「国の規模ではできないことを地方自治で実現したい」「世の中を早く変革できる」「現練馬区長が72歳。対抗馬もいない。一騎打ちならば勝算がある」

 いくらでも理由は出てくる。けれど、僕の心の奥底にあったのは「社会の閉塞感をどうにかしたい」という切なる願いだった。

 膨大な書類の作成、手続き、政策づくり、ポスター・ビラの作成。取り組み始めたのは告示1ヶ月前。

 多くの知恵が必要だったため、知り合いに人を紹介してもらった。しかし、挨拶に行く度、「手段が間違っている」「最初は区議からだろ」「田中君、人生、時にはブレーキも必要だよ」とお叱りを受けた。身体が起き上がらなくなる日もあった。

 「区議なら公認を出すから区長選は現実的にやめておけ」という話もあった。

 それでも、これまでの敷かれたレールに沿った現実的な戦略では、社会は何も変わらないんじゃないかという思いが勝った。

 誰もやったことのない25歳での首長選挙への挑戦は今後、何か社会に大きな意味をもたらせると自分に言い聞かせた。

 幼い頃から野球一筋。高校卒業と同時に起きた東日本大震災をきっかけに、途上国や社会問題に興味を持ち、国際NGOでのインターンシップや、海外ボランティアに励んだ。もっと真実に近づきたいとメディアに興味を持ち、就職活動ではマスコミを志望するものの失敗。他業種の会社は受けず、そのままフリーのライターとなった。しかし、悲壮感はなかった。「絶対に自立する」と覚悟をもって大学を卒業した。

 しかし、その想いとは裏腹に、実績も経験もない僕に仕事があるはずはなかった。パックご飯と納豆の毎日。収入が月1000円以下のときもあった。貯金を切り崩し、不安で眠れない毎日、気がつけば毎朝5時に目がさめる。

■選挙は300万円あれば、出れます 

「世の中に何も価値を生み出していない」と自己嫌悪に陥った。希望と絶望の淵にいた半年間を経て、自分の名前で仕事がもらえるようになりつつあった。名の通った媒体に初めて原稿が掲載されたときは、何度も自分の文章を読み返し、反応を逐一チェックするほど心が躍った。少しは、人の役に立てた気がした。

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選挙は300万円あれば、出れます