こうして、駆け出しライターのキャリアが始まった矢先に、入ってきたのが、練馬区長選挙の情報だった。出馬の決断までに時間がかかった。選挙を戦う不安よりも、仕事がない僕を拾い上げてくれた方たちに対し「裏切り」ではないかという申し訳なさが上回っていた。

 「応援するよ。いつでも戻っておいで」挨拶回りしたときにかけてくれた言葉を僕は忘れない。

 選挙といえば、莫大なお金がかかる。ある政治家に相談に行った際、スバリ本質をつかれた。

「本当に勝つ気でやるなら、最低500万円は必要。出るだけで満足ならば、それなりのお金でいいけれど」

 勝ちたい気持ちはもちろんあるが、資金にも限界がある。加えて、刻々と時間は迫っている。選挙の提出書類のサポートに入ってくれた方と話し合った。

「等身大こそお前らしさだ。選挙カーはいらない。メガホンはどうする?」

選挙に使う道具を選別し、「300万円」が選挙に必要な資金になった。

 ライターや学生時代のアルバイトで貯めてきた自己資金は200万円。あと100万円が必要だった。知り合いの経営者の顔が浮かぶ。しかし、頭から振り払った。まずは自分の親に借りた上で、さらに必要であれば友人を頼るのが筋だ。

 その前にまず、親に選挙に出るという旨を伝えなければ、と意を決して、母親に連絡をした。

「政治の道に進みたいと思っている。明日、夜ご飯のときに話す」

 迎えた翌日、話を切り出すのに、時間がかかった。不穏な空気が流れる中、「もうどうにでもなれ」と、話を切り出した。

「区長選挙に出ることにした」

 両親は「絶句」。全員の箸がとまる。それでも話していくうちに、なぜ息子がその選択をしたのか理解しているように見えた。しかし、そうではなかった。「もう決めているんでしょ?いくら必要なんだ?」諦めに近い感情だった。

 これまでもそうだった。大学を休学するときも、就職しないと決めたときも事後報告だった。こうして、両親は僕の決断を認めてくれた。いや、認めざるを得なかった。父親の一言ははっきりと覚えている。

次のページ
スローガンに込めた思いとは