原さんは都会のネズミの生態について書かれた本を探した。
「でも、いっさい見つからないんですよ。あるのはネズミの分類や駆除の関する本ばかりで、彼らの生活について書かれた本は、もう、びっくりするほどなかった」
原さんは「つらいな。こんな世界に足を踏み入れようとしているのか」と感じる一方、「これは面白い、とも思った。こんなに身近にいるのに、誰もネズミをきちんと見て、撮ろうとしなかったわけですから」。
資料がなければ、他の動物写真家と同様にネズミの生態を調べるところから始めるしかない。そんなフィールドワークに5年、10年を費やすのはざらで、原さんも最初の数年間はほとんどネズミを見つけられなかった。
■汚いネズミの写真なら誰にでも撮れる
筆者は以前、新宿を撮影している写真家に密着取材した際、「ここにネズミがいます」と言われ、細いビルのすき間のコンクリートの割れ目から出入りする何匹ものネズミを目にしたことがある。それはまさに、「ドブネズミ」の姿だった。
しかし、原さんは「汚いネズミの写真には興味がない」と言う。
「汚いネズミの写真なら誰にでも撮れます。そんな場所に行ってカメラを向ければいいだけですから。逆に、作品としてネズミをフォトジェニックに撮ろうとすると、ものすごく大変。少なくともぼくは、そんなふうにネズミを撮った作品は見たことがない」
しかし、なぜ、原さんはそれを撮れるようになったのか? たずねると、フィールドワークを続けるうちにネズミを見つける「目ができた」と言う。すると、「いろんなところにネズミがいっぱいいる」ことが見えてきた。
「そこで、ああ、なるほど、と思ったんですが、ネズミの動きというのはとても巧みで、人間の視線がなくなった瞬間に走るんです。例えば、街中で人としゃべっているとき、その真後ろをすーっと通り抜けたりする。視界に入らないから、間近にいても気がつかない」
そう言って、昼間の通りを歩く女性のすぐ横で2匹のネズミがじゃれ合っている写真を見せてくれる。
「足元にネズミがいるのに、この人はぜんぜん気づいていない。ネズミを見つけ慣れてくると、ほんとうにこんなシーンに出合っちゃう」