※写真はイメージです。本文とは関係ありません
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 Aさんの語りは、そのつどベースとなる<状況>と、状況に対するAさんの<応答>が交互に語られる。「~から」で語られる<状況>は、(1)薬物、(2)お金の欠乏、(3)Aさんの繊細さ、(4)「母への気づかい(ケア)だ。この4つのモチーフは、これからも繰り返し登場するライトモチーフだ。

 状況に対する応答は、「すぐ泣いてたし。もうしょっちゅう泣いてたし」である。「~から」と「~し」が係り結びになっている。ここにはAさんの強い不安が表現されている。そして前の引用から何度も繰り返される「結構」が(さまざまなことがらを形容するがゆえに)状況の切迫を表現している。その不安は泣くほどのものであった。そして、のちほど登場するように、泣いていたのはこどもの里という居場所においてであった。こどもの里は不安を表現できる場所であると同時に、家の状況を語ることはできない場所でもあった。語ることができない不安の表現が「泣く」なのである。

 こどもの里を撮影したドキュメンタリー映画『さとにきたらええやん』(重江良樹監督、2016年)や当時こどもの里を紹介した映像のなかで、この頃のAさんが何度か映っている。快活に遊んだり手伝いをしたりしている姿について、「この子、◯◯(Aさんの愛称)です」と、あとから代表の荘保共子さんに教わった(著者は、西成区におけるヤングケアラーの調査についての打ち合わせで子どもの里を訪れた際に、荘保さんから唐突にAさんを紹介された)。大人になった今は雰囲気が違うだけでなく、画面のなかの元気なAさんの姿がこの語りに登場する泣いている場面と大きなコントラストをなしている(泣いている映像も1つだけあった)。おそらく努めて明るく振る舞う日常と、大きな不安を抱えた心中とのあいだに大きなギャップがあったのだろう。

 Aさんは、ここまでは母親のことを「お母さん」と呼んでいたが、ここから「ママ」へと変化する。「ママ」が登場する語りの多くは「ママのこと気にして気にして仕方なかったから」というように、「ママ」のことを心配して気づかう(ケアする)場面である。つまり「ママ」という言葉には、母への「気づかい」と強い「不安」が表現されている。言い換えると、地の文であっても会話の再現のように語っている箇所で「ママ」が登場する。

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「薬やってるっていうことはだんだん気づいてた」