共通一次の延期見通しを伝える1976年の朝日新聞記事
共通一次の延期見通しを伝える1976年の朝日新聞記事

 2020年度から始まる大学入学共通テストの評判が芳しくない。英語民間試験の活用、国語の記述式問題導入などが「受験の機会均等や公平性が保たれない」「信頼性を損なう」と批判にさらされている。

 たとえば、地方の受験生は英語民間試験を受ける機会に恵まれない。受けたくても会場まで出向くのに日時がかかり、経費もかさんでしまう。国語の記述式問題の採点をアルバイトの学生に任せるという話が出ているが信頼できない―――などである。

 このような新入試制度に対する不信感は高校の教育現場に根強くあり、全国高等学校長協会は、英語民間試験の延期、見直し要望書を文部科学省に提出した。大学、予備校からも同様の問題点を指摘されている。

 しかし、文部科学省は大学入学共通テストをスケジュールどおりに進めようとしている。延期するという発想はないようだ。

 大学入試の歴史をふり返ると、国立大学共通第一次学力試験(共通一次)、大学入試センター試験(センター試験)などさまざまな改革があった。このときはどうだったのだろうか。

 もっとも大きな入試制度改革は、1979(昭和54)年度から始まった共通一次だが、同年度実施までには、「延期」「見直し」の連続だったことがわかる。以下、朝日新聞記事の見出しから、共通一次導入のプロセスを見てみよう。

 現在のセンター試験の前身にあたる共通一次の構想が初めて浮上したのは、1970(昭和45)年ごろである。国立大学協会(国大協=国立大学の連合体で総長や学長が集まって教育、研究、入試、運営などを議論する)の会合で、「全国統一テスト」が議題にのぼっている。大学闘争で東大入試が中止になった1969年からわずか1年後というのも興味深い。このときは、「全国統一テスト」の実施時期ははっきりと示されていなかった。

「大学入試全国統一テスト 国大協が前向き姿勢」(1970年6月28日)
「共通の一次入試実施へ 国大協の方針」(70年11月27日)

 国大協は71年時点で、「75(昭和50)年度から」という見通しを立てている。自民党の大学教育関連部会も同様のスケジュールを示した。

「『共通試験悪くない』50年メドに検討へ」(71年6月24日)
「国立大学入試の共通化 50年度実施めざす 自民部会」(72年8月12日)

 73(昭和48)年、文部省は76(昭和51)年度の「国立大学共通第一次試験」実施に向けて、国大協に調査、研究の委託を行った。ここで、75年度実施というメドが崩れてしまう。1回目の先送りだ。

「国立大の第1次入試 51年度から共通化 文部省が方針」(73年9月9日)
「国立大の共通一次試験 国大協が中間報告 51年度実施へ見通し」(74年4月23日)

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