「みんな大学に入ったばかりなので受験が共通の話題だったのですが、京大の人は人を見下したりすることなく、『大変だったよね』と気遣いながら受験の苦労話を聞いていたのです。同い年なのになぜこんなにも違うのかと、自分に失望しました。悔しかったです。努力したからこそ落ち着いた優しい人になれるのではないかと、その姿にあこがれました」
それを機に、より入試難易度が高いとされる大学への編入をめざした。編入に必要なのは、授業の単位と成績、英語の試験、小論文、面接。授業に真面目に取り組み、英語の勉強を続け、3年次編入で龍谷大経済学部に入った。
「学生がみんな静かに授業を受けていたことに感動しました。中学卒業以来、5年ぶりのちゃんとした授業でしたね」
龍谷大時代は、甲子園球場でソフトドリンクやアイスクリームを売るアルバイトに精を出した。趣味が高じて競馬研究会も立ち上げた。ゼミでは所得が生活に及ぼす影響、学歴と年収の関係などについて調査した。やっと自分も充実した大学生活を送れるようになった――ところが3年次の後半で、ある負の感情が沸き上がるのを感じた。
「同級生のプレゼンを聞いていると、みんな自信をもって論理的に話すのです。自分とは違い、高校で真面目に勉強して、学力と教養があり、努力して一般入試で入ってきたからこのような理知的な話し方になるのではないかと思ったのです。“一般入試コンプレックス”でした」
■「学がない自分が本当に悔しかった」
その日から英単語帳を開き、受験勉強の日々が始まった。東大、京大、早稲田大……日本人なら誰でも知っている大学に行けばこのコンプレックスは解消されるのではないか。とはいえ、今の学力では無理だ。親族からも、「そんな馬鹿なことを言うな」と怒られた。
4年次には、誰もが知る大手企業に就職すればコンプレックスは消えるかもしれないと考え、テレビ局など80社以上の入社試験を受けた。しかしどこにも縁がなかった。あるキー局の面接で一緒になった慶應義塾大の大学院生は、自身が学会の冊子に寄稿した記事のことを堂々とアピールしていた。「学がなく、そうした経験のない自分が本当に悔しかったです」と濱井さんは当時を振り返る。
最終的には中堅の証券会社から内定をもらった。だがその会社は入社10日で辞めた。大学受験のためだ。