その際、歌手が次々と抱負などを語っていくなか、三波はこんな話をしたのである。

「西暦2000年というんで、あの、日本の歴史はどのくらいだかおわかりですよね。2660年なんです。これからも、もっともっと力強い、本当の独立国の日本人になってほしい、そんなふうに私は思っております」

 このときの会場の、キツネにつままれたような雰囲気は忘れられない。神武天皇の即位を起点とする「皇紀」のことだと理解できた観客はどれくらいいただろう。ただ、シベリア抑留を生き延びて歌手になり、東京五輪や大阪万博では世界融和を歌った三波のこのスピーチには、ただならぬ迫力と不思議な明るさがあった。

 これもまた、年代もジャンルも幅広い「紅白」だからこそ生まれ、遭遇できた伝説かもしれない。

 なお、三波はこの「紅白」の直前に刊行された『紅白50回~栄光と感動の全記録~』(NHKサービスセンター)のなかで「『紅白』は日本の国があるかぎり永遠です」と語っている。ただ、彼が世を去った翌々年には、それを揺るがす「事件」が起きた。

 2003年の54回は瞬間視聴率で、ほんの数分とはいえ、初めて民放(TBS)に抜かれたのだ。金星を挙げたのは、格闘技の曙vsボブサップ戦。そして、そのとき歌っていたのは13年ぶりに出場した長渕剛だった。前回の出場では、ベルリンの壁からの中継でスタッフを「タコ」呼ばわりしながら16分にわたってワンマンショー。こういうめぐりあわせも歴史の妙味だろう。

 また、この年の大トリは「世界に一つだけの花」のSMAP。審査発表では、紅組に1票も入らず、白組の完封勝利となった。

 もはや怪物番組ではなくなっていくなか、ジャニーズ頼みでなんとか乗り切ろうとする時代の到来を暗示するような「紅白」だったといえる。

 その凋落をある意味、象徴するのが中継の増加だ。これにより、大物も担ぎ出せるメリットはあるが、NHKホールの雰囲気はどうしても盛り下がってしまう。そればかりか、その歌手が自分の「ホーム」的状況で歌おうとしている気がして、せこい気がしなくもない。コンサート会場からの中継だと、なおさらだ。

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