高校生で初めてアテネ五輪に出場し、北京、ロンドンと3度の五輪を経験。エースとして「逃げてはいけない」ことも、「自分が決めるべき場面で決めなければならない」という責務も経験してきた。だが、ロンドンの翌年、2013年に主将となってからは自分のことよりもまず周囲を気遣い、周りがプレーしやすいように、周りの雰囲気がよくなるように。そればかり考えていた。
特に、表彰台を狙いながらも7位に終わった2014年の世界選手権、さらにはその後、3シーズン振りとなる日本のVリーグへ復帰後も開幕からなかなか勝つことができなかった日々。
バレーボールを楽しみたい。
その言葉とは裏腹に、それまではめったに見せることのなかった涙を勝利後のコートインタビューでこらえられなかったこともあった。
「歳をとってきたからかな。ちょっとのことで、涙腺が緩んじゃうんです」
屈託ない笑顔でそう言って笑う。だが、時折漏れる言葉の端々に、苦悩が感じられた。
「全日本でも勝てなくて、東レでも勝てなくて。私が悪いんじゃないか、私がいるからこういう成績になってしまっているんじゃないか、って思うこともありました」