東京の神社仏閣や史跡と言えば、ほとんどが江戸時代以降のものと思われがちだが、浅草寺は推古天皇時代に創建されているし、大國魂神社の起源は西暦110年頃までさかのぼると言われている。政治や文化の中心が奈良や京都にあった平安時代でさえ、歴史上の有名人の足跡はいくつも東京に残っている。
たとえば、陰陽師として小説や映画などにもなっている安倍晴明は、京の都での活躍が有名だが、実は東京にも立ち寄っており、東国では唯一だろうゆかりの地も残している。
●安倍晴明と五芒星
ところで、安倍晴明といえば、何を思いうかべるだろうか。人気小説や映画の影響で魔法のような呪術使いのイメージだろうか。当時の陰陽道は学問として、統計や天文学を基にした学者が集うものだったらしい。晴明のシンボルである桔梗紋(五芒星あるいはペンタグラムともいう。一筆書きで書く星印)は、自然界は5要素のバランスによって成立している、という中国古代の考え方を視覚化したものと言われていて、この星印、そしてその延長線上の五角形は世界中でさまざまな思想や文化に影響を与えている。
アメリカ国防総省を「ペンタゴン」と呼ぶのは、その形(五角形)によるものだし、古代バビロニアやエジプトの遺跡にもこの星印が残されている。つまり、文明が分化する以前から人間たちはなんらかの意味を持って使っていた形なのだ。多くは魔よけや守護の象形として使われてきており、現代日本でも海女の人たちの魔よけとしてこの星印が使われている土地もある。
ちなみに、この星を逆さま(真上に5点の頂点がくるのではなく、真下にくる形)はデビルスターと呼ばれ、悪魔の象徴として扱われてきた。
●東京と晴明のつながり
さて、埼玉県から葛飾区に向けて流れる中川という川がある。下流で旧江戸川と合流する方を本流と思っている方もいるかもしれないが、元々は荒川につながるくねくねと曲がった場所が中川の下流域だった(荒川も作られた川で、中川との合流から少し下った付近が大昔は海岸線だと考えられている)。この曲流する中川が作った中州の土地の清らかさに感銘を受けた安倍晴明は、五角形にしつらえた境内に紀州から熊野権現を勧請して熊野神社を創建した。これが現在も残る立石熊野神社の始まりと言われている。地図上にも五角形の痕跡が今も残る、晴明ゆかりの貴重な場所なのである。
●八咫烏との稀有なコラボ
また、熊野権現といえば、サッカー日本代表のエンブレムとしても採用されている八咫烏(やたがらす)をイメージキャラクターに持つ熊野三山が本家である。晴明が活躍していた平安時代、仏教との結びつきが強かった熊野権現の八咫烏が、陰陽師である安倍晴明の象徴でもある五芒星あるいは五角形とコラボレーションしている場所は、たぶんここ立石熊野神社だけだろうと思われる。
●羽生結弦の復活を晴明に祈願
安倍晴明はアニメやゲームのキャラクターとしてこのところ人気があったが、昨年から今年にかけて、フィギュアスケートの羽生結弦選手がフリースケーティング用のテーマを「SEIMEI」にセレクトしたことで、ますますその人気に拍車がかかった。始まったばかりの今シーズンのテーマは別のものではあるが、立石熊野神社の境内には羽生選手を応援する絵馬が所狭しと飾られている。
ファン心理としては、昨シーズン終盤での怪我の悪化が伝えられた羽生選手への、守護や厄払いの意味も込められているのだろう。まさに五芒星は魔除けの象徴でもある。今日から始まる「NHK杯国際フィギュアスケート競技大会」は、昨シーズン最高の状態で優勝を果たしたゲンのよい大会でもある。是非、復活ののろしを上げてもらいたい。(文・写真:『東京のパワースポットを歩く』・鈴子)