人を楽しませるのが上手
どんな料理も得意だった
有賀は作ることが大好き。祖父母のためにクッキーを焼いたら喜ばれたことが嬉しくて、図書館で子ども向けの料理書を借りてくるような少女だった。高校時代に大阪の有名な調理師専門学校へ体験入学してみたこともある。イメージと違ったため進学の道を選んだが、その前に彼女はちょっと寄り道をした。
「高3の時、雑誌『広告批評』を出していたマドラ出版が運営する広告学校の試験に受かって、第1期生として入っちゃったんですよ。受験期だったのに親も『通っていい』と言いまして(笑)」
「広告批評」は天野祐吉や島森路子が編集に携わり、コピーライターの糸井重里ら、当時のきらめくような才能が集う人気雑誌だった。
「その体験から文章を書くなど何か表現したいという気持ちが固まりました。大学では体育会系の軟式テニスをしていたのですが故障で断念。それからは好きだった絵を描いたり、バンドをやったり、冊子を作ってコラムみたいな文章を書いたり、サブカル仲間と繁華街でパフォーマンスをしたりといろいろなことをやりましたね」
大学卒業後はバンダイに入社した。営業企画の部署で販促のアシスタント業務を担当したが、数字の入力などは大の苦手。その代わり自分で企画を立てて、商品の販促用印刷物のコピーを書き、得意のイラストをあしらうなど、モノ作り方面では才能を発揮した。職場での先輩にあたる夫の能勢信之(65)は、当時の有賀の姿を、
「形にはまって何かやるのは得意な方ではありませんでしたね。起承転結をきちっとするというより、『こんなことをやったらおもしろいんじゃないか』と自分から提案してくるタイプです。文字で書いてわからないものは絵で表現する。それは器用にできていたと思います」
と証言する。結局、有賀は3年でバンダイを退職し、フリーライターの道を選んだ。27歳で結婚し、長男を授かる。料理の才能はこの時期に開花した。同じマンションに暮らすママ友の和田由美子(60)は、25年ほど前からのつきあいである。
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