※写真はイメージです。本文とは関係ありません
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■母の様子のあいまいさ

 ほとんど合いの手をはさむことなく子どもの頃から現在までの経緯を伺って1時間弱経ったところで語りが止まったときに、私の印象に残ったことを問いかけた。その返答として、薬物を使用していた母親の姿が語られる。

【村上】一番印象的なのは、それだけ強くお母さんのことを思えるってどういうことなんだろうって。

【Aさん】なんででしょうね。たまに、――ママ、つねに不安そうな顔してるっていうか。薬もやってるっていうのもあったから笑わなかったんですよね。――あるときママ泣いてて、めっちゃ。泣いてて、家帰ってきたら。声は出してないけど、涙ずっと流れてるんですよ。それで、『守ってあげないとな』って思いましたね。

【村上】守ってあげないとっていう存在だったんだ。

【Aさん】そうですね。ママ一人だし、母子家庭で一人だからこそ。あと、自分が長女やからっていうのもあったんですね。責任感強い部分は正直ありました、自分のなかで、なかにはありましたね。〔中略:以下……で示す〕ひたすらあれでしたよ、帰っても「ママおらん」とか、「ご飯ない」とかで、家帰っても。

 直前の語りでAさん自身が母のことを心配して、強い不安を感じて泣いていた。その同じときに「ママ、つねに不安そうな顔して」泣いているのだ。「たまに」「つねに」「あるとき」という相容れないリズムを表す副詞が並んでいることは、この不安を強調する。これはどういう時間経験なのだろうか。まず「たまに」と反復される母親が泣く場面を想起するのだが、Aさんはすぐにその反復が「つねに不安そうな顔」という持続する状況のなかで起きていることに意識が向く。と同時に「あるとき」の個別の場面がクリアに思い出されたのだろう。

 母親の背景に何があったのかはAさんも推測でしか語らなかった。しかし薬物依存が生活上あるいは成育歴上の大きな困難と結びついていることは知られている。おそらく母親自身が薬物に頼ることでしか生き続けられないような苦しさがあったのだろう。

 Aさんの経験はさまざまな要素のあいだに、あるリズムをもつ(※注2)。「ずっと」続く困難と不安というベースの上で、「すぐ」泣いたり「しょっちゅう」泣いたりする身振りが生起する。「だんだん」お迎えが遅くなった行き先は、「ずっと」家賃を滞納してたというような、困窮と不安の停滞である。そのなかで間欠(かんけつ)的な「すぐ」「しょっちゅう」、単発的な「たまに」「あるとき」と、重層的なリズムが描かれる。「帰っても『ママおらん』」というのは、その瞬間には突発的な出来事である。しかし、その突発時はそもそも、「ずっと」「つねに」「ひたすら」という母親の不安の上で生じている。記事冒頭の直前の語りで「だんだん」悪くなると「一気に」壊れてしまうという矛盾したリズムが重ねられていたのと同じように、複雑なポリリズムがAさんの不安を表現するのだ。

 母親がなぜ泣いていたのかは「薬」のせいとしか語られなかったし、Aさんにも分からないのかもしれない。「分かる」「分からない」という母の覚醒剤使用をめぐるあいまいさと重なる形で、母の不安が提起するあいまいさが登場している。「声は出してないけど、涙ずっと流れてる」悲哀の表現の背後に何があったのかは、インタビューの語りからは分からなかった。しかし母親が抱えていた強い不安と悲哀、そして「ひたすらあれでしたよ、帰っても『ママおらん』とか、『ご飯ない』とかで、家帰っても」というときにAさん自身が感じていた強い不安がリンクしたものとして語られる。この不安こそが、<気づいていた「でも」隠していた>という知をめぐるあいまいさの背景にある。

「〔自分にとって〕ママ〔は〕1人だし」、「自分が長女やから」という母親とAさん双方の唯一性も、不安を強調することになる。「守ってあげないとな」というように、ヤングケアラーとしてAさんは母親を心配(ケア)している。このとき、ヤングケアラーを引き受けるということは、ポリリズムが示すように、本人にとって複雑なプロセスの経験だ。本人たちは「ヤングケアラー」という概念を自らに当てているわけではない。子ども本人にとっては、「ヤングケアラー」と統計的に調査されるカテゴリーに収まらない、複雑で個別的な経験なのだ(しかも渦中にいる子ども時代は言語化できない)。

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母親の視点からAさんがどう見えていたのか