●大変な時だから、なじみの献立を
「東北の食材については、いろいろと報道されていますが、政府が定めた暫定基準値以内のものであれば、あまり過敏にならなくてもいいと思っています」
中嶋さんはそう話す。その背景には、中嶋さんが料理人として「食」にどう向き合うか、という信念が関わっている。
中嶋さんは3年ほど前に、19人の有名店シェフとともに「超人シェフ倶楽部」を立ち上げ、子どもの食育問題に取り組んできた。
「最初のきっかけは、学校給食が毎日大量に食べ残されているという話を耳にしたことでした。そこで、農薬に汚染されていない安全な食事なら最後まで食べてくれるのではないかと、仲間とともに全国の小中学校で給食を作る『スーパー給食』という活動をするようになったのです」
これまでに作ったスーパー給食は、すでに30校分以上にのぼるという。
震災後、中嶋さんは「超人シェフ倶楽部」で復興の手助けをしたいと、被災地での炊き出しに向かった。5月8日、福島県会津若松市の避難所「ふれあい体育館」と「くつろぎ宿」で750食分の昼食と夕食を作った時のことだ。
中嶋さんは炊き出しの1週間ほど前、調理設備の下見のためにふれあい体育館に足を運んだ。その時、市職員や地元ボランティアに「避難所の方々は何が食べたいのか」とたずねたところ、「温かい汁物ならば、皆さん喜びます」と聞いた。
そこで中嶋さんは、温かい汁物のなかでも、会津の郷土料理にちなんだ「こづゆ風煮麺(にゅうめん)」を選んだ。
「大変な時だからこそ、なじみのある料理でホッとしてもらいたかった」
中嶋さんは言う。2品目は「鮭とひじきの混ぜご飯のおにぎり」だ。
「昼は外出の方が多かったので、避難所に戻った時に食べやすいようにと、おにぎりにしてみました。また、福島県の子どもたちにはぜひ、放射性ヨウ素を防ぐ効果のあるひじきを食べてほしいと思った。でも子どもは、ひじきには手をつけてくれません。そこで混ぜご飯をおにぎりに仕立ててみました」
そして3品目は揚げ出し豆腐の「東坡豆腐」。衣は片栗粉に代えて、福島産の米粉を使った。あまり知られていないが、米粉は油を吸わないので、衣がカラッと仕上がるという。
「香ばしさを増すために、さらに会津名産の焼き麸を、粗めのおろし金ですりおろして衣にしました」
被災地の食材を使うことを、中嶋さんは他人に強制しようとは思っていない。