紅白で数々の伝説を残した美空ひばり(左)と長渕剛(C)朝日新聞社
紅白で数々の伝説を残した美空ひばり(左)と長渕剛(C)朝日新聞社
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 すでに大みそかの風物詩として定着している「NHK紅白歌合戦」。なんだかんだいって、今でも国民の5人にふたりが見るこの歌番組は、これまで数々の伝説も生みだしてきた。

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 そこで今回、その伝説のいくつかをピックアップして紹介してみたい。対象としたのはこの半世紀、1970年の第21回から昨年の第70回までだ。

 まずは79年、美空ひばりの復活出場である。ひばりはトリを計13回、特に63年から72年までは10年連続で務めたが、その翌年に落選。弟・かとう哲也の不祥事(暴力団への参加やそれまでの度重なる逮捕)が原因だった。

 NHKはひばりを落選させるために、有識者からなる「ご意見を伺う会」を作った。この会は全員一致で落選を支持。委員のひとりは「週刊ポスト」にこう語った。

「弟のかばいすぎが、全員にカチンと来たわけです。このカチンは国民的感情でしょう。それでおきゅうをすえるつもりで落としました」

 しかし、ひばりは裏番組(現在のテレビ朝日)に出演して対抗。NHKとの関係はこじれ、冷戦状態となる。それでも翌年以降、ほとぼりが冷めれば出したいNHKと、出たくないわけではないひばりとのあいだで駆け引きが続き、ようやく6年ぶりに出場したのである。 

 ただし、これは30回記念の特別出演というかたちだった。ひばりは当時珍しかったメドレー形式で3曲を歌い、翌年以降は戻ってこなかった。しかも、注目すべきはその選曲だ。彼女は弟・哲也が作曲した「人生一路」を最後に歌った。そこには、弟のことを復権させたい思いも秘められていたのだろう。

 なお、ひばり復活の前年には、絶頂期にあったピンクレディーが辞退し、裏番組(日本テレビ)に出演。また、この時期はニューミュージックもブームで、そこからも辞退が相次いだ。「紅白」に出ないこともステイタスになるというケースが目立ち始めるなか、それを真っ先に示したのがひばりだったわけだ。

 そんな女王ならではの存在感は、のちに歴史的ハプニングを生んだ。84年の「ミソラ」発言だ。

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宝泉薫

宝泉薫

1964年生まれ。早稲田大学第一文学部除籍後、ミニコミ誌『よい子の歌謡曲』発行人を経て『週刊明星』『宝島30』『テレビブロス』などに執筆する。著書に『平成の死 追悼は生きる糧』『平成「一発屋」見聞録』『文春ムック あのアイドルがなぜヌードに』など

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