68年12月10日には、3億円事件が発生した。本誌は12月27日号で「怪盗が3億円を手中にするまで」と題し、事件を詳報している。
<アルセーヌ・ルパンもかくや、と思わせるあざやかな犯行であった。現場は裏通りとはいえ、車が絶えず行き来するところ。むろん、目撃者もいた。しかし、怪盗はピストルも出さず、三億円の札タバを積んだ銀行の現金輸送車を奪い去ったのである。この間、たった五分たらずだった>
戦後最大のミステリアスな事件。白バイに乗り、警察官のような格好をして銀行の現金輸送車に近づいた犯人について、事件現場を目撃した女性に取材している。
<男の動作はキビキビしていた。彼女はてっきり警官だと思いこんでいたのだ>
謎に包まれた犯人の正体については、複雑な現場の地形を巧みに利用していること、狭い路地を猛スピードで逃走していることなどから、<土地カンのある運転マニア?>と、犯人像を推理している。だが、結局、犯人が捕まることはなく、事件は75年に公訴時効を迎えた。
70年代には団塊の世代が社会人となり、消費社会が本格化した。コンビニエンスストアやファストフード店が続々と出店する中、その反動のように、三島由紀夫の自死(70年11月)、あさま山荘事件(72年2月)といった、「思想」に突き動かされた事件も相次いだ。その一つが、「よど号」事件だ。70年3月31日、日本刀などで武装した共産主義者同盟赤軍派の活動家9人が東京発福岡行きの日本航空351便「よど号」をハイジャック。乗員・乗客計129人を人質に取り、同機を北朝鮮に向かわせるよう要求した。
このとき、捕らわれの身となったのが東京・聖路加国際病院内科医長の日野原重明氏(肩書は当時、後に同院長)。事件解決後、本誌4月17日号に掲載された日野原氏の手記「捕われの機内日記」が生々しい。
機内での80時間に及ぶ監禁状態の中、日野原氏はメモ用紙60枚の裏表にわたって走り書きで状況を描写していたのだ。