村上靖彦『「ヤングケアラー」とは誰か――家族を“気づかう”子どもたちの孤立』(朝日新聞出版)※Amazonで本の詳細を見る
村上靖彦『「ヤングケアラー」とは誰か――家族を“気づかう”子どもたちの孤立』(朝日新聞出版)
※Amazonで本の詳細を見る

【村上】どういう気分? その泣いてたっていうのは。

【Aさん】帰ったらもうママがいないとか。でも自分、私自身は母が薬やってるっていうことはだんだん気づいてたんです。普通に家、帰ってきたら母はいるけど寝てる状態で、注射器が置いてあるとか、そういう風景を見てたんで。妹、弟とかも多分、分かってたんです。でもそれはずっと(※注1)「糖尿病の注射」とかって言われてたし、でも頻繁にちょっとやくざチックなっていうか人たちが出入りもしてたし。だから大体、気づいてたっていうのはあるんですけど。それを実際、言ってたりもしてたんですよ、見たときも。「これ何?」みたいな感じで。だから気づかれてることを分かってるけど、うまくかわされてきてたみたいな感じで。

 泣いていた理由となる状況は「帰ったらもうママがいない」という母の不在と、それにともなう前述の4つの<状況>の不安に収斂する。

 Aさんは「気づいてた」と2回語っている。(母親のこどもの里への)お迎えの時間が「だんだん」遅くなるのにともない「薬やってるっていうことはだんだん気づいてた」のだ。ここから先の語りでも「気づく」「気づかない」「分かる」「分からない」「知りたかった」という気づきをめぐる単語が頻出する(1回目のインタビュー全体では「気づく」が16回、「分かる」が52回、「知る」が22回登場した)。母親の不在や薬物使用に対する不安は、「知らないことが何かあるのではないか」という不安へと変換されていく。薬物による母の変化と母の不在、母をめぐる分からないこと、この3つが絡み合っている。

 Aさんは母親の覚醒剤使用に「気づいて」るけれども、Aさんには「分からない」こともある。母親は「気づかれてる」と「分かってる」けどごまかす、きょうだいも「多分、分かってた」と思われるがはっきりしない、こどもの里も「多分、気づいてる」が「分からない」、このように「気づき」をめぐって何重にもあいまいな状態のなかにAさんは置かれている。この気づきをめぐるあいまいさを示す言葉が「でも」だ。気づいている「でも」隠している、隠している「でも」気づいているのだ。「でも」がこの時期の一番重要なキーワードとなる。

次のページ
薬物を使用していた母親の姿…