソ氏の場合は「企業の不祥事告発など意義があるものとそうでないものが地続きになっている」と山口さんは指摘する。 「今回の震災をやゆする動画を含め未成年者の顔がわかる状態で公開することは、青少年保護の観点からも問題があります。自分自身が持つ影響力の大きさを意識することが大切だと思います」  告発系インフルエンサーが一度“炎上”ののろしを上げれば、SNS上には数え切れないほどの批判が殺到する。誹謗中傷や個人情報の拡散といった「ネット私刑」に発展し、当事者や周囲の人たちの生活をままならなくさせることもある。 ■「制裁」への疑問も  実際、ガレソ氏の告発の影響は本人の手を離れたところに広まっている。 「ひっきりなしに電話がかかってきて、何件きたのか数えられません」  冒頭の男子生徒が通う学校の教頭は、そう打ち明ける。騒動以降、同校には苦情の電話が鳴り響いた。動画を見て傷ついたという声や、教育方針を批判するものなど100件以上にのぼり、なかには、 「当該生徒を出せ」 「学校に行くぞ」  などと脅迫めいた電話もあった。実際に来校したケースや生徒への直接の危害は確認されていないが、地元警察に相談し、在校生には下校時は複数名で帰るように指導もしたという。 「社会道義的に物議を醸すような発言をし、動画にしたという点を問題だと考え謝罪文を掲出しました。当該生徒はまだ学校に来ていませんが、『大変なことをしてしまった』とショックを受けています」(教頭)  男子生徒がアップした動画は、不快ではあった。視聴した多くの人を傷つけもした。だが、法律を犯したわけではない。はたしてこれほどまでの「制裁」を受ける必要はあったのだろうか。  公立高校で教員として働く20代の女性は疑問を投げかける。 「SNSに安易に載せる側にも問題はあり、内容的に批判されても仕方がないことかもしれません。ただ、生徒個人の情報をネットに晒したり、脅したりする行為は、これからいろんなことを学んで大人になっていく高校生に対して社会があまりに攻撃的すぎて、教育的ではない」  ネット上でも、犯罪性のない未成年者の行動を糾弾するのはおかしいとの指摘が相次いだ。それを受け、ガレソ氏も「未成年者に関するニュースは特に慎重に取り扱います」と運用方針の見直しを表明。アカウントの運用ポリシーについて取材を申し込んだが、返答はなかった。また、ガレソ氏の方針変更に対しても「つまらなくなる」「晒された子は良い経験になったと思って頑張ってほしい」などのリプライがつくなど、“私刑”は収まりそうにない。 ■やっていることは同じ  一連の晒し行為に問題はないのか。ネットの中傷問題に詳しく、ガレソ氏による告発の相談を受けたこともある清水陽平弁護士はこう指摘する。 「そもそもネット上に投稿されたものなので、それに意見すること自体は違法ではありません。ガレソさんはどこまで情報を書くのかを相当に配慮して投稿しているようで、権利侵害にあたるかと言われれば難しいものが多い。ただ、投稿を見た人が誹謗中傷をしたり、氏名や住所などを晒したりした場合はプライバシーや平穏生活権の侵害にあたる可能性があります」  前出の山口さんも言う。 「動画を投稿した本人が気軽にやったように、告発を見て誹謗中傷している人も深く考えずにやっている。同じ穴のムジナで、やっていることは同じです」  男子生徒の通う高校には、今も「お叱り」の電話が続いている。そんななか、福島第一原発事故による避難指示を受けた福島県双葉町に住むという人から、こんな電話もあったという。 「子どもを責めないで。当時4、5歳だったのなら、わからないこともあるでしょう。私が案内するから、折を見て親子で双葉町に来てください」 (編集部・福井しほ) ※AERA 2023年3月27日号
【Vol.17】教育にもデータを リアルとバーチャルを横断する新時代の学びへ/山口有次教授
【PR】【Vol.17】教育にもデータを リアルとバーチャルを横断する新時代の学びへ/山口有次教授 レジャーも教育も 限定的な体験こそが重要 畑山:2019年春にオープンした新宿キャンパスで学ぶビジネスマネジメント学群。山口先生は、2018年から学群長を務められています 。ご自身は、これまで「レジャー」をご専門に研究されてきたのですよね。 山口:はい。『レジャー白書』(公益財団法人日本生産性本部)をご存知でしょうか。全国調査をもとに、日本国内における余暇の実態を、需給双方の視点から毎年、総合的・時系列的にとりまとめた報告書です。私はその執筆を1990年から続けています。30年以上、レジャー産業界を見てきますと、いろいろと変化が起きているのがわかります。バブル直後から停滞期、そこから再び復活の兆しを見せ、「インバウンド」によって大きく飛躍したかと思ったら、コロナ禍が直撃……。このように、業界はかなり激しい変遷をたどっています。 また、「レジャー」には、スポーツやエンターテイメント、観光などの分野も含まれます。こうした分野は学生たちの関心が高いトピックです。それぞれの業界の変化を見ながら、授業を通じ、学生に理論的に伝えています。昨今、学群の卒業論文だけでなく、エンターテイメントを研究する大学院生が増えており、「レジャー」を研究対象として掘り下げることの意義や、認知度が上がってきたと実感しています。 畑山:コロナ禍を契機に、オンラインでの教育研究活動が急拡大しました。そこで話題に上るのが、「リアルで通う大学」の意義を、どう捉えていくか。「それは、エンタメだろう」って僕は思うんです。大学に来なければ体験できないものを、大学が提供しなければいけない時代に入っていく。たとえば、家庭にはない、大きな機材を用いる授業や、グループでリアルに取り組む必要のある研究、訪れると楽しいと思えるような空間――。そんなエンタメ的な要素が重要だと考えるのですが、山口先生はご専門の立場から、どう思いますか。 山口:強く賛同します。レジャー業界もまったく同様で、バーチャルに行き過ぎると、どこでも同じことが提供できてしまう。「その場所」「その瞬間」でしか味わえない、極めて限定的な時間が提供できてこそ、生き残れると思います。オンライン授業や、オンデマンドの学習も同様です。知識だけならウェブ上にいくらでもありますから。今後は、授業内でライブ性を持たせて、学長がおっしゃったようなエンターテイメント性を含めた学びをどう展開していけるのかという、高度で革新的なFD(=「ファカルティ・ディベロップメント」、大学教員の教育能力を高めるための実践的方法)が必要だと実感します。   あらゆるビジネスに応用できる テーマパークづくりのノウハウ 畑山:なるほど、心強いかぎりです。エンターテイメントといえば、山口先生は長年、「ディズニーランド」を研究対象として活動されていますね。 山口:遊園地やテーマパークは、人の動きや行動パターンが、ひじょうにはっきりしていて、研究対象としてわかりやすい。そのなかで経営的、空間的、人間工学的、あるいは心理的な側面で重要なノウハウが、数多く網羅的に盛り込まれている、極めて優良なケースがディズニーランドなんです。あらゆるビジネスの場で応用できますし、ひいては「生きていくための知恵」までも得られます。 ディズニーランドの集客技術について空間科学的に分析した著書『新ディズニーランドの空間科学 夢と魔法の王国のつくり方』(学文社) 畑山:とっても興味深いです。たとえば、どのようなノウハウがあるのでしょうか。少しだけ教えていただけませんか。 山口:たとえば、園内と園外を意識的に分けていますよね。園の周辺に土手や植栽、建物などを配置することで、中を見せないように、空間を区切っています。そうすることで、園内の人たちの心理的高揚を高める効果をつくり出しているんです。それから、バックヤードを見せないことや、入場者の回遊性、アトラクションとショッピングブースとの位置関係といった点に工夫を凝らすなど、さまざまなところに心理学的要素を含ませています。空間の作り方については、他の業種でもノウハウを生かせるのではないでしょうか。私は「テーマパーク論」という授業を受け持っていますが、そんな内容も含んでいます。 畑山:ビジネスマネジメント学群の先生方は、アカデミック出身者と、実業界出身者が半々ぐらいの割合でいらっしゃいます。知恵や経験、リソースが豊富にありますから、うまく回れば、これはとても大きな強みになると思います。 山口:おっしゃる通りです。広報、マーケティング、戦略担当、法律、会計……。まるでひとつの会社みたいに、いろんな専門家がおります。さらに、学群が新宿キャンパスに移ってからは、格段に企業と連携しやすくなりました。キャンパス内での実習・研修など、さまざまな教育の場を設けられます。 ビジネス分野の多彩な授業が開講される新宿キャンパス。「ビジネス演習(フードビジネスと料理)」は、食やフードビジネスに関する知識・教養を養うことを目的とする。この日の授業では、JA鹿児島きもつきからの提供食材を使った料理を味わい、畜産業に携わる生産者の思いなどに触れた データサイエンスを学び ARアプリや動画も制作 畑山:たしかに、新宿キャンパスは開かれた空間で、連携のハードルが低くなりましたよね。アクセスもひじょうに良い。その中で山口先生は、これから学群の舵をどう取っていきたいですか。 山口:学生たちに人気の高いエアラインのサービス部門、観光・ホスピタリティ・エンターテイメント、流通・マーケティング系の職業は、コロナ禍を経た現状でもニーズは衰えていません。これらに対応する多様なゼミを用意して、志望業界・業種を詳しく知ることができるよう、態勢を整えています。そこにまずはフォーカスしながらも、骨太で、基礎のしっかりとした、どこに行っても通用する学生を育てていくことに注力したいと考えています。 そのためにもいまは、DX(=「デジタル・トランスフォーメーション」、情報技術の浸透により、人々の生活を変革させる試み)が、学びにおいても欠かせない要素です。情報リテラシーと、データサイエンス分野に取り組む科目を充実させていきたいと考えています。 既に進行している例として、新宿キャンパスに近い「新大久保商店街」の活性化事業があります。定点カメラを設置し、学生たちがお客さんの数や属性の最新データを取得しています。そのなかでたとえば、「雨が降ると、客足が減る」など、天気とお客さんの数の関連が分かり、それが売り上げとどう関係しているかも見えてきます。データの蓄積によって、かなり高い確率で来街者数や来客数を予測できるようになりました。 畑山:データの収集という点では、桜美林大学は学修量を「見える化」するオリジナルアプリ「OBICON」を活用しています。教室などに設置されたビーコンにより、アプリをインストールしたスマートフォンを検知し、その施設を利用する学生の状況などを把握するしくみです。授業への出席情報を登録したり、記録を参照したりすることができます。 山口:我々は、学生たちが授業にどのぐらい出席したかというだけでなく、キャンパス内で滞在した時間や場所、ネットワークにどのぐらいアクセスしたかといったことにも注目しています。そういったデータから学修ポートフォリオというものを整備して、教育に生かそうとしております。 そして授業では、AR(=「拡張現実」、現実世界の情報にバーチャルな視覚情報を加えて現実環境を拡張すること)を用いた学びにも取り組んでいます。冒頭で、レジャーも教育もバーチャルに行き過ぎてはいけないという話をしましたが、ARはリアルとバーチャルが関連しあう技術として注目しています。具体的には、ARの画像をリアルの空間に重ねると、その空間がどう活性化するかということを調査します。学生たちが開発したARアプリを一般の方々に使っていただき、そのデータを活用して、またアプリを更新するという流れです。 また、新宿キャンパスを紹介する動画の制作を、学生たちが授業を通じて学び、学内外で情報発信しています。ビジネスマネジメント学群の学生がARや動画に携わるというのは、これまでなかなか想像できなかったことです。しかし、画像のデザインや、動画撮影・編集、配信などのスキルは、いまのビジネスパーソンにとっても、もはやスタンダードになっています。 畑山:ひじょうに良いですね。アートを学ぶ芸術文化学群とコラボしても良いのではないでしょうか。大学全体で一緒に新しいものをつくり出していけると、面白いですね。   山口有次 桜美林大学 ビジネスマネジメント学群 学群長 1987年、 同志社大学工学部機械工学科卒業。1996年、早稲田大学大学院理工学研究科修士課程修了。2000年、同博士課程修了(工学)。2000~2004年、早稲田大学理工学総合研究センター客員研究員。2004~2010年、同理工学術院総合研究所客員講師。2006年、桜美林大学ビジネスマネジメント学群ビジネスマネジメント学類助教授。同准教授、同教授を経て、2018年4月から現職。2021年4月から桜美林大学学長補佐。専門はレジャー産業、レジャー施設、レジャー活動。1990年から『レジャー白書』の執筆に携わっている 文:加賀直樹 写真:今村拓馬 桜美林大学について詳しくはこちら このページは桜美林大学が提供するAERA dot.のスポンサードコンテンツです。
高橋源一郎×ブレイディみかこ 「この世」でも「あの世」でもない世界に希望がある
高橋源一郎×ブレイディみかこ 「この世」でも「あの世」でもない世界に希望がある 小説家 高橋源一郎(たかはし・げんいちろう、72):広島県生まれ。明治学院大学名誉教授。著書に『さようなら、ギャングたち』『日本文学盛衰史』『さよならクリストファー・ロビン』『ぼくらの戦争なんだぜ』など/作家、コラムニスト ブレイディみかこさん(57) Brady Mikako:福岡県生まれ。1996年からイギリス・ブライトンに在住。著書に『子どもたちの階級闘争』『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』『他者の靴を履く』など(撮影/写真映像部・加藤夏子)  浄土真宗の宗祖・親鸞は、この世とあの世の中間にある「その世」という存在を説いた。その世には「希望」があるという。一体どういうことなのか。小説家の高橋源一郎さんと作家のブレイディみかこさんが語り合った。AERA 2023年3月27日号の記事を紹介する。 *  *  * 高橋:いまぼくは、(浄土真宗の宗祖)親鸞(しんらん、1173~1262)の歎異抄(たんにしょう)を訳しています。ちょうど宗教について書いていて、親鸞をテーマにしたんですね。最初は誰かほかの方が訳した歎異抄から引用しようかなと思ったんですが、せっかくなら自分で訳そうかと。 ブレイディ:私は歎異抄を読んだことがないんです。 高橋:おもしろいからぜひ読んでください。ぼくは、昔から親鸞は変わった人ではないかと思っていました。親鸞は、人は浄土に行くけれど、その浄土とは「あの世」という時もあるし「この世」だという時もあるというように、どちらにも取れるように言っています。もっと言うと、はっきりとは書いていませんが「浄土」という「その世」、「この世」でも「あの世」でもない世界が存在していると言うんです。それはいったいどこなんだろうというのが親鸞を読むことの醍醐(だいご)味です。生きている人間が住む世界と死んだ後に往生することになる世界、世界がその二つしかないとするなら、問題は解決しない。その中間にある「その世」に行けたとき、人間は大きな問いに答えることができる。つまり、真の悟りを得ることができるというわけです。 ブレイディ:二分法にはない世界ですね。 高橋:まさにそのとおりです。目指すべき極楽浄土というものが「あの世」にしかないとしたら、生きている現世は仮の宿になってしまう。「この世」だって大事に生きないといけないのだから、それでは困る。でも、現世が、つまり「この世」がなにより大事だとすると、「あの世」のことなど考える必要がなくなってくる。だから、人間が人間であるためには、「その世」という、二つの世界の中間の世界が必要になってくる。実は希望はその中間(その世)にあるのでは、ということなんですね。 ブレイディ:そうだと思います。私も話を聞きながら、そのことを考えていました。 ロンドンのパブで開かれたイベントに集まった人たち(AP/アフロ) ■ただ口先で唱えるだけ 高橋:ユートピアは達成できないからユートピアなんです。達成できたら、ただの現実になってしまう。では、たどり着かないようにするためには、どうしたらいいのか。 ブレイディ:動き続ける、変わり続けるしかないんですよね。 高橋:そういうことだと思います。それともう一つ、浄土真宗では南無阿弥陀仏と念仏を唱えるだけで浄土に行けると言っています。親鸞はそれを徹底させた。ただ口先で唱えるだけでいいのだと。「そんなの仏教じゃない」と猛批判されても「いや、それでいい」と動じない。極端なことを言えば、その言葉を唱えれば、腹の中ではアッカンベーしていてもいい。  でも、その考え方って、宗教家というより文学者じゃないかって思うんです。文学者は口先だけだから(笑)。ぼくが親鸞に惹(ひ)かれるいちばんの理由は、親鸞は言葉を信じたことです。ある意味では、言葉だけを。それはすごいことだと思います。 ブレイディ:新約聖書にも「はじめに言葉ありき」とあります。やはり言葉なんですよね。だから文学を突き詰めていくと、宗教に興味を持たざるを得ないのかな。 ■福岡のライブハウス 高橋:ところで、最近、ライターの鹿子裕文さんの『ブードゥーラウンジ』というノンフィクションを読みました。ほんとにおもしろかったです。それは、福岡に実在するブードゥーラウンジというライブハウスに集まってくる人々の話なんですが、彼らの歌は極度に個人的で、半径1メートルぐらいの狭い世界の中を歌っている。 ブレイディ:福岡のロックは「照和」(チューリップや海援隊が出てきた有名喫茶店)のフォークがルーツだったりするから、個人的な4畳半を歌いがちな文化があると思いますよ。 高橋:おもしろいなと思ったのは、たとえば、ボーカルとギター担当だから「ボギー」と呼ぶとか、ニックネームで呼び合っていてお互いの本名は知らなかったりすることとか。完全に外とは別世界なんですね。それから、ロックというと田舎から上京して成り上がっていくという出世物語はけっこう有名だけれど、この本に出てくる人たちはいまいる場所(福岡)から出ていかない。 ブレイディ:福岡にいるとそういうところはありますね。それで思い出したのは、私も同郷(福岡)の(女性解放運動家)伊藤野枝(1895~1923)ですね。彼女は自分の生まれた村の風習を嫌いながらも、そこにアナキスト的なコミュニズムの可能性を見ていました。山梨で育った(大正時代のアナキスト)金子文子(1903~26)もそうです。いつものメンツが集まって集合体ができあがっていくのは、田舎だからできるというところもあると思います。 高橋:ほんとうにそうだと思いますよ。伊藤野枝や金子文子が男性の社会主義者と違うのは、男性の社会主義者は都会人として割り切れる人が多い。男性は都会が好きなんだよね。そもそも都市の共同体は、個人個人はバラバラ。男性が唱える社会主義共同体なんてかけ声だけで、どこかうそ臭い。では求めるべき共同体はどこにあるのか。それは、自分が子どもの頃に過ごした田舎の共同体の緩やかな自己犠牲的な結びつきだったりするんですよ。若い頃はそれがうっとうしかったけど、いったん都会の生活を経験してみると、田舎のいい点が見えてくる。気がつかなかったものを再利用するというか、そこに人びとの知恵があったことに、女性革命家は気づくんですよ。彼女たちは底辺の生き方をよく知っているからですね。 (構成/編集部・三島恵美子) ※この対談は、朝日カルチャーセンター横浜教室で行われた講座を採録したものです。 ※AERA 2023年3月27日号より抜粋
「一国の主にならないと」と1人目の夫が後押し 同志社大教授、女性生命科学者64歳の人生ドラマ
「一国の主にならないと」と1人目の夫が後押し 同志社大教授、女性生命科学者64歳の人生ドラマ 野口範子さん  同志社大学生命医科学部教授の野口範子さんは、生命科学者として体の中の活性酸素の研究を続けつつ、「サイエンスコミュニケーター養成副専攻(SC副専攻)」を2016年にスタートさせた。「理系の学生にコミュニケーションのノウハウを教えるのではなく、理系と文系の学生が一緒に社会における科学の問題を議論する場を作りたかった」。周囲の理解が乏しくてもやり抜くことができたのは、子育てと研究の両立に苦闘する中で、持って生まれた胆力がさらにパワーアップされたからなのかもしれない。(聞き手・構成/科学ジャーナリスト・高橋真理子) >>【前編:元日テレ桝太一アナを“スカウト”した女性生命科学者64歳の行動力 STAP細胞事件で「やらねば」】から続く * * *――筑波大学の博士課程2年のときに1人目を産んだんですね。  妊娠中に夫は東京に異動して、私は一人で茨城県つくば市のアパートにいた。実家の母に来てもらった次の日に陣痛が来て、夫はいないので私が運転して病院に行きました。京都の母には3カ月いてもらって、約束通り娘を(義父母が住む神奈川県横須賀市の)久里浜に預けにいきました。 「よろしくお願いします」と義母に娘を預けて、私はつくば市に帰った。母乳がよく出たので、毎日乳搾りをして法医学教室の冷凍庫に入れて、週末になるとそれをアイスボックスに入れて車で東京に寄り、そこから夫が運転して久里浜に行って、1泊して帰ってくる、という生活でした。 ――娘さんはずっと久里浜に?  えーと、2歳8カ月までそうでした。義母はものすごく娘をかわいがってくれた。  博士3年の夏に次の妊娠がわかりました。そのころは長女を義母に取られたように感じてしまって、ホント勝手ですよ、私が預けてお世話になっているんですけど、なんか返してくれない雰囲気の中、せっかく2人目に恵まれたんだから今度はもっと一緒の時間を過ごそうと決心した。  翌年4月に次女が生まれ、今度は6カ月京都の母にいてもらって、その後は保育ママさんにお世話になりました。週末に次女を助手席に乗せて東京を経由して久里浜へ行き、帰りも次女だけ連れ帰る生活になりました。長女は何を思っていたのか、覚えていないでしょうけど、その頃のことを思うと胸が痛みます。医学系って博士課程が4年なんですが、農薬の毒性発現機序の研究をして4年で無事に博士号を取れました。 長女の4歳のお誕生日祝い。次女は2歳=1988年、東京の自宅、野口範子さん提供  医学博士になって帝京大学医学部法医学教室の助手になり、夫婦二人が東京勤務になったので、長女を引き取り、4人で頑張ることにしました。  夫の職場の近くに住み、保育園もすぐそばにあって、毎朝子どもたちをそこに連れて行ったんですけど、やっぱり大変でした。帝京大から家まで、1時間ちょっとかかる。しかも、帝京大の法医学教室は遅くまでいることが大事みたいな古いタイプの研究室でした。  早めに帰るなんて許されず、夕方6時に出る。走って帰っても保育園のお迎えに間に合わないので、外で仕事をしていないご近所さんにお迎えをお願いして、私が帰るまでそのおうちで面倒を見てもらったりしていました。すごくいい人で本当に助けてもらいましたが、その方だって都合が悪い日がある。そのときはまた別の人を探して、本当にもう、米つきバッタみたいに頭を下げて回っていた。保育園に連れて行ったら熱があるから預かれないと言われるときもありますよね。何とか近所の方に預けて遅れて研究室に行くと、「やっぱりお子さんのいる方はダメですねえ」と上司が言う。  夫の職場は、家からも保育園からも1分なのに、土曜日以外はお迎えに行ってくれなかった。子どもが熱を出したときに仕事を休んでお医者さんに連れて行くのもいつも私。小学生になって、授業参観のお知らせが来ると、どっちが行くかで必ずケンカになる。  あるとき、「あなたはいいんだよ。子どものために休むと言っても頑張っているって見てもらえるけど、僕はそういうふうには見てもらえないんだよ」って訴えるように言った。 ――そういう時代でしたね。  これが決定的な言葉だったんです。今振り返ればわかります。彼の立場も、気持ちもわかる。でも言われたときは「もう一緒にやっていけないな」と思いました。だから、それからケンカもしなくなりました。ケンカをしても無駄だなって思って、でも、この関係はどこかで終えてやるって思いました。それで、予定通り離婚しました。 ――いつですか?  2006年ごろですね。娘たちが大学生のとき。 ――かなり時間がたってからなんですね。娘さんたちへの影響を考えてですか?  それもあるし、子どもたちが大きくなってきたら、慌てて離婚する必要もなくなったというか。  帝京大の法医学教室は一番つらい時期でしたが、ひょんなことから東京大学へ移ることになりました。帝京の生化学教室の先生とお部屋で研究の話をしていたら電話がかかってきて、切ったあと先生がこちらを向いて「野口さん、東大の二木先生って知ってる?」とおっしゃった。二木鋭雄先生は活性酸素の研究ですごく有名で、学会でお名前を見たことがあったから「知ってます」と答えたら、「二木先生が助手を探しておられるけど、行きますか?」と聞かれた。「行きます、行きます」と言うと、「法医学じゃなくなりますよ?」と言うので、「法医学やめます!」と即答しました。  紹介状を書いていただいて面接に行ったら、OKが出たんですが、そのとき夫が米国の国立保健研究所(NIH)に留学することになった。二木先生に相談したら、「いい機会だから一緒に行っていらっしゃい」と言われ、1年間米国の国立研究所の客員研究員をしました。  帰国して1991年2月に東大工学部に助手として着任しました。二木先生は生体の活性酸素とビタミンEの研究をしていて、本当に神様みたいな先生で、学生さんはたくさんいるし、みんな温かく優しくしてくれるし、精神的にすごく楽になりました。二木先生は「子どもにはいくら愛情をかけてもいいんですよ」とおっしゃった。この言葉が嬉しくて今も忘れません。 東大に移って間もないころ、先端研で脂質酸化に伴う酸素消費量を測る実験をする= 1992年、野口範子さん提供  先生が東大先端科学技術研究センターに移られたので、私の所属も先端研に変わりました。2000年に二木先生が定年退職されると、児玉龍彦先生が率いる大きな研究チームの中で、私は直属のボスがいない形で研究室を持たせてもらった。研究環境はものすごく恵まれていました。ポスドク3人、博士課程の学生2人、実験補助員3人といった態勢で、お金は児玉先生がたくさん取ってきてくださるので、論文がたくさん書けた。  あるとき、筑波大時代に宿舎が一緒だった親友から「あなた、論文がたくさんあるのになぜ助手なの?」と聞かれたんです。私は研究ができればいいと考えていたんですが、そう言われればそうだなと二木先生に「私はいつまで助手ですか」って手紙を書いた。  そうしたら、二木先生は当時のセンター長に相談に行ってくださったのですが、すでに退職されたお立場だったからでしょう、状況は変わりませんでした。しばらくして、私は科学技術振興機構特任助教授という立場になった。助手は国家公務員ですが、このポストは公務員ではありません。特任助教授という肩書はついたけれど、良かったのかどうかわかりません。ただ、研究環境は変わらず、恵まれた状態でした。  そのうち、活性酸素の研究仲間である京都府立医科大学の先生から「同志社大に行かへんか」と声がかかった。工学部(当時)の環境システム学科が教員を募集しているというんです。そのときは娘が高校生で、連れて行くわけにも置いていくわけにもいかないと思って、お断りしました。このとき府立医大から同志社大に移った谷川徹先生から1年後にまたお誘いを受けた。夫に相談したら、「やっぱり一国の主にならないとダメなんだよ」と言ってくれて、じゃあ行こうかとなった。次女も大学生になるという時期でした。  2005年に同志社大の教授になりましたが、行ってみたら学生もスタッフも誰もいない、私一人なんですよ。これでは研究ができないので、東京に帰ろうと思いました。先端研にはまだ博士課程の学生がいたので、先端研の特任教授を兼務して研究は東京のラボで続けていました。もう同志社は早く辞めようと思ったんですが、その年の12月に新しい学部をつくる話が出て、今に至る、ということです。 ――2回目の結婚はどんな方と?  さっき話に出た谷川先生と。私、今の戸籍名は谷川です。 ――離婚はどのように?  子どもたちが小学生のころ、夫は東京から離れた別の機関に移り、長女は小学6年生の途中から再び義母に引き取られて夫の赴任地で生活するようになりました。次女は私と東京に残りました。長女が東京の高校に進学したので、3人一緒に東京の家に住むようになり、私は同志社に就職してから京都と東京を行ったり来たりするようになった。週末は東京で4人全員集合です。 サイパンに家族旅行に行ったとき=1997年4月、野口範子さん提供  それでお互いに穏やかに暮らしていたわけですが、やはりけじめをつけたいと思い、私は離婚したいという手紙を書きました。自分が思ってきたことをまとめ、そしてこれからはそれぞれ別のほうがいいでしょう、みたいな感じで。その後二人で会って、彼は真面目だから手紙の内容の一つ一つにコメントをくれて、「前から考えていたんだよね。しょうがないね」って。  でも、その後も生活は変わらないんです。週末は親子4人でごはんを仲良く食べる。いつかは娘たちに言わなくちゃと思って、下北沢に4人でブランチに行ったとき、お互いに「そっちから言って」と目配せしあって、彼が「実はお父さんとお母さん離婚したんだよ」って伝えました。 ――娘さんたちは何と?  エーッてなりました。大きな衝撃を受けたのは長女のほうでしたね。それから2年後ぐらいに再婚しようと思っていることを娘たちに話したんですけど、そのことは「あんまり衝撃じゃなかった」って言ってました。その後、彼も再婚して安心しました。  娘たちは父親と普通に行き来しています。長女は結婚して、3人の子どものママ。父親が再婚したお相手にもお孫さんがいらして、ちょうど同年齢なのでお宅にお泊まりに行ったりしています。お祝いがあるときは旧野口家大集合みたいになる。次女は京都が好きと言ってよく京都に来ます。今の夫のことは「徹さん」って呼んで、楽しくやっています。だから、どんどん家族が増えているみたいな感じですね。 ――なんともすごいドラマの連続で、野口さんのパワーがびんびん伝わってきました。  そうですか。とにかく今は2人目の夫と仲良く暮らしています。私ももうしばらくすると定年なので、サイエンスコミュニケーター養成副専攻をどのように継続していってもらうか、私がいる間にできる限りの手を打たなきゃと思っているところです。  野口範子(のぐち・のりこ)/1958年、京都市生まれ。筑波大学第二学群生物学類卒業、同大大学院医学研究科博士課程修了、医学博士。帝京大学医学部助手、東京大学工学部助手、同大先端科学技術研究センター助手などを経て2005年に同志社大学工学部教授。2008年から同大生命医科学部教授、2018~2019年に生命医科学部学部長・研究科長、2020年から研究推進部長。京都市教育委員会の教育委員を2018 年から務める。創設したサイエンスコミュニケーター養成副専攻では、同志社大卒の作家・佐藤優氏に15回のフル講義「サイエンスとインテリジェンス」を担当してもらっている。
片づけて家を丸ごと変えたら、自分の将来を考えられるようになった
片づけて家を丸ごと変えたら、自分の将来を考えられるようになった 引き出しも開けっ放しで衣類やバッグが散乱している部屋/ビフォー  5000件に及ぶ片づけ相談の経験と心理学をもとに作り上げたオリジナルメソッドで、汚部屋に悩む女性たちの「片づけの習慣化」をサポートする西崎彩智(にしざき・さち)さん。募集のたびに満員御礼の講座「家庭力アッププロジェクト®」を主宰する彼女が、片づけられない女性たちのヨモヤマ話や奮闘記を交えながら、リバウンドしない片づけの考え方をお伝えします。 case.42  1年越しに果たせた長女との約束 夫+子ども2人/フリーランス    ライフステージが変わると、それに合わせて家や生活環境を整える必要に迫られることがあります。でも、「片づけるのが苦手」「時間がない」と後回しにしてしまうがために、自分も家族も前に進めないというケースを多く見てきました。  フリーランスで働くまゆさんも、暮らしやすい家にしたいと思いつつ、仕事・家事・育児に追われてなかなか動けませんでした。 「長女の中学受験が控えていたので、勉強に集中するために子ども部屋をきちんと整えようと思っていました。本当は去年の今頃には部屋が完成している予定だったんですけど、どんどん延びてしまって」  まゆさんは幼い頃から洋服をたたんだりしまったりすることが大の苦手。いつも山積みの状態で、母親によく怒られていました。結婚して子どもができてからも変わらず、家族で着る洋服を探すところから朝が始まります。 「子どもが小さな頃は『はい、これ着てね』と渡せばよかったんですが、大きくなるにつれて『このズボンやだ』と好みが出てくるようになって。靴下が見つからないとすぐ買ったりして衣類が増え、よけい管理ができなくなっていきました」  小学6年生と4年生の娘たちの成長とともに大きなおもちゃは減りましたが、細々としたモノが身の回りに増えた頃から、家の中がさらに散らかるようになってしまいます。  塾のテキストが見つからない、バッグがない、カギはどこ……と、探し物で家族が言い争いをすることが増えました。加えて、長女の気持ちが不安定になることが多くなるように。  このままではいけないと思い、わらにもすがる思いで参加をしたのが家庭力アッププロジェクト®でした。 ちゃんと勉強もできる子どもたちの部屋に変身/アフター   片づけを進めると、まゆさんは自分が「いつか使うかも」とモノをなんでも収納場所に詰め込む癖があるのだと気づきます。  食に関する仕事柄、キッチンの棚に食器を大量に保管していましたが、量が多くて何がどこにあるかを把握できていない状態。仕事で必要になると同じようなモノを買ってしまう、ということをくり返していました。 「結局は1回しか使わないモノもあるので、思い切ってたくさん手放しました。そのときに、なんとなくですけど『ありがとうございます』の気持ちを込めて塩をふるようにしたんです。そうすると、自分の中でもスッキリします」  自分の気持ちに区切りをつけられる処分方法を見つけると、モノを手放すスピードも速くなりました。  苦手だった洋服の管理は、全体の量を減らすことで大きく改善。さらに、洗濯物を取り込んだらどこかに置く前にたたみ、すぐ部屋の収納場所に戻すように習慣づけたら、洋服の山積みがなくなりました。  そして、3LDKの家の改造にも着手。  夫の洋服や本、まゆさんの仕事道具などを置いていた部屋を、子ども2人の部屋にしました。もともと子どものモノを置いていたもう1つの部屋は、子どもたちとまゆさんの洋服を収納する場所に。夫の洋服は寝室に移動して、朝の着替えのときに年頃の子どもたちと一緒にならないようにしました。  大型の家具を移動したり処分したりと、かなり大がかりな作業が必要でしたが、業者に依頼するなどして完了。  片づけている間は大変なこともありましたが、子どもたちが「すごいね」とほめてくれることが大きな励みになりました。  これまでとはガラリと部屋の使い方を変え、まゆさんが家中のモノを管理するのではなく、それぞれ自分のモノは自分で管理できるように。 「子どもたちの部屋ができたら、『あれがない』と騒ぐことがものすごく減りました。長女もとても落ち着いた様子です。ブランケットが出しっぱなしだとたたむようになったり、いらないモノを自分から出すようになったり、子どもたちの片づけに対する意識も変わりましたね」 どこに何があるか把握できずに探し物が多かったキッチン/ビフォー  意識が変わったのは、まゆさんも同じ。目の前のことに集中するばかりで先のことまで考える習慣がありませんでしたが、今は違います。 「フリーランスなので、競争の激しい世界。若い人たちもどんどん活躍の場を広げています。そんな中で、気づいたら仕事でやれることがなくなっているかも、という恐怖がずっとありました。最近、新しいことに挑戦しようとオンラインの勉強会に申し込んだところです」  片づけをすると、家がきれいになるだけでなく、決断力・段取り力・行動実践力が養われます。まゆさんも、モノの管理のほかに時間や自分自身の管理までできるようになったと実感しているそう。 「プロジェクト参加中に、海外では『バタバタして……』と忙しいことを言い訳にする人は自己管理ができていないことを自分から言っているようなものだ、という話を聞いてハッとしました。私ずっとそうだったな、って」  まゆさんは「後回しにするのは時間とエネルギーの無駄」だとも話してくれました。後でやるということは、未来の自分に課している“負の貯金”が増えていくようなもの。時間は有限なので、今後は無駄にしないようにすると決意したそうです。 「まだまだ家の中のことも家族のことも、ブラッシュアップしないといけないと思っているんですよ。あ、参加した勉強会の試験が7月にあるので、それもがんばらないと」 しゃもじなども定位置が決まって毎日きれいにリセットできるように/アフター  家族全員のライフステージが、家の片づけによって大きく前進したまゆさん。「片づけないと」と目の前のことしか見えていなかったのに、今は将来の目標を明るく話してくれるようになりました。  今の自分が生活しやすいように家を整えると、家事に使うエネルギーをセーブできて、家族や仕事など他に向けて使うことができるようになります。  これからまた家族のステージが変わったとしても、まゆさんは今回の経験もあるから大丈夫。同じようにお話を聞いても、きっとまた明るく将来の目標を語ってくれることでしょう。 ●西崎彩智(にしざき・さち)/1967年生まれ。お片づけ習慣化コンサルタント、Homeport 代表取締役。片づけ・自分の人生・家族間コミュニケーションを軸に、ママたちが自分らしくご機嫌な毎日を送るための「家庭力アッププロジェクト?」や、子どもたちが片づけを通して”生きる力”を養える「親子deお片づけ」を主宰。NHKカルチャー講師。「片づけを教育に」と学校、塾等で講演・授業を展開中。テレビ、ラジオ出演ほか、メディア掲載多数。
教育方針でテレビ捨てた妻は厳しすぎ? 6歳息子の父が心配「友達と話が合わなくなる」に論語パパがズバリ
教育方針でテレビ捨てた妻は厳しすぎ? 6歳息子の父が心配「友達と話が合わなくなる」に論語パパがズバリ 6歳の息子を持つ30代の父親。「テレビなし育児」を貫く妻の教育方針に対し、「小学校に上がってから友達との話が合わなくなるのでは」と心配しています。「論語パパ」こと中国文献学者の山口謠司先生が、「論語」から格言を選んで現代の親の悩みに答える本連載。今回の父親へのアドバイスはいかに。 *    *   * 【相談者:6歳の息子を持つ30代の父親】  6歳の幼稚園年長の息子を持つ30代の父親です。妻の教育方針から我が家ではテレビを捨て、テレビなしで育てています。代わりに、本を読んだり、工作をしたり、体をつかった能動的な遊びが好きになり、本人に今のところ不満はなさそうです。しかし4月から小学校に通うようになったら、友達と話が合わず、おいてきぼりになってしまわないか、と心配です。周りとうまく調和できず「空気を読めない子」と思われてしまうかもしれません。 「友達との共通の話題は後になって取り戻せないもの。この先ずっとなしというのは、よくないのでは」と妻に伝えたところ、「テレビの話題がないと友達関係を築けないほうがおかしい」と取り合ってくれません。厳しすぎる妻を説得する方法はありませんか。 ※写真はイメージです(写真/Getty Images) 【論語パパが選んだ言葉は?】 ・「君子は和して同ぜず、小人(しょうじん)は同じて和せず」(子路第十三) ・「人の己(おの)れを知らざるを患(うれ)えず、人を知らざるを患(うりょ)うるなり」(学而第一) 【現代語訳】 ・「立派な人は、主体性を持ちつつ他人と調和し、やみくもに他人の意見に同調することがない。つまらない人はその逆で、たやすく同調するが心から親しくなることがない」 ・「人が自分のことをわかってくれないことを悩むのではない。自分が、人のことをわかってあげられていないことを悩むことこそが大切なのだ」 【解説】  お答えします。子育てにテレビは必要ありません。  私も生まれてこの方、現在に至るまで、テレビのない生活をしています。新聞もありません。父も母も「本当に必要な情報は、こちらから求めなくても自然に入ってくる」という考え方でした。私も長年の経験で同じように思います。  テレビや新聞から得られる情報は、本当のことなのかどうなのかよくわからない、文字通り「新しい話題」という意味での「ニュース」です。いちいち反応していたら、ゆっくり物事を考えたりする時間も、精神的ゆとりもなくなってしまいます。また、自分で処理しきれないほどの情報が満ちている今は、テレビがなくても、パソコンがあってインターネットにつながっていれば必要なことは自分で調べることもできますよね。  相談者さんの息子さんがテレビを見なくても「不満」を感じていないようなら、ぜひ、このままテレビなしの生活を続けてみてください。少なくとも小学校、中学校を卒業するくらいまでの最も多感な頃には、テレビより「本を読んだり、工作をしたり、体をつかった能動的な遊び」で、感受性や心の深さを育むべきだと思います。  2500年前の思想家・孔子の有名な言葉に、次のようなものがあります。 「君子は和して同ぜず、小人(しょうじん)は同じて和せず」(子路第十三) 「立派な人は、主体性を持ちつつ他人と調和し、やみくもに他人の意見に同調することがない。つまらない人はその逆で、たやすく同調するが心から親しくなることがない」という意味です。  相談者さん、テレビの話題で付和雷同するくらいの人間関係ならいつでも、誰にでも作ることができます。息子さんがテレビのない生活をしているからといって「空気を読めない子」になってしまうのでは、などと決して心配しないでください。表面的なその場限りのニュースで感情を揺さぶられたりしていては、孔子が言うような「小人」になりかねないからです。相談者さんも、「その時だけ人に同調して、本心からは調和することができない人」とは、一緒に仕事することも難しいでしょう?  もっとゆとりを持った深い心で物事を見つめ、構造的な思考ができる「君子」になれば、表面的なつきあいしかできない友達より、もっと深い考えを持つ人たちと、真の意味でのおつきあいができると思います。そのためにも、相談者さんは息子さんに豊かな感受性と「本当の優しさとは何か」ということを教えてあげることです。  孔子はこのようにも言っています。 「人の己(おの)れを知らざるを患(うれ)えず、人を知らざるを患(うりょ)うるなり」(学而第一) 「人が自分のことをわかってくれないことを悩むのではない。自分が、人のことをわかってあげられていないことを悩むことこそが大切なのだ」という意味です。  これは人々がよりよく生きるための基本ともいえます。自分のことばかりを考えて行動すると、争いやトラブルが絶えなくなりますから、こうした深い心、考え方を息子さんの中に育むことが、最も重要ではないでしょうか。  もう一度言います。子育てにテレビは必要ありません。実際に、テレビなしで60年間過ごしてきて、まったく困ったことがない私が保証します。 【まとめ】 テレビの話題で付和雷同するくらいの人間関係はいつでも作れる。もっと深い心と考え方を息子の中に育もう 山口謠司(やまぐち・ようじ)/中国文献学者。大東文化大学教授。1963年、長崎県生まれ。同大学大学院、英ケンブリッジ大学東洋学部共同研究員などを経て、現職。NHK番組「チコちゃんに叱られる!」やラジオ番組での簡潔かつユーモラスな解説が人気を集める。2017年、著書『日本語を作った男 上田万年とその時代』で第29回和辻哲郎文化賞受賞。著書や監修に『ステップアップ 0歳音読』(さくら舎)『眠れなくなるほど面白い 図解論語』(日本文芸社)など多数。2021年12月に監修を務めた『チコちゃんと学ぶ チコっと論語』(河出書房新社)が発売。母親向けの論語講座も。フランス人の妻と、大学生の息子の3人家族。
卒業式のマスク外しに「嫌だ」「周りを見て判断」の声も なぜ子どもたちは恐れるのか
卒業式のマスク外しに「嫌だ」「周りを見て判断」の声も なぜ子どもたちは恐れるのか ※写真はイメージ(撮影/写真映像部・東川哲也)  新型コロナウイルス対策のマスクの着用が、3月13日から「個人の判断」に変更される。文部科学省は、今年度の卒業式で「マスク外しが基本」との方針を示している。ただ、マスクを外すことに慎重な姿勢を見せる子どもたちも少なくないようだ。AERA 2023年3月20日号の記事を紹介する。 *  *  *  卒業式を巡る保護者の思いもまた複雑だ。静岡県に住む中学3年の男子生徒の40代の母親は、卒業式では基本マスク不要と聞いたときは、「あぁ、良かった」とほっとする気持ちがあった。だが息子の「周りを見て判断する」という言葉に「それはそうだ、自分もきっとそうだな」と思い直した。 「いくら取っていいですよ、と言われても、自分だけ取れば非常識だと思われるかなと気にならないわけがないな、と」  女性にはほかに、中学1年と小学5年の息子もいる。野球部に所属する中1の息子は、「真っ先に外すのは難しいから、集団のなかで2番目くらいに外すかな」と口にしていたという。  女性自身もまた、ほかの保護者の口元を知らずに3年間を過ごした。 「コミュニケーション自体がぎこちなくなっているな、と感じます」 ■親同士の関係も希薄に  都内で小学6年の男の子を育てる40代女性は、「卒業式ではマスクを外すかもしれないよ」と息子に声を掛けたところ「えー、嫌だ」と即答されたことが忘れられない。 「給食の時間にマスクを外した際、女子から『マスクをしていたらかっこいいのに』と言われたことがあり、気にしているのかなと感じました。『マスクをしていないと恥ずかしい』とも口にしている。異性が気になる年頃であるからこそ、そうした思いが強いのかもしれません」  進学する私立中学の入学式でもマスクをつけるつもりだ、と息子は言う。堂々の“外さない”宣言に、親としては寂しさを覚える。この3年間、保護者同士で集まる機会もほとんどなく、親同士の関係も希薄だ。 「クラスの友達がマスクをつけずに卒業式に行くのか否かもわからないことも不安です。『○○くんのところ、外すってよ』と言葉を掛けることもできない」  息子の気持ちを理解しつつも、卒業式を機に少しずつでも外していく方向にしていかないと永遠に外せないのではないか、という懸念もある。それにしてもなぜ、マスクを外すことにこんなにも恐れを抱いてしまうのか。  中央大学文学部心理学専攻の山口真美教授によると、前提として、もともと欧米人は口元でコミュニケーションを取るのに対し、日本人は目元でコミュニケーションを取ってきたことが、マスク依存が広がった要因の一つだと考える。そのうえ、マスクをしている相手と向き合うとき、私たちは隠された部分を「平均顔」で補おうとする。平均顔とは、これまで出会った人々、目にしてきた顔の中央値として、自動的に頭にインプットされているものだ。だからこそマスクを外した際、想定と実物が異なれば、違和感を抱くようになる。 「自意識が育まれていく時期、とくに中高生にとっては『顔は自意識の延長』という感覚が強いため、大人よりナーバスになり、『否定されるのはつらい』という意識が働く。また、子どもの3年間と大人の3年間では、人生に占める割合が異なるため、ある日を境に外すことに恐怖を感じるのは、自然なことなのかもしれません」 ■未来の話をしてみる  そうした気持ちには、どのように寄り添うべきなのか。 「マスクとともにあった社会は、『いま、感染症を防がなければ』といったように、常に『いま』しか考えられなかった。けれど、子どもたちには未来がある。マスクをしたままでは交友関係は狭まるかもしれない、年を重ねてもマスクをしているのかな、と、少し未来の話をしてみるのもいいかもしれない」(山口教授)  一般的に、人間は20歳頃までに500人ほどの顔を覚えており、そのなかから時間をかけ親しい人、友達になる可能性のある人と関係を構築していく。 「目、鼻、口を見て『顔』と認識するわけですが、マスク生活で人間関係の広がりやポテンシャルを学習する機会が失われている可能性があります。いろいろな顔を見ることにより、人間のつながりはできていく。子どもたちがこれから先、どのように過ごしていくのか、注意深く見守っていく必要があると思います」(同) (ライター・古谷ゆう子) ※AERA 2023年3月20日号より抜粋
ヒュー・ ジャックマンを拝んで寿命が延びた! 50歳子連れ留学のニューヨーク物語
ヒュー・ ジャックマンを拝んで寿命が延びた! 50歳子連れ留学のニューヨーク物語 ロックフェラーセンターの展望台で家族と 「50歳でも空をとべる?」(写真/筆者提供)  ドキュメンタリー映画監督の海南(かな)友子さんが10歳の息子と年上の夫を連れ、昨年1月からニューヨークで留学生活を送っている。日本との違いに戸惑いながら、50歳になっても挑戦し続ける日々を海南さんが報告する。今回が最終回。 *  *  *  誕生日が来て、また一つ年をとった。夫と息子からのプレゼントは、 スポンジが虹色のレインボーケーキ。日本では絶対買わないビビットな色だけど、ニューヨークでの頑張りを虹が祝ってくれたみたいでうれしかった。 レインボーケーキで誕生日のお祝い。7色でなくて6色だった!(写真/筆者提供)  1年を振り返ると、50歳のチャレンジはとても充実していた。若い時のがむしゃらさはなく、大人の自由なニューヨーク(NY)を満喫できた。毎朝、バスでロックフェラーセンターやブロードウェーを横目にコロンビ ア大学に通う。もし、高校生の自分が聞いたら絶対に信じないだろう。 英語の成績は底辺だったし、「50歳で、子連れNY留学するよ」なんて言ったら鼻で笑われそうだ。  NYの楽しみはいろいろあったが、はまったのは当日券でミュージカルを見ることだ。普通なら1枚200~500ドル(約2万7千~約6万7千円)するのに、1人分の空席があれば約50ドル(約6700円)で観劇できる。大学帰りにふらっと「ムーラン・ルージュ」や「シカゴ」をめちゃくちゃいい席で見た。  中でも感動したのは、ハリウッドスターのヒュー・ジャックマンの「ミュージックマン」。なんと2階の最前列だ。日本より劇場が小ぶりなため、2階でもはっきりと拝めた生ヒューさま。寿命が延びた(笑)。コロナ禍で長く劇場が休止し街も役者も大変だったのだが、彼は舞台出身なので、ブロードウェーに恩返しするために約1年間、主演を務めた。大スターなのに素晴らしい。  そして、公演後にはサプライズがあった。カーテンコールでヒュー・ ジャックマンがオークションを始めたのだ。その日の舞台で使った手袋を出品し、「2年間、大変だったブロードウェーにみなさんの力を貸してほしい!」  と呼びかけた。あっという間に1千ドル(約13万円)、2千ドル(約27万円)に釣り上がる。落札した方はただのヒューさま推しかもしれないが、 でも演劇への寄付という熱が会場に充満した。米国のいいところってこういうとこだなあと妙に納得。もちろんお金がなければ生きていけない街だから、ホームレスがあふれ、経済格差もすごいけど、寄付や社会貢献の文化はこの国の強さだと感心した。  あとニューヨークに来て変わったのは、差別や民主主義について考える機会が増えたこと。最初はアジア人ヘイトへの恐怖心からだったが、次第に小さな差別に気づくようになった。  例えばレストランのトイレ。ユニセックス(男女の別がない)トイレをよく見る。誰でもどのトイレも使えてLGBTQに対応している。他には、アンケートの性別欄。日本だと男→女の順だが、米国では女→男の順番も多く、必ず「どちらでもない」の選択肢がある。アメリカに慣れた後、日本のサイトで性別を選ぶと、必ず男→女の順なのが悲しかった。マイクロ・ アグレッションというのだが、「無意識の差別で悪意なく傷つける」ことだ。そうか、これって差別だったのか。  なぜ日本は違うのか考えると、とどのつまり民主主義の問題だと思う。実はこの1年、街角でデモによくあった。戦争、ヘイトクライム、銃規制、中絶、賃金アップ。小学生が市議会で「学校のプラスチックに規制を!」という呼びかける光景も見た。日本では考えられない。アメリカは若い国だから、奴隷制や移民排斥など、むき出しの差別をみんなの声で変えてきた歴史がある。頭では知っていたが、デモに遭遇するたびに、みんなの声で社会を作るという民主主義について考えさせられた。日本の性別欄が男性優先のままなのは、結局、わたしが声に出さないからだ。みんなで意見を言って議論する、アメリカの尊敬すべき点と日本の現実の間で心は揺れる。  いろいろな気づきがあった留学もまもなく終わる。正直、英語はあまり上達していなくて、50代の語学の伸び代は微妙だ。息子の発音が上達したのを見ると、若い時に留学したかったと息子にジェラシー(笑)。  でも、50歳だからこそ意味があったとも思う。大人になると新しいことに踏み出すのが怖くなる。できない理由を仕事や家族とひもづけて躊躇(ちゅうちょ)する。でも、ニューヨークで感じたのは「何歳からでも、 どんなことでも、挑戦していい」だ。50代は、人生の残り時間を意識しはじめる年代だが、だからこそチャレンジが必要なのだ。  滞在中、わたしは冷や汗をかく体験をたくさんした。たとえば(研究資金をもらっている)フルブライトの国際会議での英語プレゼン。難易度が高すぎて逃げたくなった。でも、そんな新しい体験での緊張や努力で心や体は活性化し、年齢を忘れるほど元気になった。できれば帰国後も、英語や環境の学びは続けたいし、今まで挑戦していない趣味や資格にも取り組もうと思う。 “The Sky is the limit.”(「限界は空高く。」)  これは尊敬するジャーナリスト千葉敦子さんの言葉だ。彼女はNYに住み、米国を取材し、最後は乳がんで亡くなる自分を記録し続けた。10代の頃、朝日ジャーナルで彼女の連載『死への準備日記』にふれたことが、今の自分につながっている。命の終焉(しゅうえん) に彼女が伝えた言葉は、50代の今だからこそ心に響く。自分に限界を設けない、何歳でも挑戦できる。そして空高くとべる。それを実感した「50歳のNY子連れ留学」。わたしの人生の宝物となった。 ※AERAオンライン限定記事
ぐんま国際アカデミーの魅力を数字で読み解く 英語力も思考力も国語力も伸びる12年一貫教育校
【PR】ぐんま国際アカデミーの魅力を数字で読み解く 英語力も思考力も国語力も伸びる12年一貫教育校 群馬県太田市に校舎を置くぐんま国際アカデミー(GKA)は12年一貫教育校だ。初等部、中等部、高等部では、偏差値だけに頼らない環境のもと、学校生活の大半を英語で過ごす「英語イマージョン教育」を通してインターナショナルスクールにも劣らない英語教育を実践。思考力も国語力も伸ばす学びを追求し、充実した大学進学実績を上げてきた。数字を軸に、「GKA」の愛称で知られる学びの庭の魅力を紹介する。 ※所属や学年は2023年3月1日時点のもの 【トピック1】英語力も思考力も伸びる1条校  群馬県太田市に校舎を構えるぐんま国際アカデミーは初等部、中等部、高等部ともに英語教育に定評がある。授業の約7割を「英語で考え、英語を聞き、英語を話す」という「英語イマージョン教育」で行っており、英語で行われる授業は初等部の6年間で約5000時間を超える。この数字は一般的な公立小学校の約24倍(※1)にあたり、学校生活はインターナショナルスクールとよく似ている。  インターナショナルスクールとの大きな違いは「1条校」である点だ。法令上の規定はないインターナショナルスクールとは異なり、ぐんま国際アカデミーは学校教育法第1条に定められた学校であり、日本の学校の卒業資格を得ることができる。多くのインターナショナルスクールは1条校ではないので、公立学校への「不登校」という報告をしていない場合、日本の学校の卒業資格が得られない。そのため進学先の選択肢が狭められる。  私立1条校であるぐんま国際アカデミーは「クリティカルシンキング」の育成でも注目を集めている。「批判的思考」とも訳される能力について、学校側はある事柄を中立的に分析・価値判断・説明したり、ネガティブに見たり、懐疑的に見ていく論理的・分析的な思考のことと定義。初等部1年生からあるテーマについて探究したり発表したりする授業が多く、思考力が着実に磨かれるので、自分なりに最適だと思う答えを導き出すことができるようになっていく。 ※1 文部科学省 学校教育法施行規則に定める標準授業時数 【トピック2】設立から20年の歩み  学校法人太田国際学園が設立されたのが2004年12月28日。その後、初等部、中等部、高等部と立ち上げたぐんま国際アカデミーは2024年に設立から20周年を迎える。  20年の歴史で大きな転機となったのは「国際バカロレア(IB:International Baccalaureate)」の認定校となったことだ。国際バカロレアは国際バカロレア機構(本部・スイス)が提供する国際的な教育プログラムのことで、ぐんま国際アカデミーは2011年に国際バカロレアのDP(16歳から19歳までが対象)の認定校、2022年に国際バカロレアのMYP(11歳から16歳までが対象)の認定校となった。現在、中等部の生徒全員にMYPの授業を提供しているという特徴がある。国際バカロレアの資格は国際的に認められた大学入学資格であり、一条校でIB教育を英語で行っている学校はまだ珍しい。そのため高等部から海外の大学に進学した卒業生も少なくない。  国際バカロレアは下記のような「10の学習者像」を掲げている。 ・探究する人 ・知識のある人 ・考える人 ・コミュニケーションができる人 ・信念をもつ人 ・心を開く人 ・思いやりのある人 ・挑戦する人 ・バランスのとれた人 ・振り返りができる人  ぐんま国際アカデミーは「国際社会の中でリーダーとして必要な能力と知識を備えた国際人の育成」を追求。上記の10の資質はまさに「国際社会の中でリーダーとして必要な能力と知識」であり、ぐんま国際アカデミーの12年一貫教育では知的で感性豊かな国際人の素地を育むことができる。 【トピック3】世界の16カ国からと教師は多国籍  アメリカ、アイルランド、イギリス、カナダ、オーストラリア、ニュージーランド、インド、フィリピン、ブータン、マラウイ。初等部から高等部までの教師陣の顔ぶれは多国籍だ。2023年3月1日時点で、16カ国から集まった教師が教壇に立つ。  学校生活はまさに「国際社会」であり多様性を受け入れる寛容さが身につく。生まれ育った背景が異なる教師陣と接することで、さまざまな価値観があることを知り、物事を見たり考えたりする際の視野が広がる。初等部では各教師の出身国の特徴と歴史を放送委員会の児童たちが調べて、昼休みの放送で発表。世界各国の文化を身近に感じる。  16カ国から会した教師陣がそれぞれ微妙に異なるイントネーションやアクセントの英語を話すこともあり、英語に対するハードルは初めから低い。ネイティブの英語だけでなく、多様な英語に触れる機会が多く、気後れすることなく自分なりに英語を話すことができる。  授業では話し合う時間を重視。初等部では国語と社会と家庭科は日本語で、その他の授業は英語で行う。小学校で獲得すべき学習内容だけでなく、日英両言語の学習において多くの協働学習や話し合い、ディスカッション、ポスター作成やレポート作成を通して学習していく。自分の考えを発表したり友人の意見を聞いたりするなかで知識や論理的思考力が養われ、「自分なりに最適だと思う答えを出すことができる力」が育まれていく。 【トピック4】初等部5年生で英検1級を取得  学校生活の大半を英語で過ごす「英語イマージョン教育」の効果は小さくない。近年では、実用英語技能検定、通称「英検」で2人の5年生が1級を取得している。英検1級に合格するには大学上級程度の能力が必要とされており、6年間で約5000時間の授業を英語で学ぶ初等部の生活を送れば、大学生レベルまで英語力が伸びることが証明されている。  初等部の5、6年生は中高生を主な対象とする英語テストの「TOEFL Junior® Standard」を受験。2022年5月の6年生の平均点は900点満点で750点だった。TOEFL Junior® Standardの750点は、英検では2級または準1級のレベルに相当するとされている。(※2) 英検の2級は高校卒業程度の能力、準1級は大学中級程度の能力が求められるため、ぐんま国際アカデミーでは平均的に初等部の高学年で高校卒業から大学中級レベルに相当する英語力を身につけることができる。  初等部で高いレベルに達した英語力は、中等部、高等部での学びを通して着実に伸びていく。2023年2月には、高校2年生にあたる11年生の望月彩萌さんが全国高等学校英語スピーチコンテスト全国大会に出場し、第1位の外務大臣賞・外務大臣杯を獲得している。外部のコンテストやコンクール、大会などに児童や生徒が主体的に参加する点もぐんま国際アカデミーの校風だ。 「第15回全国高等学校英語スピーチコンテスト - 第1位 外務大臣賞・外務大臣杯 望月 彩萌 ぐんま国際アカデミー高等部 2年 (関東甲信越)」 動画を見る > ※2 TOEFL Primary公式HP、TOEFL Junior Standard 公式HP、 実用英語技能検定公式HPを参考 【トピック5】初等部の6年間で国語の授業時数は1512回  ぐんま国際アカデミーはインターナショナルスクール並みに英語教育に力を入れる一方、国語力の育成にも重点を置く。国語の授業は初等部の6年間で1512時間。文部科学省が学校教育法施行規則に定める国語の標準授業時数は1377時間であり、135時間も多い。日本語で行う社会の授業時数は6年間378時間で、こちらも標準授業時数の約1.1倍に相当する。(※3)  国語力を重視しているのは、「クリティカルシンキング」のベースは母語である日本語であるという考え方からだ。国語の教師は公立小学校とは違いほぼ専科のため、授業の内容も濃い。座学は少なく、発表活動やディスカッション、作品制作といった活動を通し、自ら考え、表現する日本語力を伸ばしていく。 「伝わる国語力」はぐんま国際アカデミーの「留学力」にもつながっている。文部科学省が展開する日本の高校生と大学生を対象とした海外留学支援制度「トビタテ!留学JAPAN」の採用率は非常に高い。応募の際には留学計画書を書く必要があるが、ぐんま国際アカデミーの高等部の生徒は初等部から育む国語力を生かし、読み手が深くうなずくような留学計画書を仕上げられている。 ※3 文部科学省 授業時数等に関する学校教育法施行規則及び学習指導要領の規定 1.授業時数に関する規定(小学校の例) ==================== 第1弾 ぐんま国際アカデミー首都圏在住者向け学校説明会 5月13日(土)午前10時から GINZA SIX 11階 OPENHOUSE GINZA SALON 応募人数によっては、ご家庭から1名のみのご参加をお願いする場合がございます。 第2弾 授業公開 / 学校説明会  6月17日(土)午前9時から ぐんま国際アカデミー初等部 上履き持参、保護者のみのご参加 第3弾 授業公開 / 学校説明会  9月2日(土)午前9時から ぐんま国際アカデミー初等部 上履き持参、保護者のみのご参加 全ての説明会の詳細・参加登録はぐんま国際アカデミーホームページで お申し込みはこちら > ==================== 【トピック6】中等部の3年間で約150個のテーマについて探究  国際バカロレアのMYP(11歳から16歳までが対象)とDP(16歳から19歳までが対象)の認定校であるぐんま国際アカデミーでは、ある問いの解決や理解に向けて情報を収集したり、整理したり分析したりする探究学習を中等部と高等部で強化。中等部からの6年間で「クリティカルシンキング」の力をさらに伸ばしていく。  中等部の探究学習で向き合うのは8つの科目だ。「言語と文学(国語)」「言語の習得(英語)」「個人と社会」「理科」「数学」「体育」「芸術」「デザイン」の8つで、それぞれ1年間で4つから8つほどのテーマが課される。「理科」であれば自分たちで運動の法則を導出するために必要な実験を各グループが考え実施したり、「数学」であれば自分のバスケットボールのシュートについて二次関数を用いて放物線をモデル化し、最適とされている理論値との比較から、どのようにシュートの軌道を修正するか、数学的な考察のもとでアプローチしたりする取り組みもある。3年間で合計約150個のテーマを探究する学びは、知識や論理的思考力、表現力を確実に深めていく。  レポートをまとめる時間は大学生の授業に近い。論文の形式や書き方も学び、高校2年生にあたる11年生では課題論文を作成。英語で4000語程度のボリュームで、生徒自身が選択した課題を研究し、論文を仕上げる。日本語と英語の両方の文献にあたれるため、幅広い視点から自分なりに最適だと思う答えを出すことができる。 【トピック7】約50%が太田市外から通学 「英語イマージョン教育」と「クリティカルシンキング」、さらには国際バカロレアの「10の学習者像」を教育の軸に据えるぐんま国際アカデミーの門戸は広い。在学中は学校まで1時間程度で通学可能な地域に保護者と同居していることが基本で、初等部入学をきっかけに校舎のある群馬県太田市に転入してくる家庭もある。  1時間程度という通学範囲は太田市内だけにとどまらない。2022年の調査によると、初等部の児童は太田市在住が50%、県内の太田市外在住が26%、県外在住が24%という割合だった。50%が太田市外から通学していることになり、中等部と高等部の割合もほぼ同じだった。  太田市は群馬県の南東に位置。栃木県と埼玉県との県境に挟まれる場所にあり、栃木県足利市や埼玉県熊谷市から通う児童や生徒も少なくない。初等部は太田駅、バスターミナルおおた、前橋駅、熊谷駅南口を発着とするスクールバスを運行(※4)しており、片道では前橋駅からは約50分、熊谷駅南口からは約40分で通うことができる。友人と談笑していれば、毎日の通学をそれほど長く感じることはない。スクールバスでの通学では上級生が下級生の面倒を見てくれる安心感もある。 ※4 足利はボランティア保護者によるプライベートバス 【トピック8】6クラスでプレスクールを展開  ぐんま国際アカデミーは幼稚園や保育園の年長児を対象にプレスクールを展開している。平日の週2回、あるいは土曜日の週1回に参加できる英語教室で、クラスはAからFまでの6クラスが用意されている。平日は15時か16時45分のスタート、土曜日は9時か13時10分のスタートで、授業は1コマ90分。プレスクール入校に際して試験は行われない。  教師はフィリピンやウガンダなど外国籍で、初等部以降と同じく英語イマージョンの環境のなか、歌やゲームといったアクティビティを通して英語に親しんでいく。プレスクール終了時点で、ほとんどの幼児がアルファベットを書けるようになる。簡単な単語も読めるようになり、そのまま初等部に進学する例が少なくない。一方で、どうしても英語になじめないケースもあるという。ぐんま国際アカデミーは「お子さんが英語に親しめるかどうかを判断する意味でプレスクールを使っていただくのも一つの考え方」だと捉えている。  プレスクールに参加する幼児の在住地は初等部とほぼ同じだ。太田市内、県内の前橋市、栃木県足利市や埼玉県熊谷市などから通っている。2コマ行われる土曜日には東京都内から足を運ぶ家庭もある。最寄りの太田駅までは浅草駅から東武鉄道の「特急りょうもう」を使い1時間25分で着くことができる。 【ショートインタビュー】プレスクールでは英語に自信がつき自己肯定感も高まりました 田島さん|4年生女子、年長児男子の母  小学4年生の娘がぐんま国際アカデミーのプレスクールに通い、大きな成長を感じたので、現在、年長児の弟もプレスクールで英語に親しんでいます。  授業だけでなく日常的に英語を耳にすることができ、英語を身近に感じやすくなる環境がぐんま国際アカデミーの魅力だと感じています。日本にいながら海外生活を体験できる場ではないかと思います。プレスクールにおいては、工作やクッキング、歌というように工夫された内容になっているので、楽しく自然に英語に触れられます。  プレスクールの1年間で子どもたちは英語を聞く力がつき、発音がきれいになりました。さらには、英語の絵本を自発的に読むようになり、主体性も身についたと感じています。みんなの前で発言したり解答したりすると先生方がたくさん褒めてくださるので、英語に自信がつき自己肯定感も高まりました。  プレスクールで外国人教師の方から直接学べる環境を経験しているので、初等部に上がったあとも違和感なく学校生活を送ることができます。初等部では授業に多く取り入れられているグループ活動において、異なる生活環境のお友だちと意見交換を楽しんでいるようです。親としてはプレスクール時代に在校生の保護者の方と交流が持てるので、学校の様子を知ることができ、入学後のイメージがしやすい利点があると思います。 【トピック9】2週間のオーストラリア短期留学を経験  初等部の6年生では英語イマージョン教育の集大成の一つとして、オーストラリア短期留学を経験する。行き先は西オーストラリア州の州都であるパース。コロナ禍以前は3週間だったが、3年間の中断を経て、新型コロナウイルス感染症発生以降の2023年には2週間に短縮しての実施が予定されている。  6年生はそれぞれホストファミリーの家に一人で滞在する。ホストファミリーのお子さんを「バディ」、いわばパートナーとして現地の小学校に通う。現地の小学校では日本の文化を英語で紹介する時間も設けられており、さまざまな出来事と向き合う。オーストラリアで過ごす濃厚な時間では英語力だけでなく、コミュニケーション能力や多様性を受け入れる力、挑戦する姿勢も育まれる。多くの児童は自信を強めて帰国し、国際社会をより意識するようになる。ぐんま国際アカデミーは6年次のオーストラリア短期留学は「人間力の成長」を促すと考えている。  高校1年生にあたる10年生には北米研修が用意されており、2023年度からはイギリスも選択肢に入る予定だ。現地の有名大学を目指す生徒と机を並べて授業に参加したり、大学の講義に参加したり、プロフェッショナルたちの仕事ぶりを学ぶ職場見学に行ったりして、視野を広げてくる。 【ショートインタビュー】英語学習やクリティカルシンキングに対して大きな影響 ぐんま国際アカデミー 高等部2年生天笠陽一朗さん  オーストラリアのパースで過ごす毎日は僕にとってとても居心地がいい環境で、常に楽しかった覚えがあります。現地の学校でつくった友だちとスポーツをしていた時間が一番楽しかったです。特に苦労した記憶はありません。仮に何か自分にとって大変であったり、残念なことがあったりしても、定期的にぐんま国際アカデミーの先生が学校に来てくださり、じっくりと話す機会があるのでそこまで深く考える必要はないと思います。  ホストファミリーにはとてもよくしてもらえました。週末に観光地、スポーツ観戦に連れて行ってもらったり、放課後にはバディのバスケットボールの習い事に一緒に連れてってもらえたり、家で一緒に映画を見たりなど、特別な体験をたくさんさせてくれたと思っています。どれも楽しく、幸せな時間を過ごせました。  小学6年生で体験するオーストラリア短期留学は、英語学習やクリティカルシンキングに対して大きな影響を与えたと考えています。ほかの国に自分一人だけで行って、現地の人たちと一緒に生活するので、必然的に英語を使う頻度が増えます。また、ほかの国の人と交流することによって、新しい文化や考え方なども実感できる場面がありました。これらの要素はクリティカルシンキングや英語に対して影響を与えると考えます。 【トピック10】2022年度はのべ19人が海外の大学に合格  未来の可能性を広げているのは「英語イマージョン教育」と「クリティカルシンキング」だけではない。ぐんま国際アカデミーが認定校となっている国際バカロレアの資格は国際的に認められた大学入学資格であり、進路の選択肢を増やしてくれる。2022年度までの5年間でのべ70人ほどが海外の大学に合格。2022年度の卒業生ではのべ19人が海外の大学に合格した。2022年度の実績リストには、アメリカのコロンビア大学やカリフォルニア大学サンディエゴ校、イギリスのロンドン大学ロイヤル・ホロウェイ校やカーディフ大学など、世界的に有名な大学の名前もある。  過去5年の合格実績は多岐にわたる。アメリカやイギリス、カナダなど英語圏内だけではなく、チェコやハンガリー、スウェーデンや韓国といった国も見られる。ハンガリーやスウェーデンの大学では医学や医療の道を選択した卒業生が多く、本人たちがやりたいことを見つけ、その勉強ができる大学を世界を舞台に選択していると言える。 「英語イマージョン教育」と「クリティカルシンキング」は就職先にも影響している。ぐんま国際アカデミーの12年一貫教育で英語力も思考力も伸ばした結果、外資系の企業や海外の企業に就職した卒業生もいる。 【ショートインタビュー】小学生から海外大学に憧れ、コロンビア大学へ進学 コロンビア大学工学部 1年生青山柊太朗さん  英語に親しみ始めた小学生のころから海外大学は選択肢として憧れがありました。具体的に意識し始めたのは高校1年生のときです。文部科学省の「トビタテ!留学JAPAN」に採用され、アメリカ西海岸の大学を見学するなかで具体的にイメージが湧くようになりました。コロンビア大学への進学に関しては、ぐんま国際アカデミーの「英語イマージョン教育」が大きく役立ったと感じています。  初等部時代、英語の授業で印象的だったのは、グループで好きな国への旅行プランを立てる授業です。場所や文化を調べるだけでなく、飛行機、移動時間、為替計算などの知識やスキルを総動員し、プレゼン資料をつくって発表。いわゆるアクティブラーニングが初等部のときから多く、同時に「Science Journal」という週末のレポート作成のように小学生のうちから仮説を立て、実験で検証するような研究を実践することができました。  アメリカでは充実した学生生活を送ることができています。世界中から集まった仲間とともに学び、濃厚な研究の機会などをいただいているだけではなく、コロンビア大学工学部の上位1%のEgleston Scholarにも選ばれました。ぐんま国際アカデミーでは中学受験や高校受験のプレッシャーがない環境で、のびのびと探究活動を進めることができ、生涯にわたって学ぶ楽しさを身につけられました。個性を認め合い、意欲的な環境が続いた12年間はかけがえのない時間だったと思います。 ==================== 第1弾 ぐんま国際アカデミー首都圏在住者向け学校説明会 5月13日(土)午前10時から GINZA SIX 11階 OPENHOUSE GINZA SALON 応募人数によっては、ご家庭から1名のみのご参加をお願いする場合がございます。 第2弾 授業公開 / 学校説明会  6月17日(土)午前9時から ぐんま国際アカデミー初等部 上履き持参、保護者のみのご参加 第3弾 授業公開 / 学校説明会  9月2日(土)午前9時から ぐんま国際アカデミー初等部 上履き持参、保護者のみのご参加 全ての説明会の詳細・参加登録はぐんま国際アカデミーホームページで お申し込みはこちら > ==================== 提供:ぐんま国際アカデミー
震災の記憶を後世につなぐデジタルアーカイブの今 「犠牲者の行動記録」マッピングも
震災の記憶を後世につなぐデジタルアーカイブの今 「犠牲者の行動記録」マッピングも 2011年3月23日宮城県石巻市の様子(撮影/芳賀朋之)  東日本大震災から12年が過ぎた。被害の記録は私たちの脳裏だけでなく、デジタル空間にも残されている。しかし、記録は集めて終わりではない。震災の経験を、後世へとつなぐための活用の取り組みを取材した。 *  *  *  東北大学災害科学国際研究所が運営する「みちのく震録伝(しんろくでん)」というサイトがある。トップページの検索窓に、 「瓦礫 仙台」  と入力すると、2260枚の写真がヒットした。その1枚をクリックすると、仙台市宮城野区の海岸公園にうずたかく積まれた瓦礫に、カラスが集まっていた。撮影時刻は2012年3月15日午後2時9分。東日本大震災による大津波が沿岸を襲って1年経ってもなお、復興が進んでいない様子がわかる。写真の隣には撮影場所を示した地図も表示されている。  震録伝には被災地の写真約14万7千枚、動画約1千本が掲載されている。いずれも被災者や自治体などから寄せられたものだ。こうした貴重な記録をサーバーに保管して公開する仕組みをデジタルアーカイブという。  デジタルなら、実物の写真のように劣化せず、世界中からアクセスできる。東北大は11年9月から構築を始め、各地もこぞって立ち上げた。一時は約50ものプロジェクトがあったという。  だが震災から年月が過ぎ、閉鎖も増えている。最近だと、22年に「茨城県東日本大震災デジタルアーカイブ」と「東日本大震災アーカイブFukushima」が閉鎖された。  震録伝の運営を担当する柴山明寛准教授は、デジタルアーカイブを続ける難しさの一つに、維持費の高さを挙げる。サーバーの保守費用などで年数十万~数百万円は必要で、人件費も加わる。震録伝も人件費を含めると数百万円かかっているという。さらに自治体の首長や担当者が代わり、「当初の目的や意義が組織のなかで薄れてきてしまっている」とも言う。  震録伝を利用しているのは主にマスコミや震災の伝承施設だ。一般利用はあまり進んでいないが、柴山准教授は「利用者数が増えればいいという単純な話ではありません。重要なのは防災・減災効果があるかどうか。そのために、誰でも使いやすくて情報の発見と活用をしやすい環境を整える必要があります」と話す。 「震災犠牲者の行動記録」の画面  多くのデジタルアーカイブは写真や動画の収集に軸足を置き、検索機能をあまり充実させてこなかった。震録伝も、これまでは「瓦礫」と入力しても「ガレキ」と登録された写真は出てこなかった。柴山准教授はこうした点の改良を重ね、情報を見つけやすくしてきた。 「目的があって情報を探している人に、より効果的に情報を届ける仕組みを構築することが、一番重要なことだと考えています」(柴山准教授)  震災を記録して伝えるという面では、私たちマスコミの記者も、その一翼を担っている。  なかでも岩手日報社が21年に東京大学大学院の渡邉英徳教授とともにつくったサイト「忘れない震災遺族10年の軌跡」は、紙面にとどまらない先進的な取り組みとして注目を集めている。  主要コンテンツの一つ「震災犠牲者の行動記録」は、津波の犠牲者がどのような行動を取ったかを3D地図上にマッピングしたものだ。岩手日報が11~16年にかけて実施した遺族取材をもとにした。  地図上の赤い点は女性、青い点は男性を示し、匿名もあるが、それぞれの氏名も表示されている。点の位置は時間の経過とともに移動していくが、速度には個人差があり、全く動かない点もある。記者のそばで渡邉教授が解説する。 「同じ名字で固まって移動しているのはおそらく家族です。隣町からやってきたり、山のほうから下りてきたりしている人もいます。家族が心配で向かっているのでしょう」  犠牲者の氏名があることで、ただの点の動きから目が離せなくなった。3D地図では高低差が一目でわかり、低地に向かう点を見ると、心がざわめいた。高台に避難した人が助かっていることも視覚的に実感できた。  サイトにはほかにも、震災から10年間の震災遺族の住居形態や居住地の経過をマッピングした「生活再建マップ」や、遺族のコメントをAIで分析して転居に伴う心情の変化などを表やグラフで表した「言語分析」というコンテンツがある。  渡邉教授は、戦災や災害の記録をビジュアル化したデジタルアーカイブをこれまでにいくつも手がけている。宮城県の一般社団法人「長面浦海人(ながつらうらうみびと)」と協力して21年に作成した「『記憶の街アーカイブ』石巻市大川地区」もその一つだ。 定点撮影した宮城県石巻市の様子(c)オモイデアーカイブ ■「災いの記憶」社会全体で継承  これは震災で418人が犠牲となった大川地区の住民たちの証言をまとめたものだ。津波の被害も書き込まれているが、いまは存在しない飲食店や企業の情報、「ここで泳いだ」「下校時の近道」「みんなの溜まり場」といった、その土地に住んでいた人しかわからない「思い出」もマッピングされている。 「悲しい記憶の場所ではありますが、住んでいた方々にとっては大好きな場所でもありました。小さなメモリーの積み重ねでできているのが街。その街の思い出を記録していく場として、被災地の方向けに作った大事なアーカイブです」(渡邉教授)  そのほかにも渡邉教授は、朝日新聞の取材をもとに作成した「東日本大震災アーカイブ」(12年)や、震災当時のツイートを3D地図上にマッピングした「東日本大震災ツイートマッピング」(21年)などの作成にも携わった。  渡邉教授はこれらの取り組みを「社会に“ストック”されてきた情報の“フロー”化」と話す。 「世の中にあふれている情報はわかりやすい形で流れてこないと人々の関心の対象になりません。ビジュアル化はその一つの形です」(同)  渡邉教授は現在、「東京大学基金」でデジタルアーカイブの開発・運用の資金を募っている。集まったお金はVR(仮想現実)やAR(拡張現実)などを活用したアーカイブシステムの開発や、人材の育成に使う予定だという。同基金のサイトから誰でも寄付することができる。 「災害や戦災などの『災いの記憶』を、社会全体で継承して活用していく仕組みを作ることを目指しています」(同) (本誌・唐澤俊介)※週刊朝日  2023年3月24日号より抜粋

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