■こんなに撮れないものなのか
しかし、ネズミを見つけられるようになっても、その姿を撮れるようになったわけではまったくなかった。
「カメラを構えようとした瞬間にいなくなっちゃうんです。20~30メートル離れていても逃げてしまう。ちょっとした緊張感が伝わるんでしょう」
森に住む動物を写すのであれば、三脚にカメラを据え、撮影を気づかれないようにカムフラージュできるが、街中の撮影ではそうはいかない。
「きちんと写そうとすると、かなり近づいて、落ち着いて撮らなければならない。でも、途中で気がついたんですけれど、こんな条件で動物を撮っている人なんて、誰もいないんですよ。参考になる人は誰もいないから、自分なりの撮影方法を編み出すしかなかった」
原さんはネズミを観察するうちに、個体によってかなり性格が違うことに気がついた。
「こいつだったら、近づけるかなと、ぱっと見極める。ネズミに性格に合わせて写さないと、こういうふうには撮れないです」
夜の撮影ではさらに苦労した。最初はまったく写らなかったという。
「もう、ひどいものでしたよ。こんなに撮れないものか、と思うくらい写らなかった。『暗さ』の度合いが、ふつうとはぜんぜん違いますから。ネズミがいるところって、隅の隅のような場所で、いちばん光がない」
ちなみに、ストロボを使うと「写真がどぎついイメージになるので嫌」と言う。そんな汚い写真であれば、インターネット上でいくらでも見つかるので、わざわざ撮る意味がない。
「しかも、ネズミの動きが速いので1/500秒でシャッターを切ってもブレそうになる。撮影感度を上げるにしても限界があるし、こんなに写すのが難しいものなのか、と思いましたね」
■「汚い動物」とさげすんでいいのか
原さんは、ネズミの存在を善悪でとらえるのではなく、ただ、あるがままに撮ること大切という。
「ネズミにとって東京は、コンクリートジャングル。彼らはそこに住む、ふつうの小動物なんです。ネコのような敵がいるし、カラスやハトと食べ物を奪い合っている。彼らにしてみたら、そこで一生懸命に生きているだけなんです」
そう言うと、原さんは、こう続けた。
「それを、汚いところに住んでいるからと言って、ネズミを『汚い動物』と、さげすんでいいのか?」
しかし、そう語る原さん自身も、「同じような印象を持っていたんですよ。撮影を始めるまでは」と、打ち明ける。
「ネズミのことを知る、というのは、自分の中の偏見の存在を知る、ということだったです。わかったような気になって他人を攻撃することって、いまの世の中、たくさんあるじゃないですか。でも、ほんとうは、相手のことをよく知らない。だから、たたいてもいいと思ってしまう。街に住むネズミを撮っていると、こんなに身近な動物のことを知らなかったことがよく分かる。彼らの存在を写して、みんなに知ってもらうというのは、すごく面白いし、大切なことだと思うんです」
(アサヒカメラ・米倉昭仁)
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