※写真はイメージです。本文とは関係ありません
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 インタビューのなかで母親を「ママ」と呼ぶときには不安などの感情がにじみ出ている。この引用では注射器が転がっている自宅を「光景」と呼び、それ以前は「風景」と呼んでいた。自宅について「風景」というのは少し変わった表現であろう。「光景」「風景」は、突き放した自分には取り込めない違和感を表現する言葉の選択だ。逆に言うと、当時の切羽詰まった状況を現在は冷静に振り返る余裕があるということでもあろう。「ですかね」という疑問形とともに、薬物の捜索を当時は無心で行っていたことを、現在からは推量という形で距離をとって振り返っている。この距離感は「光景」という言葉遣いとも対応している。

 逮捕前の子ども時代は「核心的な事実がほしかった」「知りたかった」。ということは逆にどうしても分からない知識の穴が空いている感覚があったのだろう。同時にこれは、違和感のある「光景」と母を心配する強い不安に由来する願いだ。「それを見つけたところで〔どうしようもない〕」のは分かっているのだが、「でも」「なんでこうなったのかを知りたい」と、母親の状況をめぐって根本的な空白があって、それを埋めようとしている。「でも」をはさんでここでも知のあいまいさが描かれる。<知っても意味がない「でも」知りたい>のだ。

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 母親が薬物を使用していた当時のAさんは、母親を心配し、妹と弟を独りにしないようにつねにともに行動していたヤングケアラーであった。Aさんの場合、ヤングケアラーであることは、薬物について周囲の大人に語らなかったことと結びついている。Aさんの状況は外から見ると制度のすき間で困窮することである。しかし、Aさんの視点から見ると、<薬物使用に気づいている「でも」母からごまかされる>、<周囲も気づいているはず「でも」言われない>、<見つけたところでしょうがない「でも」これが何かっていうのを知りたかった>といった、知ることをめぐるあいまいさが際立つ。「すき間」や「ヤングケアラー」という名称は支援者・研究者から見た形容である。その場所で生きている人は概念でくくることはせずに、多様な仕方でそれぞれの経験を生きている。Aさんの場合は「でも」で特徴づけられる分かりにくい困難だった。

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Aさんが逆境経験を昇華することができた理由