2016年5月29日に有楽町・朝日ホール行われた、第20回手塚治虫文化賞(朝日新聞社主催)贈呈式と記念イベントは、盛況のうちに幕を閉じた。20年の節目を記念して行われた特別イベント「漫画家という仕事~描線ということば~」浦沢直樹×糸井重里対談で、「実は昔漫画家になりたかった」と紹介された糸井さん。2度の手塚治虫文化賞受賞経験のある浦沢さんとともに、漫画家という仕事の、謎と魅力に迫った。貴重な対談を、ほぼ全文の形で紹介する。
【その他の写真はこちら ロビーに貼りだされたイラストやパネル展も】
* * *
■本当は漫画家になりたかった?
浦沢直樹(以下浦沢):漫画家になりたかったんですか?
糸井重里(以下糸井):なりたかったですよ。
浦沢:いくつくらいのとき?
糸井:中学のときが一番なりたかったかな。消去法の面もあるんですけど、働くのがいやだったので(笑)。
浦沢:あはは。漫画家だって仕事ですよ?
糸井:そうなんです。気づいてなかったんですよ、それに。
浦沢:漫画を描くのは遊びで仕事じゃないと?
糸井:そう。上司がいるのが嫌だったんですよ。怒られるのが嫌だった。で、編集者が締め切りだからって催促に来る漫画をいっぱい読むんですけど、それも楽しそうに見えたんですよ。
浦沢:でもそうやって追い込まれたり、何やかんや一番ひどい仕事ですよ。
糸井:知っていれば思わなかったかもしれないね(笑)。結局のところはなれないと思ったので、よかったです。浦沢さんなんかはまだ社会人として人に接しようとしてるけど、僕がやってたら無理ですね。
浦沢:あはは、社会に出ない?
糸井:社会から断絶しちゃったかもしれないなあ。だって、アシスタントがいるかいないかは別にして、背景の絵まで描いているわけじゃないですか。漫画家が描かないものは漫画の中に一切出てこないわけですよね。白紙から、それを毎週何本も描いているわけですよね。
浦沢:地獄ですよ。
糸井:本当になれなくてよかったし、今も、尊敬してます。浦沢さんばかりでなく、すごく簡単なように描いている人も含めて、漫画に対するリスペクトというのは、ぼくはものすごく高いですね。
■漫画家と締め切り
浦沢:以前、糸井さんのラジオに出たころが、僕がメディアに少しずつ出始めた時期で、あの時に糸井さんがラジオで「浦沢さんそんなにしゃべるのに、今までどこで何やってたの?」ってね。言ってましたよね? 出る時間がなかったんですよ。月6回締め切りがありましたので。外に出る時間がなくて。
糸井:はあ。月に6回……。もちろん、1枚ずつ原稿を渡すわけじゃないんですよね?
浦沢:原稿を1枚ずつ渡す漫画家さんもいるにはいるらしいですよ。
糸井:間に合わなくて?
浦沢:間に合わなくて。それ一番ダメな仕事の仕方なんですよ(笑)。描いちゃ渡し、描いちゃ渡しみたいなね。
糸井:最低でも何ページですか? 浦沢さんがやっているのは。
浦沢:週刊誌は18枚ですね。
糸井:18枚だから、札束のようにこうトントンとやって、渡すわけでしょ?
浦沢:トントンとやりたいんだけども、雑誌の折りの具合ってのがあるんですよ。製本するにあたって、反対側のページの原稿が描き上がってる場合、こっち側も入れてくれってことになるんですよ。で、反対側の作家さんに、早い人がいるんですよ。あっち側ができてるから「とりあえず刷りたいから、こっちも描いてくれ」って言われるんだけど、それが最後の2ページだったりするんですよ。今から描こうとしてるのに、いきなりクライマックスを描かなきゃいけなくなったりするんです(笑)
糸井:いきなりね。
浦沢:そう。頭で考えて、「あー!」みたいなクライマックスの演技を描くんですけど、できあがってみると、だいたいダメなんですよ。
糸井:時間の流れが違うんですね。
浦沢:前から描いていかないと、ちゃんとした演技にならないんです。演技のつながりだから。だからいきなり最後の2ページのクライマックスをぱーんと描いても、最初から今度描いていくと、演技が合わないんです。
糸井:違う芝居をつなげたみたいになっちゃうんですね。
浦沢:そうなんです。
糸井:それは読者でも気づく人いるんだろうか?
浦沢:どうなんですかね。だから単行本の時に描き直したりするんですけどね。
■作品でわかる漫画家裏事情
糸井:浦沢さんは他の方がそういう目に遭っていそうだなってわかるでしょ、きっと。よその漫画家さんの仕事が、何か事情があったな、みたいな。
浦沢:まあ事情はずいぶん見えますよ。
糸井:でしょうね。
浦沢:異様に空が広いな、とか。見開きで空かあ、とかね、ありますね(笑)