■制服の原型は大正モダン
桜蔭の創立は大正時代の1924年。当初、同校には制服がなかったという。
「関東大震災のすぐ後にがんばってつくった学校なので、最初は制服がなかったんです。開校後しばらくして、制服を決めようということになりました」
齊藤校長が見せてくれた写真には、歴史の教科書で目にするような大正モダンな帽子をかぶった女学生の姿が木造校舎を背景に写っている。「ハイカラ」にみえるが「当時は生徒にはとても不評だったみたいです」という。
「オシャレなんですけれど、この位置のひもが結びにくいんですよ。ちょっとお腹の下で」と言いながら、齊藤校長はジャンパースカートのウエストよりも低い位置にあるひもを指さす。
「大正末期から昭和初期は『モボ』『モガ』の時代。この『ローウエスト』がとってもはやったようです」
「モボ」「モガ」というのは「モダンボーイ」「モダンガール」の略称で、当時はまだ珍しかった洋装のファッションが一世を風靡した。その特徴の1つが「ローウエスト」で、同校の制服もそれを取り入れたものだったという。
■初代校長から受け継がれる伝統
桜蔭の制服が現在のかたちになったのは、戦後間もない1949(昭和24)年のことだという。
「昔の制服はジャンパースカートとブラウスだけで、冬は教室の中でも寒かったので、上着がほしいという生徒の希望を取り入れました。不評だったローウエストを通常の位置に直しました。ウエストのひもの結び方は片方だけ輪があって、リボン結びとは違うんです。初代校長の後閑キクノは宮中に多少ながらご縁があり、香淳皇后のご教育係をしておりました。そのときの袴のひもの結び方なんです。それはいまも変わりません」
伝統の制服に新たな選択肢が加わったのは、このとき以来70余年ぶりということになる。
小林裕子教頭は、従来の制服について、「由緒ある制服なので、歴史的な意味があります」と前置きしたうえで、「どうしてもズボンをはきたいという生徒がいる以上、それを作るべきだという気持ちがありました」と打ち明ける。