「いちばんきつい勤務を、ツナギと呼んでいました。繁忙期になると、昼勤13時間、夜勤13時間の2交替制で、24時間のフル操業になります。昼勤と夜勤が一時間だぶって働くことによって、ラインが途切れないように仕事をつなぐのです。だから、ツナギというんです。一応、週休2日でしたけれど、夜勤明けも公休に含まれてしまうので、休みといっても、ただ家に帰って寝るだけでした」

 残業も多かった。工程を管理している班長が、従業員のスケジュールを無視して注文を受けてしまうからだ。

「ある工場が、フル操業しても生産が追い付かなくなると、他の工場にSOSを出すわけです。班長は、たとえ定時の直前でも、他の工場の生産を引き受けてしまうので、1日の工程表がどんどん変わってしまうんです。遊びの予定も入れられないし、もう、毎日が修羅場みたいでした」

 畑島はそれでも2年間、そのパン工場で働いた。材料の計量なら計量、生地の仕込みなら仕込みと、同じ作業を13時間ぶっ通しでやる。仮に担当する作業が早く終わっても、それで解放されるわけではなく、別の工程の応援に行かされる。同僚との会話もなく、休日はひたすら眠るだけ。仕事も職場も、楽しいと思ったことは一度もなかった。

 畑島は製パンメーカーを辞めると、再び父親の会社に舞い戻って、今度は10年の長きにわたって父親の手伝いをして暮らした。

 ところが、頼みの綱の父親の会社が、傾いてしまったのである。

 畑島は仕方なく、再び外に働きに出ることにした。

 今度の職場は、郵便局である。製パンメーカーの時のように正社員採用ではなくアルバイト採用の配達要員だったが、最初の1年間、畑島はとにかく真面目に働いた。まじめにやっていれば、正職員としての採用もあり得るという触れ込みだったからだ。

 ところが、まったく予期しない出来事が畑島の運命を変えてしまった。小泉内閣による郵政の民営化である。

「民営化の直後、支店長が、コスト削減のために、60人近くいた内勤の仕分けの人を、全員クビにすると発表したのです」

 この発表は、畑島にとって大変なショックだった。

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