しかし、すぐに76年度実施が不可能になってしまった。

「国立大入試共通テスト『51年度実施』消える 国大協の準備間に合わず」(74年8月16日)

 早くも2回目の先送りとなった。いったい何が起こったのか。

 国大協の調査が間に合わなかったのである。これは文部省から委託されたもので、各大学への入試改革に関するアンケート調査を指している。国大協はこの調査をもとに報告書をまとめて、大学や高校に意見を聞いて、問題点があれば検討するという段取りだった。しかし、調査に時間がかかってしまい、入試そのものを延期せざるをえなくなったのである。記事でこう報じている。

「国大協側の作業の進み方と文部省の期待との間にはズレがあった」(74年8月16日)

 そして、77(昭和52)年度以降の実施へと軌道修正した。

「国立大の入試改革 実施は52年度以降に」(74年9月15日)

 文部省にすれば、76年度から共通一次を導入させたかった。73年度からの新学習指導要領で学ぶ高校生が初めて受験する年だからである。新指導要領と新入試制度のリンクを考えていた。しかし、大学や高校から、拙速な動きを批判する意見があがっている。記事でこんな背景が記されている。

「文部省は『改革の絶好のチャンス』とみて入試改革の五十一年度実施を希望してきたが、『時期尚早』という大学、高校側の意向が強い」(74年9月15日)

 75年に、実施時期のメドがようやくついた。77年度は無理、78(昭和53)年度を目標に掲げたのである。

「国立大入試 53年度から一本化 文部省、方針固める」(75年3月27日)
「大学入試 共通一次試験、実施の方向 53年度を目ざす」(75年4月20日)

 ところが、その半年後、雲行きがあやしくなってきた。

「共通一次試験にゴー 53年春実施は微妙」(75年11月14日)
「53年実施は可能か 遅れる想定で準備」(76年2月27日)

 この時期になっても文部省と国大協の歩調は合わない。記事でその実態がこう伝えられている。

「国大協側の作業が必ずしも文部省の希望するペースで進んでおらず、さらに共通入試についても一次と二次試験の組み合わせや二次試験のあり方をめぐって残された詰めが多く、最悪の場合は実施が五十四年春にずれ込むことも考えられる」(75年11月14日)

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