新型コロナウイルスが猛威を振るうなか、感染や生活の先行きなどへの不安が尽きない。不安とどう向き合っていけばいいのか。AERA2020年4月27日号で、曹洞宗建功寺住職の枡野俊明さんが語った。
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新型コロナウイルスにもし感染したら、家族にうつしたら、これから生活はどうなるのか。そんな不安が重なっているかもしれません。
実は、昔の逸話にも、似た例があります。禅宗の始祖・達磨(だるま)大師の弟子は、修行に打ち込みながらも襲いかかる不安を拭い切れず、達磨さんに「不安でどうしようもありません。取り除いてください」とお願いします。達磨さんは「わかった。では不安をここに持って来たら、取り除こう」と答えました。そこで、弟子は「不安を目の前に出すことができない」と気づきます。不安とは実体がなく、心が作り出したものなのです。
新型コロナによる不安も、「もしかかったら」が前提なので、本当は実体がありません。それなのに、雪が積もるように心にのしかかり、自分の中に不安を棲みつかせています。
不安をいったん、横に置くのはどうでしょうか。今ふさわしい禅語は、「脚下照顧(きゃっかしょうこ)」。足元をよく見て、履物をそろえよという意味です。心が乱れていては、履物が乱れていることにも気づきません。目の前にある、自分がすべきことをしましょうということです。
家事や仕事に集中してはどうでしょうか。在宅勤務の人は、寝坊せず、いつもの時間に起きることを勧めます。通勤時間に充てていた時間に、家の片付けや近くの公園の散歩をしましょう。鳥のさえずりを聞き、木々の芽吹きを観察して、生命力を感じてウキウキしましょう。
心を穏やかにすれば、自分のセンサーが働くようになります。自然の移ろいも、家族の声も不思議と聞こえるようになるはずです。
(ライター・井上有紀子)
※AERA 2020年4月27日号