「A Journey of the Drifting ice Magadan」(C)西野壮平
「A Journey of the Drifting ice Magadan」(C)西野壮平

■エベレストや厳冬期のロシアへ

 18年には、「エベレスト街道」と呼ばれる、ヒマラヤ山脈のエベレストへの道のりを撮影し、作品「Mountain line “Everest“」をつくり上げた。

「事前にリサーチすると、多くの写真家は神々しく存在するエベレストを象徴的に写しているんですね。でも、自分がやりたいのは、それじゃない、と思った。それよりも、エベレストを目指す登山家たちがどんな風景を見ながら歩いているのか、そこで暮らす人々がどんな生活をしているのかに興味がありました」

 出発点となったふもとの町、ルクラの標高は2860メートル。そこからエベレストに向けて標高差3000メートル以上を歩き、その道中の風景を高さ約2.6メートルの作品に収めた。

 作品のいちばん上のほうにはエベレストが小さく見え、その下にはベースキャンプの黄色いテントがたくさん写っている。さらに、谷筋の街道沿いで目にした山や川、田畑、集落が折り重なるように複雑なモザイク模様を描いている。そこに登山者や住民の姿がミニチュア模型のように見える。

「A Journey of the Drifting ice  Shiretoko」(C)西野壮平
「A Journey of the Drifting ice Shiretoko」(C)西野壮平

 エベレストとは対照的に、北の海で流氷を巡る旅を写した作品「A Journey of the Drifting ice」もある。

「ぼくはそれまで流氷というものを見たことがなかったんです。調べてみると、それが北海道・知床の海でできたものではなくて、対岸のロシアのアムール川の河口でできた氷が長い時間をかけて日本にやって来ることを知りました」

 長年、日本とロシアとの間には北方領土問題が影を落としてきた。

「でも、自然というのは人間の政治的な思惑なんかお構いなしに国境を越えてくる。それで、『流氷の旅』をテーマにできないか、と思ったんです」

 19年、西野さんは流氷が着岸した知床だけでなく、ロシア沿海州の港町、マガダンを訪れた。

「流氷ができる場所を撮影したり、その周辺に住んでいる人たちと話をして、日本とロシア、両方の流氷の風景をとらえました」

 ほか、会場には、富士山を題材にした「Mountain line “Mt Fuji“」や、西野さんのアトリエに近い西伊豆の風景を作品にした「WAVES」なども展示される。いずれの作品も、そこに詰め込まれた大きな世界を覗き見るような楽しさにあふれている。

次のページ
大学時代はふさぎ込んでいた