地獄の9年間を経たことで「コンプレックスはなくなった」という(撮影/写真部・高橋奈緒)
地獄の9年間を経たことで「コンプレックスはなくなった」という(撮影/写真部・高橋奈緒)

 新卒4年目、26歳で満を持して大学に願書を出した。国立の大阪大に加え、早稲田、慶應、同志社、上智、明治などの私立大も受験した。マスメディアの勉強ができればと、人文系学部を受けた。センター試験の得点率は58%。結果は「全落ち」だった。

「早稲田大を4学部受けたのですが、全然だめでした。商学部の試験では6割ほど取れていたのですが、ほかの学部は5割にも届いていませんでした」

 貯金はほとんど底をつきかけている。しかし受験で初めて訪れた早稲田キャンパスの荘厳な雰囲気が忘れられない。兵庫の実家を出て、京都で4畳1万2000円の部屋を借りた。新しく入りなおした塾では、自分ができていなかった高校の基礎を丁寧に教わった。前の塾と違い、静かな自習室で受験生たちが黙々と勉強している様子に刺激を受けた。英語、国語、日本史の3科目に絞り、新しい環境で勉強に打ち込んだ。

「金銭的にも最後のチャンスでした。これでだめならあきらめようと思っていました」 

 受験したのは早稲田大の5学部をはじめ、計14日程。関西で立命館大と同志社大を受験した後、夜行バスで上京し、ネットカフェに宿泊しながら6日間連続受験という過酷なスケジュールを走り抜けた。関西の2大学に合格していたことが心の支えだったという。

■「9浪」して得られた人生の教訓

 受験を終えて帰った4畳の下宿で、早稲田大教育学部国語国文学科の合格発表を確認した。27歳のことだった。

「うれしいというよりは、やっと終わったという安堵の気持ちでした。なぜか家から2時間、清水寺まで歩いて何もせずに帰りました」

 入学後、同級生に経歴を話すと最初は怪訝(けげん)な反応をされたが、次第に友人にも恵まれた。この稀有(けう)な経験を知ってほしいと思い、学内でYouTube活動をしている学生のアルバイト先に出向き、「動画に出してほしい」と売り込んだ。コラボを重ねて知名度を上げ、「苦労しました、9浪だけに!」のフレーズとともに学内の有名人として知られるようになった。

 この3月に大学を卒業し、長きにわたる浪人経験を生かすため、教育関連のベンチャー企業に就職する。そんな濱井さんが「9浪」したからこそ得られた人生の教訓は。

「この地獄の9浪の経験よりもつらいことはなかなかありません。だから大抵のことは無理だと思わなくなりました。これまでコンプレックスが嫌で人を見返すことばかり考えていたのですが、この経験を生かして、多くの人に勇気を与えられたらと思っています」

(白石圭)