糸井:ほんとだね(笑)。目の話は?
浦沢:さっきちょっと糸井さんと楽屋で話してたんですけど、『手塚治虫 原画の秘密 手塚プロダクション編』の後ろに載っているブラックジャックの目の周りが、変に黒々となってるんですよ。これ実は、ブラックジャックが登場する最初のコマなんですけど、これ印刷だと白いんです。でも原画で見ると黒々となってるんですよ。貼ってある修正の下に、大きい目が描いてあるんです。ブラックジャックを描くにあたって、目を小さくしようとしてるんですよね。で、これがどうやら時代に合わせていく手塚的なものであって、さっき糸井さんが楽屋で「あっ、これって!」って言ったのはこの絵ですよね。
糸井:この絵(※写真6参照)。
浦沢:どっかで見たことある状態になってる。
糸井:特にこの筋がね(笑)
浦沢:これゴルゴさん(会場笑、拍手)。眉毛がね。
糸井:眉毛まさしく筆で描いた一文字なんですよ。
浦沢:いわゆる時代は劇画になりつつあるところに、手塚先生がどのくらいそこにコミットできるか。自分の絵としてどこまでコミットできるかっていうことの実験なんでしょうね。
糸井:よく見てみると口の描き方もさいとう・たかをさんっぽいですよね。
浦沢:そうですよね。だからそこにリアリズムみたいなのを、背景もそうですけど、リアリズムが出てきてるわけですよ。だからやっぱり劇画というものと対抗してやっていこうとしていたんですが、そこにやっぱり自分も、自分の中で何ができるかっていうチャレンジをされていたんだろうなって思って。
糸井:あの忙しさの中で、新しい方向にちょっとでも向かおうとすること自体が……。
浦沢:漫画界の中で、手塚先生ほど絵柄が変わった人はいないんじゃないかって思うくらい、すごくフレキシブルに変わってる。
糸井:変わることで手塚治虫であり続けられたっていう。
■日本漫画と海外漫画の違いとは?
糸井:これ、今ここで気づいたんだけど、戦後日本とアメリカですね。
浦沢:はあ。
糸井:あの、ごめんなさいね、本職の方の前で(筆をとる、会場笑)。違う紙にしましょうか、もったいないから。おおもとのもとに、この目があるんですよね(※写真7参照)。
浦沢:あー、はいはい、あります。
糸井:ミッキーやらなんやらの目ですね。で、これを丸で囲むと杉浦茂さんになるんですね。で、おおもとはこれなんですよ、一番が。もうちょっと点みたいになってるやつもあったんですけど、ミッキーの最初のころっていうのは、パックマンみたいだったりするんですよね。
浦沢:それだけだとね。
糸井:で、囲んで、これもミッキーだったんですよ。あと杉浦さん。手塚さんの初期のあたりっていうのは、このミッキーの流れじゃないですか。これがどんどん貸本漫画の劇画を媒介にして、ブラックジャックの目に至るわけですよ。
浦沢:そうですよね。
糸井:それは、手塚さんの動きかなにか全部、アメリカの動画の動きらしい描法から、手塚さんが離脱していくプロセスですね。電気製品から何から全部アメリカのデザインだし、アメリカから来たものをそのまま使っていた。それが唯一の価値だった時代から、日本ならではのデザインだとか生活という方向にいった歴史と、重なるじゃないですか。
浦沢:いわゆる日本漫画の形になっていくってことですよね。オリジナルの形になっていく。
糸井:そうですね。今の日本の漫画っていうのは、途中からアニメーションが入るんで、アニメーションって大量生産するための記号化がすごく激しく行われたので、そうなるとちょっとまた、もう一つ分かれると思うんですけど。個人が漫画家として描いてきた絵の変化っていうのは、アメリカと日本の関係に非常に符合するんじゃないでしょうかね。
浦沢:そういう初期の絵っていうのは、1枚でもTシャツのイラストになりますけど、1枚絵としての存在感が強いのは、やっぱりアメリカやヨーロッパの漫画なんですよね。
糸井:まったくその通りですね。
浦沢:日本の漫画は連なりなので、1枚ずつ取り出すと、それでは弱いんですよ。めくって、めくっていく。向こうは1枚を取り上げて、カレンダーになったり、まあタンタンとかもそうですけど。ミッキーなんかもそうなんですけど。1個取り上げてもそれでもう十分イラストになるんですよね。日本の場合は連なりに、1枚ではなく、何コマ、何ページで成立するっていうのはありますよね。
糸井:劇画の前まではみんなその丸っこい柔らかい描法で少年雑誌っていうのは描かれていましたよね。ちばてつやさんなんかも、デビューのころはまだそのにおいがしますもんね。
浦沢:そうですね。
糸井:あと何だろう、動きを面白くしようとしてか何だかわかんないけど、昔のアニメで崖のこっち側から走ってきて、崖を越えてるのに空中に浮いてて、気づいたら落ちるってあるじゃないですか。意識と現実のDelay(遅れ)ですよね。
浦沢:はい。