しかし、例外的成功もある。18年の米津玄師だ。故郷・徳島からの中継なので「ホーム」志向ともいえるが、そこには歌唱曲「Lemon」の制作中に亡くなった祖父にささげるという意味づけもされていた。
また、歌う場所に美術館を選択。バチカンの礼拝堂を再現した建物を活用して、大量のキャンドルと壁画に囲まれながら歌うという、突き抜けたパフォーマンスで圧倒したのである。
なお、米津の出場が発表されたのは本番の5日前だが、翌年、チーフプロデューサーはこんな裏話を明かした。
「実は去年、 米津さんとの交渉に関わっていたので、徳島に何度も足を運んで美術館を押さえたのが去年の今頃でした」(オリコンニュース)
この発言は11月14日のものだ。つまり、その時期より前から交渉が進められ、双方が納得できる出演形式が模索されていたわけだ。
ただ、成功したもうひとつのポイントはこれが彼のテレビで初めてとなる生歌唱だったことだろう。歌い終わったあと「この場を用意してくれたすべての方に感謝を述べたいと思います」とあいさつすると、総合司会の内村光良は「米津さんがしゃべってる! 初めて聞いた」と興奮を隠せなかった。
つまり、質の高いパフォーマンスに加え「初めて」というレア感が、この中継を伝説にしたのである。
とはいえ、これほどうまくいく中継は10年に1回もない。「紅白」はやっぱり、ひとつの場所に集まって、みんなで作り上げるものだろう。そういうものだからこそ、家族、さらには国民みんなで見ようという気分も醸成される。
そこで、オマケとして、一定期間行われた余興を名・珍場面にプラスしたい。74年から80年まで、応援合戦のなかで女性陣が踊ったラインダンスやフレンチカンカンだ。
岩崎宏美はこの衣装と踊りがとにかくイヤだったそうだが、和田アキ子のような「そうそうたる先輩方がみんなやってらっしゃる。新人の私が何か言うなんてとんでもない」(前出『紅白50回~栄光と感動の全記録~』)ということで我慢したという。