スープ作家、有賀薫。朝に弱く、朝食が食べられない息子のために作り始めたスープ。365日、毎日作り続けたスープをSNSでアップした。「スープ作家」の肩書で展覧会などを開くが、最初は名乗ることをためらった。けれども、多くの人が背中を押してくれた。50歳からのスタート。今でも簡単で美味しくて、誰かに見てもらいたくなるスープのレシピを、毎日考え続けている。
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スープ作家・有賀薫(ありがかおる)(57)は自宅のリビングに設(しつら)えたアイランド型キッチン「ミングル」で、私の質問に答えながら手早くスープをこしらえていた。冷蔵庫から取り出したありあわせの野菜とソーセージ、トマトの缶詰。「ミングル」は有賀が開発したミニマムキッチンで、サイズは95×95センチ。上下水道、IHコンロ1口、食洗機がついている。現代的なリビングに設置しても違和感のないデザインである。IHコンロを使わないときはまな板を置いて作業台に、あるいは食事をするテーブルにも使える。30分ほどで、ル・クルーゼの鍋によい匂いのするスープができあがった。
有賀のことはTwitterで知った。彼女が紹介する簡単でおいしいスープのレシピは私にとってありがたいものだったから、日々、大いに参考にしていた。そのうち有賀は著書を出し、ベストセラーとなり、人気スープ作家としての道を駆け上がっていった。家族のために毎日スープを作ってきた主婦が、いつの間にか「有賀薫」というブランドになったのである。スープのレシピを紹介できる料理研究家はたくさんいるが、「スープ作家」としての地位を確立したのは有賀だけである。私には、彼女に周到な戦略があったように思えた。だがそう言うと、彼女は笑って否定した。
「ただ、私って『背中押され力』だけはあったのかもしれません」
有賀はサラリーマンの父と専業主婦の母のもと、3人きょうだいの長女として生まれた。父はおいしいものが好きで、雑誌や新聞の料理ページをスクラップし、高価な冷蔵庫や鍋を揃え、出汁に凝り、築地で食材を仕入れては料理を作ってくれる人だった。一方母はハイカラな料理を好んだ。チーズケーキを焼いたり、缶詰の蜜柑(みかん)をゼリー寄せにしたり、パンを焼いたり。ただ、有賀の目には作ることはそれほど好きなようには見えなかった。主婦の負荷が大きく、外で働きたくてもなかなかできなかった時代である。そのためか、母は有賀と妹には「手に職を持つように」と言い聞かせた。