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43%の夫が不機嫌ハラスメントの被害者か 夫婦生活を調査して分かった意外な構図
43%の夫が不機嫌ハラスメントの被害者か 夫婦生活を調査して分かった意外な構図 ※写真はイメージです(Getty Images)    日本には様々な結婚のカタチが存在するが、「結婚生活=日常生活」はさらに多様化している。一方で、二人がどんな夫婦関係を営んでいるのかをリアルに探る調査は少ない。中央大学教授で家族社会学者の山田昌弘氏は、2023年2月に夫婦の家庭生活における「パートナーの親密関係の変容に関する実証研究(以下、「親密性調査」)」を実施。山田氏の新著『パラサイト難婚社会』(朝日新書)から、日本人の結婚生活の実態について、一部抜粋・再編集して紹介する。 *  *  * 「フキハラ」をするのは夫か妻か  様々な「愛」の形があるならば、多様な「結婚」の形があってしかるべきと考える人々がいる一方で、「結婚」に伴う「不幸」の様相も、日本では多様化しています。おそらくどんな時代でも「結婚(生活)」に対する不満や不幸、悲しみや怒りは存在したはずですが、それがネーミングされるほど事例が増えているのが、現在の日本社会の特徴です。  結婚生活を送りながら不仲で没交渉状態であることを「家庭内別居」「家庭内離婚」と呼ぶようになったのは1990年代からでした。「DV(ドメスティックバイオレンス)」は、その名が付かない前近代でも存在しましたが、「働かない夫」や「ダメンズ」「家事育児をしない妻」などと共に、人生相談で取り上げられることが増えてきました。 【こちらも話題】 ただの友達「ただトモ夫婦」増殖中 https://dot.asahi.com/articles/-/8475  最近、注目を集めるのは「フキハラ(不機嫌ハラスメント)」です。初めて耳にした時は「フキノトウか?」と思いましたが、違いました。配偶者が一方的に不機嫌になることで、結婚生活が良好に維持できない状況を指す言葉だそうです(「婚活」という言葉をつくった時も、「え、トンカツ」と聞き間違えられたことも多々ありましたが)。  もちろん昔から陽気な人もいれば、ネガティブな人もいて、自分の意のままにならない時にすぐ怒る男性など、特に昭和の「ガンコおやじ」と呼ばれる層に大勢いたと思いますが、それが度を越すと「ハラスメント」になる時代になったということです。 「DV」との違いは、必ずしも相手に身体的暴力を振るうとは限らないこと。「モラハラ」との違いは、相手の人格をことごとく否定するほどの、言動の暴力性はないこと。  ただし、些細なことですぐに不機嫌になり、一週間口をきかない、モノに当たるなどの状態が続けば、配偶者は非常な心的ストレスを感じます。さらにはその事態を解消するために(あるいはその事態を繰り返さないために)常に自分が謝ったり、相手の機嫌を取り続けたりしなくてはならないのが共通項のようです。恒常的、かつ一方的に不機嫌をぶつけられる妻(あるいは夫)は、相手の機嫌を取るために、本来しなくてもいいはずの「感情労働」をさせられている、というわけです。 【こちらも話題】 30代美人姉妹 妹が先に結婚できた理由は「理想と現実」 https://dot.asahi.com/articles/-/119961  実際、フキハラはその名が付くずっと以前から、日本の家庭生活ではよく見られた現象でした。それについては「妻が耐えるべきこと」「妻の美徳」と捉えられがちだった昭和の時代に比べ、「本来、異常なこと」「夫婦とはいえ、男女は平等のはずだから、一方が我慢し続けるのは正常の状態ではない」と人々が考えるようになったわけです。  ところが一歩進んで最近気づいたのは、決して「妻(女性)だけが耐え忍んでいるわけではない」ということです。一般的にフキハラのイメージは、「イライラして不機嫌になる夫」と、それに「耐え忍ぶ妻」という構図です。ドラマや漫画でもよく描かれていますし、SNS上でも人生相談の欄でも、こうした悩みは決して少なくありません。社会学でフキハラを研究している大阪大学大学院生の岡田玖美子さんも、分析の中心は夫から妻へのフキハラです。  しかし、「親密性調査」でフキハラの項目を訊いてみたところ、フキハラをしているのは夫(男性)側だけではなく、妻(女性)側にも多い実態がわかってきたのです。 「相手が不機嫌になった時、自分が謝ったり、ご機嫌をとったりする」と答えたのは、25~34歳の夫(男)が最多で、43%でした。一方、一般的にフキハラの被害者と目されがちな55~64歳の妻(女性)で「謝る」人は、わずか7%だったのです。そして55~64歳の妻の27%が「自分も不機嫌になる」と答えており、44%は「放っておく」と答えていました。自分も不機嫌になる割合は夫より妻が多く、年齢による差はあまりない。配偶者が不機嫌になった時の対応は、若年であるほど、そして妻より夫の方が謝ったりご機嫌を取る、つまり感情労働をする割合が高いことがわかります。よく、「夫婦喧嘩で、夫が謝る方が波風が立たない」と言われることがありますが、それを裏付けるデータでしょう。 【こちらも話題】 「実家を出たくても出られない」経済的独立が困難な若者たち https://dot.asahi.com/articles/-/93867  ここから導き出される結論は二つです。一つ目は、世間で言われているほど、「不機嫌で強い夫」と、「それに耐える弱い妻」という構図は少ないのではないかということです。実際には「不機嫌で、イライラを振りまく妻」と、「それに耐える夫」という関係性が、世の中には大いに存在しているということです。だからといって、家庭では妻の方が権力があるとは言えません。夫に対して抵抗する数少ない手段が「不機嫌になること」だという場合もあるからです。  もう一つは、「声の大きい者勝ち」という現実です。ママ友コミュニティでも、ネット空間でも、新聞のお悩み相談欄でも、フキハラを訴えるのは、圧倒的に女性が多いのです。それはどうしてなのか。  一般的に男性は、家庭の悩みをあまり外には出しません。男性コミュニティで、妻の悪口で盛り上がるという場面には遭遇したことがありませんし、愚痴をどこかで発散するということもほとんどありません。これは男性の方が人格的に優れているからではなく、男女のコミュニティ形成の在り方の違いです。その場にいる同性と、配偶者の愚痴や悪口で連帯感や共通意識を持てるのは、共感能力の高い女性である場合が多いのです。  一方、男性は共感社会というよりも競争社会に生きており、常に社会的立場や縄張り意識を敏感に察知しながら、自分の立ち位置を確認している生き物です。そこで自分の結婚相手を不必要に貶めることは、妻の立場のみならず、配偶者である自分のポジションをも下落させる行為です。プライドや世間体もあるのでしょう。結果的に、妻の悪口は言わない(言えない)夫も多く、だからこそ、ひとり家庭で悶々と耐え忍ぶ……という現実も少なくないと見ています。 【こちらも話題】 50代ひきこもりと80代親のリアル 毎年300万円の仕送りの果て https://dot.asahi.com/articles/-/127449
風俗嬢が3か月で300万円 オーストラリアが日本より“格段に稼げて精神的に楽”な理由
風俗嬢が3か月で300万円 オーストラリアが日本より“格段に稼げて精神的に楽”な理由 ※写真はイメージです(Getty Images)    今、「日本より海外のほうが稼げる」と、海を越えて“出稼ぎ”をする性風俗業の日本人女性が出てきている。ヨウコさん(仮名・34歳)もその一人で、出稼ぎを繰り返し5年が経とうとしているという。その仕事内容、出稼ぎのきっかけ、暮らしぶりとは──。朝日新書『ルポ 出稼ぎ日本人風俗嬢』(著:松岡かすみ)から一部を抜粋、再編集して紹介する。  本書では、違法である性風俗業での海外出稼ぎの実体験のみならず、出稼ぎがはらむリスクやそこに至る社会的要因などを多方面から取材。個人の責任如何でなく、現代日本社会全体で考えるべき問題を提起している。 * * *  派遣社員から入った風俗の世界から足を洗い、介護職に就いたが、半年と持たなかったヨウコさん。派遣社員に戻るか、風俗の仕事に戻るか─―。そのせめぎ合いに、こんなにも早く戻るとは思わなかった。本当なら、そろそろ結婚でもして落ち着きたいところだが、結婚したいと思えるような男性になかなか巡り合わない。このまま風俗の世界にいたら、出会いや結婚が遠のくだろうという確信もあったが、派遣社員に戻っても、また同じことの繰り返しという気もした。知人から海外出稼ぎについて話を聞く機会があったのは、そんな矢先のことだった。 【こちらも話題】 性風俗の女性が海外に“出稼ぎ”のワケ 数こなすしかない日本に違和感 https://dot.asahi.com/articles/-/75  それは、風俗店で働いていた時の同僚で友人の、2歳年上の女性からの誘いだった。1~2年に一度連絡を取り合って会うという付かず離れずの仲だが、同じ関西出身ということもあり、会えば関西弁でいろんな話ができる、気を許せる間柄だった。聞けば友人は、オーストラリアに出稼ぎに行って帰ってきたばかりで、また3カ月後に出稼ぎに行く予定だという。週3日勤務で、日本円で月80万円ほど稼げたと話し、「うちらと同世代で、月200万~300万円稼いでいる日本人の女の子もいるらしい」という。 「店のママも良い人で、泊まる場所も用意してくれるし、安心できるよ。日本人は需要が高いから、働いてくれる子を募集してるんやって。一緒にオーストラリアで稼いで、観光したり買い物したり、楽しもうよ!」 「えっ、めっちゃいいやん、それ! 楽しそう!」  こんなノリで、3カ月後、友人とともにオーストラリアに飛ぶことが決まった。29歳の時のことだった。 マッサージ店で週6日勤務  オーストラリアでは、大部分の州で売買春が合法化されている。合法化以降、性産業は多様化し、オーストラリアに移り住むセックスワーカーも激増したと言われる。もちろん、働くには就労ビザなどが必要になるが、ヨウコさんと友人は観光ビザで入国。観光ビザでの就労は認められていないため、不法就労ということになる。 【こちらも話題】 海外出稼ぎ風俗嬢「ツアー」で約725万円稼ぐ 固定客は海外富裕層、相場は日本の3倍 https://dot.asahi.com/articles/-/215527  友人と一緒に飛行機でオーストラリアに飛び、入国。働き始めたのは、中国人の女性が経営するマッサージ店だった。表向きにはマッサージ店を名乗る、性風俗店だ。店に到着すると、派手な化粧で人懐っこそうな笑みを浮かべた女性オーナーが、片言の日本語で「コンニチワ~ヨウコソ~」と迎えてくれ、出稼ぎの生活がスタートした。  店での働き方は、こんな具合だ。営業時間は11時から25時(最終受付は24時30分)。昼勤務と夜勤務が選べ、基本的には1日8時間の勤務だが、希望すれば営業時間フルで働くこともできる。日曜は定休日なので週1日は休みになるが、ノルマがあるわけではないため、週3~4日休みにすることも可能だ。ただ、ヨウコさんのように出稼ぎ目的で働いている女性は、短期間で集中的に稼ぎたいと思って来ているため、週1日休めたら十分という人が多かったという。 3カ月での報酬は300万円  給料システムは、客が店に支払う料金のうち、70%がもらえる出来高制で、日払いが基本。女性のレベルによって料金に差が出るものの、ヨウコさんが働く店では、30分コース=1万円前後、45分コース=1万5千円前後、60分コース=2万円前後が店から女性に支払われる金額の平均だった。サービスが良ければ、客からチップ(日本円で3千~1万円程度が平均)が直接支払われる。また、個別にオプションのサービスを用意することで追加の報酬を得ることもできる。このオプションで得る報酬は、全て女性の取り分となるため、「みんな積極的にオプションを用意しているようでした」。 【こちらも話題】 「セックスが正直しんどい」変わる共働き時代の妊活 専用器具でストレス軽減 https://dot.asahi.com/articles/-/214183  ヨウコさんも友人も、英語はほとんど話せなかったので、「最低限これだけは接客中に必要だから覚えて」という会話や単語が記されたカードを店からもらい、暗記するように言われた。 「あと、翻訳アプリとかGoogle翻訳を使ったりすれば、何とかコミュニケーションはできる。妙に口説かれることもないし、嫌なことを言われてもわからないし、言葉が通じないのって、風俗の仕事をするうえでは、意外と精神的に楽なんだと知りました」  宿泊先は、店が借り上げているシェアハウスで、店で働く女性たちと共同生活を送った。シェアハウスに宿泊しなければならないというルールはないが、宿泊費は光熱費、インターネット代込みで日本円で1日約3千円と、ホテルより格段に安いため、店で働く女性たちの多くがシェアハウスを利用していた。個室は一人一室与えられ、バスルームとキッチンが共用。ヨウコさんが過ごしたシェアハウスは、10畳ほどの個室が5~6部屋あり、浴槽付きの広いバスルームとキッチンが付いた作りだった。キッチンには一通りの調理器具や冷蔵庫、皿類などが備え付けられているため、自炊も可能だ。 「シェアハウスで共同生活って、ちょっと留学したような気分を味わえるというか、旅行にはない楽しみがありました。店で働く女性はアジア系がほとんどでしたが、いろんな国から来ているので、それぞれのお国料理を作って食べたりしたのも楽しかった。店に訪れる客は、中国系の観光客が多かったですが、なかにはオーストラリア人もいました。店はウェブサイトなどを通じた集客もしていましたが、顔出しは完全自由なので、身バレするリスクはほとんどない。報酬のバック率も日本より高いし、日本のように店からタオル代やローション代などの経費を引かれることもないし、明朗会計で働きやすかった」 【こちらも話題】 "売春疑い"で「膣の中まで検査された」 日本人女性の入国拒否が急増する裏に審査官の情報網 https://dot.asahi.com/articles/-/205264  最初の渡航で働いた期間は、オーストラリアの観光ビザの上限期間である3カ月。宿泊費を除き、3カ月で合計約300万円の報酬を手にした。 「3カ月間、ほとんど休みなく店に出たので、結構ハードな3カ月でしたが、それを差し引いても、日本より格段に稼げました。客の感じも、日本で多かったオタクっぽい男性より、カラッと明るいというか、単刀直入に“セックスするためにここに来ている”という感じで、もっとシンプル。チップも励みになって、それなりにやりがいを持って働けました」  以来、同様の手順で出稼ぎをし始め、5年が経とうとしている。出稼ぎを繰り返すうちに英語も少しずつ話せるようになり、今では英語で普通にコミュニケーションを取ることができる。英語が話せることで、例えばオプションサービスの交渉などもしやすくなったり、客と他愛ない話もできるようになり、「もっと稼げるようになった」という。  また、アジア人女性の知り合いも増え、「あの国も結構稼げる」「あの店がわりと働きやすかった」といった情報も得られるようになった。入国時に怪しまれた時の切り抜け方や、嘘のつき方といった知恵も共有し合っているという。   www.amazon.co.jp/dp/4022952571 【こちらも話題】 「1カ月300万円稼げる」 35歳女性が入国審査をくぐり“海外出稼ぎ”を繰り返す理由 https://dot.asahi.com/articles/-/205268
中学受験で子どもが「塾を変えたい」と言い出す理由とは? 親子で受験の不安を乗り越える心構え
中学受験で子どもが「塾を変えたい」と言い出す理由とは? 親子で受験の不安を乗り越える心構え (写真はイメージ/GettyImages) 「志望校がなかなか決まらない」「不合格が続いている」といった中学受験の不安を乗り越えるために大切な心構えについて、青山麻美さんと鳥羽和久さんに聞きました。AERAムック『偏差値だけに頼らない 中高一貫校選び2024』(朝日新聞出版)から紹介します。 子どもが塾を変えたいと言いだしました。 POINT:まずは話を聞く。その上で心の傷にならない選択を  志望校や学力と、授業のレベルに隔たりがあったり、塾講師との相性がどうしても合わなかったりする場合は、転塾がよい結果につながることもあります。それは受験を続けるための前向きな選択です。逆に、受験そのものに意欲をなくしているケースも。小学校高学年はまだ精神年齢に差があり、受験が難しい子どもがいることも事実です。子どもにはそれぞれ伸びる時期があります。親が冷静に判断し、ときには受験を諦める決断が必要であることも知っておきましょう。(青山麻美さん)  各塾のカリキュラムは、すべてを網羅してこそ効果を発揮するので、学習計画の面では転塾によるデメリットは大きいと言えます。子どもが転塾を言いだす場合、多いのが友人関係のトラブル。クラス変更などで対処できないかを考えてみましょう。一方、競争させるような雰囲気が苦手、先生の激励がむしろ負担など、子どもがその塾の雰囲気を怖がっているなら、やめるという選択肢も。思春期の入り口で負った心の傷は、回復までに長い時間がかかることを忘れないように。(鳥羽和久さん) 夏休みや冬休みなどの長い休みはどう過ごしていいかわかりません…。 POINT:勉強と遊びをバランス良く  人は区切りを大切にしないと、次のステップにジャンプできません。“夏休み”“冬休み”など「休み」がつくからには、休ませることが第一です。親は今がチャンスとばかり、これまでの復習、テストの見直しなどと張り切りがちですが、プロ並みの管理力がなければ子どもを疲弊させるだけ。塾は長期休みを踏まえて講習のカリキュラムを組み、宿題を用意しています。まずはそれをクリアすることを目標に、足りない部分があるなら個別指導などで補っていくのが現実的です。(鳥羽和久さん)  長期休みは生活リズムが乱れがちです。早寝早起きの徹底に加えて、学力の基礎トレーニングである計算と漢字は毎日の習慣にしましょう。休み前に子どもと話し合い、一日のスケジュール、全体の目標を決めておくことも大切。カレンダーに勉強時間分のシールを貼るなど、成果を可視化するとよい刺激になります。もちろん休み中は、存分に遊ぶ時間も必要です。特に時間にゆとりがある4、5年生のうちなら、ぜひ旅行などに行って新しい体験をしてほしいと思います。(青山麻美さん) 志望校がなかなか決まらない…。 POINT:子どもには自分で決めたという実感を  まず両親が譲れないポイントを話し合い、「これらの学校なら、どこに行っても満足」という候補を複数ピックアップ。その中から、子どもに選ばせたらよいと思います。家族全員が学校選びに参加したという気持ちを共有していれば、後々もめることはありません。また子どもが熱望している学校があるなら、偏差値という物差しだけで考えず、過去問の出来具合も見ながら、前向きに考えたいもの。併願校対策を立てた上で挑戦させることが後悔のない受験につながります。(青山麻美さん)  子どもはイメージ先行で学校を選びますが、親は通える距離、カリキュラム、偏差値も含め、客観的に考えましょう。検討段階のときにおすすめなのが、リフレクティングという手法。お母さんとママ友との「こんな特徴がある学校がこの子には合うと思うの」といった何げない会話を子どもに何となく聞いてもらう方法です。このような会話をきっかけに、子どもの選択肢が広がることも。ただし、大切なのは意見を押しつけないこと。自分で選んだという実感を持たせましょう。(鳥羽和久さん) 不合格が続き、どうしていいかわかりません。全部落ちたらどうしよう…。 POINT:不安に思う顔を子どもに見せないこと  中学受験のせいで、子どもが燃え尽きてしまったり、親子関係が崩れてしまったりするケースを多く見てきました。受験すると決めたときから、親はどんな結果も受け入れ、不合格を子どもの責任にしないと心に刻みましょう。そして、どの学校に進むにせよ、その選択を重要視しすぎないこと。決定した環境を親子でどう受け止めるかのほうが重要です。親を悲しませた、悪いことをしたと思うから子どもは傷を大きくするのであって、親が平然としていれば、やがて子どもは立ち直ります。(鳥羽和久さん)  子どもは不合格になると、まず親の顔を見ます。ショックを受けても、それを子どもには見せないこと。そして受験は決して無駄ではなかったと、家族全員が納得することです。受験する目的は志望校合格だけではありません。「自分の足で夢に向かって歩く力」「困難に負けない強さ」を養うために受験を決めたことを思い出してください。今は目に見えなくても、その力は必ず子どもの中に蓄積されています。がんばり抜いた子どもを労ねぎらい、子どもの成長を信じて新しい道に送り出しましょう。(青山麻美さん) (文・平瀬菜穂子) 〇青山麻美/プロ家庭教師・受験カウンセラー。受験は人生を生き抜く力を育むという考えのもと、多くの生徒を担当。著書に『中学受験にチャレンジするきみへ』(大和書房)など。 〇鳥羽和久/大学院在学中に学習塾をスタート。寺子屋ネット福岡代表として、小中高生の学習指導に携わる。著書に『君は君の人生の主役になれ』(筑摩書房)など。
能登半島地震ルポ 「年間出生数80人のまち」輪島市で災害弱者をどう守るか
能登半島地震ルポ 「年間出生数80人のまち」輪島市で災害弱者をどう守るか ウミュードゥソラ福祉避難所でのひとコマ。輪島市が開設する福祉避難所は、2月10日時点で10カ所となった(写真/キャンナス災害支援チーム提供)   「これまでの震災現場とは違う支援の難しさがある」  能登半島地震の災害弱者への支援現場で、そんな声を聞いた。今回の震災は高齢被災者の比率が高い上、大勢の人が広域避難を余儀なくされている。下水道の完全復旧には年単位の時間がかかると言われ、要配慮者への支援も長期化している。  試行錯誤が続く現場で、災害弱者はどう守られているのか——。 * * * 輪島市内に「母子避難所」  輪島市の年間出生数は76人(2022年)。全国815市区中で777位(同)だ。高齢化と同時に少子化も加速している。  だからこそ、地元の人にとって子は宝。特筆すべきは、市内でただ一つ、妊産婦や乳幼児のための「母子避難所」が立ち上げられていたことだ。設置場所は、わじまミドリ保育園内。1月10日に開設され、同市福祉課によると、同月中旬には母子合わせて20人が利用していた。利用者が減った今も、支援は継続されている。   輪島市内に開設されたわじまミドリ保育園母子避難所(写真/同避難所提供)    同市で福祉避難所支援の調整を担ってきた厚生労働省DMAT事務局災害医療課の上吉原良実さんは、道路事情が悪い奥能登では、妊産婦の搬送リスクが高まることも懸念して早期の開設につなげたと話す。 「もともと小児科と産婦人科の医療のアクセスがいい地域ではない上、夜間に、雪で通行止めになることもあります。実際、発災後には天候が安定せずに、搬送用のヘリが飛べなかったこともありました。特に発災してまもない急性期は、妊婦さんや赤ちゃんを抱えた人の居場所や状況を確認し、フォローすることは、とても重要でした」(上吉原さん)  さらに、小児救急看護認定看護師でもある上吉原さんは、母子避難所が持つ別の側面にも触れた。 「災害時は、虐待やDV などのリスクも上がりやすいと言われていて、子どもたちが危機的な状況に陥りやすく、心配を抱えた家族に迅速に対応することも、母子避難所の大事な役割。いつでも母子が頼れる場所で、駆け込み寺的な機能もあります。輪島市の保育士さんが運営し、地元の小児科医や助産師さん、保健師さんが支援に入っていますから、ママたちが誰でも気軽に相談できるし、赤ちゃんをお風呂に入れるために利用することも可能です」(同)  今回、同年代の子どもを持つ母親同士が子育てのことや被災後の生活について情報交換したり、気持ちを打ち明けあったりしていたという。 輪島市内に開設されたわじまミドリ保育園母子避難所(写真/同避難所提供) 輪島市内の1次避難所=2月4日(撮影/古川雅子)   感染した要配慮者の砦に    じつは輪島市は、2007年の能登半島地震の際に「福祉避難所」を全国で初めて設置した自治体だ。福祉避難所では、高齢者や障害者、妊産婦や乳幼児など、避難所生活で特別な配慮を必要とする人を受け入れる。先述した母子避難所もその一つだ。  輪島市では、事前に26の施設で福祉避難所の設置協定を結んでいた。だが、今回の地震では、介護スタッフも市の職員も多くが被災。そんな事情から、1月1日の発災当初から開設できた福祉避難所は2カ所だった。  そのうちの一つが、同市釜屋谷町のグループホームなどが入る福祉施設に設置された「ウミュードゥソラ福祉避難所」。発災1週間後からはDMATの指示のもと、医療ニーズの高い人も送り込まれるようになった。アウトブレーク(集団感染)発生後は、新型コロナ、インフルエンザ、感染性胃腸炎という三つの感染症の罹患者が押し寄せ、感染した要配慮者の砦(とりで)にもなった。  背景としては、県立輪島高校の一角に増設された感染者隔離のための臨時の福祉避難所もすぐに満杯になってしまったことがある。さらに、地域の基幹病院である市立輪島病院の職員が多数被災していたため、入院病床を減らさざるを得なかった事情もあった。  特に高齢者や体が弱った人が感染症にかかると、一気に状態が悪化することもある。ウミュードゥソラ福祉避難所には看護師と在宅医が切れ目なく駆けつけていたこともあり、なんとか受け入れに応じた。  発災当日からここで支援を続けてきた地元看護師の中村悦子さんは、感慨深げに振り返る。 「グループホームの個室の入所者をバタバタと遠くの施設に2次避難させ、そこを隔離部屋にしました。部屋が空いたら、すぐさま新たに人が搬送されてくるので、利用者は40人以上に。 本当に野戦病院のような状況でしたね」  大広間には、認知症の症状が進んで歩き回る高齢者も複数いたが、そうしたお年寄りが隔離部屋に入ってこないよう、気を配る必要もあったと中村さんはいう。 元すし職人の避難者がいなりずしを  ここでの主だったケアの担い手は、外部の民間団体がチームを組むボランティアたち。中村さんのSOSを受けて、全国訪問ボランティアナースの会「キャンナス」を母体に、急きょ4県7団体による民間の災害支援チームが結成された。入れ代わり立ち代わり介護や看護の外部スタッフが応援に来る。そんな目まぐるしさの中で、被災者との交流も生まれていた。 朝食後にくつろぐ宮腰昇一さん(撮影/古川雅子)    印象的だったのは、宮腰昇一さん(75)だ。震災で半壊した輪島市内の自宅では暮らせなくなり、最初は1次避難所の駐車場で車中泊を続けていた。知人のツテを頼り、数日後にこの避難所にたどり着いた。  もともとはすし職人。市内に店を出し、38年間腕を振るった。避難所での会話でそんな経歴を知った神奈川県の介護スタッフから「煮た油揚げの保存食が避難所内に在庫があったんですよ。ぜひ握ってほしい」と声をかけられた。そこで1月末に、60貫のいなりずしを握って、入所者やスタッフらに喜ばれたという。  その直後に私が訪れた時、宮腰さんはいなりずしのエピソードを少し照れくさそうに話した。 「もう、一生大勢に握ることなんてないと思っとったけど、若いスタッフさんに誘われて。そのスタッフさんと、自宅まで自前の道具を取りに行ったんだよ。『飯切り』という寿司おけ。つぶれてぐしゃぐしゃになった家でほこりをかぶっとった。避難所に持ち帰ったそのおけで酢をまぶし、シャリを切って握らせてもらった。私も少しは皆さんの役に立ったんかなと喜んどる」 フラダンスを通じて福祉避難所の利用者と交流する看護師の上吉原良実さん。この催しは、「顔の見える関係」でつながる福井の2次避難所にも中継された(提供/キャンナス災害支援チーム)   高齢者自身が生活の場を選ぶ  宮腰さんは、2月頭に2次避難することを決めた。行き先は、富山県高岡市の高齢者施設だ。  2007年の震災の折に、二人三脚ですし店を手伝ってくれた妻を亡くしている宮腰さん。輪島市は家族の思い出が詰まる故郷であり、決断までには1カ月近くの時間を要したという。  それでも、他県への避難を決めたのはなぜか。 「ここの避難所で相部屋だった人が、家族ぐるみの付き合いのある人なんです。暮らしてみてだんだん気が合う『お隣さん』になった。それでスタッフさんに聞いたら、二人とも県外の同じ施設に入れると。知らない土地に行くのは気が進まんけれど、『お隣さん』と一緒だったらいいかなと思えてきてね」  夜になり、スタッフルームで、オンライン会議が始まった。参加する人の地域は、この避難所がある石川と神奈川と富山の3県にまたがった。  パソコンの画面に向かって相談事を話すのは、宮腰さん。そして隣には、80代の男性の姿がある。宮腰さんが話していた「お隣さん」だ。  画面の向こう側で二人のコーディネーターを務めているのは、普段は神奈川県で看護師・ケアマネージャーを務めている石川和子さん。もう一人のコーディネーターも富山県から遠隔で参加していた。  宮腰「向こう(高岡市)への移動の時、荷物はだいぶ詰められるの? 自宅から掃除機を取ってこようかなと思ってるし」  石川「前に避難した人も、車いすの人でも荷物は収まっていたから、きっと大丈夫ですよ」  避難先での暮らしをどう構築するかを相談する二人にとって、石川さんは顔なじみの間柄だ。彼女は「キャンナス災害支援チーム」の一員として1月から度々輪島に通い、避難者の調整支援業務を続けてきた。 会議の終盤、宮腰さんがおどけて言った。 「これがリモート会議っちゅうもんなんかな。『輪島サミット』やね(笑)」 画面を介して、双方に爆笑が起こる。 目を見張ったのは、被災した高齢者自身が生活の場を選びとっていたことだ。石川さんは後日、こう話した。 「被災した人たちは、個々の事情の中で真剣に悩んでいるんですよね。『輪島を出たくないのは、わがままを言ってるわけじゃないんだ』とおっしゃいますから。顔の見える関係で、オンラインを活用しながらも、相談支援のチームみんなで、『被災した方たちと一緒に』悩む。そうすると高齢の方でも、避難や新しい住まいのことは、みなさん自分で決めていかれますよ」 被災者、支援者双方の模索の中で、奥能登ならではの「新しいワンチーム」の形が生まれつつある。 (ジャーナリスト・古川雅子) ※AERAオンライン限定記事  
宇賀なつみさんが感じる「アナウンサーの働き方」の変化 「具合が悪い、つらいですと言いやすくなった」
宇賀なつみさんが感じる「アナウンサーの働き方」の変化 「具合が悪い、つらいですと言いやすくなった」 宇賀なつみさん(撮影/写真映像部・上田泰世)    元テレビ朝日のアナウンサーで、現在は「完全フリーランス」として働く宇賀なつみさん(37)。【前編】では、フリーになった理由や宇賀さん流の“働き方改革”などについて話をしてもらった。【後編】では、体調不良者が続出している局アナの働き方や、女性として将来どのような人生を歩んでいきたいかなどについて聞いた。 ※【前編】<元テレ朝アナウンサー「宇賀なつみさん」が“完全フリー”を決意した日 「芸能人になりたいわけではない」>より続く *  *  * 「あの日、感じたことが、本質だったんじゃないかなって思うんです」 「あの日」とは、テレビ朝日に入社した初日の2009年4月1日のことだ。  その日、宇賀さんは「報道ステーション」の気象キャスターとしてデビューした。雷が鳴る土砂降りのなかでの中継だった。 「原稿も雨でぐしゃぐしゃになっちゃって、どうしようって思ったときに、カメラマンさんや照明さん、ディレクターさんが、ずぶぬれになりながらも私の初回の放送を成功させるために必死になってくださっている姿が目に飛び込んできたんです。その瞬間に、私は自分のことだけ考えてたんだって気がついて、すごく恥ずかしくなりました。右も左もわからないけど、今日は、目の前にいるこの人たちのためだけに乗り切ろうと思いましたね。そうすると、自然と緊張が解けていました」 テレビ朝日の新人時代。お天気キャスターとしての取材でワイン畑に行った時の写真(画像=宇賀さん提供)   局アナの「最後の日」に思ったこと  それから10年がたった局アナとしての最終日。最後に出演したのは、「羽鳥慎一モーニングショー」だった。 「番組で、1分ほどあいさつをさせていただいたんですけど、そのときも同じことを考えたんです。10年たって、アナウンサーになることができたつもりでいたんですけど、やっぱりいまも一人では何もできなくて。カメラさんがいて、照明さんがいて、ディレクターさんがいて、プロデューサーさんがいて、フロアの人たちがいて、共演者の方がいて、それでやっと自分はアナウンサーになれていたんだって思ったんです。10年間仕事ができたのは周りの人たちのおかげだったんだなって」  テレビ朝日の看板番組を多く担当するなど、忙しく働いてきた宇賀さん。担当が変われば、全く異なる業界に転職したように、生活がガラッと変わるような日々を送ってきたという。  最近では、宇賀さんのような局アナが体調不良で担当番組を欠席するケースが相次いでおり、その働き方にも注目が集まっている。そんな現状について、宇賀さんは「いまのアナウンサーの間で、体調不良者が多くなってきているのかどうかは正直わからないです」と前置きしたうえで、こう話す。 情報番組「モーニングショー」時代に全国にロケ行っていた時、福岡の八女で撮った写真(画像=宇賀さん提供)   昔は「休めない空気感」はあった 「でも、私が入社した09年と退社した19年でも、働く環境は大きく変わっていました。働き始めのころは、正直、休めない空気感はありました。休んで番組に穴を開けることはできないって。でも、時代が進むにつれて、残業に厳しくなったり、仕事をいろんな人に割り振ったり、一人の負担が増えすぎないように、というやり方に変わってきているというのはすごく感じました。私は直接経験していませんが、コロナをへて、さらに変わっていると思います。具合が悪いとか、いまちょっとつらいですっていうことが言いやすくなって、休みたいときに休める。それを皆さんがちゃんとフォローできるっていう環境に変化しているというのはすごく喜ばしいことだなと思います」  もうすぐ「国際女性デー」(3月8日)を迎える。しかし、日本のジェンダーギャップ指数は、依然として世界の標準から大きく後れをとったままだ。世界経済フォーラムが毎年発表している「Global Gender Gap Report」の23年版によると、日本のジェンダーギャップ指数は、146カ国中125位。宇賀さんはランキングについて感じていることをこう話す。 「日本にとってはいまが過渡期で、変化するには本当に時間がかかるんだと思います。上位の国、たとえばフィンランドなどの北欧諸国を昨年、旅しました。これらの国々は、長い間戦争が起こっていたり、占領されたりしてきたという負の歴史がある。だから、やっとそこから独立できて、新しい国を自分たちの手でつくるんだとなったときに、いい国にしようと志し、さまざまなルールを考えたり、作ったりした結果、幸福度など、あらゆるランキングの上位に入るようになったんだ、と現地の人から聞きました。対して、日本は平和だった時代が比較的長くて、良くも悪くも変わりづらい国、変わるのに時間がかかる国なのかもしれないなと感じています。私自身も無意識のうちに古い価値観に縛られているときがあるくらいですから」 宇賀なつみさん(撮影/写真映像部・上田泰世)   “女性の生き方”という言葉への疑問  また、ランキングは一つの指標であって、それだけに縛られることは違うのではないか、とも思っているという。 「ジェンダーギャップの話題のときによく『女性活躍』という言葉が使われますが、『活躍』と一口に言っても、どう活躍したいかは個人によってさまざまですよね。一人一人が 幸福を追求した結果、ランキングが上がっていくっていうのが一番理想的だとは思いますが、これはなかなか難しい。だとしたらやはり、順番を逆にして仕組みから変えていく必要があると思います。それから、『日本はジェンダーギャップ125位だからけしからん!』と声高に言うだけでは伝わらない人も多いと思うので、経済の活性化や人手不足解消など、あらゆる問題と合わせて解決を目指していくしかないのではないかと。より良い社会にしていきたいという願いは皆さん共通しているはずなので、大人としての議論ができる世の中になるといいのではないでしょうか」  最後に、「一人の女性として、これからどのような人生を歩んでいきたいと思っているか」を聞いた。宇賀さんは「そもそも“女性として”という必要があるのかってすごく考えます」と言う。 「もちろん生物学的な性差はあるんですけど、性別の持つ意味がだんだん小さくなっていると感じています。それは、婚姻歴のあるなしとか、子どもがいるいないとかも同じで。出身地とか生年月日のように数あるプロフィルの中の一つにしかすぎなくなってきているなって思うんです。なので、“女だから“こう生きたいとか、そういうことは全くないです」 宇賀なつみさん(撮影/写真映像部・上田泰世)   「機嫌良くいること」が大切  しかし、お手本にしている生き方はあるという。それは92歳の宇賀さんの祖母のような人生だ。 「私の祖母は、子育てが落ち着いた50歳から英会話を習い始めて、それから海外にたくさん行って、70歳のときに単身、イギリスをバックパッカーで回ったような人なんです。祖母を見ていると、私は70(歳)まではどこにでも行けるって思いますし、ちなみに、80歳でボケ防止にマージャンを始めて、最近ついにLINEを始めたんですよ。目の前に一つ階段があったら、一段上ってみようっていう人で、年齢とか状況を絶対言い訳にせず、常に挑戦しているんです。それから、いつもニコニコしていて機嫌がいいんですよね」  祖母を見ていて、宇賀さんは敬愛する作家、田辺聖子さんの言葉を思い出すという。 「どこでおっしゃっていたかは忘れてしまったのですが、田辺さんが『人間の最上の徳は、人に対して上機嫌で接すること』ということをおっしゃっていて。祖母を見ていると、やっぱり機嫌良くいることが立派であることとか偉くなることよりも、自分のためにも周りのためにもなるなって。私も祖母のような人でいたいですね」 (AERA dot.編集部・唐澤俊介) ●宇賀なつみ(うが・なつみ)/1986年、東京都生まれ。立教大学社会学部を卒業後、テレビ朝日に入社。入社当日「報道ステーション」の気象キャスターとしてデビュー。その後、同番組スポーツキャスターや「グッド!モーニング」「羽鳥慎一モーニングショー」などを担当した。2019年、テレビ朝日を退社、フリーランスに。現在、「土曜はナニする!?」(フジテレビ系)、「池上彰のニュースそうだったのか‼」(テレビ朝日系)、「SUNDAY'S POST」(TOKYO FM)など、テレビやラジオで活躍している。また、朝日新聞デジタル「&Travel」などで執筆業も行っている。著書にエッセー本『じゆうがたび』(幻冬舎)がある。
息子3人をスタンフォード大に合格させたアグネス流教育 得意・不得意は8歳までに作られる
息子3人をスタンフォード大に合格させたアグネス流教育 得意・不得意は8歳までに作られる スタンフォード大に留学中のアグネスさんと長男、生まれたばかりの次男 photo アグネス・チャンさん提供  花巻東高校の佐々木麟太郎選手(3年)は、歴代最多の高校通算140本塁打を放ったとされる強打の内野手。2023年の夏の甲子園で8強入りするなど、注目を集めたが、いま、その佐々木選手が米スタンフォード大学への進学で注目されている。  米カリフォルニア州にあるスタンフォード大は、世界有数の難関私立大学として知られ、23年9月に英国の教育誌「タイムズ・ハイヤー・エデュケーション」が発表した24年版の世界大学ランキングでは、英オックスフォード大学に次いで2位だった。  歌手でエッセイストとしても活躍するアグネス・チャンさん(68)も、子どもが生まれてからスタンフォード大に留学し、博士課程で教育学博士号(Ph.D)を取得したという経歴を持つ。そして3人の息子たち全員がスタンフォード大に合格するほど教育熱心だったことは有名だ。アグネスさんが幼児期の子育てで大切にしていたこととはどんなものだったのか。  アグネスさんの著書『スタンフォード大に三人の息子を合格させた50の教育法』から引用してリポートしたい。 ***  幼児期の子どもには、できるだけいろんな体験をさせて、五感を刺激してあげることが大切です。それは脳細胞につながるシナプスが活発に増える時期だからです。人間の脳細胞はほぼ同じ数です。でも細胞をつなぐシナプスは人によって違います。シナプスが多ければ多いほど、脳の回転は速くなるといわれています。子どもの可能性を伸ばすためには、できるだけ脳細胞につながる回路を増やすことなのです。  子どもの脳は、真っ白い画用紙のようなものです。何もかもが新鮮で初めての経験です。一つ一つ見て、聞いて、触れることにより、脳が刺激され、新しい回路が作られます。そのために、できるだけ毎日、違うこと、違う刺激を与えてあげたいのです。  よく「子どもには毎日時間を決めて規則正しい生活をさせたほうがよい」といわれています。しかし、同じことの繰り返しは、むしろ脳の発達を低下させる恐れがあります。たとえば、公園に通うのでも、昨日が近所の公園なら、今日はバスに乗って、遠くの公園へ行ってみる。時には海岸に行ったり、森へ行ったりすることが、子どもには必要です。  食べ物でも、できるだけ多くの種類、いろんな味を体験させるべきです。そして、たくさんの人と出会わせて、いろんな言葉を聞かせることも脳の成長に繋がります。さまざまな物や動物を触ったときの感触、温度、匂いなども、脳の成長にとってはいい体験です。五感を通して、脳にどんどん情報を送り込むことが大切なのです。  教育者の間では、「3歳までにいろんな体験をさせて、6歳までに上手に社会参加ができるようにして、8歳までにIQを高めて思春期に備えることが大切だ」といわれています。  これは8歳までに一番多くシナプスが作られるためで、8歳以降は使わないシナプスは消滅するといわれています。その頃から得意・不得意、好き・嫌いがはっきりしてくるのです。だから8歳になるまでに、できるだけ多くの物を見せ、聞かせ、触らせ、人に会わせてシナプスを複雑にしていくことが必要です。そうすると8歳以降に、徐々に取捨選択をするようになったとき、選択肢の幅が広がります。それによって、子どもの可能性も広がるのです。  もちろん個人差もあるので、なかなか計画通りにはいきません。それでも私は、息子たちの脳の発達段階を意識して、できるだけ多くの刺激を与えるようにして、彼らの成長を見守ってきました。  好奇心が旺盛で、何事にもポジティブで物怖じしない子どもに育てるためには、幼児期の豊富な体験が欠かせません。子どもの可能性に蓋をしないためにも、子どもには多くのものを見せて、聞かせて、触らせて、人に会わせて、世の中を見せてあげたいものです。  また、どんなことをやるにしても、集中力がないと効率よくできません。勉強も同じです。集中できる子は、能力を無駄なく課題に注ぐことができるので、勉強も短時間で済むし、良い成果につなげられます。でも、気持ちが散漫だったり、集中力の持続幅が短いと、いくらやっても時間ばかりが過ぎて、勉強の効率は悪くなります。  息子たちの集中力を高めるために、私は子どもと一緒になっていろんな遊びや作業をしました。長い時間と根気を必要とする作業をやり続けることで、集中力はアップします。「小さい子には無理だろう」と思いがちなことでも、本当に興味があって、好きなことなら、たとえ幼児期でも集中力を高める訓練はできます。  長男は料理に興味があったので、3歳ぐらいから野菜の皮を剥いたり、切ったり、材料を量ったり、混ぜたり、細かい作業を根気よく続けさせました。実は料理作りは、集中力を高めるためにとても良い作業です。焼いたり、炒めたり、オーブンの温度を設定したりという調理も、とにかく集中していないと、怪我をしたり火傷をしたりします。ちょっと間違えれば、美味しい料理が出来上がらないので、最後までいやでも集中しなければなりません。  私としては自分で料理をしたほうが簡単で楽なのですが、あえてこの作業を続けるようにしました。そして、料理が出来上がったら、一緒に食べて、美味しかったら徹底的に褒めてあげました。長男は褒められるのが嬉しくて、毎日のようにキッチンの小さな椅子の上に立って、本当に集中して手伝ってくれました。  同様に、音楽好きの次男には、小学生のときにギターのコードを教えて、一緒にギターの練習をするようにしました。次男はほうっておくと、3時間でも4時間でも熱中してギターを弾くようになり、そのうちに自分で作詞・作曲をして歌うようになりました。その後、自作の歌はインターネット上でも話題になり、音楽は次男の人生を彩る欠かせないものになったのです。 アグネス・チャン 1955年、香港生まれ。72年、「ひなげしの花」で日本で歌手デビュー。上智大学国際学部を経て、カナダのトロント大学(社会児童心理学)を卒業。85年に結婚。86年に長男、89年に次男、96年に三男を出産。この間に、米スタンフォード大学教育学部博士課程に留学し、教育学博士(Ph.D)を取得 photo 矢部ひとみ  このように、親が子どもに寄り添って興味のあることを根気よく続けさせていると、子どもは自然に集中力を高めることができるようになります。一度脳に「集中スイッチ」を作ってしまうと、子どもは自由に集中スイッチの「ON」「OFF」ができるようになります。どんなに口をすっぱくして「勉強に集中しなさいよ」と言ってもあまり効果はありません。  でも一度、興味のあることに集中する快感を覚えると、子どもは必要なときには集中スイッチを「ON」にして、物事に集中して取り組むことができるようになるのです。  料理や音楽以外でも、パズル、レゴ、積み木などの遊びも集中力を高めます。俳句などを一緒に詠んだりするのもいいでしょう。大切なことは「親と一緒に」ということです。無駄なく集中して勉強できるようにさせるためには、日頃の親の努力は欠かせません。 (歌手・エッセイスト アグネス・チャン/生活・文化編集部)
なぜごはんに牛乳? なぜ安価で食べられる? 現役栄養士が明かす、奥深き「給食」トリビア
なぜごはんに牛乳? なぜ安価で食べられる? 現役栄養士が明かす、奥深き「給食」トリビア 『給食の謎 日本人の食生活の礎を探る (幻冬舎新書 713)』松丸 奨 幻冬舎  明治時代のなかばに始まり、昭和20年代後半には全国の小学校で実施されるようになった「給食」。戦後に生まれた人であれば自身の経験談を語ることができ、地域差や世代差が存在することから、給食は誰もがひとこと語りたくなるテーマであるようです。皆さんも友だちや職場の人たちとの会話で一度は盛り上がったことがあるのではないでしょうか。 しかし「給食についての正しい情報をお持ちの方は意外なほど少ないのが実情」だと東京都文京区の小学校に勤務して15年になる管理栄養士の松丸 奨(まつまる・すすむ)さんは言います。 松丸さんは2013年に「全国学校給食甲子園」という献立コンテストで男性栄養士として初優勝して以降、メディアや講演会で給食の話をする機会が増加。しかし給食システムの背景や内幕について知る人は、現場の従事者を除くと極端に少ないことに気づいたそうです。たしかに、「なぜ給食の飲み物は主食がごはんの時でも必ず牛乳なのか?」「給食室がない学校が増えているのはなぜ?」「なぜ1食約260円の激安価格で提供できるの?」といった質問にきちんと答えられる人は少ないかもしれません。 そこで、自他ともに給食マニアを認める松丸さんが、給食を取り巻くあれこれについてさまざまな角度から解説するべく著した書籍が『給食の謎 日本人の食生活の礎を探る』です。 同書の第1章で書かれているのは、ある1日の給食室の流れ。ここではどれほど徹底した衛生管理のもと、緻密な行程と作業によって日々の給食が作られているかが明らかにされます。調理員の働きぶりはもちろんのこと、スチコン(スチームコンベクションオーブン)の導入や製パン工場の商品開発・改善などにより、よりよい給食の提供にむけて日々努力や工夫がされている点にも目をみはります。これを読むだけでも、当たり前のようにいただいてきた給食にあらためて感謝の気持ちを感じるかもしれません。 続く第2章では、学校栄養士の献立立案について紹介。自治体ごとのルールや栄養素の基準値、メニューの組み合わせなどすべてを考え合わせる必要があり、松丸さんはその難解さを「献立作りはまるでルービックキューブをいじっているよう」とたとえます。さらに第3章では給食の歴史について、第4章では給食を規定する法律や基準について、第5章ではお金にまつわる本音、最終章となる第6章では食べ残しを防ぐためのテクニックについて紹介されています。 給食の話は、小学生や中学生の子どもを持つ親だけが知っていればよいというものではありません。世界情勢の悪化による物価高騰が給食の予算を直撃したり、コロナ禍には「黙食」が子どもたちの給食にも強いられたりと、給食と社会の抱える問題は結びついていることも多いものです。松丸さんが記しているとおり、「給食は、その国の大人が子どもたちをどれくらい大切にしているのか、ということの映し鏡である」(同書より)と言えます。知っているようで詳しくは知らない給食の世界について、皆さんも楽しみながら触れてみてはいかがでしょうか。[文・鷺ノ宮やよい]
小さいうちに日本語と英語に触れると混乱しない? 英語好きの子が育つ10のヒントを専門家に聞く
小さいうちに日本語と英語に触れると混乱しない? 英語好きの子が育つ10のヒントを専門家に聞く 写真はイメージ(iStock)   小学校で英語教育の強化が図られている今、子どもが英語好きになるには、就学前も含め、家庭でどんなアプローチをすればよいのでしょうか。親が知っておきたい「おうち英語」のポイントを、言語教育の専門家に聞きました。AERA English特別号「英語に強くなる小学校選び」からお届けします。 話を聞いた人 〇磯崎みどりさん/シンガポールの日本語文化継承学校校長。米コロンビア大学大学院で継承語について研究、修士課程を修了。アメリカやシンガポールの補習校で10年以上の指導経験を持つ。アメリカの小学校や早稲田渋谷シンガポール高等学校でも英語を指導。2011年、シンガポールで日本語文化継承学校を創始。マルチリンガルの娘を育てた母でもある。 〇正頭英和さん/小学校教諭。関西外国語大学外国語学部卒業。関西大学大学院で外国語教育学修士を取得。2019年には「教育界のノーベル賞」とも言われる「グローバルティーチャー賞トップ10」に選出。23年には株式会社JTBと共同し、企業訪問を行う中高生のための教材「ことばdeスナイパー」を開発。     【ヒント1】早くからと焦るべからず。プレッシャーをかけると英語嫌いになる可能性も  「英語習得のスタートは早いほうがいいかというと、そんなことはないと思います」  そう話すのは、米コロンビア大学大学院で修士課程を修了した磯崎みどりさん。日本で生活するうえでは日本語が基盤になるため、まずは母語でコミュニケーションの軸をつくることが大切だという。「日本人ならまずは日本文化を知ること。グローバル人材は得てして幅広い教養を持っているので、英語以外の興味も伸ばしてあげましょう」(磯崎さん)  小学校教諭の正頭英和さんも「小さいうちから始めたからといって、効率的に伸びるとは一概には言えません」と同意する。英語習得には時間がかかるため、早くスタートを切るのは一つの考え方だが、強制は禁物だ。「プレッシャーを感じて小さいうちからやらされると、むしろ英語嫌いになってしまうかもしれません」(正頭さん) 【ヒント2】最初は土台として“英語耳”づくりが大切。歌や動画は効果的  「英語指導に関わる人が100人いれば100人が最初はリスニングからと言うでしょう。日本語でも、聞ける言葉以上のものは話せないはずです」と、正頭さん。土台として〝英語耳〟をつくることを推奨する。「本能的に楽しめるもの」から始めるのがよく、小さいうちに英語の歌に親しむのは効果的だという。「きらきら星や「大きな栗の木の下で」など、海外の童謡を日本語に訳して歌われているものなら、英語版を聴いても雰囲気がつかめる。  英語の動画鑑賞もおすすめだ。「動画を見終わったあと、『どんな話だった?』と聞くと、内容を振り返りながら、どこを把握できているかがわかります」(磯崎さん) 【ヒント3】最初に〝英語耳〟をつくる際は、奇麗な発音にふれるのが理想的  「最初に〝英語耳〟をつくる際は、奇麗な発音にふれたほうがいいでしょう。その意味でも英語の動画にはずれはありません。親が英語を話すことにプレッシャーを感じなくても、デジタルコンテンツを使えばいろいろなものがあるので、有効活用すればいいと思います」(正頭さん)。耳を大事にすべき時期に、良質な英語にふれないのはマイナス要素になるという考え方だ。磯崎さんは「奇麗な発音に接するのが理想」としながらも、「世界中では第2言語としていろんな英語を話している人がいます。親がつたない発音でも英語の絵本を読んでくれる時間は楽しいし、子育ての面ではよい点もあるはずです」と話す。 【ヒント4】英語に興味を抱くような工夫や仕掛けをたくさんしておこう  そもそも、子どもが興味を抱かなければ英語好きが促される可能性は低い。「始めはお勉強というより、楽しみながら英語にふれるのが理想でしょう。就学前であれば、『こういう言葉があるのか』と反応するくらいの段階でいいのでは」(磯崎さん)「A」なら「Apple」という単語とりんごのイラストが書いてある英語ポスターを家のお風呂の壁に貼り、目を引くような工夫が効果的だという。  「興味を持たないと、自ら進んでやりたいとは思わないですよね? 英語の映画や動画を親子で一緒に見るなど、楽しい仕掛けをたくさんするのがオススメです」(正頭さん) 【ヒント5】最初は大文字から親しむ。街中でアルファベットを読めたら褒めてあげる  英語の小文字は「b」と「d」、「p 」と「q 」、「u」と「n」という鏡文字があり、小さいうちは混乱しやすいと言われる。アルファベットは最初に大文字から親しもう。 「街中には、看板を含め大文字が多いですよね。英語が読めたことが子どもにとっては何よりうれしいので、『Bがあった!』『読めたね、すごいね』というのが、親子のいいコミュニケーションだと思います」(正頭さん)   【ヒント6】体を動かしながら英語を身につけるのは〇  英語学習には「トータルフィジカルレスポンス(Total Physical Response/TPR)」という教授法がある。自分で体を動かしながら英語を身につける方法で、たとえば「Raise your hands.」という声かけに対して両手を上げることで「Raise」が「上げる」、「hands」が「両手」という意味をつかむ。「Stand between the lines.」であれば、実際に二つの線の間に立つことで「Stand」や「between」を体感できる。  「子どもたちは体の動きでなんとなく意味をとらえていくので、英語の歌も体を動かすものがよりよいですね」(正頭さん)  「劇を通して英語を覚えるという方法もあります。体を使いながらだと楽しいですし、覚えやすいと思います」(磯崎さん) 【ヒント7】英会話教室選びは、グループレッスンと「発音の奇麗さ」を重視しよう  言語は親を含め周りとの関わり合いから身につけるもの。磯崎さんは「英語を使うコミュニティーに入るのがベター」とし、英会話教室はグループレッスンを推奨する。わからなくても、周りの子たちの行動を見て意味を推測できるからだ。「推測力は言語習得に欠かせません」(磯崎さん)  正頭さんは「ネイティブの講師にこだわる必要はありませんが、小さいうちには発音の奇麗さが大きな条件になる」という。「国籍は関係なく、発音が奇麗なうえ、やりとりのなかでより自然な英語をフィードバックできる講師が成長を促してくれるでしょう」(正頭さん) 【ヒント8】日本語と英語の両方に接しても混乱しない。抽象的な概念は「英→日」に訳してあげて  小さいころから日本語と英語に接していると、子どもが混乱するのではないか。正頭さんによれば、そうした不安は杞憂だ。「多少混乱する時期はありますが、小さいうちから2言語にふれているほうがバイリンガルになれる可能性は高い」(正頭さん)  磯崎さんは「食べ物や乗り物など、具体的な物事を指す単語の場合は、英語のままでその意味を理解できる」としたうえで、「親の役割は、子どもがどれほど母語になる言語の力を持っているかを理解し、次に新しく入ってくる言語とつないであげられるかが大事」と話す。抽象的な概念のときには特に英語を日本語に訳してあげるのも親の務めだという。 【ヒント9】無理に取り組ませたり間違いを叱ったりすると〝英語嫌い〟が加速する  英語を流暢(りゅうちょう)に操れるようになってほしいのはあくまで親の希望だ。子どもが自ら望んでいるものではない。「子どもの行動基準はシンプルで、楽しいからやる、楽しくないからやらないなんです」と正頭さん。英語に興味を示さないのに、無理やり取り組ませるのは逆効果だと主張する。特に強制的に書かせるのがNG行為で、学習ドリルのように感じると、後ろ向きになってしまうそうだ。  磯崎さんも「外国語ですから間違って当たり前。間違いを叱ると子どもはやる気を失います」と話す。同時に、小さいうちに丁寧に直してあげると、のちのちネイティブが不思議に思わない英語が話せるようになるという。 【ヒント10】「好きなこと」×「英語」は英語に対するモチベーションを高めてくれる  正頭さんは、デジタル版ブロック遊び「Minecraft(マインクラフト)」を活用した独自の英語授業を評価され、2019年に「グローバルティーチャー賞トップ10」に選ばれた。「遊びの楽しさで英語に対する意欲を引っ張り上げる方法です」(正頭さん)  正頭さんも磯崎さんも「好きなこと」×「英語」の効果は大きいという意見で一致する。最近はサッカーやプログラミング、ピアノを英語で学ぶ習いごとが増えている。「好きなことですし、コミュニティー、ボディーランゲージ、そしておそらく日本語ですでに理解していることを英語で聞くという三つがそろっているので、理想的な学びだと思います」(磯崎さん) (取材・文/菅野浩二)
ぐんま国際アカデミーでの小中高12年間で身につけられる1+10  のチカラ 卒業生の声も紹介
ぐんま国際アカデミーでの小中高12年間で身につけられる1+10 のチカラ 卒業生の声も紹介  群馬県太田市に校舎を構えるぐんま国際アカデミー(GKA)は、初等部、中等部、高等部がそろう12年一貫教育校だ。学校生活の大半を英語で過ごす「英語イマージョン教育」と、中等部以上では国際的な教育プログラムであり、「10の学習者像」を掲げる「国際バカロレア(IB:International Baccalaureate)」を採用している点を特徴とする。つまり12年間を通じて、英語力と、IBの理念に通ずる10の能力が育まれる。ぐんま国際アカデミーだからこそ伸びる11のチカラ  と、個性的な教育を通して成長した卒業生の声を紹介する。 IBが掲げる「10の学習者像」 ・探究する人 ・知識のある人 ・考える人 ・コミュニケーションができる人 ・信念をもつ人 ・心を開く人 ・思いやりのある人 ・挑戦する人 ・バランスのとれた人 ・振り返りができる人 ※所属や学年は2024年2月1日時点のもの 身につくチカラ① 4技能をバランスよく伸ばす英語力 学校生活の大半を英語で過ごす「英語イマージョン教育」を採用している  ぐんま国際アカデミーは「太田市外国語(英語)教育特区構想」に基づき設立されており、初等部から英語教育に力を入れている。学校生活の大半を英語で過ごす「英語イマージョン教育」を採用し、授業の約7割を英語で実施。およそ20カ国にわたる多国籍の教師陣のもと、文部科学省が推奨しているとおり、「聞く」「話す」「読む」「書く」の英語4技能をバランスよく伸ばしていく。  初等部の野澤弘道副校長が話す。 「たとえば初等部の1年生の英語の学習では、まずは自分の名前を書くところから始まります。それから、自分や友だちが好きなもので『like』、自分や友だちができることで『can』の使い方を覚え、自分が怖いもので『I'm scared』、『もし~だったら自分は~したい』は『If...I will...』を使ってという流れで表現力を広げていきます」  近年では、実用英語技能検定、通称「英検®(※)」で2人の5年生が1級に合格した。英検®1級を取得するには大学上級程度の能力が必要とされており、初等部の6年間で相当な英語力が身につく。インターナショナルスクールにも劣らない環境で英語力を育むと、高等部では4000ワードを目安とした英語の論文を書けるようになる。 ※英検®は、公益財団法人 日本英語検定協会の登録商標です 身につくチカラ② 「なぜ?」や「知りたい!」に基づく探究する力 児童や生徒の思考を刺激する環境が整っている  ぐんま国際アカデミーは「クリティカルシンキング」を重視している。「批判的思考」と訳されることもあるクリティカルシンキングについては、物事を無条件に受け入れるのではなく、「なぜ」や「どのように」を常に考え探究する姿勢のことと捉えており、児童や生徒の思考を刺激する授業を展開している。  たとえば初等部1年生の植物に関する授業では、まず「何を知りたいか」をグループで話し合うところから始め、朝顔を種から育て、枯れるまで観察を続ける。その過程で自らの目や手を通して気づいたことや疑問に思ったことが興味の幅を広げていく。 中高等部で国際バカロレア中等教育プログラムのコーディネーターを務める高松森一郎先生は、「背中を押してあげることで自己肯定感が育まれます」と言う  中高等部で国際バカロレア中等教育プログラムのコーディネーターを務める高松森一郎先生が説明する。 「物事の本質や意義を探究するうえで不可欠なのは『なぜ?』や『知りたい!』という好奇心です。どんなに些細な『なぜ?』や『知りたい!』、あるいは『やってみたい!』でも、教師陣は子どもたちのその目の輝きを大切にしています。背中を押してあげることで自己肯定感が育まれます」  中等部の3年生は一年間を通じて社会貢献型のコミュニティープロジェクトを経験する。興味のあるテーマを設定したうえで地域のコミュニティーなどと向き合い、そのニーズをくみ取りながら、どのような視点や改善を加えれば社会がよりよくなるかを探究していく。 身につくチカラ③ 社会の課題解決につながる知識力 レモネード販売で得た収益を小児がんの治療研究に活用する活動は、知識を社会貢献に生かした動きと言える 「なぜ?」や「知りたい!」から始まる学びは、正しく伝え、納得してもらうためにも相応の知識が必要になる。ぐんま国際アカデミーでは初等部のうちに、親に聞く、本を参考にする、インターネットで調べるなど、段階を踏んで知識の習得方法を身につけていく。知的好奇心がもとになっているため、当然、知識欲も高い。  授業は初等部のうちから子どもたちが向き合って、対話する形式が多い。友人に伝えるなかで自身の知識の定着度は高まるし、知識の共有を図れる効果がある。概念や知識のベースは母語によるという考えから、初等部では特に国語の授業にも力点を置く。国語の教師は公立小学校とは違いほぼ専科であり、概念や知識を積み上げる日本語力をしっかりと伸ばしてくれる。 「授業で学んでいることが、社会のどの部分とつながっているのかという感覚を常に持っていてほしいですし、自分の知っていることを地域社会やグローバル社会の課題解決にどう生かせるか、幅広い分野の知識を行動に移してほしいと考えています。本校の生徒が関わったウイッグを必要とする子どもたちに自身の髪を寄付するヘアドネーションの活動や、企業やバスケットボールチームと連携し、レモネード販売で得た収益を小児がんの治療研究に活用する活動は、まさに知識を社会貢献に生かした動きだと思います」(高松先生) 身につくチカラ④ 論理的かつ分析的に考える力 「アクティブラーニング」を通じて子どもたちはいきいきと学んでいく  ぐんま国際アカデミーでは教師が一方的に話し、児童や生徒が黙々とノートをとるだけといった一斉授業はほとんどない。「クリティカルシンキング」、つまりある事象を中立的に分析したり、価値判断したり、説明したり、懐疑的に見たりする論理的で分析的な思考の力を育むためには、児童や生徒が能動的に考えをめぐらす必要があると捉えているからだ。  ディスカッションの時間も多く、子どもたちがいきいきと意見を交わす「アクティブラーニング」を通じて、論理的で創造的な思考力を育てていく。初等部の高学年になると、英語で物語を読んだあと、「自分ならどんなストーリー展開にするか」を考える授業もある。主体的な思考は創造力や表現力も豊かにしてくれる。 「最初に結論を話し、その後に理由や根拠、実例を提示し、再度主張を述べる、といった『思考の型』は初等部のうちに身につけていきます。高等部になると、直面した課題や問題を分析し、『自分がすべきこと』『自分がやりたいこと』『王道な回答』『代替案』『自分のとる選択の影響』などを検討し、自分なりにロジカルで倫理的な選択をすることができるようになります。卒業生からは『論理的に考える習慣がついているから、大学での学びも問題なくこなせています』といった声も聞かれますね」(高松先生) 身につくチカラ⑤ 多様性を受け入れるコミュニケーション力 対話型の授業や行事が充実しているため、必然的にコミュニケーション力が磨かれる  初等部のうちから英語も日本語も対話型の授業や行事が充実しているため、必然的にコミュニケーション力が磨かれる。論理的で創造的な思考力をもとにおのおのが意見や意思を伝え合うなかでは、お互いの視点を尊重する姿勢が養われ、多様性を受け入れる寛容性も身につく。 「コミュニケーションの根幹は、協力して何かを一緒につくり上げるところにあると捉えています。たとえば初等部では普段の学習のまとめとしてグループでポスターづくりをすることがあるのですが、誰かが発言した意見がおもしろいなと感じられれば、その声を積極的に取り入れることでより良い仕上がりにすることができます。答えが複数あるような学習の場合、コミュニケーションを通して複眼的な思考を経験させ、それぞれの主張の違いを比較検討し、自分なりの結論に達するような学習をさせることも子どもたちの力を伸ばしていくうえでは重要だと考えています」(野澤副校長)  正しく伝えるコミュニケーション力は、効果的なプレゼンテーションにもつながっている。初等部のうちから発表活動を多く経験していることもあり、卒業生のプレゼンテーション能力はさまざまな大学から高い評価を得ている。 身につくチカラ⑥ 正しさを形にしたいという信念の力 「信念」は「夢中」や「やり抜く力」にもなる。児童たちが立ち上げたロボットクラブは世界を舞台に活動している  児童や生徒の「なぜ?」や「知りたい!」、あるいは「やってみたい!」を否定しないぐんま国際アカデミーの環境は、自己効力感をじっくりと高めていく。自分の能力を信じられる子どもたちは、臆することなく自らの思いを信念を持って行動に移していく。前述したヘアドネーションの活動や、レモネード販売の収益金で小児がんの治療を支援する活動などは、その代表例だ。最近では、初等部の児童と中等部の生徒が、バングラデシュの難民キャンプで暮らすイスラム教徒の少数民族ロヒンギャの子どもたちを支援する取り組みに励んでいる。 「これは生き方にも関わってくるのですが、自分が大事にしたいと思う正しさを形にしたいという子どもたちが多いと感じています。私たちは児童や生徒の失敗をとがめず、むしろ失敗の経験も含めて成長していってほしいと考えており、そうした校風が社会に貢献したいという信念の力をたくましくしているように思います」(高松先生)  「信念」は「夢中」や「やり抜く力」にもなる。「夢中」や「やり抜く力」を発揮している一つが児童たちが主体的に立ち上げたロボットクラブで、2021年7月にオーストラリアで行われた世界大会「アジア・パシフィック・オープン・チャンピオンシップ」ではロボットデザイン部門で2位という好成績を残している。 身につくチカラ⑦ さまざまな価値観に対して心を開く力 家族のような関係性のもとで心を開く力が育まれる  ぐんま国際アカデミーは1クラス30人程度という小さな空間を重視している。距離が近いからこそ児童たちや生徒たちは一人ひとりと真剣に向き合い、自己を適度に主張しながら、お互いを受け入れる心の広さを身につける。卒業生からは「ぐんま国際アカデミーは小中高の一貫校。それだけ長い時間を一緒に過ごすと、もはや家族みたいな存在になるんです」という声も聞かれる。家族のような関係性のもとで育まれる心を開く力は、人間的な豊かさにつながっていく。 「教師が多国籍という点も、心を開く力を高めてくれます。それぞれの教師の背景にある異なる文化や伝統にふれる機会が多いですし、初等部のころからそうした多様な環境にいると、さまざまな価値観があることを自然に感じられます。『ほかの人には自分とは別の大切にしていること』がある事実を受け入れ、いろいろな物事の考え方を認め合うことで、多様な視点を取り入れて自分自身の価値観も充実していきます」(高松先生)  小さなころから多面的な価値観にふれ、6年生のときに2週間ほどのオーストラリア短期留学を経験する子どもたちは、広い世界に踏み出すことに抵抗がない。高等部で学んだあと、アメリカやカナダ、イギリス、韓国など海外の大学に進学する卒業生もいる。 ==================== 第1弾 ぐんま国際アカデミー首都圏在住者向け学校説明会 5 月18日(土)午前10時から GINZA SIX 11階 OPENHOUSE GINZA SALON 応募人数によっては、ご家庭から1名のみのご参加をお願いする場合がございます。 第2弾 授業公開 / 学校説明会 6月15日(土)午前9時から ぐんま国際アカデミー初等部 上履き持参、保護者のみのご参加 第3弾 授業公開 / 学校説明会 8月31日(土)午前9時から ぐんま国際アカデミー初等部 上履き持参、保護者のみのご参加 すべての説明会の詳細・参加登録はぐんま国際アカデミーホームページで お申し込みはこちら > ==================== 身につくチカラ⑧ しなやかなリーダーシップにつながる思いやりの力 音楽の授業も充実。合奏を通して思いやりの力も育つ  多様性に富む環境で、児童たちや生徒たちはそれぞれの個性を認め合う。子ども同士の距離が近いぐんま国際アカデミーのファミリー的な雰囲気では、コミュニケーション力や心を開く力だけでなく、相手を気づかえる思いやりの力も涵養(かんよう)される。 「ものすごく弁の立つ子もいれば、性格的に引っ込み思案の子もいます。たとえばグループワークやコミュニティープロジェクトの場合、話がうまい子が口下手な子の発言を促すような言動をします。相手の個性や思いをくみ取る習慣は、自分が何か行動を起こすとき、その行為は誰のどんなニーズに対応する行動となるのかを考えられる姿勢につながり、めぐりめぐって人や社会の役に立つことになります」(高松先生)  個性に対する気配りは初等部のうちから発揮される。たとえば運動会にあたるスポーツデーなどでダンスの練習をする際、「一緒にがんばって練習しよう」と優しく周りに声をかけて動く児童が多い。全員がダンス好きとは限らず、あまり得意ではない子も一定数いるが、背中を押すような言葉で一体感が生まれてくる。ぐんま国際アカデミーは教育理念に「日々変化を遂げる国際社会の中でリーダーとして必要な能力と知識を備えた国際人の育成」を掲げており、相手の身になれる思いやりの力はしなやかなリーダーシップにつながっていく。 身につくチカラ⑨ 「やってみたい!」を肯定する校風が育む挑戦する力 「なぜ?」や「知りたい!」、あるいは「やってみたい!」を肯定する校風がある  卒業生からは「ぐんま国際アカデミーでは何事も怖がらずに挑戦する人としての力を身につけることができました」や「『やりたいことがあれば、まずは一歩を踏み出してみよう』という校風が自分を成長させてくれた気がします」という声が聞かれる。太田市長を務める清水聖義理事長も「うちの学校の子たちは誰に言われるでもなく自主的に英検®などのテストを受験したり、絵画やスピーチのコンテストに参加したりしています」と話す。  子どもたちがどんどん挑戦できるのはそれぞれの「なぜ?」や「知りたい!」、あるいは「やってみたい!」を肯定する雰囲気があるからだ。そこにはおのおのの信念があり、すでにふれたヘアドネーション活動やレモネード販売による医療支援、あるいは難民支援などに代表されるように、社会貢献を見据えたチャレンジが少なくない。高等部時代にカンボジアのボランティアツアーに自主的に参加した卒業生もいる。 「ぐんま国際アカデミーには『自分なりにいいなと思ったことをとりあえずやってみよう』という雰囲気があり、教師陣も子どもたちの主体的な『やってみたい!』をどんどん後押ししています。少し冒険してみることやわくわくする心が大切です。成功しようと失敗しようと、その挑戦の先には新しい世界が待っていますし、ある意味リスクを冒す行為こそが自らの成長につながると考えています」(高松先生) 身につくチカラ⑩ 得手不得手を理解し、バランスをとる力 自分が得意なことと苦手なことを知れば、そのバランスをとり、特に自信のある分野で人や社会に貢献することができる  ぐんま国際アカデミーの中等部と高等部が認定校となっている国際バカロレア機構は、めざす「10の学習者像」の一つに「バランスのとれた人」を掲げており、次のように定義している。 「私たちは、自分自身やほかの人々の幸福にとって、私たちの生を構成する知性、身体、心のバランスをとることが大切だと理解しています。また、私たちがほかの人々や、私たちが住むこの世界と相互に依存していることを認識しています」  ぐんま国際アカデミーは、バランスをとる力を自分自身をしっかりと理解するということと捉えている。知性、身体、心のどれもが充実している人は大人でも多くない。物事の得手不得手も含め、個々の各能力は多かれ少なかれ凸凹しているし、それが自然だと考えている。自分が得意なことと苦手なことを知れば、そのバランスをとり、特に自信のある分野で人や社会に貢献することができる。 「バランスをとる力は集団でも必要だと考えています。誰が何が得意で、誰が何が苦手なのかを知っていれば、それぞれのバランスを考え、助け合うことができるからです。そういった点でも1クラス30人程度の12年一貫校という環境は、各々の個性を知り、ともに補い合う効果が大きいと考えています」(高松先生) 身につくチカラ⑪ 次のステップへの弾みとする振り返りができる力 「自分が新たに手にした経験や知識を再度分析的に見ることで、より定着度が増します」(高松先生)  社会人が活躍するうえでは、「Plan(計画)」「Do(実行)」「Check(評価)」「Action(改善)」の四つのプロセスを繰り返す「PDCAサイクル」が重要だと言われている。ぐんま国際アカデミーでも初等部から「Check(評価)」「Action(改善)」にあたる振り返りの時間を大切にしている。中等部と高等部の生徒たちは共通の手帳を持ち、予定や課題、学習の計画や反省などを書き込んでいく。手帳を通じて自己管理能力や、振り返りをして次のステップへの弾みとする力が養われる。 「振り返りは反省だけに限りません。授業や課外活動、あるいはプロジェクトで得た気づきやひらめきを見つめ直すことで、さらに学びの意欲が増すケースが少なくありません。自分が新たに手にした経験や知識を再度分析的に見ることで、より定着度が増します。もちろん、課題や失敗に気づくことも必要です。失敗は成功の裏返しですし、失敗も含めた振り返りの過程こそがそれぞれの成長には不可欠だと考えています」(高松先生)  当然、学期ごとの評価も特に中高等部のものは各教科や活動に対するフィードバックの文章が多く、通知表は約20枚に及ぶ。先生からの熱量のあるコメントを楽しみにしている子どもも多く、客観的な視点も借りて振り返りの意義や方法を知った子どもたちは着実に前に進んでいく。 ショートインタビュー① 「挑戦する人を応援してくれる環境がある」 「『なぜ?』を細かく突き詰めていく時間が大好きでした」 横浜市立大学 医学部医学科 2年 吉良明海里さん  初等部の高学年になると、特に理科の授業が楽しかったです。実験はグループワークが多く、「なぜ?」を細かく突き詰めていく時間が大好きでした。初等部時代から調べ学習が多く、リポートにまとめる学びに親しんでいたので、自然に課題に対して納得のいくまで調べ尽くすようになりました。調べ方や情報の取捨選択も同時に学べたので、在学中に探究の仕方も身につけることができました。今学んでいる基礎医学では、自分で納得できるまで調べる習慣が生きていると思います。  ぐんま国際アカデミーには、どれだけ難しくても挑戦する人を応援してくれる環境があると思います。中等部のとき、友人たちと「プレゼンテーションイベントの『TEDx』をやりたいです」と先生に提案すると、「それはいい!」と校長先生、先生方、事務の方々までサポートしてくださいました。多様性に富んでいて、どんなことに対しても「それいいじゃん! やってみたら!」といったわくわくした空気がある点がぐんま国際アカデミーらしさだと思います。  私の夢は、気づいていない病、ちょっと痛かったりかゆかったりするけれどそのまま放っている症状、日々のストレスなどを軽減し、「QOL(クオリティー・オブ・ライフ)」を少しでも上げられる医療を提供することです。そのために、ホテルのホスピタリティーと、先端医学や漢方医学などを含むさまざまな医療を掛け合わせた病院をつくることを目標にしています。ぐんま国際アカデミーで育んだ挑戦する力を生かして、ぜひ夢を実現させたいです。 ショートインタビュー② 「英語でディベートをした授業が印象に残っています」 「アメリカで発案されたカリキュラムを取り入れている音楽の授業が好きでした」 トランペット奏者|上野学園大学 音楽学部音楽学科 演奏家コース卒業 ローリー・ディランさん  初等部の6年生のとき、英語でディベートをする授業がありました。数回の授業に分け、グループディスカッションによって入念に準備を進め、自分たちの意見や考えを持って議論し合った時間が印象に残っています。  私は現在、トランペット奏者としてオーケストラや吹奏楽などの分野で演奏活動をしています。音楽一家で育ったこともあり、アメリカで発案されたカリキュラムを取り入れている音楽の授業が好きでした。初等部の5年生から管打楽器を習い始めるので、中等部では生徒のほとんどが楽器を難なく演奏することができます。そのため、音楽の授業ではクラス全体でさまざまな曲を演奏する時間が中心となります。これは他校ではなかなか経験できないでしょう。  ぐんま国際アカデミーでの12年間で多種多様な能力が伸び、それらは現在の仕事に欠かせないものとなっています。たとえば演奏をする曲は事前に深く勉強し、知識がある状態でリハーサルに臨みます。オーケストラとの一体感を生むために、どのように演奏をすれば素晴らしい音楽になるか細かく考えながら吹いています。また、私の仕事ではコミュニケーションの能力は特に重要です。感動的な音楽を届けるには、ほかの演奏家との密なコミュニケーションが不可欠だからです。演奏するときは必ず信念を持って吹きますし、その結果、説得力のある音楽につながると思っています。挑戦を続けることで周りの演奏家からフィードバックをいただき、しっかりと自分の演奏を振り返り毎日の成長を促しています。 ショートインタビュー③ 「堂々とプレゼンテーションできるスキルも身につきました」 「ぐんま国際アカデミーの魅力はクラスメートや先生との距離が近い点だと思います」 聖路加国際大学大学院 看護学研究科 修士論文コース 国際看護学専攻 1年 住谷友結さん  ぐんま国際アカデミーで印象に残っていることの一つに、10日間のアメリカ研修に参加した際の体験が挙げられます。現地の家庭にホームステイをし、現地の高校に通って多くの人と交流ができたことが楽しかったです。授業はすべて英語で行われましたが、高等部では全教科を英語で学習していたので内容を理解することができました。ぐんま国際アカデミーで育んだ英語力は卒業後も生きていて、大学時代にアメリカのデューク大学へ研修で行けたり、現在大学院で国際看護を学び必修授業が英語で行われているなかで、英語でのプレゼンテーションや論文読解ができたりしています。  ぐんま国際アカデミーの魅力はクラスメートや先生との距離が近い点だと思います。必然的にコミュニケーション力が上がるのですが、初等部から人前で発表する機会が多かったため、堂々とプレゼンテーションできるスキルも身につきました。大学院に進学した今、タンザニアの大学院生に向けて講義をしたり、インドネシアの学部生に向けて日本の文化や日本の健康問題についてのプレゼンテーションをしたり、人前でも物おじせずに発表したりできるのはぐんま国際アカデミーで培ったコミュニケーション力やプレゼンテーション力があるからだと信じています。  私は将来、世界で活躍できる看護師になりたいと考えています。現在在籍している研究科には多くの国から学生が集まっていて、文化や価値観が異なるなかで患者や家族にケアを提供することにとても興味を持っています。世界にはさまざまな健康問題があるので、それらにアプローチできる看護師になりたいとも思っています。 ==================== 第1弾 ぐんま国際アカデミー首都圏在住者向け学校説明会 5月18日(土)午前10時から GINZA SIX 11階 OPENHOUSE GINZA SALON 応募人数によっては、ご家庭から1名のみのご参加をお願いする場合がございます。 第2弾 授業公開 / 学校説明会 6月15日(土)午前9時から ぐんま国際アカデミー初等部 上履き持参、保護者のみのご参加 第3弾 授業公開 / 学校説明会 8月31日(土)午前9時から ぐんま国際アカデミー初等部 上履き持参、保護者のみのご参加 すべての説明会の詳細・参加登録はぐんま国際アカデミーホームページで お申し込みはこちら > ==================== 編集長column 初等部の校舎は教室に仕切りがなく、のびのびと子どもたちが過ごせる空間が印象的です。母語としての日本語を大切にしながら、英語で教科を学ぶ「イマージョンスクール」として20年近い歴史があり、学校生活を送るなかで自然と英語にふれ 、コミュニケーションに必要な力を身につけていける環境があります。2020年度から実施された新学習指導要領で、文部科学省は「問題解決能力」や「主体的に取り組む態度」などを身につけたい学力として定義しました。同校が創立以来実践してきた「オープン教育」や「クリティカルシンキング」の養成は、こうした新しい時代の学力観を先取りしたものといえるでしょう。自然豊かな環境で学べるのも、同校の魅力の一つです。 AERA with Kids 編集長 鈴木顕 ●関連リンク 【PR】ぐんま国際アカデミー徹底証言 11人が明かす小中高一貫校の魅力 学校紹介ビデオも要チェック 【PR】ぐんま国際アカデミーの魅力を数字で読み解く 英語力も思考力も国語力も伸びる12年一貫教育校
「2次避難先」が見つからない災害弱者 高齢化率が約50%奥能登の避難所で見えた課題
「2次避難先」が見つからない災害弱者 高齢化率が約50%奥能登の避難所で見えた課題 輪島市「ウミュードゥソラ」福祉避難所での豆まき。ケアの担い手は、福井、神奈川、千葉、栃木の4県七つの民間団体が継続的に送り込んだ(写真:キャンナス災害支援チーム提供)    2月上旬、広域避難が進む石川県で、「1次」「1.5次」「2次」の避難所を訪ね歩いた。輪島市では、介護者が葛藤を抱えながらも福祉避難所を拠点に「つなぐケア」を展開。高齢化率が約50%という奥能登ならではの支援課題に迫った。AERA 2024年3月4日号より。 *  *  *  大広間には、段ボールベッドが並ぶ。少しでも私的な空間を確保できるよう、ベッドの間はスタッフが組み立てたついたてで仕切られている。  石川県輪島市の福祉施設「ウミュードゥソラ」。ここは1月1日の能登半島地震の発災直後から被災者を受け入れ、早くから「福祉避難所」として支援を続けてきた。  福祉避難所は、高齢者や障害者など一般の避難所で生活を続けるのが難しく、特別な配慮を要する要配慮者を受け入れる。ここに発災直後に駆けつけた、福井県「オレンジグループ」代表の紅谷浩之医師は、こう語る。 「ぎゅうぎゅうの避難所で2日間横になっていたお年寄りが、福祉避難所に運ばれてきた時には起き上がれないほど身体機能が落ちていた。1次避難所には自分で歩いて行ったというのに。高齢化が進む地域の支援には、介護や生活医療の目が必要だと実感しました」  阪神・淡路大震災時の日本の高齢化率(全人口に占める65歳以上の割合)が約15%。東日本大震災時は約25%。一方、2020年国勢調査では、奥能登の高齢化率は48.9%。  災害弱者支援において、奥能登特有の課題があったのではないか──。  2月上旬、筆者は石川県へ赴き、「1次」「1.5次」「2次」の避難所を訪ね歩いた。  輪島市に入った日は、災害派遣医療チーム「DMAT」が1次避難所から引き揚げる時期だった。全国から派遣されるDMATは通常、短期的に急性期の医療支援を担う。だが今回は異例なことに、能登半島地震発災から1カ月超の長期派遣となった。一般の支援者が入りにくい奥能登の道路事情も相まって、DMATの医療チームなどが高齢者や重症者の広域搬送支援にも携わっていたのだ。筆者が市内の1次避難所を回ると、外部から支援に入っていた医療スタッフが口々に言った。 「行政側から伝わる『空気』は、被災者をとにかく外へ送り出すんだと。避難所内のケアを手厚くするのはよくないの?と悩んだ時期もありました」 「避難者を(別の避難所に)出す出すという流れだったのが、途中から『出せない』と変わり、混乱もあった」 朝のミーティング。中心的な役割を果たすのは地元の看護師、中村悦子さん(中央)。自らも被災しながら福祉避難所と訪問看護ステーションの仕事は続けてきた(撮影/古川雅子)   ミステリーツアーのように行き先が把握できない  背景には、国や石川県が広域避難を呼びかけていたことがある。県は1月8日、生活環境の整った「2次避難所」に入るまでの一時的な避難先として大規模体育館などに「1.5次避難所」を開設。国は当初、2次避難所を北陸や三大都市圏で2万5千人分確保したと発表した。  だが、ホテルや旅館などの2次避難先では、ケアの必要な要配慮者は敬遠されがちだった。「高齢の要介護者ばかりが1.5次避難所にスタック(停滞)していた」と、輪島市在住で市内の別の地区に両親が住む小田原寛さん(55)は証言する。  小田原さんには80代の両親がいて、父はレビー小体型認知症。震災前は母が実家で父を「老老介護」していた。ところが震災で近くの小学校に両親が避難すると、環境の変化による不安や混乱などから、父の認知症が一気に進んだ。さらには、特有の症状から夜中に歩いたり、幻視で声を出したりするので、一般の避難所にはいられない。  1月中旬は、「1.5次避難がミステリーツアーのような実態があった」と小田原さんは振り返る。市の職員から、集団で移動するバスの行き先は「職員でさえ把握できない」と伝えられた。実際に両親が移動後、丸一日は「行方不明状態」で居所がつかめなかった。  ようやく産業展示館の避難所にいるとわかったが、介護が必要な父だけは、「家族でどこか施設を探してください」と避難先の担当者から告げられた。 「でも、金沢近郊の施設は輪島から避難してくる要介護者で満杯の状態。仕方なく当面は妹が住む埼玉の施設に短期入所させることにしました」  実際、2月4日に筆者が金沢市のいしかわ総合スポーツセンターの1.5次避難所を訪ねると、運営する県のスポーツ振興課の職員はこう話した。 「多い時は240人、今は約170人が入所しています。当初、滞在は1~2日の想定でしたが、高齢者で生活に介助が必要な方が多く、なかなか行き先が決まらない方もいらっしゃる。2次避難するまでに時間がかかっている状況があります」  こんな中、要配慮者を2次避難先へ「つなぐケア」は、実質的にどこが担っているのか? 2月上旬現在も断水が続く。衛生状態を保つため、口腔ケア後は吸収のいいナプキンに水を吐き出し、小袋で縛って捨てる(撮影/古川雅子)   1.5次避難所も兼ねるクッションのような避難所  輪島市の障害者福祉施設の「一互一笑」では福祉避難所として広く受け入れをしていたが、水や建物の心配から利用者を広域避難させると決断。障害事業部長の藤沢美春さんは、愛知県内の2次避難先はスタッフが探したと語る。 「断水などで普段のルーティン通りの生活ができないため、障害の重いお子さんはパニックになるんです。まとまった人数の障害者を新たに受け入れてくれるところは、ほぼ皆無でした」  1次避難所の要配慮者は、DMATなどの避難所巡回を担当する医療班や保健師がピックアップし、1.5次避難所への移動を促す。そこへの移動が難しい場合は、福祉避難所へも案内する。  支援体制の調整を輪島市の福祉課と担ってきた、厚生労働省DMAT事務局災害医療課の上吉原良実さんは言う。 「高齢者や障害者も、感染症に罹患(りかん)した人も、指定避難所での一般的な支援だけでは避難所生活が難しい人たちに対応しているのが福祉避難所。今回、市内に数カ所開設され、柔軟な受け入れをしてくれています」 輪島市の福祉課と支援体制の調整を担ってきた厚生労働省DMAT事務局災害医療課の上吉原良実さん(写真/本人提供)    今や福祉避難所は、「1.5次的避難所」として、クッションのような役割も果たしている。下水道が完全復旧するまでには年単位の時間を要すると言われており、いったん身を寄せても、さらに遠くへと避難する必要性が生じたのだ。行政に任せていたら2次避難先探しには時間がかかる。そこで「つなぐケア」として、福祉避難所のスタッフが次なる避難先探しをサポートする。  ウミュードゥソラの避難所で中心業務を担う中村悦子さんも被災者。かつて輪島病院に勤務していたベテラン看護師だ。「住み慣れた土地での暮らしを守ること」に使命感を燃やす。だが苦渋の思いで、広域避難も進める。  75歳の女性が、ウミュードゥソラのスタッフ部屋に顔を出す。ここで数日過ごした後に、福井県勝山市への避難を決めた。中村さんは、このおばあちゃんに病院勤務時代から関わってきた。 「優しくしてもらってありがとう。できれば輪島におれたらいいんやけど」  女性は不安を吐露しつつ礼を述べる。中村さんは、背中をそっとたたいて送り出す。 「勝山は私らとつながってる施設やけん、大丈夫。あっち行っても、みんなに『助けて』って言うて、一人で抱え込まんと助けてもらうんよ!」 平時からのつながりで、伴走型の広域支援体制を  女性が移ったのは、前出の紅谷医師が勝山市の協力を得て、1月末に開設した新たな2次避難所だ。輪島で支援に当たった看護師が、「また会えましたね」と勝山の避難所で出迎えるひとコマも。現地の利用者は、今では水の心配も要らず、湯上がりに利用者が首タオルでくつろぐ姿も見られる。  ウミュードゥソラ福祉避難所の運営に携わってきた介護福祉事業/NPO「ぐるんとびー」(神奈川県)の菅原健介代表は、顔なじみの関係を継続させながらの「伴走型広域支援」を目指す。こんな提案をする。 「高齢化が進む地域はもともとのケアの資源に余裕がない。今後は平時から、福祉施設が域外の施設と顔の見えるつながりを築いておくことがいちばんの防災策になると思っています」  次なる災害の備えとして、平時から福祉職同士がつながって、いざという時に伴走しながら支援できる体制を作っておくのも、一つの手だ。(ジャーナリスト・古川雅子) ※AERA 2024年3月4日号
【医師が教える食生活】鎌田式「筋肉・骨・血管・脳・腸」5つの健康を大切にした食事術
【医師が教える食生活】鎌田式「筋肉・骨・血管・脳・腸」5つの健康を大切にした食事術 (写真はイメージ/GettyImages)  年末年始に食生活が乱れて、ダイエットを意識している人は多い。けれども「食生活を整えよう」と思っても、具体的に何をすればよいか迷ってしまう人もいるのではないだろうか。せっかくなら健康的にやせる正しい食生活を身につけたい。脳卒中の死亡率が全国ワーストクラスだった長野県を健康長寿県に導いた医師・鎌田實さんの著書『鎌田式長生き食事術』(アスコム刊)から、「筋肉・骨・血管・脳・腸」5つの健康を引き出す食事術を紹介する。 *  *  * 「筋肉」のためにたんぱく質をとる  たんぱく質をしっかりとること、すなわち「たん活」は、鎌田式食事術の基本にして極意。とくに、朝のたんぱく質は効率よく筋肉に変わってくれます。ぼくはこれを「朝たん」と名づけ、この本で全国に広めていきたいと思っています。  肉、魚、卵などおなじみの食材でかまいません。毎日、体重×1・2gのたんぱく質をとりましょう。3食でバランスよくとることが基本ですが、食間に「こまめに」とることも大切です。チーズやナッツなどの「たん活おやつ」もおすすめです。 筋肉の長生き3大原則 朝のたんぱく質で「朝たん」生活 たんぱく質は1日に体重×1.2g 3食+αで「こまめに」とる  筋肉づくりで大切なのは、食事でまんべんなくたんぱく質をとること。  朝にヨーグルトやチーズを食べたり、おやつのおせんべいを大豆食品や乳製品に替えたり、日々のこまめな「たん活」が良質な筋肉をつくります。   【こちらも話題】 【医師が教える】血管の健康のために「シナモンコーヒー」を飲むのがおすすめ https://dot.asahi.com/articles/-/210204   「骨」のためにカルシウムをとる  カルシウムというと魚介類や乳製品のイメージですが、大豆食品や野菜にも含まれています。「4群・2群の法則」で、さまざまな食材からバランスよくカルシウムをとることが大切ですし、カルシウムは排出されやすいので、こまめにとることも欠かせません。しらす干しなどの「まるごと小魚」は効率よく、手軽にカルシウムを摂取できます。  逆に、カルシウムを排出させるリンには要注意。この本の食事術で、日々、骨を強くしていきましょう。 「骨」の長生き3大原則 「4群・2群の法則」を毎日の食事に取り入れる カルシウムはとにかくこまめに リンを多く含む食品には注意が必要   カルシウムが豊富な食材は、「乳製品」「大豆・大豆食品」「野菜類」「魚介・海藻類」など。毎日の食事でこの4つの食材群から、最低2群以上は食べるようにしてください。ぼくはこれを「4群・2群」の法則と名づけました。自分なりにとりやすい食材を決めて、家に常備しておくのがコツです。 「血管」のために減塩をする  食事でまず工夫すべきなのが減塩。塩分のとりすぎは血圧を高め、血管の老化に拍車をかけます。お酢や牛乳を使った簡単でおもしろい減塩法も、ぜひ試してほしいです。  また野菜や海藻をたくさんとることもポイント。ほうれん草や小松菜、海藻類には塩分を排出するカリウムが豊富に含まれています。カリウムは血圧を正常に保つミネラルなので、ぜひ毎日とりたいですね。  さらに、抗酸化作用や抗炎症作用が期待できるしょうがやスパイス類を活用するのも手。ぼくは減塩しょうゆを使うなど、調味料にも工夫をしています。 「血管」の長生き3大原則 酢や牛乳で「減塩」にひと工夫 野菜、海藻をしっかり食べ血圧を安定させる 抗酸化作用のある食べ物をプラスする  1日の塩分摂取の目標量は、男性7.5g、女性6.5g未満。高血圧の人は男女ともに6g未満です。でも実際には、男性11g、女性9g程度という厚生労働省のデータがあります。いつもの食事では、塩分過多の可能性大!   【こちらも話題】 【医師が教える】食べる順番を変えるだけ!「たんぱくファースト」でメタボ予防 https://dot.asahi.com/articles/-/210563   「脳」のために青魚やナッツ類をとる   DHAが豊富な青魚、脳の神経伝達をサポートするオメガ3脂肪酸を含むナッツ類などの「ブレインフード」を、日々の料理の食材にプラスしてみましょう。  また、野菜や果物に含まれるポリフェノールは脳の酸化を防ぎます。ぼくは毎日350gの野菜を食べようと言っていますが、とくに野菜ジュースは手軽です。  ごはん、麺類など炭水化物(糖質)を最後に食べる「カーボラスト」だけで血糖値の上昇がおだやかになり、脳の慢性炎症の予防効果が期待できます。 「脳」の長生き3大原則 「ブレインフード」で脳に栄養を届ける 野菜は1日350g 手軽なのは野菜ジュース 糖質を最後に食べる「カーボラスト」  ブレインフードと呼ばれる脳を活性化させる食材や、ポリフェノールが多い緑黄色野菜のジュースも脳活に有効です。血糖値を上げない、食事の「食べ順」も意識しましょう。毎日の積み重ねが認知症を遠ざけます。 「腸」は野菜と発酵食品で整える  腸内環境を整えるには、食物繊維をたくさんとること。毎日350gの野菜を食べるのは大変そうですが、「ごちそうみそ汁」にしたり、野菜ジュースを活用したりといった工夫で、案外簡単にクリアできます。  発酵食品も意識的に食べましょう。とくに、いろんな産地の発酵食品を食べると、種類の違う菌が腸内で働き、善玉菌を増やしてくれます。ぼくは地方の納豆を取りよせたり、いろんなメーカーのヨーグルトを食べたりしています。 「腸」の長生きの大原則 食物繊維をしっかり食べるひと工夫 産地の違う発酵食品で腸内で菌を働かせる 朝日を浴びて朝食を食べ体内時計を働かせる  腸内環境を整えるには、食事のリズムも大事。朝日を浴びながら朝食をとることを習慣にしてみましょう。体内時計がリセットされ、腸の働きも活発になります。食事のリズムを守るだけでも立派な腸活になるのです。   【こちらも話題】 【医師が教える】健康的なお酒の飲み方 「日本酒1合、ビール500ml、ワイン180ml程度ならOK」 https://dot.asahi.com/articles/-/210553  
子どもの発達障害は、親からどのくらい遺伝する? 小児科医が親に伝えたい「最適な環境」のつくりかた
子どもの発達障害は、親からどのくらい遺伝する? 小児科医が親に伝えたい「最適な環境」のつくりかた 写真はイメージです(iStock)   発達障害やグレーゾーンの子どもを育てる親にとって、大切なことは何でしょうか? 子どもの発達障害にくわしい小児科医の高橋孝雄氏は、「本人を変えることではなく、環境を整えること」が重要だといいます。また、「早期診断、早期治療」の原則も、子どもの発達障害においては、逆効果になることもあるそうです。さまざまな悩みや葛藤を抱える親に対する、小児科医の処方箋とは? 黒坂真由子さんの著書『発達障害大全 「脳の個性」について知りたいことすべて』(日経BP社)から一部抜粋してご紹介します。【後編】〈子どもの発達障害の「早期診断、早期治療」に警鐘 小児科医が考える「最悪の虐待」とは?〉に続く 本人を変えるではなく「環境を整える」   ーー親としては、どんなふうに子育てをしていけばよいのでしょうか? 発達障害(*1)があると、本人もそうですが、親も困ることが多いですよね。 高橋孝雄氏(以下、高橋氏):一言で言えば、発達障害そのものを治そうとはしないことです。つまり、「本人を変える」のではなく「環境を整える」。発達障害の子がこれから歩んでいく道筋には多くの困難があります。それらに備えるということです。自閉症(ASD*2)や高度なADHD(*3)の子どもの人生は、ほかのみんなが舗装されている広い道を歩いていくときに、林道に入っていくようなものです。となれば、みんなと同じピカピカの革靴では、歩いていくのが難しい。代わりにスニーカーや登山靴を与えたほうがいいわけです。そうすれば、林道でけがをすることなく安心して歩くことができます。発達障害の子どもに親がしてあげられることは、険しい道を少しでも安全に、できれば楽しんで歩いていけるように環境を整えることなんです。 ーーその感覚は分かる気がします。学習障害(LD*4)がある私の息子も、4年生からタブレットでノートをとるのが許可されて、すごく勉強が楽になったようです。それまでは鉛筆でノートをとっていましたが、文字を書くのが極端に苦手なため、そこに意識を持っていかれて、授業の内容を聞く余裕がありませんでした。 高橋氏:そうですよね。だから文部科学省も学校に、学習障害の子どもへの配慮を求めています。例えば、試験を受けるときは別室で、時間制限をかけない、とかね。  なぜこのように、本人ではなく環境を変える必要があるのかというと、本人を変えることが難しいからです。遺伝の支配を受ける素質というものは誰にでもあって、自分ではどうにもならない側面がある。ですから自分を変えようと無理するより、自分にとって自然で心地いい日常を過ごして、自分を生かせるような道を選ぶほうがいい。これは発達障害に限ったことではありません。人の根本的な生き方や性格、素質というのは、多くの場合、思い通りには変わらないし、おそらく変えようとしないほうがいいと思うんです。念のために申し添えれば、これは「諦める」とは大きく異なる考え方です。   「脳の個性」も「優しさ」も遺伝する ーー「遺伝の支配を受ける素質がある」とおっしゃいましたが、やはり発達障害も遺伝するのでしょうか? 高橋氏:遺伝の話というのは、特に才能や資質といった脳の働きと関わってくると、タブー視される傾向があります。でも僕は医師として、遺伝の話をあえてします。そのたびに「遺伝で決めつけるなんて差別だ」と批判されることもありますが、遺伝の話題を含めて、事実をしっかり把握しておくことは、親御さんにとってもお子さんにとっても大切なことです。今回もしっかり話しておきましょう。  ADHDもASDも、遺伝的素因は50~60%といわれています。ただ、これは発達障害だけの話というわけではなく、身長だって、アレルギー体質だってそうです。遺伝的素因が強い病気はほかにもあって、糖尿病とかがんとか、あと痛風もそうです。みなさん、「うちはがん家系だから気を付けなきゃ」と平気で言いますよね? ーーあ、言いますね。 高橋氏:ところが、それが脳の話になるとタブー視されてしまう。ADHDやASDだけでなく、国語や算数の得意不得意やIQ(*5)、「物事の考え方」なども遺伝的素因が関わっています。例えば、人助けをする傾向といったことも、遺伝的素因が関係する可能性が指摘されています。 ーー能力だけではなく、優しさも、ですか。顔が親に似るように、脳も全体的に似てくるということですね。 高橋氏:そうは言っても、もちろん全く同じになることなどあり得ません。遺伝的素因といっても、「単一遺伝子」ではなく、複数の遺伝子が関与する「多因子遺伝」によるものですから。例えば身長がそうです。子どもの身長は両親の身長からある程度、推測可能ですが、それでも「±8~9cm」の振れ幅があります。もし身長が単一遺伝子、つまリ1個の遺伝子で決まるものだとしたら、日本人の身長は全員一緒かせいぜい数パターンしかない、まるで血液型のような話になってしまいます。そうならないのは、身長が多因子遺伝によって決まるからなんです。  発達障害でも、おそらく多くの遺伝子の組み合わせによって素因が左右され、そこに環境要因も影響しながら特性が決まっていきます。ですから、両親にはそんな傾向は全然ないけれど、子どもはADHD、ASDという場合もあるわけです。ただ、何万人という患者さんのデータを統計学的に処理してみると、遺伝的素因の強さは50%を超えてくる、ということです。 「得意」を見つけ伸ばすことを基本戦略に ーーああ、やっぱり遺伝の要素は強いんですね。 高橋氏:でもこれは、例えば、「息子さんのLDは、黒坂さん(インタビュアー)のせいです」と言っているのではないんです。息子さんは、いろいろな遺伝子の組み合わせで決まる個性を持って生まれてきた。  ですから、息子さんは、息子さんのペースで、日常生活に支障がない程度に読み書きの練習をすればいいのです。得意な子に追い付けはしないけど、やったらやったなりに伸びるという感覚を身につけさせてあげることが大切です。  僕の趣味はマラソンで、オリンピックに出られるわけではないけど、トレーニングを続けていれば進歩があって楽しい。水彩画だって、最初は下手でも、だんだん遠近感のある絵が描けるようになる。その「右肩上がりの気分」を、小学生の間に味わわせてあげれば、自己肯定感は下がらないはずです。二次障害(*6)が起こることもありません。  さらに、遺伝的素因ということを正しく理解して、それをプラスの方向に生かせたらいいですね。苦手なことを無理に克服しようとせずに、得意なことを見つけて伸ばす。そういう人生を歩めるように環境を整えるのが人生の「基本戦略」です。 ※『発達障害大全 「脳の個性」について知りたいことすべて』(日経BP)より一部抜粋 ※【後編】〈子どもの発達障害の「早期診断、早期診断」に警鐘 小児科医が考える「最悪の虐待」とは?〉に続く ○黒坂真由子 編集者・ライター。埼玉県川越市生まれ。中央大学を卒業後、東京学参、中経出版、IBCパブリッシングをへて、フリーランスに。ビジネス、子育て、語学などの書籍を手掛ける傍ら、教育系の記事を執筆。絵本作家せなけいこ氏の編集担当も務める。   *1.専門家の間では「神経発達症」という名称が使われるようになってきているが、ここでは一般的に使われている「発達障害」という言葉を使用する。 *2.自閉スペクトラム症、ASD(Autism Spectrum Disorder)  *3.注意欠如多動症、ADHD(Attention-Deficit/Hyperactivity Disorder) *4.「読む」「書く」「計算する」など、学習に関連する特定の能力に困難がある障害。限局性学習症/限局性学習障害、LD (Specific Learning Disorder) *5. IQ(Intelligence Quotient)知能指数。知能検査結果の表示法の1つ。指数 100が平均値。 *6.ADHDやASD、LDから派生して生じる、うつ病、不安障害、ひきこもりなどの障害。
ソファにモノが山積みで夫が激怒! 離婚危機だったわが家が片づけた結果
ソファにモノが山積みで夫が激怒! 離婚危機だったわが家が片づけた結果 夫が大事にしているソファの上にもモノがいっぱい/ビフォー    5000件に及ぶ片づけ相談の経験と心理学をもとに作り上げたオリジナルメソッドで、汚部屋に悩む女性たちの「片づけの習慣化」をサポートする西崎彩智(にしざき・さち)さん。募集のたびに満員御礼の講座「家庭力アッププロジェクト®」を主宰する彼女が、片づけられない女性たちのヨモヤマ話や奮闘記を交えながら、リバウンドしない片づけの考え方をお伝えします。   case.66 家族が暮らしやすくなった家の仕組み化 夫+子ども2人/事務職    家族として長く一緒に暮らしても、価値観の違いを感じることがあります。例えば、目玉焼きにかける調味料が違ったり、洗濯物の干し方が違ったり。   「自分とは違うんだな」とお互いに納得できればいいですが、タイミングによっては大きなケンカにまで発展するかもしれません。   「うちの場合、ソファが地雷でした。夫が仕事から帰ってきたとき、ソファの上に子どものおもちゃや洗濯物をどっさり置いていたら、『ソファで座れるようにしてくれよ!』って大きな声を出されました」    こう当時を振り返るのは、夫と子ども2人の4人で暮らしている恵子さん。子どもの頃は整理整頓ができていたのに、結婚して子どもができたらだんだんと片づけが苦痛に感じてきたそう。   「戦争を経験してモノを大事にする祖母の影響もあって、整理はできても手放すことは苦手。管理するモノが少ないうちはまだよかったんです。でも家族が増えてモノも増えると、『片づけられない』という感覚もないまま、気づいたら家の中がごちゃごちゃになっていて……」    ソファは、今の家に引っ越してきたときに夫がこだわって選んだ唯一の家具。恵子さんが初めての育児と2人目の妊娠という大変な時期だったことは夫もわかっていたけれど、ソファがモノで埋め尽くされているのは耐えられなかったようです。一時は離婚になるかもしれないという状況でした。    それからずっと「片づけなきゃ」というストレスを抱えていたという恵子さん。片づけ本を読んでみても、なかなかうまく片づけられません。自分に合った片づけ方があれば知りたいと思っていたところ、インターネットで家庭力アッププロジェクト®を知りました。 いつでもソファでくつろげるリビングに変身/アフター   「今やらないと、ずっと片づかない家の中で過ごすのかと思ったんです。1~2日くらい何も考えずにダラダラすることはしょっちゅうでしたが、それをくり返すとあっという間に老後だなって。そうなりたくないと思って、参加しました」    参加のきっかけはもう1つあります。子どもたちの学校や幼稚園からのプリントが散乱している場所を、娘が躊躇なく踏んで通ったこと。   「散らかった家にいると、こういうことを当たり前にするんだってショックでした。息子も、モノを落としても拾おうとしないことがあって……。煩雑な環境にいると基本的なことができなくなっちゃうんですね」    片づけを始めて恵子さんが苦労したのは、モノを手放すこと。まだ使えるモノを手放して祖母に怒られた記憶が、恵子さんの片づけの手を何度も止めます。   「最初は断腸の思いでしたね。思い出のあるモノは残しておきたいけれど、使わずに置いておくだけのモノは価値を発揮できていないということをプロジェクトで学びました」    家からモノが減っていくと、スッキリして気持ちよくなってきた恵子さん。当時は泣く泣く手放したモノも、後悔することはないと言います。   ストック癖もあったので、ハンドソープの詰め替えが20個以上も出てくることも。幼稚園に寄付をして手放すと、ムダなスペースを使っていたのだと痛感しました。    恵子さんが片づける様子を見た子どもたちも、変わり始めます。   「選別するためにしまい込んでいるモノを全部出すと、床一面に広がるんですよね。それを見た子どもたちが『お母さん、何してるの?』と気にしてくれるので、あえて頑張って片づけている姿を見せるようにしていました」   子どもたちは「一緒にやる!」と自分から片づけをしてくれるようになりました。大人も子どもも取り出しやすくて戻しやすい場所にモノの定位置を決めたら、家全体が整い始めました。   「以前、子どもたちは電池切れのおもちゃを持って『電池交換して』と頼むだけだったのに、今ではドライバーと新しい電池も持ってくるようになったんです! 朝の準備も自分でやるようになったし、仕組みを作るとお互いにラクだとわかりました」 カウンターや作業スペースにモノが散乱するキッチン/ビフォー    プロジェクトが終了して家の中がきれいになると、夫はいつも穏やかになりました。夫の趣味で集めたモノも家の中にはたくさんあるのですが、少しずつ手放し始めています。   「今、夫がモノを選別している横で、子どもたちがゴミ袋を広げていますよ(笑)」    恵子さんが家族のために頑張って片づけたことが、家族みんなによい形で波及していったようです。    今、恵子さんは片づけに関する資格の勉強をしていて、お仕事にすることも検討しているとのこと。   「もともと子どもの教育に関する仕事をしたいと思っていましたが、教育と片づけがすごくリンクすることを肌で感じました。将来的にお仕事としてできれば、と思っています」    45日間のプロジェクトを受ける前は、「片づけが家事の中で1番苦手」と言っていた恵子さんからは想像もできない変わりようです。   「片づけって、ママの仕事だと思われがちですよね。かつての私もそうで、できないから自己肯定感や自信もなかった。育児で余裕もなくて、頑張っている自分にすら気づいていない状態というか……。そういう人にこそ、自分に合った片づけで変われるよってことを教えてあげたいです」    まさに家庭力アッププロジェクト®の目指すところを体現していただいた恵子さん。家の中のアップデートは続くようです。 調味料の並び順までこだわって使いやすくスッキリ片づきました/アフター   「片づけって、一生終わらないんですね。生活する中で『あれも、これも』とちょっとずつやりたくなってきちゃう。前は苦痛でしたが、今は片づけが好きになりました!」    子どもの成長などでライフステージが変わると、また居心地のよさを求めて片づけが必要になるときが来ます。そんなときでも、今のような笑顔で片づけている恵子さんの姿が目に浮かびます。   ●西崎彩智(にしざき・さち)/1967年生まれ。お片づけ習慣化コンサルタント、Homeport 代表取締役。片づけ・自分の人生・家族間コミュニケーションを軸に、ママたちが自分らしくご機嫌な毎日を送るための「家庭力アッププロジェクト?」や、子どもたちが片づけを通して”生きる力”を養える「親子deお片づけ」を主宰。NHKカルチャー講師。「片づけを教育に」と学校、塾等で講演・授業を展開中。テレビ、ラジオ出演ほか、メディア掲載多数。    
5歳までの乳幼児に習い事は必要ない…小児科医が「最初の5年間はこれだけでいい」と断言する親の唯一の仕事
5歳までの乳幼児に習い事は必要ない…小児科医が「最初の5年間はこれだけでいい」と断言する親の唯一の仕事 ※写真はイメージ(gettyimages)    脳を育てるには5歳までに何をすべきなのか。小児科医である成田奈緒子さんは「いい教育を受けさせるのが子育てではない。最初の5年間はひたすら、早く寝て早く起きられる脳をつくることに専念すべきである」という――。 ※本稿は、成田奈緒子『子育てを変えれば脳が変わる こうすれば脳は健康に発達する』(PHP研究所)の一部を再編集したものです。 脳が育たない子育ての典型  子供のためと思いきや、実は逆効果になっていることがあります。  たとえば、共働きのご夫婦は「子供に十分に手をかけられていない」という罪悪感から、休日にたくさんの「おけいこ事」をさせてしまうことがあります。 「専業主婦なら、私がもっと色々教えてあげられるのに」 「これでは小学校に入ったあと、勉強が遅れてしまうかもしれない」  と焦って、外注で脳育てをしようとするわけです。  しかし、これは「脳が育たない子育て」の典型例です。 子供はただ寝かせる、起こすだけでいい  からだの脳を育てるには五感を繰り返し刺激することが重要です。  朝の光を浴びる、夜は真っ暗にして早く寝る。  同じ時間に3度のごはんを食べる。  子供の顔を見て表情豊かに、明瞭な声で語り掛ける、など。  これらの刺激はすべて、日々の「生活」を通して行われます。  平日は保育園に任せるしかないとしても、週末や休日はお父さん・お母さんがそれを行えるチャンスです。その貴重な時間をおけいこ事に費やしてしまうのは、子供を疲れさせるだけで、何のメリットもありません。お金も時間も、非常にもったいないです。  我が家の場合、お金を払うのは塾や教室ではなく、ベビーシッターさんでした。  娘の幼少期は夫が単身赴任中で、私も仕事で多忙とあって、夜、なかなか早くは帰れない日がありました。そんなときはベビーシッターさんに面倒をみていただきました。  そのときももちろん、「夜8時就寝」は厳守。でもそれ以外に、娘に何かを学ばせたり、習わせたりしたことはありません。  5歳までの子供は、ただ寝かせる、起こす。これだけでいいのです。  わざわざ新しく用事を増やさずとも、むしろ増やさないほうが、からだの脳の成長が促されます。 教育熱心なお父さんたちの誤解  近年、育児に参画する男性が増えているのはとても喜ばしいことです。母親の負担が減ること、子供が父母双方と密なコミュニケーションをとれることなど、その効用は計り知れません。  しかし一方で、育児に積極的な「意識高め」の男性にはときどき、子育てを誤解している方がいます。  子育てを、「学習」「教育」とイコールだと思っているのです。  たとえば、先ほどお話しした「習い事のハシゴ」も、お母さんではなく、お父さんの方針で行っているケースをよく目にします。 「お受験」に熱心なお父さんも増えています。母親は「子供はのびのび育てればいい」と思いつつも、夫の熱量に押されてしぶしぶ従う、という構図もよく目にします。  教育熱心なお父さんたちは、子供が小さいうちから「知的なこと」に触れさせなくてはならない、と思いがちです。  1970年代の「早期教育ブーム」以来、日本では教育の開始を過剰に早く始めたがる親が、どの世代にも一定数います。「最初の5年で才能が決まる」といったフレーズに急かされ、子供を勉強やスポーツなどに駆り立てるのです。  そこにはしばしば、親が、自分が叶えられなかった夢を子供に託す「リベンジ」の心理が働いています。自分より良い大学に行かせるためにせっせと塾に通わせたり、自分が習いたくてもできなかったピアノをやらせたり。  ちなみに、高学歴な親でも「リベンジ」に走ることは珍しくありません。 一流商社で働いているお父さんのリベンジ  一流大学を出て一流商社で働いているお父さんが、「自分は、本当は医者になりたかったのになれなかった」「だから子供はぜひ医学部に入れたい」と、毎日会社から帰った後、子供の横に張り付いて猛勉強させていた例もあります。  これが、子供を無視した子育てであることは明らかです。子供に自分の希望を叶えてもらおうとするのは、子供に依存し、かつ子供を支配することです。  この手の「早すぎる教育」を強いられた子供は、幼児期~学童期ごろまではおおむね成績優秀で従順ですが、その後かなりの高確率で、うまくいかなくなります。思春期を迎えるころ、成績の伸び悩みや人間関係トラブルに見舞われ、引きこもりや非行に走ることが多いのです。親に対しても、通常の反抗期のレベルを超えた、「断絶」に近いほどの拒否反応を示す子もいます。 「教育」は、そのようなリスクをおかしてまで行うべきことでしょうか? 「いい教育を受けさせるのが『子育て』だ」という誤解から、一人でも多くの親御さんが抜け出すことを願うばかりです。 何代もの親子を振り回す「愛情」というワード  間違ったアプローチをする親に、もちろん悪気はありません。みな、子供のためを思ってしていることです。 「子供のために自分の時間を削るのが愛情だ」 「お父さんの帰りを待って、コミュニケーションを持たせるのが愛情だ」 「早くから教育を受けさせるのが愛情だ」  と、皆さん思っているのです。  この「愛情」というワードは厄介です。愛情自体は素晴らしいことですが、何をもって愛情とするかの解釈は、ひとりひとり違います。日本における子育て論は、かれこれ50年以上も、客観的な指標なしに「愛情を注ぐべし」と世の親に言い続けてきました。  その端緒は、1960年代にあります。イギリスの精神科医・ボウルビィの「愛着理論」を下敷きとした「三歳児神話」というものが、日本の親たちの間で熱く支持されました。3歳までは母親がつきっきりでスキンシップをとるべし、という「掟」を守って生きたお母さんたちが、「愛情」にとらわれた第一世代です。  彼女たちは、高度経済成長期における「モーレツ社員」の妻たちです。サラリーマンとして働く父親と、家事育児に専念する母親という組み合わせが、当時はもっともポピュラーな家族のかたちでした。  その子供たちは、現在40代~50代を迎えています。興味深いのは、2000年代以降にさかんになった、いわゆる「毒親本」の著者が、だいたいこの世代に該当することです。母親の愛情が重かった、何かにつけて束縛された、過保護にされて苦しかった、といった恨みつらみが、大人になってから噴出した形です。 子供たちがひずみを見せ始めている  一方でこの世代も、自分たちが思うところの「愛情」を子供たちにかけています。  彼らが親になった平成期は、お受験ブームに象徴されるように、教育と愛情が分けがたく結びついた時代です。しかし、教育熱心な親に育てられた子供たちが道を踏み外しやすいのはすでに述べた通りです。10代後半~20代となった子供たちがそのひずみを見せ始めたことで、教育偏重の育て方の弊害も顕在化しています。  では、これからの世代はどうすべきか。現在子育て進行中のお父さん・お母さんが注ぐべき「愛情」とは何か――ここまで読み進めてこられた皆さんなら、もうお分かりでしょう。 最初の5年間に必要なのは、大人の我慢と根性  私はよく、乳幼児の親御さんたちに「とにかく、我慢して待とう」と言います。  早くから「お勉強」の類を身に付けさせたいという思いをぐっと我慢して、最初の5年間はひたすら、早く寝て早く起きられる脳をつくることに専念しよう、という意味です。  最初の5年は、この本でお伝えするシンプルな子育ての中で唯一、「根性」が必要な時期です。「早く寝かせよう」と口で言うのはたやすいですが、実際に子供が生活リズムを身に付けるまでは、それなりに労力がかかります。  それは、生まれたての赤ちゃんという無力な存在を、「原始人」レベルに育て上げるプロセスとも言えます。 「原始人に育てる」とは、日の出とともに活動を開始し、日没とともに休息するという「昼行性動物」の基礎を備えさせることです。文字通り原始的ではありますが、これこそが生きる力の源。「人間未満」の状態からそれを備えさせるのは、かなりの大仕事です。  しかしこの時期さえ乗り切れば、もう根性は要りません。 「子育ては、後になるほどラクで、楽しくなる」。これも、よく親御さんに語っていることです。  こう言うと「逆では?」と感じられる方がいるかもしれません。  私は2014年より親子支援事業「子育て科学アクシス」を主宰し、子育てに悩む方々の「脳育て」をサポートしていますが、こちらに来られる親御さんからも、「昔はかわいかったのに、どんどん生意気になって」「5歳のころに戻ってほしい」と嘆く声をよく聞きます。  しかしそれは――厳しい言い方になりますが、子供を「ペット」のように見ているせいかもしれません。大人の思うがままに動いてくれることを「かわいさ」だと思っている親は、本人に自我が芽生えてくるに従い、落胆や苛立ちを覚えがちです。それは子供を別個の人格として尊重していない、ということではないでしょうか。 5歳までは別段かわいくはない  私に言わせれば、5歳までの子供は、別段かわいくはありません。原始人ならではの「面白さ」は始終感じますが、文明人たる大人と通じ合う部分はわずかです。  そんな子供が、近代人、現代人へと「進化」をとげていくのです。そのさまは一種感動的とさえ言えます。  ですからまずは我慢と根性で、子供を「立派な原始人」に育て上げましょう。  からだの脳という、「生きる力」の基盤を堅固に備えさせ、その後の目覚ましい変化を待ちましょう。我慢と根性の後には、「楽しい子育て」が待っています。 (成田奈緒子/文教大学教育学部 教授、「子育て科学アクシス」代表)
“秘境路線”11年ぶりに災害から復活の理由 カギは各地で広がる鉄道再生の「切り札」
“秘境路線”11年ぶりに災害から復活の理由 カギは各地で広がる鉄道再生の「切り札」 JR只見線/2022年10月、11年ぶりに全線で再開。昨年10月、再開1周年を祝う「記念号」が走り、地元住民らが手を振って歓迎した    各地の鉄道網が自然災害で大きな打撃を受けている。特に地方のローカル線は、そのまま廃線になることが多い一方、11年ぶりに災害から復活した秘境路線もある。復活の切り札となった「上下分離方式」とは何か。AERA 2024年2月26日号より。 *  *  *  災害から復活するローカル線も少なくない。  福島県と新潟県を結び、秘境路線として知られるJR東日本の只見線(会津若松-小出、全長約135キロ)。11年の豪雨でこのうち会津川口(福島県金山町)-只見(同只見町)間の約28キロで3カ所の橋脚が流失し不通となり、バスによる代行運転が続いてきた。それが22年10月、11年ぶりに全長約135キロが再開した。  復活のカギとなったのが、「上下分離方式」だ。車両の運行を「上」、線路や駅舎など施設の保有・管理を「下」に例え、上はJRなど鉄道会社が行い、下は自治体が引き受ける。線路や鉄道施設などの維持管理がなくなる分、鉄道会社の経営負担が軽くなる。鉄道をインフラと考える欧州では一般的だ。  当初、JR東は、赤字がかさむ只見線の被災区間の廃線を提案した。だが、県や沿線自治体は鉄路の存続を主張。内堀雅雄福島県知事は「県が最大限努力する」とし、JR東の路線では初めて上下分離方式を導入した。  この手法は只見線以外にも、茨城県ひたちなか市を走る第三セクター、ひたちなか海浜鉄道が導入して経営を立て直すなど鉄道再生の「切り札」として各地で広がりつつある。  ただ、ネックもある。自治体にとって多額の負担が重荷となる。岩手県の達増拓也知事は一昨年の定例会見で、ローカル線の存続について「採算が取れないからとJRから外し地方に委ねるのは話が違う」と批判した。 「上中下分離方式」  北海道教育大学の武田准教授は、自治体の負担を軽くするため「上下分離」ならぬ、「上中下分離方式」を提唱する。「上」の鉄道運行は鉄道事業者が行うのは同じだが、「下」を二つに分け、「中」として車両の保有を地元の自治体が担い、「下」の線路や施設を国が引き受ける。 AERA 2024年2月26日号より   「鉄道は交通インフラとして公共性が極めて高い乗り物。そこで、国にも関与してもらおうとする考えです」(武田准教授)  また「軌道法」の活用も有効だという。軌道法は路面電車に適用される法律で、道路用地にレールを引いて走らせることができる。そうすれば、災害復旧時に巨額の道路予算を鉄道のインフラ部分に回すことが可能となる。実際、大阪を中心に走る阪急電鉄の前身である箕面有馬電気軌道などは、軌道法に基づく「軌道」として設立された。 「もはや、道路をつくればみんな幸せという時代ではありません。鉄軌道を道路施設の一部として国のインフラとして扱うなど、柔軟な対応を取ることが必要です」(同)  一方、災害から復旧後も課題は残る。 「赤字ローカル線は、多額の税金をかけて復活させる以上、それ以上の価値を見いだすものを生み出していく必要があります」  地域交通政策に詳しい福島大学の吉田樹(いつき)准教授(交通政策)は、そう指摘する。 存在意義つくれるか  例えば只見線の場合、毎年3億円とされる施設維持管理費は、県と会津17市町村が負担することになる。さらに、只見線は冬場の運休率は約10%なのに対し、代行バスは1%いくかいかないか。インバウンド効果も限定的だ。それでも地元の人が、「鉄道を復活させてよかった」と思える存在意義をつくれるかどうかが問われる、という。  そのための手段として、吉田准教授が注目するのが「駅」だ。鉄道にできてバスにできないことの一つが、駅の活用だと言う。 「駅とそのすぐ周辺に、行政手続きができる出張所や図書館、地元産の野菜や総菜の販売所など、生活者が集まる場所をつくれるかが大切です。そして、駅の存在感を高める取り組みが、沿線にあるいくつかの駅で連鎖すると、鉄道が普段使いしてもらえる可能性が高まる。災害から復旧した鉄道の存続は、こうした施策ができるか否かにかかっています」 (編集部・野村昌二) ※AERA 2024年2月26日号より抜粋
【関節リウマチ】悪化させないための生活習慣は? 医師解説 カフェイン過剰摂取は薬の作用を弱める
【関節リウマチ】悪化させないための生活習慣は? 医師解説 カフェイン過剰摂取は薬の作用を弱める ※写真はイメージです(写真/Getty Images)    関節リウマチは、一度発症したら根治させることは難しく、一生、治療や経過観察を続けていくことが必要な病気です。ただし、きちんと治療を続ければ、関節の痛みや腫(は)れなどの症状を抑え、ふつうの日常生活を送ることも十分に可能な時代になっています。治療を続けるうえで大事なことや日常生活で注意すべき点など、患者が関節リウマチとともに生活するために理解しておきたいことを専門医に聞きました。  この記事は、週刊朝日ムック「手術数でわかる いい病院」編集チームが取材する連載企画「名医に聞く 病気の予防と治し方」からお届けします。「関節リウマチ」全3回の3回目です。 *  *  *   【第1回の記事はこちら】 「関節リウマチ」が1:4の割合で女性に多いのはなぜ? 専門医の答えは? 環境的な要因に喫煙や歯周病 https://dot.asahi.com/articles/-/212565 【第2回の記事はこちら】 「関節リウマチ」早期診断は専門医でないと難しい? 変形性関節症、痛風で似た症状 近年は関節エコーで検査 https://dot.asahi.com/articles/-/213366 発症前と同じような生活を送れることが治療のゴール  関節リウマチは、良くなったり悪くなったりを繰り返しながら進行する慢性の病気です。そのため、治療目標は「病気の根治」ではなく、「生活の質(QOL)の向上・維持」と考えられています。  関節の炎症を止め、痛みや腫れなどの症状をコントロールすること、関節や骨の破壊を防ぐことが治療の目標であり、患者が発症前と同じように家庭や社会で生活できるようになることが治療のゴールといえるでしょう。  治療目標を達成するためには、「医師が治療の過程で何度かその成果をチェックしていくことが必要」と、東京女子医科大学病院膠原病リウマチ内科教授の針谷正祥医師は話します。針谷医師は、大学病院で長年関節リウマチの診療にあたりながら、ガイドラインの作成などにも携わっています。  治療における最初のチェックポイントは炎症を抑え、腫れや痛みをなくすこと。「できれば治療開始後3カ月、遅くとも6カ月で達成したい」と針谷医師はいいます。 「首尾よく達成できた場合は、腫れや痛みがなくなった患者さんが、日常生活のなかでほかに困っていることがないかを確認します。例えば、化粧や整髪、着替え、階段を上る、洗濯物を干す、料理を作る、外出するなど、日常生活におけるさまざまな動作で、痛みなどの症状が改善した後もできずに困っていることがあればその原因を探り、解消するための治療を考える。それが2番目のポイントです。そして3番目のポイントは、関節や骨の破壊を抑えることです」(針谷医師)  このように、治療のゴールに到達するために、まずは炎症や痛みを抑える。次に患者のQOLを確認する。さらに関節や骨の破壊を抑える、という流れで患者さんの症状や生活の状態を確認しながら治療が進められます。   患者自身で判断せず医師に相談を  関節リウマチという病気を持ちながら生活するうえで大切なこととして、「治療をきちんと続け、何かあれば主治医に相談すること」と話すのは、関節リウマチの早期発見や予後改善をめざし診療や啓発に力を入れている、横浜市立大学附属市民総合医療センター、リウマチ膠原病センター診療教授の大野滋医師。  患者のなかには、治療によって痛みがなくなると自身の判断で薬をやめてしまう人や、副作用がつらいことを医師には伝えず薬を飲むのをやめてしまう人もいるといいます。 「症状が安定したら薬を休むこともありますが、減薬や休薬にも進め方があるため、患者さん自身で判断せず必ず医師に相談してください。副作用についても、起こる可能性のある症状を知っておき、気になる症状があった場合などは医師に伝えましょう」(大野医師) 病気を知ることが治療継続のモチベーションに  針谷医師は、「病気を正しく知ること」と「自分の治療を医師と一緒に考えること」が大切だと話します。  長く治療を続けるためには患者自身がやる気になることが欠かせません。関節リウマチという病気が免疫の異常で起こること、一生続く病気であること、治療を怠ると肺や内臓にも症状が起こる可能性があることなどを理解することで、治療の必要性を実感し、治療を続けるモチベーションにつながるといいます。 「治療選択に自分も参加したと思えることも重要です。『料理ができるようになりたい』『孫の面倒をみられるようになりたい』『趣味を再開したい』など、治療の先にある『やりたいこと』や『なりたい自分』を医師に伝え、そのためにどういう治療をするか、医師とともに考え、決めていけたらいいですね」(同) 関節に負担をかけない生活や感染対策も大切  生活においては、関節の保護、禁煙、適度な運動、感染対策なども大切です。  関節に負担をかけすぎないように、例えば鍋や食器を持つときは片手ではなく両手で持つ、重い荷物は長い時間持たないようにし、手で持つより肩にかけたりリュックで背負ったりする、料理をするときはイスに座る、長時間の歩行は控えるなど、関節をいたわる工夫を心がけましょう。 「どんなに良い治療法が登場しても、やはり関節を使いすぎると痛みが出てしまいます。無理しすぎないよう、動かしたら十分に休ませる、湿布を貼るなどケアを心がけましょう。また、喫煙は関節リウマチになるリスクを上げるだけでなく、治りにくくさせるため、禁煙することが望ましいでしょう」(針谷医師)  無理をしないことは大切ですが、治療によって痛みが治まり、症状が安定しているときは適度な運動も必要です。運動することで関節を支える筋肉の力や、関節の働きを維持することができるからです。 「水中ウォーキングなどは、浮力で関節への負荷が少なくてすむ運動としておすすめです。ふつうのウォーキングやストレッチなどでもいいですが、医師と相談しながら痛みが出ない範囲でするようにしましょう」(大野医師)  食事については、関節リウマチの人が食べると良いもの、食べてはいけないものなどは特にありませんが、適正体重を保ち、健康で過ごすために栄養バランスの良い食事を心がけることが大切です。  一方、カフェインや葉酸の過剰な摂取はメトトレキサートの作用を弱めることがあるといわれています。副腎皮質ステロイドを服用している場合は血糖やコレステロールの上昇、肥満などが起こりやすくなるため、カロリーや脂肪のとりすぎに注意しましょう。    また、副腎皮質ステロイドや関節リウマチそのものによって骨粗鬆症(こつそしょうしょう)になりやすくなるため、カルシウムの摂取や骨粗鬆症の予防治療も大切です。  そのほか、感染対策も重要です。抗リウマチ薬による治療をしているときは免疫の働きが抑えられ、感染症にかかりやすくなります。人の多い場所に出るときはマスクをする、ワクチンで防げる病気はワクチンを接種する、十分な栄養と睡眠をとるなど、感染予防を心がけましょう。 (文/出村真理子)   【取材した医師】 東京女子医科大学病院 膠原病リウマチ内科 教授 針谷正祥(はりがい・まさよし)医師 1984年、防衛医科大学校医学教育部医学科卒業。東京医科歯科大学病院等を経て、2015年から現職。専門分野は関節リウマチ、膠原病、分子標的薬治療など。「関節リウマチ診療ガイドライン2020」編集者(研究代表者)を務める。関節リウマチに関する執筆活動や啓発のための社会活動にも積極的に取り組んでいる。 東京女子医科大学病院 東京都新宿区河田町8-1 東京女子医科大学病院 膠原病リウマチ内科 教授 針谷正祥医師   横浜市立大学附属市民総合医療センター リウマチ膠原病センター 診療教授 大野滋(おおの・しげる)医師  1988年、横浜市立大学医学部卒業。米国国立衛生研究所、国立横須賀病院、国立相模原病院臨床研究センター等を経て、2002年から現職。専門分野は関節リウマチ、膠原病など。センターでは「早期リウマチ外来」の設置や市民公開講座、リウマチ教室の開催など地域と連携しながら関節リウマチの早期発見や予後改善に尽力している。 横浜市立大学附属市民総合医療センター 神奈川県横浜市南区浦舟町4-57 横浜市立大学附属市民総合医療センター リウマチ膠原病センター 診療教授 大野滋医師  
「日本は治安がいい」は昔話なのか 刑法犯認知件数が増加、人々の「体感治安」悪化も
「日本は治安がいい」は昔話なのか 刑法犯認知件数が増加、人々の「体感治安」悪化も 京王線の電車内で男が乗客を刺し、火を放った。京王線国領駅で活動する消防隊員ら=2021年10月31日、東京都調布市    日々報道される凶悪犯罪。不景気を背景に「高額報酬」という言葉が飛び交い、一般人でもネットを通じて犯行に手を染めやすくなっている。「体感治安」も悪化、性犯罪の認知件数も増えた。「治安のいい日本」はもう昔話なのか。AERA 2024年2月26日号より。 *  *  *  今年は年明け早々、物騒な事件が続いた。JR山手線の車内で女が刃物を振り回しけが人が出た。保育士が勤務先の保育園で女児にわいせつな行為をし、その様子をスマートフォンで撮影した疑いがあるとして再逮捕された。昨年も選挙演説会場で岸田文雄首相らに爆発物が投げられた事件があり、一昨年には安倍晋三元首相が銃撃され殺害された事件もあった。 京師美佳(きょうし・みか)/防犯アドバイザー。防犯ガラスメーカーのセキュリティ事業部長などを経て、京師美佳セキュア・アーキテクトを設立(写真:本人提供)   「日本は治安がいい」と言われてきたが、“今は昔”なのだろうか。防犯アドバイザーの京師(きょうし)美佳さんは言う。 「犯罪の件数は、20年近く減少し続けていました」 AERA 2024年2月26日号より    法務省の犯罪白書などによると、刑法犯の認知件数は2003年以降、減少の一途をたどってきた。それが変わったのは22年。刑法犯認知件数は60.1万件となり、戦後最少だった21年から約5.8%増加した。23年は前年を10万件も上回り、70.3万件にまで増えた。京師さんは言う。 「犯行の内容が暴力的になっていると考えます」  まずは、振り込め詐欺などの特殊詐欺。認知件数は近年増加傾向だったが、20年に一時、件数が落ち込んだ。 「啓発活動で手口が広まったり、コンビニの店員さんが止めてくれたりして、特殊詐欺は減りました。それでも被害額は400億円近くありました。稼ぎが少なくなったと考えた特殊詐欺グループは昨年、強盗にシフトしました」(京師さん)  そして、ずっと減少を続けていた強盗の認知件数も22年以降、増えた。  実際に、最近は衝撃的な強盗事件が多かった。昨年5月、東京・銀座の時計店で少年らが腕時計などを奪って逃走し、逮捕された。朝日新聞などの報道によると、少年は友人に「高額報酬の仕事だ」と誘われ、内容はわからないまま引き受けたという。 女が刃物を振り回し、けが人が出たJR秋葉原駅付近=2024年1月3日、東京都千代田区   詐欺、サイバー犯罪の増加、「体感治安」悪化傾向  今年1月、「ルフィ」などと名乗って各地の強盗を指示したとして強盗致死罪などで起訴された特殊詐欺グループトップが特殊詐欺を指示した窃盗容疑で再逮捕された。ただ、強盗事件には限界があると京師さん。 「日本の警察は、強盗や殺人の検挙率は90%以上です。捕まって稼ぎにならないことがわかってきたので、また特殊詐欺に戻ってきています」  そして23年の特殊詐欺の認知件数は、直近15年で最多になった。少年の刑法犯も約4千人も増えている。 「一般の人でも、ネットを通じて犯行に手を染めやすくなっています。少年が深く考えないまま闇バイトに参加できるようになりました。とりあえず被害者を殴って、物を取るような稚拙な手口が多いです」(京師さん)  SNSでは、受け子、出し子を意味する「UD募集」、強盗の実行犯「たたき募集」という言葉があふれている。被害件数は都心が多いが、最近は地方も狙われだしたという。SNS上に、UD募集などの言葉とあわせて、都道府県名ものぼるようになった。例えば「UD募集 岡山」という具合だ。 「例えば、私の出身地の大阪なら『オレオレ』と言われても『誰やねん』で一蹴できたのですが、地元の方言を話す人が『区役所の者です』と電話してきたら、信憑性が増してしまうんです」(同)  さらに、昨今の物価高も影響しているという。 「昔から不景気のときは犯罪が増える傾向にあります。日々の生活のために罪を犯す人が増えます」(同)  リーマンショックの翌09年(前半)は、強盗は約2400件で前年比17.5%増と報じられていた。  人々の「気持ち」はどうなっているのだろう。警察庁は、市民が治安をどう感じているのか「体感治安」を調べるアンケートを取っている。昨年10月に5千人にアンケートを実施したところ、ここ10年間の日本の治安について、「悪くなったと思う」「どちらかといえば悪くなったと思う」と答えた人は、合わせて71.9%と、前年比で4.8ポイントも増えた。  悪くなった要因として想起する犯罪は、振り込め詐欺などの詐欺、無差別殺傷事件、サイバー犯罪、児童虐待が挙がった。 「ルフィなどの事件が大きくニュースで取りざたされて、日本国内の治安の印象は悪くなったと思う人の方が増えているのでしょう」(同) AERA 2024年2月26日号より    ニュースで報じられると、どうして治安の印象が悪くなるのか。京師さんはこう考える。 「凶悪事件の被害者が身近にいるなど、事件が身近なわけではありませんが、SNSやニュースで映像を見ていると、自分事のように感じて胸が苦しくなるのです」  ただ、ここ数年、刑法犯の認知件数が増えたのは、治安の悪化が原因とは言い切れない。 「コロナ禍に緊急事態宣言で仕事も学校も旅行も行かず外出しなくなって、犯罪が減って底を打ったのだと考えます。コロナ禍の行動制限がなくなって、人々が外に出るようになって、犯罪も増えているのではないでしょうか」(同)  そんななかで、昨年飛びぬけて増えたのが不同意性交等だ。23年の認知件数は2711件と2年前のほぼ2倍になった。不同意わいせつも大幅に件数が増えた。 不同意性交等の増加、価値観の転換が背景に  どうして増えたのか。犯罪学に詳しい龍谷大学の浜井浩一教授が解説する。 「犯罪白書の犯罪被害実態調査によると、性犯罪自体は減少傾向にありました。いまになって、性犯罪自体が増えたわけではありません。価値観の転換があって、過去には犯罪だと世間が思っていなかった事案を表に出せるようになったのではないでしょうか。ちょうど今が過渡期だろうと思います」  例えば「デートに誘われて行ったからといって、望まない性行動を強いられたら犯罪だ」とメディアでも報じられ、社会の認識も変わる。価値観の変化によって、これまで「性犯罪」と認識されてこなかった犯罪が表に出るようになった。  警察の態勢にも変化があった。以前は警察に相談に行っても「家庭内のことだから」「恋人同士の問題だ」と取り合ってもらえなかった問題があった。「夫婦喧嘩」と言われていたものが「ドメスティック・バイオレンス(DV)」と認識されるようになった。 「いままでは民事不介入として片づけられていたものが、犯罪として取り扱われるようになりました」(浜井教授) 浜井浩一(はまい・こういち)/龍谷大学法学部教授。法務省に入省し刑務所などに勤務したほか、在イタリア国連犯罪司法研究所研究員も務めた。日本犯罪社会学会会長(写真:本人提供)    法律も厳しくなった。昨年は性犯罪の規定を大幅に見直した改正刑法が施行された。強制性交罪は、意に反する性的行為を処罰する「不同意性交罪」に変わった。これまでは「暴行または脅迫を用いて」という要件があり、罪の成立には抵抗が著しく困難だったことが必要だと解釈されてきた。改正刑法では「被害者の意思」に重点が置かれ、激しい抵抗が認められなくても処罰できるように要件が明確化された。不同意性交罪と不同意わいせつ罪の公訴時効は5年延長され、18歳未満で受けた被害については、18歳までの年月を加え時効を遅らせる。性交同意年齢は、13歳から16歳に引き上げられた。浜井教授は言う。 「表に出る性犯罪は、最大15%という調査結果があります。つまり、性犯罪の被害者の85%は泣き寝入りしているのです。犯罪が表に出てくるようになれば、隠れた犯罪の数が減っていくと期待されます」  価値観が変わって、犯罪として対処されるようになる。こうした変化は性犯罪だけではない。 「児童虐待にしてもDV、ストーカーにしても、だめなものはだめだという価値観に切り替わったのにともなって、事例が表に出てきています」  児童虐待、またはその疑いがあるとして、警察が児童相談所に通告した児童数は23年に12.2万人と、前年比で6.1%増加して、過去最多となった。  昨年衝撃を与えたのが、「先生」と呼ばれる学校や塾関係者による犯罪だ。大手進学塾の元男性講師が教え子の女児を盗撮したとして逮捕された。また、現職校長が、児童買春・児童ポルノ禁止法違反の疑いで逮捕された。まさか犯罪を起こすとはそもそも疑われない存在だ。浜井教授は言う。 「今後も価値観が変わったり、教師のようにいままで疑われもしなかったような加害者の存在が明らかになり、新たな犯罪が認識されてくる可能性はありますし、その結果、社会の監視の目が強まり犯罪実態が減少する一方で、表面上の統計が増加する可能性もあります。裏金問題だって、昔は官公庁でもよくありましたが、今は許されません」 AERA 2024年2月26日号より   日本は「家族人質社会」、相互監視社会と排除の論理  結局、日本の治安はどうなっているのだろう。先の警察庁のアンケートでは「日本の治安はよい(安全で安心して暮らせる)と思うか」の質問に、「そう思う」「まあそう思う」と答えた人は、23年は合わせて64.7%。21年の75.8%から大きく減少したものの、6割強が日本の治安がいいと感じている。たしかに、長い目で見れば、刑法犯認知件数は減少傾向にある。 「厚生労働省の人口動態統計によると、人の死因として、他殺は一貫して減少しています」(浜井教授)  治安に定義はないが、少なくとも、殺人が横行するような治安の悪さはないということだ。 「犯罪そのものも減って、治安は段々よくなってきていると思います」(同)  では「治安がいい」とはどういうことなのだろう。浜井教授は言う。 「諸外国との比較調査を分析していくと、日本人が特別にモラルや規範意識が高いわけではありません。平均的です。それなのに、他の国の人よりも日本人は明らかに犯罪に手を染めないわけです。それは、『家族人質社会』だからだと私は考えています」 「家族や仲間に迷惑がかかる」という気持ちが、犯罪を抑止しているというのだ。美談として語られるのが、大災害があっても仲間を守るために職務を放棄しない姿だ。 「ここで仲間を見捨てたら、地元にいられない。こんな気持ちが働いているのだと思います。よく言えば、助け合いで成り立っています」  ただ、その仲間意識は悪い方向に働くことがある。 「仲間の輪から漏れた人は徹底的に排除されることもわかっています。加害者家族へのバッシングもそうです。この相互監視社会では、自分が悪いことをすると家族が同じように批判され、社会から排除される。だから踏みとどまっている。この意識が、日本の秩序を守っていると思います。しかし、それだと、仲間の輪から外れた孤立した人を止めるものがなく、凶悪犯罪を起こしてしまいます。なぜ防げないのか、という一辺倒ではなく、孤立する加害者の背景を一定程度理解して、再犯の防止を支援する必要もあると思っています」(同) (編集部・井上有紀子) ※AERA 2024年2月26日号
仲里依紗が語る、家族円満のコツ「『お母さんはこうあるべき』の縛りなし。したいことは全部して笑ってすごす」
仲里依紗が語る、家族円満のコツ「『お母さんはこうあるべき』の縛りなし。したいことは全部して笑ってすごす」   写真:高野楓菜(写真映像部) ヘアメイク:近藤志保(reve) スタイリスト:黒瀬結以  演技派俳優としてはもちろんのこと、「ヤッホみなさんこんにちは~仲里依紗でぇ~す♪」の声とともに、毎回ハイカロリーで展開していくYouTubeが話題の仲里依紗さん。自由奔放、天真爛漫、痛快無比なママライフ、その笑顔と元気の源はどこにあるのでしょう。小学生のママパパに向けた子育て情報誌「AERA with Kids23年冬号」(朝日新聞出版)からご紹介します。 最近、小学生男子にも名前を覚えられてます  YouTubeを始めて3年になります。息子のトカゲくんや2人の妹、ときどき両親、たまにキツネさん、つまり家族総出演の動画です。そんな私のよくわからない生活と騒々しいおしゃべりをみてくれて、「かわいい」とか「元気がでる」とかコメントしてもらえるなんて、ありがたいやら申し訳ないやら……。  チャンネル登録してくれているのは同世代の女性が多いですね。昔っから「ファンです」って言ってくれるのは女性で、男性は1ミリくらい(笑)。あ、最近はママといっしょにみている小学生男子から「仲里依紗だぁ‼」って声をかけられる機会も増えました。でも基本、呼び捨てなんです(笑)。  自宅でもよく撮影します。黄色の壁、カラフルなソファ、ピンクや赤い髪の私。画面全体が色鮮やかなので「目がチカチカしませんか?」って言われるんですが、あれが落ち着くんですよ。しかも実用性が高い。明るい色だらけの部屋なので、黒いリモコンが一瞬で見つかるの! 黒って目立つんですよ~。最近、仕事の関係で髪の毛を黒に染めたので、私も部屋で目立ってます。 「お母さんはこうあるべき」の縛りなし  ママらしくは……ないですね(笑)。「お母さんはこうあるべき」みたいな縛りもないし、マニュアルもない。もともとトリセツ(取扱説明書)は苦手なタイプですし、読むのはイケアのトリセツくらい。あれは絵だけだからね。もし「ママはこうあるべき」っていうトリセツがあるとすれば、私のトリセツのド真ん中には大きな笑顔が描いてあるだけ。「お母さんは笑っています」だけです。お母さんが笑っていないと、家の中が暗くなっちゃいますから。   写真:高野楓菜(写真映像部) ヘアメイク:近藤志保(reve) スタイリスト:黒瀬結以 <衣装協力>ニットトップス、パンツ/共にKIDILL(Sakas PR)  ピアス/Matilda rose/Matilda rose ネックレス/Elpe visible 左手中指リング/masae 左手薬指リング/maaa  右手人さし指リング/Thalatta 右手薬指リング/Amitie CREDIR(以上全てRHODES) その他スタイリスト私物    ドラマの撮影が始まると、家にいる時間がめちゃめちゃ減ります。息子と朝しか会えないなんて普通だし、朝さえ会えないこともある。深夜に帰ってきて、次の日の運動会の弁当を作る日もある。  それでも仕事を辞めようと思ったことはありません。笑顔でいられるのは仕事があるから。私は私の人生を生き、夫も息子もそれぞれの人生を生きる。「子どもがいたからアレもコレもあきらめた」なんて言い訳、子どもに押しつけたくないんです。したいことは全部やる。だから笑っていられるんですよ。もちろん幸せは人それぞれで、私のすぐ下の妹は専業主婦ですけど、いつも笑顔で幸せそう。本人がしたいことができればいい、そういうことです。  ただ、あまりに忙しいのでもうヘトヘトです。だから絶対に必要なのが「自分へのごほうび」。イヤなことがあった日でも「大丈夫、私は週末に〇〇のライブにいくんだから!」って思えば耐えられる。先々の小さな楽しみに支えられて生きています。  まとまった休みには全力でぜいたくします。YouTubeにもあげていますが、息子を連れて海外旅行にも行きますよ。国内旅行も大好きですが、夫も私も芸能人なので声をかけられることもあって、息子はリラックスできないみたい。海外だとそれがないし、英語の勉強にもなるみたいです。小学校で英語をしっかり習っているせいか、税関のところでちゃんと英語で説明していました。「え? なんだ、しゃべれるじゃん!」って感動しました。 写真:高野楓菜(写真映像部) ヘアメイク:近藤志保(reve) スタイリスト:黒瀬結以 <衣装協力>ニットトップス、パンツ/共にKIDILL(Sakas PR)  ピアス/Matilda rose/Matilda rose ネックレス/Elpe visible 左手中指リング/masae 左手薬指リング/maaa  右手人さし指リング/Thalatta 右手薬指リング/Amitie CREDIR(以上全てRHODES) その他スタイリスト私物    息子は年ごろ。反抗期なのか?と感じることもありますが、攻撃的ではないんです。どちらかといえば「無」。テンションがフラットで表情も変わらない。「どうしたの? 怒ってるの?」と聞いても「いや別に。大丈夫だよ」と、ほぼ棒読みの答え。あくまで「無」。今まではいっしょにテンションを上げてくれてたのに……。  寂しいけど、しかたがない。大人になれば「無」ではいられない場面は増えるし、笑いたくなくても笑わなくちゃいけないこともある。家にいるときくらい、自分が一番したい表情でいていいんじゃないかな。だからこそ、たまに笑顔が見られると母は幸せです。 写真:高野楓菜(写真映像部) ヘアメイク:近藤志保(reve) スタイリスト:黒瀬結以 <衣装協力>ニットトップス、パンツ/共にKIDILL(Sakas PR)  ピアス/Matilda rose/Matilda rose ネックレス/Elpe visible 左手中指リング/masae 左手薬指リング/maaa  右手人さし指リング/Thalatta 右手薬指リング/Amitie CREDIR(以上全てRHODES) その他スタイリスト私物   家事は私が中心 宿題は夫が担当です  家事は基本、私の担当。夫は言われないとやらないタイプですが、息子の宿題をみてくれるから助かっています。テストの前には、夫が自分でプリントを作ってコピーして解かせたりするんです。でもね、残念ながら彼の字は汚い。「りいさ」はほぼ「いいさ」に見える(笑)。息子に「問題文が読めない」と文句を言われることもあって、笑ってしまいます。  ゲームはやってますね。でも家族といるときは禁止。私が仕事でいないときは、長時間になるとブチッと切れるアプリで遠隔操作しています。どうしてもやりたいときには、早起きしてやっているみたい。「朝活」ですね(笑)。  最近はずいぶん大人っぽくなりました。ときどき「あぁ、この子は私につきあって喜んでくれてるんだ」って思うこともあります。去年のクリスマスは「ママ! サンタさんきてくれたよ」って喜んでくれましたが、絶対にもう信じていないはずなんです。わかっているけど、喜ばせたい親の気持ちにのっかって喜んでる。私も「どっから入ってきたんだろ。不法侵入じゃない?」と笑い合いました。少しずつですが、大人どうしの関係に近づいているのかな? (取材・文/神 素子) 〇仲 里依紗(なか・りいさ)/1989年長崎県生まれ。2006年アニメ映画「時をかける少女」の主人公の声で話題となり、その後は映画やドラマで活躍。現在は小学生の男の子のママ。20年に開設したYouTube「仲里依紗です。」は登録者数190万人を超える大人気チャンネルに。
芸人への片思いに悩む女性に鈴木涼美が明かす、“作家デビューの原動力”となった「バンドマン」
芸人への片思いに悩む女性に鈴木涼美が明かす、“作家デビューの原動力”となった「バンドマン」 鈴木涼美さん  作家・鈴木涼美さんの連載「涼美ネエサンの(特に役に立たない)オンナのお悩み道場」。本日お越しいただいた、悩めるオンナは……。 Q. 【vol.8】芸人への叶わぬ片思いから抜け出せないワタシ(20代女性/ハンドルネーム「Hon」)  芸人さんに恋してしまいました……。その芸人さんとは全く接点がないどころか、結婚している方なので、100%可能性がないことはわかっています。ですが、劇場に行って出待ちをしたり、手紙やプレゼントを送ったり、その人のことを考えない日はありません。テレビにも出演して忙しい方なので、相手にしてもらえるなどとは思っていないのですが、劇場に行けば会えちゃうし認知してもらえそうなことを考えると、少し期待してしまう自分がいます。休日は劇場に行ってばかりいるため出会いもなく、プライベートの恋愛が疎かになっています。この沼から抜け出すにはどうしたらいいでしょうか。 A. 抜け出さないでよい沼もある。  恋愛はこの世で最も大きな原動力の一つだと私は思っています。そして片思いほど楽しいものはないとも思っています。片思いの楽しさに比べれば、充実したやりがいのある仕事、とか、健康でマインドフルネスな生活、とか全然楽しくないですよね。思いっきり夢中になれる片思いの最中は、やめられなかった携帯ゲームも一晩中読んでいた漫画も平気で何日も放置できるのだから、恋の力は生きる力だと本当に思います。 【こちらも話題】 「恋人というよりペット」な彼と離れたい女性に、鈴木涼美が示す「同棲の幸福≦解消後の清々しさ」の公式 https://dot.asahi.com/articles/-/209128 最後のキャバクラ用プロフィール写真の撮影に臨む31歳の鈴木さん  そして今、自分のことを知っているか知っていないかは微妙なくらいの芸人さんに片思いをして、しかも会いに行ける場所も手紙や差し入れを渡せる機会も持っているということは、あなたはこの世界を最も楽しんでいる一人で、この世で最も原動力を持っている状態だと言えます。相手が既婚であるとか忙しいとか有名人だとかいうことは大したことではないと個人的には思っています。相手がどうのよりも、自分が今最強のブーストがかかったスーパー自分になっていることのほうが重要です。  余談ですが、私はバイトや会社勤めをしていたときには、ひと現場に一人は好きな人を作るようにしていました。なかなかできないこともありますが、かったるい仕事も、好きな人に会えるというだけで買い物や夜遊びより楽しみなことに変わったりしませんか。この世は苦界で、ムカつくことにも悲しいことにも事欠かず、生き続けるモチベーションを探すのはそう簡単なことではありません。そういう意味で、今芸人さんにそれだけ夢中になれているのであれば、少なくとも明日もこの世界に存在する意義を持っているわけだからとても幸運なことだと思います。  さてしかし、片思いが最も楽しいのは、多少の期待と日々の「する事」があるときですよね。私はフィクションの登場人物やすでに他界した俳優にも平気で恋をしますが、さすがに可能性がゼロだと大きな原動力にはなりません。でも少なくともその芸人さんは劇場に行けば会えるわけです。今考え得るアピール方法やお近づきになる方法は、真っすぐなんでもやってみるべきだと思います。ただ、ファン活動をしているだけだと本気の恋心はなかなか実らず、せっかく楽しい片思いがだんだん切なく辛いものになってしまうかもしれません。 【こちらも話題】 デートもセックスも女性から誘うべし? 迷える40代女性に鈴木涼美が示す“カギ”は「お節介な友人」 https://dot.asahi.com/articles/-/210712  私は、文章を書く仕事をしていて、この仕事自体はそれほど大きな原動力がなくともやっていたと思いますが、自分の名前で記事や本を出したり、特に自信も需要もない顔を晒して対談やトークイベントなども割と気軽に引き受けたりする作家という職業を選び、締め切りを破りながらもなんとかやってきたのは、基本的には邪(よこしま)な原動力があったからです。というかそれがなければ、同じく文章を書く仕事でも、定期収入があったり、自分の風貌や名前を晒さないでよかったりする仕事を選んでいたような気もします。  鈴木涼美としてのデビュー作『「AV女優」の社会学』はもともと修士論文ではありましたが、新聞社の若手社員をやりながらそれを一冊の人文書に書き換えていく作業は結構面倒なものでした。それでも、当時好きだったバンドのボーカリストは日経新聞の記者としてインタビューする機会はあまりなさそうだったし、名前を出して本など書いていたほうが、なんとなくそういう人に対談を申し込んだり、帯文を書いてもらったりしてなんとかつながりをつくることができる気がして、その一点の原動力だけで書き上げました。  二冊目のエッセイ集は、当時好きだった人の元カノが写真家だったので、張り合えそうな肩書ってやっぱ〇〇家かなと思い、一冊研究書を出しただけだと作家とか随筆家って名乗れなさそうだからという理由で書き上げました。どちらの恋も、書き上げた頃にはすでに鎮火しており、結局作家の立場をうまく利用して好きな人に近づくという作戦は決行していません。でも、本を一冊書き上げるというのはけっこう面倒くさい作業です。私には「世の中の悩んでいる女性にとって少しでも癒しになるような本を作ろう」とか「自分の若い頃と似たようなことで苦しむ女の子が読みたいと思えるものを書こう」とかいう原動力だけでは足りず、大体何かしら下心があるときに本が出来上がります。公私混同上等です。というか公私くらい混同しないと生き苦しい世の中です。 【こちらも話題】 こんばん「わ」が許せない! 狭量さに悩む男性に、鈴木涼美が明かす「死んでもいい」と思わせてくれた男 https://dot.asahi.com/articles/-/211899  芸人さんと、ファン活動だけではなくつながることのできる仕事や立場は色々とあると思います。今しているお仕事の中でも、何かしらそういう企画が考えられるかもしれません。たとえばあなたが図書館の司書さんであればとりあえず彼と親交がありそうな読書芸人を呼ぶ企画を考えるとか、農業であれば農業仲間と農産物フェスを企画して余興に呼ぶとか、あるいは仕事でつながりにくければ、副業で何かを開発して有名になるとか、趣味のお菓子作りや絵画、アングラな場所の散歩情報などでSNSを始めてみるとか。芸人さんの活動って意外と幅広いですから、割と現実的につながりができて、そこから恋が始まるかもしれません。  もしかしたらその仕事や企画に夢中になっている間に、その芸人さんへの恋心は鎮火してしまうかもしれません。全然別の仕事をしている人を好きになったり、新しい彼氏ができたりするかもしれません。でもそれはそれで、仕事や趣味の幅が思いっきり広がるのだから、いいじゃないですか。私は別にもう例のバンドマンも、その後に好きだった人も微塵も興味はなくなりましたが、物書きの仕事は割と楽しくやっています。沼は抜け出したほうがよい沼もあるとは思いますが、沼のぬめりや温度は癖になるものだったり、その沼の底に宝がうまっていたりするわけで、他人からは無駄な時間で無駄な行為に見えるような沼であっても必ずしも急いで抜け出す必要などない気がします。 【鈴木涼美さんへのお悩みを募集中!】 連載「涼美ネエサンの(特に役に立たない)オンナのお悩み道場」では、恋愛、夫婦、家族、仕事、友人など、鈴木さんと同世代の30~40代女性を中心に、お悩みを募集しています。ご応募はコチラから! ●鈴木さんからのメッセージ 私は結婚もしていないし子供もいないし仕事も不安定で、地べたにはいつくばって生きている感じなので、こんな風にすれば素敵な人生送れるよ!というアドバイスは何もないですが、ピンチに陥ったり崖っぷちに立ったりすることは多い日々だったので、痛み分けする気分で、気負わずなんでもお便りお待ちしてます。 【鈴木涼美さんがライブ配信イベントに登場!】 3月8日の「国際女性デー」に合わせて、朝日新聞出版の3メディア(AERA/AERA dot./AERA with Kids)は、3月5日から4日間連続のライブ配信イベントを行います。初日の5日は「オンナの自己肯定感は何で決まる?」をテーマに、AERA dot.編集長と鈴木涼美さんの対談が実現。テーマにちなんだご意見や質問、鈴木さんに伝えたいことなどがある方は、aeradot.info@asahi.comまで是非メールをお寄せください! 配信日時:3月5日(火)20時~ ※約30分間の予定 配信先:Youtubeの「AERA dot.チャンネル」上で公開されます 【こちらも話題】 二股を隠していた夫と、嫌がらせをしてきた夫の元カノが許せない! 鈴木涼美がそれでも“元カノ”に同情する理由 https://dot.asahi.com/articles/-/213047
小児がんケアする親は“透明人間” 24時間の付き添い必要でも「疲れた」言えない事情
小児がんケアする親は“透明人間” 24時間の付き添い必要でも「疲れた」言えない事情 小児病棟では、隣のベッドの子が亡くなることもある。付き添い入院を経験した女性は「胸が締め付けられるような日々でした」(写真:gettyimages)    24時間の付き添い、オムツ交換、食事の世話──。小児がんの子どもを持つ親の生活は過酷極まりない。病院の人手不足により重要な戦力とみなされているからだ。親の負担はきょうだい児にも影響する。サポート体制の整備が急務だ。AERA 2024年2月19日号より。 *  *  *  大阪府で暮らすパート勤務の女性(48)の長男(12)は1歳半の時、小児がんと診断された。腫瘍を摘出するため、すぐに手術が必要と言われ、自宅から車で約1時間半のところにある病院に入院することになった。手続きの時、最初に言われたのは「24時間の付き添いが必要です」という言葉だったという。女性は、 「まだ幼いから一緒にいたいと思う一方で、付き添う以外の選択肢がない状況に『どうして?』と疑問に思う気持ちがありました。でも、病院は保育園ではないから、仕方ないのかな、とも思っていました」  と打ち明ける。会社員の夫(49)は出張が多く激務だったため、当時まだ3歳だった長女は、九州から呼び寄せた実母に預けた。 子ども用ベッドで眠る  そこからの日々は過酷を極めたという。病院では、長男の検査や点滴の見守り、オムツ交換、食事の世話などに追われ、気が休まる時間はほぼゼロ。自分の食事は、わずかな空き時間に院内のコンビニのおにぎりや持ち込んだカップラーメンを大急ぎで食べた。  簡易シャワーは一つしかなく、病院職員と兼用の予約制。他の保護者らも利用するため、なかなか空きがなく、ようやく取れた予約時間に長男の治療が入ってしまい、数日間シャワーを浴びないことも度々あったという。夜は、長男が眠る子ども用ベッドで丸くなって一緒に眠った。帰宅できるのは、夫と交代できる週末のわずかな時間だけだったという。女性は、 「長男の病状が心配だったことはもちろんですが、長女に思うように会えないことや、すでに70代だった母の負担も気になりました。私自身もよく眠れていないので、疲れきっていました」  と振り返る。 子どものベッドで一緒に寝る人は多い。こども家庭庁と厚生労働省は今年度、小児の入院医療機関を対象に実態調査に取り組み、対策を検討する予定だ(写真:NPO法人「キープ・ママ・スマイリング」提供)    ちょうど長女の3年保育の幼稚園の入園試験の時期だったが、準備をする余裕が全くなく、希望していなかった2年保育の幼稚園に通わざるを得なくなったことも心にずしりとのしかかった。長男は1年半の入院を経て退院。現在は再発の不安を抱えながらも元気に学校に通っているが、女性はこう話す。 「当時を思い出すと今も涙が出ます。苦しくて悲しくて、誰も助けてくれないような孤独感が強かったですね」  国立がん研究センターの「がん統計」によると、15歳未満のがんである「小児がん」と診断される子どもは年間2千~2500人。「子ども約7500人に1人の割合」と聞くとピンとこないが、15歳未満人口が約105万人の神奈川県の場合、年間約140人という計算になる。決して、他人事でも珍しい病気でもなく、内訳は白血病が3割強で最も多く、次に脳腫瘍が約2割。リンパ腫、胚細胞腫瘍、神経芽腫と続く。現在は、医療技術の進歩により、7~8割が治癒できるようになっているという。 「疲れた」と言えない  だが、治癒のためには、半年から1年程度の非常に長い入院治療が必要になる。退院後も度々検査などでの通院と入院が必要だ。院内学級や病棟保育など、子どもに特化した療養支援体制が整っていたり、近くに家族向けの宿泊施設を完備している病院は全国を見渡しても、ごくわずか。多くの病院が、付き添う時間帯にバラつきはあるものの、親の付き添いを必須としていて、親の全面的なサポートが必要になるのが現状だ。 NPO法人「キープ・ママ・スマイリング」では飲食店のお弁当を届ける事業も展開。この日は東京・銀座の「天ぷら やす田」が調理指導した(写真:NPO法人「キープ・ママ・スマイリング」提供)    病児を育てる家族を支援するNPO法人「キープ・ママ・スマイリング」理事長の光原ゆきさん(50)は、 「医療が進み、小児がんは治る病気になる一方で、ケアをする親は“透明人間”のまま。子どもが第一なのはもちろんなので、親自身も『疲れた』と声をあげづらく、ましてやその余裕もない状況が何十年も続いています」  と指摘する。 「親は重要な戦力」  光原さんは14年、先天性疾患のあった次女を生後11カ月で亡くした経験がある。長女も出産直後から入院が必要だったため、2人の看病で計六つの病院を渡り歩き、ずっと付き添ってきた。 「どの病院でも、親は重要な戦力とみなされていました。看護師1人で10人近くの子どもたちをケアしているケースが多く、泣いていても放置されていたり、脱水症状が見逃されていたり。病院に対する怒りというよりは、スタッフがあまりに大変そうなので、親がサポートするのもやむなし、という感覚でした。その状況は今も、ほとんど変わっていません」(光原さん)  けれど、それでは子どもが治る前に家族が倒れてしまう。光原さんは「せめて美味しい食事を」と、14年に同NPOの前身となる団体を立ち上げると、国立成育医療研究センターに隣接する家族滞在施設で食事作りを始めたほか、聖路加国際病院などに手作りのお弁当を届けるサービスをスタートさせた。ある病院から「衛生面の不安があり、受け入れが難しい」と言われ、野菜不足を補う缶詰も独自開発した。付き添い生活に必要なレトルト食品やマスクなどの日用品の無償提供も続けている。  入院中は、きょうだいへのサポートも悩みの種だ。  神奈川県立こども医療センターで小児がん診療に携わる医療スタッフが運営する支援チームの「ちあふぁみ!」が、入院する子どもの家族にアンケートをしたところ、目立ったのは「病院の近くできょうだいを預かってくれる施設がほしい」「きょうだいと大学生ボランティアらが一緒に遊んでくれるとうれしい」といった意見だった。医師の栁町昌克さんは、 「小児がんは重篤な疾患であり、その入院生活は長期にわたり大変です。疲れ切ってベッドに突っ伏すお母さんやお父さんをたくさん見てきました。きょうだいのサポートまで手が回らないと悩む家族の皆さんに、何かできないかとずっと考えてきた」  と話す。 出費が家計を圧迫  20年8月、同じ想いを抱える同僚で医師の横須賀とも子さん、看護師の岡部卓也さんとともに「ちあふぁみ!」を立ち上げた。寄付を募り、きょうだい児への絵本のプレゼントを続けているほか、長期宿泊を余儀なくされている家族への補助金や検査の自費部分を援助したり。その活動は地元企業にも少しずつ伝わり、昨年は家具メーカー「オカムラ」(横浜市)から病室で使える勉強机とイスの提供を受けた。 「『家族の支援』という観点が広まっていくことで、長期入院する子どももその家族も笑顔になる。今後も現状を知ってもらうことが重要だと感じています」(横須賀さん)  子どもが小児がんをはじめとする長期入院が必要な病気になった時、親が直面する問題で無視できないのが、経済的な負担だ。  前出の「キープ・ママ・スマイリング」が22年11~12月に実施した「入院中の子ども(0~17歳)に付き添う家族の生活実態調査2022」(有効回答数3643人)によると、付き添い中に経済的な不安を感じている人は全体の7割にのぼった。「冷蔵庫や簡易ベッド、洗濯機。全て使うたびにそれぞれ数百円かかる」「病院への交通費だけで毎月5万円の負担」「親の食費がかさむ」──。積み重なっていく出費が家計をじわじわと圧迫していくのだ。  また、短期の入院であれば有休や看護休暇で対応できても、長期化した場合に仕事をやめざるをえなかった人は318人(8.7%)にのぼり、転職した人は43人(1.2%)いた。中には、生活保護を申請する人もいるという。子どもの入院により、家族全員の生活と描いていた未来が大きく変わってしまうのだ。 「仕事をやめるしかないのか、と思った時、不安はマックスに達し、絶望に追いやられるような感覚がありました。怖かったです」  と話すのは、大手広告会社・電通で働く田中浩章さん(47)だ。21年2月、当時4歳だった長男(7)が39度の高熱を出した後、鼻血が止まらなくなった。かかりつけ医で血液検査をしたところ、血小板が異常に少なくなっていて、2カ月過ぎても改善しない。総合病院での検査を経て、同年6月、大学病院で原因不明の再生不良性貧血と診断された。 病院を就業場所に  当時、田中さんは大阪勤務で家族とともに大阪で暮らしていたが、長男の入院先は小児の専門医がいる名古屋市内の病院に決めた。妻が付き添い、田中さんは病院の近くに家賃3万2千円のアパートを借りて、食事を届けたり、洗濯物を受け取ったりしながら、1年半に及んだ入院治療生活を支えたという。  コロナ禍でもあり、リモートワークが可能だったことに救われていたが、家族の入院を理由にした有給休暇は年間最大20日間。貯蓄もどんどん減っていく。意を決して、五十嵐博社長(当時)のメールアドレスに制度改革を訴える70秒の動画メッセージを送った。返信はすぐに届き、その日のうちに社内で制度改革の検討が始まったという。  今年1月、電通は配偶者・パートナーの3親等内相当の親族の介護や介助をするにあたり、就業場所に「病院やホスピス等」を指定できる画期的な制度を新設した。田中さんは言う。 「本当にありがたいことです。働く場所があるということは、親の心を支えている」  前出の光原さんは、電通の取り組みを、 「収入の多い少ないに関係なく、誰もが収入が『減る』ことに恐怖を感じます。働くことは、個人の重要なアイデンティティーでもあり、それが保障されることはとても重要なことです」  と評価し、こう話す。 「子どもが病気になった時、親が安心して向き合える社会になってほしい」  子どもが小児がんなどの長期入院が必要な病気になったら──。  誰もが当事者になる問題として、親を取り巻く現状を知り、サポート体制を整えていく時にきていることは間違いない。(編集部・古田真梨子) ※AERA 2024年2月19日号

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