直美さんの場合は、結婚記念日を忘れられて、1年目はすごく悲しかったけど、男の人ってそういうところもあるっていうし、仕事も忙しかったし、と我慢して、泣き出しそうになる気持ちをぎりぎり抑えて、夜遅く帰ってきた智則さんに、かろうじて平静を装って、

「今日は、結婚記念日だよ」

と告げたのだそうです。智則さんは、「あ、そっか。ごめんごめん」と言ってくれましたが、次の年も忘れました。

「覚えてられないなら、予定表に書いておいてよ!」

と叫んで大泣きしたので、智則さんは手帳に書いたのですが、直美さんにとって、それは究極の選択だったのです。というのは、直美さんにとっては、結婚記念日は自分が「祝ってよ」と要求して祝ってもらうものではなくて、智則さんに直美さんを思う気持ちがあれば当然、自発的にお祝いをするはずの日なので、それを「要求」して祝ってもらうというのは、そもそも直美さんが欲しいものとは、形的には同じでも、内容的には違うものなのです。

 なので、要求しないで祝ってもらえないのと、要求して本当に欲しいものとは意味合いの違うお祝いをしてもらうのとの、究極の二択だったのです。そこまでして、祝ってもらおうとしたのに、それすら忘れられてしまったのです。

 そしてまた、その究極の二択を選んでまで祝ってもらいたかったのにも、背景があります。直美さんの実家では、毎年両親が結婚記念日をお祝いしていて、子どもたちも交えてそれは幸せな時間だったのだそうです。なので、結婚記念日のお祝いは、物心ついた時から、直美さんに刷り込まれた幸せな結婚生活の象徴です。それを、自分の夫は大事にしない=夫にとって結婚生活が幸せでない、とどうしてもつながってしまうのです。

 そういうダイナミックスや歴史が背景にあることが分からないと、直美さんの結婚記念日のお祝いに対する思い入れの強さ、逆にそれが叶わないときに激高してしまう心理がピンと来ないと思います。そこにピンとくることなしに、「カーっとならないように努力する」などという目標はナンセンスです。

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その後、2人は…