帯津良一(おびつ・りょういち)/帯津三敬病院名誉院長
帯津良一(おびつ・りょういち)/帯津三敬病院名誉院長
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1939年、6世紀初めに創建された寒山寺(1860年再建)の前にある橋。似てはいるが唐代に架設されたという有名な「楓橋」ではない。寒山寺も楓橋も唐代の張継の「楓橋夜泊」の詩で名高い (c)朝日新聞社
1939年、6世紀初めに創建された寒山寺(1860年再建)の前にある橋。似てはいるが唐代に架設されたという有名な「楓橋」ではない。寒山寺も楓橋も唐代の張継の「楓橋夜泊」の詩で名高い (c)朝日新聞社

 西洋医学だけでなく、さまざまな療法でがんに立ち向かい、人間をまるごととらえるホリスティック医学を提唱する帯津良一(おびつ・りょういち)氏。老化に身を任せながら、よりよく老いる「ナイス・エイジング」を説く。今回のテーマは「漢詩に親しむ」。

【写真】寒山寺(1860年再建)の前にある橋はこちら

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【李白】ポイント
(1)李白の詩の1行に魅かれ、漢詩に親しむようになった
(2)漢詩のおかげで中国に出かける楽しみも深まった
(3)人生の後半に味わい深くなるものを探してみよう

 私は詩心がないわけではありませんが、どちらかというと“散文”的な人間だと思っています。高校時代に漢文の授業があり、担当の先生の人柄は好きでしたが、漢詩に親しむことは、まったくありませんでした。

 ところがあるとき、唐代に「詩仙」と称された李白の詩の1行に魅(ひ)かれて、それ以来、漢詩に親しむようになりました。そういうことがあるから、人生は面白いですね。

 西洋医学一辺倒の医学に限界を感じて、中国医学も採り入れた病院を埼玉県川越市につくったのが1982年、46歳のときです。

 中国医学を一日も早く身につけるために、北京市がんセンターで知り合った李岩先生に日本に来てもらい、病院のスタッフが特訓を受けました。

 その頃です。李白の詩に出会ったのは。病院では李岩先生の通訳が中国語の教室も開いていて、その先生が「黄鶴楼にて孟浩然の広陵に之(ゆ)くを送る」という李白の有名な詩を紹介したのです。

 その2行目の「烟花三月下揚州」に感じるところがありました。「春、花がすみの三月に、揚州へ舟で下ってゆく」(『漢詩の解釈と鑑賞事典』旺文社)という意味です。中国語で読むと「イェン・ホア・サン・ユェ・シャア・ヤン・ゾウ」となります。なんともいえない詩情があふれているうえに、この発音がとても心地よいのです。リズムもいいですね。中国医学に対する期待が高まっていたせいかもしれませんが、このフレーズが私の心に響いて、目の前に漢詩の世界が開けました。

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帯津良一

帯津良一

帯津良一(おびつ・りょういち)/1936年生まれ。東京大学医学部卒。帯津三敬病院名誉院長。人間をまるごととらえるホリスティック医学を提唱。「貝原益軒 養生訓 最後まで生きる極意」(朝日新聞出版)など著書多数。本誌連載をまとめた「ボケないヒント」(祥伝社黄金文庫)が発売中

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