押し出し四球でサヨナラと思いきや、打者走者が喜びのあまり、一塁への走塁を怠ったため、サヨナラ勝利が幻と消える珍事が起きたのが、07年の茨城大会準々決勝、竜ヶ崎一vs水戸葵陵だ。

 3対3で迎えた9回裏、水戸葵陵は2死満塁で2番打者が四球を選び、サヨナラ押し出しで初の4強入りを決めた……、否、決めたはずだった。

 勝利に大喜びのナインがベンチを飛び出して抱き合うなか、2番打者もその輪に加わり、本塁付近で三塁走者を迎えようとしていた。

 同じころ、サヨナラ負けにうなだれる竜ヶ崎一ベンチでは、飯塚親弘部長が「打者が(一塁に)進塁してないぞ」と叫んでいた。その言葉に「まだ終わったわけじゃない」とナインは冷静さを取り戻した。

 これに対し、水戸葵陵の池上昌二監督も慌てて一塁への走塁を指示したが、遅かった……。「進塁放棄(野球規則4.09b/得点)でアウトが宣告されてしまった。

 かくして、サヨナラは一転、幻と消え、試合は3対3のまま延長戦へ。こういうときは、得てして流れが変わるもの。思わぬ幸運で息を吹き返した竜ヶ崎一は10回に2本の二塁打で1点を勝ち越した。だが、このまま終わったら悔やんでも悔やみきれない水戸葵陵もその裏、「絶対負けたくなかった」という内山優史主将が起死回生の左越え同点ソロを放ち、土壇場で勝利への執念を見せる。

 そして、4対4の12回、水戸葵陵は内野安打と四死球で再び2死満塁のチャンスをつくり、小野瀬大樹がカウント3-1から、なんとこの日2度目の押し出しサヨナラ四球。今度は「同じ轍は2度と踏むまい」とばかりに、一目散に一塁目がけて走っていった。内山主将は「1度どん底に落とされた分、うれしい勝利。幻を入れれば、喜びは2倍です」と、サヨナラ押し出し四球が1試合に2度もあった珍事を振り返った。

 ちなみに73年夏の甲子園2回戦で、作新学院の“怪物”江川卓から延長12回にサヨナラ押し出し四球を選んだ銚子商の長谷川泰之も、躍り上がって喜んだ直後、監督の「走れ!」の指示で我に返り、慌てて一塁に走ったという。

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優勝決定と勘違い?