畑島は大きな体に似合わない小さな声で、相手の反応を確かめるように、ひとこと一言とぎれとぎれに話す。体はがっしりしているのに、どこか怯えた小動物のような印象がある。

「あの、私、大人しい人間でして……」

 畑島は自分が取材対象として取るに足らない人間であると思い込んで、恐縮している。しかし、失礼ながらあまり取り柄のなさそうな、そしておよそ女性にモテなさそうな中年にさしかかったひとりの男が、いったい何をよすがとして生きているのか、私は畑島を目の前にして、いささか意地の悪い興味が湧き上がってくるのを押さえることができなくなってしまった。

 畑島は神奈川県の大和市に生まれている。

 父親は鉄骨の加工から組み立てまでを一貫して請け負う鉄鋼会社を経営していた。景気のいい時には社員を15人も使っていたというから、そこそこ羽振りのいい生活をしていたはずである。

 一家は、畑島が小学校1年生のとき、隣接する横浜市戸塚区(現在の泉区)に引っ越すことになった。引っ越しといっても歩いて数分のところへの移動に過ぎなかったのだが、畑島にとって不幸だったのは、そのわずかな移動によって小学校の学区が変わってしまったことである。入学したばかりの大和市の小学校から、横浜市の小学校への転校を余儀なくされてしまった。

 転校先の小学校で、畑島はひどいいじめに遭う。

「いまだったら、フリースクールというか、逃げ場というか、登校拒否の受け入れ先があるじゃないですか。当時、もしもそういうところがあったら、行きたかったです」

 転校生は、往々にしていじめの対象になりやすい。畑島は言葉によるからかいだけでなく、徐々に殴る蹴るの暴行まで受けるようになり、しかも、学年が上がるにつれていじめの内容はどんどんエスカレートしていった。

「一番ひどかったのは、後頭部にサボテンを押し付けられたというか、サボテンの針で刺されたことです。もう、学校には行きたくなかったです」

 父親は、やられたらやり返せと言った。

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