66年6月、来日し羽田空港に降り立ったビートルズ。法被姿が鮮烈な印象を残した
66年6月、来日し羽田空港に降り立ったビートルズ。法被姿が鮮烈な印象を残した
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 100年前に誕生した日本最古の総合週刊誌・「週刊朝日」。多くの苦しみを生んだ悲惨な出来事も、国民みんなで笑顔になった素晴らしい出来事も、独自の視点で報じてきた。1960~70年代を当時の記事とともに振り返る。

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 映画「ALWAYS 三丁目の夕日」のようなのどかなイメージがある60年代だが、海外ではベトナム戦争、国内では安保闘争と、動乱が続いた時代でもある。

 60年6月には東大生の樺美智子さんが国会前でのデモ中に警官隊との衝突の中で死亡。10月には社会党の浅沼稲次郎委員長が右翼の少年・山口二矢に刺殺され、69年には東大安田講堂攻防戦の影響で東大入試が中止になるなど、政治がらみの事件が相次いだ。

 そんな中、日本中を夢中にさせたのが、66年6月に初来日した英国のバンド、ビートルズだ。ジョン・レノン、ポール・マッカートニー、ジョージ・ハリスン、リンゴ・スターの4人組は当時、世界的な人気者。本誌7月8日号の記事「ビートルズ・ビールス(ウイルス)の蔓延ぶり」では、ファンクラブ会報の次のような記述を引用し、若者の熱狂ぶりを紹介している。

<──私なんとなしに悪い予感がするの……もち彼らについて……彼らがBOAC(英国海外航空、66年3月に墜落事故を起こし乗員・乗客124人全員が死亡)に乗ってきてよ、もし……もしも……もしもよ!! おっこっちゃったら、どうしよう! 発狂して死んじゃうわ!>

 さらに、警備のために警視庁の「私服特科部隊」が編成されたことや、ビートルズが「日本の尊い純粋な文化を破壊する」と叫ぶ右翼の街宣車が登場したことまで、当時の騒動を描写している。

 ビートルズ来日は6月29日午前3時40分。暗闇の羽田空港まで迎えに行った日本の音楽ディレクター・プロデューサーで、「ビートルズの日本での仕掛け人」として有名な高嶋弘之氏(87)はこう振り返る。

「彼らが泊まる東京ヒルトンホテルの周囲を、何台もの街宣車が取り囲んでいました。来日の挨拶にと、加山雄三さんらとホテルの業務用エレベーターを使って10階のスイートに到着すると、ジョン以外の3人が待っていた。すると突然、ジョンがおどけながら現れ、後ろから加山さんの両脇に手を入れて振り回したんです。そしたらポールがめちゃくちゃ笑ってね。ああ、ジョンがリーダーなんだなあと感じたものです。加山さんは彼らとすき焼きを一緒に食べました」

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