TOKYO FMのラジオマン・延江浩さんが音楽とともに社会を語る、本誌連載「RADIO PA PA」。旧電通本社ビル(電通築地ビル)について。
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東銀座に向かうたびに見かけてはいたけれど、このビルの存在を忘れていたのは僕だけではないだろう。建築家・丹下健三が「未来都市」を構想し、その中心に据えたと言われる旧電通本社ビル(電通築地ビル)が解体されるという。未来都市(!?)の最後の姿を見るために足を運んだ。
60年代に描かれた未来を念頭に、丹下は64年に国立代々木競技場、67年にこの電通本社ビルを完成させた。この異様なコンクリートのかたまりを見上げると、イギリスの世界遺産ストーンヘンジの石の群れを思い出す。しかし、ここに観光客はいない。大都市の中心にありながら捨て置かれた現代の遺跡。巨大なコンクリートが寂しげにひとり立っている。未来を志向し、巨費を投じて造られた(途中で予算の縮小を余儀なくされながらも執念で丹下が造り上げたという)ビルの孤独な佇まい……。あの60年代の「未来」はどこにいったのだろう。柱と梁がつくる形が亀の甲羅に似ている。それが幾つも積み重ねられたビルは空洞で、1階部分を囲むシートは包帯のようだ。解体現場入口には警備員が立ち、中に入ることはできない。
個人的なことだが、伯父と叔父、そして年の離れた従姉の3人が電通に勤めていた。伯父は営業畑、叔父はセールスプロモーションなどの企画畑、従姉は雑誌局。叔父からは“COME TO AMERICA JAPAN AIRLINES”のステッカーをもらったり、ジャズコンサートに入れてもらったり。従姉の国分寺の家にはありとあらゆる雑誌があった。彼女が関係した広告記事に色とりどりの付箋が貼ってあり、ページをめくれば真新しい雑誌とインクの匂いがした。年末年始に配られる電通印のタオルが、親戚中にあった。思い返せば、学生の僕もこのビルへ入ったことがある。叔父からアメリカンフットボールのチケットを受け取るためだ。貴重なチケットを手に、何だか夢のような会社だと思った。