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人生はみずからの手で切りひらける。そして、つらいことは手放せる。美容部員からコーセー初の女性取締役に抜擢され、85歳の現在も現役経営者として活躍し続ける伝説のヘア&メイクアップアーティスト・小林照子さんの著書『人生は、「手」で変わる』からの本連載。今回は、共働きで忙しくなると、ついつい親や親族を頼ってしまう気持ちとの付き合い方をお伝えします。
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私は血のつながりのない養父母の元で育ったので、自分の親に頼る気持ちをあまり持ったことがありません。養母は私が18歳のときに亡くなりましたし、養父も60歳を過ぎた頃から体の具合が悪かったので、私から何かをお願いしたことはありません。
私は仕事をしていく上ではいつでも「職・住・学」近接を心がけていました。職場と住まい、そして子どもの学校がすべて近くにあるようにする。移動に時間はかけない。
その条件にかなっていたので、娘が小学2年生から5年生のときまでは実家のすぐ近くのアパートで暮らしました。
実家というのは、私が6歳のときに亡くなった実父の家。そこでは兄と兄家族、そして義理の母(実父の後妻)が暮らしていました。兄のところは子どもが3人いて、みんなそれぞれたくさんの習い事をしています。
娘は義理の母を「おばあちゃん」と呼んで慕っていましたが、義理の母も兄家族もそれぞれに忙しくしているので、日常的に娘の世話を頼むことは無理だと思っていました。でも兄の妻は私の娘に、「おうちが近いのだから、学校の帰りにちょっとくらい寄っていって。一緒におやつを食べましょう」と、声をかけてくれました。そしてよそのおうちにあがるときのマナーを教えてくれたり、細かいことをしつけてくれたのです。