私は、「お互いに」という言葉は、(自分にすら)話の本質を分からなくさせるマジックワードだと思います。聞いた感じは、相互主義的で平等でいい感じに聞こえるのですが、それが落とし穴です。ほとんどの場合、「お互いに」と言っている人自身も、両者が平等に、と「頭では」思っていますが、「腹の底」では、50:50ではなくて、優先順位があるのが普通です。

 つまり、智則さんの言葉から「腹の底」の意味を邪推すると、

<妻が悪いところは直す努力をして、妻が自分を信頼するようになるしかない>

ということになります。私は、こう聞きました。

「『お互いに悪いところは直す』というのは、自分が悪いところを直すのと、相手が悪いところを直すという2つの内容からできていますよね。これに優先順位をつけるとしたら、智則さんの気持ちはどっちの優先度が高いですか?」

 智則さんは「私が悪いところを直すほうが、優先度が高いです」とお答えになりました。ちょっと意地悪ですが、私は、

「じゃあ、最悪、智則さんが悪いところを直せば、直美さんは何も変わらなくても、優先度が高いほうが叶うのだからOKですね?」

と聞きました。そうすると、智則さんは、「いや、妻も直してくれないと困ります」とおっしゃいます。さらにしつこく

「その場合、直美さんが直してくれたとして、智則さんは直さないというのは、最悪OKですか?」

とお聞きしました。そうすると、

「そうですね」

とおっしゃいました。

「じゃあ、直美さんが悪いところを直すほうが優先度は高いですよね?」

と改めてお聞きすると、「ああ、確かに」と、ご自分の腹の底に気づかれたようです。

 おそらく智則さんは、自分が悪いところを直すほうの優先順位を高くするべきだという意識から、最初そうお答えになったのだと思います。それと同時に腹の底では、逆の期待があるということです。腹の底の話を表に出すのは、こんがらがった糸を力づくで引っ張るような方法ではなかなかできないことが多く、上の話のように細かくほぐしていかないといけません。腹の底のほうが表に出にくいのに、最終的には事態を動かす力が大きいのも現実です。

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「合意すればうまくいく」はファンタジー